『傾斜』
2009/11/27/Fri
リハビリに使うバーのようなものを両側に設置し、小道みたいなのを作っている。床にはぐにゃぐにゃのクッションのようなものが敷かれていて、むしろ歩きにくい。歩けないわけではないが。そこに、小道を横断する形で、赤い線が引かれている。線と線とのの距離はランダムだ。わたしたちは、両足でぴょんぴょん飛び跳ね、赤い線を踏みながら前に進む、というリハビリをやっている。なんのリハビリか知らない。なんの療法か知らない。ただ、煩わしいのがいやなだけで、わたしはまじめにこなしている。わたしたちは一列に並んで小道をぴょんぴょん飛び跳ねている。
簡単な作業だった。周りの人たちも軽口を叩きながらやっている。わたしも後ろを進むおばあさんと軽口を叩きながらやっている。
ふと見ると前がつかえていた。
小学校高学年くらいの、色の黒い、手足の細い、いかにも田舎育ちというような女の子が、作業をいやがっているのか、そこで立ち止まっていた。
彼女はわたしに声をかける。声の調子からわたしを嫌悪しているのがわかる。
こういうのが一番困る。わたしはこの療法を信じ込んでやっているのではなく、ただ煩わしくなるのを避けるためにやっているだけなのに、疑問を抱いている人間から擁護派に仕立て上げられ、難癖つけられるというの。
どうやら、わたしは男で、彼女に対し優しい言葉をかけたかどうかして、彼女が勘違いしたのかもしれない、と思った。確かに煩わしさを避けるために他人と軽口を叩くことがあるが、それも煩わしいと思っている。どの煩わしさを選択するかはその時々による。
わたしにしてみれば、彼女の言い分は、「こないだは大人びたことを言っていたのに、実際はそうじゃないじゃん」というようなものだ。わたしにしてみれば、わたしの言うことを「大人び」ていると感じたのは、お前の勝手だろ、という気持ちだった。
しかし、ここで本音を言ってしまったら、余計な煩わしさを引き寄せることになるのは、経験上わかっていた。
なので、角の立たない言葉で彼女と話した。彼女を丸め込もうとした。こういうのが「大人びた態度」と誤解されるのだろう。そういう誤解も一つの煩わしさだが、この時はその煩わしさを選択しただけである。
彼女はしぶしぶ前を向き、作業を再開する。見た感じ野生児みたいで運動神経はよさそうなのに、動きは鈍臭い。肥満児みたいにお尻が重い。もう少し時間が経てば、彼女のような人間なら、周りの人間を真似て、いかにも女の子らしい動きになるのだろう。「女の子らしい動き」というのは、メスであることという実際問題も原因になっているとは思うが、それだけならみんながみんな似たような動きをしないはずである。たくさんのある中の一つの、適合度の高い解、というだけのことだろう。しょせん彼女もメスだ、と思った。メスになってしまったのだろう。メスになってしまった自分へのいらだちというのならわからなくもないが、わたしには関係ないことだ。
教室に戻る。小池先生がいる。眼鏡をかけたやさ男だ。一部の女子に人気はなくもなかった、という感じの先生。現代国語だったか、物理だったか。
どうも、さっきのメスガキがちくったらしく、「この人物理の話題ばっかしてるんですよ」などという話になっていたらしい。正義の味方、いや一般女子の味方である小池先生は、わたしにお説教をしにきたのだった。
「本当に物理を知ってるなら、この問題が解けるはずだ」
そう言って先生はプリントを渡す。微分方程式だ。しかも大体の教科書に載っているような基本的な構成の。パターンはそういうパターンだと覚えているが、解き方がわからない。忘れてしまった。
「微分方程式なんてやったのもう何年も前ですし」
などとしどろもどろで言い訳をする。それでもなんとか解こうとする。先生が口を挟んでくる。わたしが解くより先に答えを言ってくる。
「だからac……」
「acの二乗になって」
などというように、煩わしいのでわたしも口を挟む。
ちょっとして、先生が、「さっきなんて言った?」と聞いてくる。
「先生はacと言ったと思ったので、間違いなので、acの二乗と言いました」と正直に答える。
先生は椅子の背もたれに重心を預け、「本当に君っていやな人間だねえ」と言う。
わたしは何かふっきれた感じで、「そうそう、わたしっていやな奴なんですよ、その通りです。よくわかってるじゃないですか。やだなー先生ったら」などとわざとらしくはしゃぐ。
先生の隣に加藤くんが座っている。わりとまじめで、ユーモアもあって、そこそこ人望もあって、だけど背が低いのが減点対象だった子。丸顔で下ぶくれでわたしはあまり好きじゃなかったが、高校三年間同じクラスだったので、何度か話したことはある。
彼が助け舟を出す。
「そんなことはないですよ先生、奴はいい人間です」
加藤くんの誉め殺しがはじまる。彼の言っていることを要約すると、「確かに奴はジコチュウだ。ジコチュウなところがいいんです」ということにすぎない。お前はわたしをフォローしにきたのかわたしを叩きにきたのかどっちだよ、と思う。
めんどくさくなってその場を離れる。
クラスの隅の方の席に座る。前の方に武智さんがいる。美少女という奴だ。確かに顔は整っていたと思う。だけど声が大きかった。きんきん声がやかましかった。きんきん声で何か話している。うるさい。うるさい。
わたしがいたグループが酒場で遊んでいるという噂が流れたことがある。グループの中の一人の家が居酒屋で、そのつてで遊んだことはある。その時武智さんはプリントされたような笑顔で「いいじゃん今度わたしも連れてってよ」みたいなことを言ってきた。とても気持ち悪く感じたのを思い出した。そういう顔でそんなことを言う人間なのだ。
わたしは肩車されている。そういう療法のようだ。わたしは医者だ。肩車をする方が患者だ。
ある中年女性の肩に乗る。なで肩で乗りにくい。しかも鎖骨の出っ張りが太ももに刺さってくる。痩せている。
わたしを肩車しているのは中島みゆきだった。
わたしたち二人の隣を老人が歩いている。さっきまで肩車していたのだろう。文字通り肩の荷が下りたという口ぶりで、政治の話をしていた。とてもうざい。
みゆきがわたしにこんなこと聞いてくる。
「先生は、人を切開したことがありますか?」
「ありますよ」
「どうでしたか?」
「頭では、人体なんてただの物だと思っているけれど、やっぱり、人体を切るというのは、特別ですね」
「そうでしょうねえ」
「ただの物なんですけどね。むしろ、ただの物である事実が眼前化するというか」
「私も物ですか?」
「わたしも物ですよ」
「物じゃなきゃ肩車できませんね」
「そうですね。……でも多分、肩車できているなら、あなたは物じゃないんじゃないでしょうか」
「そういう治療なんでしょう?」
「まあそうですね」
……ああ、『傾斜』か。
内藤と亀田なら亀田に勝ってほしいなと思った。なんとなく。どっちのファンってわけじゃないが。
わたしの言動は「社会に風穴を空ける」みたいに捉えられるのかもしれない。そうじゃない。「もともと風穴が空いていることに気づけよ」だ。「風穴なんか空いてないとする幻想を打ち砕けよ、やるなら、ね」ということだ。まず。前段階として。その後はその時になってみないとわからない。風穴の空いたドーナツを破壊しようぜ、となるかもしれないし、ドーナツは大事にしようぜ、となるかもしれないし、巨大なドーナツを前にしてすたこら逃げてくかもしれない。
あとインテルからアクセスあってワラタ。一応こんな僻地までチェックはするんだな(笑)。って「分解くん」でぐぐったら一ページ目にきてて焦った。でもあれ、ぐぐるって記事がうpされた最初の頃だけ上にくるからすぐ下がるんだろうけどね。って今見たら二ページ目になってた。ほっ。
別に分解くんを批判しているわけじゃないんだが、名誉毀損になったりするんだろうか。誰の人格を毀損したのだろう? 分解くんの人格? 分解くん=インテルって会社じゃねえだろ? 小説の主人公は作者と同一人物か?
被害妄想ですよええただのキチガイの。
ネエチョットキイテヨワタシノカレソコラヘンノトハケタハズレスッゴクオッシャレーナカレーデアイハワタシノホウカラヒトメボレワカイノニカイシャデハスゴウデシゴトアソビナンダッテカンペキッデハデナクルマッデータマノヤスミハフタリデオデカッケー。
おー覚えちゃってるすげー。スイヘイリーベボクノフネナマガリシップスクラークカみたいなもんか。リッチナカノジョハルビーヲセシメテフランスヘが一番好きだったな。意味的に。今度カラオケ歌ってみよう。これ歌ったことないなそういや。好きな曲ではないんだよな、だから。
ふと思ったが「ごっこ遊び」のギャグでままごとで作った泥団子を無理矢理食わせる女の子とかってパターンがよくあるんだが、あれクリティカルだよな。心理学+精神分析学の文脈上。
前記事読み返して気づいた。わたしにとって役者の演技評論と精神分析って同じだ。役者の演技評論なんてこれまであまりしたことなかったから気がつかなかった。スタッフがそんな出すぎた真似しちゃいけない。劇団やってた頃は、身内の役者に対してならできてたけど、日常ではしてはいけない会話、行為、思考だとなんとなく感じていた。だからしなかった。まあそうだよな。精神分析なんて人の人たらしめる心を切り刻む学問なんだから、人格攻撃になる。死体解剖は死体を攻撃していることになる。見る人によっては。精神分析は、人格を解剖のように切り刻む。舞台演技は、役者本人の人格はその役にとって障害物になる。
あーなるほどな。自分勝手な納得。
わかった。わたしは精神科医になりたいんだろうな。精神科医という物は、わたしにとって鈍感な人間だ。わたしが毛嫌いしている斎藤のこの文章で述べられている通りだ。だから近寄るな、鈍感な人間にとやかく言われても混乱するだけだ、と言っているんだが。
わたしは鈍感になりたい。鈍感になれば今の苦痛から解放される。物質的な摂理として。
わたしは無意識でそう考えているんだな。精神科医になりたい、鈍感な人間になりたい、と。
肩車は、もしわたしが精神科医に、鈍感な人間になったら、過敏な人間(言っておくがわたしは頭では中島みゆきは正常人だと、すなわち種族として鈍感な人間だと考えている。過敏な方だとも思うけど)の重荷になる、とも思っているんだろう。
それはわたしにとっても重荷である。精神科医としてのわたしを肩車する中島みゆきはわたしでもある。
あ、書いてないことに今気づいたけど、前半の文章、夢日記だよ。
あれ、違うか。隣にいる老人は正常人だ。重荷が下りて政治の話をしているなら、典型な正常人だということになる。わたしの主観で。だから、わたしが鈍感な人間の立場に立っても、鈍感な人間たちという種族にとって重荷にしかならない、ってことか。わたしがなりたい相手の重荷にしかならない、と。好きな相手と恋人になっても相手の重荷にしかならない、っていかにも中島みゆきチックだよな。
うわつまんね。普通に覚醒時に考えていることじゃん。
やっぱ夢と日常はおんなじだ。わたしにとって。
……あーこれって「正反合」だよな。「合」がつまらないんだよな、わたしって。「合」がなんかすごく快楽的なものとなるのが理解できない。だから正常人って合意したがり屋なのか。「快楽的な合意」だからセックスに見えるんだな。わたしは。だから例の斎藤の文章とかをキャバのスカウトだとか女衒だとか思ってしまう。
あーたまきん君の自閉症について触れた論文、わたしはこれは高く評価してるんだけど、ここでの「ドナが感じていた主体化への恐れ」ってこういうことだよ。多分。主体化をつまらないと思っている人間に主体化を強制するから恐れになる。「俺の快楽を受け入れろ」って言う征服者に見える。マリアの処女懐胎とかほんとそんな風にしか見えないのよね。神にレイプされたってことでしょ、って素で思う。
ほら、わたしは演劇やってホステスまでやったからこんなジェンダー的な言い方になってるけど(つか学生時代はばりばりフェミニストだったしな)、違う方向から明かりを当てればより実体は正確に見えてくるものでしょ? わたしの「これってドナの「主体化の恐れ」と同じことじゃね?」っていう仮説が間違っていたとしてもね。わかるかなー? 物理やってたら「全ての学説は仮説だ」ってな感じに思えちゃうんだけど、仮説だから全く意味がないってわけでもないでしょ?
つか医学書院っていう同業者しか見ないようなところへの寄稿だったから本音が漏れちゃったのかもね。お前が女衒でありパラノイアックなBPDである本音が。
お前ユンギニアンだったんだろ? そっちの方が合ってると思うぞ? これが本音ならば、だけど。もちろん逆の場合だってあろうな。同業者が集まるサイトだからこそ、本音はそうじゃないけど同業者たちへのリップサービスみたいな感じで書いた文章だと。最初はわたしはそう解釈したお。
でもやっぱお前キモイ。ちんちん臭い。精液臭い。全体的に。ユンギニアンやってて何か大きな失敗こいてそれがトラウマっていうか心的外傷になって「ラカン萌え派」になったのかもしれんけどさ。ラカンってなパラノイアコンプレックスだからな。わたしの見立てでは。あ、自分がパラノイアだからそれにコンプレックスばりばりなラカンに萌えるわけか。なるほどな。んじゃーわたしにも萌え萌えだろ? いわずもがな揶揄だけど。
クラインの方がよっぽど未去勢的、すなわち自閉症論語るには有効だと思うけどな。ただやっぱ女だけあってちんちん大好きっぺえところもあるから、誤解は多いだろうな。あーやっぱ「有効」って嘘。取り消す。わたしもそうだよ。ここでの「鈍感になりたい」ってちんちん大好きってことだからな。
あ、そうそうこのブログでは何回か書いているから書かなかったけど、わたしゃアスペルガー症候群じゃねえよ。診断はパニック障害+抑鬱状態だお。おっおっお。
うえ、「主体化をつまらないと思っている人間に主体化を強制するから恐れになる。」って文章すげえ語弊が多い文章だと思ったけどめんどくさい。ああもうめんどくさい。そっとしといてくれ。
ってなことで放置。
つか、なんで
=====
しかし「ヒトの集団」には決してつながれない,というあきらめも抱いている。だからせめて,「楽しそうな笑顔の群れを見て,つながっている気分のおすそわけをいただく」にとどめている。
=====
って文章から、たまきん、お前みたいな「鈍感」な人間との「敷居」が「下がる」ことになるのかが、全く理解できないんだが。
答えてくれないかな。
なぜお前はその文章を引用して「敷居」が「下がる」と述べたのか。
お前の思考回路はどうなっているのか。
このアスペルガー症候群者が、お前みたいなすなわち合意を快楽的に感じられる人間が考えるがごとく「ヒトと繋がりたい」と思っている、とでも思ったのかい?
合意つまり繋がることが快楽にならないんなら原因が全く違うじゃないか。
わたしは、このアスペルガー症候群者が本当に未去勢者だったなら、エコラリア的にそう言っているだけだと考えるが。エコラリアじゃなくても谷山浩子『夢半球』におけるこの言葉みたいなもんだ。
=====
それにしてもわたし、こんな口の聞き方いつの間に覚えたんでしょうね
「嘘のように漂っている耳障りのいい言葉」だなんて
ほんとに耳障りのいい言葉
申し分のない活字の言葉
わたしはどうしてもこの紙の上から自由になれません
もうめんどくさい 黙ってしまえ
世界一くだらない人間になって、立派なものをいちいちやっかんで、そして
=====
なんで谷山は「この紙の上から自由になれ」ないのだろうね? いや、確かにお前らだって同じだよ? 超自我が無意識になっているんだから、ファルスによって統制されたシニフィアン群からは逃れられない。
だけど原因が違う。
お前らが自由になれないのはファルスによって統制されたシニフィアン群からだ。万能感を根拠にできているから、お前らはそのシニフィアン群の中を生きるようになったのだ。快楽だからそれを選択したのだ。
ところが未去勢者はそうはいかない。ファルスが故障しているんだからな。つまり、快楽だからそれを選択した、という過去を経ていない。
あーいや、確かに谷山が未去勢者(わかりやすく統合失調症者、自閉症者、スキゾイドの三つに限定しておく。分裂病型人格障害あたりはややこしくなるので保留)かどうかはまだ議論の余地はあると思うよ。宗教にはまってるらしいしな。つかたまきんはそんな議論に興味ないだろうけど。
お前が書評を書いているそのアスペルガー症候群者だって議論の余地はあると思うが、まあここは仮の顔で信用しておく。ホステスが客の自慢話を「すごいねー」って言うようなもんとして。嘘だって確信してるわけじゃないし、ほんとだとも確信しているわけじゃない、って意味な。
ともかく、お前ら去勢済み主体が「耳障りのいい言葉」たちから逃れられないのは、万能感という過去があり、いわば快楽を根拠としてそこに移住した過去があるからだが、未去勢者はそうじゃない、という意味でわたしは「エコラリア的」と述べたわけだ。谷山がファルスの壊れた、ラカン論において存在しないはずの「女」だとしたら、彼女もエコラリア的に「こんな口の聞き方」を覚えたのだろう。谷山が去勢済みだとしたら、このセリフは単なる去勢の否認だ。こういった自問自答を繰り返していれば、いつか彼女には万能感に満ちた過去が回帰するだろう。精神分析治療のゴールだわな。そう考えると、「単なる」とか言っちゃったけど、精神分析治療過程において不可避的に存在するデプレッション状態でもある。
去勢済み主体が逃れられない超自我すなわちファルスによって統制されたシニフィアン群ではなく、ファルスの故障した「存在しないはずの女」が逃れられない言葉たちというのが、サントームという第四の輪だとわたしは考えているが、ここは余談になる。
お前の言う「敷居」が「下がる」って言うのは、第四の輪は第四の輪じゃない、って言っていることになるんだが。第四の輪を知らない人間が、実際は第四の輪であるそれを「ボロメオの輪だよねそれって」って言っているようなもんなんだが。
お前が女衒なら、サントームは女郎小屋みたいなもんだ。そういやうちに未公開コメントしてた未去勢者(わたしの診断でな)は「鋼鉄の処女」とか言ってたな。これを超自我すなわちファルスによって統制されたシニフィアン群と解釈するか、サントームと解釈するかで違うわな。
原因は違うけど結果は同じだから、って意味かい? 原因が違うのに結果だけを見て「敷居」を「下げた」ら、訪問販売の詐欺師なんかも家に入れることになるよな? お前を殺そうと思ってそのためににこやかな顔をしている人間について「にこやかにしているから自分には危害を加えない」と思うようなことだよな?
これってお前、精神分析、心理学、精神病理学そのものを放棄していることにならないか?
ねえねえ、なんでお前は「敷居」が「下がる」と思ったの?
あーごめん、斎藤の例の文章がいかにもわたしのブログを読んでそうな内容で、わたしの被害妄想のせいでこんな問いかけ口調になっちゃったけど、斎藤がこのブログ知らない可能性だって否定しないから(それこそホステスがってもうええわ)、斎藤の知り合いいたら誰か伝えといてちょ。
すげー下痢だ。牛乳飲みすぎ。あっためても飲みすぎたら下痢すんだなって当たり前か。後半の文章はちょこちょこトイレ行きながら書いたものなので、筋が通ってないように読まれるかもしれないね、っていう言い訳。
前記事の「わたしは多くの他人とシニフィエが違う。」って言葉は冷凍庫でもある。
谷山の去勢済みっぽい曲でさえ「黒谷山」として解釈するわたしなんかは、このアスペルガー症候群当事者が言う「人はやはり,だれかとつながってこそ人なのだと思う」なんて言葉も、「私はなれないけどね」って風に解釈しちゃうんだけど。
ああめんどくせえ。そっとしといてくれって。
あ、そうそう、
=====
「他者は地獄だ」とサルトルは言ったが,まさに真の他者とのかかわりは,「侵入」されるか「取り込む」かを迫られる「地獄」なのだ。
=====
って要するにクライン論だよなってわたしなんかは思って別に反論はしないが、その「他者は地獄だ」って、正しくは「物自体とは地獄だ」、「本当の無我の境地である空観とは地獄だ」ってことだと思うんだよな。人だって物だろ? どうあがいても。ところが正常な人間たちは物から人を特別視している。無意識的に。常に既に。一方、人を人なるものとして特別視できない未去勢者たちは、人を物として見ている。まずここで去勢済み主体たちと「人」のシニフィエが違う。さらに、「物」についても、去勢済み主体たちは「物の殺害」を生後二年以内に経験しており、その心の奥底に「物は所有・把握・支配可能だ」という固定観念とでも言うべきものがあるため、未去勢者とはそのシニフィエが異なってしまう。「物は所有・把握・支配可能だ」ってことを学んだその瞬間が万能感に満ちた瞬間だ、ってこと。精神分析治療とはその瞬間を、PTSDのトラウマの回帰のごとく、過去として思い出させるのではなく、現在化させるものだ、ということだな。
まあ、正常人から見れば、そんな未去勢者の主観世界は絶対的に理解できないわけで(まさしく「女は存在しない」)、正常人って種から見て、未去勢者は他者だ、ってことになって、そういう、木村敏論における「絶対的未知性としての他者」という意味としての「他者」かもしれないが、どうでもいいや。びんたんの言い方だと未去勢者って神になるな。多神教系の神ではあると思うが。「他者は地獄だ」って言い方をしたサルトルはやっぱ一神教の人なんだろうね。むしろ仏教は空観とかあるからこそ一神教たりえないってことになるな。まー世間にゃ我がばりばりな坊主ばかりだから臨床実体として一神教化しているとわたしなんかは思うけど。けどー。
なんかディスコや小松製作所とかって半導体製造機器系からもアクセスがあってちょっと和んだ。ディスコは株で大損こいたなw PER高かったけどわたしの知ってる人がまじめだったから買ったら騙された。
まーがんばれや。わたしの数十年スパンでの予測なら電脳化はまだまだ進むと思うぞ? だから半導体需要もまだ伸びるってことになる。
つか飲茶とかPERとかROEとか知らないまま株はじめたって逆にすげえと思うわ。
あ、半導体以外の電脳素材が発明されたら知らん。
くそ。ああもう。もう。もう。牛か。死ぬ。「死にたい」じゃなくて「死ぬ」。「死にたい」は「殺される」じゃないだろ? だけど「殺される」だけでも違う。だから「死ぬ」。
まーキチガイババアが勝手に死ぬ死ぬ言ってるだけだと思っとけ。その通りなんだから。
簡単な作業だった。周りの人たちも軽口を叩きながらやっている。わたしも後ろを進むおばあさんと軽口を叩きながらやっている。
ふと見ると前がつかえていた。
小学校高学年くらいの、色の黒い、手足の細い、いかにも田舎育ちというような女の子が、作業をいやがっているのか、そこで立ち止まっていた。
彼女はわたしに声をかける。声の調子からわたしを嫌悪しているのがわかる。
こういうのが一番困る。わたしはこの療法を信じ込んでやっているのではなく、ただ煩わしくなるのを避けるためにやっているだけなのに、疑問を抱いている人間から擁護派に仕立て上げられ、難癖つけられるというの。
どうやら、わたしは男で、彼女に対し優しい言葉をかけたかどうかして、彼女が勘違いしたのかもしれない、と思った。確かに煩わしさを避けるために他人と軽口を叩くことがあるが、それも煩わしいと思っている。どの煩わしさを選択するかはその時々による。
わたしにしてみれば、彼女の言い分は、「こないだは大人びたことを言っていたのに、実際はそうじゃないじゃん」というようなものだ。わたしにしてみれば、わたしの言うことを「大人び」ていると感じたのは、お前の勝手だろ、という気持ちだった。
しかし、ここで本音を言ってしまったら、余計な煩わしさを引き寄せることになるのは、経験上わかっていた。
なので、角の立たない言葉で彼女と話した。彼女を丸め込もうとした。こういうのが「大人びた態度」と誤解されるのだろう。そういう誤解も一つの煩わしさだが、この時はその煩わしさを選択しただけである。
彼女はしぶしぶ前を向き、作業を再開する。見た感じ野生児みたいで運動神経はよさそうなのに、動きは鈍臭い。肥満児みたいにお尻が重い。もう少し時間が経てば、彼女のような人間なら、周りの人間を真似て、いかにも女の子らしい動きになるのだろう。「女の子らしい動き」というのは、メスであることという実際問題も原因になっているとは思うが、それだけならみんながみんな似たような動きをしないはずである。たくさんのある中の一つの、適合度の高い解、というだけのことだろう。しょせん彼女もメスだ、と思った。メスになってしまったのだろう。メスになってしまった自分へのいらだちというのならわからなくもないが、わたしには関係ないことだ。
教室に戻る。小池先生がいる。眼鏡をかけたやさ男だ。一部の女子に人気はなくもなかった、という感じの先生。現代国語だったか、物理だったか。
どうも、さっきのメスガキがちくったらしく、「この人物理の話題ばっかしてるんですよ」などという話になっていたらしい。正義の味方、いや一般女子の味方である小池先生は、わたしにお説教をしにきたのだった。
「本当に物理を知ってるなら、この問題が解けるはずだ」
そう言って先生はプリントを渡す。微分方程式だ。しかも大体の教科書に載っているような基本的な構成の。パターンはそういうパターンだと覚えているが、解き方がわからない。忘れてしまった。
「微分方程式なんてやったのもう何年も前ですし」
などとしどろもどろで言い訳をする。それでもなんとか解こうとする。先生が口を挟んでくる。わたしが解くより先に答えを言ってくる。
「だからac……」
「acの二乗になって」
などというように、煩わしいのでわたしも口を挟む。
ちょっとして、先生が、「さっきなんて言った?」と聞いてくる。
「先生はacと言ったと思ったので、間違いなので、acの二乗と言いました」と正直に答える。
先生は椅子の背もたれに重心を預け、「本当に君っていやな人間だねえ」と言う。
わたしは何かふっきれた感じで、「そうそう、わたしっていやな奴なんですよ、その通りです。よくわかってるじゃないですか。やだなー先生ったら」などとわざとらしくはしゃぐ。
先生の隣に加藤くんが座っている。わりとまじめで、ユーモアもあって、そこそこ人望もあって、だけど背が低いのが減点対象だった子。丸顔で下ぶくれでわたしはあまり好きじゃなかったが、高校三年間同じクラスだったので、何度か話したことはある。
彼が助け舟を出す。
「そんなことはないですよ先生、奴はいい人間です」
加藤くんの誉め殺しがはじまる。彼の言っていることを要約すると、「確かに奴はジコチュウだ。ジコチュウなところがいいんです」ということにすぎない。お前はわたしをフォローしにきたのかわたしを叩きにきたのかどっちだよ、と思う。
めんどくさくなってその場を離れる。
クラスの隅の方の席に座る。前の方に武智さんがいる。美少女という奴だ。確かに顔は整っていたと思う。だけど声が大きかった。きんきん声がやかましかった。きんきん声で何か話している。うるさい。うるさい。
わたしがいたグループが酒場で遊んでいるという噂が流れたことがある。グループの中の一人の家が居酒屋で、そのつてで遊んだことはある。その時武智さんはプリントされたような笑顔で「いいじゃん今度わたしも連れてってよ」みたいなことを言ってきた。とても気持ち悪く感じたのを思い出した。そういう顔でそんなことを言う人間なのだ。
わたしは肩車されている。そういう療法のようだ。わたしは医者だ。肩車をする方が患者だ。
ある中年女性の肩に乗る。なで肩で乗りにくい。しかも鎖骨の出っ張りが太ももに刺さってくる。痩せている。
わたしを肩車しているのは中島みゆきだった。
わたしたち二人の隣を老人が歩いている。さっきまで肩車していたのだろう。文字通り肩の荷が下りたという口ぶりで、政治の話をしていた。とてもうざい。
みゆきがわたしにこんなこと聞いてくる。
「先生は、人を切開したことがありますか?」
「ありますよ」
「どうでしたか?」
「頭では、人体なんてただの物だと思っているけれど、やっぱり、人体を切るというのは、特別ですね」
「そうでしょうねえ」
「ただの物なんですけどね。むしろ、ただの物である事実が眼前化するというか」
「私も物ですか?」
「わたしも物ですよ」
「物じゃなきゃ肩車できませんね」
「そうですね。……でも多分、肩車できているなら、あなたは物じゃないんじゃないでしょうか」
「そういう治療なんでしょう?」
「まあそうですね」
……ああ、『傾斜』か。
内藤と亀田なら亀田に勝ってほしいなと思った。なんとなく。どっちのファンってわけじゃないが。
わたしの言動は「社会に風穴を空ける」みたいに捉えられるのかもしれない。そうじゃない。「もともと風穴が空いていることに気づけよ」だ。「風穴なんか空いてないとする幻想を打ち砕けよ、やるなら、ね」ということだ。まず。前段階として。その後はその時になってみないとわからない。風穴の空いたドーナツを破壊しようぜ、となるかもしれないし、ドーナツは大事にしようぜ、となるかもしれないし、巨大なドーナツを前にしてすたこら逃げてくかもしれない。
あとインテルからアクセスあってワラタ。一応こんな僻地までチェックはするんだな(笑)。って「分解くん」でぐぐったら一ページ目にきてて焦った。でもあれ、ぐぐるって記事がうpされた最初の頃だけ上にくるからすぐ下がるんだろうけどね。って今見たら二ページ目になってた。ほっ。
別に分解くんを批判しているわけじゃないんだが、名誉毀損になったりするんだろうか。誰の人格を毀損したのだろう? 分解くんの人格? 分解くん=インテルって会社じゃねえだろ? 小説の主人公は作者と同一人物か?
被害妄想ですよええただのキチガイの。
ネエチョットキイテヨワタシノカレソコラヘンノトハケタハズレスッゴクオッシャレーナカレーデアイハワタシノホウカラヒトメボレワカイノニカイシャデハスゴウデシゴトアソビナンダッテカンペキッデハデナクルマッデータマノヤスミハフタリデオデカッケー。
おー覚えちゃってるすげー。スイヘイリーベボクノフネナマガリシップスクラークカみたいなもんか。リッチナカノジョハルビーヲセシメテフランスヘが一番好きだったな。意味的に。今度カラオケ歌ってみよう。これ歌ったことないなそういや。好きな曲ではないんだよな、だから。
ふと思ったが「ごっこ遊び」のギャグでままごとで作った泥団子を無理矢理食わせる女の子とかってパターンがよくあるんだが、あれクリティカルだよな。心理学+精神分析学の文脈上。
前記事読み返して気づいた。わたしにとって役者の演技評論と精神分析って同じだ。役者の演技評論なんてこれまであまりしたことなかったから気がつかなかった。スタッフがそんな出すぎた真似しちゃいけない。劇団やってた頃は、身内の役者に対してならできてたけど、日常ではしてはいけない会話、行為、思考だとなんとなく感じていた。だからしなかった。まあそうだよな。精神分析なんて人の人たらしめる心を切り刻む学問なんだから、人格攻撃になる。死体解剖は死体を攻撃していることになる。見る人によっては。精神分析は、人格を解剖のように切り刻む。舞台演技は、役者本人の人格はその役にとって障害物になる。
あーなるほどな。自分勝手な納得。
わかった。わたしは精神科医になりたいんだろうな。精神科医という物は、わたしにとって鈍感な人間だ。わたしが毛嫌いしている斎藤のこの文章で述べられている通りだ。だから近寄るな、鈍感な人間にとやかく言われても混乱するだけだ、と言っているんだが。
わたしは鈍感になりたい。鈍感になれば今の苦痛から解放される。物質的な摂理として。
わたしは無意識でそう考えているんだな。精神科医になりたい、鈍感な人間になりたい、と。
肩車は、もしわたしが精神科医に、鈍感な人間になったら、過敏な人間(言っておくがわたしは頭では中島みゆきは正常人だと、すなわち種族として鈍感な人間だと考えている。過敏な方だとも思うけど)の重荷になる、とも思っているんだろう。
それはわたしにとっても重荷である。精神科医としてのわたしを肩車する中島みゆきはわたしでもある。
あ、書いてないことに今気づいたけど、前半の文章、夢日記だよ。
あれ、違うか。隣にいる老人は正常人だ。重荷が下りて政治の話をしているなら、典型な正常人だということになる。わたしの主観で。だから、わたしが鈍感な人間の立場に立っても、鈍感な人間たちという種族にとって重荷にしかならない、ってことか。わたしがなりたい相手の重荷にしかならない、と。好きな相手と恋人になっても相手の重荷にしかならない、っていかにも中島みゆきチックだよな。
うわつまんね。普通に覚醒時に考えていることじゃん。
やっぱ夢と日常はおんなじだ。わたしにとって。
……あーこれって「正反合」だよな。「合」がつまらないんだよな、わたしって。「合」がなんかすごく快楽的なものとなるのが理解できない。だから正常人って合意したがり屋なのか。「快楽的な合意」だからセックスに見えるんだな。わたしは。だから例の斎藤の文章とかをキャバのスカウトだとか女衒だとか思ってしまう。
あーたまきん君の自閉症について触れた論文、わたしはこれは高く評価してるんだけど、ここでの「ドナが感じていた主体化への恐れ」ってこういうことだよ。多分。主体化をつまらないと思っている人間に主体化を強制するから恐れになる。「俺の快楽を受け入れろ」って言う征服者に見える。マリアの処女懐胎とかほんとそんな風にしか見えないのよね。神にレイプされたってことでしょ、って素で思う。
ほら、わたしは演劇やってホステスまでやったからこんなジェンダー的な言い方になってるけど(つか学生時代はばりばりフェミニストだったしな)、違う方向から明かりを当てればより実体は正確に見えてくるものでしょ? わたしの「これってドナの「主体化の恐れ」と同じことじゃね?」っていう仮説が間違っていたとしてもね。わかるかなー? 物理やってたら「全ての学説は仮説だ」ってな感じに思えちゃうんだけど、仮説だから全く意味がないってわけでもないでしょ?
つか医学書院っていう同業者しか見ないようなところへの寄稿だったから本音が漏れちゃったのかもね。お前が女衒でありパラノイアックなBPDである本音が。
お前ユンギニアンだったんだろ? そっちの方が合ってると思うぞ? これが本音ならば、だけど。もちろん逆の場合だってあろうな。同業者が集まるサイトだからこそ、本音はそうじゃないけど同業者たちへのリップサービスみたいな感じで書いた文章だと。最初はわたしはそう解釈したお。
でもやっぱお前キモイ。ちんちん臭い。精液臭い。全体的に。ユンギニアンやってて何か大きな失敗こいてそれがトラウマっていうか心的外傷になって「ラカン萌え派」になったのかもしれんけどさ。ラカンってなパラノイアコンプレックスだからな。わたしの見立てでは。あ、自分がパラノイアだからそれにコンプレックスばりばりなラカンに萌えるわけか。なるほどな。んじゃーわたしにも萌え萌えだろ? いわずもがな揶揄だけど。
クラインの方がよっぽど未去勢的、すなわち自閉症論語るには有効だと思うけどな。ただやっぱ女だけあってちんちん大好きっぺえところもあるから、誤解は多いだろうな。あーやっぱ「有効」って嘘。取り消す。わたしもそうだよ。ここでの「鈍感になりたい」ってちんちん大好きってことだからな。
あ、そうそうこのブログでは何回か書いているから書かなかったけど、わたしゃアスペルガー症候群じゃねえよ。診断はパニック障害+抑鬱状態だお。おっおっお。
うえ、「主体化をつまらないと思っている人間に主体化を強制するから恐れになる。」って文章すげえ語弊が多い文章だと思ったけどめんどくさい。ああもうめんどくさい。そっとしといてくれ。
ってなことで放置。
つか、なんで
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しかし「ヒトの集団」には決してつながれない,というあきらめも抱いている。だからせめて,「楽しそうな笑顔の群れを見て,つながっている気分のおすそわけをいただく」にとどめている。
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って文章から、たまきん、お前みたいな「鈍感」な人間との「敷居」が「下がる」ことになるのかが、全く理解できないんだが。
答えてくれないかな。
なぜお前はその文章を引用して「敷居」が「下がる」と述べたのか。
お前の思考回路はどうなっているのか。
このアスペルガー症候群者が、お前みたいなすなわち合意を快楽的に感じられる人間が考えるがごとく「ヒトと繋がりたい」と思っている、とでも思ったのかい?
合意つまり繋がることが快楽にならないんなら原因が全く違うじゃないか。
わたしは、このアスペルガー症候群者が本当に未去勢者だったなら、エコラリア的にそう言っているだけだと考えるが。エコラリアじゃなくても谷山浩子『夢半球』におけるこの言葉みたいなもんだ。
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それにしてもわたし、こんな口の聞き方いつの間に覚えたんでしょうね
「嘘のように漂っている耳障りのいい言葉」だなんて
ほんとに耳障りのいい言葉
申し分のない活字の言葉
わたしはどうしてもこの紙の上から自由になれません
もうめんどくさい 黙ってしまえ
世界一くだらない人間になって、立派なものをいちいちやっかんで、そして
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なんで谷山は「この紙の上から自由になれ」ないのだろうね? いや、確かにお前らだって同じだよ? 超自我が無意識になっているんだから、ファルスによって統制されたシニフィアン群からは逃れられない。
だけど原因が違う。
お前らが自由になれないのはファルスによって統制されたシニフィアン群からだ。万能感を根拠にできているから、お前らはそのシニフィアン群の中を生きるようになったのだ。快楽だからそれを選択したのだ。
ところが未去勢者はそうはいかない。ファルスが故障しているんだからな。つまり、快楽だからそれを選択した、という過去を経ていない。
あーいや、確かに谷山が未去勢者(わかりやすく統合失調症者、自閉症者、スキゾイドの三つに限定しておく。分裂病型人格障害あたりはややこしくなるので保留)かどうかはまだ議論の余地はあると思うよ。宗教にはまってるらしいしな。つかたまきんはそんな議論に興味ないだろうけど。
お前が書評を書いているそのアスペルガー症候群者だって議論の余地はあると思うが、まあここは仮の顔で信用しておく。ホステスが客の自慢話を「すごいねー」って言うようなもんとして。嘘だって確信してるわけじゃないし、ほんとだとも確信しているわけじゃない、って意味な。
ともかく、お前ら去勢済み主体が「耳障りのいい言葉」たちから逃れられないのは、万能感という過去があり、いわば快楽を根拠としてそこに移住した過去があるからだが、未去勢者はそうじゃない、という意味でわたしは「エコラリア的」と述べたわけだ。谷山がファルスの壊れた、ラカン論において存在しないはずの「女」だとしたら、彼女もエコラリア的に「こんな口の聞き方」を覚えたのだろう。谷山が去勢済みだとしたら、このセリフは単なる去勢の否認だ。こういった自問自答を繰り返していれば、いつか彼女には万能感に満ちた過去が回帰するだろう。精神分析治療のゴールだわな。そう考えると、「単なる」とか言っちゃったけど、精神分析治療過程において不可避的に存在するデプレッション状態でもある。
去勢済み主体が逃れられない超自我すなわちファルスによって統制されたシニフィアン群ではなく、ファルスの故障した「存在しないはずの女」が逃れられない言葉たちというのが、サントームという第四の輪だとわたしは考えているが、ここは余談になる。
お前の言う「敷居」が「下がる」って言うのは、第四の輪は第四の輪じゃない、って言っていることになるんだが。第四の輪を知らない人間が、実際は第四の輪であるそれを「ボロメオの輪だよねそれって」って言っているようなもんなんだが。
お前が女衒なら、サントームは女郎小屋みたいなもんだ。そういやうちに未公開コメントしてた未去勢者(わたしの診断でな)は「鋼鉄の処女」とか言ってたな。これを超自我すなわちファルスによって統制されたシニフィアン群と解釈するか、サントームと解釈するかで違うわな。
原因は違うけど結果は同じだから、って意味かい? 原因が違うのに結果だけを見て「敷居」を「下げた」ら、訪問販売の詐欺師なんかも家に入れることになるよな? お前を殺そうと思ってそのためににこやかな顔をしている人間について「にこやかにしているから自分には危害を加えない」と思うようなことだよな?
これってお前、精神分析、心理学、精神病理学そのものを放棄していることにならないか?
ねえねえ、なんでお前は「敷居」が「下がる」と思ったの?
あーごめん、斎藤の例の文章がいかにもわたしのブログを読んでそうな内容で、わたしの被害妄想のせいでこんな問いかけ口調になっちゃったけど、斎藤がこのブログ知らない可能性だって否定しないから(それこそホステスがってもうええわ)、斎藤の知り合いいたら誰か伝えといてちょ。
すげー下痢だ。牛乳飲みすぎ。あっためても飲みすぎたら下痢すんだなって当たり前か。後半の文章はちょこちょこトイレ行きながら書いたものなので、筋が通ってないように読まれるかもしれないね、っていう言い訳。
前記事の「わたしは多くの他人とシニフィエが違う。」って言葉は冷凍庫でもある。
谷山の去勢済みっぽい曲でさえ「黒谷山」として解釈するわたしなんかは、このアスペルガー症候群当事者が言う「人はやはり,だれかとつながってこそ人なのだと思う」なんて言葉も、「私はなれないけどね」って風に解釈しちゃうんだけど。
ああめんどくせえ。そっとしといてくれって。
あ、そうそう、
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「他者は地獄だ」とサルトルは言ったが,まさに真の他者とのかかわりは,「侵入」されるか「取り込む」かを迫られる「地獄」なのだ。
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って要するにクライン論だよなってわたしなんかは思って別に反論はしないが、その「他者は地獄だ」って、正しくは「物自体とは地獄だ」、「本当の無我の境地である空観とは地獄だ」ってことだと思うんだよな。人だって物だろ? どうあがいても。ところが正常な人間たちは物から人を特別視している。無意識的に。常に既に。一方、人を人なるものとして特別視できない未去勢者たちは、人を物として見ている。まずここで去勢済み主体たちと「人」のシニフィエが違う。さらに、「物」についても、去勢済み主体たちは「物の殺害」を生後二年以内に経験しており、その心の奥底に「物は所有・把握・支配可能だ」という固定観念とでも言うべきものがあるため、未去勢者とはそのシニフィエが異なってしまう。「物は所有・把握・支配可能だ」ってことを学んだその瞬間が万能感に満ちた瞬間だ、ってこと。精神分析治療とはその瞬間を、PTSDのトラウマの回帰のごとく、過去として思い出させるのではなく、現在化させるものだ、ということだな。
まあ、正常人から見れば、そんな未去勢者の主観世界は絶対的に理解できないわけで(まさしく「女は存在しない」)、正常人って種から見て、未去勢者は他者だ、ってことになって、そういう、木村敏論における「絶対的未知性としての他者」という意味としての「他者」かもしれないが、どうでもいいや。びんたんの言い方だと未去勢者って神になるな。多神教系の神ではあると思うが。「他者は地獄だ」って言い方をしたサルトルはやっぱ一神教の人なんだろうね。むしろ仏教は空観とかあるからこそ一神教たりえないってことになるな。まー世間にゃ我がばりばりな坊主ばかりだから臨床実体として一神教化しているとわたしなんかは思うけど。けどー。
なんかディスコや小松製作所とかって半導体製造機器系からもアクセスがあってちょっと和んだ。ディスコは株で大損こいたなw PER高かったけどわたしの知ってる人がまじめだったから買ったら騙された。
まーがんばれや。わたしの数十年スパンでの予測なら電脳化はまだまだ進むと思うぞ? だから半導体需要もまだ伸びるってことになる。
つか飲茶とかPERとかROEとか知らないまま株はじめたって逆にすげえと思うわ。
あ、半導体以外の電脳素材が発明されたら知らん。
くそ。ああもう。もう。もう。牛か。死ぬ。「死にたい」じゃなくて「死ぬ」。「死にたい」は「殺される」じゃないだろ? だけど「殺される」だけでも違う。だから「死ぬ」。
まーキチガイババアが勝手に死ぬ死ぬ言ってるだけだと思っとけ。その通りなんだから。