わたし的『もののけ姫』異文
2009/05/12/Tue
その村に名前などなかった。
たとえば、狩猟に出た村人が仕事を終えて帰る際は、「さて、家に戻ろう」などと言う。彼らの言語体系においては「家」と「村」の区別がないのだ。
険しい山麓に挟まれた土地柄のせいで、周囲の町や村との交流は非常に少ない。とはいえごくわずかの商人が往来している。目立った特産品もないためあまり儲けにはならないのだが、物好きな金持ちが思わぬ高値をつけてくれる時がある。いや、そんなのは言い訳で、実際のところそんな村に通う商人が物好きなだけである。私のことだ。
もう一つだけ言い訳をつけ加えさせてもらうなら、博物学的興味とでも言おうか、幼児的な冒険心とでも言おうか、そのような自分勝手な気持ちもあった。
村の話に戻る。
彼らは自分の集落に名前などつけていないが、私の町では「シエトゥ」と呼ばれていた。古くは「釜場」という意味があったらしいが、現在では「死角」や「隠れ場所」などという意味になっている。語学に疎い私の翻訳でよければ、「隠れ里」のような言葉だと理解していただきたい。
私がシエトゥに通うようになったのは、二十年ほど前からである。若い商人らしく貪欲に商機を探し回っていたなか、その村に足を踏み入れたのだ。私の兄弟子の仲介もあり商談は順調に進んだ。
今では、私にとってその村は取るに足らない取引先の一つにすぎない。
私がこのような文章を記しているのは、単なる個人的な興味からであることを再度強調しておきたい。
先日決定された某国の軍事行動を批判するものでは、決してない。
その村にはいわゆる族長と呼べる者がいなかった。農作業を統べる者、狩猟を統べる者、村人同士のいさかいを治める者、そういう男たちはいるが、一人一人が好き勝手にやっている印象があった。そういった「班長」とでも言うべき男たちの話し合いの場、私たちの社会で言えば町議会に相当するような場もなかった。必要があればそれぞれで勝手に話し合う。私がその村を知るようになって持った印象、「統率されていないとても原始的な村」はここから来ている。
しかし、呪術を執りおこなう年老いた女性がいた。
彼女を族長と呼ぶのはやぶさかではない。実際私も訪れた時には必ず彼女に挨拶をするようにしている。
とはいえ、彼女が村の集団行動になんらかの指示を下している様子は、私が観察した限りでは全くなかった。
私は商人としてはあまり遠出をしない方だが、それでもいくつかの文化の異なる集落を知っている。なかにはわれらの神にとって唾棄すべき呪術をよりどころにしている集落もあった。当然シエトゥの呪術も異教である。ところがこの村は他の異教的集落とも何かが異なっているのだ。言葉でうまく説明できないが、私がこれより思いつくまま記す文章から、その「何か」を感じ取っていただければ幸いである。
現在私の助手に一人の青年がいる。シエトゥに仲介してもらった兄弟子の次男坊、カールである。兄弟子は数年前、はるか遠くの異国で病に倒れ、この世を去った。父親の意志を引き継ごうとする彼の情熱はたびたび私を感心させる。
彼をシエトゥにはじめて連れてきたのは、三、四年前になる。
呪術を執りおこなう老女は、村人から「ランダ」と呼ばれている。私たちの言葉に翻訳すると「寡婦」という意味があるそれを、なぜ村人の敬意を集める彼女の呼称とするのかは未だにわからない。
ランダは博識であった。私たちの言葉を理解できた。私は彼女から村のしきたりや言葉を数多く学んだ。私も他の村人同様彼女に敬意を払っていたが、彼女の方はどこか私をはねつけるような態度を取ることが多かった。はじめは私が異人だからだと考えていたが、他の村人に対しても同じような態度を取っているのがわかった。村人だろうが異人だろうが、人を寄せつけないのが彼女の性格なのかもしれない。ちなみに他の村人は無邪気で人なつっこく、悪く言えば(私のような)異分子に対し無防備である。しばしば私を不安にさせるほど。
ランダの不機嫌さはいつものことだったのだが、はじめてカールを見た時の彼女は、いつもより強い警戒感を示した。一方のカールは持ち前の度胸でほとんど物怖じしなかったが。
ランダの周囲には大抵三、四人の女と、その倍ぐらいの子供たちがいた。女や子供たちは好奇心を隠そうともせず何かにつけて私とコミュニケーションを取りたがるのだが、同じようにカールに近づこうとする女や子供たちを、ランダは強く制した。まるでカール一人だけを外敵とみなしているようであった。
当時は無我夢中であまりそのような記憶はないのだが、私が兄弟子にはじめて連れてこられた時もこんな様子だったのかもしれない。
「商いの利益は自分のものだが、自分自身ではないことを忘れるな」
私の師匠の言葉である。
若い頃は「欲をかきすぎると痛い目を見る」という意味だと思っていた。よくある教訓話の一種だと。そういった話は師匠だけではなく他の商人仲間からもよく聞かされていた。たとえば、莫大な利益に目がくらみ戦争に巻き込まれ非業の死を遂げた商人の話など。
私のこの解釈はおそらく間違ってない。しかし正しいとも言えないことに最近になって気づいた。
この言葉には文字通りの意味がある。
利益のことばかり考えていると、利益が自分自身であるように思えてくる。この時の商人は、利益に目がくらんでいると言うより、自分そのものになってしまった利益を守ろうと躍起になる。自己防衛として利益を死守してしまうのだ。
利益に目がくらむことと自己防衛として利益を守ることなど、ほんの些細な違いでしかないかもしれない。若い商人が知っておくべき違いではないかもしれない。
しかし私は若い弟子たちに、師匠のこの言葉をそのまま伝えるようにしている。もちろんカールにも。
今は自ら荷馬車に乗ることが少なくなったが、以前は人っ子一人いない旅路の途中、妙な感じを覚えることがあった。私は商品を輸送している。しかし商品が私に輸送させているとも言えないか。商品は輸送することで利益という新しい価値を生む。私はその新しい価値に使役されているだけではないか、と。
薄気味悪い不安感にかられた。道に迷っているわけでもないのに、気がついたらどこかの見知らぬ土地に迷いこんでしまったような。
そんな時この言葉をよく思い出したものだ。
異国に赴くのは商人だけではない。軍人、冒険者、宣教師など。しかし他の職業と比べ、商人は自分自身が希薄だ。もちろん他の職業など経験したことのない私が言うことであり、ただの憶測である。それを承知して読んでほしい。
商人は異文化と摩擦を起こしてはならない。商いの邪魔になるからだ。そのためには自分自身を抹消しなければならない。自分の信仰する神がお怒りになるような異教のしきたりにも従わねばならない。軍人や宣教師にはできないことだ。冒険者なら可能かもしれないが、やはり彼らとも違うように思える。冒険者には強い好奇心という自分自身がある。
もちろんこれは程度の問題である。私にも好奇心がないわけではない。先に私は「幼児的な冒険心」と述べたが、私のうちにも貧相な冒険者がいる。それを生業にしていないだけである。
商人という生業はそんな心さえも抹消しなければならない。
しかしある時、抹消していた自分は眠りから覚める。それは目の前にある利益、新しい価値に憑依する。
利益が自分自身になっている状態である。
目的地に着き、積荷を引き渡した瞬間、新しい価値は目に見える形となる。商人はそこに自分を見出してしまう。
次の取引までに、起きてしまった自分を寝かしつけなければならない。
カールが十六になると、私は彼を一人で使いに出すようになった。近場の取引なら一任することもあった。彼はとても利口だった。しかし正直すぎるところがあった。商人にとって正直さは弱点となりうる。いささか無理のある注文かもしれないが、その弱点を捨てないまま立派な商人になってほしい、と私は願っていた。
今でもシエトゥには私自らが出向くようにしている。弟子の誰かに引き継ぐこともできたが、私はある危惧を抱いていた。単なる妄想かもしれないが、ここの村人たちは、特にランダは、人の奥底にある私たちには見えない何か、本性とでも言うべきものを見ているような気がしたからだ。引き継ぐには慎重でなければならない。彼らに許される本性を持っている人間でなければならない。
つまるところ私は弟子たちを信頼してなかったのだ。カールといえども。
しかしカールを連れていくことが多かったのは、兄弟子の息子であることが頭にあったのかもしれない。父親が許されたのなら息子も許されるだろう、という安易な考えだ。
シエトゥに滞在していた時の話である。ある夕方、カールが衣服を泥だらけにし、あちこちに擦り傷をつけて帰ってきた。
私は動揺した。宝物に触れるがごとく大事に育ててきたこの村との信頼関係が壊されるかもしれない、と思ったからだ。
私はカールを問いつめた。ほとんど叱責に近かったと自分で思う。
カールが言うにはこういうことだった。
シエトゥからは主に染物を買いつけているのだが、その日私は、商品を知るため染色の作業場を見学してくるようにとカールに言いつけていた。彼は言われた通り作業場を見学したのち、林の下に小川が流れているのを見つけ、道草をしようとした。
「川沿いを歩いていると水音が聞こえたんだ。岩を乗り越えてそちらを見ると、子供が一人水浴びをしていた。僕に気がついたのか、脱ぎ捨ててあった衣服の方へ泳いでいった。僕はやっとそこで気づいたんだよ、彼女が女の子だということに」
カールは利口だがその分言い訳じみた口ぶりも多い。以下要点を述べる。
どんな言葉をかければいいのか、つまりどんな言い訳をすればいいのか躊躇していると、少女は衣服の下からナイフを取り出し、猛然とこちらに駆け寄ってきたそうだ。商人らしく一瞬で状況を把握したカールは急いで逃げ出した。岩場を駆け下りる際に足を滑らせ泥まみれになった。振り返ると少女が岩場を乗り越えようとしているのが見えた。全裸のままだった。理不尽な事態に動転したカールは一目散に走り去った。林の中を逃げてきたのでその時にも傷がついたのかもしれない。
町の人間に話せば「なんと情けない」などと言われるような事件だが、この土地のしきたりや言葉を充分に理解していない彼にとっては賢明な選択だったろう。
一方、彼よりここの事情に詳しい私は、ある一つの推測を思い立った。
ランダの周りにいる女や子供たちは呪術を学んでいる。いわばランダの弟子たちである。彼女たちは多少の特権を持っていた。たとえば、狩猟は(われわれの文化と同様に)男たちだけでおこなうもので、女が同行することは許されないが、彼女たちは男を従えて山の奥へと入っていく。これは私の想像だが、おそらくしとめた動物に呪術的な施しでもしているのだろう。
また、ランダの弟子たちの中でも年長者たちは、ほとんどがナイフを携帯していた。そのうちの一人に話を聞いたことがあるが、一人前の呪術師として認められた証のようなものらしい。商人なら荷馬車などに相当するか。再び私の勝手な想像になるが、狩猟時のなんらかの儀式においてナイフを使用するのではないだろうか。
であるならば、ナイフを携帯していたその少女は、幼くして一人前と認められた優秀な呪術師なのかもしれない。
翌日、ランダのもとを訪れた私は、自分の推測が間違っていなかったことを知った。
彼女の家は、集落から少し離れた、下りの斜面の雑木林の中に建てられていた。われわれの文化ならば、たとえば教会は広場に堂々と建てられていることが多いが、そこはいわば村の死角だった。「死角」の死角。いや、教会になぞらえること自体が間違っている。定期的に多くの人が集まったりすることはない。しいてたとえるならば、告解室が町の外れにぽつんとあるようなものだ。
家のつくりは、村の平均的な家と比べてやや大きい程度。雑木林に入るとすぐ屋根が見える。告解室のように完全に周囲から遮断されているわけではない。
突然、うしろを歩くカールが私の腕を引っ張った。
「彼女だ」
少女は家の軒先に立って、じっとこちらを見ていた。私たちが気づくより先に彼女は気づいていたのだろう。見覚えのある少女だった。ランダの弟子に間違いない。
私と目が合うと、少女は走って家のかげに隠れてしまった。
顔が強張っているカールに私はこんな軽口を叩いた。
「今度は逃げたか。お前を襲ったのはたまたまかもしれないな」
「たまたまなんかじゃないよ」
思わぬ反論に私は少し驚いた。しかし彼は言葉を続けなかったので、私たちは再び歩き出した。
二人で家の中に入る。ランダは部屋の隅で寝そべっていた。
私はランダに事情を話した。ついさきほどその少女を見かけたことも。するとランダは、カールを外で待たせるように言った。私はカールにそう伝えた。ただし、部屋の中から見える場所にいろ、とつけ足して。カールは渋々出ていった。
カールが出ていくと、ランダは口元を歪めた。おそらく微笑しているのだろう。彼女が笑みを見せるのは珍しいことだった。
彼女はそんなに気にすることではないと私に説明した。私は安堵した。さらに彼女はこうつけ加えた。
「若者なんて、人種や村なんて関係なく、大体似たようなもんさ」
私も字義通りにそう思った。
「あの年頃が人として一番完成されているんだ。あとは完成されたものを手直ししていくだけ」
私はある詩人の言葉を連想した。人は青年期をすぎると、あとはただ死にゆくだけ。字句は異なるかもしれないが、そのような意味だった。
話を終え外に出ると、戸口のそばにいろと言っておいたにも関わらず、カールは家の背後からやってきた。何をしていたのか問うと、あの少女を探していたのだそうだ。しかし見つからなかったと言う。
「また襲われたらどうするつもりだ」
「さっきは逃げただろ、ここじゃ襲いやしないよ。襲われたとしてもどうにかする」
なるほど、やはり完成されている。
「まあ、服は着ていたからな」
私がそう言うと、カールはむっとした様子を見せた。
この一件は、シエトゥとの取引になんの影響も及ぼさなかった。私もカールもちょっとしたハプニングくらいに思っていた。私がもっと冗談のうまい人間なら笑い話にさえしていただろう。
しかし、目に見えないところで、根深いところで、カールの心に影響しているようにも思えた。
それからしばらくして、王都に弟子たち数人を率いて赴いた。当時都では、猟奇的な連続殺人事件が起きており、巷の話題をさらっていた。女ばかりを狙ったもので、遺体は全て鼻を削がれていたり目をくり抜かれていたそうだ。
酒場で他の弟子とこの事件について話している時、カールはこんなことを言った。
「噂では醜い男の仕業だろう、なんて言われているけど、僕は違うと思う。いや、確かに捕まえてみればそいつの顔は醜いのかもしれない。そういうことではなく、自分が醜いから美しい女性の顔を傷つける、という理屈が間違っていると思うんだ。間違っているというか、決して正しい理屈じゃないと。要するに、自分が醜くなくても顔を傷つけたいと思う奴がいてもおかしくないだろ?」
酒に酔っているとはいえ、支離滅裂な言い分だと私も思う。しかし、こんな発想をするのはシエトゥに連れていくようになったからだ、と私は感じた。
われわれの神はわれわれの思考さえも支配している。その支配の綻びの一つが、シエトゥのような場所なのではないか。だからああいった文化を異教とみなすのではないか。
そんなことを考える私も酔っていたのだろう。顔なんて商品と何が違うのか。醜いか美しいかなど売り手や買い手の価値観によっているにすぎない。美醜だけではない。その顔が笑っているのか、怒っているのか、不機嫌なのか、それすらも顔を持つ者と見る者の値づけにすぎない。
某国の軍事的緊迫は周知のことと思う。その戦略上、シエトゥ付近の土地が要所となるのは、素人の私でも理解できる。国境地帯の山脈において馬車の往来が可能なその周辺が。
ある日シエトゥに立ち寄ると、集落が跡形もなくなっていた。最初から村など存在しなかったかのように。
隣にいたカールが何も言わず走り出す。森の中に入っていく。彼を連れ戻そうと私も後に続くと、濃紺の染物がゆく手を阻んでいる。さっきまで明るかったのにまるで夕闇のようだ。
私は不安を抑えきれない。まるで子供のように。
手探りで周囲をさまよいながら、私はある仮説を考えた。呪術師たちが持っているのは、たとえば動物の皮を剥ぐためのナイフではなく、人間の皮を剥ぐためのものではないか。この染物を切り裂くためのものではないか。
カールは自分の皮を剥がしてもらおうとしているのではないか。
横に朽ちた荷馬車があった。走れそうもない。どうやって町に帰ればいいのやら……。
最近、そんな夢を見た。
誰もいない、見知らぬ土地で感じる不安。
そして、その不安をなくしてしまう不安。
荷馬車には無数の仮面が積み込まれていた。
仮面の下は誰にもわからない。自分でさえも。
だから呪術師たちはナイフを携帯しているのだ。
たとえば、狩猟に出た村人が仕事を終えて帰る際は、「さて、家に戻ろう」などと言う。彼らの言語体系においては「家」と「村」の区別がないのだ。
険しい山麓に挟まれた土地柄のせいで、周囲の町や村との交流は非常に少ない。とはいえごくわずかの商人が往来している。目立った特産品もないためあまり儲けにはならないのだが、物好きな金持ちが思わぬ高値をつけてくれる時がある。いや、そんなのは言い訳で、実際のところそんな村に通う商人が物好きなだけである。私のことだ。
もう一つだけ言い訳をつけ加えさせてもらうなら、博物学的興味とでも言おうか、幼児的な冒険心とでも言おうか、そのような自分勝手な気持ちもあった。
村の話に戻る。
彼らは自分の集落に名前などつけていないが、私の町では「シエトゥ」と呼ばれていた。古くは「釜場」という意味があったらしいが、現在では「死角」や「隠れ場所」などという意味になっている。語学に疎い私の翻訳でよければ、「隠れ里」のような言葉だと理解していただきたい。
私がシエトゥに通うようになったのは、二十年ほど前からである。若い商人らしく貪欲に商機を探し回っていたなか、その村に足を踏み入れたのだ。私の兄弟子の仲介もあり商談は順調に進んだ。
今では、私にとってその村は取るに足らない取引先の一つにすぎない。
私がこのような文章を記しているのは、単なる個人的な興味からであることを再度強調しておきたい。
先日決定された某国の軍事行動を批判するものでは、決してない。
その村にはいわゆる族長と呼べる者がいなかった。農作業を統べる者、狩猟を統べる者、村人同士のいさかいを治める者、そういう男たちはいるが、一人一人が好き勝手にやっている印象があった。そういった「班長」とでも言うべき男たちの話し合いの場、私たちの社会で言えば町議会に相当するような場もなかった。必要があればそれぞれで勝手に話し合う。私がその村を知るようになって持った印象、「統率されていないとても原始的な村」はここから来ている。
しかし、呪術を執りおこなう年老いた女性がいた。
彼女を族長と呼ぶのはやぶさかではない。実際私も訪れた時には必ず彼女に挨拶をするようにしている。
とはいえ、彼女が村の集団行動になんらかの指示を下している様子は、私が観察した限りでは全くなかった。
私は商人としてはあまり遠出をしない方だが、それでもいくつかの文化の異なる集落を知っている。なかにはわれらの神にとって唾棄すべき呪術をよりどころにしている集落もあった。当然シエトゥの呪術も異教である。ところがこの村は他の異教的集落とも何かが異なっているのだ。言葉でうまく説明できないが、私がこれより思いつくまま記す文章から、その「何か」を感じ取っていただければ幸いである。
現在私の助手に一人の青年がいる。シエトゥに仲介してもらった兄弟子の次男坊、カールである。兄弟子は数年前、はるか遠くの異国で病に倒れ、この世を去った。父親の意志を引き継ごうとする彼の情熱はたびたび私を感心させる。
彼をシエトゥにはじめて連れてきたのは、三、四年前になる。
呪術を執りおこなう老女は、村人から「ランダ」と呼ばれている。私たちの言葉に翻訳すると「寡婦」という意味があるそれを、なぜ村人の敬意を集める彼女の呼称とするのかは未だにわからない。
ランダは博識であった。私たちの言葉を理解できた。私は彼女から村のしきたりや言葉を数多く学んだ。私も他の村人同様彼女に敬意を払っていたが、彼女の方はどこか私をはねつけるような態度を取ることが多かった。はじめは私が異人だからだと考えていたが、他の村人に対しても同じような態度を取っているのがわかった。村人だろうが異人だろうが、人を寄せつけないのが彼女の性格なのかもしれない。ちなみに他の村人は無邪気で人なつっこく、悪く言えば(私のような)異分子に対し無防備である。しばしば私を不安にさせるほど。
ランダの不機嫌さはいつものことだったのだが、はじめてカールを見た時の彼女は、いつもより強い警戒感を示した。一方のカールは持ち前の度胸でほとんど物怖じしなかったが。
ランダの周囲には大抵三、四人の女と、その倍ぐらいの子供たちがいた。女や子供たちは好奇心を隠そうともせず何かにつけて私とコミュニケーションを取りたがるのだが、同じようにカールに近づこうとする女や子供たちを、ランダは強く制した。まるでカール一人だけを外敵とみなしているようであった。
当時は無我夢中であまりそのような記憶はないのだが、私が兄弟子にはじめて連れてこられた時もこんな様子だったのかもしれない。
「商いの利益は自分のものだが、自分自身ではないことを忘れるな」
私の師匠の言葉である。
若い頃は「欲をかきすぎると痛い目を見る」という意味だと思っていた。よくある教訓話の一種だと。そういった話は師匠だけではなく他の商人仲間からもよく聞かされていた。たとえば、莫大な利益に目がくらみ戦争に巻き込まれ非業の死を遂げた商人の話など。
私のこの解釈はおそらく間違ってない。しかし正しいとも言えないことに最近になって気づいた。
この言葉には文字通りの意味がある。
利益のことばかり考えていると、利益が自分自身であるように思えてくる。この時の商人は、利益に目がくらんでいると言うより、自分そのものになってしまった利益を守ろうと躍起になる。自己防衛として利益を死守してしまうのだ。
利益に目がくらむことと自己防衛として利益を守ることなど、ほんの些細な違いでしかないかもしれない。若い商人が知っておくべき違いではないかもしれない。
しかし私は若い弟子たちに、師匠のこの言葉をそのまま伝えるようにしている。もちろんカールにも。
今は自ら荷馬車に乗ることが少なくなったが、以前は人っ子一人いない旅路の途中、妙な感じを覚えることがあった。私は商品を輸送している。しかし商品が私に輸送させているとも言えないか。商品は輸送することで利益という新しい価値を生む。私はその新しい価値に使役されているだけではないか、と。
薄気味悪い不安感にかられた。道に迷っているわけでもないのに、気がついたらどこかの見知らぬ土地に迷いこんでしまったような。
そんな時この言葉をよく思い出したものだ。
異国に赴くのは商人だけではない。軍人、冒険者、宣教師など。しかし他の職業と比べ、商人は自分自身が希薄だ。もちろん他の職業など経験したことのない私が言うことであり、ただの憶測である。それを承知して読んでほしい。
商人は異文化と摩擦を起こしてはならない。商いの邪魔になるからだ。そのためには自分自身を抹消しなければならない。自分の信仰する神がお怒りになるような異教のしきたりにも従わねばならない。軍人や宣教師にはできないことだ。冒険者なら可能かもしれないが、やはり彼らとも違うように思える。冒険者には強い好奇心という自分自身がある。
もちろんこれは程度の問題である。私にも好奇心がないわけではない。先に私は「幼児的な冒険心」と述べたが、私のうちにも貧相な冒険者がいる。それを生業にしていないだけである。
商人という生業はそんな心さえも抹消しなければならない。
しかしある時、抹消していた自分は眠りから覚める。それは目の前にある利益、新しい価値に憑依する。
利益が自分自身になっている状態である。
目的地に着き、積荷を引き渡した瞬間、新しい価値は目に見える形となる。商人はそこに自分を見出してしまう。
次の取引までに、起きてしまった自分を寝かしつけなければならない。
カールが十六になると、私は彼を一人で使いに出すようになった。近場の取引なら一任することもあった。彼はとても利口だった。しかし正直すぎるところがあった。商人にとって正直さは弱点となりうる。いささか無理のある注文かもしれないが、その弱点を捨てないまま立派な商人になってほしい、と私は願っていた。
今でもシエトゥには私自らが出向くようにしている。弟子の誰かに引き継ぐこともできたが、私はある危惧を抱いていた。単なる妄想かもしれないが、ここの村人たちは、特にランダは、人の奥底にある私たちには見えない何か、本性とでも言うべきものを見ているような気がしたからだ。引き継ぐには慎重でなければならない。彼らに許される本性を持っている人間でなければならない。
つまるところ私は弟子たちを信頼してなかったのだ。カールといえども。
しかしカールを連れていくことが多かったのは、兄弟子の息子であることが頭にあったのかもしれない。父親が許されたのなら息子も許されるだろう、という安易な考えだ。
シエトゥに滞在していた時の話である。ある夕方、カールが衣服を泥だらけにし、あちこちに擦り傷をつけて帰ってきた。
私は動揺した。宝物に触れるがごとく大事に育ててきたこの村との信頼関係が壊されるかもしれない、と思ったからだ。
私はカールを問いつめた。ほとんど叱責に近かったと自分で思う。
カールが言うにはこういうことだった。
シエトゥからは主に染物を買いつけているのだが、その日私は、商品を知るため染色の作業場を見学してくるようにとカールに言いつけていた。彼は言われた通り作業場を見学したのち、林の下に小川が流れているのを見つけ、道草をしようとした。
「川沿いを歩いていると水音が聞こえたんだ。岩を乗り越えてそちらを見ると、子供が一人水浴びをしていた。僕に気がついたのか、脱ぎ捨ててあった衣服の方へ泳いでいった。僕はやっとそこで気づいたんだよ、彼女が女の子だということに」
カールは利口だがその分言い訳じみた口ぶりも多い。以下要点を述べる。
どんな言葉をかければいいのか、つまりどんな言い訳をすればいいのか躊躇していると、少女は衣服の下からナイフを取り出し、猛然とこちらに駆け寄ってきたそうだ。商人らしく一瞬で状況を把握したカールは急いで逃げ出した。岩場を駆け下りる際に足を滑らせ泥まみれになった。振り返ると少女が岩場を乗り越えようとしているのが見えた。全裸のままだった。理不尽な事態に動転したカールは一目散に走り去った。林の中を逃げてきたのでその時にも傷がついたのかもしれない。
町の人間に話せば「なんと情けない」などと言われるような事件だが、この土地のしきたりや言葉を充分に理解していない彼にとっては賢明な選択だったろう。
一方、彼よりここの事情に詳しい私は、ある一つの推測を思い立った。
ランダの周りにいる女や子供たちは呪術を学んでいる。いわばランダの弟子たちである。彼女たちは多少の特権を持っていた。たとえば、狩猟は(われわれの文化と同様に)男たちだけでおこなうもので、女が同行することは許されないが、彼女たちは男を従えて山の奥へと入っていく。これは私の想像だが、おそらくしとめた動物に呪術的な施しでもしているのだろう。
また、ランダの弟子たちの中でも年長者たちは、ほとんどがナイフを携帯していた。そのうちの一人に話を聞いたことがあるが、一人前の呪術師として認められた証のようなものらしい。商人なら荷馬車などに相当するか。再び私の勝手な想像になるが、狩猟時のなんらかの儀式においてナイフを使用するのではないだろうか。
であるならば、ナイフを携帯していたその少女は、幼くして一人前と認められた優秀な呪術師なのかもしれない。
翌日、ランダのもとを訪れた私は、自分の推測が間違っていなかったことを知った。
彼女の家は、集落から少し離れた、下りの斜面の雑木林の中に建てられていた。われわれの文化ならば、たとえば教会は広場に堂々と建てられていることが多いが、そこはいわば村の死角だった。「死角」の死角。いや、教会になぞらえること自体が間違っている。定期的に多くの人が集まったりすることはない。しいてたとえるならば、告解室が町の外れにぽつんとあるようなものだ。
家のつくりは、村の平均的な家と比べてやや大きい程度。雑木林に入るとすぐ屋根が見える。告解室のように完全に周囲から遮断されているわけではない。
突然、うしろを歩くカールが私の腕を引っ張った。
「彼女だ」
少女は家の軒先に立って、じっとこちらを見ていた。私たちが気づくより先に彼女は気づいていたのだろう。見覚えのある少女だった。ランダの弟子に間違いない。
私と目が合うと、少女は走って家のかげに隠れてしまった。
顔が強張っているカールに私はこんな軽口を叩いた。
「今度は逃げたか。お前を襲ったのはたまたまかもしれないな」
「たまたまなんかじゃないよ」
思わぬ反論に私は少し驚いた。しかし彼は言葉を続けなかったので、私たちは再び歩き出した。
二人で家の中に入る。ランダは部屋の隅で寝そべっていた。
私はランダに事情を話した。ついさきほどその少女を見かけたことも。するとランダは、カールを外で待たせるように言った。私はカールにそう伝えた。ただし、部屋の中から見える場所にいろ、とつけ足して。カールは渋々出ていった。
カールが出ていくと、ランダは口元を歪めた。おそらく微笑しているのだろう。彼女が笑みを見せるのは珍しいことだった。
彼女はそんなに気にすることではないと私に説明した。私は安堵した。さらに彼女はこうつけ加えた。
「若者なんて、人種や村なんて関係なく、大体似たようなもんさ」
私も字義通りにそう思った。
「あの年頃が人として一番完成されているんだ。あとは完成されたものを手直ししていくだけ」
私はある詩人の言葉を連想した。人は青年期をすぎると、あとはただ死にゆくだけ。字句は異なるかもしれないが、そのような意味だった。
話を終え外に出ると、戸口のそばにいろと言っておいたにも関わらず、カールは家の背後からやってきた。何をしていたのか問うと、あの少女を探していたのだそうだ。しかし見つからなかったと言う。
「また襲われたらどうするつもりだ」
「さっきは逃げただろ、ここじゃ襲いやしないよ。襲われたとしてもどうにかする」
なるほど、やはり完成されている。
「まあ、服は着ていたからな」
私がそう言うと、カールはむっとした様子を見せた。
この一件は、シエトゥとの取引になんの影響も及ぼさなかった。私もカールもちょっとしたハプニングくらいに思っていた。私がもっと冗談のうまい人間なら笑い話にさえしていただろう。
しかし、目に見えないところで、根深いところで、カールの心に影響しているようにも思えた。
それからしばらくして、王都に弟子たち数人を率いて赴いた。当時都では、猟奇的な連続殺人事件が起きており、巷の話題をさらっていた。女ばかりを狙ったもので、遺体は全て鼻を削がれていたり目をくり抜かれていたそうだ。
酒場で他の弟子とこの事件について話している時、カールはこんなことを言った。
「噂では醜い男の仕業だろう、なんて言われているけど、僕は違うと思う。いや、確かに捕まえてみればそいつの顔は醜いのかもしれない。そういうことではなく、自分が醜いから美しい女性の顔を傷つける、という理屈が間違っていると思うんだ。間違っているというか、決して正しい理屈じゃないと。要するに、自分が醜くなくても顔を傷つけたいと思う奴がいてもおかしくないだろ?」
酒に酔っているとはいえ、支離滅裂な言い分だと私も思う。しかし、こんな発想をするのはシエトゥに連れていくようになったからだ、と私は感じた。
われわれの神はわれわれの思考さえも支配している。その支配の綻びの一つが、シエトゥのような場所なのではないか。だからああいった文化を異教とみなすのではないか。
そんなことを考える私も酔っていたのだろう。顔なんて商品と何が違うのか。醜いか美しいかなど売り手や買い手の価値観によっているにすぎない。美醜だけではない。その顔が笑っているのか、怒っているのか、不機嫌なのか、それすらも顔を持つ者と見る者の値づけにすぎない。
某国の軍事的緊迫は周知のことと思う。その戦略上、シエトゥ付近の土地が要所となるのは、素人の私でも理解できる。国境地帯の山脈において馬車の往来が可能なその周辺が。
ある日シエトゥに立ち寄ると、集落が跡形もなくなっていた。最初から村など存在しなかったかのように。
隣にいたカールが何も言わず走り出す。森の中に入っていく。彼を連れ戻そうと私も後に続くと、濃紺の染物がゆく手を阻んでいる。さっきまで明るかったのにまるで夕闇のようだ。
私は不安を抑えきれない。まるで子供のように。
手探りで周囲をさまよいながら、私はある仮説を考えた。呪術師たちが持っているのは、たとえば動物の皮を剥ぐためのナイフではなく、人間の皮を剥ぐためのものではないか。この染物を切り裂くためのものではないか。
カールは自分の皮を剥がしてもらおうとしているのではないか。
横に朽ちた荷馬車があった。走れそうもない。どうやって町に帰ればいいのやら……。
最近、そんな夢を見た。
誰もいない、見知らぬ土地で感じる不安。
そして、その不安をなくしてしまう不安。
荷馬車には無数の仮面が積み込まれていた。
仮面の下は誰にもわからない。自分でさえも。
だから呪術師たちはナイフを携帯しているのだ。