精神分析家たちは包茎である。
2009/10/16/Fri
最近気づいたんだけどニコニコ大百科の「対象a」の項目にこの記事がリンクされてた。
おーい、いいのかい、ラカニアンさんたちよ。
陰口叩くだけなら精神分析と言えないぜ? 学会発表なんか要はクライアントについての陰口大会じゃないか。だから学会発表は精神分析じゃない。あ、わたしゃ別に陰口そのものをやめろなんて言わないから、学会発表はやっていいんだよ? だけどさ、あんたらの本分はクライアントと向き合う臨床だろ?
だからおいでつってんの。
こっちから出向くこともあるけど、公開セックスになるから嫌なんだよね。
ここじゃなくてもいいけど、どっか場所用意してくれるなら出向くよ。ネット上ならどこでも。リアルならいろいろ吟味する要件が増えるけど、多分行くんじゃないかな。
お前らにレイプされにね。
フロイトも言ってたじゃん。「あんたその夢の男にレイプされたがってんだよ」って。
つかま、しょせんニコニコだしな。便所の落書きの派生サイト。
うん、お前らよくわかってんな、便所の落書きにこそわたしのブログはふさわしい。
わたしはうんこそのものだ。
来なきゃ来ないでいいよ。精神分析自体に興味薄れてきてっから、一応言ってみただけ。
興味が薄れていくことが怖いんだよ。
欲動とはばらばらな矢印。それが束ねられて興味になる。束ねられた興味はたとえば殺意になったり所有になったりする。
所有とは把握で、握り潰しちゃうから、殺意になる。
そうだよね。所有・把握したものは所有・把握できなかった物とは別物。所有・把握可能性についての確信がその人の中にあったら幻想的に同じ物だってなるだけで。一旦所有・把握しちゃうと所有・把握は可能だと確信できるから、所有・把握できなかった物は存在しなくなる。所有・把握できなかった物は殺害される。
要するにわたしって物が精神分析って掌からこぼれちゃうよ、と言ってるわけ。
まーいいならいいや。そりゃいいよね。あんたらにしたらうんこ持ってるようなもんだから。ばっちいもんは投げ棄てるよなそりゃ。
ばらばらな欲動は時に濁流になる。濁流と言うと束ねられてるように思えるが、無方向な濁流。濁流というか静かな水面。水面では粒子がブラウン運動をしている。
濁流が涙になる。
おそらく最初の束ねられた矢印は、泣くことだ。赤ん坊の泣き声。
わたしにとって中島みゆき的ポジションとは、自己防衛のための砦だ。この砦は成長するにつれ変えなきゃならない。たまたま昔聞いてた歌手が砦の材料として有効だっただけ。
そうしていれば、心と心の距離を近づけられることはない。その状態で物質的に近づけば、幻想的な性欲ではなく獣的な性欲が向かってくる。これも矢印を束ねたものだけど、幻想的な性欲は矢印を束ねてさらに鏡で反射させ一回転させている。それよりかわたしという物に近いってだけ。獣的な性欲は。どちらも嫌だけど、そっちの方が本当に近いってだけ。
うん、わたしはあんたらの皮を剥いでやりたいんだ。
精神分析家たちの鉄面皮を。
あんたら全然物じゃないよ、対象aなんかじゃないよ、ってことを証明するために。
対象aのふりしてるだけ。
あんたらもオタクたちと変わんないよ。「お前らは去勢を否認してる、否認してるんだウキー」とかなんとか言って見下しているオタクたちと。
聞いてる? たまきん。
いやたまきんだけに言ってるんじゃないけどね。つかたまきん精神分析家じゃねえし。
去勢の否認に対しそんなにヒステリックに反応することがお前らの去勢の否認を示していると思うんだがな。
おらかかってこいよ包茎ども。
「ポストモダンなんてしょせん言葉遊びじゃん」ってよく言われてるけど、実際にそうなんだけど、それを「言葉遊び」と感じているのはそいつ自身で、それを言っている当人にとっては「言葉遊び」じゃないかもしれない。結局こいつの思考回路も「精神疾患なんて甘えだろ、努力が足りないんだ努力が」と同じで、「俺の勃起したちんちんすげえだろ、萎えさせてみろよ」と言っているようなもんなんだな。
だから萎えさせてあげればいいと思う。「言葉遊び」で。
わたしはそれだけじゃ足りないからバーリトゥードでやるけど。凶器あり、感情論あり、ストーキングあり、嫌がらせありの。
人格崩壊まで持っていくにはそこまでしなくちゃなんないのよ。めんどくさいわあ。
まあ包茎よか皮を剥く手間が省かれてるから楽なのかもしんない。実際こういう奴に限って精神分析のメスを入れると「ウキー」ってなる傾向が強いし。空元気なんだなーって思う。そりゃそうだよ、四六時中勃起してるペニスなんてあるわきゃないじゃん。
夜中に喉が渇いて起きようとする。起きたと思っても寝ている。金縛りで起きられないんじゃなくて、起きても起きても夢だった、という感じ。
それでも上半身だけ起きられた。と思ったらやっぱり寝ている。
なので、起きられたと思ったら壁に張りついてみた。お尻が浮く。いけるかな、と思ったけれど、気がつくと頭を逆方向にして寝ている。起き上がりこぼし状態。
どうも上下の感覚がなくなってしまったように思う。目で見てこっちが上、こっちが下、とわかるのに、身体的な知覚が重力を感じられなくなったような。頭はまともだけど体だけが無重力状態になったような。だから立てなくなっている。
でも体は動く。首だけを動かす。薄闇の中、ベッドの横を誰かが素通りする。母親か、と思う。でも母は今実家に帰っている。怖くなって目をそらす。顔を壁の方に向ける。
ぺたぺたぺた、と音がする。母親がトイレから戻ってきたのだ、と思って、でもいないんだよな、と思い直す。
ぺたぺたぺた、という音が増殖する。何人もの誰かがわたしの部屋の中を歩いている。商店街の軒先に並べられた商品のような気持ちになる。買い物客たちを見てやろうと思う。
それは文字だった。
わたしのブログ。このブログじゃない。健康だった社会人時代に作ったものだ。そんなの作った記憶はない。家でネットするなら飲みに行くわ、って時代だ。だけどそういうブログ。よくあるスイーツ(笑)なブログ。会社での愚痴やお気に入りの店のことや化粧品のことなどについて、全くくだらない文章を垂れ流している。わたしが書いた文章じゃないと思う。
でもわたしが書いたものだ。昔のわたしが。
数年ほど放置していたようだが、数日前に記事がアップされていた。
わたしは2ちゃんねるのある板でコテをやっていて、その板の住民が主な読者なようだ。
しばらくコテで姿を見せなかったのだが、ふらっと思い出したかなんかして、何年かぶりでスレに書き込んだらしい。
その時は当時の知り合いなどいなくて、ちょっとがっかりした。
だけどその後、「○○(コテ名)が復活したらしいぞ」とスレで晒されたらしく、当時の知り合いたちがコメントをつけてくれていた。百数件ほど。
いや、結構名前は知られてたのよ、コテスレも立てられたことあるし。
書かれていたコメントは2ちゃんねららしく、「生きてたのか」とか「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」とか「さげまんの女王復活か……(ガクブルAA)」とか「結婚できた?(できるわけがないと知ってて書き込んでいる)」とか悪意にまみれたものだったが、わたしじゃないわたしは温かみを感じていた。この温かみはこのブログで言うところの「精液」なのだが、わたしじゃないわたしは精液まみれになって喜んでいた。さらさら精液。
よく見ると、今日の日付で記事がアップされている。わたしじゃないわたしがついさっきアップしたのだろうか。
そこには短い文章が書かれていた。わたしはそれが理解できなかった。本当に何が書いてあるのかわからなかった。一つ一つの言葉の意味はわかるのだが、文章として理解できない。「目玉」という単語が三回書かれていた。短い文章の中に。
記事には画像もアップされていた。頭のない人体が複数のメビウスの輪のように絡み合っている画像。これは見たことがある、と思った。グロ+シュール系だが、あざとくてつまらないと思った絵。
起き上がってパソコンの電源を入れる。マイピクチャフォルダを開く。この絵だけは現実にあったものだと確認したかった。だけどなかった。
誰かご存知ありませんか? 背景は青と黒が基調になっていたと思います。
立ち上がろうとしてうまく歩けない。猿のような歩き方で台所に行き、牛乳を沸かす。牛乳なのにヤカンで沸かしている。あれ? と思って目が覚めた。
「アツイ」と無意識に口走った。寒かったのに。
あやべ、『秋ぎつね』ひさしぶりに聞いて泣きそうになった。あれ? 『しっぽのきもち』だけiTuneに落としてなかったんか。獣が人に恋をする、ねえ(笑)。きっちり成就しないとこがいいよな。ラストは「ふられたきつねに希望を与える」なんて解釈ではなく、きつねは一生きつねなんだから、一生(人間に)ふられ続ける現実を歌っている、と解釈せねばなるまい。黒浩子派のこのブログにおいては。「そうじゃない」と言うなら成就したシーンを歌えばいい。『カントリーガール』などでは歌っているじゃないか。別の男との恋愛成就を。ま、そのどんでん返しは後で付け足したもんだけどね。初出はふられたところで終わっていた。
ここん ここん
横恋慕だった
ここん ここん
知らなかった
ここん ここん
人間になって
ここん ここん
来年こそは
『横恋慕』も好きだな。よく歌う。そういうシチュ好きなのかわたしは。
おーい、いいのかい、ラカニアンさんたちよ。
陰口叩くだけなら精神分析と言えないぜ? 学会発表なんか要はクライアントについての陰口大会じゃないか。だから学会発表は精神分析じゃない。あ、わたしゃ別に陰口そのものをやめろなんて言わないから、学会発表はやっていいんだよ? だけどさ、あんたらの本分はクライアントと向き合う臨床だろ?
だからおいでつってんの。
こっちから出向くこともあるけど、公開セックスになるから嫌なんだよね。
ここじゃなくてもいいけど、どっか場所用意してくれるなら出向くよ。ネット上ならどこでも。リアルならいろいろ吟味する要件が増えるけど、多分行くんじゃないかな。
お前らにレイプされにね。
フロイトも言ってたじゃん。「あんたその夢の男にレイプされたがってんだよ」って。
つかま、しょせんニコニコだしな。便所の落書きの派生サイト。
うん、お前らよくわかってんな、便所の落書きにこそわたしのブログはふさわしい。
わたしはうんこそのものだ。
来なきゃ来ないでいいよ。精神分析自体に興味薄れてきてっから、一応言ってみただけ。
興味が薄れていくことが怖いんだよ。
欲動とはばらばらな矢印。それが束ねられて興味になる。束ねられた興味はたとえば殺意になったり所有になったりする。
所有とは把握で、握り潰しちゃうから、殺意になる。
そうだよね。所有・把握したものは所有・把握できなかった物とは別物。所有・把握可能性についての確信がその人の中にあったら幻想的に同じ物だってなるだけで。一旦所有・把握しちゃうと所有・把握は可能だと確信できるから、所有・把握できなかった物は存在しなくなる。所有・把握できなかった物は殺害される。
要するにわたしって物が精神分析って掌からこぼれちゃうよ、と言ってるわけ。
まーいいならいいや。そりゃいいよね。あんたらにしたらうんこ持ってるようなもんだから。ばっちいもんは投げ棄てるよなそりゃ。
ばらばらな欲動は時に濁流になる。濁流と言うと束ねられてるように思えるが、無方向な濁流。濁流というか静かな水面。水面では粒子がブラウン運動をしている。
濁流が涙になる。
おそらく最初の束ねられた矢印は、泣くことだ。赤ん坊の泣き声。
わたしにとって中島みゆき的ポジションとは、自己防衛のための砦だ。この砦は成長するにつれ変えなきゃならない。たまたま昔聞いてた歌手が砦の材料として有効だっただけ。
そうしていれば、心と心の距離を近づけられることはない。その状態で物質的に近づけば、幻想的な性欲ではなく獣的な性欲が向かってくる。これも矢印を束ねたものだけど、幻想的な性欲は矢印を束ねてさらに鏡で反射させ一回転させている。それよりかわたしという物に近いってだけ。獣的な性欲は。どちらも嫌だけど、そっちの方が本当に近いってだけ。
うん、わたしはあんたらの皮を剥いでやりたいんだ。
精神分析家たちの鉄面皮を。
あんたら全然物じゃないよ、対象aなんかじゃないよ、ってことを証明するために。
対象aのふりしてるだけ。
あんたらもオタクたちと変わんないよ。「お前らは去勢を否認してる、否認してるんだウキー」とかなんとか言って見下しているオタクたちと。
聞いてる? たまきん。
いやたまきんだけに言ってるんじゃないけどね。つかたまきん精神分析家じゃねえし。
去勢の否認に対しそんなにヒステリックに反応することがお前らの去勢の否認を示していると思うんだがな。
おらかかってこいよ包茎ども。
「ポストモダンなんてしょせん言葉遊びじゃん」ってよく言われてるけど、実際にそうなんだけど、それを「言葉遊び」と感じているのはそいつ自身で、それを言っている当人にとっては「言葉遊び」じゃないかもしれない。結局こいつの思考回路も「精神疾患なんて甘えだろ、努力が足りないんだ努力が」と同じで、「俺の勃起したちんちんすげえだろ、萎えさせてみろよ」と言っているようなもんなんだな。
だから萎えさせてあげればいいと思う。「言葉遊び」で。
わたしはそれだけじゃ足りないからバーリトゥードでやるけど。凶器あり、感情論あり、ストーキングあり、嫌がらせありの。
人格崩壊まで持っていくにはそこまでしなくちゃなんないのよ。めんどくさいわあ。
まあ包茎よか皮を剥く手間が省かれてるから楽なのかもしんない。実際こういう奴に限って精神分析のメスを入れると「ウキー」ってなる傾向が強いし。空元気なんだなーって思う。そりゃそうだよ、四六時中勃起してるペニスなんてあるわきゃないじゃん。
夜中に喉が渇いて起きようとする。起きたと思っても寝ている。金縛りで起きられないんじゃなくて、起きても起きても夢だった、という感じ。
それでも上半身だけ起きられた。と思ったらやっぱり寝ている。
なので、起きられたと思ったら壁に張りついてみた。お尻が浮く。いけるかな、と思ったけれど、気がつくと頭を逆方向にして寝ている。起き上がりこぼし状態。
どうも上下の感覚がなくなってしまったように思う。目で見てこっちが上、こっちが下、とわかるのに、身体的な知覚が重力を感じられなくなったような。頭はまともだけど体だけが無重力状態になったような。だから立てなくなっている。
でも体は動く。首だけを動かす。薄闇の中、ベッドの横を誰かが素通りする。母親か、と思う。でも母は今実家に帰っている。怖くなって目をそらす。顔を壁の方に向ける。
ぺたぺたぺた、と音がする。母親がトイレから戻ってきたのだ、と思って、でもいないんだよな、と思い直す。
ぺたぺたぺた、という音が増殖する。何人もの誰かがわたしの部屋の中を歩いている。商店街の軒先に並べられた商品のような気持ちになる。買い物客たちを見てやろうと思う。
それは文字だった。
わたしのブログ。このブログじゃない。健康だった社会人時代に作ったものだ。そんなの作った記憶はない。家でネットするなら飲みに行くわ、って時代だ。だけどそういうブログ。よくあるスイーツ(笑)なブログ。会社での愚痴やお気に入りの店のことや化粧品のことなどについて、全くくだらない文章を垂れ流している。わたしが書いた文章じゃないと思う。
でもわたしが書いたものだ。昔のわたしが。
数年ほど放置していたようだが、数日前に記事がアップされていた。
わたしは2ちゃんねるのある板でコテをやっていて、その板の住民が主な読者なようだ。
しばらくコテで姿を見せなかったのだが、ふらっと思い出したかなんかして、何年かぶりでスレに書き込んだらしい。
その時は当時の知り合いなどいなくて、ちょっとがっかりした。
だけどその後、「○○(コテ名)が復活したらしいぞ」とスレで晒されたらしく、当時の知り合いたちがコメントをつけてくれていた。百数件ほど。
いや、結構名前は知られてたのよ、コテスレも立てられたことあるし。
書かれていたコメントは2ちゃんねららしく、「生きてたのか」とか「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」とか「さげまんの女王復活か……(ガクブルAA)」とか「結婚できた?(できるわけがないと知ってて書き込んでいる)」とか悪意にまみれたものだったが、わたしじゃないわたしは温かみを感じていた。この温かみはこのブログで言うところの「精液」なのだが、わたしじゃないわたしは精液まみれになって喜んでいた。さらさら精液。
よく見ると、今日の日付で記事がアップされている。わたしじゃないわたしがついさっきアップしたのだろうか。
そこには短い文章が書かれていた。わたしはそれが理解できなかった。本当に何が書いてあるのかわからなかった。一つ一つの言葉の意味はわかるのだが、文章として理解できない。「目玉」という単語が三回書かれていた。短い文章の中に。
記事には画像もアップされていた。頭のない人体が複数のメビウスの輪のように絡み合っている画像。これは見たことがある、と思った。グロ+シュール系だが、あざとくてつまらないと思った絵。
起き上がってパソコンの電源を入れる。マイピクチャフォルダを開く。この絵だけは現実にあったものだと確認したかった。だけどなかった。
誰かご存知ありませんか? 背景は青と黒が基調になっていたと思います。
立ち上がろうとしてうまく歩けない。猿のような歩き方で台所に行き、牛乳を沸かす。牛乳なのにヤカンで沸かしている。あれ? と思って目が覚めた。
「アツイ」と無意識に口走った。寒かったのに。
あやべ、『秋ぎつね』ひさしぶりに聞いて泣きそうになった。あれ? 『しっぽのきもち』だけiTuneに落としてなかったんか。獣が人に恋をする、ねえ(笑)。きっちり成就しないとこがいいよな。ラストは「ふられたきつねに希望を与える」なんて解釈ではなく、きつねは一生きつねなんだから、一生(人間に)ふられ続ける現実を歌っている、と解釈せねばなるまい。黒浩子派のこのブログにおいては。「そうじゃない」と言うなら成就したシーンを歌えばいい。『カントリーガール』などでは歌っているじゃないか。別の男との恋愛成就を。ま、そのどんでん返しは後で付け足したもんだけどね。初出はふられたところで終わっていた。
ここん ここん
横恋慕だった
ここん ここん
知らなかった
ここん ここん
人間になって
ここん ここん
来年こそは
『横恋慕』も好きだな。よく歌う。そういうシチュ好きなのかわたしは。