アナグラム
2009/10/31/Sat
シュワちゃんやるなあ。
天才学者の晩年って奇妙な研究に没頭したりするよね。アインシュタインは魔方陣の研究に没頭した。ソシュールはアナグラムの研究に没頭した。
んー、これってとっても「魔術的思考」だよな。天才学者は晩年ジャキガン系中二病に回帰する。
つか縦読みとか2ちゃんの十八番で、テレビでFAXをバックに貼りつける演出とかあるんだが、そういうのがあると必ず「縦読み送ろうぜ」ってなる。実況板住民が言うんだから間違いない。
ソシュールの晩年の研究を理解するならまず2ちゃんから、と冗談半分で思う。
2ちゃんって便所の落書きだけあって学問の原石の宝庫だと思うんだがなあ。今の学問なんてもう研究するところ便所の落書きくらいしか残ってないだろ。
なのにそうしないってのは学者たちが人格に偏執しているからなんだよね。学者の本来の要件である知的好奇心を重要視せず、学者という肩書きに執着している。
臭いよ。だから院行かなかったんだ。すげえ気持ち悪かった。まだ会社の人間たちの方が人間らしいと思えた。ケガレを内包しているという意味で。潔癖症で清濁併せ呑めなくなったのが学者たち、だとまじで思っている。
清い水しか飲まないのが仙人じゃなく、仙人は泥水でもすする。そりゃそうだ。山ん中で生きてるんだから。
だけどここを誤解している奴が多い。学者を高潔な人格を持った人間だと思っている一般人たちは仙人を誤解している。清い水しか飲まないのが仙人だと。
バカだよなー。それ仙人じゃなくて水道が完備された都市住民じゃねえか(現代人とは限らない。水道設備は古代文明でもある程度整備されてるしね)。
なんでこんな簡単なことを誤解するのかがわたしは理解できない。
あ、
>今の学問なんてもう研究するところ便所の落書きくらいしか残ってないだろ。
の部分誤解されると困るから先に言っとくけど、学者として名を上げるために研究されてないところを研究したがっている、などと解釈されると困る。これは学問村にいた人間なら「んなことありえねー」とわかるだろう。たとえば心霊現象など超自然現象を研究しようとしても、予算は下りない。「研究され尽くしていないところ」というのは逆に言えば多くの人間たちが必要としていないところなのだ。現代では。だからむしろ、研究されてないところを研究すると、学者としての地位は落ちていくのが実態である。
そうではない。研究されているところというのは、既に答えが用意されていることが多い。それだとつまらない。わたしは知的好奇心とは答えのない問題に自動的に向かってしまうものだと考えている。つまり、研究されていないところ=答えのないところ、というわけだ。
だからこそ、現状答えのないところのたとえば一つである「便所の落書き」に知的好奇心は向かうものじゃねえの? と言っているわけだ。
わかるかなー?
そういう意味では、知的好奇心というものは、(ラカン的な意味での)他者が関係していない。他者を根拠としている自己、自己愛の対象である自己ではなく、他者が存在しない時期の内面の力動たる自体愛の対象たるそれに親近している、とわたしは思う。少なくともわたしがここで書いている「知的好奇心」なるものの実体はそうである。他の人の考える「知的好奇心」は知らん。「探究心」だけだと、「他人のために探求する」って意味も込めることが可能だが、「好奇心」は語義的に他者が介入していないだろ。
それとめんどくさそうな人間が最近張りついているので一応断っておくが、この記事はこの記事にあったリンクに触発されてこの記事の続きみたいなもんとして書いた。「仙人」なんて言葉もここのコメント者が東洋思想好きだから浮かんだのかもしれない。
つかジャキガンのここの説明も見事だな。引用する。
>要するに上記のような痛々しい想像を言うが、ヒーロー願望のある思春期の少年ならこの程度の想像は誰しもしたことがあるだろう。
>それくらいは中二病で済まされるレベルである。
>しかし、現実と想像の一線を越え、実生活で想像の設定や特殊能力を周囲に語ったり、思わせぶりににおわせたりし始めると妄想となり・・・く、くそっ・・・完全に・・・邪気眼使いとして覚醒している!!
最後の二行が特に。神経症者ではない精神病患者は邪気眼使いである。
由来となった人のその時代はかなーり精神病圏に親近してたんだろうな。でも寛解してしまった。彼は思春期病ではなく中二病だった。
わたしの論理体系って現代人の分析道具としてはラカン論以上じゃないかとすら思えるようになってきた。
最近興味が散漫になってて困る。へそのゴマのくっせえ臭いが好きだ。そういやセックスん時相手のへそよく舐めてたな。これちょっとフイタわ。
わたしってへその緒で循環するような体液なのかもしれない。
天才学者の晩年って奇妙な研究に没頭したりするよね。アインシュタインは魔方陣の研究に没頭した。ソシュールはアナグラムの研究に没頭した。
んー、これってとっても「魔術的思考」だよな。天才学者は晩年ジャキガン系中二病に回帰する。
つか縦読みとか2ちゃんの十八番で、テレビでFAXをバックに貼りつける演出とかあるんだが、そういうのがあると必ず「縦読み送ろうぜ」ってなる。実況板住民が言うんだから間違いない。
ソシュールの晩年の研究を理解するならまず2ちゃんから、と冗談半分で思う。
2ちゃんって便所の落書きだけあって学問の原石の宝庫だと思うんだがなあ。今の学問なんてもう研究するところ便所の落書きくらいしか残ってないだろ。
なのにそうしないってのは学者たちが人格に偏執しているからなんだよね。学者の本来の要件である知的好奇心を重要視せず、学者という肩書きに執着している。
臭いよ。だから院行かなかったんだ。すげえ気持ち悪かった。まだ会社の人間たちの方が人間らしいと思えた。ケガレを内包しているという意味で。潔癖症で清濁併せ呑めなくなったのが学者たち、だとまじで思っている。
清い水しか飲まないのが仙人じゃなく、仙人は泥水でもすする。そりゃそうだ。山ん中で生きてるんだから。
だけどここを誤解している奴が多い。学者を高潔な人格を持った人間だと思っている一般人たちは仙人を誤解している。清い水しか飲まないのが仙人だと。
バカだよなー。それ仙人じゃなくて水道が完備された都市住民じゃねえか(現代人とは限らない。水道設備は古代文明でもある程度整備されてるしね)。
なんでこんな簡単なことを誤解するのかがわたしは理解できない。
あ、
>今の学問なんてもう研究するところ便所の落書きくらいしか残ってないだろ。
の部分誤解されると困るから先に言っとくけど、学者として名を上げるために研究されてないところを研究したがっている、などと解釈されると困る。これは学問村にいた人間なら「んなことありえねー」とわかるだろう。たとえば心霊現象など超自然現象を研究しようとしても、予算は下りない。「研究され尽くしていないところ」というのは逆に言えば多くの人間たちが必要としていないところなのだ。現代では。だからむしろ、研究されてないところを研究すると、学者としての地位は落ちていくのが実態である。
そうではない。研究されているところというのは、既に答えが用意されていることが多い。それだとつまらない。わたしは知的好奇心とは答えのない問題に自動的に向かってしまうものだと考えている。つまり、研究されていないところ=答えのないところ、というわけだ。
だからこそ、現状答えのないところのたとえば一つである「便所の落書き」に知的好奇心は向かうものじゃねえの? と言っているわけだ。
わかるかなー?
そういう意味では、知的好奇心というものは、(ラカン的な意味での)他者が関係していない。他者を根拠としている自己、自己愛の対象である自己ではなく、他者が存在しない時期の内面の力動たる自体愛の対象たるそれに親近している、とわたしは思う。少なくともわたしがここで書いている「知的好奇心」なるものの実体はそうである。他の人の考える「知的好奇心」は知らん。「探究心」だけだと、「他人のために探求する」って意味も込めることが可能だが、「好奇心」は語義的に他者が介入していないだろ。
それとめんどくさそうな人間が最近張りついているので一応断っておくが、この記事はこの記事にあったリンクに触発されてこの記事の続きみたいなもんとして書いた。「仙人」なんて言葉もここのコメント者が東洋思想好きだから浮かんだのかもしれない。
つかジャキガンのここの説明も見事だな。引用する。
>要するに上記のような痛々しい想像を言うが、ヒーロー願望のある思春期の少年ならこの程度の想像は誰しもしたことがあるだろう。
>それくらいは中二病で済まされるレベルである。
>しかし、現実と想像の一線を越え、実生活で想像の設定や特殊能力を周囲に語ったり、思わせぶりににおわせたりし始めると妄想となり・・・く、くそっ・・・完全に・・・邪気眼使いとして覚醒している!!
最後の二行が特に。神経症者ではない精神病患者は邪気眼使いである。
由来となった人のその時代はかなーり精神病圏に親近してたんだろうな。でも寛解してしまった。彼は思春期病ではなく中二病だった。
わたしの論理体系って現代人の分析道具としてはラカン論以上じゃないかとすら思えるようになってきた。
最近興味が散漫になってて困る。へそのゴマのくっせえ臭いが好きだ。そういやセックスん時相手のへそよく舐めてたな。これちょっとフイタわ。
わたしってへその緒で循環するような体液なのかもしれない。