食わず嫌い
2009/10/12/Mon
もともと磐石に繋がっているそれが切れてしまうことへの恐怖、と、繋がっているかどうかはわからないがかすかに繋がっている、繋がっているかもしれない希望が残っているだけのそれが切れてしまうことへの恐怖、か。
もともと心的距離を操作できる力はあるが、なんらかの理由でそれが遠いままになってしまうことへの恐怖、と、心的距離を操作できる力自体が弱くて、結果それが遠くなってしまうことへの恐怖。「遠い」ってのも違うな。後者は距離自体が消滅する。距離が消滅するので、距離の二端である自分と他人も消滅する。
消滅しても身体反応は残っている。物質として。
身体反応を棄却した世界に慣れてしまった去勢済み主体たちは、心的距離が遠くなったり距離自体が消滅することについて、「無」的なものを感じるだろう。
物質としての身体反応は残っているのに、なぜ「無」になるのか、どうしてもわたしは理解できない。
「無力感」(笑)とか、もともと力を持っていたから感じるんじゃねえか? もともと無力ならそれを無力と思わんよ。「強い/弱い」に無関心だったら自分が強かろうが弱かろうが関係ない。ただそうあるだけ。物質的な反応も「力」と呼ぶなら、先の文章の「力」とは違う意味になるが、「物質的な反応としての力」を振り回すだけだろう。
「無」っていう言葉自体が人間臭い。「無」そのものが人工なんだよ。物理的に完全な「無」なんてありえないのに。慣性の法則が完璧に適用される場なんて自然には存在しない。ブラウン運動の方が自然だ。
やっぱだめだなあ。だめで当たり前なんだよ。だめだから見捨てるとか無駄なあがき。だめがデフォなんだから。自然なんだから。
スナックのババアの説教みたいだな。いや表向きは全然違うけど構造的に。スナックのババアこそが無我の境地だという暴論。ああ「無我」もそうよね。そもそも「我」が人工なんだから、それを「無」にするのだって人工になるって意味で。人工ってか人為か。
以下は関係ない読者はスルーでよろ。
もぐもぐさんやあきさんが死んだらその死には薬師さんにとって意味があって、わたしの死には意味がない、ということか。わたし向けに翻訳すると。「俗すぎる」ってのも「慣性の法則が完璧に適用される場なんて自然には存在しない」って意味で解釈すると「そうだねえ」と思う。量子がなんの力の影響も受けず状態を保ち続けるなんてありえない。加速するし減速するのが自然。粘着的なのが自然。
だけどそんな物自体的な世界はそれこそ精神病患者の苦痛に塗れた主観世界と同じなわけで、精神病じゃない人間たちは人工の柵を持っている。多くの人たちはその柵が幻想的な主観世界を構築するための軸となっている。生後二年以内に。これが去勢済み主体で軸がファルス。軸になりきれておらず柵のままなのが精神病患者を含む未去勢者たち。柵で囲って、たとえば慣性の法則が完璧に適用される世界に近似する領土を作ろうとしたりする。「脱領土」(笑)じゃなくて「領土を作る」段階なんだな。って誰に向けて喋っているのかわからなくなったな。最初の一文撤回。もういいよ誰が読もうと。誰のことを言っているか適当に妄想してもらって。
軸になっているとはいえその領土はしょせん幻想なわけだから、土台にある物自体の世界の影響は避けられない。スターンの自己感形成論が参照できるか。生まれた直後の自己感からさまざまな自己感が層状に重なっていく。服を着重ねていくように自己感は成長する。だけどもともと着ていた服を脱いでいるわけじゃない。下層には昔の自己感が保存されている。そういう感じ。要するに精神病の病原は全ての人間が既に持っているってこと。ただそこから防衛する機能が「(正常な)人間ってすごいねー」ってこと。これはビオンのα要素・β要素とかが説明道具として有効だろう。この防衛機能がすごいからみんな精神病にならないだけってこと。
柵を作ろうとしている未去勢者、か。なんか一応の結論を見た感じがする。わたし個人の感覚として。
わたしに興味持ってくれてない状態の方が観察するには好条件なんだよね。しかし観察する時点で物理的な相関はしている。観察者が物理的影響を及ぼしてしまうのは避けられない。理科の実験ってそうでなきゃならないって習わなかった? 実験者が余計な操作をしてはならない、みたいな。そんなの厳密には無理だよーって暴露しちゃったのが量子力学なわけだ。余談でした。
あとはー、そうね、発情期の猫みたいだ。そういえばこんな話を聞いたことがある。交尾するにはまだ不充分な幼雌猫に大人の雄猫が発情した。物質的に不充分なのだから当然行為はなかなかうまくいかない。怒った(?)雄猫は幼雌猫を噛み殺してしまった。そんなお話。嘘か本当かは知らない。人間に置き換えたら「成年男子による幼女レイプ殺人事件」になるわけだが、人間の雄が持っているような「少女とは清純で美しいもの」などという幻想は、さすがに猫は持っていないだろう。従って、幼雌猫も不充分ながらになんらかのフェロモンっつか性的サインみたいなものを出していたんだと思う。物質的にね。本人じゃなくて本猫の意識関係なく。それを敏感に感じ取った雄猫が行為に及んだ、と。っていうか犬猫って結構子供殺しちゃうよな。口でくわえて運ぶ時力加減がうまくいかなかった、とか。体のでかい個体だと寝ている間に圧殺しちゃった、とか。飼い犬が出産する時、「この子は初産だから子供死なせないようにちゃんと見張っとかなきゃね」と祖母が言った。「犬って出来損ないの子供は噛み殺しちゃうんだよ」とかって言ってたな。大人になってから調べたらわりとマジ話らしい。犬は優しいよな。出来損ないを無理矢理生かす人間なんかと比べて。
あなたの発言採用してみたよ、薬師さん。日記や書いては消してる文章絡めての印象ね、「発情期の猫」は。
まーその猫が発情期かどうかなんて見てる人間が勝手に判断してるだけで、当の猫が「自分は発情期だ」なんて自覚しているわけないよな。
……あ、柵を作ってるのはわたしなのかもしれないけどね。食物だって異物だ。食べると胃が収縮するのがわかる。だから食べない。食べたくないとか食欲がないじゃなくて、でも多分医者に説明する時はそう言うんだろうけど、いっぱいいっぱいなんだよな。「食わず嫌い」の方が近い気がする。食べたことのないものを食べるなんて嫌に決まってるだろ、もし無理矢理食べようとしたらパニックになるに決まってるだろ、という意味で。
宗教者の主観世界の主張(「告白」とかになるのか)とキチガイの主張ってどう違うのかが最近まじでわからなくなってきた。
信じることは己を束縛すること。束縛されたい。しかし束縛されてくれない。無能な肉体が。無能だが無限の力を持っている肉体が。
……最近自分の文章が宗教臭くてかなわん。
呆れた。宗教者やキチガイに呆れたんじゃなくて、それら区別して、自分が区別しておきながら区別していないと言い張る一般人に。
ニーチェの時代から何も変わってないよ。普通に。
それでこそ人間。
変わらないと思うよ。そうである事実を、あなたたちが聞きたくない事実を、いつも否認している事実を、わたしは指摘しがちだけれど、別に「変わってくれ」と言っているんじゃないもの。「死ね」とは思っているけれど。ニーチェとかがそう言ったからじゃなくて、わたしが嫌悪を覚えるから。私怨ですよ? ええ。ニーチェとか精神分析はこの嫌悪の言い訳。ただのお化粧。使わない言い方をするならもっとねちっこく言うかな。だってそうしないとこの嫌悪は、この不愉快さは、伝わらないから。
単に「お前うんこついてるよ」って言ってるだけなのにね。
もともと心的距離を操作できる力はあるが、なんらかの理由でそれが遠いままになってしまうことへの恐怖、と、心的距離を操作できる力自体が弱くて、結果それが遠くなってしまうことへの恐怖。「遠い」ってのも違うな。後者は距離自体が消滅する。距離が消滅するので、距離の二端である自分と他人も消滅する。
消滅しても身体反応は残っている。物質として。
身体反応を棄却した世界に慣れてしまった去勢済み主体たちは、心的距離が遠くなったり距離自体が消滅することについて、「無」的なものを感じるだろう。
物質としての身体反応は残っているのに、なぜ「無」になるのか、どうしてもわたしは理解できない。
「無力感」(笑)とか、もともと力を持っていたから感じるんじゃねえか? もともと無力ならそれを無力と思わんよ。「強い/弱い」に無関心だったら自分が強かろうが弱かろうが関係ない。ただそうあるだけ。物質的な反応も「力」と呼ぶなら、先の文章の「力」とは違う意味になるが、「物質的な反応としての力」を振り回すだけだろう。
「無」っていう言葉自体が人間臭い。「無」そのものが人工なんだよ。物理的に完全な「無」なんてありえないのに。慣性の法則が完璧に適用される場なんて自然には存在しない。ブラウン運動の方が自然だ。
やっぱだめだなあ。だめで当たり前なんだよ。だめだから見捨てるとか無駄なあがき。だめがデフォなんだから。自然なんだから。
スナックのババアの説教みたいだな。いや表向きは全然違うけど構造的に。スナックのババアこそが無我の境地だという暴論。ああ「無我」もそうよね。そもそも「我」が人工なんだから、それを「無」にするのだって人工になるって意味で。人工ってか人為か。
以下は関係ない読者はスルーでよろ。
もぐもぐさんやあきさんが死んだらその死には薬師さんにとって意味があって、わたしの死には意味がない、ということか。わたし向けに翻訳すると。「俗すぎる」ってのも「慣性の法則が完璧に適用される場なんて自然には存在しない」って意味で解釈すると「そうだねえ」と思う。量子がなんの力の影響も受けず状態を保ち続けるなんてありえない。加速するし減速するのが自然。粘着的なのが自然。
だけどそんな物自体的な世界はそれこそ精神病患者の苦痛に塗れた主観世界と同じなわけで、精神病じゃない人間たちは人工の柵を持っている。多くの人たちはその柵が幻想的な主観世界を構築するための軸となっている。生後二年以内に。これが去勢済み主体で軸がファルス。軸になりきれておらず柵のままなのが精神病患者を含む未去勢者たち。柵で囲って、たとえば慣性の法則が完璧に適用される世界に近似する領土を作ろうとしたりする。「脱領土」(笑)じゃなくて「領土を作る」段階なんだな。って誰に向けて喋っているのかわからなくなったな。最初の一文撤回。もういいよ誰が読もうと。誰のことを言っているか適当に妄想してもらって。
軸になっているとはいえその領土はしょせん幻想なわけだから、土台にある物自体の世界の影響は避けられない。スターンの自己感形成論が参照できるか。生まれた直後の自己感からさまざまな自己感が層状に重なっていく。服を着重ねていくように自己感は成長する。だけどもともと着ていた服を脱いでいるわけじゃない。下層には昔の自己感が保存されている。そういう感じ。要するに精神病の病原は全ての人間が既に持っているってこと。ただそこから防衛する機能が「(正常な)人間ってすごいねー」ってこと。これはビオンのα要素・β要素とかが説明道具として有効だろう。この防衛機能がすごいからみんな精神病にならないだけってこと。
柵を作ろうとしている未去勢者、か。なんか一応の結論を見た感じがする。わたし個人の感覚として。
わたしに興味持ってくれてない状態の方が観察するには好条件なんだよね。しかし観察する時点で物理的な相関はしている。観察者が物理的影響を及ぼしてしまうのは避けられない。理科の実験ってそうでなきゃならないって習わなかった? 実験者が余計な操作をしてはならない、みたいな。そんなの厳密には無理だよーって暴露しちゃったのが量子力学なわけだ。余談でした。
あとはー、そうね、発情期の猫みたいだ。そういえばこんな話を聞いたことがある。交尾するにはまだ不充分な幼雌猫に大人の雄猫が発情した。物質的に不充分なのだから当然行為はなかなかうまくいかない。怒った(?)雄猫は幼雌猫を噛み殺してしまった。そんなお話。嘘か本当かは知らない。人間に置き換えたら「成年男子による幼女レイプ殺人事件」になるわけだが、人間の雄が持っているような「少女とは清純で美しいもの」などという幻想は、さすがに猫は持っていないだろう。従って、幼雌猫も不充分ながらになんらかのフェロモンっつか性的サインみたいなものを出していたんだと思う。物質的にね。本人じゃなくて本猫の意識関係なく。それを敏感に感じ取った雄猫が行為に及んだ、と。っていうか犬猫って結構子供殺しちゃうよな。口でくわえて運ぶ時力加減がうまくいかなかった、とか。体のでかい個体だと寝ている間に圧殺しちゃった、とか。飼い犬が出産する時、「この子は初産だから子供死なせないようにちゃんと見張っとかなきゃね」と祖母が言った。「犬って出来損ないの子供は噛み殺しちゃうんだよ」とかって言ってたな。大人になってから調べたらわりとマジ話らしい。犬は優しいよな。出来損ないを無理矢理生かす人間なんかと比べて。
あなたの発言採用してみたよ、薬師さん。日記や書いては消してる文章絡めての印象ね、「発情期の猫」は。
まーその猫が発情期かどうかなんて見てる人間が勝手に判断してるだけで、当の猫が「自分は発情期だ」なんて自覚しているわけないよな。
……あ、柵を作ってるのはわたしなのかもしれないけどね。食物だって異物だ。食べると胃が収縮するのがわかる。だから食べない。食べたくないとか食欲がないじゃなくて、でも多分医者に説明する時はそう言うんだろうけど、いっぱいいっぱいなんだよな。「食わず嫌い」の方が近い気がする。食べたことのないものを食べるなんて嫌に決まってるだろ、もし無理矢理食べようとしたらパニックになるに決まってるだろ、という意味で。
宗教者の主観世界の主張(「告白」とかになるのか)とキチガイの主張ってどう違うのかが最近まじでわからなくなってきた。
信じることは己を束縛すること。束縛されたい。しかし束縛されてくれない。無能な肉体が。無能だが無限の力を持っている肉体が。
……最近自分の文章が宗教臭くてかなわん。
呆れた。宗教者やキチガイに呆れたんじゃなくて、それら区別して、自分が区別しておきながら区別していないと言い張る一般人に。
ニーチェの時代から何も変わってないよ。普通に。
それでこそ人間。
変わらないと思うよ。そうである事実を、あなたたちが聞きたくない事実を、いつも否認している事実を、わたしは指摘しがちだけれど、別に「変わってくれ」と言っているんじゃないもの。「死ね」とは思っているけれど。ニーチェとかがそう言ったからじゃなくて、わたしが嫌悪を覚えるから。私怨ですよ? ええ。ニーチェとか精神分析はこの嫌悪の言い訳。ただのお化粧。使わない言い方をするならもっとねちっこく言うかな。だってそうしないとこの嫌悪は、この不愉快さは、伝わらないから。
単に「お前うんこついてるよ」って言ってるだけなのにね。