オレンジ
2009/02/23/Mon
休日の部活が終わると決まってみんなで近くのお好み焼き屋に立ち寄った。お好み焼き屋と言っても喫茶店みたいな感じで利用していた。時々はちゃんとお好み焼きを食べていたが。都会ならお好み焼きではなくスイーツ(笑)になったりするのだろう。
わたしは行ったり行かなかったりしていた。
部活後の談笑タイムはわたしにとって部活の延長だった。あの独特のコミュニケーション方法は理屈で考えても無駄、体で覚えるしかない。そういう意味で運動部の部活動とあまり違いはなかった。
なので本当に疲れている時は断った。付き合いが悪いというより虚弱体質な子みたいに思われていたと思う。運動部のクセに。
部員たちは悪い人ではなかった。むしろ校内では人気のある人たちばかりだった。女子に人気のある女子という定番の立場にいる人が多かった。
そういう人たちとわたしは一緒にいた。
体育館の壇上で、そういう人たちがファンの子たちに手を振っている。そんな中みそっかすのようにわたしがいる。そういう人たちもファンの子も気にしていない。わたしは空気だった。
彼女らの誘いを断ったわたしが、ファンの子に混じってぽつんといる。周りの子たちのように熱狂するわけでもなく、壇上を見ている。一人場違いな子がいるなあ、と思って見ている。壇上の誘いを承諾した時のわたしを見ている。
どっちのわたしも浮いている。浮いているけど空気だ。そういう人たちとファンの子たちの間に生じているフェロモンに塗れた関係において、わたしは存在していなかった。
二十七歳で三人の子持ちの女性が知り合いにいた。ただし父親に引き取られたり実家に預けてたりして生活臭をあまり感じさせない人だった。知り合った当時わたしは大学生だったが、同い年くらいに思っていた。だけど話すとやはり年上だと思った。
演劇とは全く関係ない人だったが、彼女は三人の少年少女に演劇を教えていた。八歳くらいの男の子と十二歳くらいの女の子と十七歳くらいの男の子。わたしは彼らは孤児だと思い込む。女の子が八歳の男の子を泣かす。二十七歳の彼女が男の子に優しい口調で言う。
「それは演技? 本当に泣いているの? 演技なら止めてみなさい。演技じゃないなら役者失格ね」
男の子が泣きやもうとがんばっている。十七歳の男の子がいらいらしている。
四人で食事をしている。
泣きやんだ八歳の男の子が、オレンジにかぶりつく。すっぱかったのか一口噛んで吐き出す。二十七歳の彼女がそれを拾う。
「わたしは棄てたものを食べるの」
と笑って食べ残しのオレンジを飲み込む。
十七歳の男の子がきっぱりと言う。
「そこがあんたと俺たちの違うところだ。俺たちは食べられないものは吐き出す。あんたは吐き出したものを食べる」
男の子が言いたかったことはわたしの言葉でこう言い換えられるな、と思う。要するに二十七歳の彼女は超自我が強い故にケガレに向かっているのだ。彼女が吐き出したものを食べるのは彼女の超自我がそうさせている。一方三人の孤児たちはケガレを生きているからこそケガレを吐き出す。
食事が終わる。坂の上の幼稚園のようなところに四人は帰っていく。孤児たちはここに住んでいるようだ。
先に二人を帰して、十七歳の男の子と二十七歳の彼女が残る。
二人は抱き合っていた。
男の子の言い分に共感していただけに、わたしはがっかりした。
八歳の男の子は大人になっていた。
彼は日々の生活で起きたことを日記につけていた。それは台本のような書式だった。
家に帰って台本風の日記を書き上げ、四つ年上の彼女と読み合わせをする。当然別の人間だから一言一言のニュアンスが変わる。「どうした? 元気ないじゃん」の一言ですら、本当に言った彼の友人と彼女とでは言い方が変わる。
その相違点のうち気になったところを、彼は彼女と話し合った。彼女はどういうつもりでそのセリフを述べたのか。本当にそう言った人間はどういう気持ちでそう言ったのか。
彼女は精神を病んでいた。この作業が治療になっているような印象が彼にはあった。
彼女は精神を病んでから一度だけ舞台に上がったことがある。
何も言わずただそこにいる人形の役。
壊れた人形の役。
直後彼女の病状は悪化した。
だから彼の日課であるこの作業が治療になるというのは眉唾だった。
むしろ病んでいるのは彼で、彼自身の病の治療のために、彼女を犠牲にしているのかもしれなかった。
彼はうすうすそんな風に考えていた。
彼は自分が役者なのか観客なのかわからなくなっていた。
どちらでもないのが正常であるということを忘れてしまっていた。
一番上の男の子と演劇を教えてくれた女性は行方不明になっていた。
わたしはその日もお好み焼き屋へ行くのを断った。
わたしは行ったり行かなかったりしていた。
部活後の談笑タイムはわたしにとって部活の延長だった。あの独特のコミュニケーション方法は理屈で考えても無駄、体で覚えるしかない。そういう意味で運動部の部活動とあまり違いはなかった。
なので本当に疲れている時は断った。付き合いが悪いというより虚弱体質な子みたいに思われていたと思う。運動部のクセに。
部員たちは悪い人ではなかった。むしろ校内では人気のある人たちばかりだった。女子に人気のある女子という定番の立場にいる人が多かった。
そういう人たちとわたしは一緒にいた。
体育館の壇上で、そういう人たちがファンの子たちに手を振っている。そんな中みそっかすのようにわたしがいる。そういう人たちもファンの子も気にしていない。わたしは空気だった。
彼女らの誘いを断ったわたしが、ファンの子に混じってぽつんといる。周りの子たちのように熱狂するわけでもなく、壇上を見ている。一人場違いな子がいるなあ、と思って見ている。壇上の誘いを承諾した時のわたしを見ている。
どっちのわたしも浮いている。浮いているけど空気だ。そういう人たちとファンの子たちの間に生じているフェロモンに塗れた関係において、わたしは存在していなかった。
二十七歳で三人の子持ちの女性が知り合いにいた。ただし父親に引き取られたり実家に預けてたりして生活臭をあまり感じさせない人だった。知り合った当時わたしは大学生だったが、同い年くらいに思っていた。だけど話すとやはり年上だと思った。
演劇とは全く関係ない人だったが、彼女は三人の少年少女に演劇を教えていた。八歳くらいの男の子と十二歳くらいの女の子と十七歳くらいの男の子。わたしは彼らは孤児だと思い込む。女の子が八歳の男の子を泣かす。二十七歳の彼女が男の子に優しい口調で言う。
「それは演技? 本当に泣いているの? 演技なら止めてみなさい。演技じゃないなら役者失格ね」
男の子が泣きやもうとがんばっている。十七歳の男の子がいらいらしている。
四人で食事をしている。
泣きやんだ八歳の男の子が、オレンジにかぶりつく。すっぱかったのか一口噛んで吐き出す。二十七歳の彼女がそれを拾う。
「わたしは棄てたものを食べるの」
と笑って食べ残しのオレンジを飲み込む。
十七歳の男の子がきっぱりと言う。
「そこがあんたと俺たちの違うところだ。俺たちは食べられないものは吐き出す。あんたは吐き出したものを食べる」
男の子が言いたかったことはわたしの言葉でこう言い換えられるな、と思う。要するに二十七歳の彼女は超自我が強い故にケガレに向かっているのだ。彼女が吐き出したものを食べるのは彼女の超自我がそうさせている。一方三人の孤児たちはケガレを生きているからこそケガレを吐き出す。
食事が終わる。坂の上の幼稚園のようなところに四人は帰っていく。孤児たちはここに住んでいるようだ。
先に二人を帰して、十七歳の男の子と二十七歳の彼女が残る。
二人は抱き合っていた。
男の子の言い分に共感していただけに、わたしはがっかりした。
八歳の男の子は大人になっていた。
彼は日々の生活で起きたことを日記につけていた。それは台本のような書式だった。
家に帰って台本風の日記を書き上げ、四つ年上の彼女と読み合わせをする。当然別の人間だから一言一言のニュアンスが変わる。「どうした? 元気ないじゃん」の一言ですら、本当に言った彼の友人と彼女とでは言い方が変わる。
その相違点のうち気になったところを、彼は彼女と話し合った。彼女はどういうつもりでそのセリフを述べたのか。本当にそう言った人間はどういう気持ちでそう言ったのか。
彼女は精神を病んでいた。この作業が治療になっているような印象が彼にはあった。
彼女は精神を病んでから一度だけ舞台に上がったことがある。
何も言わずただそこにいる人形の役。
壊れた人形の役。
直後彼女の病状は悪化した。
だから彼の日課であるこの作業が治療になるというのは眉唾だった。
むしろ病んでいるのは彼で、彼自身の病の治療のために、彼女を犠牲にしているのかもしれなかった。
彼はうすうすそんな風に考えていた。
彼は自分が役者なのか観客なのかわからなくなっていた。
どちらでもないのが正常であるということを忘れてしまっていた。
一番上の男の子と演劇を教えてくれた女性は行方不明になっていた。
わたしはその日もお好み焼き屋へ行くのを断った。