『コインロッカー・ベイビーズ』村上龍――コインロッカー・ベイビーはコインロッカーである。
2009/04/22/Wed
「『コインロッカー・ベイビーズ』って小説があったけど、だめだった。小説なんてあまり読まないからこんなこと言う資格はないのかもしれないけれど、あれは違う。おもしろいかおもしろくないかで言うと、こうやって話題にしているという時点で多分おもしろかったんだと思う。だけどあれは違う。よくわからないけれど、違うと思った。あれがコインロッカー・ベイビーなら、僕がそうだ。あの小説が破壊したがっているのはコインロッカーではなく、コインロッカーから助け出されたあとに刷り込まれた洗脳であって、僕はコインロッカーを破壊するつもりはない」
わたしはいら立ちを覚えた。そんな風に言う彼は攻撃的だからだ。暴力的というわけではない。実際に暴力を振るうこともあるが、暴力に対して異常に怖れている。暴力を振るおうとしている自分を必死に押さえつけている。その代わり言葉や態度で攻撃してくる。
こんなことを指摘すると言葉や態度で攻撃されそうだから言わない。言うにしてもきちんと理屈立てて言うしかない。隙のない理屈で言うと彼はしぶしぶ納得する。内部に渦巻く攻撃性が固体化する。
あ、そうか。この隙のない理屈が彼の言うコインロッカーなのだろうか。
そんなことを思いついた自分の体がもぞもぞする。なるべく隙のないように、この考えを理屈立てて彼に伝える。
もぞもぞが増大する。
……なのに、彼は何も答えなかった。
不機嫌になったのかもしれなかった。しかしこの不機嫌という態度は攻撃的ではない。当然優しさでもない。機械的なのだ。
もし本物の人間と区別がつかないほど精巧なアンドロイドが発明されたら、そいつは「いつも不機嫌な奴だ」と思われるだろうな、と思った。
彼が不機嫌なのではなく、機械的になった彼に対してわたしが不機嫌に思っているだけかもしれない。だとしたらわたしも機械的な不機嫌さを醸し出しているのかもしれない。彼もわたしもアンドロイドになっているだけかもしれない。
チェーン居酒屋で酒を飲んでいたのだが、まるで一人で飲んでいるみたいだった。テーブルの真向かいに彼はいるのだが、従って当然彼の真向かいにわたしがいるのだが、二人ともたまたま相席になった客同士のようだった。それも違うな。アンドロイドと同席することは相席と言うのだろうか。ならば相席でもいいけれど、昼休みに混雑する店で知らない誰かと相席するのとは違う。人形を目の前にして食事をするのと、実際の人間を目の前にして食事をするのは違う。人形も違うな。人形は人間に近い。だから、木を目の前にして食事をするようなものか。
そういうのは嫌いじゃない。だから彼と付き合うことができるのだろう。
これを伝えようかと思ったけれど、彼は再び話し始めていたのでやめた。
わたしたちの会話は、お互いがお互い独り言を言い合っているのに近い。傍から見ればそう思われると思う。
だけどこれで会話になっている。わたしがそう思っているからそれでいい。
もぞもぞ度がもう少し高ければ、彼の話をぶった切って話し始めたかもしれないけれど、それほどでもなかったので、彼の話を聞くふりをした。
「コインロッカーは物であって、登場人物が破壊しようとしているのは人間なんだよな」
支離滅裂な独り言の間に挟まれたこの一言が、その時していたわたしの思考のコインロッカーになった。その瞬間だけ。
コインロッカーに閉じ込められた赤ん坊は、コインロッカーなんだな、とわけのわからない考えが頭に浮かんだ。
彼は鶏軟骨の唐揚げが好きだったが、わたしは嫌いだった。
わたしはその登場人物かもしれない。人間を破壊したい。だけどその小説を読んだことがなかった。
その一言を吟味するのに、後に続く彼の独り言は邪魔だった。
彼を破壊したかった。
彼という唐揚げがお皿に乗っかっている。
コインロッカーの中には鶏肉がつまっているのだろうか。だとしたら赤ん坊はコインロッカーじゃない。鶏肉だ。
気がつくと彼は黙っていた。薄笑いを浮かべていた。
頷いているだけで話を聞いてないことを見抜いて、わたしを馬鹿にしているのかもしれなかった。
わたしも曖昧な笑みを浮かべた。馬鹿にされているのかどうかわからなかったから。
この瞬間を写真に撮って見てみたかった。彼は本当に薄笑いを浮かべているのか、わたしは本当に曖昧な笑みを浮かべているのか。
テーブルを見ると、鶏軟骨の唐揚げはなくなっていた。
どうでもよくなった。
曖昧な笑みがぎこちない笑みに変わった。顔の筋肉が無理をしているのがわかった。
疲れている。お腹が痛い。
彼を破壊したかった。
わたしを破壊したかった。
人間だって物だ。
わたしはいら立ちを覚えた。そんな風に言う彼は攻撃的だからだ。暴力的というわけではない。実際に暴力を振るうこともあるが、暴力に対して異常に怖れている。暴力を振るおうとしている自分を必死に押さえつけている。その代わり言葉や態度で攻撃してくる。
こんなことを指摘すると言葉や態度で攻撃されそうだから言わない。言うにしてもきちんと理屈立てて言うしかない。隙のない理屈で言うと彼はしぶしぶ納得する。内部に渦巻く攻撃性が固体化する。
あ、そうか。この隙のない理屈が彼の言うコインロッカーなのだろうか。
そんなことを思いついた自分の体がもぞもぞする。なるべく隙のないように、この考えを理屈立てて彼に伝える。
もぞもぞが増大する。
……なのに、彼は何も答えなかった。
不機嫌になったのかもしれなかった。しかしこの不機嫌という態度は攻撃的ではない。当然優しさでもない。機械的なのだ。
もし本物の人間と区別がつかないほど精巧なアンドロイドが発明されたら、そいつは「いつも不機嫌な奴だ」と思われるだろうな、と思った。
彼が不機嫌なのではなく、機械的になった彼に対してわたしが不機嫌に思っているだけかもしれない。だとしたらわたしも機械的な不機嫌さを醸し出しているのかもしれない。彼もわたしもアンドロイドになっているだけかもしれない。
チェーン居酒屋で酒を飲んでいたのだが、まるで一人で飲んでいるみたいだった。テーブルの真向かいに彼はいるのだが、従って当然彼の真向かいにわたしがいるのだが、二人ともたまたま相席になった客同士のようだった。それも違うな。アンドロイドと同席することは相席と言うのだろうか。ならば相席でもいいけれど、昼休みに混雑する店で知らない誰かと相席するのとは違う。人形を目の前にして食事をするのと、実際の人間を目の前にして食事をするのは違う。人形も違うな。人形は人間に近い。だから、木を目の前にして食事をするようなものか。
そういうのは嫌いじゃない。だから彼と付き合うことができるのだろう。
これを伝えようかと思ったけれど、彼は再び話し始めていたのでやめた。
わたしたちの会話は、お互いがお互い独り言を言い合っているのに近い。傍から見ればそう思われると思う。
だけどこれで会話になっている。わたしがそう思っているからそれでいい。
もぞもぞ度がもう少し高ければ、彼の話をぶった切って話し始めたかもしれないけれど、それほどでもなかったので、彼の話を聞くふりをした。
「コインロッカーは物であって、登場人物が破壊しようとしているのは人間なんだよな」
支離滅裂な独り言の間に挟まれたこの一言が、その時していたわたしの思考のコインロッカーになった。その瞬間だけ。
コインロッカーに閉じ込められた赤ん坊は、コインロッカーなんだな、とわけのわからない考えが頭に浮かんだ。
彼は鶏軟骨の唐揚げが好きだったが、わたしは嫌いだった。
わたしはその登場人物かもしれない。人間を破壊したい。だけどその小説を読んだことがなかった。
その一言を吟味するのに、後に続く彼の独り言は邪魔だった。
彼を破壊したかった。
彼という唐揚げがお皿に乗っかっている。
コインロッカーの中には鶏肉がつまっているのだろうか。だとしたら赤ん坊はコインロッカーじゃない。鶏肉だ。
気がつくと彼は黙っていた。薄笑いを浮かべていた。
頷いているだけで話を聞いてないことを見抜いて、わたしを馬鹿にしているのかもしれなかった。
わたしも曖昧な笑みを浮かべた。馬鹿にされているのかどうかわからなかったから。
この瞬間を写真に撮って見てみたかった。彼は本当に薄笑いを浮かべているのか、わたしは本当に曖昧な笑みを浮かべているのか。
テーブルを見ると、鶏軟骨の唐揚げはなくなっていた。
どうでもよくなった。
曖昧な笑みがぎこちない笑みに変わった。顔の筋肉が無理をしているのがわかった。
疲れている。お腹が痛い。
彼を破壊したかった。
わたしを破壊したかった。
人間だって物だ。