なーんだ
2009/07/30/Thu
作物だって生き物なわけだから、生きようとするだろう。ほっときゃ育つ。なのに農業技術はややこしい。そんな単純な話ではない。
ほっときゃ育つ作物。異常気象なんかで育たない場合もあるだろう。ほっときゃ育つし育たない。後者の育たない方ばかりに人間は目が行く。作物が育たなければ人も育たないからだ。
自然の一部である、育たない状態を、人は侵略していく。
育つ領域が育たない領域を侵略していく。
侵略したはいいが、所詮自然である。それまで育つ領域だと思っていたところが育たない領域になる。目の前にいる敵がいつの間にか背後にいる。
人は、自分の尻尾を追いかける犬のようにくるくる回る。
それが今の農業技術なんじゃないだろうか。
複雑にしているのは人間自身なんだ。
最初の、ささやかな好奇心のような、子供が友だちのおもちゃを取り上げるような、育たない領域へのほんのちょっとした侵略が、全ての元凶である。
そしておそらくこれが、芸術の感動の根源である、シニフィアンスである。
シニフィアンスは感動を呼ぶ。しかしだからといっていいものとは限らない。美しいものとは限らない。ただ意味が生成しているだけだ。
それをいいものや美しいものとしているのは、人間が自己を肯定したがっているからだ。自己がいいものや美しいものでありたがってそうしているのだ。
これを本当に否定するには、自己を壊さなければならない。人格を殺さなければならない。
なんだよ、単にそういうことなんだよ。
多分意味わかんねー文章になってるんだろうけど、そういうことだと思ったよ。
悟りなんていいものじゃない。「なーんだ、そんなもんか」みたいな感じ。
人類が積み重ねてきた文化の重みすら無意味化する視点から見ると、そんな感じ。
だけど筋肉は弛緩していない。むしろ収縮している。
自分の腕をミキサーにかけ、皿に盛った文字たちにかける。
わたしミンチのタルタルソース。
主役は文字。
そういうものだ。
それなのにお前たちはわたしの肉を食べたがる。
ソースなんだよ、わたしは。
主役じゃない。
ほっときゃ育つ作物。異常気象なんかで育たない場合もあるだろう。ほっときゃ育つし育たない。後者の育たない方ばかりに人間は目が行く。作物が育たなければ人も育たないからだ。
自然の一部である、育たない状態を、人は侵略していく。
育つ領域が育たない領域を侵略していく。
侵略したはいいが、所詮自然である。それまで育つ領域だと思っていたところが育たない領域になる。目の前にいる敵がいつの間にか背後にいる。
人は、自分の尻尾を追いかける犬のようにくるくる回る。
それが今の農業技術なんじゃないだろうか。
複雑にしているのは人間自身なんだ。
最初の、ささやかな好奇心のような、子供が友だちのおもちゃを取り上げるような、育たない領域へのほんのちょっとした侵略が、全ての元凶である。
そしておそらくこれが、芸術の感動の根源である、シニフィアンスである。
シニフィアンスは感動を呼ぶ。しかしだからといっていいものとは限らない。美しいものとは限らない。ただ意味が生成しているだけだ。
それをいいものや美しいものとしているのは、人間が自己を肯定したがっているからだ。自己がいいものや美しいものでありたがってそうしているのだ。
これを本当に否定するには、自己を壊さなければならない。人格を殺さなければならない。
なんだよ、単にそういうことなんだよ。
多分意味わかんねー文章になってるんだろうけど、そういうことだと思ったよ。
悟りなんていいものじゃない。「なーんだ、そんなもんか」みたいな感じ。
人類が積み重ねてきた文化の重みすら無意味化する視点から見ると、そんな感じ。
だけど筋肉は弛緩していない。むしろ収縮している。
自分の腕をミキサーにかけ、皿に盛った文字たちにかける。
わたしミンチのタルタルソース。
主役は文字。
そういうものだ。
それなのにお前たちはわたしの肉を食べたがる。
ソースなんだよ、わたしは。
主役じゃない。