そっち側
2009/10/15/Thu
やっすいスナック。仕事を終えた水商売の女たちがどこぞの男たちとたむろしている。
さすがにもう水商売と間違えられない。そんな格好しなくなって久しい。
ボトルは鏡月。一番安いの。いや、単価で言えばJINROのペットボトルの方が安いけど、飲みきれなくなるのが怖くて頼まない。急に来なくなると気づかれそうだから。ボトルなら飲みきって帰ることが多くなる。
死んだら関係ないのにね。そう思うけどこうしてしまうのは、この店になんらかの思い入れがあるからだろう。
本当に他人に興味を持たない。持つことはあるけれど、瞬間的だ。次の日にはみんな忘れている。
一秒一秒が別々のわたしにとっては適切な場所だ。
上階のフィリピンパブが潰れたらしい。フィリピーナたちも来なくなった。この店もやばいんじゃない? と聞くと、それで潰れるならとっくに潰れてるよ、と返された。趣味でやってるようなもの? 違うよ、大変だよ生活は。あはは。どんな生活をしているのかまで誰も突っ込まない。誰もマスターの生活になんか興味ない。隣の男の方が大事だ。
わたしは必ず一人だ。どんな店でもそう。一人酒というわけじゃない。常連と知り合えば常連たちと話す。
たまたまわたしはそこにいるだけ。そういうのがいい。男と会うのも、待ち合わせなんかじゃなく、店にいたらたまたまいた、というのがいい。
その方が正直になれる。待ち合わせすると化粧しなきゃならない。化粧は誤解を生む。誤解が誤解を生む。疲れる。
心と心が遠い方が、わたしにとっては近い。心と心の距離そのものが嘘だから。距離が遠ければ嘘は希薄になる。近くなる。
客が少なくなると、マスターはテレビを見始める。よく見ている海外ドラマをやっていた。わたしも見たい、と言うと、カウンターの中に向けていた画面をこっちに向けてくれた。マスターはカウンターに寄りかかるようにして見るはめになる。迷惑かもしれないけれど、こっちは客だもん。
他の客の会話がうるさくて内容が全部理解できない。録画予約したっけな、と思う。あやふやだ。録画してたらあとで見ればいいや、と思う。だけど録画してなかったら次回からの話が理解できなくなるので、一応見る。周りがうるさくて全部理解できないけど、大体理解してればいいや、と思う。
これだ。
これが正常人化だ、と思う。
大体理解してればいいんだよ。
周りがうるさくて全部理解できないのが普通なんだ。だから仕方なく人は大体の理解をする。慣れてしまえば無意識的にできるようになる。
大体自分と似ているから相手を愛することができる。大体自分と同じだから、大体のそこについては予測できる。予測が当たる。不確定性は見ないようにする。
相手の悪いところを見ない、というのは相手の予測不可能なところを見ない、と等値だ。
予測不可能なことが表れると人は不快を感じる。この不快は一般的な「好き/嫌い」で言う「嫌い」じゃない。自動的に筋肉が収縮するという意味での不快だ。だから「不快」という表現も不充分だけど、今わたしの思いつく言葉はこれしかないのでそう言うしかない。
これも大体だ。不充分だけど大体「不快」だから「不快」と表現する。
言葉にならないところを、予測不可能なところを、筋肉が収縮してしまう刺激を、棄却する。大体で妥協する。
この社会全てが大体なんだよね。わたしから見れば。世界を大体化したのが社会。物の世界を大体化したのが人の世界。象徴化、想像化。ラカンっぽく言ってみた。
ペットボトル頼んじゃおうかな、と思った。大体だから。ボトルがいつまでも残ってマスターがわたしを思い出すかどうかなんて予測不可能だ。単価はこっちの方が安いんだから経済的だ。鏡月もJINROもそう変わらない。
でも白波頼んだ。ボトルで。マスターがいつも飲んでて、グラスで頼むことはあったけど、ボトルは今までなかったんじゃないかな。そんなのどうでもいいって? だって高いじゃん。ああそうだよね生活大変なんだよね。
えー、あー、ロックで。調子こきすぎ? すぐ帰るよ。もう若くないしね。
アル中も疑れたな、そういや。精神科で。確かに当時かなーり飲んでたけどね。自宅療養(要はひきこもり)し始めたら全然飲まなくなったけど。
大丈夫だって。酒自体おいしいと思わないもん。むしろ苦痛。人の中で生きていくことも苦痛だけど、世の中を大体化してそこで生きていくわけでしょ。それと同じ。お酒飲むと大体化できるじゃん。わたしはね。社会で生きていくために、自己防衛するために飲まなきゃいけなかったんだよ、ってマジでアル中の言い分だ(笑)。
ゲロなんてもう何年も吐いてないよ。さすがに。
なんだあ、そういうことか。言ってくれないんだもの。カラオケいらないよ。もうそんな空気じゃないっしょ。
でも泣けるな。今。こんなんじゃ仕事行けないナーと思ったケド、昨日引退してマシタ。
リンクした動画Pさん出てこなかったら褒めてあげたのに。まあ歌そのものに相手の男登場してるから、解釈としてはそっちが正しいんだけどね。
わたしは間違った解釈でこの歌を聞いてる。でもPさんが出てくる前のマンガはいい感じだったよ。
海外ドラマ、録画できてなかった。まあいいや、と思った。
自分の頭がミイラ化している夢を見た。体までなっていたかは覚えていない。わからない。表情を作るたびにきしきし音がなる。髪の毛も抜けているはずなのに頭は重い。蛆虫か。ミイラなら蛆はいないだろう。でも自分の頭なので確認しようがない。
時計が鳴らない。鳴るのだろう、と思っていたのだろうか。鳴るはずだと思っていたから鳴らない、と思ったのか。わからない。
音、イメージ。
自分のことなのに自分の手が触れたものは信じてもらえない。証拠能力はない。客観性を損ねると言われ採用されない。そういうことか。
それなのになぜ人は自分を「自分」と言えるのだろう。
その「自分」ってただの防衛機制にすぎないじゃん。
さすがにもう水商売と間違えられない。そんな格好しなくなって久しい。
ボトルは鏡月。一番安いの。いや、単価で言えばJINROのペットボトルの方が安いけど、飲みきれなくなるのが怖くて頼まない。急に来なくなると気づかれそうだから。ボトルなら飲みきって帰ることが多くなる。
死んだら関係ないのにね。そう思うけどこうしてしまうのは、この店になんらかの思い入れがあるからだろう。
本当に他人に興味を持たない。持つことはあるけれど、瞬間的だ。次の日にはみんな忘れている。
一秒一秒が別々のわたしにとっては適切な場所だ。
上階のフィリピンパブが潰れたらしい。フィリピーナたちも来なくなった。この店もやばいんじゃない? と聞くと、それで潰れるならとっくに潰れてるよ、と返された。趣味でやってるようなもの? 違うよ、大変だよ生活は。あはは。どんな生活をしているのかまで誰も突っ込まない。誰もマスターの生活になんか興味ない。隣の男の方が大事だ。
わたしは必ず一人だ。どんな店でもそう。一人酒というわけじゃない。常連と知り合えば常連たちと話す。
たまたまわたしはそこにいるだけ。そういうのがいい。男と会うのも、待ち合わせなんかじゃなく、店にいたらたまたまいた、というのがいい。
その方が正直になれる。待ち合わせすると化粧しなきゃならない。化粧は誤解を生む。誤解が誤解を生む。疲れる。
心と心が遠い方が、わたしにとっては近い。心と心の距離そのものが嘘だから。距離が遠ければ嘘は希薄になる。近くなる。
客が少なくなると、マスターはテレビを見始める。よく見ている海外ドラマをやっていた。わたしも見たい、と言うと、カウンターの中に向けていた画面をこっちに向けてくれた。マスターはカウンターに寄りかかるようにして見るはめになる。迷惑かもしれないけれど、こっちは客だもん。
他の客の会話がうるさくて内容が全部理解できない。録画予約したっけな、と思う。あやふやだ。録画してたらあとで見ればいいや、と思う。だけど録画してなかったら次回からの話が理解できなくなるので、一応見る。周りがうるさくて全部理解できないけど、大体理解してればいいや、と思う。
これだ。
これが正常人化だ、と思う。
大体理解してればいいんだよ。
周りがうるさくて全部理解できないのが普通なんだ。だから仕方なく人は大体の理解をする。慣れてしまえば無意識的にできるようになる。
大体自分と似ているから相手を愛することができる。大体自分と同じだから、大体のそこについては予測できる。予測が当たる。不確定性は見ないようにする。
相手の悪いところを見ない、というのは相手の予測不可能なところを見ない、と等値だ。
予測不可能なことが表れると人は不快を感じる。この不快は一般的な「好き/嫌い」で言う「嫌い」じゃない。自動的に筋肉が収縮するという意味での不快だ。だから「不快」という表現も不充分だけど、今わたしの思いつく言葉はこれしかないのでそう言うしかない。
これも大体だ。不充分だけど大体「不快」だから「不快」と表現する。
言葉にならないところを、予測不可能なところを、筋肉が収縮してしまう刺激を、棄却する。大体で妥協する。
この社会全てが大体なんだよね。わたしから見れば。世界を大体化したのが社会。物の世界を大体化したのが人の世界。象徴化、想像化。ラカンっぽく言ってみた。
ペットボトル頼んじゃおうかな、と思った。大体だから。ボトルがいつまでも残ってマスターがわたしを思い出すかどうかなんて予測不可能だ。単価はこっちの方が安いんだから経済的だ。鏡月もJINROもそう変わらない。
でも白波頼んだ。ボトルで。マスターがいつも飲んでて、グラスで頼むことはあったけど、ボトルは今までなかったんじゃないかな。そんなのどうでもいいって? だって高いじゃん。ああそうだよね生活大変なんだよね。
えー、あー、ロックで。調子こきすぎ? すぐ帰るよ。もう若くないしね。
アル中も疑れたな、そういや。精神科で。確かに当時かなーり飲んでたけどね。自宅療養(要はひきこもり)し始めたら全然飲まなくなったけど。
大丈夫だって。酒自体おいしいと思わないもん。むしろ苦痛。人の中で生きていくことも苦痛だけど、世の中を大体化してそこで生きていくわけでしょ。それと同じ。お酒飲むと大体化できるじゃん。わたしはね。社会で生きていくために、自己防衛するために飲まなきゃいけなかったんだよ、ってマジでアル中の言い分だ(笑)。
ゲロなんてもう何年も吐いてないよ。さすがに。
なんだあ、そういうことか。言ってくれないんだもの。カラオケいらないよ。もうそんな空気じゃないっしょ。
でも泣けるな。今。こんなんじゃ仕事行けないナーと思ったケド、昨日引退してマシタ。
リンクした動画Pさん出てこなかったら褒めてあげたのに。まあ歌そのものに相手の男登場してるから、解釈としてはそっちが正しいんだけどね。
わたしは間違った解釈でこの歌を聞いてる。でもPさんが出てくる前のマンガはいい感じだったよ。
海外ドラマ、録画できてなかった。まあいいや、と思った。
自分の頭がミイラ化している夢を見た。体までなっていたかは覚えていない。わからない。表情を作るたびにきしきし音がなる。髪の毛も抜けているはずなのに頭は重い。蛆虫か。ミイラなら蛆はいないだろう。でも自分の頭なので確認しようがない。
時計が鳴らない。鳴るのだろう、と思っていたのだろうか。鳴るはずだと思っていたから鳴らない、と思ったのか。わからない。
音、イメージ。
自分のことなのに自分の手が触れたものは信じてもらえない。証拠能力はない。客観性を損ねると言われ採用されない。そういうことか。
それなのになぜ人は自分を「自分」と言えるのだろう。
その「自分」ってただの防衛機制にすぎないじゃん。