ほんとにドゥルージアン、ガタリアンどもは自殺してね。
2009/12/13/Sun
ドゥルージアン、ガタリアンたち、この記事のコメント欄を目ン玉かっぽじってお読み。
引用する。
=====
あ、あと、自分がどうも今まで「素直」の意味を(というか裏に含んでいる意味か?)勘違いしていた(であろう)ことの指摘には感謝します。
=====
これがノマドだよ。
自分の言う言葉の意味がずれている。言葉の意味なんて多数決で決まるもの。実際の政治の多数決とかと比べたら「曖昧な多数決」とでも表現すべきかもしれないが。モル的って奴だな。合意が快楽になっているからモルになる、と。
彼は、モル的人間どもが多数決で決めた意味での「素直」という言葉は、もう使えないだろう。モル的人間たちに侵略されている。オイディプスたちに侵略されている。
全ての言葉の意味はずれている。現実はそうだ。去勢済み主体だってオイディプスだってそうなのだが、彼らは「自分の言う言葉の意味は必ず誰かに通じる」と思い込んでいる。「手紙は必ず宛先に届く」と思い込めている。そういった非現実という意味で幻想の世界だけを生きている。こうやって彼らの王国は豊かになるんだよ。文明は発展する。
だからサバルタンは語れない。
「手紙は必ず宛先に届く」ってのはラカンとデリダの論争で有名な文句なわけだが、「手紙は必ず宛先に届くとは限らない」とするデリダに対し、ラカンはなぜ「手紙は必ず宛先に届く」と主張したのだろうね? ラカンはこう言っている。「彼(デリダ)は哲学者で、私は臨床家だからだ」と。
「脱領土化」って言葉を言う奴も大概そうだよな。「自分の言う言葉の意味は誰かに必ず通じる」と思い込んで言っている。わたしの臨床においてはそうだ。
だからわたしはこう言っている。お前らは「脱領土化」と言いながらノマドたちの遊牧地を侵略しているのだ、と。
いいんだよ、正しいんだよ、正常なんだよ。お前らが。それが精神医学における正常ということだから。「自分の言葉は誰かに必ず通じる」と思い込めているパラノイアが正常人なんだ。
言葉が、というより意味が通じなくなったのが統合失調症者だ、と言ったらピンとくるかい? 彼らの言葉に限らず表現は、他人から見たら意味不明だろ?
まあ彼らも彼らで心のどっかでは「通じるかもしれない」という希望は持っていると思うがね。分裂症者は、お前らの手垢に塗れて劣化した「希望」という意味などではなく、本当の意味での希望にすがっている。
全く通じないってことはないんだよ。「必ず宛先に届くとは限らない」という意味で。たとえば大海原で遭難していても近くを客船が通りかかる可能性は全くゼロとは言えないだろ?
ノマドってな遭難者なんだよ。
お前らは大海原を領海にしようとやっきになっている船長だ。
ほんと日本のドゥルージアン、ガタリアンって小者ばっかだよな。沈没しても誰かが救ってくれると思い込んでる船長。まあ「手紙は必ず宛先に届く」と思い込んでいる限り実際に救ってくれるんだけどね。こんだけ高度な文明社会においては。
一方ラカニアンにゃ小笠原晋也っておもろい素材があるのに。小笠原は迷子になってたと思うよ。ノマドになってたかは知らんが遭難者に近い精神世界を生きていたと。ドゥルーズ本人はまー病気の苦痛が遭難者の感覚を惹起したと脳内妄想してあげれば許してあげなくもない。
お前ら全然迷子じゃないよな(大爆笑)。ま、ラカニアンにもそういうのいっぱいいるんだけどね。
追記する必要性を感じられない追記。
最近ほとんど一日中寝てる。食事は蒸しパン一個。まあいわゆる抑鬱状態なのだろうな。
この記事でも宣言しているが、わたしは抑鬱なるものが嫌いだ。
わたしにとって抑鬱とは思考停止であり、死そのものだ。
なんで巷のバカどもは簡単に抑鬱状態になれるのか理解できない。
先の文章は体が抑鬱状態であることの否認として書いた部分もある。この記事などはともかくとして、先のドゥルージアン、ガタリアンたちへの罵倒はいわゆるダシだ。八つ当たりのようなものだ。
抑鬱とは喪である。喪とは何かを失うことである。何かを失うことで自分の死を連想する。この連想された死は劣化されたものだ。一般の人間が理解している「死」のシニフィエは劣化したものだ。死とは失うことではない。自分が死ぬことは失うことなどではない。単純に考えればわかることなのに。本当の死とは世界の停止である。永久の時間が一瞬に短縮されることで世界は停止する。てんかん発作時のそれを精神状態と表現してよいならば、その精神状態が近い。てんかん発作を自慰的に楽しむ患者は、他のどの症例よりもはるかに直接的に死の欲動に従っていると言える。
だからわたしは抑鬱が嫌いだ。怖い。
わたしの背後にあるものに対しては、「怖い」という表現が適切か自信はないが、今わたしに眼前する抑鬱に対しては、「怖い」でいいと思える。
お前らはなぜ抑鬱状態が平気なのだ?
知り合いのアスペルガー症候群者が自身の抑鬱状態を「アヤナミモード」と表現していたが、彼はそれに対して嫌悪感を示していた。
そっか、お前らの抑鬱状態は喪という劣化された死だからか。
本当に何もかもが劣化されてるのな、お前らの世界って。
あ、「劣化」って言葉が嫌なら別に「昇華」でもいいよ? ただそうである現実的な死を昇華したものが、お前たちにとっての「死」だ。うんうん。自分の主観世界を防衛するために、現実的な死を昇華して喪などという「死」に昇華している。しっくりくるね。お前らも怒らないで済みそうだ。
現実的なただそうであるものから離れている、という意味で「劣化」って言ってるだけだから、まあ気にすんな。
引用する。
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あ、あと、自分がどうも今まで「素直」の意味を(というか裏に含んでいる意味か?)勘違いしていた(であろう)ことの指摘には感謝します。
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これがノマドだよ。
自分の言う言葉の意味がずれている。言葉の意味なんて多数決で決まるもの。実際の政治の多数決とかと比べたら「曖昧な多数決」とでも表現すべきかもしれないが。モル的って奴だな。合意が快楽になっているからモルになる、と。
彼は、モル的人間どもが多数決で決めた意味での「素直」という言葉は、もう使えないだろう。モル的人間たちに侵略されている。オイディプスたちに侵略されている。
全ての言葉の意味はずれている。現実はそうだ。去勢済み主体だってオイディプスだってそうなのだが、彼らは「自分の言う言葉の意味は必ず誰かに通じる」と思い込んでいる。「手紙は必ず宛先に届く」と思い込めている。そういった非現実という意味で幻想の世界だけを生きている。こうやって彼らの王国は豊かになるんだよ。文明は発展する。
だからサバルタンは語れない。
「手紙は必ず宛先に届く」ってのはラカンとデリダの論争で有名な文句なわけだが、「手紙は必ず宛先に届くとは限らない」とするデリダに対し、ラカンはなぜ「手紙は必ず宛先に届く」と主張したのだろうね? ラカンはこう言っている。「彼(デリダ)は哲学者で、私は臨床家だからだ」と。
「脱領土化」って言葉を言う奴も大概そうだよな。「自分の言う言葉の意味は誰かに必ず通じる」と思い込んで言っている。わたしの臨床においてはそうだ。
だからわたしはこう言っている。お前らは「脱領土化」と言いながらノマドたちの遊牧地を侵略しているのだ、と。
いいんだよ、正しいんだよ、正常なんだよ。お前らが。それが精神医学における正常ということだから。「自分の言葉は誰かに必ず通じる」と思い込めているパラノイアが正常人なんだ。
言葉が、というより意味が通じなくなったのが統合失調症者だ、と言ったらピンとくるかい? 彼らの言葉に限らず表現は、他人から見たら意味不明だろ?
まあ彼らも彼らで心のどっかでは「通じるかもしれない」という希望は持っていると思うがね。分裂症者は、お前らの手垢に塗れて劣化した「希望」という意味などではなく、本当の意味での希望にすがっている。
全く通じないってことはないんだよ。「必ず宛先に届くとは限らない」という意味で。たとえば大海原で遭難していても近くを客船が通りかかる可能性は全くゼロとは言えないだろ?
ノマドってな遭難者なんだよ。
お前らは大海原を領海にしようとやっきになっている船長だ。
ほんと日本のドゥルージアン、ガタリアンって小者ばっかだよな。沈没しても誰かが救ってくれると思い込んでる船長。まあ「手紙は必ず宛先に届く」と思い込んでいる限り実際に救ってくれるんだけどね。こんだけ高度な文明社会においては。
一方ラカニアンにゃ小笠原晋也っておもろい素材があるのに。小笠原は迷子になってたと思うよ。ノマドになってたかは知らんが遭難者に近い精神世界を生きていたと。ドゥルーズ本人はまー病気の苦痛が遭難者の感覚を惹起したと脳内妄想してあげれば許してあげなくもない。
お前ら全然迷子じゃないよな(大爆笑)。ま、ラカニアンにもそういうのいっぱいいるんだけどね。
追記する必要性を感じられない追記。
最近ほとんど一日中寝てる。食事は蒸しパン一個。まあいわゆる抑鬱状態なのだろうな。
この記事でも宣言しているが、わたしは抑鬱なるものが嫌いだ。
わたしにとって抑鬱とは思考停止であり、死そのものだ。
なんで巷のバカどもは簡単に抑鬱状態になれるのか理解できない。
先の文章は体が抑鬱状態であることの否認として書いた部分もある。この記事などはともかくとして、先のドゥルージアン、ガタリアンたちへの罵倒はいわゆるダシだ。八つ当たりのようなものだ。
抑鬱とは喪である。喪とは何かを失うことである。何かを失うことで自分の死を連想する。この連想された死は劣化されたものだ。一般の人間が理解している「死」のシニフィエは劣化したものだ。死とは失うことではない。自分が死ぬことは失うことなどではない。単純に考えればわかることなのに。本当の死とは世界の停止である。永久の時間が一瞬に短縮されることで世界は停止する。てんかん発作時のそれを精神状態と表現してよいならば、その精神状態が近い。てんかん発作を自慰的に楽しむ患者は、他のどの症例よりもはるかに直接的に死の欲動に従っていると言える。
だからわたしは抑鬱が嫌いだ。怖い。
わたしの背後にあるものに対しては、「怖い」という表現が適切か自信はないが、今わたしに眼前する抑鬱に対しては、「怖い」でいいと思える。
お前らはなぜ抑鬱状態が平気なのだ?
知り合いのアスペルガー症候群者が自身の抑鬱状態を「アヤナミモード」と表現していたが、彼はそれに対して嫌悪感を示していた。
そっか、お前らの抑鬱状態は喪という劣化された死だからか。
本当に何もかもが劣化されてるのな、お前らの世界って。
あ、「劣化」って言葉が嫌なら別に「昇華」でもいいよ? ただそうである現実的な死を昇華したものが、お前たちにとっての「死」だ。うんうん。自分の主観世界を防衛するために、現実的な死を昇華して喪などという「死」に昇華している。しっくりくるね。お前らも怒らないで済みそうだ。
現実的なただそうであるものから離れている、という意味で「劣化」って言ってるだけだから、まあ気にすんな。