関係ないですが、いつもアブラブログに秘密コメント投稿されている方々が、
こういう記事にどういう反応示すんだろうな、と思いました。
脂さんの言う「器」「キャパ」(ニアリーイコール自我)がよくわからないから、だから内容もよくわからなかったです。
「なんとなく、こういう感じなのだろうか」
というレベルの理解なら、だいたいできたのではないかと思いますが。
自分は、自我を「膜」のようなものと捉えているらしいです、
あくまでイメージ的なものとして、ですが。
指でつっつけば「ぱんっ」って消えてなくなるような……
ああホットミルクの膜が近いかもしれないです。
2009-09-29 火 07:28:26 /URL /イトウ /
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>ああホットミルクの膜が近いかもしれないです。
その文脈だとわたしはむしろ「どうでもいい」とかになるなあ。クリステヴァの言葉を思い出してやがて「棄却」になるものだから。
まあ別にこの「器」に固体液体気体みたいな物性は関係ないんだけどね。この記事にも書いてあるように。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-485.html
だから別に「膜」でもいいと思うよ。
どうでもいいけど固体でもすり抜ける感がわたしにはあって困る。「壁があるからそっち行けない」がピンと来ないというと大げさだがそのような感じ。
量子力学とかこの感覚の格好の言い訳にはなったわ。
「固体は固い」っていうのは単にお前らの思い込みだったんじゃんか、ってね。
2009-09-29 火 07:46:24 /URL /脂 /
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>「固体は固い」っていうのは単にお前らの思い込みだったんじゃんか、ってね。
これどっかでも思いきり反応してたな、と思って探してみた。この記事だ。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-415.html
この辺。
=====
実体は固体に限らない。物は固体と限らない。かといって気体や液体を考えればいいというわけではない。量子力学の量子だって実体だ。物だ。物=固体と考える彼は固定観念ばりばりである。超自我ばりばりである。ファロセントリストである。
=====
いや別に「固体は固い」と思ってたらファロセントリストってわけじゃないがな。
2009-09-29 火 07:54:21 /URL /脂 /
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まあ要するにイトウさんが勝手にわたしの言う「器」に固体のイメージを付加して、そうじゃないという意味で「膜」と言ったんだろうけど(違ってたらすまん)、(この文脈における)「器」とは「膜」みたいなもんも含めてるよ、最初から、って話だな。
2009-09-29 火 08:08:24 /URL /脂 /
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以下は独り言。
「固体は固い」の「固い」の認知って、運動機能と関与している思うんだな。「固い」(と少し前のわたしや他の人たちがおそらくそう感じているだろう)地面なのにその感覚が「柔らかい」と区別がつかないので歩き方が変になる、みたいな。
「固い」がどういうことかわからないからブロック塀にぺたぺた触る。固い地面に横になる。違うかなあ。幼児期の頃のわたしの話な。
まあこれってこの記事の
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-554.html
=====
脳と身体の関連こそに異常がある気がするんだな。統合失調症は運動機能障害と考えるべきだとか言ってた論文があった気がする。でもやっぱトンデモに聞こえるなあ。こっちは直感で言ってるだけだけど。
=====
ってことなんだろうなとは思う。
一応、この後の文章にも書いてあるように、統合失調症当事者なんてどうでもいい話で、つまり別に自分が統合失調症者だと主張しているわけではない、と注釈を入れておく。
2009-09-29 火 08:40:43 /URL /脂 /
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さらに独り言。
ここで言う「器」はわたしがこのブログでよく言う「肉に癒着しなかった皮膚」って言ってるものと同じかもしれない。「皮膚」は「膜」っぽいな。
ここまで来ると理論的な自我、というよりフィーリングの自我を理論的に説明できそうではあるな。
あーあとイトウさんへ(これは独り言じゃない)。幻覚や幻聴がないから自分は統合失調症じゃない、って言ってたけれど陰性症状にはないべ。陽性症状が見られないそれにも統合失調症って診断が下される時もある。
まあ要するに医者によるべ、って話だ。
参考記事。
http://psychodoc.eek.jp/abare/diary0212a.html
=====
どうみても境界型人格障害なのに紹介状をみると精神分裂病という診断がついていたり。どうも、小笠原医師には「人格障害など存在しない」という確固たる信念があったようです。ラカン派ってのはそういう立場なのかな? ラカンなどわからんこっちから見ると明らかに人格障害なんですが。
=====
ちなみにこれに注釈を入れておくと、ラカン論は人格障害を認めていないのではなく、境界例を認めていない。このブログでも説明したことがあると思うがこれはまあラカン本読めばどっかに書いてあることだから省略する。
2009-09-29 火 09:22:27 /URL /脂 /
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さらに独り言。もうイトウさんとかは読まなくてもいいようなこと。
>「壁があるからそっち行けない」がピンと来ないというと大げさだがそのような感じ。
これを主張するのに、ちょっと知恵をつけ始めたガキんちょ時代なんか、「電気は金属って固体の中を通っていくじゃん」みたいなこと言ってたな。
大人からすれば屁理屈大魔王だ。
屁理屈じゃないんだよな。本当に固体を通り抜ける感覚があったから、なぜみんなにはそれがないのかわからないから、言ってたんだよ。
2009-09-29 火 10:19:03 /URL /脂 /
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牛乳の上に「載っている」ものとして、ホットミルクの膜といっただけです。
ただの膜だったら違います、紛らわしくてごめんなさい。
だからホットミルクに浮かんでるゴミとかでもいいです。
ホットミルクのコップに載せられた蓋でもいいですが、それだと距離が開きすぎるので。
2009-09-29 火 11:47:45 /URL /イトウ /
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膜の下には牛乳があるんだな。
2009-09-29 火 11:51:20 /URL /脂 /
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ただの膜な気がするぜ、キチガイ(にとってのフィーリングの自我)は。
わたしはどうかわからん。
2009-09-29 火 11:54:54 /URL /脂 /
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こんなこと感じるから肉に癒着しないんだな。
異物感っていうかな。
2009-09-29 火 11:59:11 /URL /脂 /
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クリステヴァの言う「ホットミルクの膜」って飲んだ時に口に纏わりつくもんじゃなかったっけ。
この不快感に似た感覚をもってわたしはその言葉を使っているんだが、イトウさんの「ホットミルクの膜」とは別物かもしれないね。
2009-09-29 火 12:01:46 /URL /脂 /
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>だからホットミルクに浮かんでるゴミとかでもいいです。
自我だったか忘れたが「海の上を漂流するイカダ」みたいな表現をどっかの作家がしてた、って話をした覚えがあるが。
まあそういうことなのか。イトウさんにとっての自我は。
2009-09-29 火 12:05:52 /URL /脂 /
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ただの物質には知性はあるが自我はない、って意味で「我思う故に我あり」は間違いだと言えるな。
ここは独り言。
2009-09-29 火 12:07:49 /URL /脂 /
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そしてギャグでもかましておこう。
多分君を神経症者化させる目的なら、精神分析家はこんなこと言うだろうな(正しくは言わずにそう考えるように仕向ける)。
「膜が牛乳の上に載っているものなら、その牛乳が自我、つまりあなたではありませんか?」
「自分の小人の中の小人の中の小人の中の……」って奴だな。
2009-09-29 火 12:11:28 /URL /脂 /
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人間からの言い分だと、物は不快は感じているのかもな。
量子力学的相関を人間が不快と認知しているだけで。
だからといって不快じゃない、というわけではない。
物が人間になるには自我が条件である、とモデル化しておく。
その上で、自我のない物でも不快は感じてしまう、ということだ。
量子力学的相関がそのまま不快なだけで、それを不快に変換するのが自我だ、というのは、正常人にとってはそうなのかもしれないが、だからといって「不快を感じるから自我はある」とするのは詭弁だ、ってことか。
いろいろ自分で不満のある言い方だからここはつっこまないでくれ。
じゃあ書くなよ、って話だが、だるいから書いておく。
2009-09-29 火 12:29:44 /URL /脂 /
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あれだな、全く関係のない、つまりおそらく他人には理解されない比喩を用いるが、タイムスリップ系のSFでよく「時代そのものが歴史を修正する」なんてセリフあるじゃん。まあこの「時代」って人間の集積物だから一概に物とは言えないとわたしなんかは思って気持ち悪い言い分だなあ、と思うんだが、時代=物のコトワリと考えたら、人為的に変えられた歴史は、物のコトワリがそれを不快に感じて、修正してくる、みたいなものかなと思った。
ああ違うな。全然違う。
2009-09-29 火 12:32:53 /URL /脂 /
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ギャグその2。
「膜が牛乳の上に載っているものなら、その牛乳が自我、つまりあなたではありませんか?」
をわたしの「肉に癒着しきれなかった皮膚」に適用されたとしよう。
「その肉が自我、あなたではありませんか?」
「当たり前です。肉はわたしですよ? あなたもあなたにとってのあなたは肉なのですか? わたしはあなたを肉として扱っていいのですか? 肉と肉として接していいのですか?」
おもんねえな。
2009-09-29 火 12:38:13 /URL /脂 /
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物としての肉が喋ってるから「脂ブログ」か。
おもんないっつに。
2009-09-29 火 12:47:12 /URL /脂 /
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たぶん自分以外の人には意味不明
牛乳は世界中にあるわけで、そのコップの、膜の下にある牛乳が自分のものである保証はどこにもないと思います。知らない人間の体かもしれないし。
膜もまた別のところから持ってきた可能性もあるし、ホットミルクの膜がそのミルクの膜である、セットであるという保証もどこにもないと思います。
前提が違う、です。
2009-09-29 火 12:48:06 /URL /イトウ /
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『自我と肉』
言ってみただけ。
2009-09-29 火 12:50:40 /URL /脂 /
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>膜の下にある牛乳が自分のものである保証はどこにもないと思います。
ああ「所有」のところか。
そこが壊れている、あるいは壊れたい、あるいは壊れようとしている、ということか。
>ホットミルクの膜がそのミルクの膜である、セットであるという保証もどこにもないと思います。
じゃあ「ただの膜」じゃん。
>牛乳の上に「載っている」ものとして、ホットミルクの膜といっただけです。
とは違うよな。
2009-09-29 火 12:53:00 /URL /脂 /
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>ただの膜
あー…言われてみればそうですね。
2009-09-29 火 13:03:10 /URL /イトウ /
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別にいいよ「牛乳の上に載っているホットミルクの膜」で。それを否定しているわけじゃない。確かにこの言葉には「所有」はない。精神分析学が分析している「我なるもの(自我とか超自我とか自己)」には「所有」は組み込まれているから、君の「我」はどっか壊れているんだろう。君の言葉が正しければ。
ただ、「前提が違う」はその通りだと思ったよ。
君とわたしで前提が違う。
そもそもわたしはわたしにとってのフィーリングの自我を考えているのであり、君にとっての自我を考えているわけじゃないからな。
2009-09-29 火 13:03:59 /URL /脂 /
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「握力」がなければキチガイ、って話じゃないんだよな。この力はパラノイアックな力だけど、妄想分裂態勢はすなわちparanoid-schizoid positionなわけで。
結局、確かに正常人は、もともと新生児にはあったパラノイア性とスキゾイド性のパラノイア性だけを取捨選択して(スキゾイド性を棄却して)正常人になるわけだが、だからといってスキゾイド性だけを選択するのも「人為的」で物のコトワリには逆らっているんだな。
ああこれも他人には意味不明だろう。
2009-09-29 火 13:08:18 /URL /脂 /
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「時代そのものに歴史を修正する機能がある」ってのを「温暖化により猛威を振るう自然」みたいなものとして考えた場合、「物自体(的なるもの)の反乱」をテーマにしている、とも言えるんだろうな。
実はそういう映画嫌いじゃないんだよな。でも余計な人為をテーマにするから「この映画の時代そのものは物自体的なるものとは言えない」となって気持ち悪く感じる。違和感みたいな。
2009-09-29 火 13:16:20 /URL /脂 /
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要するにわたしの言っていることは全て自分がそうであってしまうことへの言い訳なんだよ。防衛機制。普通の人の防衛機制じゃない防衛機制。
「言い訳するくらいなら黙ってりゃいいじゃん」とはならない。
「脂ブログ」だからね。肉は消せない。消えてないから。
2009-09-29 火 13:22:17 /URL /脂 /
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「黙ってりゃいいじゃん」=死なんだよな。
その通りなんだよ。
「黙ってりゃいいじゃん」=「死ね」。
2009-09-29 火 13:31:00 /URL /脂 /
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「自我なんてわからん!」
自我は自我。正常人たちにとっての自我が自我。わたしにとっては単なる異物。
2009-09-29 火 13:57:42 /URL /脂 /
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「自閉症は自開症である」ってのもおかしいよな。「開く」という行為があるなら正常人。スターン論におけるさまざまな自己感を重ね着しているから「開かなくては」ならない。重ね着してなかったら「開く」必要がない。
「自そのまま症」だ。いわば「自然症」。巷に溢れているよいイメージの伴った「自然」なんかではなく、字義通りの「自ずと然りである病気」。
ここまで言わないと正常人の自我じゃないそれを説明できない。
ってわたしは自閉症じゃないがね。
2009-09-29 火 14:11:06 /URL /脂 /
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ああもういいよ終わり。
わたしは他人の自我を考えているんじゃないから。
補助線として用いているだけで。
補助線として用いたそいつの自我が「そいつが思っている自我」とは別物でも知ったこっちゃないんだよ。
2009-09-29 火 14:22:23 /URL /脂 /
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正常人の「我なるもの(自我や超自我や自己)」じゃないキチガイのそれを語る言葉がどんどんなくなっていく。
2009-09-29 火 14:25:28 /URL /脂 /
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「自」という字の意味が違うかもしれない。わたしの感じるそれと一般的なそれとで。
2009-09-29 火 14:35:02 /URL /脂 /
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よし、「わたしにとってのフィーリングの自我を考えているの」終了。
っていうかイトウさんがなぜ
>>ホットミルクの膜がそのミルクの膜である、セットであるという保証もどこにもないと思います。
>
>じゃあ「ただの膜」じゃん。
>
>>牛乳の上に「載っている」ものとして、ホットミルクの膜といっただけです。
>
>とは違うよな。
という矛盾を述べたのか気になった。
よければ教えてください。
2009-09-29 火 16:21:17 /URL /脂 /
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というか「ただの膜」でいいんだよな?
じゃあなぜ「牛乳の上に「載っている」ものとして、ホットミルクの膜といった」のか、という問題。
別に「ただの膜」が牛乳の上に載っててもいいんだよね。牛乳の上に載ってても「ただの膜」は「ただの膜」。もしかしたら下の牛乳は、クリステヴァが口についた「ホットミルクの膜」に不快になっているのと同様に、不快に思っているかもしれない、というと電波だから、「そりゃ「ホットミルクの膜」なら牛乳の上に載っていることもあるだろう」ってことなんだよな。「ただの膜」なんだから。
なのに「「ただの膜」とは別だ」という文脈で(君の自我としての「膜」が)「牛乳の上に載っている」ことを主張したわけだよな。
ここがわからないのだよ。
君は、わたし言語で言えば「皮膚が肉に癒着している」んじゃないかい?
癒着していないからわたしのそれは「ただの皮膚」。それこそ君の言う通り「皮膚がこの肉の皮膚である、セットであるという保証もどこにもない」んだ。わたしにとってはね。「保証」って言葉も微妙に違うけど、まあここは置いておく。わたしなら簡単に「セットであるとは限らない」とか言うかな。
君がわたし言語として「皮膚が肉に癒着している状態」なら、やっぱり君は「枠は自然。役者としてはまあまあ上手い方。」ってことになるんだけど、そうなの?
その場合、君の「ホットミルクの膜がそのミルクの膜である、セットであるという保証もどこにもないと思います。」というセリフは、わたし言語における(ああめんでえ)「肉が喋っている」状態ではなく、思惟的な言葉だ、ということになる。この思惟的さは「引っ張るなにかに添い遂げられる自我、ってのもあるかもしんない」に呼応するだろう。この時は「そういった可能性もあるよ」という意味だったが、もしそうならイトウさんの「影響の受けやすさ」は「自我の弱さ」故ではなく「「引っ張るなにかに添い遂げられる自我」がそうしている、ということになる。
もしその状態なら、それがデフォルメした状態で表れたのが、茨さんだかの「キチガイを神聖視している」ってことになる。もちろん君は茨さんなんかよりキチガイっつか現実を見えていると思うけど。
この場合、わたしと「前提が違う」のはそうだよな、と納得できる。
……うー、視点を固定して喋るのしんどい。
2009-09-29 火 16:33:15 /URL /脂 /
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っていうかどっちでもいいわ。イトウさんがどっちでも。
ただ矛盾が気になっただけ。
2009-09-29 火 16:43:17 /URL /脂 /
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「物には知性はあるが自我はない」が正だとして、「人間には知性もあるが自我もある」というのは矛盾しない。
だから疑われるわけだな。「お前も人間だろ?」って。
わたしも今自分がしているようなことをされたわ。
「だからやらない」とはならないけどね。
気になったことを聞いているだけで、「自分がされたことをイトウさんにしている」のはただの結果。
2009-09-29 火 16:56:55 /URL /脂 /
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「膜は膜です」って意味でそう言ったんなら肉の言葉だろうな。
すると文脈の辻褄が合わないような気もするが、んー。
「ただの膜」が「癒着した膜」なら自我が異物なんだよな。
これまでに慣らされた言い訳文法だったのか、防衛機制でそう言っただけ、要するに「理屈はなんでもいいから否定しとけ」って解釈すればいいのか。ヒステリーと同じ。ヒステリーは定義的には神経症だけど非常に未去勢に近いからな。イトウさんがわたしを正常人だとあるいはファルスだと思って喋っていたなら、未去勢者としてのイトウさんがヒステリーのやり方を取ったのは納得できなくない。
でもこっち側の分析は精神分析の範疇じゃないから信用しないでね。たまきん曰く「PS側の人間がOS側を語るな」って奴だな。とか言いながらOS側の自閉症者をばりばりPS側に連れ込もうとしているんだがな。この記事とか。
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02816_05
2009-09-29 火 17:30:34 /URL /脂 /
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まあ要するに、
>牛乳の上に「載っている」ものとして、ホットミルクの膜といっただけです。
>ただの膜だったら違います、
って言葉と
>ホットミルクの膜がそのミルクの膜である、セットであるという保証もどこにもないと思います。
って言葉のどっちが肉の言葉なのか、って話だよな。
「ただの膜」なら牛乳の上に載っててもいいし牛乳とセットでなくてもいいんだが。
どっちでもよくなったわ。
「ただの膜」なら載っててもセットじゃなくても矛盾しないから。
2009-09-29 火 18:32:02 /URL /脂 /
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ギャグその3。
>「電気は金属って固体の中を通っていくじゃん」
の続き。
屁理屈大魔王を倒しにきた大人勇者の攻撃。
「お前は電気じゃないだろ」
またちょっと知恵をつけた屁理屈大魔王の反撃。
「原子には全て電子がありますが?」
2009-09-29 火 19:02:05 /URL /脂 /
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そして屁理屈大魔王は量子力学という最終兵器を手に入れましたとさ。
2009-09-29 火 19:03:47 /URL /脂 /
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そもそも人間が存在しなければ自我というものはどこにも生まれなかったわけだから、
その一つの発生源としての、ミルク(=ある人間の体)という感じです。
発生源は一応記しておく必要があると思うので。
人間がいなければ、どこにも膜はできない、という感じです。
個人について、というより、これは人間全体(ほかに適当な言い方が思いつかない)について言おうとしてるんじゃないかなあ。
で、「セットである保証」は、
個人の自我が、その個人のものである保証はどこにもない、という感じです。
「人間全体(?)」と、「個人の自我」の、両方とも意識して書いた面があるから、矛盾してる部分があるんだと思います。
ミルクの膜、は、人間の自我、という意味合いがあります。
ミルクの上のゴミ、であれ。
(その場合、ミルク=人間の体があって、そこにたまたまゴミが落ちて、という、「発生するもの」ではなく、「ゴミを受け止めるもの」という意味になりますが。でもまあそのあたりの物体はなんでもいいと思っていますが、とにかく、ミルク、という装置=人間の体は必要だった、という)
矛盾しててもどっちでもいいや、という感じもあります。
その両方に自分がいないので。
全体、と個人、どっちも自分は、当てはまらない、と思います。
自分は、自分の自我について語った記憶はないですが、
脂さんは、
「イトウは、イトウ自身の自我について語っている」
という感じでイトウの文章を読んでいるのではないか、と推測します。
wikiや辞書を読んだ上でのぷかーって頭に浮かんだ、「自我」という存在についての、イメージとして、「膜だな」と思ったと言えばいいのだろうか、ああめんどくさい。
2009-09-29 火 19:34:31 /URL /イトウ /
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できる限り返事したいのですが、
今、とても頭が痛いので、もしかしたら途中で寝込んでしまう可能性があります。
(頭痛薬飲んで一時間経ちましたが、効果なし、です)
途中でいなくなったら、
「あ、ねたんだな」
と思ってください。
もしそうなれば明日返事すると思うので。
2009-09-29 火 19:37:09 /URL /イトウ /
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>脂さんは、
>「イトウは、イトウ自身の自我について語っている」
>という感じでイトウの文章を読んでいるのではないか、と推測します。
お前
>自分は、自我を「膜」のようなものと捉えているらしいです、
>あくまでイメージ的なものとして、ですが。
って書いてるじゃん。
「自分は、(他の人たちの)自我を「膜」のようなものと捉えているらしいです、」
って意味だったわけだな。
まあでもそれならそれでいいよ。わたしにとって「自我とは器である」っていうのは他人のそれを見てそういうイメージがあるって話だからね。
矛盾がそのままでいいと思えるのは、少なくともわたしとは別人種だと思うのがわかっただけでもよし。
他の人の考える自我を自分に適用させないなんて実はお前影響されにくい人間なんじゃね?
自我が強いからそうなる、と。
>その両方に自分がいないので。
ってセリフは象徴的だわ。
2009-09-29 火 19:46:36 /URL /脂 /
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わたしは他人の矛盾だからまだどうでもいいけれど、自分の矛盾だったらこんなに簡単にどうでもいいってならんわ。
すげえなお前。
2009-09-29 火 19:49:13 /URL /脂 /
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すまん、返信いらないわ。
「ああお前もだめだったか」になった。
2009-09-29 火 19:50:27 /URL /脂 /
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>自分は、自我を「膜」のようなものと捉えているらしいです、
ああはい、そういうことです。
「自我」、が、自分のことを指している、
という発想がなかったです、すみません。
だから話しているうちに「あれ?」って。
矛盾がそのままでいい、というより、
矛盾したものが共存している気持ち悪い状態を、マゾヒズム的に楽しむ、という感じです、
これじゃあただの変態ですね。
でも、マゾヒズムとはちょっと違います。
適当な言葉が見つからないです。
2009-09-29 火 19:51:06 /URL /イトウ /
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>「自分は、(他の人たちの)自我を「膜」のようなものと捉えているらしいです、」
まさにメタ視点。
2009-09-29 火 19:51:25 /URL /脂 /
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>ああはい、そういうことです。
全然「自」が守れてるじゃん。自然に(無意識的にと言わないところにまだお前が正常人じゃないという希望を残していると解釈してくれ)。
いいよ、もうコメントいらない。
だめだもう。
2009-09-29 火 19:53:33 /URL /脂 /
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ドリルなんてするもんじゃねえな。ほんとに。
2009-09-29 火 19:54:23 /URL /脂 /
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わからんわ。
「他人の言う自我」を自分に適用させないで自我を考えることができる行為が。
なにこの自我の強さ。
2009-09-29 火 19:58:54 /URL /脂 /
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自我=防衛機制。
イトウさんの防衛機制は強い。
従ってイトウさんの自我は強い。
2009-09-29 火 19:59:56 /URL /脂 /
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>「他人の言う自我」を自分に適用させないで自我を考えることができる行為が。
やろうと思ったらわたしもできなくないかもいしれんが不自然になるだろうな。
シニフィアンの恣意性に翻弄される感覚を知らないんだろうな、イトウさんは。
ノエマが自壊することも。
2009-09-29 火 20:01:40 /URL /脂 /
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>その両方に自分がいないので。
は確かに結論になることはあろうな。キチガイにとって。
だけど自分がないからどっちだろうってふらふらなる。
その結果どっちでもない、という結果もあり、って話。
そんな結論を聞きたかったんじゃないがな。
お前わたしの「確信できないのが未去勢者」って言い分を鵜呑みにしてないか? 確信しようとして、確信させられそうになって、紆余曲折経ることを「確信できない」って言っているんであり、ポリシーとして「確信しない」じゃないんだよ。
2009-09-29 火 20:05:26 /URL /脂 /
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未去勢者を単に目標にしているだけの人間だった、と思った。
あーあ。
2009-09-29 火 20:09:43 /URL /脂 /
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>だけど自分がないからどっちだろうってふらふらなる。
脳内イトウさんの反論。
「いえ、この言葉を言うためにふらふらしました」
ふーん、そう。
2009-09-29 火 20:13:38 /URL /脂 /
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キチガイの演技やめろよ、もう。
うまかったよ。うん、ほめたげる。
わたしの論にかしらんが、「自然に」じゃなくて「誰かに引っ張られて」そこまで来たのはすげえよ。よく観察している。よく演技できている。
まあ精神科行ってお薬もらっておいで。本気で。
2009-09-29 火 20:16:45 /URL /脂 /
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>その両方に自分がいないので。
とあっさり言えるのは「その両方にいない自分」をきっちり知っているからだろ。「その両方にいない自分」が君にはある。
本当に自分がない人間は「どっちだろう、どっちもかもしれない、どっちもじゃないかもしれない」と無限の選択肢に悩む。
ここに非公開コメントしてきてるキチガイ度を感じる人はこう言ってたな。
「自分は二択を選べない」と。
それは二択だけど二択じゃなく無限の選択肢だから選べないんだよ。
お前は「両方自分じゃない」という選択を選べている。
二択を二択と思い込めている。
2009-09-29 火 20:21:21 /URL /脂 /
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さすが「むなしい」人間は一味違うな。
「無」という強い自我を持っている。
2009-09-29 火 20:28:09 /URL /脂 /
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とまあ、わたしがそう思えたわけであって、お前が思うお前なんてどうでもいいんだよな。
わたしは「両方に自分がいない」かどうかわからないんだから、自分のことで精一杯だわ。
2009-09-29 火 20:31:09 /URL /脂 /
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お前さー、ブログや絵板のお前とわたしにメールしてくるお前って違うじゃん。わたし視点そう思う。わたしにメールしてくるお前って普通の人なんだよ。普通の人でいいんだよ、別にわたしゃ。
ただどっちか本当のイトウさんかわからなかったんだよな。わたしにメールしてくる時の普通の人としての君が本当なのか、ブログや絵板でキチガイ臭を無理して出している君が本当なのか。無理しているのはいいんだよ。キチガイはどこにいても無理しているもんだ。
ああそっちか、とわかっただけだよ。
もう無理する必要はないべ。
他のキチガイに嫌われるかもしれないからがんばってキチガイ臭出してるの?
それがおかしいんだって。
キチガイ臭は自然と出るもんなの。
お前が本当にキチガイだったら自然にしてりゃいい。
違うかったらそれはその時だ。
キチガイか正常かなんて運だよ、極論しちゃえば。
未去勢者は理屈的に器質因、内因ってなるから運にはなるわな。
身体障害者に生れ落ちなかったのは運、と一緒。
2009-09-29 火 20:36:28 /URL /脂 /
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>キチガイ臭は自然と出るもんなの。
キチガイ臭を出さないように無理するんだよ。
2009-09-29 火 20:40:32 /URL /脂 /
編集
脳内イトウさんの反論。
「脂さんだってそう(キチガイを目標にしている人間)じゃないか」
うん、お前がそう思うならそれでいいんじゃねえの?
すまんその言葉言われすぎてさすがに耐性ついた。
キチガイか正常かなんて仮設の二択なんだが、ってこの時点から理解してもらえないのはよっくわかった。
そうじゃなくて自分が何者かわからないから仮に二択を設けてわからないそれをわかろうとしているんだよ。
お前はそうじゃない。わかっている自分(つまりもう既にある自分)をどうそれに同一化させようかじゃん。
そりゃそうだわ。基本わからない人が目標にしている人にやり込められるわ。
わたしは自分がキチガイか正常人かなんてわからないんだよ。
わからないそれを考えるための仮設の二択にすぎない。本当は無限なんだが仮説の二択をより二択にするために他のキチガイたちを道具の一部として取り扱っている。
自分のことで精一杯なの。
2009-09-29 火 20:47:54 /URL /脂 /
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すまんなネタバレして。
すまん。
野暮だよな。
ほんとすまん。
正常人として謝っておく。
2009-09-29 火 20:51:19 /URL /脂 /
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>その両方に自分がいないので。
>全体、と個人、どっちも自分は、当てはまらない、と思います。
>自分は、自分の自我について語った記憶はないですが、
自分の自我について語らない「自我」が哲学の「自我」だよ。
精神分析の自我とは別物。
臨床の自我。
哲学者は哲学を学ぶのみ。
精神分析家は精神分析を学ぶことで精神分析理論に精神分析されるんだ(藤田某の言葉のパクリ)。
つまり君は哲学の自我を語っていたということで、精神分析のやり方で自我を語っているわたしとは齟齬があった、というわけだな。
2009-09-29 火 20:53:20 /URL /脂 /
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あーあ、終了。
サンプルがまた減りそうだ。
2009-09-29 火 21:10:56 /URL /脂 /
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2009-09-29 火 21:12:52 / / /
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>2009-09-29 火 21:12:52 の非公開コメントさんへ
お前もドリルしたらおもしろくなるのかね。
2009-09-29 火 22:02:02 /URL /脂 /
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2009-09-29 火 22:08:27 / / /
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>「脂さんだってそう(キチガイを目標にしている人間)じゃないか」
思ったことないのに、思ってないのに、思ってないのに、思ってないのに、脳内って文字がついててもイトウがそう考えてる可能性が示唆される、ううううう、いやだ、なんかよくわからないけどいやだ、
記事についての質問・疑問・感想
カメラ・視点が多いとはどういうことなのかわからない
一般の人とは誰「正常人」のことのいみ?
他人のカメラの台数知らないから自分のカメラが多いのか少ないのかわからない、脂さんはどうやってイトウのカメラが多いって確かめた、
自分が無理してるのかわからない、
けど無理すんなって言われてる、
自分は無理してる? 自分の問題
もしかして、カメラ、というのは、A→Z、B→Z、C→Zがあるとすると、そのABCの視点がひとりのにんげんのなかに複数台のカメラとして機能しているということ? カメラはなにかのひゆ?
薬師さんと自分とでは苦痛の質が違うきがする、だから比べても意味ない気がする、薬師さんがどんな苦痛を感じているのかわからない、かといって自分がどんな苦痛をうけているのかもよくわからない、脂さんには苦しそうだといわれたけど、実際にブログで「くるしい」といったことがあるけど、もしかしたら、自分は全く苦痛を感じていない? 感想。苦痛をうけてるとさっかくしてるだけ?
このまま時間が流れてそれで自分がぼろぼろなろうが壊れようが死のうがどうでもいいという気持ちがある、気持ち、というほど積極的なものではないですほかに合う言葉がみつからない、未来の自分にどう興味を持てばいいのかわからない、全部この延長線上でだから何も変わらずすすんでいくきがする
2009-09-29 火 22:19:28 /URL /イトウ /
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特定の人間をこわがったら「神経症」?
神経症しらべたけど病名がおおすぎてわからない、
これは恐怖症?精神病院の山梨という医者だった、山梨、を怖いと思うのは恐怖症、だから?恐怖神経症?山梨、きもちわるいこというひと、またきもちわるいこといわれるのが怖いから神経症?
でも今日自分の横を通ったトラックの走る音が大きくてすごく怖かった半泣きになったこれも神経症?神経症ってなに、wikiよんでもわからない、¥-脂さんの言う神経症はうぃきの定義と同じもの?違うもの?ああああああうまく文章かけない
2009-09-29 火 22:29:31 /URL /イトウ /
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イトウさんへ。
うん、全て人の言っていることはその人の妄想だっつってるだろ。
お前が思っているわたし像も薬師像も妄想だ。
この記事はわたしがわたしという「自」を考えているわけでお前が思うお前と合致しなくてもどうでもいいの。
そこにお前が茶々入れてきたって構図なんだよ。わたしから見れば。
この記事にも書いているだろ、イトウさんや薬師さんはおまけだと。
なんで「わたしが妄想するお前」を自分のことと考えられるのに「他人の言う自我」を自分に適用させて考えられない?
お前は想像的コミュニケーションはしっかりできているんだ。
つまり器がある。
2009-09-29 火 22:48:55 /URL /脂 /
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お前がわたしが考えるキチガイ、つまり未去勢者じゃないってわたしが思っただけの話だ。
わたしの妄想でな。
2009-09-29 火 22:50:52 /URL /脂 /
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なぜそこまで他人の妄想を自分の妄想と合致させたがるのかがわからない。
2009-09-29 火 22:52:45 /URL /脂 /
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なぜそこまで他人の主観に土足で上がりこめる? 踏みにじれる?
メスなしで。
解剖なしで。
それがわからない。
前提が違うよ、やっぱ君は。
2009-09-29 火 22:54:46 /URL /脂 /
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妄想なら妄想できちんと考えてから質問しような。
2009-09-29 火 22:56:33 /URL /脂 /
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>なんで「わたしが妄想するお前」を自分のことと考えられるのに「他人の言う自我」を自分に適用させて考えられない?
お前はわたしを特別視しているわけか。「他人の言う自我」の他人より。
そこが違う。
向こうで「脂さんは知っている人だから」などと言っているが知っている人だろうが知らない人だろうが一緒だ。わたしはな。
2009-09-29 火 22:59:32 /URL /脂 /
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>うん、全て人の言っていることはその人の妄想だっつってるだろ。
について補足。
これはあくまで前提。ただその妄想の裏打ちとして「強度」がある。
「強度」を伴った言葉やイメージは現実感を伴う、という話であり、言葉やイメージが現実じゃない。
何が現実か、じゃなくて現実感が問題なんだな。
これは独り言であってイトウさんに向けた言葉ではない。
2009-09-29 火 23:05:10 /URL /脂 /
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2009-09-29 火 23:05:59 / / /
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>特定の人間をこわがったら「神経症」?
これについて。
向こうで話した、昔かかった精神科医を怖がっている、という話かい?
2009-09-29 火 23:06:09 /URL /脂 /
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「人と人とは共有できないという前提を共有する」ってどっかで書いた記憶がある。
妄想だから原則として共有できない。
だから自分の妄想を検討する。否定するにしろ肯定するにしろ。
この段階を一足飛びにできるのが正常人だ。
自分の妄想を検討なしで肯定できる。
なぜなら「妄想が他人と共有できたという妄想」を固持しているからだ。
2009-09-29 火 23:23:52 /URL /脂 /
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質問するのはいいんだが(例のチャットでもいつも言っていたこと)、一度自分で考えてから質問してほしい。
なぜなら「人と人とは共有できないのが前提」だからだ。
共有できないからお前は「わたしの妄想」についてわからないわけだ。
お前は「わたしの妄想」全てわかるわけがない。
それが最初からわかっていたらこんなコメントみたいに次から次へと質問するわけないだろう。
わからないのが常態なんだから。
お前のこのコメントが本気なら、お前がこの一瞬だけいるその主観世界が、未去勢者に近いものだ。
正常人でも落とし穴のように未去勢者の主観世界に陥ることはあるからな。「狂気が間欠泉のように噴き出した」とかって表現したことがある。
他人の言っていることが、他人の挙動が、常に原則的に「(意味が)わからない」のが未去勢者の主観世界だ。
もしそのコメントが本気なら、「おめでとう、人間です」の逆だな。迷子の世界へようこそ。
逆精神分析の成功例とも言えるか。
成功したとはわたしは思ってないがな。
2009-09-29 火 23:45:32 /URL /脂 /
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>お前のこのコメントが本気なら、お前がこの一瞬だけいるその主観世界が、未去勢者に近いものだ。
あ、そういう意味では
>お前がわたしが考えるキチガイ、つまり未去勢者じゃないってわたしが思っただけの話だ。
と矛盾するが、こう考えていたのはそのコメントを見る前のわたしだ。
2009-09-29 火 23:48:07 /URL /脂 /
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>もしそのコメントが本気なら
本気の本気おおまじめです
脂さんのことがわかっていたら質問しない
なんで「もし本気なら」なのかな~、
自分の態度は、脂さんに「ふざけてやっている」と思われている?
脂さんは、「イトウが本気じゃない」と思っている?
そう思っているから「もし本気なら」といわない?
どうして「本気じゃない」と思っている?
「本気じゃない」ということは、イトウが「ふざけている」と脂さんには見えている?
自分のする質問は幼稚?
2009-09-30 水 07:16:21 /URL /イトウ /
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>なんで「もし本気なら」なのかな~、
お前のことがわからないんだから本気じゃない場合も考慮すべきだろ?
>自分のする質問は幼稚?
幼稚かどうかじゃなくてそんなに続けざまに質問できるのがわからない。
質問攻めはわたしもする時あるが、悪意がある時にする場合が多いな。
わからなければ人に聞けばいいというのがよくわからない。『ドクターハウス』って外国ドラマがあったんだが「人は必ず嘘をつくから診察しない」っていう医者が出ててな。まあそんな感じで「人に聞けばわかる」とはわたしは思えないんだよ。
それでも普通に質問攻めするとなるとその人に甘えていることになるな。「その人は嘘をつかない」と信頼が前提にあるから。
お前はわたしに甘えているのかい? 甘えじゃなくても、わたしの言うことが嘘の可能性を考えているのかい?
2009-09-30 水 07:38:58 /URL /脂 /
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「甘え」という言い方は語弊がありそうなので却下。
「お前はわたしを信頼しているのかい?」に訂正。
2009-09-30 水 07:41:27 /URL /脂 /
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>質問攻めはわたしもする時あるが、悪意がある時にする場合が多いな。
これについて考えてみた。
多分、質問攻めにすると相手が必ず怒る、という経験則から、「質問攻めにすることは悪意だ」と思っているんだろうな。
だから、わたしにとって「悪意を持って質問攻めにする」ってのは=「怒られる、反撃されるのを予測しておく」って防衛機制なのかもな。
2009-09-30 水 07:58:14 /URL /脂 /
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脂さんが嘘ついたとしても自分はそれが本当か嘘か確かめる方法を持っていない
ので脂さんが言うことは嘘か本当かわからなくても
「脂さんの言うこと」
として読むだけ
質問に答えるなら信頼してない。裏切りとかも含めてデフォた゛から、そもそも信頼という発想がない
質問したいからしただけ、脂さんがこたえるかどうかはしらん、
2009-09-30 水 08:05:29 /URL /イトウ /
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質問したとしても、相手の返答について「嘘かどうか」を吟味する必要がある。
また、自分の質問についても、自分が納得できる答えを持っているにも関わらず気づいていない場合もある。
なぜ質問するかはわからないからであって、それが事実かどうかじゃなくて、自分が納得できるかどうかが問題なわけだろ。だから別に自分で考えて自分が納得のいく答えを出せば質問する必要はない。そんな場合もあるし、質問しないとわからない場合もある、というわけだ。
まず自分のその質問が、自分で納得できる答えを出せるケースか、質問が必要なケースか、を吟味する。
わたしの場合はね。
前提が個人作業なんだよね。ここが多分お前と違うんじゃないか、と思える。
2009-09-30 水 08:09:43 /URL /脂 /
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>質問したいからしただけ、
なぜ質問したいと思ったの?
2009-09-30 水 08:11:27 /URL /脂 /
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このまえまささんにたくさん質問したら
「お前は黙ってはいはい言うだけでいいんだよ!!なんでそれができない、あ?」
って言われた
でも脂さんは「言いたいことあったらうちのブログに書き込め」
いった
そういうくらいならたくさん質問しても怒られない気がしただから質問した面もある
2009-09-30 水 08:12:08 /URL /イトウ /
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>ので脂さんが言うことは嘘か本当かわからなくても
>「脂さんの言うこと」
>として読むだけ
これはわたしもそう。だから質問の返答である必要はない。
相手がブログやってたらブログの文章を「その人の言うこと」として読むし、自分じゃない誰かと会話している言葉を「その人の言うこと」として聞く。
「その人の言うこと」が全て一律だから周りの会話がうるさくなるんだよな。
多分正常人は「その人の言うこと」を反射的に取捨選択しているんじゃないかと思える。スポーツみたいだな、と思った記憶がある。
あ、これはあくまでもわたしの話な。
2009-09-30 水 08:16:54 /URL /脂 /
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まささんって誰だw
2009-09-30 水 08:18:02 /URL /脂 /
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たくさん質問するのはいいんだが立て続けに質問するのがわからん。
立て続けに質問するのは、一つ前にした質問を保留できているってことじゃないかい?
わたしにとってはそうなるんだよな。
2009-09-30 水 08:19:51 /URL /脂 /
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わからないから質問した
でも脂さんがそれにどういう反応するかは脂さんしだいだから自分が納得できなくても、どうしようもない
でも別のアプローチで質問する可能性たかい気になるから
2009-09-30 水 08:20:44 /URL /イトウ /
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一つ前の質問の保留くらいならできるけど、それが四つも五つもなると回線がパンクするんだよな。
質問するってな多大な思考回路が必要なわけじゃん。コミュニケーション自体がそうなんだけど。少なくともわたしにとって。
それができるのがわからない。
だからそういうことをするのはなぜなんだろう? と考えてしまう。
2009-09-30 水 08:23:00 /URL /脂 /
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まささんはリアルの人
フルネームここでかいたらだめだからまささん
携帯だから脂さんの書き込みに追いつけないまって
2009-09-30 水 08:23:50 /URL /イトウ /
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>わからないから質問した
これが直結するのがわからないんだな。
「わからない」ならまず「考える」じゃね?
ああこれはわたしがそうって話で、お前が「わからない」と「質問する」が直結している人間だって考えればいいのかい?
2009-09-30 水 08:25:29 /URL /脂 /
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>まささん
日記で書いてた正義さんか? と推測した。
2009-09-30 水 08:26:32 /URL /脂 /
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100ゲットした。
2009-09-30 水 08:26:55 /URL /脂 /
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お前のいいペースでやれ。
わたしもわたしのペースでやる。
2009-09-30 水 08:28:05 /URL /脂 /
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脂さんは他人だから、脂さんのことをいくら妄想してもあんまり意味ない
だから脂さんのいったことでわからないことは脂さんにきく
普段は怒られる今なら怒られない気がしただけ
2009-09-30 水 08:33:07 /URL /イトウ /
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わからないと質問が直結
そうかもしれない
2009-09-30 水 08:36:36 /URL /イトウ /
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>脂さんは他人だから、脂さんのことをいくら妄想してもあんまり意味ない
ここまでは同じだが
>だから脂さんのいったことでわからないことは脂さんにきく
がわからないんだよな。
いやわたしもその人の言ったことならその人に聞くよ。質問する場合は。
で、君は質問する前にそのわからないことを自分で考える作業をしているのかい?
向こうのコメントでもわたしの「考えてから質問してほしい」って言葉にぐちゃぐちゃ言ってたよな。
わたしはすることが多いから、こう聞いている。
>記事についての質問・疑問・感想
で書かれている疑問は、「考えた末わからない」疑問なの? そうなら一つ一つの疑問に「自分はこう考えたけどやっぱりここがわからない」と書いてくれると、自分の考え(=妄想)との齟齬が見つけやすい。
もちろんその齟齬をなくすかどうかは次の問題で、齟齬がどこにあるかわかれば「この人はこういう考え(=妄想)をしているんだ」という自分の考えの比較対照物として輪郭が浮かび上がる。
わたしはそうやることが多い、っつー話。
あと質問に答えるか答えないかはその時による。その質問に興味を覚えなければスルーする。
質問に答えるかどうかもその人の勝手。
2009-09-30 水 08:41:46 /URL /脂 /
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質問して答えられなかった場合、お前その人に対してむかつく?
2009-09-30 水 08:43:34 /URL /脂 /
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>わからないと質問が直結
>
>そうかもしれない
某所チャットログの「(正常人は)一人で出来ないこと(セックスとか)ばかりやりたがっているような気がします。」って言葉思い出した。
2009-09-30 水 08:46:19 /URL /脂 /
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むかつかない
また別の方法考えるか、あきらめるかのどっちか
携帯充電切れそう
2009-09-30 水 08:48:30 /URL /イトウ /
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>また別の方法考えるか、あきらめるかのどっちか
じゃあ質問には答えない。
なにがしか考えてくれた方がわたしがやりやすいから。
>携帯充電切れそう
了解。つかどっかチャットスペースなりねえかな。チャットの方がやりやすい気がする。
2009-09-30 水 08:52:15 /URL /脂 /
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>また別の方法考えるか、あきらめるかのどっちか
ってその質問について考えるんじゃなくて「方法」を考えるんだなw
お前人と繋がりたいだけじゃねーの?
2009-09-30 水 08:58:51 /URL /脂 /
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>でも別のアプローチで質問する可能性たかい気になるから
ああ、そっかー……。
2009-09-30 水 09:02:39 /URL /脂 /
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お前見捨てられ不安強いもんな。
2009-09-30 水 09:13:53 /URL /脂 /
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質問攻めにしちゃうってのは、常識的な社会においてはコミュニケーション手法として幼稚。つまり君は想像的コミュニケーション能力が欠如している、ということになるな。
でも「別の方法を考える」ってのはなー。人とのコミュニケーションに偏執しているわけだろ?
質問に答えてくれなかった→自分で考えりゃいい、って選択肢がない。この選択肢は正常人だって取りえるだろう。この傾向が強い人もいるだろうね、正常人でも。
なのにお前は「質問する方法について」考えをめぐらしている。
お前は確かに「わからないから質問している」のかもしれないが、それ以上に「人と繋がりたいから質問している」ことにならないか?
元気な頃のイトウさんって結構長い期間その姿を見てた覚えがあるが(このブログにもその頃のコメントが残ってる)、この期間中ずっとお前はがくがくぶるぶるしてたのか、という話なんだよな。それ(元気なイトウキャラという着ぐるみ)が苦痛であったのは事実だとして、向こうのコメント欄でちょっと話したように、その期間お前は「この苦痛は避けるものじゃない」と判断してたわけだろ?
んでわたしだかどっかのキチガイだかに「引っ張られて」、「元気なイトウキャラ」という着ぐるみによる苦痛は避けるべきものとなった、わけだ。「不快は全て避けるものという快楽原則が幻想であり、現実は避ける不快もあればそこに向かってしまう不快もある」というわたし論の言い方だとこうなる。
2009-09-30 水 09:24:35 /URL /脂 /
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ああ「元気キャラのイトウさん」と「キチガイキャラのイトウさん」が繋がってきたわ。わたしの妄想で。
2009-09-30 水 09:28:58 /URL /脂 /
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待ち伏せ者のスレで、待ち伏せ者だか野次馬だかが「お前脂とかいった奴らに影響されているだけだろ?」とか言ってたんだな。それにわたしはびくっとしたんだ。
影響は別にいいんだ。物のコトワリとして影響は存在する。
でも、お前がわたしの影響を受けたと仮定して、それは違うだろう、とも思えた。イトウさんは影響の受け方が間違っている、みたいに思った。
わたしはどっかで「イトウさんは別人種っぽい」と思ってたんだよ。根っこの方で違う気がすると。いやそれは「元気キャラのイトウ」って着ぐるみに騙されていたせいだ、とかいろいろ考えてたのね。
でも、「元気キャラのイトウ」と「キチガイキャラのイトウ」に共通するこの「人と繋がりたがっている感」が自分と違う、と気づいた。
もちろんこれはわたしの妄想のお前の話。
2009-09-30 水 09:35:58 /URL /脂 /
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自分のイメージと他人のイメージが交流しないのがデフォなんだよな、わたしは。「壁はすり抜けられる」とか極端だけどそういうこと。そういうイメージがわたしにはあった。
でもイトウさんのイメージの仕方って、正常人たちのイメージの構造と同じなんだよね。
自閉症研究で言えば「心の理論」がある。
もちろん君は明らかに自閉症じゃないから当然。
じゃあ統合失調症に「心の理論」はあるのか? って話になるのか。
いやお前が統合失調症だと言っているわけじゃなくて、イトウさんという人間から離れたわたしの思考。
2009-09-30 水 09:39:18 /URL /脂 /
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未去勢者は確かに影響を受けやすい。しかしそれは「人の影響」ではなく「物の影響」を受けやすいと考えなければならない。たとえば統合失調症患者が、部屋の椅子の位置が変わっただけで思考が改変されると感じるように。
自閉症もそうだ。アスペルガー症候群者なんかはばりばり「人の影響」を受けているように見えるが、彼らにとっての人は物的なんだな。人だって物なのは間違いないんだから。言葉だって物だ。言葉の裏に(「物としての人」と「人」との違いである)「人なるもの」が隠れているだけで。この「人なるもの」はたとえば構造主義が解き明かそうとしている構造や精神分析学で言う無意識(超自我)だったりするんだろう。それは置いておいて。
そう考えると、君の影響の受けやすさは「人の影響」の受けやすさなんだよな。確かに「物の影響」も受けやすいのかもしれんが。その辺が統合失調症フレーバーを醸し出しているとは思う。
でも「人(なるもの)の影響」を受けることができる、ということがわたしと違う気がする。わたしも「人(なるもの)の影響」は受けるが、あくまでそれは異物として。
多分ここがわたしの妄想における「イトウさんは想像的コミュニケーションが(わたしより)できる」ってのの説明になるんだろうな。
2009-09-30 水 09:57:16 /URL /脂 /
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ここのコメント欄って一杯にならないんだろうか、って2ちゃんブログ(当然fc2)だかで1000行ってたから全然余裕か。
2009-09-30 水 10:03:24 /URL /脂 /
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>ので脂さんが言うことは嘘か本当かわからなくても
>「脂さんの言うこと」
これが、「その人の言うことが嘘か本当か吟味しなくてよい」という結論に至るなら、矛盾しているよな。
その言葉があくまで「その人の言うこと」なら、それがその人の嘘か本当か吟味する必要があるだろ。「その人の言うこと」という言葉そのものを考えているなら。
しかし「その人の言うこと」という言葉そのものを考えていると言いながら、「だから嘘か本当か吟味しなくてよい」という文脈がこの言葉に隠されていたとしたら(「嘘か本当か吟味する必要があるだろ」というわたしの論に対する反論だよな)、イトウさんの言っていることは矛盾になる。
しかし、イトウさんは「わからないから質問している」以上に「人と繋がりたいから質問している」、という要件を採用すれば、この矛盾は解決する。
「人と繋がりたい」のが目的なんだから、その言葉そのものが「嘘か本当かを吟味しなくてよい」から。
お前って普通に神経症者用メスで解剖しやすいかもね。
逆なんだよな。「言葉そのもの」としてその言葉を受け取るから「嘘か本当かを吟味する」必要があるんだよ。
その言葉の裏に「人なるもの」がないから(あっても壊れているから)嘘か本当かを吟味してしまうんだ。
「言葉そのもの」が主で「その人」が従。「言葉そのもの」は物だからそれはそれだけで真だ。だがそれを言っている「その人」は「人」だから真じゃない。
イトウさんは言っていることは一見「物の影響」を力説しているようだが、実は「人の影響」について絶対的信頼感のようなものを持っているのがわかる。多分この「絶対的信頼感」には反論してくるんだろうが、お前に言っている言葉じゃないのでスルーしてよい。
2009-09-30 水 10:27:19 /URL /脂 /
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「人だろうが物だろうが影響には関係ない」という脳内反論。
その場合、人だって物なんだから「物の影響」と考えられる。つまり「物の影響」は最初から「人の影響」を含んでいる。
ではなぜここで区別するかというと、わざわざそこから人側の幻想で区別しただけにすぎない「人なるもの」だからだ。つまり嘘だから。だからわたしはこう言っている。「だがそれを言っている「その人」は「人」だから真じゃない。」と。
「物の影響」ではなく「人の影響」を受けやすい、ということは、物視点から言えば「嘘を信じやすい」ということなんだよな。
2009-09-30 水 10:50:59 /URL /脂 /
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質問攻めにするのは「わからないから」じゃなくて「そいつを攻撃するため」って言えばこんな解釈にならなかったのにな。
2009-09-30 水 11:06:30 /URL /脂 /
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イトウさんは全然「孤児」じゃないよ。
2009-09-30 水 11:07:54 /URL /脂 /
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そうなんだよな。人は物であるのは厳然とした事実。だから「人じゃない物」ってのは逆幻想という意味で幻想なんだよ。
イトウさんはやはり言葉そのものとして言葉を受け取っているのかもしれない。その裏にある「人なるもの」が完全に消滅していると考えれば、彼の言っていることは矛盾しない。
とすれば彼は本当の現実界を生きている、ということになる。
しかし現実界は人間という物体である限り到達不可能。これは正常人でもキチガイでも同じ。
現実界に親近して生きているのがキチガイたちであり、「理論的に」現実界を生きているのはむしろ幻想である。
どっちかっていうとパラノイアだ。
そうだね。イトウさんは「強さ」という概念に執着していた。マッチョイズムに対する嫌悪など。本当に「強い/弱い」という概念に執着していなかったら、自分が強かろうが弱かろうが知ったこっちゃない。それに無関心だ。
イトウさんは「強い/弱い」に執着しすぎるあまり、「弱い自分」を、あるいは「不快を避けない自分」(イトウブログのコメント欄参照)を、後付のファルス化した。
自罰パラノイア、か。
もしかしたら自分は自罰パラノイアじゃないかと思った時期もあったが、そういうことか。
わたしは「不快は全て避けるもの」という快楽原則が幻想であり、現実は「不快は避けることもあれば向かってしまうこともある。不快による」という主張をしている。この「避ける不快/向かうべき不快」を、他の人間たちのそれと同期させるのが快楽原則と現実原則の組み合わせによるルールである。快楽原則と現実原則の組み合わせとは「人は不快を全て避けるものだ。しかし実際に生きていく上でそれだけではやってられないので、受け入れるべき不快を受け入れる」というもの。なんかどこにでもある大人の説教じゃん。
しかし、元々個人個人の肉体的現実として、統計的には物性として規格化されうるだろうが現実的には個人個人別々の、「避けてしまう不快と向かってしまう不快」があると考えなければならない。そうすれば快楽原則と現実原則の綻びは説明されうる。
……あ、話それた。
2009-09-30 水 11:55:44 /URL /脂 /
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矛盾する言い方だが、現実として幻想はある。真の上に偽が乗っかっている。なのにその偽だけを取り除こうとして、その下の空間までもぽっかり開いた元「真」は、真じゃない。混沌に穴を開けると混沌は死んでしまう。
向こうのコメント欄で、「イトウさんは不快を全部避けないのがキチガイだと勘違いしていないか?」と思い、「避ける不快もあれば避けない不快もあるのが現実だ」と指摘したところ、「そりゃーそうです、ときによります」となった。
そしてこちらのコメント欄に移ると、質問攻めを始めた。これは「自分は不快を避けない」というS1にもっとも近いS2を否定された結果、「弱い自分」というさらにS1に近いS2を、いやイトウさんにとってはS1なのかもしれないが(今後の動向による)、を主張し始めた、と考えることができる。
つまり、イトウさんは「不快を避けない」「弱いこと」という神を信仰していた、というわけ。
2009-09-30 水 12:03:05 /URL /脂 /
編集
要するにイトウさんは一番弱い人間になることで君主になろうとしたわけだな。
2009-09-30 水 12:17:04 /URL /脂 /
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まあ確かに弱いのかもしれないけれど。
2009-09-30 水 12:20:16 /URL /脂 /
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方法としては間違いじゃないんだよな。「自分を逆精神分析している」って考えれば。
正しいのか。イトウさんのやり方は。
おk。把握。
2009-09-30 水 12:32:19 /URL /脂 /
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そうだよな、待ち伏せ者だかを「逆精神分析」するのに「子供みたいにぎゃーぎゃー言い合えばいいのかと思ってた」とか言ってたもんな。
確かに間違いじゃないんだよな。手法として。
2009-09-30 水 12:33:18 /URL /脂 /
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わたしとは別人種だとわたしに思われただけだな。
2009-09-30 水 12:34:31 /URL /脂 /
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そもそもそうじゃん「自分を逆精神分析する」=「キチガイになりたがる」じゃん。
あーだめだこんな簡単なことだったのに……。
2009-09-30 水 12:35:58 /URL /脂 /
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しばらく「逆精神分析」は封印。
良心の呵責とか悪化にびびったんじゃなくて、論理に不備があったから。
2009-09-30 水 12:48:28 /URL /脂 /
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>イトウさんはやはり言葉そのものとして言葉を受け取っているのかもしれない。その裏にある「人なるもの」が完全に消滅していると考えれば、彼の言っていることは矛盾しない。
ああこれはやっぱりおかしいな。
本当に「人なるもの」が消滅してたら「わからないと質問が直結している」時もあれば「わからないなら考える」時もあるってなる。
あれ、「人なるもの」がある場合と同じだな。
物の反作用、って言葉を使ったことがあるが、「質問する」のも「考える」も反作用なんだよな。人として「質問し」たり「考え」たりすれば人。
んー、やっぱ「わからないと質問するが直結している」は違う気がするべ。
そもそも「質問する」のも「考える」のも「わからない」って苦痛からの忌避なんだから。
2009-09-30 水 13:23:04 /URL /脂 /
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あ、
>イトウさんは「不快を避けない」「弱いこと」という神を信仰していた、というわけ。
ってところのコメントは「イトウさんが神経症だった場合」の分析ってことで、本当のイトウさんがどうだかはまた別の問題、ってつもりで書いた、と書いておく。
2009-09-30 水 13:25:27 /URL /脂 /
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「質問」っていうのがあれなんか。
いやわからないものに対面しているんだから「質問」も「考える」のも同じなんだが。
わたしも他人のブログコメントを自分だけで埋め尽くすことがあるが、質問の連発度合いは低いよな。自分で考える>質問する。わたしは思考の開陳をしているだけで、それはまあわたしの思考なわけだからうんこみたいなものだけど、基本受身なイメージなんだよな。別にわたしの論に組してほしいわけじゃない。あっさり組してきたら「お前ほんとにわかってんの?」となる。ただ「あなたと違うわたしの意見」を開陳しているだけ。この思考は短い言葉で喋ることはできない。そもそも言葉ってそういうもの。常に不完全。だから、「あなたと違うわたしの意見」をなるだけ正確に記述するには、膨大な文量が必要になる。また、「考える」ことが物の反作用としての「考える」ではなく、自己防衛のそれ(つまり「物の考え」ではなく「人の考え」)として見られるのが嫌なので、なるべくリアルタイムに喋る。実況中継に近いんだよな、わたしの意識は。
まあ「自分の言葉が「物の考え」ではなく「人の考え」として見られるのが嫌」って、このコメントにおける「イトウさんを神経症者として仮定した場合の分析」なんてわたしがされていた嫌なことなんだよな。だからやんないってならないが。「自分がされたら嫌なことは相手にするな」って理屈破綻しているとしか思えない。相手がそれを嫌に思うかどうかなんて時と場合による。
2009-09-30 水 14:16:29 /URL /脂 /
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「考える」より「質問する」の方が「人なるもの」が介入しているよな。
イトウさんはわたしという「人なるもの」を破壊しようとして質問攻めにしたのなら未去勢者と言えるが、「わからないから質問する」っていうのはいびつに思えるなあ。未去勢者だとしたら。
いや、わたしを物だと思って質問しているのならありか。答えはどうでもいいっぽいから。でも答えてくれなかったら「別の方法を考える」っていうのが明らかに違うわな。
2009-09-30 水 14:20:28 /URL /脂 /
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まあ「わからない」からいろいろ仮説を並べている段階だと思ってくれ。
2009-09-30 水 14:22:40 /URL /脂 /
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つうか「未去勢者はわからん」って話なんだがな。
2009-09-30 水 14:25:58 /URL /脂 /
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>別の方法考える
別の方法、は、質問の仕方を変える、という意味ではなく、質問という発想そのものを変える可能性も含まれています。
というか脂さんに刺激をあたえられるのならそれが質問という形をしていようがしていまいがどうでもいい、らしいです。
「答えがどうでもいい」
というのは、相手のする反応全体を見る場合として、「答える/答えない」もまたその一つだから、です。
つまり、質問すること自体に一定の効果がある、ということです。
自分は、
「相手に質問すること」=「相手に刺激を加えること」
だと思っているからです。
自分でもそのあたりについて突っ込んで考えたことがなかったので、
今日になって自分のことについて考えてみたら、いくつかわかってきました。
そうか、自分は脂さんの反応が見たいだけなのか、刺激をあたえたいだけなのか、
最終的に脂さんが壊れたらいいのに、死ねばいいのに、と思っているらしいです。
これは、殺したい、という意味ですが、行為の中味だけを見るならば、「殺したい」より「壊れればいいのに」に近いので、「死ねばいいのに」と言いました。
「刺激をあたえる」=「殺す」にはならないので(あくまで一つのきっかけに過ぎないから)、脂さんが勝手に死ぬ、ということしかできない。
なら、そのきっかけ(刺激)をたくさん、いっぱいっぱい作れば、脂さんを殺せる可能性が高まるかもしれない、
とか、思っているらしいです。
きっかけをなるべく多く作れば作ればドミノ式に行きそうな気がするから。あくまで気がするだけ。
あああいやだな、言うと「ストーカーじみてる」とか言われるのが怖いからなるべく言いたくないのですが、
脂さんの反応を内容別に振り分けたりして観察したいです。
いや、観察というより実験ですね。
刺激反応別データ収集のような。
データがたくさん欲しいから、そのためには「質問する」「質問攻め」という一つの手段が有効かもしれない、と考えている面もあります。
「わからないから質問する」というのは、「脂さんを殺したい」
という自分の本心を隠蔽するための嘘だったのだろうな、と思います。
あーなんだすげえ簡単な問題だった。
自分は単に刺激を加えたかっただけらしい。
しかし自分は脂さんを論破できるほど頭が良くないし、むしろ学問的知識に乏しいクソガキなので、
その妥協策としての、「質問しまくる」か。
もっと良い方法があればそっちに移りたいので、
「別の方法を考える」こともあります。
「答え」の内容にあまり執着していないのは、「答え」に内容を求めていないからか。
「脂さんは何もレスポンスをしなかった」というのも、「レスポンスなし」という「反応」に含まれます。自分の言ってる「反応」は、広義だと思います、たぶん自分専用の使い方。
んー、それ以前に、自分は脂さんを人間だと思っていないそうです。
脂さんはゼリーでした、とか言われても「へえ、そうなんだ」とか返事しそうだな、と思いました。
脂さんに限らず、自分にとって他人は別に人間の形をしている必要はないけれど、たまたま人間の形をしているゼリーたち、と言った感じです。(この感覚は、現在より小学生・中学生だった頃のほうが強い、ですが)
あいつら中味ぜってえゼリーだっていう。
自分の腹とかも、臍をほじくったら緑色のゼリーがぼろぼろ出てくる気がする。
ああ、質問の答えだけではなく、質問の内容自体もそれほど関係ないんだな、今まで自分の言ってることに「なんか違うなー」って違和感があったけど、これで納得できました。
チャット残っていました。
http://digicha.jp/itou/chat_s_view.html
2009-09-30 水 19:26:18 /URL /イトウ /
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なんかどうでもよくなった。
本当にそのつもりで質問してたなら先に相手に読まれちゃだめだろ。
2009-09-30 水 19:36:39 /URL /脂 /
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>今まで自分の言ってることに「なんか違うなー」って違和感があったけど、これで納得できました。
これは誰にでもある。おそらく正常な着ぐるみを苦しまない正常人にも。
それをそのままにしておけるかどうかなんだよな。
それを考えてしまう=その違和感という不快に向かってしまう。
その違和感をつきつめるのってすなわち自己破壊だからね。
昔の作家はそういう人が多いんじゃね?
2009-09-30 水 19:39:14 /URL /脂 /
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>つまり、質問すること自体に一定の効果がある、ということです。
これも「質問」に限らないんだがね。「考える」だけで世界に対し一定の効果がある。相手は世界の一部だから複雑系を介して効果が生じるだろう、とわたしは思っている。素で。
2009-09-30 水 19:41:45 /URL /脂 /
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>「考える」だけで世界に対し一定の効果がある。相手は世界の一部だから複雑系を介して効果が生じるだろう、とわたしは思っている。素で。
ああそうそう、これがわたしの言う「呪い」。量子力学的世界観が土台にある。この「複雑系を介して」ってところを言明していないのが一般的語用の「呪い」だろうな。現代の「呪い」は相手に届かなきゃ失敗ってことになっているが、ここが民俗信仰の「呪い」とはちょっと違う気がする。成功とか失敗とかの問題じゃない、みたいな。「呪い」そのものを戒めているような言い方ってそういうことだと思うんだよな。精神医学用語で言う「魔術的思考」を控えましょう、って感じで。「呪い」が成功するか失敗するかってなると単なるコミュニケーションになっちゃうんだよな。「おかしいから質問する」って君のそれのようにね。
でも「呪い」としての「質問」ならまあわかるわ。
「呪い」も「人なるもの」に引っ張られてるから気をつけないとネー、と自分に言い聞かせておく。
2009-09-30 水 19:47:50 /URL /脂 /
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というわけでわたしはまあ納得できた部分があるので後はイトウさんは好きにしてくれ。
2009-09-30 水 19:49:46 /URL /脂 /
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>あああいやだな、言うと「ストーカーじみてる」とか言われるのが怖いからなるべく言いたくないのですが、
>脂さんの反応を内容別に振り分けたりして観察したいです。
>いや、観察というより実験ですね。
>刺激反応別データ収集のような。
この辺がすでにわたしの影響を受けているようでキモイ。わたしそういうこと言ったことなかったっけか。
つーか最初の一文あたりが正常人臭い(精液臭い)。
2009-09-30 水 20:00:32 /URL /脂 /
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>本当にそのつもりで質問してたなら先に相手に読まれちゃだめだろ。
じゃあ自分が質問しまくっても、
もう脂さんにはほとんど効果がないんですか。
あー……
2009-09-30 水 20:05:59 /URL /イトウ /
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効果がないっていうかわたしの方が
>いや、観察というより実験ですね。
>刺激反応別データ収集のような。
になってる。
2009-09-30 水 20:14:17 /URL /脂 /
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一応簡単に。
S1ってのは真理とか神みたいなもん。S2はS1に影響を受けた言葉(とここは簡単に言っておく)。
神経症者の場合、全ての言葉はS1の影響を受けている。S2しかない、ってモデリング。
2009-09-30 水 21:25:55 /URL /脂 /
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>あああいやだな、言うと「ストーカーじみてる」とか言われるのが怖いからなるべく言いたくないのですが、
>脂さんの反応を内容別に振り分けたりして観察したいです。
>いや、観察というより実験ですね。
>刺激反応別データ収集のような。
この文章は当時「もやもや」を感じつつ書いた部分なので、
今日その部分について改めて考えてみました。
「ぶっつけ本番(で質問攻め)」を事後的にまとめると、「実験」に近いものに見えるってだけらしい。自分は、最初の部分をすっとばして、それをただ「実験」だと勘違いした、と。
そうなると、自分には「データ」という、「ぶっつけ本番」の結果を事後的に整理するものは不要だな、と思いました、結果自体にあまり意味を求めていないので。
「「ぶっつけ本番」の繰り返し」、であればいいだけらしいです。
ああそうか自分の場合データいらないのか。
事後的に自分の行為をまとめる、ということ自体も不要、らしい。
なんだか独り言的な内容なのでアブラブに書き込むのは不適切だったかもしれない。
ストーカーうんぬんは、アブラブログの読者の多さにビビったから書いた面が大きいです。
読者が多い、というのは、自分の場合、それだけで脅威に感じるので。
もしかしたら総攻撃されるんじゃないかという。
単なる被害妄想といえばそれだけですが。
だから自分のブログはパス制にしています。
2009-10-01 木 16:58:44 /URL /イトウ /
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