2009/08/04/Tue
そういえばmixiでわたしを六十代のババアだと思って興味深くこのブログを読んでる人の日記を覗いたことがあるが、そこでこんな感じの文章があった。
「最近は実践哲学に傾倒しているのか「うんこ、うんこ」って言ってるけど」
うん、「うんこ」連発してた時期がある。
この記事とかタイトルが「うんこ」。最近でも言ってるよな。
今年上半期一番オキニの記事も「うんこ」もりもり。
単にわたしの汚言症っぺー症状だと思うんだが(リアルでも酔っ払うと人が変わったように下品な話をし始める)、「うんこ、うんこ」って言えば実践哲学なの? と思ったわけだ。
わたしにとって実践哲学で短絡的にイメージが浮かぶのはヘーゲルくんなんだよね。体育会系。
んでどうでもいいことだけどちらちらぐぐってたら
こんな記事があってあーそっか家政学的な意味で「うんこ」かーとなんとなーくな納得(全然納得してないが)したので書いておく。
うんこー。
まーこれまでも相当露悪的な文章書いてるから今さらだけど、書こうとして「さすがにちょっとこれはなー」と思いとどまったエピソードでも字数稼ぎに書いとくか。
小学生の頃便秘がちだったのは
この記事でも書いた。んでだな、あまりにも苦しくて苦しくて、肛門かっぽじったことがあるのだよ。指突っ込んで。ああ大事なアナル処女をそんな子供の頃に、なんて笑い話にしかならないんだが、当時は本当に切羽つまってたんだと思う。
ってのは、グロ画像愛好家の間ではそこそこ有名な「便秘で死んだ二十代女性の解剖写真」(PCのどっかにファイルあると思うが探すのめんどい)ってのがあって、多分法医学関係の書物からの出典なのだろう、死因や発見直後の状況なんかが記された文章つきだったのね。そこでこんなことが書かれてあった。死んだその女性の爪の間に糞便が挟まっていたことから、死ぬ間際彼女は、便秘の苦しみをなんとかしようと、肛門をかっぽじっていたことがわかった、と。
わかんねー人はわかんねーんだろうなー。
食物繊維を取ればいい、とかって話じゃないと思う。腸なんていわば不随意筋だけど、
ここでも書いてあるように、人間の意識というものはわたしたちが思う以上の力を備えているとわたしは思う。女の子ってきれいでなくちゃいけないから、意識にも無意識にもそういった洗脳が働いて、不随意筋たる腸の運動が鈍くなった、なんて考えることができる。
んで、小学生のわたしが肛門かっぽじってどうなったかって? なんかねー、プラスチックの破片みたいなのが出てきて、「ああこいつのせいで糞づまりになってたんだ」って思った記憶がある。いろいろおもちゃとか噛む癖があったから、それでお腹の中に入ったんだろう、と。今思うと、そんな噛みちぎるほど噛んでいたとは思えないので、なんか別の物だったと考えられるが。
ま、そんな話。
真性ロリどもはオナニーしていいよ、この文章で。
しっかし
なかのひとによるとこのブログ読者の八割が女性だってことになってるんだが、嘘だろ、って思うわ。いや女性も多いだろうが。
BLについての記事とか
フェミっぺえ記事もぼろぼろあるから一見が多いのかな。常連はひきこもり系男子が多い気がする。
ちーたんとかちーたんとかちーたんとか。髭抜かせろ。
いわゆるレディースとかやってた元不良少女のおねえさんの家にふきだまってた時期があるが、その人彼氏の腋毛を抜くのが好きでな。そんな二人の姿が猿の毛づくろいに似てるような気がして、エロかった。
彼氏の方はといえば植物人間みたくなされるがままだったな。
鬱病と診断された知人と飲んでて、自殺未遂した話で盛り上がっていたのだが、「いやー無理。自殺なんて無理無理。俺死ねるわきゃないよ。臆病だし。むりむりむりむりかたむつむり(若干脚色しております)」とか言ってた数ヵ月後にそいつまた自殺未遂やらかして、今度は多少学習したのか病院送りになっていた。
わたしが大学生の頃の話。
こいつらとは普通に朝まで飲むような仲で、十代後半から上は五十代の表面上立派な人生を送っているがその実最低な人種の方たちと男女入り交じって雑魚寝することも多かった。
当時ピチピチの大学生だったわたしもいるわけだから間違いなんか起こって当然だろ、むしろ起こんなかったのが馬鹿だろお前ら、と思いそいつに聞くと、「他人がいるところでやれるわけがない」みたいなことを言ってきたので、「じゃあ乱交とか露出趣味がある人だったら間違いは起こったのかね」と大上段に聞いたら、そういった風俗にも詳しいそいつの言うことにゃ「いや違う、乱交するにしてもそういうスイッチがある。スイッチが入らなきゃそういうことは起こらない」だと。
この「スイッチ」がラカン派がきらきらした目で語るファルスなんじゃないか?
お塩麻薬でタイーホかー。別件逮捕っぽいけど。
このブログからリンクされてるのを知って最近ちょろちょろ読んでいるのだが、「アダルトチルドレン」なんて懐かしい言葉を見つけて「あーそーゆーのもあったなー」って思った。
わたしにとってアダルトチルドレンのイメージってお塩くんみたいなのなんだよな。いやよく知らねえから
こういうイメージしかないが。
「中二病」もあれじゃん、
伊集院が提唱したようなファルスが増長した感じ(万能感ばりばり)の奴と、ファルスが萎えた感じ(鬱っぽい、暗い、不安な感じ。大学生のモラトリアム的鬱・不安とかわかりやすい)の両方あるとわたしは思うのだな。どっちにしろファルスの不安定さ、ってことになるんだよね。何故ならそれこそちんちんと同じでファルスは増長したり萎えたりするもんだから。万能感ばりばりな中二病者が翌日不安げな鬱っぽい人になってたりすることだってあるだろう。増長してるのか萎えてるのかってあんまりどっちがどうって話じゃなく、表裏一体なんだよな。
そういった意味で、「アダルトチルドレン」って言葉は、ファルスが増長したようなイメージでしか語られてなかったように思う。だって「橋本龍太郎はアダルトチルドレンだ」とか言われてたし。それにほんと流行語で一瞬だったもんな。
そういった意味で「中二病」の方は、ネットのおかげもあるかもしれんが、いい感じに言葉が一人歩きしてると思う。だから「中二病」の方が使いやすいんだな。わたしは。
それにトラウマとか定義に入れちゃったらお話になんねえじゃん。病理学的に。そもそもトラウマって概念が精神分析発祥なんだからトラウマを病理に組み込むなら精神分析の理屈体系を参照すべきだろ? そういった学術的考慮みたいなのも感じられないんだよな。
要するに「アダルトチルドレン」って言葉は、わたしにとって、共時性を持つ言葉でもない(言葉として一人歩きしていない)し、学術的考慮を基づかせる言葉でもないから、使うに値しない言葉なんだよ。自己啓発団体(わたしにとっては自我心理学派もこれに含まれる)に利用されるだけだろ、と思ってたら実際に利用されてるっぽい。
wikipediaより引用。
=====
学術的な言葉ではないため、論者により定義が異なる場合がある。
日本においては、1990年代にマスコミや、精神医学、臨床心理学を知らない知識人たちにかなり誤用された(参照:誤解と誤用)ために、近年はその本来的な意味をあらわすのにアダルトサヴァイヴァー / アダルトサバイバー(Adult Survivor)が使われるようになってきている。
=====
要するに学術的な文脈からも共時的な文脈からも距離を取ろうってわけだろ? 学術的にも共時的にも見放された言葉なんだよな。
学術的な言語使用法を通時的と短絡はできまいが、仮にそう短絡したら、言語は通時性と共時性という相反しがちな二性質を持つものであるわけだから、「アダルトチルドレン」という言葉を好んで用いる人間たち自身が「アダルトチルドレン」という言葉を言葉じゃなくならせようとしている、と言えるんだよな。
まー多分「アダルトチルドレン」ってただの言葉に自己同一化している奴が多いからなんだろうな。アスペルガー症候群者にもそういった徴候はある。たとえば
この記事で言及した森口奈緒美氏のテクストなど。
言語なんて道具だろ。
道具にすぎないから、もし将来「アダルトチルドレン」という言葉がそれなりの共時性あるいは通時性を獲得したら、わたしは用いるよ。
今んところは、それと似たような意味で「中二病」と「未去勢(的)」って便利な言葉がわたしにはあるから多分使わない。「中二病」は共時性があるし、「未去勢(的)」って言葉は共時性はないが「去勢」という学術的文脈をきっちり踏んで使っている。
そんなもんだろ言葉なんてな。
あほくさ。
追記。
コメント欄見た通りの状況で、「したい奴はバックアップしとけ。」とか言ってるが、「おまーブログ機能にファイルのインポートあるだろ、それ使ってうpしろよ」などと思われるかもしれないので一応言っておくと、
非公開コメントも表示されちゃうんだよ! これでインポートすると。
というわけでめんどくさいのでしません。
今、大阪にいます。携帯です。大阪の図書館で「文藝」のバックナンバーを見つけ出しました。笙野の小説「人の道 御三神」の、脂さんらしき人物(作品内では粘着ラカヲタの自称読者と表記されている)について書いてある部分を読み、コピーしました。帰宅してからその部分を引用します。脂さんではないのに、自分はその文章を読んで体調を崩しました。脚が現在進行で震えています。みっくと対峙したときの恐怖感のようなものがあります。腹痛い。これだけは先に言っておきます。アブラブログは笙野の弁護士が監視しているらしいです。
2009-08-04 火 15:36:31 /URL /イトウ /
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なんかすげえなわたしって、と他人事のように思った。
ただの一ファンなのにねー。
大作家に監視される一ブロガーか。
怖いね権力者って。
2009-08-04 火 15:40:01 /
URL /脂 /
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http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-516.html
の記事の非公開コメントさんが
「脂さんは操られている」
とわたしに力説してたんだが、その人は全くわたしの知らない人(以下「あのひと」)が主犯で、「あのひと」にネットストーキングされている、監視されてる、として警察に訴えたそうだが、まあこういうことされて被害妄想が加速したんだろうな。
今どうでもいい状態なので実感湧かないけど。
死にそびれたなー。
こういうこと言わないで黙って監視してた方がいいのにねー。わたしはその文章を今まで知らなかったわけだが、知らないままの最近は「笙野熱冷めた?」と言われるほどなんだから。
火に油。脂に油、か。
2009-08-04 火 15:53:23 /
URL /脂 /
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弁護士を仲介させるのってどうなんだろ。
でも文字にした時点でわたしになんらかの興味が向いているわけだから、深く考えることじゃないのか。
めんどくせえから弁護士にやらせとけ、って企業みたいな態度ならむしろがっかりだけど。そうならわざわざ文芸誌でたかが一ブロガーを取り上げるわきゃないよな。
2009-08-04 火 15:59:14 /
URL /脂 /
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弁護士が監視って名誉毀損とかって要件のつもりなんじゃろか?
名誉毀損って人格を毀損されることだよな。ある時論敵(確か田中和生)を攻撃するのに「ええ、私はお前の人格を批判しているんです」と開き直っていた作家がまさかそんなことするわきゃーないよな、あるのか。
「人格はパラノイアである」ってことで、人格こそがファルスの生成物たる幻想であるわけだから、人格そのものを攻撃する逆精神分析を唱えるわたしにとっては笙野のこのセリフは垂涎だったのに、結局「他人の人格は攻撃していいけど自分のはダメ」ってことなのか。
この場合の「人格」が「肉体的存在」だったなら、「自分が攻撃されるのはダメだから他人を攻撃しない」っていう鏡像関係すら幻想だと気づくはずなのにな。
まあ単なる売り言葉に買い言葉だったのかね。
2009-08-04 火 16:09:43 /
URL /脂 /
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弁護士監視は明記されていません
「親しい弁護士に代わって読んで貰っている」
と書かれており、その前に警察に行ったという記述があるので、「読んで貰っている」は「監視」と置き換えても構わない、という自分の判断で書きました、紛らわしいですスマソ
2009-08-04 火 16:12:13 /URL /イトウ /
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坂東は名誉毀損してくる相手が不特定多数だったからどうにもできなかったのか。
怖いね。数の暴力って。
2009-08-04 火 16:15:00 /
URL /脂 /
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警察に行ったのかw 笙野褒めてる内容多いのにw
2009-08-04 火 16:16:14 /
URL /脂 /
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というか自分は笙野の文章に脂さんがどんな反応するのか実験感覚で見たいだけらしいと気づいた。早く帰りたいです(早く見たいだけ)
2009-08-04 火 16:18:21 /URL /イトウ /
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>警察とか弁護士
まー脅しっていうか釘を刺したつもりなんだろうな。
こういうことされるとこっちの被害妄想も刺激されてわさわさしちゃうのにねー。
訴えられるようなこと書いてないし、昔の笙野作品にショックを受けたのは事実だから、(わたしが「変わったな」と思った)以降の笙野作品を読まない限り変なことにならんと思うが。
このブログ読者なら笙野の反応が過剰だって思うんじゃね?
すげー強烈な否認だよな。
2009-08-04 火 16:20:08 /
URL /脂 /
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>笙野の文章に脂さんがどんな反応するのか実験感覚で見たいだけらしいと気づいた。
まーそんなこったろーと思ったよ。
こうやって段階を踏ませると反応はつまらなくなると思うぞ。
2009-08-04 火 16:23:00 /
URL /脂 /
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せっかく別のことに興味が移ってたのにそっち系の文脈に引き戻されちゃうじゃーん。
2009-08-04 火 16:25:19 /
URL /脂 /
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>「親しい弁護士に代わって読んで貰っている」
そなのか。笙野本人は読んでないのか。読んでないのに警察や弁護士が登場するってどういうことじゃろ。Panzaブログ見ただけで警察に行ったのか? Panza本人が行くならわかるけど。Panzaブログでは笙野を攻撃してないわけだし。
よくわからんなー。
2009-08-04 火 16:29:21 /
URL /脂 /
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あ、こういうケースってなんの忠告もなく直接ブログサービス会社に削除依頼する場合もあるみたいだから(某氏のごたごたがこんなとこで役立つとは)、常連どもは気をつけてね。したい奴はバックアップしとけ。
すげーな、わたしの動物的勘(笑)。
2009-08-04 火 16:53:23 /
URL /脂 /
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いろいろ考えたらやっと腹痛くなってきた。
おお、記事に繋がった!
2009-08-04 火 16:56:07 /
URL /脂 /
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2009-08-04 火 18:33:17 / / /
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>2009-08-04 火 18:33:17 の非公開コメントさん
くると思ったよw
>ということですが、おそらく「読んでいる」と思います。もし脂さんのおっしゃるような否認があるのならばです。
>読んでもいないのに、苦痛を覚え、警察を呼ぶことはできないかもしれません。
「苦痛の伝染」として成功したってーのはわかってるよ。笙野(カサノじゃないよ)が苦痛を感じたんだろう、ってのはね。
お前も自分の苦痛を伝えたかったんだろ?
わたしに伝わらなかったばかりか、その苦痛の片鱗を見せただけで大体の人間は逃げてしまったんだろ?
「この人なら自分の苦痛をわかってもらえる」「同じ苦痛で苦しんでいるのかもしれない」という期待。
それはあったよ。『なにもしてない』やら『レストレス・ドリーム』あたりで。
ただ、それを裏切られた、ってのはC氏の場合は違うと思うな。最初に期待がなくても正常人の精液は恐ろしい。「主体化への恐れ」を助長する「大人になれ」という呪文。
まあ単にわたしがC氏がニキ氏に「この人なら自分の苦痛を共有してくれるかもしれない」という期待を抱いたのを見てないからだけどな。
その場合さえ一緒に考えるのはそれこそ本当の意味での妄想だよ。
お前は「あのひと」に期待してたのかい? そういうわけでもないだろ? ならわたしの主観では、お前はC氏と同じで、わたしとは違う。
まあC氏は積極奇異型っぽいから、他人に好奇心丸出しでつきまとって最後は疎まれる、なんてパターンは多かったと考えられるわけで、このパターンをあてはめればわたしと同じ、ということになるかもしれない。
まーどちらも推論だ。
また、こういった妄想を助長すれば、「自分は笙野の立場でありニキ氏の立場でもある」というお前の言説は、「あのひと」の立場でもありえるだろ。「あのひと」を推測だけで加害者扱いするお前の行為も同じだよ。
ちなみにこれが正常人が口癖のように言う「自分がイヤなことをされたらイヤだろ? だからするな」って洗脳なんだよな。鏡像段階というトラウマに縛られた故の症状。
わたし先に書いてるだろ、「妄想」と。
お前と「あのひと」はわたしにとって第三者だから、お前の立場にも「あのひと」の立場にもなりうる。お前にとってわたしと笙野あるいはC氏とニキ氏は第三者だから、どちらの立場も取りうる。
この視点がころころ変わってしまうところが、「一貫性がない」や「嘘つきだ」などと言われ、未去勢者が去勢済み主体に怒られる原因でもある。
お前のこの言い分はアスペルガー症候群者っぽいよな。そういう意味で。
っていうかわたしが他人につきまとう原因は、「人恋しさ」というより「好奇心」に近いんだけどな。だから斎藤環のこの文章がむかつくわけだ。
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02816_05
わたしは自閉症者ではないが、未去勢者ではあると自己分析している。未去勢者には自閉症者も含まれる。というわけで、斎藤のこの文章は、わたしの人につきまとう原因である「好奇心」(厳密にはこの言葉にも違和感がある。「解剖学的興味」とか言うと「インテリが」とか言われるんだろーなー、とか思って、じゃあ「幼児が「おたまじゃくしの足はどこから生えてくるんだろう」と疑問を持った末、おたまじゃくしを百円カッターで解剖するような興味」みたいな、とかってだらだらと文章が長くなる)を「人恋しさ」に改竄しているようにわたしには感じられるわけだ。
他のアスペルガー症候群者は知らん。だからこの記事なんかでは
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-459.html
=====
たまきんの文章の通りこの著者が「顔射してー」って言ってるならそれでいいんだけどな。
=====
と断りを入れている。
わたしの他人へのつきまといを「人恋しさ」だと想像するなら、(たとえば)笙野は「自分は脂という人にストーキングされかねない」とか思うんだろうな。
ま、逆に言えば斎藤の例の文章は自閉症者に「ストーカーになれ」と言ってるようなもんなんだよな。「ゆっくりていねいにつながりたい」わけだから。
わたしどっかにも書いてたよな。あ、あった。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-505.html
=====
わたしは恋愛に溺れるとストーカーじみた行為をしてしまう。しばらくするとそんなことけろっと忘れてただの友人として対応したりする。
=====
「人恋しさ」だったら「しばらくするとそんなことけろっと忘れてただの友人として対応したりする。」ことはないだろう。
まー、ただの友人として対応してたとしても、体が勝手にPTSD的にその苦痛を思い出して「久しぶりにつきまとう」ことはあるだろうな。そして相手はつきまとわれていた時期だけを抜き出して妄想でそれらをくっつけて「自分はこいつに数年間ストーキングされてきた」とするんだろうな。
だから正直なんで笙野が「粘着」って言うのかわからないんだよな。笙野のことを四六時中考えてるわけじゃないのに。こういった情報が入っちゃうと「笙野信者とのごたごた」という肉体レベルまで影響したトラウマが連鎖して思い出されちゃうだろー、やめてよー、と言ってるんだな。
つーか、ブログの文章だけを見れば「粘着」してるのはPanzaの方だろう? PanzaがOKでわたしを警察や弁護士にチクるのは、笙野の好き嫌いの問題にすぎないんだよな。あ、わたしは嫌われるのが普通だからそれはそれでいいんだけど、「粘着」という表現がおかしいよな、って話。
笙野本人については、去勢済み主体即ち神経症者即ち正常人とわたしが個人的に診断できたから(どっかの記事でも書いてある)、距離取れるんだけどなー。要するに「この人は別人種だ」とわかったから。てか「笙野頼子は正常人である」って主張がなんで名誉毀損になるんだろう?
まーでも昔の作品群にはショックを受けたわけだから、それが回帰する場合もあるだろーな。その時は文体が「当時の笙野」ってなるだろーなー。基本わたし報告魔だし、正確に書かないと気が済まないだろうから。
とはいえ、わたしみたいな人間はごく少数だと思われるから、笙野が「私が脂って奴にストーキングされるかもしれない」と推測するのは(もしそう推測しての釘刺しだったならば)、統計的に正しいと思うよ。
>ブログ全体を、「脂さん像」として考えると、「苦痛を与えるための逆精神分析」も、「ファンとしての分析」も、同じ類に見えるのでは……?
つーか、逆精神分析は正統な精神分析の前半過程そのままだ、ってどっかで定義したことあるし、そういう意味では同じだよ。
正統な精神分析には用意されている、というか精神分析家たちがそこにたどり着くと信じて疑わない「救い」がないだけで。だから「治療」になるんだがね。
「自分と同じ苦痛を伝えたい」なら、お前は手本にすべき結果になったとわたしは思うよ。
2009-08-04 火 19:26:26 /
URL /脂 /
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>「攻撃されている」ことそのものにたいして反発する、という悪循環が起こることに成ります。
ああうん、「苦痛の伝染」は、正常人チックに言い換えたら「憎しみの連鎖」だからな。それのスタート地点。
「憎しみの連鎖」が普通に起こる状態が現実界だ、ってわけ。もちろんそれだけじゃないけど。「憎しみの連鎖」っつーかその根本である「苦痛の伝染」もそうであるだけのものとしてあるのが、現実だ、っていうこと。
2009-08-04 火 19:30:05 /
URL /脂 /
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>60歳のおばあさん、と思っているmixiの場合、脂さんが以前「年老いたおばあさん」と少年の小説を書かれたことによる想像&嫌がらせであり
いや、そのmixiの人は「あくまで推測だが」みたいな断り入れてたから、「そいつの想像上の脂だ」と明確に理解できたので、嫌がらせだとは思わなかったよ。
またそう推測した原因は、あるサイトのチャットでわたしが「昭和20年代生まれだ」って言ったのを見てたらしいんだな。
わたし自身はそんなこと言った覚えはないけど、そこのチャットは酔っ払って参加してたこともあるし、なりすまし(って「油」って名前だったけど)もいたから、別にどうと思うことはない。
そのmixiの人にはあんま興味覚えなかったしの。
2009-08-04 火 19:54:04 /
URL /脂 /
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つかババアになりてえ。魔女みたいなババアに。
2009-08-04 火 20:38:26 /
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2009-08-04 火 21:40:10 / / /
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2009-08-04 火 22:33:12 / / /
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>私の場合は、「似てる」と思うことで、すうっと重荷が減っていく、という感覚を、苦しんでいる人に喜んでほしいと、思っていました。
その「似てる」と思うための要件の一つが「苦痛の共有」なんじゃないか?
どっかでわたしは「どんな大量生産の工場製品であっても、ミクロで見れば一つ一つに誤差がある。それが公差の範囲に収まるから同一の規格品としているだけである。未去勢者はこのミクロな誤差に着目してしまう」と書いたことがある。お前こうも書いているよな。
>まだ、「似ている」と思える部分が無いんです。
であるならば、「似てる」と思うための一つの要件にすぎない「苦痛の共有」は必要不可欠な要件になるだろう。
すると、お前が「似てる」と思うためには、「苦痛の共有」は前提(の一つ)だ、ということになる。
お前は、お前が「似てる」ことによる重荷が減っていく感覚を得るためには、相手は自分と同じ苦痛を味わっていなければならない。であるならば、相手がお前と同じ苦痛を感じてなかった場合、お前は相手にその苦痛を伝染させなければならなくなる。
そもそも人間細胞レベルまで考えると一人一人違うものだ。器官が反応して脳が信号を受諾して情報化するという機械は、一人一人別々だ。ならば、全く同じ苦痛を共有するのは不可能だとなる。
すると、結果的に「似てる」と思うためには「苦痛の伝染」は必要不可欠な要件である、となる。
まるでシーソーみたいじゃないか。自分が苦痛から逃れるために他人に苦痛を味わわせるなんて。
これが「わたし、潰すの、頭、フランシス」と少女が平然とつぶやくがごとき「欲望のシーソー」である。鏡像段階を説明する一つの表現だ。
従って、
>ああ、ただそれは、私が「一番ほしいもの」だったのだと思います。だから、胸像段階、と脂さんが分析されていたそれを、「通過しよう」とすることのために、自然とそういった行動をしていたのかもしれません。
というのは正しいよ。誤字だが。
お前ラカンの論文読んでそういったことを言ってるのか、っていうくらいラカン論にあてはまりすぎてつまんねえ。
>「正常人」にとってはそうだった、
うん、その通り。正常人とキチガイの境界が鏡像段階だからな。だからこの「欲望のシーソー」は正常人の心の深奥にもあるし、キチガイはこれを素でそのまま生きている。
しかしわたしは「「似てる」と思うことで、すうっと重荷が減っていく」システムが生じるのは、「苦痛の伝染」より後だと考えている。「苦痛の伝染」は物体と物体が量子力学的に相関する状態だからだ。そもそも「似てる」という認知は高度なものだと思えないかい? 直感的に。鏡像段階そのものを生きているお前ならピンとくるのではないかと思う。
従って、わたしは「「似てる」と思うことで、すうっと重荷が減っていく」システムを得るのは赤ん坊より後だと考えている。
「わたし、潰すの、頭、フランシス」とつぶやく少女は言葉を覚えたばかりの少女で、仮想症例として「この少女が将来犯罪者になるわけではない」と言われているしな。つまり、正常人も言葉を覚えたばかりの幼児時代は「欲望のシーソー」を生きている、ってことだ。
お前は赤ん坊などではなく、言葉を覚えたばかりの幼児だ。
そう考えるとC氏を「小学生」と表現したのもわたしはしっくりくるな。お前は言葉を覚えたばかりの保育園児で、C氏は小学生。納得できる。確かにC氏も「「似てる」と思うことで、すうっと重荷が減っていく」システムは持っていると思える。だからかの夫婦はおしどりなんだろ。ちなみにこのシステムが前-対象的なアブジェを対象aに変換するシステムだ、と言えるな。見たこともないぐにゃぐにゃして自分に纏わりついてなかなか離れてくれない不快極まりないそれが、ライナスの毛布になる。
>奇妙な鏡像段階ですが、
奇妙っつか不完全だよな。「似てるけど違うところもある」という。
>Cさんは、案外早くに気づいたようですが、私は最近まで鏡を知らなかった。だから、「消えたい」「生まれなければ、よかった」と思った。
あーちなみに言っとくと、正常人は鏡像段階を生後二年以内に経ているので、大人の正常人たちのそれは遠い過去になっている。記憶の奥底で眠っている。従ってなかなかそれを見つけ出せない正常人もいるだろう。こういった正常人は大体抑鬱状態と診断されるだろうね(病名じゃないからな、症状だから)。
字面だけ見ればお前と同じになるが、まーお前は鼻が利きそうだし、区別つくんだろうな。一応言っておく。わたしみたいに騙されないようにね。
わたしはお前より成長しているのだろう。小学校高学年くれえか? だから鼻が利かない。笙野という正常人に期待してしまった。
>だから、「苦痛の共有」や「伝播」を目指している脂さんは、私のまだまだ先を歩いているのかもしれません。
うん、多分ね。
>積極奇異とか、受動とかは、結局、「相手の受け取られ方」の状態の総合でしかないのだろう、という結論です(脂さんもそうでしょうし、Cさんもそう書かれていました)。
はい、そうです。ちなみにその「総合」することが「シニフィアンの恣意性」であり、あなたが否定した「押しつけ」です。
まあそんな難しいこと言わなくとも、思春期に受動型だとされたアスペルガー症候群者の多くは幼児期に積極奇異型と思しき状態だった、という臨床結果もありますしね。
>根本的なものは、やはりどうやっても「学習をするためのきっかけ」を、どこにいっても逃しやすい、と言うことにある気がします。
そうです。この記事にも書いてるようなことね。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-474.html
>だから、小説で書いたものがああなった、という感じです。
すみません、読んでません。
>結果として「無を与えた」から嬉しかったのだとおもいます。ただ、そこに「相手はいない」ことが結果になるから、「伝播」でもなんでもないんです。
ですね。しかし苦痛を伝播できたら相手が苦痛を感じたその瞬間はある。事後の結果などどうでもいいのです。わたしは。
>以前、「無の贈呈」が単語として引っかかったといいましたが、その単語もまた、鏡の断片なのでしょう。
ですね。クライン論における抑鬱態勢に相当するかと思われます。妄想分裂態勢における「悪い乳房を糞便爆弾で破壊する」という「苦痛の伝染」よりかは成長しています。
>ただ脂さんの場合、未去勢者を脅かす、と考えた場合、去勢済みでも「近づけば」作品についていうことになるという予感はあります。
それはあなたも同じです。あなたが未去勢者ならば、ね。
だからやるな、なんて別に言いませんよ。わたしはそうである現実について述べてるだけ。
>該当人物が最重要参考人であることは間違いありません。
ああうん、それについてはどうでもいいよ。わたしの、お前を知らなかった心的事実、「あのひと」を知らなかった心的事実、がわかってもらえれば。
だから別に、わたしが「あのひと」に催眠術かなんかかけられて、「あのひと」を知らないように思い込まされているだけ、とお前が推測しても構わない。
ちょうど京極夏彦の『塗仏の宴』読んでてな。そういう話なんだ。一般的にウケそうにないなー、という今のところの感想。
2009-08-04 火 22:36:27 /
URL /脂 /
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>もし2009年3月以降なら、私がメールの文中で脂さんのことを「油」と誤変換したものを利用したなりすましかもしれません。
いえ、それ以前です。
>AS総合スレで
そのスレで「油」と呼ばれているのは見ました。今は見てません。今後見るかもしれないが。お前に言われて思い出したから。
>脂さんに対してのこうしたコメントも、漏れていると確認できることが毎回あったため、またそうした後、TBS、新聞社などがこぞって「犯罪者に仕立て上げる言動はどこかに無いか」と内臓をかきわけ、ぬきとり、涙を出しても、許さない、とばかりに(無関係なのに)、殺人行為を毎日のように続行してくる
テレビ朝日なら知り合いがいるが。
もう五年も会ってないのか。
>私には、彼らが何をしたいのか、まるでつかめません。私に何をしてほしいのだろう、と考えたら、「死ね」「殺せ」「異常者に成れ」しか思い浮かばないんです。
笙野頼子の『だいにっほんシリーズ』についてのわたしの感想もそのようなものだ。
そこで描かれている火星人は、このブログを参考にしたんじゃないかと妄想してしまいそうなくらい、わたしに似てた。
2009-08-04 火 22:43:00 /
URL /脂 /
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あ、忘れてた。
>正常人にしても、ほかの場所に行くたび、持ち合わせた社会常識を組み替えなければならないのは同じですが、そのためのアンテナがそもそも壊れているから、独自の学習をする、けれどもだからこそ妄想の位置を間違う。場違いになる。ということなのでしょう。
「そのためのアンテナ」がビオン言うところの「特定域の電磁波に感度がある」「電波望遠鏡」であり、「思考を考えるにふさわし」くない「受信装置」だろうな。
未去勢者はそれが壊れている。この記事から。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-505.html
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特定域以外の電波を感知できないポンコツ電波望遠鏡が壊れているからこそ、特定域以外の帯域を含めた無限の電波に翻弄され続ける。
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そのアンテナは、全ての電波を受信できないという意味で、ポンコツなんだよ。
アンテナ自体が規格化されているから、特定の帯域だけで正常人は生きていける。特定の帯域を全てだと思い込む。
それより、お前以前「幻想を全く知らない未去勢者もいるのではないか」と言っていたが(N氏がそうだと)、お前のどれが妄想か理解できたら、そんな人間いないと思えないかい?
2009-08-04 火 23:45:05 /
URL /脂 /
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いや、C氏よりお前の方が成長しているかもしれないな。
「愛」などといった「正」的な「情」についてお前は激しい拒否反応を示したが、これを否認と考えるなら、お前は「愛」などといった「正」的な「情」を知ってはいるが否認しているだけ、となる。
であるならば、お前はC氏より去勢済みな方向にいる。
はじめてここに書き込んだ時のようななりふり構わないコメントにわたしが影響されているのだろうな。ショックは受けたわけだし。
お前と落ち着いて会話すると、お前は去勢済み主体の臭いもする。
基本的に、他人に対して、「愛」とは呼べないかもしれないが、「正」的な「情」に執着しているだろう? それがお前の「主体化への恐れ」の裏返しで、正常人から数限りない暴力を振るわれてきた結果の自己保身なら、まあ未去勢者でもありうるかなー、とは思う。
>「似てる」と思うことで、すうっと重荷が減っていく、という感覚
これを知ってるなら去勢済みだよ。厳密に考えたら。この感覚が「愛」などといった「正」的な「情」に成長する。
でも以前も言ったように、「純粋な器官なき身体は存在しない」すなわち純粋な未去勢者は存在しないわけだから、程度の問題と、お前の否認がどうだかの問題になるわな。
まあ一般的な成人と比べたら明らかに未去勢的ではあるよ。
2009-08-05 水 00:39:20 /
URL /脂 /
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>最近は「笙野熱冷めた?」と言われるほどなんだから。
そんなこと本当に言われたっけ、と不安になったので調べてみた。あった。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-367.html のコメント欄。
つかイトウさんじゃんけ。
最近っちゃー最近だけど最近とも言えないなー。
警察だか弁護士だかに監視されてるって考えると
>私に何をしてほしいのだろう、と考えたら、「死ね」「殺せ」「異常者に成れ」しか思い浮かばないんです。
って状態になるな。
2009-08-05 水 02:42:44 /
URL /脂 /
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2009-08-05 水 16:09:50 / / /
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>Fate/stay nightの士郎、アンリマユくらいでしょう
すみません、わかりません。
>おそらく現実界から退行するため、以前の記事に書かれたようなボロメオの輪が壊れている状態になる。そのため狂気に陥り、前述のおそらく現実界から退行するため、以前の記事に書かれたようなボロメオの輪が壊れている状態になる。そのため狂気に陥り、前述の「消えたい」「生まれなければよかった」と感じる状態になり、と感じる状態になり、
おそらく、そこで仰っている「現実界」が退行の一種の極点であり、「前述の「消えたい」「生まれなければよかった」と感じる状態」は快復方向へ、ほんの少しだけ(退行と反対の意味で)成長していると言えるでしょう。
「退行」という言葉を精神分析的な文脈から外して、単に「現実界から退く」という意味で考えれば、正しいです。
>脂さんの分析は非常に正確ですが、こと「態度」に関しては間違えます。
自覚的に間違えることはありますね。間違えていそうな気はするけど、間違えなければならない気がする。「間違えろ」と誰かが言う。こう言ってるのはあなたの言う「模擬人格」かもしれない。
またそれとは別に、わざと「間違っている指摘」を言ってその反応を分析する、という手段を取ることもあります。この場合の指摘は、全ての可能性を網羅した間違え方でないと、観察対象に対する恣意的な操作になってしまうので、「自分で間違いだと感じている選択肢」も網羅して提出しなければならないわけです。
要するになんとなくな分析ベンチマークは見えているが、それが確信できないがためにする観察対象に対する操作、とでも言えましょうか。
観察対象からすれば、四方八方から監視されるような指摘になるでしょう。間違いも含めた全ての可能性を網羅した指摘は。
>「情」をしっている、というよりは「痛い」ことは知っていて、きっと私はそれを「感じる」と、相手を「無」にしなければならなくなります。それが「似ていると思うことですうっと楽になる」ことだと思います……
了解しました。その表現で示される状態は未去勢的です。一応ジャーゴンを関わらせておくと、クライン論の、妄想分裂態勢から抑鬱態勢へ、という過程に相似するでしょう。
>「誤解という安堵を与え」ながら、
了解しました。
>「違う」ことにたいして「妄想だ」といえない状態で「?」と思っている状態を「幻想を知らない未去勢者」と表現できるかもしれない、と考えました。けれども、厳密に捉えれば、それは「あまりにも違いすぎるために言語化することもできない幻想」であり、「幻想の認識ができていない」わけではないのですね。
>むしろ「幻想の認識をする」からこそ、苦痛を覚えるのでしょう。
その通りかと。
>けれども、脂さんの知識として浮かべているイメージから、それぞれ検索して、理論の骨子を見つけて、議論しあうことはできます。それくらい、紹介されたラカンの理論は、ある種欠点が無い、と思います。
それはわたしが咀嚼して吐き出したラカン論だからでしょう。自閉症研究やクリステヴァ論やビオン論などを口の中で混ぜ合わせて。正統なラカン論の本領は、正常人すなわち神経症者すなわち去勢済み主体の分析道具として使用した際に発揮されるものだと思います。
欠点がなさすぎる、という点ではそうですね。だからつまらない。臨床の道具として使用が困難になる。完全なオートメーションは、同一品の大量生産には適しているが、多種な製品を生産するには適していない。
そうやってラカン論は臨床から遠ざかる。
>むしろ彼は「成長する」ために怯えているんです。
そう言うとエディプスコンプレックスになるなあ。そうじゃないと思うよ。「成長するため」なんらかの行為をしている、とは言えるだろうけど、その成長は、社会に参画するためとか、自己同一性を確保するため、とかじゃない。
「成長しようとする」と「怯えてしまう」は同じ実体の二側面なんだと思うがな。その彼も場合もお前の場合も。
正常人になろうとして、正常人を恐れているが、正常人と対峙する。ささやかながらも正常人であるため。
そういうことだと思うぞ。
しかし正常人という別人種と接触すれば「無」が生じる。「無」と「アガペー」は表裏一体だとどこかで書いたことがあるが、そういうこと。
お前の方が、「愛」とは呼べないがその前身たる「無」を知っている。
その彼がどうかはわたしはなんとも言えないが。
2009-08-05 水 17:03:07 /
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2009-08-05 水 17:07:46 / / /
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なんかあんまりとやかく言うコメントじゃない(理屈体系の使い方は間違ってなさそうだしわたしとは違うところを見て述べているように思える)ので、「はあ」という感想しかないのですが、一点だけ、理屈でもなんでもない思いつきを述べるなら、
>「消えたい」「生まれなければよかった」とする衝動性
この衝動性が慢性になって無意識的になったのがスキゾイド、あるいはアスペルガー症候群の受動型、なんじゃないでしょうか。
いえ、実際に「消えたい」「生まれなければよかった」と思ってるわけではないでしょうが、分裂病型人格障害と比して、スキゾイドは、抑鬱状態や鬱病と違った、ネットスラング的な広範な意味を持つ「鬱」的であるとわたしは感じます。とはいえ、あくまで彼らの「鬱」は抑鬱状態や鬱病とは全く印象が違うものですし、学術用語体系では混乱が生じるので、それを「鬱」と表現してはならないのでしょうけれど。
まあそんな感じかな、と。
2009-08-05 水 17:15:25 /
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2009-08-05 水 17:16:06 / / /
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2009-08-05 水 19:50:09 / / /
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