魔女の眷属
2009/11/24/Tue
神の軍隊と魔女の戦争が起きた。
魔女は首をはねられた。
首をはねた若者は英雄として凱旋帰国した。
一方、戦争の舞台となった村は、廃墟と化していた。
戦禍の中央に、首をはねられた魔女の体が倒れていた。首はしるしとして軍隊が持ち帰った。
ある新月の晩、蛆の湧いた魔女の体がむくりと起き上がる。
廃墟となった村を徘徊する。
魔女の体は、ある新しい死体を見つける。若い村娘の死体だ。
戦争に巻き込まれ、軍隊の槍でか自分の魔法でかは知らないが、傷つきながらもしばらくは生きていたようだ。つい昨日まで生きていたのだろう。苦痛に歪んだ顔。生きていた頃は美少女として通っていたのかもしれないが、今は見る影もない。幼児の泣き顔のようにくしゃくしゃになっている。
蛆の湧いた魔女の体に異変が起きる。体中に纏わりついた蛆と腐敗した肉が溶け合っていく。蛆にしてみれば自分の食物に襲われていることになる。朝食として用意されたベーコンが、口に近づいた途端触手を生やし、食べようとした人間を襲うようなことだ。これは何も不思議なことではない。腐肉を食らう蛆と腐肉は基本的になんら違いはない。村娘が生きて魔女の死骸を見たとしたら、彼女はそう感じただろう。
魔女は村娘を生き返らせようとしている。気まぐれに。頭がないのだから「気まぐれ」と言うよりほかない。
魔女は、まだ原型を保っている村娘の死体の、首をはねる。自分の時ほど血はあまり噴き出ない。もう死んでいるから。もしこの時魔女に首がついていたら、その首は「かわいそうに」などと思うのかもしれない。しかし首がないので、魔女の体内で蛆と腐肉の融合が促進されただけだった。
魔女の腕が村娘の首を持ち上げる。自分の腐敗した肉体の上に乗せる。蛆と融合するのと同じ機制で、村娘の首の切断面と、魔女の体の切断面が融合していく。
……ぼんやりとした、明かりとも闇とも言えない景色。色とも無色とも言えない色彩。水彩画のような、だけど色たちは際立っている。色と色は、交じり合ってもいて、独立もしている。
朝だ。どんより曇った朝。
目が覚めた村娘は、呆然とする。外界と交じり合っている自分の体の、一つ一つの反応に翻弄されている。
それらが少しずつ輪郭を持っていく。必要のない反応は棄てられ、必要な反応は統合され、ある一つの景色を生み出していく。
村娘自身は気づいてなかったが、この時同時に、腐りかけていた魔女の体も、徐々に癒えつつあった。村娘の体として。
しかし村娘の頭は、まず村の惨状に意識が向く。当然、この惨状は自分が昨日まで経験していた死の苦痛と直結している。
村娘の意識が遠のく。しかし遠のききれない。失神できない。まだ首と体が融合しきれていないから。腐敗した体が癒えきってないから。
昨日まで感じていた死の苦痛を、彼女は再び感じている。しかし今度は、体は逆方向に向かっている。死ではなく生に向かっている。
彼女は死の苦痛に翻弄されている。彼女はそういう身体反応を感じている。生き生きと。躍動感たっぷりに。
「ふつふつと湧き上がってくる」と表現するのがぴったりなその身体反応は、彼女の頭で「恨み」として処理される。
誰だ。誰を恨めばいいのか。魔女か。魔女はもう死んだ。軍隊は歓声を挙げていた。死にかけていたわたしの家族に目も向けず。重傷で苦しんでいたわたしに目も向けず。
魔女がいた頃、わたしたちは確かに魔女に怯えて暮らしていた。わたしの年上の友人も魔女の生贄となった。その頃こんな身体反応があれば、わたしは魔女を恨んだだろう。しかし当時はこんなもの感じなかった。生まれた時からそんな環境だったからだ。
この身体反応が生じたのは、軍隊が来た後であるのは事実だ。このような身体反応は生まれてはじめてだ。それは、それについて処理された情報をわたしの人生の過去に照らし合わせる限り、「恨み」と呼ばれていたものだと考えられる。
「恨み」だ。
誰だ。誰を恨めばいい。
とりあえず、軍隊だ。神の軍隊だ。神だ――。
魔女の体ではなく、元の肉体で息を吹き返していたとしたら、彼女はこんなことを思っただろうか。わからない。思ったかもしれないし思わなかったかもしれない。思ったならば彼女は魔女の眷属だった、ということにすぎないだろう。同じ土地に住んでいるのだから、そうである可能性を棄てることはできない。魔女がやった行為は無意味だった。そんな行為しなくても同じ結果になった。彼女が魔女の眷属だったなら。
村娘は、破壊された家の台所で、どうにかこうにか食事を作りながら、おとぎ話を想像するがごとく、そんなことを思った。
蘇生してから数日後のことだった。一度覚醒した数時間後、ある程度体が癒えたのか、彼女は失神した。再び覚醒した時、彼女は村の惨状を、一つの景色として認識することができた。彼女は空腹を感じていたというより、廃墟という景色の中に、ちっぽけでもいいから日常を持ち込もうとして、台所に向かったのだった。これはたとえば、のっぴきならない状況で、夫婦が心中も視野に入れた口論をしている場面を思い浮かべてほしい。結論も出ていないが、二人ともただ疲れて口が聞けなくなった。そんな時、妻がふらりと立ち上がって、毎日しているのと全く同じリズムで食事を作りはじめる。そのようなことと似ていた。そのような状態で彼女は、自分のうちにある神への恨みを確認したのだ。
しかし、彼女は蘇生の事実を知らない。その事実はおとぎ話にすぎない。
魔女は首をはねられた。
首をはねた若者は英雄として凱旋帰国した。
一方、戦争の舞台となった村は、廃墟と化していた。
戦禍の中央に、首をはねられた魔女の体が倒れていた。首はしるしとして軍隊が持ち帰った。
ある新月の晩、蛆の湧いた魔女の体がむくりと起き上がる。
廃墟となった村を徘徊する。
魔女の体は、ある新しい死体を見つける。若い村娘の死体だ。
戦争に巻き込まれ、軍隊の槍でか自分の魔法でかは知らないが、傷つきながらもしばらくは生きていたようだ。つい昨日まで生きていたのだろう。苦痛に歪んだ顔。生きていた頃は美少女として通っていたのかもしれないが、今は見る影もない。幼児の泣き顔のようにくしゃくしゃになっている。
蛆の湧いた魔女の体に異変が起きる。体中に纏わりついた蛆と腐敗した肉が溶け合っていく。蛆にしてみれば自分の食物に襲われていることになる。朝食として用意されたベーコンが、口に近づいた途端触手を生やし、食べようとした人間を襲うようなことだ。これは何も不思議なことではない。腐肉を食らう蛆と腐肉は基本的になんら違いはない。村娘が生きて魔女の死骸を見たとしたら、彼女はそう感じただろう。
魔女は村娘を生き返らせようとしている。気まぐれに。頭がないのだから「気まぐれ」と言うよりほかない。
魔女は、まだ原型を保っている村娘の死体の、首をはねる。自分の時ほど血はあまり噴き出ない。もう死んでいるから。もしこの時魔女に首がついていたら、その首は「かわいそうに」などと思うのかもしれない。しかし首がないので、魔女の体内で蛆と腐肉の融合が促進されただけだった。
魔女の腕が村娘の首を持ち上げる。自分の腐敗した肉体の上に乗せる。蛆と融合するのと同じ機制で、村娘の首の切断面と、魔女の体の切断面が融合していく。
……ぼんやりとした、明かりとも闇とも言えない景色。色とも無色とも言えない色彩。水彩画のような、だけど色たちは際立っている。色と色は、交じり合ってもいて、独立もしている。
朝だ。どんより曇った朝。
目が覚めた村娘は、呆然とする。外界と交じり合っている自分の体の、一つ一つの反応に翻弄されている。
それらが少しずつ輪郭を持っていく。必要のない反応は棄てられ、必要な反応は統合され、ある一つの景色を生み出していく。
村娘自身は気づいてなかったが、この時同時に、腐りかけていた魔女の体も、徐々に癒えつつあった。村娘の体として。
しかし村娘の頭は、まず村の惨状に意識が向く。当然、この惨状は自分が昨日まで経験していた死の苦痛と直結している。
村娘の意識が遠のく。しかし遠のききれない。失神できない。まだ首と体が融合しきれていないから。腐敗した体が癒えきってないから。
昨日まで感じていた死の苦痛を、彼女は再び感じている。しかし今度は、体は逆方向に向かっている。死ではなく生に向かっている。
彼女は死の苦痛に翻弄されている。彼女はそういう身体反応を感じている。生き生きと。躍動感たっぷりに。
「ふつふつと湧き上がってくる」と表現するのがぴったりなその身体反応は、彼女の頭で「恨み」として処理される。
誰だ。誰を恨めばいいのか。魔女か。魔女はもう死んだ。軍隊は歓声を挙げていた。死にかけていたわたしの家族に目も向けず。重傷で苦しんでいたわたしに目も向けず。
魔女がいた頃、わたしたちは確かに魔女に怯えて暮らしていた。わたしの年上の友人も魔女の生贄となった。その頃こんな身体反応があれば、わたしは魔女を恨んだだろう。しかし当時はこんなもの感じなかった。生まれた時からそんな環境だったからだ。
この身体反応が生じたのは、軍隊が来た後であるのは事実だ。このような身体反応は生まれてはじめてだ。それは、それについて処理された情報をわたしの人生の過去に照らし合わせる限り、「恨み」と呼ばれていたものだと考えられる。
「恨み」だ。
誰だ。誰を恨めばいい。
とりあえず、軍隊だ。神の軍隊だ。神だ――。
魔女の体ではなく、元の肉体で息を吹き返していたとしたら、彼女はこんなことを思っただろうか。わからない。思ったかもしれないし思わなかったかもしれない。思ったならば彼女は魔女の眷属だった、ということにすぎないだろう。同じ土地に住んでいるのだから、そうである可能性を棄てることはできない。魔女がやった行為は無意味だった。そんな行為しなくても同じ結果になった。彼女が魔女の眷属だったなら。
村娘は、破壊された家の台所で、どうにかこうにか食事を作りながら、おとぎ話を想像するがごとく、そんなことを思った。
蘇生してから数日後のことだった。一度覚醒した数時間後、ある程度体が癒えたのか、彼女は失神した。再び覚醒した時、彼女は村の惨状を、一つの景色として認識することができた。彼女は空腹を感じていたというより、廃墟という景色の中に、ちっぽけでもいいから日常を持ち込もうとして、台所に向かったのだった。これはたとえば、のっぴきならない状況で、夫婦が心中も視野に入れた口論をしている場面を思い浮かべてほしい。結論も出ていないが、二人ともただ疲れて口が聞けなくなった。そんな時、妻がふらりと立ち上がって、毎日しているのと全く同じリズムで食事を作りはじめる。そのようなことと似ていた。そのような状態で彼女は、自分のうちにある神への恨みを確認したのだ。
しかし、彼女は蘇生の事実を知らない。その事実はおとぎ話にすぎない。