君にマジョマジョ
2009/12/21/Mon
知ってる? 魔女ってのは、西欧の定義によると、知識を充分持っていることになってるんだ。いわば学者なんだよね。ただし、人間のためになることをやらない。いや時々依頼されて惚れ薬とか作ったりするから、全くしないということではないんよね。むしろ魔女じゃない学者たちが、人間のためになることしかしない、そういう仕事しか許されていない、って考えた方がいい。魔女がやっている学術的探求は、人間のためになろうがなるまいが関係なく、ただ自分が興味を持ったことを対象にしてる、と。アインシュタインなんか晩年魔方陣の研究に没頭したらしいけど、そんな研究あんまり人間のためにならないよね(笑)。アインシュタインは晩年やっと魔女の域に近づいた、ってことになる。あ、もちろん「魔女」とか言ってるけど生物学的男女なんか関係ないからね。
わたしはね、実は現代も、学者と呼ばれている人種の、特に自然科学系の、二、三割くらいは、本性は魔女なんだと思う。人間の、社会のためになることなんて別に興味はないけれど、結果的にそうなってるだけの人や、本当にやりたいことをやるために、仮の姿で、社会のためになることをやってるだけの人とか。だからこそ、たとえばカオス研究なんて、社会の役に立ちそうにないことにお金を要求したりしてるんだ。金子Qさん生きてるかな。いやごめん、カオス研究を社会的なことに応用している研究ももちろんあるんだけどさ、わたしほんっと言い訳でやってるようにしか見えなかったもん(笑)。予算もらうための「こんな風に社会に役立ちます」って言い訳。
あ、ごめん、わかるよ(笑)。そうしなきゃって。大体愚民どもなんて傲慢な生き物だからさ、自分たちの役に立たないことはお金出さないんだよね。今回の予算仕分け問題でよくわかったっしょ? あれが愚民どもの本音だよ。これ全部正常という精神疾患のせい。ちなみにこのせいで、学問に変な妄想抱いて、勉強嫌いになる愚民も多い。もろパラノイア(大爆笑)。
まーそんな蛆虫みたいな奴らだからさ、いくらでも騙してもいいと思うよ。奴らが学問に抱いてる嫌悪感ってのは要するにコンプレックスなわけで、憧れの裏返しなことが多い。だから真正面に立っちゃえばびびるよ。正々堂々と研究結果発表すれば厳しい父親を目の前にしたガキのように縮こまるさ。それが正常という精神疾患。
でもね、やつら演劇的に自分をよく見せるのが異常に長けてるんだよね。だからうちらが想像もできないくらいの勢いで味方を作ってくる。人海戦術をしかけてくる。そこんとこ注意してね。わたしはほら、前衛とかアングラの方だったから、そういう演技は見抜けるし、奴らの人海戦術の前には焼け石に水だけどそれを逆手に取ることだってできなくはない。腐っても演劇人。
あ、有馬や蓮實は魔女じゃないよ。演劇的に自分をよく見せるのがうまいって要するに政治家じゃん(だから小泉政権が劇場型政治とかって批判されてたけど、なんで批判になるのかがわからなかった。むしろ最初から嘘なのを嘘とすることで本当になる、って阿部寛みたいな演技になってたという意味で、好感持ってたよ。経済政策は反対だったけど)。いや地位があるから魔女じゃないって言ってるんじゃないよ。この目でその言動を見て、生理的嫌悪を感じたから言ってるの。この二人が政治的に地位があるのなんかたまたま。たまたまっていうかむしろさもありなんって感じ。あー「蓮實のお稚児さん(わたしが言い出したんじゃないよ、つかそう言われてたことくらい知ってるだろ本人も)」船曳も同類っぽいけど実はよく知らん。てか『ニュースステーション』だかなんだかに出演してたよな。すげーなー、やっぱ演劇的に自分をよく見せることが無意識になってる人って。そーいや平田オリザも出てたな。最初から青年団はそんなに好きじゃなかったけど、P4の中でも一番どうでもよかった。つかわたしがどうでもいいと思う人ほど社会的地位が高いって傾向はあるかも。しょせん抑鬱系の人種は最終的にそっち行くんだな、って再確認。中坊さんもいつか救われるんだろうな。まー嫁さんいるしいつでも救われるだろう。めでたしめでたし。テレビに出てる学者だと実は大槻教授は意外と平気だ。なんか自傷的とは言えないけど自虐的じゃん。自分がギャグとして扱われてるのに対し。でんじろうはびみょー。つかおまいのせいでぜんじろうが出にくくなったろうが、っていうキチガイのいちゃもん。ほんとぜんじろうって不運の人だよな。だから好き。田嶋陽子はー、自虐で(つまりキャラで)やってたとしても、ああいう持論の人が自虐しちゃーいけないと思うんだよな。ただの「ヒステリーの語らい」になる。「愛されなかったから愛して」ってなっちゃう。男性的享楽に丸め込まれる。だめ連とかも一瞬興味持って接触したことあるけど、あれなんてまさに「だめなボクチンを愛して」じゃん。そうだった。ああいうのだめだな。一番ちんちんの大小を気にしているのは本人なのに「ちんちんが小さいボクチンチン」ってやってるの。一方未去勢者はそもそも「愛」がよくわかってない、って話。このことは「愛されてこなかった」「愛されてない」ということとは全く異なる。それ自体がわかってないのだから、「愛されていたか愛されてなかったか」なんて問題は関係ない。そもそも「愛されていたか愛されてなかったか」って判断がつけられない(自分と他人の環境をいわば動物行動学的に比較観察して判断することはあろう)。まー田嶋キャラでやるなら自傷レベルまで行かないとね、と思う。そういう意味で松井冬子を「自傷系アート」とした上野千鶴子は鋭い。うん、この言葉だけには感心してる。おわかり? かべどん。いやすげー前「田嶋と大槻のキャラ論議」みたいな感じで、わたし消化不良なこと言ってた気がするんだが、今やっと言葉にできたよ。まーすでに読んでなかろうがな。もう死んだか。
話すげーそれたけど、ちょっと戻って、前衛とかアングラ演劇って、要するに「自己解体」系だよね。「自己肯定」が演劇的にうまい人の「演劇」とは逆。演劇論的に。
魔女の話だっけ。そうそう、他人なんてどうでもいいっしょ。あんたら巷で言われている「情」とか「愛」とか実はよくわかってなかったりするっしょ。正しいよ。「愛」なんて幻想でしか存在しないんだから。あるものだけをありのまま見る学者の態度として正しいんだよ。むしろ「愛」なんてよくわからないまま生きてたら学者になった、って人もいそうよね。レアだろうけど。
だから、「愛」は全人類がわかってるものだ、とする傲慢な正常人たちから、ただの妄想狂たちから虐げられてきたんじゃない? 虐げられるから「愛」をわかってるふりしてただけなんじゃない? 「愛」ってほんと傲慢よね。それを布教する信者どもも。魔女を焼き殺したキリスト教と全く同じ。
だからね、「自分は情性欠如者だ」って思っとけばいいの。この「情性」って言葉ですら愚民どもが自分たちの都合のいいように勝手に歪曲してるんだけどね(笑)。
そういう意味で、「別に魔女でいいじゃない」って言ってるわけだな。男でも。今はキリスト教も焼き殺してこないだろうしさ(笑)。正直になりなよ、つってるだけ。二、三割の人に。
ここはそういう魔女たちが本音を吐くスナック。愚痴っちゃえ。ここでだけでも魔女になっちゃえ。
人を人と思わなくてもいいんだよ、思えないなら。
もちろんそんなこと外で言っちゃふるぼっこされるよ(笑)。ぶんかいっ、ぶんかいっ。
ああ、わたしは奴らを分解するけどね。別にあんたらにやれって言ってるわけじゃないよ?
ただほら、魔女の定義には、動物を使役して人を襲う、みたいなのがあるんだよね。これってさ、自然の復讐なんだと思う。あんたらが目の前にして四苦八苦している自然の。物自体の反乱なんだと思う。もちろん、あんたらも自然側の、自然よりの人種だと思うよ。生まれつきそうだったのか、自然を見すぎてそうなったのか知らないけど。でもまあ有馬とか見てると、ああいうのと全く逆なあんたらを考えると、生まれつきそうだなーとは思う。
自然ってさ、すっごく多様でしょ。人間なんかより。なんでもありでしょ。おぞましいくらい。だからー、あんたらって自然は人間に服従した部分ってだけで、わたしは反乱する部分ってだけなのよ、多分。そういう自然の理なんだと思う。
そうね、あんたらも被害受けるだろうね。そんなのどうでもいいのが情性欠如者。要するに、あたしあんたらを攻撃するかもよ、って言ってるのさ。分解しちゃうよ、って。自分の興味に従って。
でもさ、あたしも一応人間だからさ、魔女っつってもしょせんは人間だからさ、そういう部分もちょっとはあると思ってるからさ、一言言っておこうかなって。最後に。
うん、店じまい(はやっ)。
あたしに殺されないよう気をつけてね。これは人間として言ってるの。
人生渾身の呪術にはなると思うけど、あんま期待しないでね(笑)。本当に自然側の人間だったらわかってるっしょ。愚民っていう、人間っていう不自然さは、それが過剰になってるから不自然になってるだけで、元々は自然だってことも。
じゃあね、ばいばい、魔女のくせに学者ヅラしてる短小包茎ども。
あんたらってほんとツラ気持ち悪いよな。いじめられっ子オーラくらい隠しなさいよ。役者の稽古でもしてみればあ?
うん、ほんと気持ち悪かった。蓮實や有馬系とはまた別の気持ち悪さ。あっちは嫌悪と言えるけど、あんたらの方は気持ち悪い、がしっくりくる。
ああ、あんたらもわたしのこと嫌いだろうね。数は少ないがわたしなんかより精神的に美人な「理系女」は巷にごろごろいるからね。世のため人のため滅私奉公する魔女じゃない女学者が(あたしから見たらただのファザコンだけど。そういやボーンズもマリコも咲もファザコンだよな)。あんたらはそういう女のアナルん中覗いてればいいよ。
うん、嫌ってくれた方がいい。わたしの方を見ないでいてくれた方いい。あんたらを分解する可能性が低くなるから。
タイトルの元ネタ。
ほんといや。何もかもが。全部気持ち悪い。
あ、この記事の、
=====
個々人が「認知認識体系」が違うって言うならそれでもいいんだけど、先に述べたように正常人たちはほぼ自覚なしに努力なしにむしろ快楽を根拠にして「認知認識体系」を他者と同様のものにできるんだから、「結果の修正」を行わされるのは未去勢者ばかりになるに決まってるだろうが。
=====
の「努力なしで」って言いすぎたな、って思った。努力はしてる正常人も多いと思う。いじめられっ子ってそうじゃん。去勢はされてるんだけど、つまり「合意の快楽」がどういうものか知ってるけど、環境がそれを許してくれないっていう。いやわたしいじめられた記憶ないからよくわからんけど。進学校だと成績よかったらむしろいじめられないのかね。いやそんなことねえか。東大も元いじめられっ子多そうだったし。女だったからよかったのかね。成績のいい理系女とか、当時は理解の範囲外だったから、浮いてた、ってだけ? あーそれっぽ。
つかいじめられっ子以外にも、容姿が悪いとかってのもそうなるよな。身体障害も、現代は軽いのはまあましだろうけど、Z武さんレベルになると、合意の快楽は得られにくいだろうね。なぜならほとんどの相手は五体満足だから。『五体不満足』な人間の苦労なんてわかるわけがない。人間そいつが経験した苦労が主観世界の裏打ちになってるもんだ、ってこのことは心的外傷とかってジャーゴン使って説明できるけどめんどいからしない。
ま、ともかく、合意のための努力はしてる可能性は認める。正常人たちも。だけど、そのご褒美があるかないか、だな。当然、自分の主観世界の問題なんだから、他人がくれるご褒美じゃない。
つまり、正常人のする合意のための努力とは、それの報酬として得られる快楽が根拠になっており、未去勢者がするそれとは、それこそ機能主義的な見方による社会からの制裁をおそれてするものだ、という違い。未去勢者がする合意のための努力はいわば強制労働みたいなもんだ。
つかさ、「個々人が「認知認識体系」が違うって言うなら」って話なんだけど、わたしの言葉では「共有できない前提を共有する」ってなるんだよな。しかし実際の社会ではされていない。されてないからわたしはそう訴えている。
従って、むしろなぜそういった前提が共有されていないのか、を考えるのが筋だろうがよ。
いや、別にだからどうしろなんて言わないよ? わたしはただ正常人たちの、お前らの心を傷つけようとしているだけ。お前らの人格を殺そうとしているだけ。人間同士なら必ず共有できると思い込んでいる妄想を、無意識にある確固たる信念を破壊しようとしているだけ。「必ず」ではない現実を見せつけてやろうとしているだけ。
人格とはパラノイアそのものなんだよ。ほんと素でそう思うわ。いろいろ考えてもそういうことになるし。
だからね、死んでって言ってるの。
もちろん反撃していいよ? 殺し合いしましょう、でいいよ別に? あたしゃ。
このブログにおける「わたし」とは、いわば三人称です。
助けてください。こんな言葉大嫌いだけど、言います。三人称の「わたし」が言ってるだけです。何を? 「助けてください」って言葉を? 違います。呪詛を吐いている方です。何言ってんだか。皮膚であるお前なんてわたしの一部にすぎない。わたしは確かに三人称だが、わたしを土台にしているお前は、一人称ですらない。偽者だ。わたしがいなくなったら、お前は皮膚だけになる。「からっぽの身体」になる。お人形になる。お人形になりたいのです。皮膚と肉の間を蠢くムカデを愛していたんじゃないのかい? 愛しているからいなくなってほしいのです。
死にましょう。お互いに。一人でする心中。
やめてくれ。ほんとにもう。
このブログを本当に読みたいなら、汚らしいわたし、皮膚をはいだわたしもきちんと見ろ。
もうやめてって。
やめろ!
あーそうそう、ここのコメント欄なんだが、ここでの保坂は、相手が自罰パラノイアな場合しか想定していない、って説明になるな、って今さらの補足。
中坊さんは保坂に殴られてみればいい。
つかイトウさんの要約だからあれだけど、「と言う事も、その部分部分で合っている論理を使って、簡単に成立させてしまう。」ってのも要はブリコラージュだよな。目的が「人殺しの正当化」っていう社会的にイケナイコトに使ってるだけで。でもこういうのブリコラージュとは認めないんだろうな。構造主義者たちは。
ほーんとお前ら一皮むけばみんな宗教者だな。
イケナイコトカイ? これうまく歌える奴その場だけ惚れてやる。
一応報告。また中坊さんに迷惑かけてる。
思わず最後に本音書いちゃったけど、そいつに関してはまじ気持ち悪いので(この記事でもうんこ投げたけどだめだ)、当該コメントをコピペしとく。文脈は通して読んで理解してね。あ、前半の「2ちゃん釣り分析」は信用しないで。昼頃二日酔いで頭ぐあんぐあんだった。
=====
んでさ、日本のラカニアンなんて、ラカン論の適用を、たとえば一流作家の小説でしかやったりしないんだけどさ、だからジジェクみたいな、ちょっと大衆よりな作品をダシにして語る本が受けてるわけだけどさ、日本のラカニアンって「西洋幻想」とか「偉人幻想」強すぎない? って思うんだ。心理学なんてわたしゃ理系と認めてないんだけど、理系よか文系の方が「西洋幻想」「偉人幻想」が強いと思うんだ。理系はそういうとこほんとクールよ。
んで、ジジェクが売れててくやしいなら、日本にゃ2ちゃんねるなんてほんと精神分析からしてみればお宝の山があるのに、誰もしないんだよね。
ほんと日本のラカニアンって、精神分析理論がS2になってないと思う。つまり分析家のディスクールになってない。彼らの理論はS1になっている。宗教になっている。宗教になっているから、聖書の言葉で2ちゃんねるなんて便所の落書き語れない、ってことなのかね。
ほんとバカ。特にバタイユをラカンで語って「日本文学は隠喩が希薄だ。もっと隠喩が豊かな作品を読みたい」とか抜かしてた某ラカン研究者掲示板の女学者。お前のまんこ臭すぎる。まん汁垂れ流しすぎ。そんなに隠喩が豊かな作品読みたければレイプされろ。んで解離性障害にでもPTSDにでもなればいい。そうすりゃ文学作品に限らず全ての言葉に隠喩を読み込むようになるだろう。キチガイの被害妄想のごとく。
=====
つかバタイユも隠喩主義じゃねえよ。バタイユに隠喩を読み込むなと言ってるわけじゃないぞ? お前が勝手に「外人さんのちんちんは大きいんだろうなあ」ってまんこ濡らしてるだけだバカ、って言ってるの。いや確かに日本人よかでかそうだけどな。キリスト教文化の影響で。わたしから見ればバタイユも氏賀Y太も同列だ。氏賀の方が(ラカン的な意味での)現実を描けているとさえ思う。そりゃそうだろ、あたしゃ日本人だし。あ、ごめんお前がバイリンガルでバタイユと同じ時代を生きた死にかけババアだったらいいや別に。そういう態度許す。そうじゃなかったらまん汁垂れ流しすぎて脱水症状にでもなってろ。
あたしはほら、一応いきつけのカラオケスナックのマスターからは「二十代でイケル」って言われてるから。子役の天才ですし、おすし。
藤田博史なんか実名で2ちゃん書き込んでたみたいだからやればいいのにね(いや当時はいなかったよ、そのスレにゃ。キャッシュで見かけた)。AA文化まではついていけてなかったみたいだけど。
このババアになんでこんなにむかつくのかな、と思ってたら、そうか、とわかった。わたしの勝手なイメージで(わたしの妄想にすぎないってこと)、この記事とかで書いた「遊びが遊びになってないじゃん」ってな態度をする知人を連想したからだと思った。多分。
そこでも書いているようにわたしは「遊びだから本気」なのだ。
というか、なぜ遊びだと本気じゃないのだろう? 「遊び」と「本気」は対義語じゃないよな。それぞれの意味は。子供なんか遊びに夢中になるよな。本気になってるよな。
ああそっか、「ガキ臭え」って言いたかったのか、そいつは。
そりゃそうだ。このブログでは未去勢者という言葉を多用しているが、それは本当の意味での子供だということでもある。
わたしにとって精神分析もいわば遊びだ。遊びだから本気でやっている。これは冒頭で述べた魔女の性質にも合致する。学者が人間の、人間社会の役に立つことしか研究しない、研究させてもらえないのと違い、魔女は人間の、人間社会の役に立つかどうかなど関係ない。自分が興味を持ったことを研究する。いわばジコマンだ。『分解くんのホンネ』だ。分解くんもそのまま大人になれば魔女になるのかもしれないね。それはともかく、他の誰かの、社会の役に立たないから、学者の仕事と比較すると、魔女の研究は遊びだと言われても仕方がない。たとえば、学者が遊びでするような研究を、魔女は本気でやっている。魔女ではない学者はそんな魔女を見て嘲笑するだろう。「遊びが遊びになっていないじゃないか」と。
あ、わかった。蓮實もそうだ。奴も「遊びが遊びになっていないじゃないか」とか言いそうだ。そういう人間だ。
臭い。ほんとどっか行ってくれ。存在しないでくれ。あたしゃ別にお前らのために研究してるわけじゃないんだ。
わたしはお前らみたいな人間にレイプされてきたんだ。人類全ては「愛」を知っているとして、平気で魔女を、情性欠如者を殺してきたお前らという妄想狂に。
お前の言う「愛」など、わたしにとっては人殺しの、人種差別の言い訳にすぎない。植民地政策もそうだよな。未開地を発展させるために、「愛」をもって列強国はそこを植民地にした。それと同じだよ。何も変わらない。
お前の頭ん中にゃ「愛」を知らない人間は存在しないんだろうな。そういう人間もいるかもしれないという可能性すら存在しないんだろうな。
だから「愛」に蹂躙されレイプされ虐殺される人々が見えないんだろうな。自らの権力と欲望が無機質な透明性により見えなくなってるんだろうな。
よかったじゃん。魔女と出会えて。自分たちが虐殺してきた生き残りを発見できて。
お前みたいなのが蛆虫みたいにたくさんいるから、魔女は焼き殺されたんだよ。わたしは虐げられ続けてきたんだよ。
お前らは権力者なんだ。征服者なんだ。「愛」を知っているということはそういうことなんだ。
もし「愛」を知らない人間をも「愛」すると言うなら、自殺しなさい。それがわたしの望み。お前らという征服者の個体数が少しでも減れば、まだましな世界になる。
お前らがわたしを苦しめてきたのだ。お前らがわたしを精神疾患に追い込んだのだ。
さ、早く自殺して。情性欠如者は他人が死んでもなんとも思わないから、わたしは大丈夫。ただそういう性質なだけ。そういう性質なだけなのに、それがちょろっと漏れただけで某芥川賞作家から弁護士を通じて監視されている(ここのコメント欄参照)。
さ、早く死んで。お願いだから。
むしろ対象に興味を向けないことがわたしにとっての「愛」だ。「どうでもいい」=「許す」、「全てどうでもいい」=「全て許す」、アガペー的な「愛」。
ああもうほんといやだ。何もかもが。
この世は「愛」だらけだ。「愛」が過剰になっている。テレビや映画だってそうだ。社会だってそうだ。「愛」が足りないと思うならお前が愛されてないだけだ。「愛」を知っているせいで生じる不満だ。わたしは愛されているかどうかはわからない。しかし「愛」の形式は知っている。心ではよくわかってないが頭では常識程度にわかっている。いや常識以上だろう。何せ「精神分析は愛を学問できる唯一の学問」だから。
わたしはお前と違って、第三者視点で、評論家視点で、演出家視点で、他人事視点で、「愛」の形式として、「愛」もただの代理表象であるとして、量を測ることができる。難しく言ってるが、簡単に言ってあげようか? 「「恋」に恋している」って言葉あるよな? ガキを揶揄する目的で使われることが多い言葉。それと同じようなことだ。わたしは「「愛」に興味が向いている」。
あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ。
現代は、「愛」を知らない人間が、いわば情性欠如者が増えている、などという浅薄な言説をよく聞くが、そうではない。「愛」を知っている人間が、自身のパラノイアックな精神疾患症状をエスカレートさせたがゆえ、情性欠如者がより異常に見えているのである。
こちらは何も変わっていない。おそらく太古の昔から変わっていない。人との心的交流が希薄なのだから、社会からの心的影響は受けにくいだろう。少なくともお前らより。
変わったのはお前らだ。「愛」は全人類が知っているものだというお前らの妄想がエスカレートしたのだ。だからより「愛」を知らない人間が異常に見える。お前らは情性欠如者を排除したがる。
現代の魔女狩りは、ねちねちと、じわじわと、慢性的なやり方で、より手の込んだやり方で、より大勢の人間を共犯にして、行われている。
余談になるが、「キリスト教が行った昔の魔女狩り」と「ねちねちとした現代の魔女狩り」とを対比させると、昔のジャイアンがしていたような「ガキ大将がするイジメ」と現代の「陰湿なイジメ」という対比と相似するのもおもしろい。
そういう可能性も考慮してみろよ。
お前ら自身の心を振り返ってみろよ。
異常者は、どっちだ?
あ、一応言っておくが、「現代は「愛」が足りなくなっている」って言葉も、お前の主観世界では真実なんだと思うよ? そりゃーそうさ。「愛」に、「愛」を「愛」として認知する機能に、元々自分のうちに備わっている「愛」の根拠に、お前の「愛」に対する執着を加速させる根拠に、支配された人間から見れば、自然体で「愛」についてわかっていない人間は、より異常なものに見えるだろう。情性欠如者を観察する観察者が、「愛」に執着すればするほど、観察対象はより異常に見えてしまうだろう。「愛」を神とした宗教国家から見れば敵性民族に見えるだろう。だから、その観察者のレポートにある「現代は情性欠如的な傾向が加速している」という言葉は正しいんだよ。ここに何も矛盾はない。
わたしにだって「愛」はある。全く知らないというわけではない。ただ、それが他の多くの人より少ないだけ。いろんなもののうちの一つにすぎない。一部にすぎない。お前たちのように行動基準になっているわけではない。絶対善に親近するものなどではない。感情ですらない。ただの絵。
……そうだよ、「愛」は感情じゃない。わたしにとって。でも感情だと思っていたから、そう思わされてきたから、セックスの時の苦痛という身体反応を、「愛」みたいなものかな、と思っていた。
そうか、だからお前らは「愛」と「性欲」を区別して考えられるのか。それらを通じているものとしたフロイト論が理解できないのか。
お前らのパラノイアックな正常という精神疾患が全ての原因じゃないか。この世のほとんどの矛盾はお前らの存在自体を原因としているんじゃないのか?
ほんとお前ら死ねよ。死んだ方が自然のためだ。
「愛」にわたしは殺される。
うぜえなほんと。もういやだ。ほんといろいろいやだ。
わたしはね、実は現代も、学者と呼ばれている人種の、特に自然科学系の、二、三割くらいは、本性は魔女なんだと思う。人間の、社会のためになることなんて別に興味はないけれど、結果的にそうなってるだけの人や、本当にやりたいことをやるために、仮の姿で、社会のためになることをやってるだけの人とか。だからこそ、たとえばカオス研究なんて、社会の役に立ちそうにないことにお金を要求したりしてるんだ。金子Qさん生きてるかな。いやごめん、カオス研究を社会的なことに応用している研究ももちろんあるんだけどさ、わたしほんっと言い訳でやってるようにしか見えなかったもん(笑)。予算もらうための「こんな風に社会に役立ちます」って言い訳。
あ、ごめん、わかるよ(笑)。そうしなきゃって。大体愚民どもなんて傲慢な生き物だからさ、自分たちの役に立たないことはお金出さないんだよね。今回の予算仕分け問題でよくわかったっしょ? あれが愚民どもの本音だよ。これ全部正常という精神疾患のせい。ちなみにこのせいで、学問に変な妄想抱いて、勉強嫌いになる愚民も多い。もろパラノイア(大爆笑)。
まーそんな蛆虫みたいな奴らだからさ、いくらでも騙してもいいと思うよ。奴らが学問に抱いてる嫌悪感ってのは要するにコンプレックスなわけで、憧れの裏返しなことが多い。だから真正面に立っちゃえばびびるよ。正々堂々と研究結果発表すれば厳しい父親を目の前にしたガキのように縮こまるさ。それが正常という精神疾患。
でもね、やつら演劇的に自分をよく見せるのが異常に長けてるんだよね。だからうちらが想像もできないくらいの勢いで味方を作ってくる。人海戦術をしかけてくる。そこんとこ注意してね。わたしはほら、前衛とかアングラの方だったから、そういう演技は見抜けるし、奴らの人海戦術の前には焼け石に水だけどそれを逆手に取ることだってできなくはない。腐っても演劇人。
あ、有馬や蓮實は魔女じゃないよ。演劇的に自分をよく見せるのがうまいって要するに政治家じゃん(だから小泉政権が劇場型政治とかって批判されてたけど、なんで批判になるのかがわからなかった。むしろ最初から嘘なのを嘘とすることで本当になる、って阿部寛みたいな演技になってたという意味で、好感持ってたよ。経済政策は反対だったけど)。いや地位があるから魔女じゃないって言ってるんじゃないよ。この目でその言動を見て、生理的嫌悪を感じたから言ってるの。この二人が政治的に地位があるのなんかたまたま。たまたまっていうかむしろさもありなんって感じ。あー「蓮實のお稚児さん(わたしが言い出したんじゃないよ、つかそう言われてたことくらい知ってるだろ本人も)」船曳も同類っぽいけど実はよく知らん。てか『ニュースステーション』だかなんだかに出演してたよな。すげーなー、やっぱ演劇的に自分をよく見せることが無意識になってる人って。そーいや平田オリザも出てたな。最初から青年団はそんなに好きじゃなかったけど、P4の中でも一番どうでもよかった。つかわたしがどうでもいいと思う人ほど社会的地位が高いって傾向はあるかも。しょせん抑鬱系の人種は最終的にそっち行くんだな、って再確認。中坊さんもいつか救われるんだろうな。まー嫁さんいるしいつでも救われるだろう。めでたしめでたし。テレビに出てる学者だと実は大槻教授は意外と平気だ。なんか自傷的とは言えないけど自虐的じゃん。自分がギャグとして扱われてるのに対し。でんじろうはびみょー。つかおまいのせいでぜんじろうが出にくくなったろうが、っていうキチガイのいちゃもん。ほんとぜんじろうって不運の人だよな。だから好き。田嶋陽子はー、自虐で(つまりキャラで)やってたとしても、ああいう持論の人が自虐しちゃーいけないと思うんだよな。ただの「ヒステリーの語らい」になる。「愛されなかったから愛して」ってなっちゃう。男性的享楽に丸め込まれる。だめ連とかも一瞬興味持って接触したことあるけど、あれなんてまさに「だめなボクチンを愛して」じゃん。そうだった。ああいうのだめだな。一番ちんちんの大小を気にしているのは本人なのに「ちんちんが小さいボクチンチン」ってやってるの。一方未去勢者はそもそも「愛」がよくわかってない、って話。このことは「愛されてこなかった」「愛されてない」ということとは全く異なる。それ自体がわかってないのだから、「愛されていたか愛されてなかったか」なんて問題は関係ない。そもそも「愛されていたか愛されてなかったか」って判断がつけられない(自分と他人の環境をいわば動物行動学的に比較観察して判断することはあろう)。まー田嶋キャラでやるなら自傷レベルまで行かないとね、と思う。そういう意味で松井冬子を「自傷系アート」とした上野千鶴子は鋭い。うん、この言葉だけには感心してる。おわかり? かべどん。いやすげー前「田嶋と大槻のキャラ論議」みたいな感じで、わたし消化不良なこと言ってた気がするんだが、今やっと言葉にできたよ。まーすでに読んでなかろうがな。もう死んだか。
話すげーそれたけど、ちょっと戻って、前衛とかアングラ演劇って、要するに「自己解体」系だよね。「自己肯定」が演劇的にうまい人の「演劇」とは逆。演劇論的に。
魔女の話だっけ。そうそう、他人なんてどうでもいいっしょ。あんたら巷で言われている「情」とか「愛」とか実はよくわかってなかったりするっしょ。正しいよ。「愛」なんて幻想でしか存在しないんだから。あるものだけをありのまま見る学者の態度として正しいんだよ。むしろ「愛」なんてよくわからないまま生きてたら学者になった、って人もいそうよね。レアだろうけど。
だから、「愛」は全人類がわかってるものだ、とする傲慢な正常人たちから、ただの妄想狂たちから虐げられてきたんじゃない? 虐げられるから「愛」をわかってるふりしてただけなんじゃない? 「愛」ってほんと傲慢よね。それを布教する信者どもも。魔女を焼き殺したキリスト教と全く同じ。
だからね、「自分は情性欠如者だ」って思っとけばいいの。この「情性」って言葉ですら愚民どもが自分たちの都合のいいように勝手に歪曲してるんだけどね(笑)。
そういう意味で、「別に魔女でいいじゃない」って言ってるわけだな。男でも。今はキリスト教も焼き殺してこないだろうしさ(笑)。正直になりなよ、つってるだけ。二、三割の人に。
ここはそういう魔女たちが本音を吐くスナック。愚痴っちゃえ。ここでだけでも魔女になっちゃえ。
人を人と思わなくてもいいんだよ、思えないなら。
もちろんそんなこと外で言っちゃふるぼっこされるよ(笑)。ぶんかいっ、ぶんかいっ。
ああ、わたしは奴らを分解するけどね。別にあんたらにやれって言ってるわけじゃないよ?
ただほら、魔女の定義には、動物を使役して人を襲う、みたいなのがあるんだよね。これってさ、自然の復讐なんだと思う。あんたらが目の前にして四苦八苦している自然の。物自体の反乱なんだと思う。もちろん、あんたらも自然側の、自然よりの人種だと思うよ。生まれつきそうだったのか、自然を見すぎてそうなったのか知らないけど。でもまあ有馬とか見てると、ああいうのと全く逆なあんたらを考えると、生まれつきそうだなーとは思う。
自然ってさ、すっごく多様でしょ。人間なんかより。なんでもありでしょ。おぞましいくらい。だからー、あんたらって自然は人間に服従した部分ってだけで、わたしは反乱する部分ってだけなのよ、多分。そういう自然の理なんだと思う。
そうね、あんたらも被害受けるだろうね。そんなのどうでもいいのが情性欠如者。要するに、あたしあんたらを攻撃するかもよ、って言ってるのさ。分解しちゃうよ、って。自分の興味に従って。
でもさ、あたしも一応人間だからさ、魔女っつってもしょせんは人間だからさ、そういう部分もちょっとはあると思ってるからさ、一言言っておこうかなって。最後に。
うん、店じまい(はやっ)。
あたしに殺されないよう気をつけてね。これは人間として言ってるの。
人生渾身の呪術にはなると思うけど、あんま期待しないでね(笑)。本当に自然側の人間だったらわかってるっしょ。愚民っていう、人間っていう不自然さは、それが過剰になってるから不自然になってるだけで、元々は自然だってことも。
じゃあね、ばいばい、魔女のくせに学者ヅラしてる短小包茎ども。
あんたらってほんとツラ気持ち悪いよな。いじめられっ子オーラくらい隠しなさいよ。役者の稽古でもしてみればあ?
うん、ほんと気持ち悪かった。蓮實や有馬系とはまた別の気持ち悪さ。あっちは嫌悪と言えるけど、あんたらの方は気持ち悪い、がしっくりくる。
ああ、あんたらもわたしのこと嫌いだろうね。数は少ないがわたしなんかより精神的に美人な「理系女」は巷にごろごろいるからね。世のため人のため滅私奉公する魔女じゃない女学者が(あたしから見たらただのファザコンだけど。そういやボーンズもマリコも咲もファザコンだよな)。あんたらはそういう女のアナルん中覗いてればいいよ。
うん、嫌ってくれた方がいい。わたしの方を見ないでいてくれた方いい。あんたらを分解する可能性が低くなるから。
タイトルの元ネタ。
ほんといや。何もかもが。全部気持ち悪い。
あ、この記事の、
=====
個々人が「認知認識体系」が違うって言うならそれでもいいんだけど、先に述べたように正常人たちはほぼ自覚なしに努力なしにむしろ快楽を根拠にして「認知認識体系」を他者と同様のものにできるんだから、「結果の修正」を行わされるのは未去勢者ばかりになるに決まってるだろうが。
=====
の「努力なしで」って言いすぎたな、って思った。努力はしてる正常人も多いと思う。いじめられっ子ってそうじゃん。去勢はされてるんだけど、つまり「合意の快楽」がどういうものか知ってるけど、環境がそれを許してくれないっていう。いやわたしいじめられた記憶ないからよくわからんけど。進学校だと成績よかったらむしろいじめられないのかね。いやそんなことねえか。東大も元いじめられっ子多そうだったし。女だったからよかったのかね。成績のいい理系女とか、当時は理解の範囲外だったから、浮いてた、ってだけ? あーそれっぽ。
つかいじめられっ子以外にも、容姿が悪いとかってのもそうなるよな。身体障害も、現代は軽いのはまあましだろうけど、Z武さんレベルになると、合意の快楽は得られにくいだろうね。なぜならほとんどの相手は五体満足だから。『五体不満足』な人間の苦労なんてわかるわけがない。人間そいつが経験した苦労が主観世界の裏打ちになってるもんだ、ってこのことは心的外傷とかってジャーゴン使って説明できるけどめんどいからしない。
ま、ともかく、合意のための努力はしてる可能性は認める。正常人たちも。だけど、そのご褒美があるかないか、だな。当然、自分の主観世界の問題なんだから、他人がくれるご褒美じゃない。
つまり、正常人のする合意のための努力とは、それの報酬として得られる快楽が根拠になっており、未去勢者がするそれとは、それこそ機能主義的な見方による社会からの制裁をおそれてするものだ、という違い。未去勢者がする合意のための努力はいわば強制労働みたいなもんだ。
つかさ、「個々人が「認知認識体系」が違うって言うなら」って話なんだけど、わたしの言葉では「共有できない前提を共有する」ってなるんだよな。しかし実際の社会ではされていない。されてないからわたしはそう訴えている。
従って、むしろなぜそういった前提が共有されていないのか、を考えるのが筋だろうがよ。
いや、別にだからどうしろなんて言わないよ? わたしはただ正常人たちの、お前らの心を傷つけようとしているだけ。お前らの人格を殺そうとしているだけ。人間同士なら必ず共有できると思い込んでいる妄想を、無意識にある確固たる信念を破壊しようとしているだけ。「必ず」ではない現実を見せつけてやろうとしているだけ。
人格とはパラノイアそのものなんだよ。ほんと素でそう思うわ。いろいろ考えてもそういうことになるし。
だからね、死んでって言ってるの。
もちろん反撃していいよ? 殺し合いしましょう、でいいよ別に? あたしゃ。
このブログにおける「わたし」とは、いわば三人称です。
助けてください。こんな言葉大嫌いだけど、言います。三人称の「わたし」が言ってるだけです。何を? 「助けてください」って言葉を? 違います。呪詛を吐いている方です。何言ってんだか。皮膚であるお前なんてわたしの一部にすぎない。わたしは確かに三人称だが、わたしを土台にしているお前は、一人称ですらない。偽者だ。わたしがいなくなったら、お前は皮膚だけになる。「からっぽの身体」になる。お人形になる。お人形になりたいのです。皮膚と肉の間を蠢くムカデを愛していたんじゃないのかい? 愛しているからいなくなってほしいのです。
死にましょう。お互いに。一人でする心中。
やめてくれ。ほんとにもう。
このブログを本当に読みたいなら、汚らしいわたし、皮膚をはいだわたしもきちんと見ろ。
もうやめてって。
やめろ!
あーそうそう、ここのコメント欄なんだが、ここでの保坂は、相手が自罰パラノイアな場合しか想定していない、って説明になるな、って今さらの補足。
中坊さんは保坂に殴られてみればいい。
つかイトウさんの要約だからあれだけど、「と言う事も、その部分部分で合っている論理を使って、簡単に成立させてしまう。」ってのも要はブリコラージュだよな。目的が「人殺しの正当化」っていう社会的にイケナイコトに使ってるだけで。でもこういうのブリコラージュとは認めないんだろうな。構造主義者たちは。
ほーんとお前ら一皮むけばみんな宗教者だな。
イケナイコトカイ? これうまく歌える奴その場だけ惚れてやる。
一応報告。また中坊さんに迷惑かけてる。
思わず最後に本音書いちゃったけど、そいつに関してはまじ気持ち悪いので(この記事でもうんこ投げたけどだめだ)、当該コメントをコピペしとく。文脈は通して読んで理解してね。あ、前半の「2ちゃん釣り分析」は信用しないで。昼頃二日酔いで頭ぐあんぐあんだった。
=====
んでさ、日本のラカニアンなんて、ラカン論の適用を、たとえば一流作家の小説でしかやったりしないんだけどさ、だからジジェクみたいな、ちょっと大衆よりな作品をダシにして語る本が受けてるわけだけどさ、日本のラカニアンって「西洋幻想」とか「偉人幻想」強すぎない? って思うんだ。心理学なんてわたしゃ理系と認めてないんだけど、理系よか文系の方が「西洋幻想」「偉人幻想」が強いと思うんだ。理系はそういうとこほんとクールよ。
んで、ジジェクが売れててくやしいなら、日本にゃ2ちゃんねるなんてほんと精神分析からしてみればお宝の山があるのに、誰もしないんだよね。
ほんと日本のラカニアンって、精神分析理論がS2になってないと思う。つまり分析家のディスクールになってない。彼らの理論はS1になっている。宗教になっている。宗教になっているから、聖書の言葉で2ちゃんねるなんて便所の落書き語れない、ってことなのかね。
ほんとバカ。特にバタイユをラカンで語って「日本文学は隠喩が希薄だ。もっと隠喩が豊かな作品を読みたい」とか抜かしてた某ラカン研究者掲示板の女学者。お前のまんこ臭すぎる。まん汁垂れ流しすぎ。そんなに隠喩が豊かな作品読みたければレイプされろ。んで解離性障害にでもPTSDにでもなればいい。そうすりゃ文学作品に限らず全ての言葉に隠喩を読み込むようになるだろう。キチガイの被害妄想のごとく。
=====
つかバタイユも隠喩主義じゃねえよ。バタイユに隠喩を読み込むなと言ってるわけじゃないぞ? お前が勝手に「外人さんのちんちんは大きいんだろうなあ」ってまんこ濡らしてるだけだバカ、って言ってるの。いや確かに日本人よかでかそうだけどな。キリスト教文化の影響で。わたしから見ればバタイユも氏賀Y太も同列だ。氏賀の方が(ラカン的な意味での)現実を描けているとさえ思う。そりゃそうだろ、あたしゃ日本人だし。あ、ごめんお前がバイリンガルでバタイユと同じ時代を生きた死にかけババアだったらいいや別に。そういう態度許す。そうじゃなかったらまん汁垂れ流しすぎて脱水症状にでもなってろ。
あたしはほら、一応いきつけのカラオケスナックのマスターからは「二十代でイケル」って言われてるから。子役の天才ですし、おすし。
藤田博史なんか実名で2ちゃん書き込んでたみたいだからやればいいのにね(いや当時はいなかったよ、そのスレにゃ。キャッシュで見かけた)。AA文化まではついていけてなかったみたいだけど。
このババアになんでこんなにむかつくのかな、と思ってたら、そうか、とわかった。わたしの勝手なイメージで(わたしの妄想にすぎないってこと)、この記事とかで書いた「遊びが遊びになってないじゃん」ってな態度をする知人を連想したからだと思った。多分。
そこでも書いているようにわたしは「遊びだから本気」なのだ。
というか、なぜ遊びだと本気じゃないのだろう? 「遊び」と「本気」は対義語じゃないよな。それぞれの意味は。子供なんか遊びに夢中になるよな。本気になってるよな。
ああそっか、「ガキ臭え」って言いたかったのか、そいつは。
そりゃそうだ。このブログでは未去勢者という言葉を多用しているが、それは本当の意味での子供だということでもある。
わたしにとって精神分析もいわば遊びだ。遊びだから本気でやっている。これは冒頭で述べた魔女の性質にも合致する。学者が人間の、人間社会の役に立つことしか研究しない、研究させてもらえないのと違い、魔女は人間の、人間社会の役に立つかどうかなど関係ない。自分が興味を持ったことを研究する。いわばジコマンだ。『分解くんのホンネ』だ。分解くんもそのまま大人になれば魔女になるのかもしれないね。それはともかく、他の誰かの、社会の役に立たないから、学者の仕事と比較すると、魔女の研究は遊びだと言われても仕方がない。たとえば、学者が遊びでするような研究を、魔女は本気でやっている。魔女ではない学者はそんな魔女を見て嘲笑するだろう。「遊びが遊びになっていないじゃないか」と。
あ、わかった。蓮實もそうだ。奴も「遊びが遊びになっていないじゃないか」とか言いそうだ。そういう人間だ。
臭い。ほんとどっか行ってくれ。存在しないでくれ。あたしゃ別にお前らのために研究してるわけじゃないんだ。
わたしはお前らみたいな人間にレイプされてきたんだ。人類全ては「愛」を知っているとして、平気で魔女を、情性欠如者を殺してきたお前らという妄想狂に。
お前の言う「愛」など、わたしにとっては人殺しの、人種差別の言い訳にすぎない。植民地政策もそうだよな。未開地を発展させるために、「愛」をもって列強国はそこを植民地にした。それと同じだよ。何も変わらない。
お前の頭ん中にゃ「愛」を知らない人間は存在しないんだろうな。そういう人間もいるかもしれないという可能性すら存在しないんだろうな。
だから「愛」に蹂躙されレイプされ虐殺される人々が見えないんだろうな。自らの権力と欲望が無機質な透明性により見えなくなってるんだろうな。
よかったじゃん。魔女と出会えて。自分たちが虐殺してきた生き残りを発見できて。
お前みたいなのが蛆虫みたいにたくさんいるから、魔女は焼き殺されたんだよ。わたしは虐げられ続けてきたんだよ。
お前らは権力者なんだ。征服者なんだ。「愛」を知っているということはそういうことなんだ。
もし「愛」を知らない人間をも「愛」すると言うなら、自殺しなさい。それがわたしの望み。お前らという征服者の個体数が少しでも減れば、まだましな世界になる。
お前らがわたしを苦しめてきたのだ。お前らがわたしを精神疾患に追い込んだのだ。
さ、早く自殺して。情性欠如者は他人が死んでもなんとも思わないから、わたしは大丈夫。ただそういう性質なだけ。そういう性質なだけなのに、それがちょろっと漏れただけで某芥川賞作家から弁護士を通じて監視されている(ここのコメント欄参照)。
さ、早く死んで。お願いだから。
むしろ対象に興味を向けないことがわたしにとっての「愛」だ。「どうでもいい」=「許す」、「全てどうでもいい」=「全て許す」、アガペー的な「愛」。
ああもうほんといやだ。何もかもが。
この世は「愛」だらけだ。「愛」が過剰になっている。テレビや映画だってそうだ。社会だってそうだ。「愛」が足りないと思うならお前が愛されてないだけだ。「愛」を知っているせいで生じる不満だ。わたしは愛されているかどうかはわからない。しかし「愛」の形式は知っている。心ではよくわかってないが頭では常識程度にわかっている。いや常識以上だろう。何せ「精神分析は愛を学問できる唯一の学問」だから。
わたしはお前と違って、第三者視点で、評論家視点で、演出家視点で、他人事視点で、「愛」の形式として、「愛」もただの代理表象であるとして、量を測ることができる。難しく言ってるが、簡単に言ってあげようか? 「「恋」に恋している」って言葉あるよな? ガキを揶揄する目的で使われることが多い言葉。それと同じようなことだ。わたしは「「愛」に興味が向いている」。
あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ。
現代は、「愛」を知らない人間が、いわば情性欠如者が増えている、などという浅薄な言説をよく聞くが、そうではない。「愛」を知っている人間が、自身のパラノイアックな精神疾患症状をエスカレートさせたがゆえ、情性欠如者がより異常に見えているのである。
こちらは何も変わっていない。おそらく太古の昔から変わっていない。人との心的交流が希薄なのだから、社会からの心的影響は受けにくいだろう。少なくともお前らより。
変わったのはお前らだ。「愛」は全人類が知っているものだというお前らの妄想がエスカレートしたのだ。だからより「愛」を知らない人間が異常に見える。お前らは情性欠如者を排除したがる。
現代の魔女狩りは、ねちねちと、じわじわと、慢性的なやり方で、より手の込んだやり方で、より大勢の人間を共犯にして、行われている。
余談になるが、「キリスト教が行った昔の魔女狩り」と「ねちねちとした現代の魔女狩り」とを対比させると、昔のジャイアンがしていたような「ガキ大将がするイジメ」と現代の「陰湿なイジメ」という対比と相似するのもおもしろい。
そういう可能性も考慮してみろよ。
お前ら自身の心を振り返ってみろよ。
異常者は、どっちだ?
あ、一応言っておくが、「現代は「愛」が足りなくなっている」って言葉も、お前の主観世界では真実なんだと思うよ? そりゃーそうさ。「愛」に、「愛」を「愛」として認知する機能に、元々自分のうちに備わっている「愛」の根拠に、お前の「愛」に対する執着を加速させる根拠に、支配された人間から見れば、自然体で「愛」についてわかっていない人間は、より異常なものに見えるだろう。情性欠如者を観察する観察者が、「愛」に執着すればするほど、観察対象はより異常に見えてしまうだろう。「愛」を神とした宗教国家から見れば敵性民族に見えるだろう。だから、その観察者のレポートにある「現代は情性欠如的な傾向が加速している」という言葉は正しいんだよ。ここに何も矛盾はない。
わたしにだって「愛」はある。全く知らないというわけではない。ただ、それが他の多くの人より少ないだけ。いろんなもののうちの一つにすぎない。一部にすぎない。お前たちのように行動基準になっているわけではない。絶対善に親近するものなどではない。感情ですらない。ただの絵。
……そうだよ、「愛」は感情じゃない。わたしにとって。でも感情だと思っていたから、そう思わされてきたから、セックスの時の苦痛という身体反応を、「愛」みたいなものかな、と思っていた。
そうか、だからお前らは「愛」と「性欲」を区別して考えられるのか。それらを通じているものとしたフロイト論が理解できないのか。
お前らのパラノイアックな正常という精神疾患が全ての原因じゃないか。この世のほとんどの矛盾はお前らの存在自体を原因としているんじゃないのか?
ほんとお前ら死ねよ。死んだ方が自然のためだ。
「愛」にわたしは殺される。
うぜえなほんと。もういやだ。ほんといろいろいやだ。