女衒
2009/12/16/Wed
わかった。
この記事の「転移に転移する」って言葉。俗的に言えば「恋に恋する」って奴。これすげー重要。
「誰かに恋したい」じゃなくて「恋ってなんだろう? ワカンナイ。ワカンナイから恋してみたい」が、自罰パラノイアと未去勢的なマゾヒスムの違いだ。
極端に言えば、「誰かに恋した」くて自傷するのが、昨今の心理学業界で「自傷行為をするBPDは超自我が強い」とされている奴ら、すなわちパラノイアックなBPDであり、「恋ってよくわかんないから恋してみたい」で自傷するのが、スキゾフレニックなBPDだ。いわば(悪い言い方だと自覚して言わせてもらう)、非処女がちんちんを欲しがるのがパラノイアックなBPDであり、処女が好奇心半分で性に興味を持つのがスキゾフレニックなBPDだ。
斎藤のこの文章はここがわかってない。まあお前らが欲望してるのは処女なんだろうが、いや別にそうじゃなくてもわたしゃどうでも構わんが、斎藤がした誤謬は、その推論が当てはまるのは、非処女だ。自罰パラノイアの記事から。
=====
自罰パラノイアも未去勢者も「抑圧する父」を愛している。いや、愛する可能性があるだろう。わたしの個人的診断では二階堂奥歯は未去勢者であるが、彼女は「抑圧する父」を愛そうとしていた。しかし決定的に違うのは、「抑圧する父」に抱かれたことが、罰せられたことがあるかないかだ。自罰パラノイアは一度は「抑圧する父」に抱かれている、罰せられている。それがどういうことか知っている。従って罰せられて心の平安を得ることができる。心の平安を得るために罰せられようとする。
しかし未去勢者は知らない。なのでそれを「抑圧する父」と表現するのも微妙だ。単なる「器」と表現した方が正確かもしれない。去勢済みの主体はそれに抱かれたことがあるから「抑圧する父」となるのであって、未去勢者にとってそれは父とは限らない。なぜなら抱かれたことが、罰せられたことがないから。
=====
あ、ごめんわたし非処女だよって念のため断っておく。うしろもな(笑)。
この記事から。
=====
つか、なんで
=====
しかし「ヒトの集団」には決してつながれない,というあきらめも抱いている。だからせめて,「楽しそうな笑顔の群れを見て,つながっている気分のおすそわけをいただく」にとどめている。
=====
って文章から、たまきん、お前みたいな「鈍感」な人間との「敷居」が「下がる」ことになるのかが、全く理解できないんだが。
答えてくれないかな。
なぜお前はその文章を引用して「敷居」が「下がる」と述べたのか。
お前の思考回路はどうなっているのか。
=====
斎藤のこの思考回路が当てはまるのは、(実際的に処女であるかどうかではなく、精神的な問題としての)非処女だ。
斎藤の文章とかすげー処女好きなイメージがあるんだけど(個人的に、ね)、なんだお前「頭は非処女」を欲望してるだけじゃねーかwww 「体は処女がいいけど頭は非処女がいい」を欲望する一般オタクとあんま変わんねーな。つかわかってるツラしてる分おまいの方がタチ悪い。あ、いやまあ『リアルげんしけん』で描かれてるような後輩オタクみたいなひきこもりたちとは似てるってなるんだろうけどね。まー要するに、別にこんなのえらそうに言うことじゃないけど、「お前は「社会的ひきこもり」を分析しているように見えて自分自身を分析している」ってことなんだよな。いや正しいんだよそれで。っておまい精神分析家じゃないからどうでもいいんだろうけど。わたしは自覚してやってるよ。他人を分析している時それは同時に自分を分析していることだって。別に精神分析家になりたいわけじゃないけどね。わたし個人が発案している逆精神分析(最近理論に不備が見つかったので封印してる)ならいいけど。つかずっと前から言ってるじゃんわたし、「言葉とは諸刃のナイフだ」って。そもそもわたしの「現実」のシニフィエって自他混淆してる妄想分裂態勢ですからー。
「言述は自分を表象=代理するものであり、それどころか、言述は自己の表象=代理そのものであるのだ。」
お前の言う「敷居が下がる」という言葉は、お前が勝手に処女を非処女だと思い込むための言い訳だ。その文章は、当該アスペルガー症候群当事者を精神的な非処女だとするために成立した推論だ。
現実的には処女だけど非処女だと思えばそりゃー「敷居は下がる」んだろうな(大爆笑)。
「別にあんたをかばおうとしてやってるんじゃないよ。あたしゃ、自分がちんちんおっ立ててるくせに他人にやらせようとする包茎短小野郎が大ッ嫌いなだけ。こういう女衒どもがね」
「いえ、かばうもなにも、別に嫌がらせされてるわけじゃありませんし……」
「えっ、……じゃ、じゃあ、あんたもあたしの嫌いな人種ってだけ。とりあえず今はこっちにむかついてるからこっちに唾ふっかけてからね」
ユングもこうやって患者とやりまくったのかね? まあ自分でやっちゃうユングの方がまだましか。
なんか『バッド・チューニング』みたいなノリになってしまったな。
=====
しかし、そいつは思いのほか難儀な存在だ。理性や常識で押さえつけようとすればするほど、歪んだ形になって、露顕してしまう恐れがある……などと、フロイトを気取るつもりはないけれど、たしかにすべての原因を性に結びつけたフロイトは、過去の偉大な学者だった。
もっとも私に言わせれば学者ではなく、偉大な正直者であり、同時に偉大なる言い訳の大家だった。
自分がすけべであることを認めながら、自分だけがそうなんじゃない貴様もお前も同じだと言い張った。それで偉大な真理……つまりは、人間すべてがすけべという本性を実証した。
偉大なるご苦労さま、偉大なる言い訳の大家で劣等感の持ち主、髭のユダヤのすけべじじい。
=====
あ、中坊さん君の部屋便所にさせてくれてありがとうね。これがなきゃこの文章書けなかったとは思う。もう二度としません。
自分の思考回路の原理を考えると、どうやっても「人の心を傷つけるため」ってことになるんだよな。そんなに恨んでるわけじゃないのに、そうなっちゃうから「恨んでいる」と言わなきゃならなくなる。「キモいから」だけじゃだめ? 「キモいから殺したい」って。あー顔形とかじゃなくて、お前らの心がキモいの。
世間で言う「きれいな心」ってのが一番キモいんだよな、わたし。「お前らそうした方が集団としてうまくいくからそれを「きれい」って言ってるだけで、いわば社則みたいなもので、別に本気で「きれい」とは思ってないんだろ?」とか素で思っちゃう。
でもドラマとか見てると、単なる社則にすぎない「きれいな心」に視聴者は本気で感動すると思い込んで作られてるんだから、やっぱ感動してるのか。
ほんとお前らわけわかんねえ。
あ、そうそう、谷山浩子ファンに聞きたいんだけどさ、『ねこの森には帰れない』(ほんと顎ねえのな、とかそんなとこ見てしまう。決してうまいっていうか安定した歌い方じゃないのもそんな要件が絡んでるのかもね)の、歌えなくなった「なくした歌」って、どんな歌だろうね?
わたしはね、『ゆりかごの歌』だと考えたら、とってもしっくりくるんだ。んでその「ねこの森」って、魔女の森でもあって、『魔法使いの恋人が逃げた』の森だったりもすると思うんだな。
そりゃー「帰れない」よな(笑)。「人ごみ」に紛れて生きてるんなら。
でもさ、なんだ谷山結構帰省してんじゃん、とかなんか思ったりしてね。「帰っちゃだめ」っていうか「帰れない」ってことになってるからこんな風に歌ってるだけで。
でもね、ほんと「帰れない」んだとは思う。本当に歌えなくなってたとは思う。それは多分十五歳のデビュー当時から。ただその頃は、歌えなくなっていたことなんてどうでもよかったから、歌えなくなっていたとは自覚してなかった、と。そんなのいつでも思い出せる、歌える(本当は忘れてしまってるんだけど)、くらいに思っていたのかもしれない。
でもね、やっぱり歌えないと思うんだ。なんせ「ゆりかご」で聞いた歌なんだから。生まれたばかりの赤ん坊の頃の歌なんだから。
だからか知らないけどね、実はわたしそんなに『ねこの森~』好きじゃないんだよね。
『カントリーガール』みたいにふられる歌がやっぱ好きみたい。あ、別にふられる系とは限らないけど。
ゆうこりんってほんと「かっこいい」って思ってしまうんだよなー。「かっこいい」から「ファロセントリスムすら感じる」なんて短絡的に言ったこともあるけど、まーすげー間違った使い方だと自分で思う。でもひねくれた言い方じゃなくてほんと単に「かっこいい」と感じてるってことを伝えたかったからこんな言い方したのかな? かな? 「かっこいい」ってのはほんと間違ってないんだよね。あ、ちなみに谷山とか「かっこいい」じゃないよ。
なんでだろ。
わたしは別に差別など受けたこともないし、いじめられた記憶もあまりない。だからこの「恨み」は筋違いも甚だしい。というか筋すらない。
だけど、多くの人の心に感じるこの「キモさ」は、極端な言い方にはなるが、「差別」のようなもの、とも言える。この「キモさ」が巡り巡って、たとえば一つの結果として、「差別」になる、というような。
だけど、この「キモさ」は、心そのものでもあるため、心から取り除くことは不可能だと思える。
「差別」の原因がなくならないのだから、「差別」もなくならないだろう。なくなったとしても、違った言葉で表現されるものになるだけだろう。
だから、ね。
せめて言葉だけでも、「差別」はなくしたいじゃない。「キモさ」はなくしたいじゃない。
嘘でもいいから。
「悪い言い方」なんて、その言葉を「差別」しているってことでしょう? その言葉を「悪い」って言って「差別」していることでしょう?
言葉だけでも、そういうのなくそうよ。
嘘だけでも、そういうのなくしてよ。
「差別」はなくすことはできないよ。現実に存在する。
だから、ね。
嘘だけでも。
……ああ、だめか。「人」より「言葉」を大事にしろ、ってことだもんな。「人」に対して「いい、悪い」の区別はしてもいいけど、「言葉」に対してそういう区別をするな、ってことだもんな。
この言い方だとだめだよな。
うん、谷山のふられる系じゃない曲では、『約束』とか意外と好きなんだよね。ほんと、傾向を考えたらわたしはあまり好きにならない系統だとは思うけど、まあそんなに好きってわけじゃないけど、微妙に好きなんだ。
「約束」っていうのは、大事な言葉じゃない。「約束」って言葉が、じゃなくて、「約束」って表現されるようないろんな言葉たちが、ってこと。だから全ての言葉が大事になる。
嘘だけど。
嘘だから、さ。
この記事から。
=====
言葉や人や物に何かしらの妄想をこびりつかせるから、人は傷つく。
では、妄想をこびりつかせなかったら、傷つかないのか。
妄想をこびりつかせなかった言葉や人や物は、ただそうであるものとして、物自体として、量子力学的に、人体に影響を与えるだろう。
妄想をこびりつかせなかった言葉や人や物は、生の刺激となるだけである。
ゆえに、傷つく。
妄想を消し去ったからといって、存在が消えるわけではない。
=====
「いい、悪い」の区別なんてのも、全て言葉や人や物にこびりつかせる妄想だ。
となると、わたしがキモいと感じる差別の病理というか、心の性根みたいなものをなくせば、言葉や人や物にこびりついた妄想はなくなる。
しかし、物自体的となった言葉も、生の刺激として人を傷つける。
心的外傷となる。
これが本当の芸術の感動。
わたしがキモいと感じる心の性根がなくなれば、人は芸術の本当の感動を味わえる。
いやそんなの言い訳だ。わたしはただそれをキモいと感じているだけだ。
わたしがキモいと感じる心の性根がなくなることとは、芸術を前に裸になること。傷つきやすい体を芸術作品の前に投げ出すこと。
体は苦痛に痙攣する。
……あーだめだ、本当のことを言うと絶対反感を買う。あるいは信用されない。
もういいよ。
何もかもが言い訳に聞こえる。自分の言葉が。
えええええ!! ちょ、『CSI』ピーターセンの穴埋めがリーヴ・シュレイバーだと!! ちょちょちょ、すげえなんか、はまるっていうか、いやリメイク『オーメン』とか評価散々なんだけどさ、この人好きなんだよ、『スクリーム』でなんか記憶に残っててさ、んでこれも悪評が多い『オーバー・ザ・ムーン』(日本未公開だったのね)で「おおこの役者さんいいなあ」って思ってさ、あとで『スクリーム』の人だって気づいたんだけどさ。いやうまいよ。この人。この人ネタに記事書こうとしたことがあるくらい。
すげーなー、ほんとわたしのためにあるようなドラマだな、『CSI』。
いやグリッソムさんも好きですよはい、サラも好きでこの二人がまさか付き合うとは思わなかった。
この記事の「転移に転移する」って言葉。俗的に言えば「恋に恋する」って奴。これすげー重要。
「誰かに恋したい」じゃなくて「恋ってなんだろう? ワカンナイ。ワカンナイから恋してみたい」が、自罰パラノイアと未去勢的なマゾヒスムの違いだ。
極端に言えば、「誰かに恋した」くて自傷するのが、昨今の心理学業界で「自傷行為をするBPDは超自我が強い」とされている奴ら、すなわちパラノイアックなBPDであり、「恋ってよくわかんないから恋してみたい」で自傷するのが、スキゾフレニックなBPDだ。いわば(悪い言い方だと自覚して言わせてもらう)、非処女がちんちんを欲しがるのがパラノイアックなBPDであり、処女が好奇心半分で性に興味を持つのがスキゾフレニックなBPDだ。
斎藤のこの文章はここがわかってない。まあお前らが欲望してるのは処女なんだろうが、いや別にそうじゃなくてもわたしゃどうでも構わんが、斎藤がした誤謬は、その推論が当てはまるのは、非処女だ。自罰パラノイアの記事から。
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自罰パラノイアも未去勢者も「抑圧する父」を愛している。いや、愛する可能性があるだろう。わたしの個人的診断では二階堂奥歯は未去勢者であるが、彼女は「抑圧する父」を愛そうとしていた。しかし決定的に違うのは、「抑圧する父」に抱かれたことが、罰せられたことがあるかないかだ。自罰パラノイアは一度は「抑圧する父」に抱かれている、罰せられている。それがどういうことか知っている。従って罰せられて心の平安を得ることができる。心の平安を得るために罰せられようとする。
しかし未去勢者は知らない。なのでそれを「抑圧する父」と表現するのも微妙だ。単なる「器」と表現した方が正確かもしれない。去勢済みの主体はそれに抱かれたことがあるから「抑圧する父」となるのであって、未去勢者にとってそれは父とは限らない。なぜなら抱かれたことが、罰せられたことがないから。
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あ、ごめんわたし非処女だよって念のため断っておく。うしろもな(笑)。
この記事から。
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つか、なんで
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しかし「ヒトの集団」には決してつながれない,というあきらめも抱いている。だからせめて,「楽しそうな笑顔の群れを見て,つながっている気分のおすそわけをいただく」にとどめている。
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って文章から、たまきん、お前みたいな「鈍感」な人間との「敷居」が「下がる」ことになるのかが、全く理解できないんだが。
答えてくれないかな。
なぜお前はその文章を引用して「敷居」が「下がる」と述べたのか。
お前の思考回路はどうなっているのか。
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斎藤のこの思考回路が当てはまるのは、(実際的に処女であるかどうかではなく、精神的な問題としての)非処女だ。
斎藤の文章とかすげー処女好きなイメージがあるんだけど(個人的に、ね)、なんだお前「頭は非処女」を欲望してるだけじゃねーかwww 「体は処女がいいけど頭は非処女がいい」を欲望する一般オタクとあんま変わんねーな。つかわかってるツラしてる分おまいの方がタチ悪い。あ、いやまあ『リアルげんしけん』で描かれてるような後輩オタクみたいなひきこもりたちとは似てるってなるんだろうけどね。まー要するに、別にこんなのえらそうに言うことじゃないけど、「お前は「社会的ひきこもり」を分析しているように見えて自分自身を分析している」ってことなんだよな。いや正しいんだよそれで。っておまい精神分析家じゃないからどうでもいいんだろうけど。わたしは自覚してやってるよ。他人を分析している時それは同時に自分を分析していることだって。別に精神分析家になりたいわけじゃないけどね。わたし個人が発案している逆精神分析(最近理論に不備が見つかったので封印してる)ならいいけど。つかずっと前から言ってるじゃんわたし、「言葉とは諸刃のナイフだ」って。そもそもわたしの「現実」のシニフィエって自他混淆してる妄想分裂態勢ですからー。
「言述は自分を表象=代理するものであり、それどころか、言述は自己の表象=代理そのものであるのだ。」
お前の言う「敷居が下がる」という言葉は、お前が勝手に処女を非処女だと思い込むための言い訳だ。その文章は、当該アスペルガー症候群当事者を精神的な非処女だとするために成立した推論だ。
現実的には処女だけど非処女だと思えばそりゃー「敷居は下がる」んだろうな(大爆笑)。
「別にあんたをかばおうとしてやってるんじゃないよ。あたしゃ、自分がちんちんおっ立ててるくせに他人にやらせようとする包茎短小野郎が大ッ嫌いなだけ。こういう女衒どもがね」
「いえ、かばうもなにも、別に嫌がらせされてるわけじゃありませんし……」
「えっ、……じゃ、じゃあ、あんたもあたしの嫌いな人種ってだけ。とりあえず今はこっちにむかついてるからこっちに唾ふっかけてからね」
ユングもこうやって患者とやりまくったのかね? まあ自分でやっちゃうユングの方がまだましか。
なんか『バッド・チューニング』みたいなノリになってしまったな。
=====
しかし、そいつは思いのほか難儀な存在だ。理性や常識で押さえつけようとすればするほど、歪んだ形になって、露顕してしまう恐れがある……などと、フロイトを気取るつもりはないけれど、たしかにすべての原因を性に結びつけたフロイトは、過去の偉大な学者だった。
もっとも私に言わせれば学者ではなく、偉大な正直者であり、同時に偉大なる言い訳の大家だった。
自分がすけべであることを認めながら、自分だけがそうなんじゃない貴様もお前も同じだと言い張った。それで偉大な真理……つまりは、人間すべてがすけべという本性を実証した。
偉大なるご苦労さま、偉大なる言い訳の大家で劣等感の持ち主、髭のユダヤのすけべじじい。
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あ、中坊さん君の部屋便所にさせてくれてありがとうね。これがなきゃこの文章書けなかったとは思う。もう二度としません。
自分の思考回路の原理を考えると、どうやっても「人の心を傷つけるため」ってことになるんだよな。そんなに恨んでるわけじゃないのに、そうなっちゃうから「恨んでいる」と言わなきゃならなくなる。「キモいから」だけじゃだめ? 「キモいから殺したい」って。あー顔形とかじゃなくて、お前らの心がキモいの。
世間で言う「きれいな心」ってのが一番キモいんだよな、わたし。「お前らそうした方が集団としてうまくいくからそれを「きれい」って言ってるだけで、いわば社則みたいなもので、別に本気で「きれい」とは思ってないんだろ?」とか素で思っちゃう。
でもドラマとか見てると、単なる社則にすぎない「きれいな心」に視聴者は本気で感動すると思い込んで作られてるんだから、やっぱ感動してるのか。
ほんとお前らわけわかんねえ。
あ、そうそう、谷山浩子ファンに聞きたいんだけどさ、『ねこの森には帰れない』(ほんと顎ねえのな、とかそんなとこ見てしまう。決してうまいっていうか安定した歌い方じゃないのもそんな要件が絡んでるのかもね)の、歌えなくなった「なくした歌」って、どんな歌だろうね?
わたしはね、『ゆりかごの歌』だと考えたら、とってもしっくりくるんだ。んでその「ねこの森」って、魔女の森でもあって、『魔法使いの恋人が逃げた』の森だったりもすると思うんだな。
そりゃー「帰れない」よな(笑)。「人ごみ」に紛れて生きてるんなら。
でもさ、なんだ谷山結構帰省してんじゃん、とかなんか思ったりしてね。「帰っちゃだめ」っていうか「帰れない」ってことになってるからこんな風に歌ってるだけで。
でもね、ほんと「帰れない」んだとは思う。本当に歌えなくなってたとは思う。それは多分十五歳のデビュー当時から。ただその頃は、歌えなくなっていたことなんてどうでもよかったから、歌えなくなっていたとは自覚してなかった、と。そんなのいつでも思い出せる、歌える(本当は忘れてしまってるんだけど)、くらいに思っていたのかもしれない。
でもね、やっぱり歌えないと思うんだ。なんせ「ゆりかご」で聞いた歌なんだから。生まれたばかりの赤ん坊の頃の歌なんだから。
だからか知らないけどね、実はわたしそんなに『ねこの森~』好きじゃないんだよね。
『カントリーガール』みたいにふられる歌がやっぱ好きみたい。あ、別にふられる系とは限らないけど。
ゆうこりんってほんと「かっこいい」って思ってしまうんだよなー。「かっこいい」から「ファロセントリスムすら感じる」なんて短絡的に言ったこともあるけど、まーすげー間違った使い方だと自分で思う。でもひねくれた言い方じゃなくてほんと単に「かっこいい」と感じてるってことを伝えたかったからこんな言い方したのかな? かな? 「かっこいい」ってのはほんと間違ってないんだよね。あ、ちなみに谷山とか「かっこいい」じゃないよ。
なんでだろ。
わたしは別に差別など受けたこともないし、いじめられた記憶もあまりない。だからこの「恨み」は筋違いも甚だしい。というか筋すらない。
だけど、多くの人の心に感じるこの「キモさ」は、極端な言い方にはなるが、「差別」のようなもの、とも言える。この「キモさ」が巡り巡って、たとえば一つの結果として、「差別」になる、というような。
だけど、この「キモさ」は、心そのものでもあるため、心から取り除くことは不可能だと思える。
「差別」の原因がなくならないのだから、「差別」もなくならないだろう。なくなったとしても、違った言葉で表現されるものになるだけだろう。
だから、ね。
せめて言葉だけでも、「差別」はなくしたいじゃない。「キモさ」はなくしたいじゃない。
嘘でもいいから。
「悪い言い方」なんて、その言葉を「差別」しているってことでしょう? その言葉を「悪い」って言って「差別」していることでしょう?
言葉だけでも、そういうのなくそうよ。
嘘だけでも、そういうのなくしてよ。
「差別」はなくすことはできないよ。現実に存在する。
だから、ね。
嘘だけでも。
……ああ、だめか。「人」より「言葉」を大事にしろ、ってことだもんな。「人」に対して「いい、悪い」の区別はしてもいいけど、「言葉」に対してそういう区別をするな、ってことだもんな。
この言い方だとだめだよな。
うん、谷山のふられる系じゃない曲では、『約束』とか意外と好きなんだよね。ほんと、傾向を考えたらわたしはあまり好きにならない系統だとは思うけど、まあそんなに好きってわけじゃないけど、微妙に好きなんだ。
「約束」っていうのは、大事な言葉じゃない。「約束」って言葉が、じゃなくて、「約束」って表現されるようないろんな言葉たちが、ってこと。だから全ての言葉が大事になる。
嘘だけど。
嘘だから、さ。
この記事から。
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言葉や人や物に何かしらの妄想をこびりつかせるから、人は傷つく。
では、妄想をこびりつかせなかったら、傷つかないのか。
妄想をこびりつかせなかった言葉や人や物は、ただそうであるものとして、物自体として、量子力学的に、人体に影響を与えるだろう。
妄想をこびりつかせなかった言葉や人や物は、生の刺激となるだけである。
ゆえに、傷つく。
妄想を消し去ったからといって、存在が消えるわけではない。
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「いい、悪い」の区別なんてのも、全て言葉や人や物にこびりつかせる妄想だ。
となると、わたしがキモいと感じる差別の病理というか、心の性根みたいなものをなくせば、言葉や人や物にこびりついた妄想はなくなる。
しかし、物自体的となった言葉も、生の刺激として人を傷つける。
心的外傷となる。
これが本当の芸術の感動。
わたしがキモいと感じる心の性根がなくなれば、人は芸術の本当の感動を味わえる。
いやそんなの言い訳だ。わたしはただそれをキモいと感じているだけだ。
わたしがキモいと感じる心の性根がなくなることとは、芸術を前に裸になること。傷つきやすい体を芸術作品の前に投げ出すこと。
体は苦痛に痙攣する。
……あーだめだ、本当のことを言うと絶対反感を買う。あるいは信用されない。
もういいよ。
何もかもが言い訳に聞こえる。自分の言葉が。
えええええ!! ちょ、『CSI』ピーターセンの穴埋めがリーヴ・シュレイバーだと!! ちょちょちょ、すげえなんか、はまるっていうか、いやリメイク『オーメン』とか評価散々なんだけどさ、この人好きなんだよ、『スクリーム』でなんか記憶に残っててさ、んでこれも悪評が多い『オーバー・ザ・ムーン』(日本未公開だったのね)で「おおこの役者さんいいなあ」って思ってさ、あとで『スクリーム』の人だって気づいたんだけどさ。いやうまいよ。この人。この人ネタに記事書こうとしたことがあるくらい。
すげーなー、ほんとわたしのためにあるようなドラマだな、『CSI』。
いやグリッソムさんも好きですよはい、サラも好きでこの二人がまさか付き合うとは思わなかった。