脳内悪役のモノローグ
2009/04/19/Sun
脳内悪役のモノローグ。
「私はね、ヒーローという奴が嫌いなんです。スタンドプレーと言えばいいんでしょうか。かと言ってチームプレーが絶対というわけでもないんですよ。個々人の判断の中には時折評価すべきものが生じます。革新的なアイデアとは皆が気づかなかったから革新的と呼ばれるのです。私はそれらまで埋もれさせるつもりはありません。革新的なアイデアを思いついた奴がヒーローじゃないか、と仰るかもしれませんが、そういうヒーローならばいいのです。どう説明すればいいんでしょうねえ……。私はね、人の集団、ひいては社会というものは、機械だと思っているのです。当然町工場にあるような機械と比べられるものではありません。非常に優れた機械です。たとえば機械の部品の一つ、社会の構成員の一人が故障したとしましょう。町工場の機械は人が直さなければなりません。しかし社会という機械は、自らが自らを直してしまう。運用保全にかかる労力が圧倒的に少なく済みます。また、この社会という機械は、これと指定できるものではありません。町工場でも同じことですが、たとえば旋盤機械があるとします。工場にはそれを組み入れたラインがあります。果たしてこの時旋盤機械だけが機械でしょうか。そのライン全体も一つの機械だと言えないでしょうか。いえラインに留まりません。ある製品を生産するその工場自体も一つの機械と言えば機械です。もっと言えば、その工場に原材料を搬送し製品を搬出する流通システムも、工場という機械を組み込んだ機械です。つまり、私が考える社会という機械は、自律的に作動し、周りの機械と相関するものなのです。私の仕事はこの機械のご機嫌うかがいです。適正化、という言葉が個人的に好きなので言い直させてもらうと、この機械を適正化することです。適正化にはさまざまなやり方があります。昔のテレビなど映りが悪くなったら叩けばよい、なんて定型句がありましたが、それも一つの手法です。しかし大体は壊れちゃいますよね、テレビ。ましてこのテレビは部品一つ一つが自律的に修復する機械です。従って、叩くよりこの機能を促進する方がよいわけです。乱暴な比喩になるかもしれませんが、首に縄をつけて同じ方向へ連れて行くより、運河を掘ってあげる、とでも言いましょうか。運河を掘れば自然とその方向に水は流れていく。それと同様のことです。テレビは叩いて直すより、その作動を妨害しないことの方が肝要なのです。さすれば運河に水が流れ込むようにテレビは直っていくでしょう。ところがですね。ヒーローがいるとそうは行かない。部品たちは時に自分を犠牲にしてまでヒーローを助けようとする。この機械の最大の長所に支障が出る。水は低きから高きに流れてしまう。いわば一つの不具合です。それだけならまだいいのですが、この機械はさまざまな他の機械と相関していますので、不具合は伝染します。私にしてみればヒーローなどというものは、壊れかけたテレビをさらに故障させるウイルス、いやそれを振り撒く感染源のようなものなのです。……おわかりでしょうか? いえ、わかってもらうために説明しているわけではありませんけれども(笑)。私という機械の作動ですよ。だからあなたにわかってもらってもわかってもらえなくても一向に構わないのです。もう二度とお会いすることはないでしょうしね。充分楽しませていだたきましたよ。それについては感謝いたします。……それでは、ごきげんよう」
実在のモデルがいるわけではありません。
役者さんで言うなら『相棒』の監察官の人かな。ちっとかてえか。普通の善悪二元論的構図ならアンディ・ラウとかはー、ちとカッコよすぎるな。
しいて言うなら高校の時の歴史の先生でネクラっぽくて女子から「ちゃん」付けされるようなタイプででも合気道かなんかやっててある日突然学校辞めて風の噂でパントマイム学びに海外行ったって聞いたんだがその人とか。
「水の流れに身を任せようぜ」って身体系重視の男子に多い気がする。頭でっかちな男子は開き直ってあずまん的思想になるけど芸術系っていうか体育会系とはまた別のいわばヨガ系(?)みたいな身体系の人。よくわかんね。自分で言ってて。
あーこれがネオリベの言う「神の見えざる手」か? わたしにとってはたとえば不況などといった負の現象を引き起こす原因不明の「神の手」だが、他の人は「結果オーライ」って感じのよい結果をもたらす「神の手」を考えていることに最近やっと気づいたわたしであった。
しょぼーん。
しかしまあビル・マーレー上手いなあ。上手いっていいのかわからないけど。
「私はね、ヒーローという奴が嫌いなんです。スタンドプレーと言えばいいんでしょうか。かと言ってチームプレーが絶対というわけでもないんですよ。個々人の判断の中には時折評価すべきものが生じます。革新的なアイデアとは皆が気づかなかったから革新的と呼ばれるのです。私はそれらまで埋もれさせるつもりはありません。革新的なアイデアを思いついた奴がヒーローじゃないか、と仰るかもしれませんが、そういうヒーローならばいいのです。どう説明すればいいんでしょうねえ……。私はね、人の集団、ひいては社会というものは、機械だと思っているのです。当然町工場にあるような機械と比べられるものではありません。非常に優れた機械です。たとえば機械の部品の一つ、社会の構成員の一人が故障したとしましょう。町工場の機械は人が直さなければなりません。しかし社会という機械は、自らが自らを直してしまう。運用保全にかかる労力が圧倒的に少なく済みます。また、この社会という機械は、これと指定できるものではありません。町工場でも同じことですが、たとえば旋盤機械があるとします。工場にはそれを組み入れたラインがあります。果たしてこの時旋盤機械だけが機械でしょうか。そのライン全体も一つの機械だと言えないでしょうか。いえラインに留まりません。ある製品を生産するその工場自体も一つの機械と言えば機械です。もっと言えば、その工場に原材料を搬送し製品を搬出する流通システムも、工場という機械を組み込んだ機械です。つまり、私が考える社会という機械は、自律的に作動し、周りの機械と相関するものなのです。私の仕事はこの機械のご機嫌うかがいです。適正化、という言葉が個人的に好きなので言い直させてもらうと、この機械を適正化することです。適正化にはさまざまなやり方があります。昔のテレビなど映りが悪くなったら叩けばよい、なんて定型句がありましたが、それも一つの手法です。しかし大体は壊れちゃいますよね、テレビ。ましてこのテレビは部品一つ一つが自律的に修復する機械です。従って、叩くよりこの機能を促進する方がよいわけです。乱暴な比喩になるかもしれませんが、首に縄をつけて同じ方向へ連れて行くより、運河を掘ってあげる、とでも言いましょうか。運河を掘れば自然とその方向に水は流れていく。それと同様のことです。テレビは叩いて直すより、その作動を妨害しないことの方が肝要なのです。さすれば運河に水が流れ込むようにテレビは直っていくでしょう。ところがですね。ヒーローがいるとそうは行かない。部品たちは時に自分を犠牲にしてまでヒーローを助けようとする。この機械の最大の長所に支障が出る。水は低きから高きに流れてしまう。いわば一つの不具合です。それだけならまだいいのですが、この機械はさまざまな他の機械と相関していますので、不具合は伝染します。私にしてみればヒーローなどというものは、壊れかけたテレビをさらに故障させるウイルス、いやそれを振り撒く感染源のようなものなのです。……おわかりでしょうか? いえ、わかってもらうために説明しているわけではありませんけれども(笑)。私という機械の作動ですよ。だからあなたにわかってもらってもわかってもらえなくても一向に構わないのです。もう二度とお会いすることはないでしょうしね。充分楽しませていだたきましたよ。それについては感謝いたします。……それでは、ごきげんよう」
実在のモデルがいるわけではありません。
役者さんで言うなら『相棒』の監察官の人かな。ちっとかてえか。普通の善悪二元論的構図ならアンディ・ラウとかはー、ちとカッコよすぎるな。
しいて言うなら高校の時の歴史の先生でネクラっぽくて女子から「ちゃん」付けされるようなタイプででも合気道かなんかやっててある日突然学校辞めて風の噂でパントマイム学びに海外行ったって聞いたんだがその人とか。
「水の流れに身を任せようぜ」って身体系重視の男子に多い気がする。頭でっかちな男子は開き直ってあずまん的思想になるけど芸術系っていうか体育会系とはまた別のいわばヨガ系(?)みたいな身体系の人。よくわかんね。自分で言ってて。
あーこれがネオリベの言う「神の見えざる手」か? わたしにとってはたとえば不況などといった負の現象を引き起こす原因不明の「神の手」だが、他の人は「結果オーライ」って感じのよい結果をもたらす「神の手」を考えていることに最近やっと気づいたわたしであった。
しょぼーん。
しかしまあビル・マーレー上手いなあ。上手いっていいのかわからないけど。