放送禁止
2009/08/02/Sun
映画『サマーウォーズ』のCMで涙目に一杯ためながら「よかったですう」とか言ってる一番最後に出てくる観客の女性、メンヘラっぽい。
共依存とかしそうだ。
って共依存なんか普通の健常者でもしてるんだけどね。
度がすぎてるからダメよ、ってことで。
「わたしたち全員パラノイアックなんだけど、あんたパラノイアの狂気に近寄りすぎよ」
ってことで。
まーそんなこったろーなー。
放送禁止だろあの顔。
これ褒め言葉になるな、このブログだとw
春風亭昇太今年で五十歳なんだー。
芸能界じゃなくても、演劇人ってそうなんだよね、見た目年わかんない人が多い。
この辺のわたしの持論は、役者って顔の筋肉が一般より発達してると思うのね、だから一般より若く見える、というもの。
テレビでよくやる顔面体操みたいなん役者の稽古であったし。自分でもあれだもん、役者やるようになって片方の眉だけ上げ下げできるようになったし、耳もぴくぴく動かせるようになった。表情が豊かになるんだよね。顔面の筋肉が意識化される。意識化されたら動かすのが楽しいわけだから、自然と筋肉が発達する、というわけ。
でもやっぱ近くで見ると、小じわとかあって「あーそうなんだなー」って思うことも多い。昇太(すみませんもっそい年上の人を呼び捨て)も隣の席で飲んだりしたら「あーやっぱりイソジだー」って思うかもしれない。アラヒフ? 粗皮膚ってかっこいいな。ソヒフって語呂の悪さがいい。
んで、この「あーやっぱりイソジだー」っていうんは、「イソジだ」っていう情報が先にあるからなんだよね。その情報を、意識上で疑ってたわけじゃないけれど、確認できた、という。
んじゃこの「イソジだっていう情報」がなかったら。
まー多分「あー意外と小じわ多いのね」くらいなんだろう。
でもね、恋は盲目って言うじゃない。いや別に昇太に恋してるわけじゃないけど。ファンではあるかもしんないけど。
小じわが恋を冷めさせるようなものだった場合(小じわが好きって場合もありえるからね)、その人には小じわが見えなくなっちゃう。見えていたとしても、自分が好意を持てるような何かに変換されることもある。「あばたもえくぼ」。
これってパラノイアの症状と同じ機制なんだよね。
……ってことで前半の「わたしたち全員パラノイアックなんだけど、あんたパラノイアの狂気に近寄りすぎよ」ってのに繋がりましたっと。
別にいいんだよ、パラノイアで。
わたしみたいなのに攻撃されるだけで。
あなたたちが大多数なんだからそんなびくびくする必要ないよ。
数の力でわたしたちを鏖殺したり、カルト宗教がやるみたいに洗脳したりできるから。
あんたたちがどうやっても勝つんだよ。あなたたちが勝つ可能性が非常に高い。
それだけのこと。
あれだな。宮台真司の「パトリ」って西原理恵子が描く「汚らしくてみじめでイタイ田舎」と連関させて誰か論じてくれねえかな。西原の描く田舎は、わたしの田舎ではないが、トラウマを刺激する。西原の田舎はわたしのパトリではないが、それを刺激する。
トラウマだから変換不可能。トラウマはその人の自己という幻想の土台である。あーいや、宮台の「パトリ」を精神分析風に解釈したらって話だが。pikarrrたんの言う「外傷的な現実/社会的現実」ってのも有効だろう。「社会的現実」による「自分が生まれ育った場所」とは同じかもしれないが別物の「外傷的な現実」としての「自分が生まれ育った場所」。もっと言うなら、フロイトはヒステリーの病理としてトラウマを設定したが、後日トラウマは客観的事実である必要がないとしたことも関係してくるだろうな。
つーか高知県出身の編集業の飲み友だちが「西原のせいで高知の海岸には野良ペンギンがいると思われて困っている。自分の子供のころにはそんなのいなかった」とかぼやいてたな。
西原のせいじゃないと思うが高知は犬を食ってるって噂なら聞いたことがある。
どうでもいいが『毎日かあさん』博報堂絡んでねえのな。いや裏で絡んでるのかもしれんが。もし絡んでなかったら蛇さんクビだろ常考。
どうでもいい時の自分って、球体みたいだ。ハリネズミがするみたいな球体。
球体と安心感ってどっかで繋がってる文脈が多いのがわかんないんだよな、精神分析系の。
体中に緊張が、みなぎるってほどでもないけど、行き渡っていて、結構一様に行き渡っているから球体。
球体と緊張の、隠喩ではなく換喩的な連接。体感的に繋がっていると思える連接。
これがわからないと「球体はナイフだ」ってわからないんだろーなー。
新宮一成が自身の夢でボールがナイフになってるっつーの見たらしいが、それは言葉だ、って短絡しちゃうと違うんだよな。それはシニフィアンになるものかもしれないが、あくまで事後の話で、ナイフである球体が問題なのだ。緊張感が換喩的に連接する球体が問題なのだ。わたしにとって。
ブログパーツ『あわせて読みたい』追加。一応言っとくとCookieは使ってないらすい。結果がわかったら消すかも。
なんかこれ全部読んでしまった。嫌がらせされてえ。この記事とか前日朝まで飲んでて起きるのがつれえよーっつってる酔っ払いババアの絵で描いて欲しい。まじで目ー痛くね? 朝まで飲んだ次の日って。
「すさんでる」。なんでこんな便利な言葉忘れてたんだろ。
そーだpikarrrたんモンハン一緒に遊んであげてよ。「モンハンなんて中学生がやるゲームだろ?」とかゆってるこのおじちゃんにラカン論を駆使して楽しさを説明してあげてくだちい。ってどっかに書いてたな、モンハンを哲学的に語ってる記事(めんどーなので探さない)。いやわたしモンハンやったことねーけど。モンスターファームならちょろっとやった。
このブログから足跡があったんだが、管理者の名前も「てんしようちえん」とかってなってるしつい「すわ、とうとうリアルロリ降臨か」と思って見てみたら本物の幼稚園のブログだった。
よごれっちまったかなしみにー。
共依存とかしそうだ。
って共依存なんか普通の健常者でもしてるんだけどね。
度がすぎてるからダメよ、ってことで。
「わたしたち全員パラノイアックなんだけど、あんたパラノイアの狂気に近寄りすぎよ」
ってことで。
まーそんなこったろーなー。
放送禁止だろあの顔。
これ褒め言葉になるな、このブログだとw
春風亭昇太今年で五十歳なんだー。
芸能界じゃなくても、演劇人ってそうなんだよね、見た目年わかんない人が多い。
この辺のわたしの持論は、役者って顔の筋肉が一般より発達してると思うのね、だから一般より若く見える、というもの。
テレビでよくやる顔面体操みたいなん役者の稽古であったし。自分でもあれだもん、役者やるようになって片方の眉だけ上げ下げできるようになったし、耳もぴくぴく動かせるようになった。表情が豊かになるんだよね。顔面の筋肉が意識化される。意識化されたら動かすのが楽しいわけだから、自然と筋肉が発達する、というわけ。
でもやっぱ近くで見ると、小じわとかあって「あーそうなんだなー」って思うことも多い。昇太(すみませんもっそい年上の人を呼び捨て)も隣の席で飲んだりしたら「あーやっぱりイソジだー」って思うかもしれない。アラヒフ? 粗皮膚ってかっこいいな。ソヒフって語呂の悪さがいい。
んで、この「あーやっぱりイソジだー」っていうんは、「イソジだ」っていう情報が先にあるからなんだよね。その情報を、意識上で疑ってたわけじゃないけれど、確認できた、という。
んじゃこの「イソジだっていう情報」がなかったら。
まー多分「あー意外と小じわ多いのね」くらいなんだろう。
でもね、恋は盲目って言うじゃない。いや別に昇太に恋してるわけじゃないけど。ファンではあるかもしんないけど。
小じわが恋を冷めさせるようなものだった場合(小じわが好きって場合もありえるからね)、その人には小じわが見えなくなっちゃう。見えていたとしても、自分が好意を持てるような何かに変換されることもある。「あばたもえくぼ」。
これってパラノイアの症状と同じ機制なんだよね。
……ってことで前半の「わたしたち全員パラノイアックなんだけど、あんたパラノイアの狂気に近寄りすぎよ」ってのに繋がりましたっと。
別にいいんだよ、パラノイアで。
わたしみたいなのに攻撃されるだけで。
あなたたちが大多数なんだからそんなびくびくする必要ないよ。
数の力でわたしたちを鏖殺したり、カルト宗教がやるみたいに洗脳したりできるから。
あんたたちがどうやっても勝つんだよ。あなたたちが勝つ可能性が非常に高い。
それだけのこと。
あれだな。宮台真司の「パトリ」って西原理恵子が描く「汚らしくてみじめでイタイ田舎」と連関させて誰か論じてくれねえかな。西原の描く田舎は、わたしの田舎ではないが、トラウマを刺激する。西原の田舎はわたしのパトリではないが、それを刺激する。
トラウマだから変換不可能。トラウマはその人の自己という幻想の土台である。あーいや、宮台の「パトリ」を精神分析風に解釈したらって話だが。pikarrrたんの言う「外傷的な現実/社会的現実」ってのも有効だろう。「社会的現実」による「自分が生まれ育った場所」とは同じかもしれないが別物の「外傷的な現実」としての「自分が生まれ育った場所」。もっと言うなら、フロイトはヒステリーの病理としてトラウマを設定したが、後日トラウマは客観的事実である必要がないとしたことも関係してくるだろうな。
つーか高知県出身の編集業の飲み友だちが「西原のせいで高知の海岸には野良ペンギンがいると思われて困っている。自分の子供のころにはそんなのいなかった」とかぼやいてたな。
西原のせいじゃないと思うが高知は犬を食ってるって噂なら聞いたことがある。
どうでもいいが『毎日かあさん』博報堂絡んでねえのな。いや裏で絡んでるのかもしれんが。もし絡んでなかったら蛇さんクビだろ常考。
どうでもいい時の自分って、球体みたいだ。ハリネズミがするみたいな球体。
球体と安心感ってどっかで繋がってる文脈が多いのがわかんないんだよな、精神分析系の。
体中に緊張が、みなぎるってほどでもないけど、行き渡っていて、結構一様に行き渡っているから球体。
球体と緊張の、隠喩ではなく換喩的な連接。体感的に繋がっていると思える連接。
これがわからないと「球体はナイフだ」ってわからないんだろーなー。
新宮一成が自身の夢でボールがナイフになってるっつーの見たらしいが、それは言葉だ、って短絡しちゃうと違うんだよな。それはシニフィアンになるものかもしれないが、あくまで事後の話で、ナイフである球体が問題なのだ。緊張感が換喩的に連接する球体が問題なのだ。わたしにとって。
ブログパーツ『あわせて読みたい』追加。一応言っとくとCookieは使ってないらすい。結果がわかったら消すかも。
なんかこれ全部読んでしまった。嫌がらせされてえ。この記事とか前日朝まで飲んでて起きるのがつれえよーっつってる酔っ払いババアの絵で描いて欲しい。まじで目ー痛くね? 朝まで飲んだ次の日って。
「すさんでる」。なんでこんな便利な言葉忘れてたんだろ。
そーだpikarrrたんモンハン一緒に遊んであげてよ。「モンハンなんて中学生がやるゲームだろ?」とかゆってるこのおじちゃんにラカン論を駆使して楽しさを説明してあげてくだちい。ってどっかに書いてたな、モンハンを哲学的に語ってる記事(めんどーなので探さない)。いやわたしモンハンやったことねーけど。モンスターファームならちょろっとやった。
このブログから足跡があったんだが、管理者の名前も「てんしようちえん」とかってなってるしつい「すわ、とうとうリアルロリ降臨か」と思って見てみたら本物の幼稚園のブログだった。
よごれっちまったかなしみにー。