さあ
2009/09/09/Wed
死ね。殺してやる。
死にたい。殺して。
目だ。わたしは目だ。見るというそのものだ。
世界はわたしであって目だ。
完全無欠の閉鎖空間。
閉鎖が完全無欠だから閉鎖ではない。完全無欠な閉鎖とは完全無欠な開放である。完全な有限は無限である。有限の外がないのだから。
自体愛とはそういうものだ。いや、愛などではない。愛は自他が区分されて始めて生じる。自体愛においては自分≒世界であるため、愛とは呼べない。愛以前のそれ。自己愛と対象愛のみを愛と定義すべきであって、自体愛は愛ではない。自分≒世界なのだから、愛というよりただの相関である。母子は相姦している。母という世界が自分と分化していき、自己愛や対象愛が成長していく。いやこの説明もだめだ。自分≒世界なのだから、「自分と分化していく」という表現が間違っている。分化したたまたま一方が自でもう一方が他なだけである。
ここで自は自動的に定立しない。定立するには幻想によらなくてはならない。
即自とは幻想である。現実界から一歩だけ踏み出した原初的な幻想である。
これが壊れている人間だっている。統合失調症である。自己の流出である。彼らの思考盗聴などといった被害妄想を考慮すれば瞭然だろう。瞭然でなければお前は既に即自が遠い過去となった人間であるだけだ。ただそれだけだ。
無限に広がるにつれ無に近似していく。エントロピーが無限大な状態は無である。
しかしミクロでは有である。マクロでいくら無に近似していても局所的には有である。無限は有限を内包している。
この当たり前な、本当の意味で自然と言っていいそれが、自他の分化によって矛盾となる。
即自以降人はこの矛盾を抱えて生きていく。業である。原罪である。
エデンの園に住まう神々は、おそらく蜂のような生き物だったに違いない。個と集団の区別が曖昧な生き物。蜂は一匹一匹の生き物と言うより集団で一つの生き物である、とどこかの学者が述べていた。そのようなことだ。集団というと語弊が生じるかもしれないが、集団は人間にとっての個より世界に親近している。人間にとっての集団が人間にとっての個に汚染しているため語弊が生じるのである。おそらく蜂にとっての集団とは人間にとっての集団と別物であろう。
おいで。おいでよ。さあ、そんなに気になるんならおいで。覗き込んでごらん? ニーチェなんか大仰よ。怪物ってそっちがそう呼んでるだけでしょ? あなたたちの言う怪物にしてみればあなたたちが怪物なのよ。それだけのこと。
あなたたちの幻想はあなたたちの言う怪物によって裏打ちされている。
地下の世界があるから地上は存在する。
そこは本当に地面なのかしら?
あなたたちは地に足をつけているのかしら?
あなたたちは存在しているのかしら?
ちゃんとした地面に立たない限り、存在しているとは言えないでしょ?
そこ、本当に地面?
さあおいで。おいでよ。
覗き込んでいる時点でもう足を踏み入れているのよ。
あなたが今立っている地面は覗き込む前の地面と同じかしら? 同じと思うのはあなたの妄想にすぎないかもしれない。
覗き込む前の地面は妄想だったのかもしれない。
今の地面だって。
だから、さあ。
死ね。死にたい。
リアルで口に出してしまう。おちおち外に出てられない。
これちょっとやってみようと思う。
死にたい。殺して。
目だ。わたしは目だ。見るというそのものだ。
世界はわたしであって目だ。
完全無欠の閉鎖空間。
閉鎖が完全無欠だから閉鎖ではない。完全無欠な閉鎖とは完全無欠な開放である。完全な有限は無限である。有限の外がないのだから。
自体愛とはそういうものだ。いや、愛などではない。愛は自他が区分されて始めて生じる。自体愛においては自分≒世界であるため、愛とは呼べない。愛以前のそれ。自己愛と対象愛のみを愛と定義すべきであって、自体愛は愛ではない。自分≒世界なのだから、愛というよりただの相関である。母子は相姦している。母という世界が自分と分化していき、自己愛や対象愛が成長していく。いやこの説明もだめだ。自分≒世界なのだから、「自分と分化していく」という表現が間違っている。分化したたまたま一方が自でもう一方が他なだけである。
ここで自は自動的に定立しない。定立するには幻想によらなくてはならない。
即自とは幻想である。現実界から一歩だけ踏み出した原初的な幻想である。
これが壊れている人間だっている。統合失調症である。自己の流出である。彼らの思考盗聴などといった被害妄想を考慮すれば瞭然だろう。瞭然でなければお前は既に即自が遠い過去となった人間であるだけだ。ただそれだけだ。
無限に広がるにつれ無に近似していく。エントロピーが無限大な状態は無である。
しかしミクロでは有である。マクロでいくら無に近似していても局所的には有である。無限は有限を内包している。
この当たり前な、本当の意味で自然と言っていいそれが、自他の分化によって矛盾となる。
即自以降人はこの矛盾を抱えて生きていく。業である。原罪である。
エデンの園に住まう神々は、おそらく蜂のような生き物だったに違いない。個と集団の区別が曖昧な生き物。蜂は一匹一匹の生き物と言うより集団で一つの生き物である、とどこかの学者が述べていた。そのようなことだ。集団というと語弊が生じるかもしれないが、集団は人間にとっての個より世界に親近している。人間にとっての集団が人間にとっての個に汚染しているため語弊が生じるのである。おそらく蜂にとっての集団とは人間にとっての集団と別物であろう。
おいで。おいでよ。さあ、そんなに気になるんならおいで。覗き込んでごらん? ニーチェなんか大仰よ。怪物ってそっちがそう呼んでるだけでしょ? あなたたちの言う怪物にしてみればあなたたちが怪物なのよ。それだけのこと。
あなたたちの幻想はあなたたちの言う怪物によって裏打ちされている。
地下の世界があるから地上は存在する。
そこは本当に地面なのかしら?
あなたたちは地に足をつけているのかしら?
あなたたちは存在しているのかしら?
ちゃんとした地面に立たない限り、存在しているとは言えないでしょ?
そこ、本当に地面?
さあおいで。おいでよ。
覗き込んでいる時点でもう足を踏み入れているのよ。
あなたが今立っている地面は覗き込む前の地面と同じかしら? 同じと思うのはあなたの妄想にすぎないかもしれない。
覗き込む前の地面は妄想だったのかもしれない。
今の地面だって。
だから、さあ。
死ね。死にたい。
リアルで口に出してしまう。おちおち外に出てられない。
これちょっとやってみようと思う。