「息子の嫁に来ないか」
2009/12/31/Thu
大学時代の話。学生なわけだからそんなに行きつけってほどじゃなかったが(新宿の某スナックは学生割引みたいなんがあったからよく行ってた)、住んでたアパートからタクシーでワンメーターくらいのところに小料理屋みたいな感じの居酒屋があって、そこの常連さんが某男性芸能人の父親で、「息子の嫁に来ないか」なんて冗談を飛ばされたことがあるんだが、まじでそうなったらどうなるかなんて考えてたんだよな。別に鵜呑みにしてたわけじゃないが、テレビに出てるの見て変に意識したり(ここ笑うとこ)。
今考えると、どうせ年頃の女子見かけるたびそうやって声かけてるんだろうな、と思う。つまり、そのオヤジ自身が若い女の子と話したいから、そういう話をしてるんだろうな、って思ったわけだ。ならそう言えばいいのに、「息子のために」ってなるのが、「欲望とは他者の欲望」なんだよなー、って思う。おそらくそのオヤジに「いやあんた自身が女子とお話したいだけだろ」とか言っても彼は否認するだろう。ってそんな年でもねえか。「こりゃ一本取られたな」的コースか。
オヤジは本気だった、とか言うわけじゃないけど、「嫁」は冗談だとしても、「息子のために」って要件は無意識にあると思うんだよな。つまり、「ほんとは俺自身が女子とお話したいんだけど、そう言うとかっこ悪いから、息子をダシにしよう」なんて自覚しないで、つまり意識しないで、そう言ったと思うんだよな。
そこに息子本人はいなかったんだが(当然本人に会ったことはない)、なんつーかまあ父と息子のホモソーシャルっつかラカン的な「プラトンの『饗宴』」だよなー、と今思った。
当時はあれだな、まあそこいらのちゃらいギャルなんかとくっつかれるよか、学歴のあるわたしみたいな方が体面的にましだから、そう言ったんだろう、とか思ってたかな。うん、「この子東大なんですよー」って流れあったしな。
……うっわすっげつまんねえ文章。
まあ今でこそこんなだけど学生の頃はそこそこイケてたんだよ、ってスナックのババアがする昔話みたいなもんだな。
つかさー、精神分析系の研究者どもからぽつぽつ読まれているってのは、いろいろぐぐって知ってるんだけどさー、そこで話題になったとして、そいつらホモソーシャル的に、「プラトンの『饗宴』」的に話してんのかね、って想像するとぞっとするんだわ。
死ねとは言わないから、そんな風に話題にしてんなら、別にこっちゃ怒らねえから、言えよ、って思うんだわ。そのオヤジが「俺自身が女子とお話したいからこんなこと言ってるんだけどね」って言ってもわたしゃ別に怒らなかったと思うんだ。
想像上でレイプするぐらいなら実際にレイプしてこいよ、って言ってるようなもんだな。
つか飲み屋って2ちゃんねるに並んでお宝の山だと思うんだよな。精神分析にとって。飲み屋でゼミ開いている藤田博史は正しい。つかゴールデン街って潰されるんじゃないっけか。ああ「再開発」ねすみません。
2ちゃんねるもテレビで取り上げられてつまんなくなったしな。
こうやって精神分析はどんどんお宝を失っていく。
まーどんなに潰してもどっかからにょきにょき生えてくるんだろうけどな。
それが現実ですから。
飲み屋やら2ちゃんねるやら、現代日本も精神分析のネタはそこらに転がっている。なのにバタイユ(笑)やらロートレアモン(大爆笑)やらセリーヌ(笑い死ぬ)を、まるで「外人のちんぽ汁とてもおいちいです」とか言わんばかりに研究しているラカニアンって、ほんと滑稽だ。バタイユもロートレアモンもセリーヌもギャグだろ、ってわたしなんかは思うんだが。素で。いや、ギャグとして評価している、って話だぜ? セリーヌは嫌いじゃないってどっかで書いたな。あ、これこれ。要するに「取るに足らない」って意味での「ギャグ」ではないってこと。
文系学者全般に言えることだけどさー、お前らさー、その西洋幻想みたいなんなんとかした方がいいべ。理系はほれ、石はどこの国でも石だからな。炭素は炭素。ケイ素はケイ素。人だってどこの国でもただの人。肝臓は肝臓。大腸は大腸。人間に敬意なんて払ってたら研究進みませんもん、理系は。
文系人間ってほんと気持ち悪い。
いえ、「君たちの方が全然イイ」よ(笑)。あなたたちはまるで「天使」のようだ(大爆笑)。
人間に敬意を払ってるなら、そりゃー自分にだって敬意が払われることになるもんな。
もちろんそんなんじゃない文系学者もいると思うよ。別に外人のちんぽ汁なめてるんじゃなく海外文学を研究してる人も数多くいよう。確かに飲み屋や2ちゃんのくだらん会話を分析しても学位は取れないだろうしな。つかそういう学問村がすでにパラノイアックな精神疾患に罹患しているってわたしは思うんだけどね。学位取るために一応偏執病ジジババどもの言うこと聞いておくべ、内心「死にかけてんならはよ死ね」って鼻で笑いながら、みたいな態度なら別にいい。ふつーふつー。
ま、理系と比べたら傾向的にそんなカンジするよねー、って程度の話さ。その程度の話のさらに余談なんだけど、娼婦のごとく内心鼻で笑いながらちんちんしゃぶっているんじゃく、本気で「おとーさまのちんちんおいしいです」ってしゃぶってるのって、逆に理系女に多い気がするわ、って今思った。つかわたしの主観だな。理系にいた人の単なる主観。
オタク文化が『リアルげんしけん』で描かれているところの「自己肯定が素で上手な現代オタクたち」によりだめになったとするなら、精神分析はそういう「天使」な文系学者や理系女によってだめになっていくんだろうな。あーうん、フロイト娘とかそう言いそうじゃん。「おとーさまのおちんちん(以下自粛)」とか。つかここでちらっと書いたけどフロイト娘のイメージがアナ・コッポラで固定されつつあるわたしの脳内。これなら自我心理学派の人も怒らないだろうしね。かわいいじゃん。アナちゃん。
まずここんとこ自覚しとこうね。包茎くん、肥大したクリトリスちゃんたち。
今年一年お疲れ。来年の抱負? 来年こそは死にたいな。あ、お前らにとっては「生きる」って意味になる「死」だけどね。
つかさ、あたし別に陰口そのものは否定しないんだよね(ここのコメント欄参照)。あってもいい。相手に聞かれないことに意味がある批判。陰口ってほんと去勢済み主体、未去勢者関係ないからな。むしろ陰口好きなのはどっちかってと未去勢者だと思う。2ちゃんのアスペスレなんか陰口のオンパレードだもんな。まーそのくらい鬱屈してるからこそ病院行くんだろうけど。
でもさー、陰口を言って、他の誰かが「そうそう、わたしも思ってた。むかつくよねー」って言われたとするじゃん。
それって嬉しいか?
あたしは嬉しくないんだな。逆に「別にお前に同意してもらおうと思って言ったわけじゃねーよ」って思う。お前が本当にそいつにむかついているんなら、わたしの言葉に乗っかるような真似しないで、お前自身の言葉で言え、って。
それに、陰口なら反対意見も出てきやすいじゃん。賛美だと快楽原則によって反論は出にくくなるけど、陰口はそうじゃないから、全く関係のない他人でも反論してくる。
その反論をデータの一つとして、自分の価値観を解析する、ってのはありだと思うんだわ。その瞬間はこっちも拙い理屈で反論するかもしれないけど、そういう不快なことほど覚えてる性格だからさ、後日脳内反論のネタになるんだわ。こういった脳内反論があればこそ正確な言葉を選択できるようになる。ただの呪詛が批判としてマッシュアップされる。陰口ではなく論戦として舞台にあげることができる。
ってゆっか、わたし陰口って呪いの一種だと考えているんだけど、呪いって他人にばれちゃいけないもんじゃん。お百度参りだって他人に見られたらアウト。藁人形もそうだよな。
だから、「誰かに同意してもらってしまった陰口」なんてもっての他だと思うんだな。それならいっそ呪詛のまま相手にぶつけた方がいい。そもそも「悪意を伝える」ことが目的なわけでしょ? 呪詛にしろ批判にしろ。「陰口の同意」は批判へのマッシュアップにもならないし、何より、悪意が仲間うちで共有されることで封殺される。悪意が「合意の快楽」によって包囲されてしまう。わたしが生きてきた中で一番多かったのは、自分の感じていた悪意が仲間たちの快楽によって改竄されるケースだ。集団がアウトプットした批判と、自分が考えていたことは全く別物なのに、仲間たちはわたしも同じ考えだという妄想をわたしにおっかぶせてくる。結果、わたし個人の悪意は、集団の悪意によって封殺されてしまう。
要は、自分はなぜ陰口を叩いているのか? を考えてごらん、って言ってるわけだ。考えた末、わたしの陰口は、そいつに敵対する仲間を増やすためのものじゃなく、批判の幼虫みたいなもの、あるいは呪いのようなものだ、と思ったわけ。
お前のその陰口は、「人を呪わば穴二つ」の呪いかい? それとも、仲間を増やすためのいやらしい口説き文句かい?
お前の口から垂れているのは、毒の類かい? 精液や愛液の類かい?
さあ、考えてごらん。
自分の腹の中を覗いてごらん。
あーだめだ。大晦日くらい泣かないでおこうと思ったのに。でもなんか重要なこと言った気がするので、中坊さんとこからコピペしておく。
=====
腹立つ。空観について語ってるサイトいろいろ見回ってるが、半分くらいは「善悪なんて後付だ」ってのは言っている。あたし仏教しらんからなんとも言えんけど、教えにおいてそういう点は徹底されてるんだろうな。
だけどお前ら全然「善悪なんてない主観世界」の人間なんかじゃねえって思う。「善悪なんて後付だ」って主観世界に本当にいたら、「空観とは世界平和に繋がる思想だ」やら「人間同士が妬んだり憎しみあったりすることのない世界になる」なんて結論にどうなってもならん。
彼らの思考回路は
「善悪なんて後付だ」→「善悪なんて存在しない」→「悪は存在しない」
ってなってるんだ。
語義通り考えてみろよ、「善悪なんて後付だ」ってことは、人間の世界で善か悪かラべリングされている事象はそれ自体であることだ。
それ自体としての事象を本当に生きている人間は、人間の世界からは悪と思われることを悪と思わず認知する。
そんな人間が、無意識的に善悪をラベリングする機械としての人間が大多数の群れの中で生きている。
そいつの主観世界はぜんっぜん平和なわけねえじゃねえか。
ぜんっぜん憎むに決まっておるだろうが。
仏教が駆逐すべき悪人は現代精神医学が正常だと規定する人間だ。
だが仏教をやっている人間のほとんどが正常人だから、自分に都合のいい解釈をして改竄していく。
ほんと糞だな。
これで「正常人は生きている価値ない」と思えないなら、生きている資格ないよ。
=====
ほんと死ね。自我や超自我が肥大しすぎた人間どもは死ね。
あ? 「無意識的に善悪をラベリングする機械としての人間」がいなくなれば平和になるって?
それお前ら正常人のことだよ。心理学、精神分析学やってる人間なら理屈的にそうなることを知っているだろう。
お前らがやっているのは「善悪なんてない世界」のごっこ遊びだ。本当にその世界を生きている人間から見ればちゃんちゃらおかしいわ。営業トークはお腹いっぱい。え? 「嘘も方便」? その方便が教えを歪曲する危険性を認識してからやれよな。
ほんとに「善悪など後付だ」と思うなら、まずお前が自殺しろ。
今考えると、どうせ年頃の女子見かけるたびそうやって声かけてるんだろうな、と思う。つまり、そのオヤジ自身が若い女の子と話したいから、そういう話をしてるんだろうな、って思ったわけだ。ならそう言えばいいのに、「息子のために」ってなるのが、「欲望とは他者の欲望」なんだよなー、って思う。おそらくそのオヤジに「いやあんた自身が女子とお話したいだけだろ」とか言っても彼は否認するだろう。ってそんな年でもねえか。「こりゃ一本取られたな」的コースか。
オヤジは本気だった、とか言うわけじゃないけど、「嫁」は冗談だとしても、「息子のために」って要件は無意識にあると思うんだよな。つまり、「ほんとは俺自身が女子とお話したいんだけど、そう言うとかっこ悪いから、息子をダシにしよう」なんて自覚しないで、つまり意識しないで、そう言ったと思うんだよな。
そこに息子本人はいなかったんだが(当然本人に会ったことはない)、なんつーかまあ父と息子のホモソーシャルっつかラカン的な「プラトンの『饗宴』」だよなー、と今思った。
当時はあれだな、まあそこいらのちゃらいギャルなんかとくっつかれるよか、学歴のあるわたしみたいな方が体面的にましだから、そう言ったんだろう、とか思ってたかな。うん、「この子東大なんですよー」って流れあったしな。
……うっわすっげつまんねえ文章。
まあ今でこそこんなだけど学生の頃はそこそこイケてたんだよ、ってスナックのババアがする昔話みたいなもんだな。
つかさー、精神分析系の研究者どもからぽつぽつ読まれているってのは、いろいろぐぐって知ってるんだけどさー、そこで話題になったとして、そいつらホモソーシャル的に、「プラトンの『饗宴』」的に話してんのかね、って想像するとぞっとするんだわ。
死ねとは言わないから、そんな風に話題にしてんなら、別にこっちゃ怒らねえから、言えよ、って思うんだわ。そのオヤジが「俺自身が女子とお話したいからこんなこと言ってるんだけどね」って言ってもわたしゃ別に怒らなかったと思うんだ。
想像上でレイプするぐらいなら実際にレイプしてこいよ、って言ってるようなもんだな。
つか飲み屋って2ちゃんねるに並んでお宝の山だと思うんだよな。精神分析にとって。飲み屋でゼミ開いている藤田博史は正しい。つかゴールデン街って潰されるんじゃないっけか。ああ「再開発」ねすみません。
2ちゃんねるもテレビで取り上げられてつまんなくなったしな。
こうやって精神分析はどんどんお宝を失っていく。
まーどんなに潰してもどっかからにょきにょき生えてくるんだろうけどな。
それが現実ですから。
飲み屋やら2ちゃんねるやら、現代日本も精神分析のネタはそこらに転がっている。なのにバタイユ(笑)やらロートレアモン(大爆笑)やらセリーヌ(笑い死ぬ)を、まるで「外人のちんぽ汁とてもおいちいです」とか言わんばかりに研究しているラカニアンって、ほんと滑稽だ。バタイユもロートレアモンもセリーヌもギャグだろ、ってわたしなんかは思うんだが。素で。いや、ギャグとして評価している、って話だぜ? セリーヌは嫌いじゃないってどっかで書いたな。あ、これこれ。要するに「取るに足らない」って意味での「ギャグ」ではないってこと。
文系学者全般に言えることだけどさー、お前らさー、その西洋幻想みたいなんなんとかした方がいいべ。理系はほれ、石はどこの国でも石だからな。炭素は炭素。ケイ素はケイ素。人だってどこの国でもただの人。肝臓は肝臓。大腸は大腸。人間に敬意なんて払ってたら研究進みませんもん、理系は。
文系人間ってほんと気持ち悪い。
いえ、「君たちの方が全然イイ」よ(笑)。あなたたちはまるで「天使」のようだ(大爆笑)。
人間に敬意を払ってるなら、そりゃー自分にだって敬意が払われることになるもんな。
もちろんそんなんじゃない文系学者もいると思うよ。別に外人のちんぽ汁なめてるんじゃなく海外文学を研究してる人も数多くいよう。確かに飲み屋や2ちゃんのくだらん会話を分析しても学位は取れないだろうしな。つかそういう学問村がすでにパラノイアックな精神疾患に罹患しているってわたしは思うんだけどね。学位取るために一応偏執病ジジババどもの言うこと聞いておくべ、内心「死にかけてんならはよ死ね」って鼻で笑いながら、みたいな態度なら別にいい。ふつーふつー。
ま、理系と比べたら傾向的にそんなカンジするよねー、って程度の話さ。その程度の話のさらに余談なんだけど、娼婦のごとく内心鼻で笑いながらちんちんしゃぶっているんじゃく、本気で「おとーさまのちんちんおいしいです」ってしゃぶってるのって、逆に理系女に多い気がするわ、って今思った。つかわたしの主観だな。理系にいた人の単なる主観。
オタク文化が『リアルげんしけん』で描かれているところの「自己肯定が素で上手な現代オタクたち」によりだめになったとするなら、精神分析はそういう「天使」な文系学者や理系女によってだめになっていくんだろうな。あーうん、フロイト娘とかそう言いそうじゃん。「おとーさまのおちんちん(以下自粛)」とか。つかここでちらっと書いたけどフロイト娘のイメージがアナ・コッポラで固定されつつあるわたしの脳内。これなら自我心理学派の人も怒らないだろうしね。かわいいじゃん。アナちゃん。
まずここんとこ自覚しとこうね。包茎くん、肥大したクリトリスちゃんたち。
今年一年お疲れ。来年の抱負? 来年こそは死にたいな。あ、お前らにとっては「生きる」って意味になる「死」だけどね。
つかさ、あたし別に陰口そのものは否定しないんだよね(ここのコメント欄参照)。あってもいい。相手に聞かれないことに意味がある批判。陰口ってほんと去勢済み主体、未去勢者関係ないからな。むしろ陰口好きなのはどっちかってと未去勢者だと思う。2ちゃんのアスペスレなんか陰口のオンパレードだもんな。まーそのくらい鬱屈してるからこそ病院行くんだろうけど。
でもさー、陰口を言って、他の誰かが「そうそう、わたしも思ってた。むかつくよねー」って言われたとするじゃん。
それって嬉しいか?
あたしは嬉しくないんだな。逆に「別にお前に同意してもらおうと思って言ったわけじゃねーよ」って思う。お前が本当にそいつにむかついているんなら、わたしの言葉に乗っかるような真似しないで、お前自身の言葉で言え、って。
それに、陰口なら反対意見も出てきやすいじゃん。賛美だと快楽原則によって反論は出にくくなるけど、陰口はそうじゃないから、全く関係のない他人でも反論してくる。
その反論をデータの一つとして、自分の価値観を解析する、ってのはありだと思うんだわ。その瞬間はこっちも拙い理屈で反論するかもしれないけど、そういう不快なことほど覚えてる性格だからさ、後日脳内反論のネタになるんだわ。こういった脳内反論があればこそ正確な言葉を選択できるようになる。ただの呪詛が批判としてマッシュアップされる。陰口ではなく論戦として舞台にあげることができる。
ってゆっか、わたし陰口って呪いの一種だと考えているんだけど、呪いって他人にばれちゃいけないもんじゃん。お百度参りだって他人に見られたらアウト。藁人形もそうだよな。
だから、「誰かに同意してもらってしまった陰口」なんてもっての他だと思うんだな。それならいっそ呪詛のまま相手にぶつけた方がいい。そもそも「悪意を伝える」ことが目的なわけでしょ? 呪詛にしろ批判にしろ。「陰口の同意」は批判へのマッシュアップにもならないし、何より、悪意が仲間うちで共有されることで封殺される。悪意が「合意の快楽」によって包囲されてしまう。わたしが生きてきた中で一番多かったのは、自分の感じていた悪意が仲間たちの快楽によって改竄されるケースだ。集団がアウトプットした批判と、自分が考えていたことは全く別物なのに、仲間たちはわたしも同じ考えだという妄想をわたしにおっかぶせてくる。結果、わたし個人の悪意は、集団の悪意によって封殺されてしまう。
要は、自分はなぜ陰口を叩いているのか? を考えてごらん、って言ってるわけだ。考えた末、わたしの陰口は、そいつに敵対する仲間を増やすためのものじゃなく、批判の幼虫みたいなもの、あるいは呪いのようなものだ、と思ったわけ。
お前のその陰口は、「人を呪わば穴二つ」の呪いかい? それとも、仲間を増やすためのいやらしい口説き文句かい?
お前の口から垂れているのは、毒の類かい? 精液や愛液の類かい?
さあ、考えてごらん。
自分の腹の中を覗いてごらん。
あーだめだ。大晦日くらい泣かないでおこうと思ったのに。でもなんか重要なこと言った気がするので、中坊さんとこからコピペしておく。
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腹立つ。空観について語ってるサイトいろいろ見回ってるが、半分くらいは「善悪なんて後付だ」ってのは言っている。あたし仏教しらんからなんとも言えんけど、教えにおいてそういう点は徹底されてるんだろうな。
だけどお前ら全然「善悪なんてない主観世界」の人間なんかじゃねえって思う。「善悪なんて後付だ」って主観世界に本当にいたら、「空観とは世界平和に繋がる思想だ」やら「人間同士が妬んだり憎しみあったりすることのない世界になる」なんて結論にどうなってもならん。
彼らの思考回路は
「善悪なんて後付だ」→「善悪なんて存在しない」→「悪は存在しない」
ってなってるんだ。
語義通り考えてみろよ、「善悪なんて後付だ」ってことは、人間の世界で善か悪かラべリングされている事象はそれ自体であることだ。
それ自体としての事象を本当に生きている人間は、人間の世界からは悪と思われることを悪と思わず認知する。
そんな人間が、無意識的に善悪をラベリングする機械としての人間が大多数の群れの中で生きている。
そいつの主観世界はぜんっぜん平和なわけねえじゃねえか。
ぜんっぜん憎むに決まっておるだろうが。
仏教が駆逐すべき悪人は現代精神医学が正常だと規定する人間だ。
だが仏教をやっている人間のほとんどが正常人だから、自分に都合のいい解釈をして改竄していく。
ほんと糞だな。
これで「正常人は生きている価値ない」と思えないなら、生きている資格ないよ。
=====
ほんと死ね。自我や超自我が肥大しすぎた人間どもは死ね。
あ? 「無意識的に善悪をラベリングする機械としての人間」がいなくなれば平和になるって?
それお前ら正常人のことだよ。心理学、精神分析学やってる人間なら理屈的にそうなることを知っているだろう。
お前らがやっているのは「善悪なんてない世界」のごっこ遊びだ。本当にその世界を生きている人間から見ればちゃんちゃらおかしいわ。営業トークはお腹いっぱい。え? 「嘘も方便」? その方便が教えを歪曲する危険性を認識してからやれよな。
ほんとに「善悪など後付だ」と思うなら、まずお前が自殺しろ。