嘘が嘘として自然に成立している。
2009/12/23/Wed
某機械メーカーで技術営業をやっていた、というのは前にも書いた。
んで、まー産業用ロボットみたいなのがメインだったんだけど、そういう産業系の展示会って、ほーんと飽きないくらいたびたび開催されてるのね、ビッグサイトとかで。うん、わたしコミケじゃなくてそういう展示会でよく行ってた(笑)。行ってたというより行かされてた、だな。そういうとこ行くのは営業の仕事なんだけど、自分ちの技術内容の把握さえ覚束ないのに、他社の技術なんかちんぷんかんぷんだ、ってわけ。きついこと言ってるけど営業部長がそう言ってたもん。「俺たちが行ってもなー」って。要は右京様と似たようなものだ。雑用係。
んで、行かされるのも、自社の技術と関係ないようなものが多かったんだよね。環境技術展みたいなのも行かされた。ゴミのリサイクルとか産廃処理技術とかそんなん。どんな報告書書けばええねん状態だ。ゴミにICタグつける管理システムとか取り上げたな。こう、どうせ環境系の法律も今後厳しくなってくだろうし、なんかあった時に、「私たちはこのようにして処理してます」ってデータを目に見える形で出せるようになる、とかなんだか。ほーんと適当に言ってるな。でもまあ確かに、うちはきちんと分別して各専門の処理業者に任せてます、だなんて言っても、その処理業者がヤクザがやるような不法投棄系の処理業者に下請けさせる可能性もないわけじゃなし。処理業者に対する脅しにはなるだろうな。部品加工の下請けなんかには、つまり生産工程では、そういうICタグでの工程管理は結構導入され始めてるのに(当時は、ね)、廃棄物にはされてないってのも妙っちゃー妙だ。でもま、しょせんゴミはゴミだから、業界内で手を組んでやるならおもしろいシステムかもしれないけど、うち一社ではやっても無駄っぽ、とか書いた記憶がある。
そんな風な適当報告書もある一方、「出張報告書で二頁とかおい(笑)」などと突っ込まれそうな報告書も書いた。会社の技術とか関係なく、わたし個人が興味を持った技術があると、思考がぶわーってなるんだ。このブログ見ればわかるように昔から文章は大量に書ける人だったし。
で、そういう時は「哲学」な文章になるらしい。技術の上司からは、もっと技術情報的なことを書け、とか言われたんだが、営業部長が好きらしくてな。彼にそんなこと言われた。元哲学青年なんだとは思う。そういう話はちらっとしたことがある。
また前フリが長くなってしまったが、そんな感じでホログラフィーに興味持ってた時期があったのだよね。原理はwikipediaの説明読んで。wikipediaってほんとこういう概略化っていうか、そういうのうまいよな。うまくないと思える項目もあるけど。まー筆者によるんだろうな。
なんかな、ほんとそこにそれがあるとしか見えないくらいの精巧なホログラフィーもあってな。ちょっと感動したんだわ。どうもわたしそういうのに弱いらしい。演劇人だった頃、小劇場ふって本場オペラに乗り換えたんだが(自分でも極端だとは思う)、実際スタッフで関わったこともある。んである舞台で、客席から見ると、幕で作った石柱が本物に見えるのに感動した。実際自分が仕込んだんだから知ってるんだよ。あれは幕だって。幕って言ってもただ上から吊るすだけじゃないんだ、もちろん。上部をバトンにくくりつけて吊ってるだけだとしわができるから、幕(もちろん柱なんだから細長い幕だ)の一番下に金属のプレートがつけられててね、そのプレートをさらに床に釘で打ちつける。あとはバトンを微妙に上げながら、しわを伸ばす。折り目とかついてるんじゃないの? とか思ったあなたはど素人。折り目がつかないたたみ方ってのがあるんだよ。でもそういうしわがつく時もある。そういう時は、やっすい幕なら霧吹きで水をかけると、吊ってるだけでやがて自重で消える。その柱の時は、幕の表面にもちろん柱の絵が描かれてあるんだけど、実際補修作業見たんだけど、絵の具にラテックスみたいなん混ぜてるんだよね。絵に厚みがある。だから、服にできるようなしわは最初からつきにくいんだ。
また話それたな。ホログラフィーか。うん、そういうことだな。嘘がほんとに見えることに感動した、ってことか。ほんとじゃないな、嘘だって知ってるんだから。嘘が嘘として自然に成立している、というと反論ある言い方だろうなーって思ってまた被害妄想がうぞうぞしてくるんだけど、なんか今もう半分死んでいるから説明しない。嘘がほんとになるんじゃなくて、嘘が嘘として自然に成立している。そういうこと。
で、こっからは多分wikipediaの原理説明読んでないと知らない人は話通じないと思うから読んでね。
ホログラフィーが普及した社会。あるオタクがAKB48の誰か(名前とか知らん)のホログラムを見ながらオナニーしている。ホログラムなわけだから下から見ればパンツも覗ける。やってる方もわかってやっている、要は見せパンなのだが、オタクはハァハァ言いながらオナニーしている。彼の精子はAKB48の誰かを素通りして飛んでいく。当然だ、ホログラムなんだから。
そんなある日、オタクが外出しているのを見計らって、母親が異臭の立ち込める彼の部屋を掃除することにした。怒られるのはわかっていたが、異臭が他の部屋にまで伝わり始めたので、堪忍袋の緒が切れたのだった。
まるで糞尿地獄のようなそこを問答無用で片づける母親。その時、勢い余って、何かのディスクを割ってしまった。母親はそれが何かもわからない。しかし息子が猛烈に怒るのは予測できた。隠そうかとも思ったが、それも悔しいので、怒ったら怒ったでこの際きっちり話をしよう、と、傍から見れば感動的でもなんでもないが、心理学的には巷の映画の感動的なシーンとほぼ同じ構造の精神状態で、心を決めた。母親は割れたディスクをオタクの机の上に置いて、掃除を続けた。
帰ってきたオタクは当然怒る。きれいになった部屋を見て。そして机の上にある何かを見つけて、瞬時で何が起きたかを悟る。自分のいない間に行われた犯罪行為の全てを、彼は確信する。
オタクと母親の激論。それはすさまじいものであった。この時誰かが動画を撮っていたならば、キーボードクラッシャー、修羅パンツに続く栄誉を、彼は受けられただろう。
AKB48の誰かというホログラムは、彼のフェティッシュであった。それを破壊されるということは、彼自身のアイデンティティが傷つけられるということでもあった。
永遠に続くかと思われたおもしろ映像は、十分ほどで終わった。彼は疲れてしまっていた。この世の全てが終わってもいい、とこの時は本気で思っていた。
しかし、彼は希望を捨て切れなかった。机上に無造作に置かれた、まるで自分自身だとも思えるディスクの破片たち。そうだ、今俺はばらばらだ。俺の心はばらばらに引き裂かれた。そんなことを思いながら、彼は破片の一つを持ち上げた。そして、そんなこと無駄だと自分に言い聞かせながらも、再生装置にかけた。うっすらと、腕だけでも、足だけでも、おっぱいだけでも、顔だけでも映ればいい、と思っていた。
スイッチを入れる。
そこには、以前と変わらぬ、AKB48の誰かの全身像があった。彼女はいつもの笑顔で、オタクを見下ろしていた。
……神だ。この世には神がいた。
オタクは涙を流しながら、そう思った。
なんか書いているうちに修羅パンツの動画とか見ちゃったもんだからノッてしまった。
でもそうなんだよね。ホログラフィーって。映像が記録されたフィルムをぱりーんって割って、その一部にレーザー光を当てて再生しても、元の全体像がそのまま映し出される。
んじゃフィルムはどうなってんの? って思うだろう。わたしも思った。ホログラフィーのフィルム上には、wikipediaにも書いてあるけれど、参照光と物体光の干渉縞が記録されている。じゃあどういう風に記録されているかっていうと、ぱっと見ランダムなんだ。一般的なイメージの干渉縞って、規則性あるじゃん。そういうのはないらしい。だけど、その不規則な記録に光を当てれば、たとえ破片でも元の全体像が再生される。どんな破片でも。
これってさ、当時「おお」って思ったんだけど、あんま知られてないのね。
んで、ドロップアウトして(ここの経緯は何度も書いているので省略)、いろいろ精神疾患系の本読み漁ってて、ふと思ったのだね。
これって、精神病者の世界観としてときおり示されるもの、わたしも認知している(とわたしが思っている)あの状態、華厳の極楽のような(全然極楽じゃないけどなっ)それ、仮に「部分は全体、全体は部分」状態と呼ぶが、ホログラフィーじゃん、って思ったわけだ。全体は部分を含んでいるだけではなく、部分は全体を含んでいる。
ブログ始める前だったから証拠はないけどさ。そう思ったっていう。
でもさ、そういうことなんだと思うよ。この世はホログラフィーだって。人体はフィルム。人体だけじゃなく物体も。あるものは全てフィルム。器官なき身体が感受する世界とは、不規則な干渉縞なのかもしれない。
だけど、去勢済み主体たちは、原理説明における参照光を棄却している。元の光を、波動を知らない。何かで防衛している。だから彼らの世界は写真になる。だからわたしは彼らの嘘の世界(彼らは本当だと思っているのだろうが)についての表現がいつも納得できない。
これはこうも言い換えられるだろう。去勢済み主体の認知認識体系(ここはわざとこの言葉使いたい)は二次元的だが、未去勢者のそれは三次元的である、とも。
うまく説明できないけどさ、そういうことなんだと思うよ。わたしが最近とみに攻撃している斎藤のこの文章なら、当該アスペルガー症候群者の文章として紹介されている、
=====
「音声に手話がついて,『両方を同時に』表されたとき,不思議にも,情報が増えているのに感覚飽和にならず,急速な意味理解へとつながる」。
=====
ってことでもあると思う。もちろん構造は象徴化されているとは思うけど、そういったやり方が、未去勢者の主観世界の「部分は全体、全体は部分」な構造(もちろんこれは仮称だ)を象徴できているから、彼女は「急速な意味理解へとつなが」ったんじゃないか、と。彼女の意味理解の仕方は三次元的だ。
んで、この構造を、象徴じゃなく、去勢済み主体である斎藤が知りたいなら、参照光を知らなければならない。自分の主観世界に導入しなければならない。しかし導入されていないとしたら、それを遮る何かがあるはずだ、となる。わたしはこの遮蔽物こそが、自我や超自我だと思うんだな。だから去勢済み主体は光をありがたがるんだ。自我や超自我で参照光を防衛できているから、光が本当は苦痛を人体に与えるものだと知らないんだ。
斎藤がこの「部分は全体、全体は部分」な世界を知りたいなら、お前自身の自我や超自我を破壊しろ、と言っているわけだな。
つまり、狂えと。狂気の苦しみを味わえ、と。
だから、わたしは彼に暴言を吐いている。彼の人格を攻撃している。
おわかり? たまきん。自分のちんちんばっか見てたらそりゃー世界観は狭くなるさ(笑)。
ほーんと、「正常であることが精神疾患である」って見方をしない限り、何も進まないと思うよ。お前らの理屈って。
こっちもそりゃーポンコツだが、ポンコツのくせに正規品としてまかり通ってる方が問題だろ? 製品ってのはそういうもんだろ?
だから、お前らはリコールされるべき、っつってんの。もっとも簡単なリコールは自殺だよ、って。素の顔で。全員とは言わないよ、八割くらいでいい。そうすれば、自然という、地域信仰の神様でもあるお客様は、まあ納得してくれるだろう。
ま、今日のはどうでもいい記事だな。
最近の記事とか自分で読んで遺書めいているとか思ってたし、ガス抜きみたいなもんだ。今日のはうんこじゃなくて屁だな。そりゃー常時うんこしてるわけないじゃん。お前二十四時間ずっと便器に座ってるの? それコロリだよ(笑)。
ぷすぅ。
ある老魔女のつぶやき。
「あたしゃね、人の心が読めるだなんて言われてるけどね、あれ嘘だよ。全然読めない。村人たちの方がよく読めている。じゃあなんでそんなこと言われるかっていうとね……そうだね、あたしゃ物は知ってるんだ。お前たちが知っている物じゃない物。お前たちの物は心がそう見させている物で、あたしが見ている物とは違う。物ってな、ほれ、そこのカップって固いものも物、それに入っているホットミルクだって物、風だって物。まあこれくらいはそう見えている村人もいると思うがね。その次があるんだよ。物っていうのはね……そうだね、お前雷見たことあるかい? そう、あれ。あれとか、お祭りの時に使うかんしゃく玉ってあるだろ? あれの、かんしゃく玉じゃなくて、破裂した一瞬。それや、火花とかね、あれの、もっと本当に小さいのが、集まって物になってるんだ。信じられないかい? でもそうなんだよ。砂や小麦粉なんかより、さらにもっともっと小さい、爆発。もちろんお前の体だって物だから、そうなんだよ。小さい無数の爆発が途切れなく起きているのが、お前やあたしの体であり、このカップだ。爆発回数が少なくなればミルクになる。もっと少なくなれば風になる。全く爆発していない物なんてないんだ。いや、ないとも言えないか。物と言えるかどうかわからないが、光がそうだ。あれは全く爆発していない。物が爆発した後に生じることはあるが、それ自体は爆発していない。だからあたしゃ光が嫌いなんだ。爆発してるってことは痛いってことだからね。他の物全てが痛みを感じているのに、光だけは痛みを感じない。そのくせ、光は物を傷つけるんだよ。爆発を誘うんだ。なんてずるいんだろう! ……ああごめん、長くなったね。あたしゃ物がそうであることを知ってる、って話だ。でも、お前たちはこのカップがそうだとは、とても思えないだろう? それは心のなせる業なんだが、あたしは心ってなそういうものだと思うんだ。全体像だけの世界。木の葉は見ずに木だけを見る世界。あたしはそんな世界知らない。だから人の心なんかわからない。でも、物がどうなっているかは知っているから、村人に、「お前はこう見ているが、実はこうなんだよ」とは言える。これがね、それこそあたしが言った言葉の全体だけを捉えて、「人の心が読める」だなんて言い草になったんじゃないかって思うんだ」
魔女の口から、眠っている時に垂れてしまうよだれのように、こんな言葉が漏れる。
「あたしゃ生まれてこの方、心なんて読めたことがないよ」
人が人を信じる時、その人を裏切ってしまう可能性を、人はどう取り扱っているのだろう? 完全に見ないようにしているのだろうか? そうとも限るまい。その人を裏切ってしまう可能性を、心の奥底で認めているから、余計に信じようとしたりするかもしれない。
そうしていれば、その人を裏切ってしまう可能性は、見えなくなるのかもしれない。
しかし、それは見えなくなるだけで、消えてなくなってしまうわけではない。
可能性が消えることなどありえない。
さっきの魔女の「物とは爆発だ」論って、岡本太郎みたいだな(ここのコメント欄参照)。でも芸術なんてしょせんどうあがいても代理表象にすぎないわけで、いやもちろん言語や絵も物だ、ってなれば、「物とは爆発だ、絵も爆発だ、従って芸術も爆発だ」ってなって全然いいんだけど、わたしゃ太郎より一歩進んでる、ってなるな。人としては一歩退化してる、ってことになるが。
んで思ったんだけどさ。この記事とか、そういうことだよな、って思ったんだわ。
わたしは男の体に爆弾を埋め込んでいる。爆発そのものじゃない。物とは爆発だから物は支配不可能なんだ。だから、ここは多少劣化して、爆弾って幻想を埋め込む。
なぜなら、男は「からっぽの身体」だから。現実的に光じゃないのに光に妄想で同一化したパラノイアだから。
それと、ここでの「アルコールと希硫酸」って、要するに今で言う「精液」なんだけど、わたしは精液にまみれたことがあるから、男の体に爆弾を埋め込むことができるんだと思う。
とすると、斎藤の例の文章なら、当該アスペルガー症候群者に斎藤は顔射している、って具合になるんだけど、当該アスペルガー症候群者は、顔射されたことで、もしかしたら、数年後とかに、正常人たちの「からっぽな身体」に爆弾を埋め込むことができるようになるのかもしれない、と思った。とか言いながら、顔射を喜んで、他の人に射精(これ生物学的男女関係ないから)するようになったら、彼女は「合意の快楽」を知っていた去勢済み主体だった、ってことになるんだな。まあ顔射なんて初めてされた時はわけがわからないもんだろうしな。わたしもこの頃は「アルコールと希硫酸」なんてぼかして言ってるわけだし。
あーうん、希硫酸はいいけど、アルコールはちょっと微妙かもな。なんだろう。汗、か。「からっぽの身体」が吐き出すのが精液なら、皮膚も肉もある現実的な肉体が吐き出すのは汗、ってことか。いや別に精液でもえっか。要するに「からっぽの身体」が吐き出す粘っこいものと、現実的な肉体が吐き出す粘っこいものの違い。人間のセックスと獣の交尾(ここのコメント欄参照)の違い、か。
酔うんだよな。魔女は酩酊している。リリスやキルケやアスタルテは酩酊している。
「からっぽの身体」が吐き出すものと、現実的な肉体が吐き出す粘っこいものは別物だ。同じ排泄物であっても違う。たとえば犬などは糞を自分の身に纏わりつかせて安心したりする。だからと言ってスカトロジストが体に纏わりつかせる糞便とは違う。それは「からっぽの身体」が排泄した糞だから、お前たちは興奮するのだ。
ただの排泄物と、光と同一化するために棄却された排泄物と、という違い。
お前らの傲慢さの証でもある排泄物が、精液。
死ね。
んで、まー産業用ロボットみたいなのがメインだったんだけど、そういう産業系の展示会って、ほーんと飽きないくらいたびたび開催されてるのね、ビッグサイトとかで。うん、わたしコミケじゃなくてそういう展示会でよく行ってた(笑)。行ってたというより行かされてた、だな。そういうとこ行くのは営業の仕事なんだけど、自分ちの技術内容の把握さえ覚束ないのに、他社の技術なんかちんぷんかんぷんだ、ってわけ。きついこと言ってるけど営業部長がそう言ってたもん。「俺たちが行ってもなー」って。要は右京様と似たようなものだ。雑用係。
んで、行かされるのも、自社の技術と関係ないようなものが多かったんだよね。環境技術展みたいなのも行かされた。ゴミのリサイクルとか産廃処理技術とかそんなん。どんな報告書書けばええねん状態だ。ゴミにICタグつける管理システムとか取り上げたな。こう、どうせ環境系の法律も今後厳しくなってくだろうし、なんかあった時に、「私たちはこのようにして処理してます」ってデータを目に見える形で出せるようになる、とかなんだか。ほーんと適当に言ってるな。でもまあ確かに、うちはきちんと分別して各専門の処理業者に任せてます、だなんて言っても、その処理業者がヤクザがやるような不法投棄系の処理業者に下請けさせる可能性もないわけじゃなし。処理業者に対する脅しにはなるだろうな。部品加工の下請けなんかには、つまり生産工程では、そういうICタグでの工程管理は結構導入され始めてるのに(当時は、ね)、廃棄物にはされてないってのも妙っちゃー妙だ。でもま、しょせんゴミはゴミだから、業界内で手を組んでやるならおもしろいシステムかもしれないけど、うち一社ではやっても無駄っぽ、とか書いた記憶がある。
そんな風な適当報告書もある一方、「出張報告書で二頁とかおい(笑)」などと突っ込まれそうな報告書も書いた。会社の技術とか関係なく、わたし個人が興味を持った技術があると、思考がぶわーってなるんだ。このブログ見ればわかるように昔から文章は大量に書ける人だったし。
で、そういう時は「哲学」な文章になるらしい。技術の上司からは、もっと技術情報的なことを書け、とか言われたんだが、営業部長が好きらしくてな。彼にそんなこと言われた。元哲学青年なんだとは思う。そういう話はちらっとしたことがある。
また前フリが長くなってしまったが、そんな感じでホログラフィーに興味持ってた時期があったのだよね。原理はwikipediaの説明読んで。wikipediaってほんとこういう概略化っていうか、そういうのうまいよな。うまくないと思える項目もあるけど。まー筆者によるんだろうな。
なんかな、ほんとそこにそれがあるとしか見えないくらいの精巧なホログラフィーもあってな。ちょっと感動したんだわ。どうもわたしそういうのに弱いらしい。演劇人だった頃、小劇場ふって本場オペラに乗り換えたんだが(自分でも極端だとは思う)、実際スタッフで関わったこともある。んである舞台で、客席から見ると、幕で作った石柱が本物に見えるのに感動した。実際自分が仕込んだんだから知ってるんだよ。あれは幕だって。幕って言ってもただ上から吊るすだけじゃないんだ、もちろん。上部をバトンにくくりつけて吊ってるだけだとしわができるから、幕(もちろん柱なんだから細長い幕だ)の一番下に金属のプレートがつけられててね、そのプレートをさらに床に釘で打ちつける。あとはバトンを微妙に上げながら、しわを伸ばす。折り目とかついてるんじゃないの? とか思ったあなたはど素人。折り目がつかないたたみ方ってのがあるんだよ。でもそういうしわがつく時もある。そういう時は、やっすい幕なら霧吹きで水をかけると、吊ってるだけでやがて自重で消える。その柱の時は、幕の表面にもちろん柱の絵が描かれてあるんだけど、実際補修作業見たんだけど、絵の具にラテックスみたいなん混ぜてるんだよね。絵に厚みがある。だから、服にできるようなしわは最初からつきにくいんだ。
また話それたな。ホログラフィーか。うん、そういうことだな。嘘がほんとに見えることに感動した、ってことか。ほんとじゃないな、嘘だって知ってるんだから。嘘が嘘として自然に成立している、というと反論ある言い方だろうなーって思ってまた被害妄想がうぞうぞしてくるんだけど、なんか今もう半分死んでいるから説明しない。嘘がほんとになるんじゃなくて、嘘が嘘として自然に成立している。そういうこと。
で、こっからは多分wikipediaの原理説明読んでないと知らない人は話通じないと思うから読んでね。
ホログラフィーが普及した社会。あるオタクがAKB48の誰か(名前とか知らん)のホログラムを見ながらオナニーしている。ホログラムなわけだから下から見ればパンツも覗ける。やってる方もわかってやっている、要は見せパンなのだが、オタクはハァハァ言いながらオナニーしている。彼の精子はAKB48の誰かを素通りして飛んでいく。当然だ、ホログラムなんだから。
そんなある日、オタクが外出しているのを見計らって、母親が異臭の立ち込める彼の部屋を掃除することにした。怒られるのはわかっていたが、異臭が他の部屋にまで伝わり始めたので、堪忍袋の緒が切れたのだった。
まるで糞尿地獄のようなそこを問答無用で片づける母親。その時、勢い余って、何かのディスクを割ってしまった。母親はそれが何かもわからない。しかし息子が猛烈に怒るのは予測できた。隠そうかとも思ったが、それも悔しいので、怒ったら怒ったでこの際きっちり話をしよう、と、傍から見れば感動的でもなんでもないが、心理学的には巷の映画の感動的なシーンとほぼ同じ構造の精神状態で、心を決めた。母親は割れたディスクをオタクの机の上に置いて、掃除を続けた。
帰ってきたオタクは当然怒る。きれいになった部屋を見て。そして机の上にある何かを見つけて、瞬時で何が起きたかを悟る。自分のいない間に行われた犯罪行為の全てを、彼は確信する。
オタクと母親の激論。それはすさまじいものであった。この時誰かが動画を撮っていたならば、キーボードクラッシャー、修羅パンツに続く栄誉を、彼は受けられただろう。
AKB48の誰かというホログラムは、彼のフェティッシュであった。それを破壊されるということは、彼自身のアイデンティティが傷つけられるということでもあった。
永遠に続くかと思われたおもしろ映像は、十分ほどで終わった。彼は疲れてしまっていた。この世の全てが終わってもいい、とこの時は本気で思っていた。
しかし、彼は希望を捨て切れなかった。机上に無造作に置かれた、まるで自分自身だとも思えるディスクの破片たち。そうだ、今俺はばらばらだ。俺の心はばらばらに引き裂かれた。そんなことを思いながら、彼は破片の一つを持ち上げた。そして、そんなこと無駄だと自分に言い聞かせながらも、再生装置にかけた。うっすらと、腕だけでも、足だけでも、おっぱいだけでも、顔だけでも映ればいい、と思っていた。
スイッチを入れる。
そこには、以前と変わらぬ、AKB48の誰かの全身像があった。彼女はいつもの笑顔で、オタクを見下ろしていた。
……神だ。この世には神がいた。
オタクは涙を流しながら、そう思った。
なんか書いているうちに修羅パンツの動画とか見ちゃったもんだからノッてしまった。
でもそうなんだよね。ホログラフィーって。映像が記録されたフィルムをぱりーんって割って、その一部にレーザー光を当てて再生しても、元の全体像がそのまま映し出される。
んじゃフィルムはどうなってんの? って思うだろう。わたしも思った。ホログラフィーのフィルム上には、wikipediaにも書いてあるけれど、参照光と物体光の干渉縞が記録されている。じゃあどういう風に記録されているかっていうと、ぱっと見ランダムなんだ。一般的なイメージの干渉縞って、規則性あるじゃん。そういうのはないらしい。だけど、その不規則な記録に光を当てれば、たとえ破片でも元の全体像が再生される。どんな破片でも。
これってさ、当時「おお」って思ったんだけど、あんま知られてないのね。
んで、ドロップアウトして(ここの経緯は何度も書いているので省略)、いろいろ精神疾患系の本読み漁ってて、ふと思ったのだね。
これって、精神病者の世界観としてときおり示されるもの、わたしも認知している(とわたしが思っている)あの状態、華厳の極楽のような(全然極楽じゃないけどなっ)それ、仮に「部分は全体、全体は部分」状態と呼ぶが、ホログラフィーじゃん、って思ったわけだ。全体は部分を含んでいるだけではなく、部分は全体を含んでいる。
ブログ始める前だったから証拠はないけどさ。そう思ったっていう。
でもさ、そういうことなんだと思うよ。この世はホログラフィーだって。人体はフィルム。人体だけじゃなく物体も。あるものは全てフィルム。器官なき身体が感受する世界とは、不規則な干渉縞なのかもしれない。
だけど、去勢済み主体たちは、原理説明における参照光を棄却している。元の光を、波動を知らない。何かで防衛している。だから彼らの世界は写真になる。だからわたしは彼らの嘘の世界(彼らは本当だと思っているのだろうが)についての表現がいつも納得できない。
これはこうも言い換えられるだろう。去勢済み主体の認知認識体系(ここはわざとこの言葉使いたい)は二次元的だが、未去勢者のそれは三次元的である、とも。
うまく説明できないけどさ、そういうことなんだと思うよ。わたしが最近とみに攻撃している斎藤のこの文章なら、当該アスペルガー症候群者の文章として紹介されている、
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「音声に手話がついて,『両方を同時に』表されたとき,不思議にも,情報が増えているのに感覚飽和にならず,急速な意味理解へとつながる」。
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ってことでもあると思う。もちろん構造は象徴化されているとは思うけど、そういったやり方が、未去勢者の主観世界の「部分は全体、全体は部分」な構造(もちろんこれは仮称だ)を象徴できているから、彼女は「急速な意味理解へとつなが」ったんじゃないか、と。彼女の意味理解の仕方は三次元的だ。
んで、この構造を、象徴じゃなく、去勢済み主体である斎藤が知りたいなら、参照光を知らなければならない。自分の主観世界に導入しなければならない。しかし導入されていないとしたら、それを遮る何かがあるはずだ、となる。わたしはこの遮蔽物こそが、自我や超自我だと思うんだな。だから去勢済み主体は光をありがたがるんだ。自我や超自我で参照光を防衛できているから、光が本当は苦痛を人体に与えるものだと知らないんだ。
斎藤がこの「部分は全体、全体は部分」な世界を知りたいなら、お前自身の自我や超自我を破壊しろ、と言っているわけだな。
つまり、狂えと。狂気の苦しみを味わえ、と。
だから、わたしは彼に暴言を吐いている。彼の人格を攻撃している。
おわかり? たまきん。自分のちんちんばっか見てたらそりゃー世界観は狭くなるさ(笑)。
ほーんと、「正常であることが精神疾患である」って見方をしない限り、何も進まないと思うよ。お前らの理屈って。
こっちもそりゃーポンコツだが、ポンコツのくせに正規品としてまかり通ってる方が問題だろ? 製品ってのはそういうもんだろ?
だから、お前らはリコールされるべき、っつってんの。もっとも簡単なリコールは自殺だよ、って。素の顔で。全員とは言わないよ、八割くらいでいい。そうすれば、自然という、地域信仰の神様でもあるお客様は、まあ納得してくれるだろう。
ま、今日のはどうでもいい記事だな。
最近の記事とか自分で読んで遺書めいているとか思ってたし、ガス抜きみたいなもんだ。今日のはうんこじゃなくて屁だな。そりゃー常時うんこしてるわけないじゃん。お前二十四時間ずっと便器に座ってるの? それコロリだよ(笑)。
ぷすぅ。
ある老魔女のつぶやき。
「あたしゃね、人の心が読めるだなんて言われてるけどね、あれ嘘だよ。全然読めない。村人たちの方がよく読めている。じゃあなんでそんなこと言われるかっていうとね……そうだね、あたしゃ物は知ってるんだ。お前たちが知っている物じゃない物。お前たちの物は心がそう見させている物で、あたしが見ている物とは違う。物ってな、ほれ、そこのカップって固いものも物、それに入っているホットミルクだって物、風だって物。まあこれくらいはそう見えている村人もいると思うがね。その次があるんだよ。物っていうのはね……そうだね、お前雷見たことあるかい? そう、あれ。あれとか、お祭りの時に使うかんしゃく玉ってあるだろ? あれの、かんしゃく玉じゃなくて、破裂した一瞬。それや、火花とかね、あれの、もっと本当に小さいのが、集まって物になってるんだ。信じられないかい? でもそうなんだよ。砂や小麦粉なんかより、さらにもっともっと小さい、爆発。もちろんお前の体だって物だから、そうなんだよ。小さい無数の爆発が途切れなく起きているのが、お前やあたしの体であり、このカップだ。爆発回数が少なくなればミルクになる。もっと少なくなれば風になる。全く爆発していない物なんてないんだ。いや、ないとも言えないか。物と言えるかどうかわからないが、光がそうだ。あれは全く爆発していない。物が爆発した後に生じることはあるが、それ自体は爆発していない。だからあたしゃ光が嫌いなんだ。爆発してるってことは痛いってことだからね。他の物全てが痛みを感じているのに、光だけは痛みを感じない。そのくせ、光は物を傷つけるんだよ。爆発を誘うんだ。なんてずるいんだろう! ……ああごめん、長くなったね。あたしゃ物がそうであることを知ってる、って話だ。でも、お前たちはこのカップがそうだとは、とても思えないだろう? それは心のなせる業なんだが、あたしは心ってなそういうものだと思うんだ。全体像だけの世界。木の葉は見ずに木だけを見る世界。あたしはそんな世界知らない。だから人の心なんかわからない。でも、物がどうなっているかは知っているから、村人に、「お前はこう見ているが、実はこうなんだよ」とは言える。これがね、それこそあたしが言った言葉の全体だけを捉えて、「人の心が読める」だなんて言い草になったんじゃないかって思うんだ」
魔女の口から、眠っている時に垂れてしまうよだれのように、こんな言葉が漏れる。
「あたしゃ生まれてこの方、心なんて読めたことがないよ」
人が人を信じる時、その人を裏切ってしまう可能性を、人はどう取り扱っているのだろう? 完全に見ないようにしているのだろうか? そうとも限るまい。その人を裏切ってしまう可能性を、心の奥底で認めているから、余計に信じようとしたりするかもしれない。
そうしていれば、その人を裏切ってしまう可能性は、見えなくなるのかもしれない。
しかし、それは見えなくなるだけで、消えてなくなってしまうわけではない。
可能性が消えることなどありえない。
さっきの魔女の「物とは爆発だ」論って、岡本太郎みたいだな(ここのコメント欄参照)。でも芸術なんてしょせんどうあがいても代理表象にすぎないわけで、いやもちろん言語や絵も物だ、ってなれば、「物とは爆発だ、絵も爆発だ、従って芸術も爆発だ」ってなって全然いいんだけど、わたしゃ太郎より一歩進んでる、ってなるな。人としては一歩退化してる、ってことになるが。
んで思ったんだけどさ。この記事とか、そういうことだよな、って思ったんだわ。
わたしは男の体に爆弾を埋め込んでいる。爆発そのものじゃない。物とは爆発だから物は支配不可能なんだ。だから、ここは多少劣化して、爆弾って幻想を埋め込む。
なぜなら、男は「からっぽの身体」だから。現実的に光じゃないのに光に妄想で同一化したパラノイアだから。
それと、ここでの「アルコールと希硫酸」って、要するに今で言う「精液」なんだけど、わたしは精液にまみれたことがあるから、男の体に爆弾を埋め込むことができるんだと思う。
とすると、斎藤の例の文章なら、当該アスペルガー症候群者に斎藤は顔射している、って具合になるんだけど、当該アスペルガー症候群者は、顔射されたことで、もしかしたら、数年後とかに、正常人たちの「からっぽな身体」に爆弾を埋め込むことができるようになるのかもしれない、と思った。とか言いながら、顔射を喜んで、他の人に射精(これ生物学的男女関係ないから)するようになったら、彼女は「合意の快楽」を知っていた去勢済み主体だった、ってことになるんだな。まあ顔射なんて初めてされた時はわけがわからないもんだろうしな。わたしもこの頃は「アルコールと希硫酸」なんてぼかして言ってるわけだし。
あーうん、希硫酸はいいけど、アルコールはちょっと微妙かもな。なんだろう。汗、か。「からっぽの身体」が吐き出すのが精液なら、皮膚も肉もある現実的な肉体が吐き出すのは汗、ってことか。いや別に精液でもえっか。要するに「からっぽの身体」が吐き出す粘っこいものと、現実的な肉体が吐き出す粘っこいものの違い。人間のセックスと獣の交尾(ここのコメント欄参照)の違い、か。
酔うんだよな。魔女は酩酊している。リリスやキルケやアスタルテは酩酊している。
「からっぽの身体」が吐き出すものと、現実的な肉体が吐き出す粘っこいものは別物だ。同じ排泄物であっても違う。たとえば犬などは糞を自分の身に纏わりつかせて安心したりする。だからと言ってスカトロジストが体に纏わりつかせる糞便とは違う。それは「からっぽの身体」が排泄した糞だから、お前たちは興奮するのだ。
ただの排泄物と、光と同一化するために棄却された排泄物と、という違い。
お前らの傲慢さの証でもある排泄物が、精液。
死ね。