人は正常に生まれるのではない、正常になるのだ。
2009/05/13/Wed
人は正常に生まれるのではない、正常になるのだ。
宗教が模索し続けてきた獣と人の差異で言えば、生まれた当時獣だった赤ん坊が人へと育っていくのだ。
妄想分裂態勢、抑鬱態勢である。
この理屈を否定する人間は、ダーウィンの進化論を否定するキリスト教と同じ症状を示していると言える。パラノイアックな症状。
スパンが違うだけである。数万年と人の一生という。
胎児は胎内で進化の過程を経ているようだと言う。であるならば、生後直後、たとえば二年間ほどは、余韻のごとく進化の過程を踏んでいると考えられないだろうか。
この時期の(胎内における)進化(の余韻)が、なんらかの原因で他の多くの個体と異なってしまったのが、わたしの語用におけるキチガイであり、未去勢者である。
とはいえ、多くの人間に間違っていると思われながら、数百年間も進化論を否定し続けてきたキリスト教をわたしは評価する。
彼らは神話を、物語を守り続けたのである。
物語を生きておきながら簡単に物語を捨て去る人間の方が信用できない。そいつらは罪を忘れてしまった罪人である。
だからと言ってダーウィンを批判するわけでもない。
ダーウィンはその知性をもって、当時からすれば比較的現実界に近い領域を論じたのである。ガリレオも同様である。
現実界的な領域と非現実界的な領域が衝突し合うのが自然なのだ。
キリスト教と科学の対立は現実界から見れば正しい。然りである事態だ。
この対立を消滅させようとしている現代の方が嘘である。非現実的である。
だからわたしは、キリスト教は魔女狩りを行なった時代を思い出せ、と言っている。ダーウィンやガリレオを罪人だとした時代を思い出せ、と言っている。
衝突しろ。
科学の本性はサタニズムである。アナルセックスである。
ダーウィンやガリレオの学説を認めることでキリスト教は劣化した。
科学もまた劣化している。肛門欲動という本性を忘れかけている。
キリスト教は自らが劣化することで科学者というサタニストたちを救済したのだ。科学者というサタニストたちは自らの真理を劣化したのだ。
ガリレオの「それでも地球は回っている」という言葉は、大学のディスクールにおける余剰物S/の斜線が綻んだ一瞬を表している。彼はこの瞬間ほんのわずかだけ獣に戻っている。本当の意味での退行をしている。
パラノイアックな精神疾患者たる正常人たちは勝利し続けている。
キリスト教という代償を支払ってまでも。
現実界と非現実界(想像界・象徴界)のせめぎ合いという現実を隠蔽し続けている。
ジェット・リーが好きなことに最近気づいた。
B級じゃないSF映画って何があるだろう、と思ってまず『宇宙戦争』が浮かんだ。「あれもB級だろw」という脳内反論があったがまあストーリーがB級じゃない気がする。
何がB級臭さなんだろうな、と考えたら宇宙人とか宇宙人の乗り物とかそういうののデザインがあれなんだよな。未来の人工物なら大体そうなるかもね、という妥協的な説得力があるけれど、宇宙人とか全く未知なわけだから、ちょっとでも人工物臭いところがあるとB級だなーって思う。ってどうやっても映画は人間が作るものだから人の作意臭っつかそんなんが出てきちゃうわけだけどな。
宇宙人は決定的に未知じゃなくてはならない。乗り物はわたしたちが思いもよらない造形をしてなくてはならない。ってことか。
でもあんまり思いもよらなすぎるとデムパと呼ばれる。カルトムービーになっちゃう。
未知に対する姿勢の問題だよな、と思った。SF小説なんかは絶対的未知である未来を手探りで造形するのがおもしろいわけで。デザインだとどっかで見たことのある構造が浮き出てしまう。小説も変わんねえか。
そんなことを考えながらまた寝すぎた。
あ、あとコメント承認制にした。
2ちゃん自殺スレ見てるけど生の欲動に満ち溢れてて和んだ。まあ本当に死のうと思ったらかえってそうなるのかもしれんね。統合失調症みたく。
ラカンとかあの辺の精神分析論を「好き」とか言っちゃう奴って内容理解してない可能性が高いと思う。
雑魚ばっかだな。
宗教が模索し続けてきた獣と人の差異で言えば、生まれた当時獣だった赤ん坊が人へと育っていくのだ。
妄想分裂態勢、抑鬱態勢である。
この理屈を否定する人間は、ダーウィンの進化論を否定するキリスト教と同じ症状を示していると言える。パラノイアックな症状。
スパンが違うだけである。数万年と人の一生という。
胎児は胎内で進化の過程を経ているようだと言う。であるならば、生後直後、たとえば二年間ほどは、余韻のごとく進化の過程を踏んでいると考えられないだろうか。
この時期の(胎内における)進化(の余韻)が、なんらかの原因で他の多くの個体と異なってしまったのが、わたしの語用におけるキチガイであり、未去勢者である。
とはいえ、多くの人間に間違っていると思われながら、数百年間も進化論を否定し続けてきたキリスト教をわたしは評価する。
彼らは神話を、物語を守り続けたのである。
物語を生きておきながら簡単に物語を捨て去る人間の方が信用できない。そいつらは罪を忘れてしまった罪人である。
だからと言ってダーウィンを批判するわけでもない。
ダーウィンはその知性をもって、当時からすれば比較的現実界に近い領域を論じたのである。ガリレオも同様である。
現実界的な領域と非現実界的な領域が衝突し合うのが自然なのだ。
キリスト教と科学の対立は現実界から見れば正しい。然りである事態だ。
この対立を消滅させようとしている現代の方が嘘である。非現実的である。
だからわたしは、キリスト教は魔女狩りを行なった時代を思い出せ、と言っている。ダーウィンやガリレオを罪人だとした時代を思い出せ、と言っている。
衝突しろ。
科学の本性はサタニズムである。アナルセックスである。
ダーウィンやガリレオの学説を認めることでキリスト教は劣化した。
科学もまた劣化している。肛門欲動という本性を忘れかけている。
キリスト教は自らが劣化することで科学者というサタニストたちを救済したのだ。科学者というサタニストたちは自らの真理を劣化したのだ。
ガリレオの「それでも地球は回っている」という言葉は、大学のディスクールにおける余剰物S/の斜線が綻んだ一瞬を表している。彼はこの瞬間ほんのわずかだけ獣に戻っている。本当の意味での退行をしている。
パラノイアックな精神疾患者たる正常人たちは勝利し続けている。
キリスト教という代償を支払ってまでも。
現実界と非現実界(想像界・象徴界)のせめぎ合いという現実を隠蔽し続けている。
ジェット・リーが好きなことに最近気づいた。
B級じゃないSF映画って何があるだろう、と思ってまず『宇宙戦争』が浮かんだ。「あれもB級だろw」という脳内反論があったがまあストーリーがB級じゃない気がする。
何がB級臭さなんだろうな、と考えたら宇宙人とか宇宙人の乗り物とかそういうののデザインがあれなんだよな。未来の人工物なら大体そうなるかもね、という妥協的な説得力があるけれど、宇宙人とか全く未知なわけだから、ちょっとでも人工物臭いところがあるとB級だなーって思う。ってどうやっても映画は人間が作るものだから人の作意臭っつかそんなんが出てきちゃうわけだけどな。
宇宙人は決定的に未知じゃなくてはならない。乗り物はわたしたちが思いもよらない造形をしてなくてはならない。ってことか。
でもあんまり思いもよらなすぎるとデムパと呼ばれる。カルトムービーになっちゃう。
未知に対する姿勢の問題だよな、と思った。SF小説なんかは絶対的未知である未来を手探りで造形するのがおもしろいわけで。デザインだとどっかで見たことのある構造が浮き出てしまう。小説も変わんねえか。
そんなことを考えながらまた寝すぎた。
あ、あとコメント承認制にした。
2ちゃん自殺スレ見てるけど生の欲動に満ち溢れてて和んだ。まあ本当に死のうと思ったらかえってそうなるのかもしれんね。統合失調症みたく。
ラカンとかあの辺の精神分析論を「好き」とか言っちゃう奴って内容理解してない可能性が高いと思う。
雑魚ばっかだな。