報告だけの記事ってつまんない。
2010/01/16/Sat
と思われるかもしれないが報告しとくな。
また中坊さんとこでやってる。
ほんといい迷惑だな。中坊さんが。
でもあれだ。今回はだいぶ去勢済み主体よりの話になってるぞ。正常人でも安心して読めるだろうね。
あ、中野昌宏さん読んでたらそこ読んでみて。あなたにも触れてる。
陰口にしててもいいんだけど一応な。別に中野を批判してるつもりはないから、読まなくてもいい。
悪意があったら、木田原形而くん事例みたいに、本人の目のつくようにやるよ。
『どうしようもない僕に天使が降りてきた』リピートして聞いてるんだけど、歌詞を噛み砕くとこの歌だめだな。わたしが生理的嫌悪を感じる人たちの歌だ。
解釈は「愛」を破壊する。いやむしろ解釈をしすぎないようにするのが「愛」の機能だ。解釈をしすぎて物自体の世界、β要素に翻弄される世界に落ち込まないようにする機能。防衛柵。接触防壁。α機能。
やっぱビオンもクライン派だな、なんだかんだ言って。
ラカン曰く。
=====
神経症者達は困難な人生を生きていて、われわれは彼らの不快を和らげようとしている……。分析をあまりに先へと無理に押し進めることはない。分析主体が生きていることに幸せを感じるなら、それで十分なのだ。
=====
ラカンはα機能を破壊できなかった。だから彼はα機能に不具合のある人間を語れない。未去勢者を語れない。
この記事でも書いているけどこんな言葉馬耳東風なのがわたしがやってみたいこと。実験として。
そんな人間存在させちゃいけないんだよ。社会にとって。社会的動物である人間という種において。
「愛を勘違いしないでください」
α機能を勘違いしないでください。
彼女は「他人みたいに」「おじぎ」をする。
他人だから彼女は「天使」だった。「魔女」でもあるが。
「社会的動物である人間という種において」「他人」なのが、未去勢者だ。
このα機能を、アスペルガー症候群者が抱える「フレーム問題」で言い直すならば、「フレーム」そのものがそれにあたる。
では「α機能を勘違いしないでください」とはどういう意味か。
そのヒントが、この記事でも取り上げているが、アスペルガー症候群者たちが集う2ちゃんのあるスレにあった言葉である。
=====
AS(アスペルガー症候群者)は「管理される」のは好きだが「支配される」のは嫌う。
=====
「あなたが未去勢者に与えようとしている「フレーム」は、あなたの支配欲に基づいたものではないですか? あなたはあなたの支配欲に基づいたそれを、「フレーム」として、与えようとしているのではありませんか?」
もちろん答えはわからない。「フレーム」を与えられようとしている未去勢者たちにも。与えようとしている人間たちにも。
だから、「フレーム」を与えようとしている人間は、慎重でなければならない。自分が与えようとしている「フレーム」に、己の支配欲をこびりつかせていないか、しっかり自分の内面を探らなければならない。自問自答を怠ってはならない。
わかるかなー? 斎藤環、そしてそらパパさん。
「そんな馬鹿な。私には別に支配欲なんてない」
そうだろうか? それはそれこそ精神分析で言う否認ではないのか? 別のアスペルガー症候群者のこの記事を読んでごらん。これでもあなたたちは自分が与えようとする「フレーム」に支配欲はないと言いきれるのか?
おそらく、あなたが動物ではない人間である限り、あなたに人格がある限り、「フレーム」にこびりついた支配欲は消えない。あなたたちの主観世界に存在しなくても、アスペルガー症候群者の主観世界には存在する。
あなたが自分の背中を見えないのと同じく、あなた自身が見えなくなっているだけじゃないのか?
まさにサバルタンの構造じゃないか。
=====
スピヴァクによって広く知られる用語となった。「自らを語ることができない者」であり,たとえ語っても,それを解釈する他者の視点と言葉によって覆い隠されてしまうような者のことをいう。一方でサバルタンを語る人々の側には、無機質な透明性がつくり出され、語る側の権力と欲望は見えなくされているのだとか。
=====
また別のある高校生の高機能自閉症者は、この文章を読んで、「僕はつくづくサバルタンだ」と述べていた。
あなたが「自分には支配欲なんてない」と思っているのは、この「無機質な透明性」のせいではないのか?
そらパパさん、あなたがドードーとらさんとした議論は、こういう構造だったのではないか? あなたが見えなくなってしまった「語る側の権力と欲望」を、とらさんは指摘しようとしていたのではないか?
むしろ、あなたの目の前にいる未去勢者は、あなたの支配欲を測る審判者なのだ。
「勘違いしないでください。その「フレーム」は、あなたの支配欲を満たすためのものではありません。あなたがそれを見えていないだけです。だから」
時々天使は僕らにイタズラをして教えるよ
誰かを愛するためにはもっと努力が必要
……あ、いや、そらパパさんの人格は、わたしは好きではないけど、論文は評価しているよ。むしろ今の活動をがんばってね、と思う。
ただ、わたしがちょっと釘を刺したくなっただだけ。ふと思い出しただけ。
ドードーとらさんという当事者による反論を、あなたは忘れてはならない。
槇原敬之はこれが一番好きだ。PVは最悪だけど。
また中坊さんとこでやってる。
ほんといい迷惑だな。中坊さんが。
でもあれだ。今回はだいぶ去勢済み主体よりの話になってるぞ。正常人でも安心して読めるだろうね。
あ、中野昌宏さん読んでたらそこ読んでみて。あなたにも触れてる。
陰口にしててもいいんだけど一応な。別に中野を批判してるつもりはないから、読まなくてもいい。
悪意があったら、木田原形而くん事例みたいに、本人の目のつくようにやるよ。
『どうしようもない僕に天使が降りてきた』リピートして聞いてるんだけど、歌詞を噛み砕くとこの歌だめだな。わたしが生理的嫌悪を感じる人たちの歌だ。
解釈は「愛」を破壊する。いやむしろ解釈をしすぎないようにするのが「愛」の機能だ。解釈をしすぎて物自体の世界、β要素に翻弄される世界に落ち込まないようにする機能。防衛柵。接触防壁。α機能。
やっぱビオンもクライン派だな、なんだかんだ言って。
ラカン曰く。
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神経症者達は困難な人生を生きていて、われわれは彼らの不快を和らげようとしている……。分析をあまりに先へと無理に押し進めることはない。分析主体が生きていることに幸せを感じるなら、それで十分なのだ。
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ラカンはα機能を破壊できなかった。だから彼はα機能に不具合のある人間を語れない。未去勢者を語れない。
この記事でも書いているけどこんな言葉馬耳東風なのがわたしがやってみたいこと。実験として。
そんな人間存在させちゃいけないんだよ。社会にとって。社会的動物である人間という種において。
「愛を勘違いしないでください」
α機能を勘違いしないでください。
彼女は「他人みたいに」「おじぎ」をする。
他人だから彼女は「天使」だった。「魔女」でもあるが。
「社会的動物である人間という種において」「他人」なのが、未去勢者だ。
このα機能を、アスペルガー症候群者が抱える「フレーム問題」で言い直すならば、「フレーム」そのものがそれにあたる。
では「α機能を勘違いしないでください」とはどういう意味か。
そのヒントが、この記事でも取り上げているが、アスペルガー症候群者たちが集う2ちゃんのあるスレにあった言葉である。
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AS(アスペルガー症候群者)は「管理される」のは好きだが「支配される」のは嫌う。
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「あなたが未去勢者に与えようとしている「フレーム」は、あなたの支配欲に基づいたものではないですか? あなたはあなたの支配欲に基づいたそれを、「フレーム」として、与えようとしているのではありませんか?」
もちろん答えはわからない。「フレーム」を与えられようとしている未去勢者たちにも。与えようとしている人間たちにも。
だから、「フレーム」を与えようとしている人間は、慎重でなければならない。自分が与えようとしている「フレーム」に、己の支配欲をこびりつかせていないか、しっかり自分の内面を探らなければならない。自問自答を怠ってはならない。
わかるかなー? 斎藤環、そしてそらパパさん。
「そんな馬鹿な。私には別に支配欲なんてない」
そうだろうか? それはそれこそ精神分析で言う否認ではないのか? 別のアスペルガー症候群者のこの記事を読んでごらん。これでもあなたたちは自分が与えようとする「フレーム」に支配欲はないと言いきれるのか?
おそらく、あなたが動物ではない人間である限り、あなたに人格がある限り、「フレーム」にこびりついた支配欲は消えない。あなたたちの主観世界に存在しなくても、アスペルガー症候群者の主観世界には存在する。
あなたが自分の背中を見えないのと同じく、あなた自身が見えなくなっているだけじゃないのか?
まさにサバルタンの構造じゃないか。
=====
スピヴァクによって広く知られる用語となった。「自らを語ることができない者」であり,たとえ語っても,それを解釈する他者の視点と言葉によって覆い隠されてしまうような者のことをいう。一方でサバルタンを語る人々の側には、無機質な透明性がつくり出され、語る側の権力と欲望は見えなくされているのだとか。
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また別のある高校生の高機能自閉症者は、この文章を読んで、「僕はつくづくサバルタンだ」と述べていた。
あなたが「自分には支配欲なんてない」と思っているのは、この「無機質な透明性」のせいではないのか?
そらパパさん、あなたがドードーとらさんとした議論は、こういう構造だったのではないか? あなたが見えなくなってしまった「語る側の権力と欲望」を、とらさんは指摘しようとしていたのではないか?
むしろ、あなたの目の前にいる未去勢者は、あなたの支配欲を測る審判者なのだ。
「勘違いしないでください。その「フレーム」は、あなたの支配欲を満たすためのものではありません。あなたがそれを見えていないだけです。だから」
時々天使は僕らにイタズラをして教えるよ
誰かを愛するためにはもっと努力が必要
……あ、いや、そらパパさんの人格は、わたしは好きではないけど、論文は評価しているよ。むしろ今の活動をがんばってね、と思う。
ただ、わたしがちょっと釘を刺したくなっただだけ。ふと思い出しただけ。
ドードーとらさんという当事者による反論を、あなたは忘れてはならない。
槇原敬之はこれが一番好きだ。PVは最悪だけど。