精神分析家たちは人を殺せ。
2009/05/27/Wed
『グイン・サーガ』の人死去だとさ。
『MAD MEN』を見た。これアメリカ人じゃないと本当のおもしろさわかんねーじゃねえかな。
っていうのは、後先考えず闇雲に突っ走ってた時代を忠実に再現したのが評価されてるわけっしょ。日本ならバブル期でもいいけど。
あれだ。今バブル時代のものを作ると「盛者必衰の理」みたいなメタ言語にどうしても縛られるわけじゃん。未来人たるわたしたちはバブルが崩壊した歴史を知っているから。ほとんどが教訓話みたいな隠喩作用に縛られてしまう。
このメタ言語がドラマをつまらなくする。
この時期の人間たちは後先をあまり考えてなかったのが事実だ。だからバブったんだろ? そんなメタ言語を、教訓を知ってたらバブらなかったはず。
歴史はその後の歴史を未だ知らない者たちが作ってきた。
こんな当たり前の事実がすっぽり抜け落ちてしまうのがメタ言語の作用だ。いかにも精神疾患的。
つまり、バブル時代の破天荒さというか、アクチュアリティというか、そういうものを再現するには、作り手はバブルが崩壊した歴史を捨て去って作らなければならない、っつーこと。
歴史を捨て切れてないからバブル時代のドラマは全部教訓臭くなる。つまらなくなる。
このドラマがウケたのは、この時代の熱気が失墜した歴史を、作り手があえて無視しているからじゃねえのか? メタ視点を捨ててるからじゃねえのか?
なあ、日本のドラマクリエイターさんたちよ、メタ視点を持つことは語り手として一概に悪いことじゃない。だがそれが『アンチ・オイディプス』的な強度を損なってしまうことをわかっているのかい?
お前らはメタ言語に縛られてないかい?
お前の無意識は教訓に洗脳されてないかい?
だから日本のドラマはつまらねえんだよ。
柄谷も臨床してないことがモロバレだよな。日米の売れ筋ドラマ見ただけでも日本は去勢済みなドラマがウケている。日本人はアメリカ人より去勢されている。少なくともテレビドラマという分野ではな。
馬鹿ばっかりだ。ラカンはどうでもいいが精神分析使う資格ねえよ。
人を切り刻めよ。
精神を切り刻めよ。
精神分析とはそのためのメスだ。
哲学ジャーゴンみたいに自らの権威をデコレーションするだけのものではない。
そもそもラカン論やってたら知ってるだろ。
メタ視点なんて存在しない。
それはパラノイアの妄想と等しいものだ。
単なる精神疾患の症状だ。
現代精神医学で健康とされている人間たちは、なべてこの精神疾患に侵されているんだ。
フロイトはアメリカの地で自分の学を「ペスト」だと表現した。
フロイト娘たちのせいで毒にも薬にもならない学になっていた精神分析を「ペスト」に戻したのがラカンだ。
精神分析の毒性を復活させたのだ。
それなのにまた無毒化する奴が後から後から湧いてくる。まるで蛆虫みたいだ。
人を殺せ。
人格を破壊しろ。
無数の蛆虫たちが施す無毒化に対抗するには、それしかない。
精神分析家たちは、人を殺せ。
正常人にとって「正常であること」は自明である。
自明すぎて「正常であることとはどういうことか」という学問的探求に耐えられない。
正常人は学問に向いていない人種である。
特に、「自明性の懐疑」をテーマとする哲学や、まさしく「正常であることとはどういうことか」を探求する精神分析には。
お前たちは、生後二年以内に、哲学や精神分析に不適格なシステムの洗脳を施されている。
お前たちは、問う資格がない。
問えないのだ。
馬鹿から抜け出せない馬鹿なのだ。
だから蛆虫なのだ。
あ、おい四角い人読んでるか? ここのコメント欄に関してだが、以前にもちょっと触れたこのテクストが参考になると思うぜ。どう参考になるかは自分で考えろ。とか言いつつヒント出しちゃうわたしってやさしー。引用する。
=====
かえりみて、一千年余の間に、日本文学は顕教(明在系)であった。ありすぎた。顕教界で「もののあわれ」「わび・さび」を主流とするとき、たとえ本来そうではないにしろ、やはり虚無、諦念、厭世、無常観に片寄りすぎている。密教が無さすぎる。俳句界でもそれは数えるほどしか行われていない。華厳・密教界においてはじめて文芸は生命界へ転ずるように、私には思えてならない。不在・異空間、暗在系を詠み得てはじめて生命が誕生する……。(『槐玄記』)
=====
ろすとじぇねれーしょんだかそんなちゃちな規模じゃないみたいだぜ。一千年余の日本文学(俳句だからな)でもそうだったらすい。
すげえもんだ、「ポーズだけの無我」って奴ぁ。
『MAD MEN』を見た。これアメリカ人じゃないと本当のおもしろさわかんねーじゃねえかな。
っていうのは、後先考えず闇雲に突っ走ってた時代を忠実に再現したのが評価されてるわけっしょ。日本ならバブル期でもいいけど。
あれだ。今バブル時代のものを作ると「盛者必衰の理」みたいなメタ言語にどうしても縛られるわけじゃん。未来人たるわたしたちはバブルが崩壊した歴史を知っているから。ほとんどが教訓話みたいな隠喩作用に縛られてしまう。
このメタ言語がドラマをつまらなくする。
この時期の人間たちは後先をあまり考えてなかったのが事実だ。だからバブったんだろ? そんなメタ言語を、教訓を知ってたらバブらなかったはず。
歴史はその後の歴史を未だ知らない者たちが作ってきた。
こんな当たり前の事実がすっぽり抜け落ちてしまうのがメタ言語の作用だ。いかにも精神疾患的。
つまり、バブル時代の破天荒さというか、アクチュアリティというか、そういうものを再現するには、作り手はバブルが崩壊した歴史を捨て去って作らなければならない、っつーこと。
歴史を捨て切れてないからバブル時代のドラマは全部教訓臭くなる。つまらなくなる。
このドラマがウケたのは、この時代の熱気が失墜した歴史を、作り手があえて無視しているからじゃねえのか? メタ視点を捨ててるからじゃねえのか?
なあ、日本のドラマクリエイターさんたちよ、メタ視点を持つことは語り手として一概に悪いことじゃない。だがそれが『アンチ・オイディプス』的な強度を損なってしまうことをわかっているのかい?
お前らはメタ言語に縛られてないかい?
お前の無意識は教訓に洗脳されてないかい?
だから日本のドラマはつまらねえんだよ。
柄谷も臨床してないことがモロバレだよな。日米の売れ筋ドラマ見ただけでも日本は去勢済みなドラマがウケている。日本人はアメリカ人より去勢されている。少なくともテレビドラマという分野ではな。
馬鹿ばっかりだ。ラカンはどうでもいいが精神分析使う資格ねえよ。
人を切り刻めよ。
精神を切り刻めよ。
精神分析とはそのためのメスだ。
哲学ジャーゴンみたいに自らの権威をデコレーションするだけのものではない。
そもそもラカン論やってたら知ってるだろ。
メタ視点なんて存在しない。
それはパラノイアの妄想と等しいものだ。
単なる精神疾患の症状だ。
現代精神医学で健康とされている人間たちは、なべてこの精神疾患に侵されているんだ。
フロイトはアメリカの地で自分の学を「ペスト」だと表現した。
フロイト娘たちのせいで毒にも薬にもならない学になっていた精神分析を「ペスト」に戻したのがラカンだ。
精神分析の毒性を復活させたのだ。
それなのにまた無毒化する奴が後から後から湧いてくる。まるで蛆虫みたいだ。
人を殺せ。
人格を破壊しろ。
無数の蛆虫たちが施す無毒化に対抗するには、それしかない。
精神分析家たちは、人を殺せ。
正常人にとって「正常であること」は自明である。
自明すぎて「正常であることとはどういうことか」という学問的探求に耐えられない。
正常人は学問に向いていない人種である。
特に、「自明性の懐疑」をテーマとする哲学や、まさしく「正常であることとはどういうことか」を探求する精神分析には。
お前たちは、生後二年以内に、哲学や精神分析に不適格なシステムの洗脳を施されている。
お前たちは、問う資格がない。
問えないのだ。
馬鹿から抜け出せない馬鹿なのだ。
だから蛆虫なのだ。
あ、おい四角い人読んでるか? ここのコメント欄に関してだが、以前にもちょっと触れたこのテクストが参考になると思うぜ。どう参考になるかは自分で考えろ。とか言いつつヒント出しちゃうわたしってやさしー。引用する。
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かえりみて、一千年余の間に、日本文学は顕教(明在系)であった。ありすぎた。顕教界で「もののあわれ」「わび・さび」を主流とするとき、たとえ本来そうではないにしろ、やはり虚無、諦念、厭世、無常観に片寄りすぎている。密教が無さすぎる。俳句界でもそれは数えるほどしか行われていない。華厳・密教界においてはじめて文芸は生命界へ転ずるように、私には思えてならない。不在・異空間、暗在系を詠み得てはじめて生命が誕生する……。(『槐玄記』)
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ろすとじぇねれーしょんだかそんなちゃちな規模じゃないみたいだぜ。一千年余の日本文学(俳句だからな)でもそうだったらすい。
すげえもんだ、「ポーズだけの無我」って奴ぁ。