親は子育てに後悔しちゃいけないと思う。
2010/02/02/Tue
このママさんと会話中。
しっかしまー冒頭の文章すごいよな。
=====
ただ、カナー君の心が壊れてしまったのは 、我家で実施した療育プログラムの結果だと感じています。
掲載されたカナー君の事例を参考にされている方に申し訳なくて、また、こういうケースもあるということを、皆さんに知っていただきたくて、そして、私自身の振り返りのためにも、このブログをはじめました。
=====
療育の失敗を、テーマにしているわけじゃないけど、こう公言してやってる自閉症関連のブログって他にある? いやま、特定の療育方法に対する批判材料として失敗例を挙げるのはあるんだろうけどさ。
こういう、自閉症の療育に限らず、「育て方の失敗」を承認するのって、親にとっては強烈な自己否定になると思うんだけどな。
以前にも書いたけど、わたしは、母親に向かって「わたしの子供の頃の記憶ってつらい思い出しかない」って愚痴ったことがある。当然親は「いやそんなことはない、○○の時なんかとても楽しそうだった」とか反論してくるわけだが、「いや確かにその最中は楽しかったのかもしれないけれど、出かける時はわたしいやがってたでしょ?」とかってわたしは言い返す。この時点で当初のわたしの主張、「つらい思い出しかない」ってのは否定されているんだが。
だからまあ母の言い分もわからなくないんだ。でも、わたしは「楽しい思い出もつらい思い出も同じにある」と言いたいだけなのに、母の方が「お前の子供の頃の記憶には楽しい思い出しかない」と言っているように思えてしまう。
だからエスカレートする。怒りとまでは言わないが、手厳しい台詞を母に向かって投げつける。延々と。一時間以上ぎゃーぎゃーやるのなんかざらだしな。そういう意味では仲は悪くないと思う。
でも大概親を泣かしてしまう。わんわん泣くのではないが、しばらくして鼻をすする音が聞こえてきたりする。
「あたしの育て方が間違ってたの?」
などと言いながら。
最後脚色してしまったが、そういうことだと思う。
間違っちゃいない。それはむしろ正しい。正しいから失敗したのであり、間違ってはいない。
なので後悔されてもわたしはどうしようもない。親の責任でもないしわたしの責任でもない。
そういうことであるだけ。そうなっただけ。
勝手に後悔するのはいいけど、後悔されるのは困る。意味わかんね。
なんだろ。子の目に見えないところで後悔するのは、反省という意味でとても大事だと思う。ましてや自閉症なんて障害を持っている子供を育てている親なら。自分がやっている療育が正しいのかどうかという自問自答は大事だ。この記事でも触れたが、今の療育関係者にはこの意識が足りなさすぎる。
だけど、子供の立場に立って考えると、後悔するのはいいけど、後悔されるのは困るなあ、わたしなら、と思った。
なので言ってみた。
ママさんスルーよろ。
アメブロ新規登録したのでついでに小説置き場ブログ作ってみた。作って記事投稿してあんまり意味がないかもと思った。
いや数年前アメブロでネトゲ関係のブログやってたことあるんだけどさ、進化してるねー。びっくりした。
重いのは相変わらずだな。こんなアプデするよか鯖なんとかしろや。
この記事から。
=====
親は養育者は子供を殺さなければならない。「ほどよい母」はほどほどのよくないところで子供を殺している。子供に対し無関心であるその瞬間赤ん坊は殺されている。
それで正しいのだ。正常人を育て上げるにはそうしなければならない。ウィニコットの論は正しい。
赤ん坊は何度も何度も親に殺されて正常人化させられていくのだ。
だから母殺しや父殺しとなる。復讐だ。いや心中だ。正常人化の最後の仕上げだ。
そういう話だな。単純。
=====
大体の親は、自分が子供を殺していることに気づかない。だから子供の母殺しや父殺しにだけ目がいく。
ところが、子供が未去勢者だった場合、それに気づいてしまうのかもしれない。自らが行っている教育が、殺人的な残酷な行為であると、自覚してしまうのかもしれない。生々しい体験として。
だから、後悔してはならない。
あなた方が正しいのだから。
しもた。アメブロでピグってのてきとーに作ったんだけど、愛着が湧いてきた。
おもろいなこれ。
しっかしまー冒頭の文章すごいよな。
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ただ、カナー君の心が壊れてしまったのは 、我家で実施した療育プログラムの結果だと感じています。
掲載されたカナー君の事例を参考にされている方に申し訳なくて、また、こういうケースもあるということを、皆さんに知っていただきたくて、そして、私自身の振り返りのためにも、このブログをはじめました。
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療育の失敗を、テーマにしているわけじゃないけど、こう公言してやってる自閉症関連のブログって他にある? いやま、特定の療育方法に対する批判材料として失敗例を挙げるのはあるんだろうけどさ。
こういう、自閉症の療育に限らず、「育て方の失敗」を承認するのって、親にとっては強烈な自己否定になると思うんだけどな。
以前にも書いたけど、わたしは、母親に向かって「わたしの子供の頃の記憶ってつらい思い出しかない」って愚痴ったことがある。当然親は「いやそんなことはない、○○の時なんかとても楽しそうだった」とか反論してくるわけだが、「いや確かにその最中は楽しかったのかもしれないけれど、出かける時はわたしいやがってたでしょ?」とかってわたしは言い返す。この時点で当初のわたしの主張、「つらい思い出しかない」ってのは否定されているんだが。
だからまあ母の言い分もわからなくないんだ。でも、わたしは「楽しい思い出もつらい思い出も同じにある」と言いたいだけなのに、母の方が「お前の子供の頃の記憶には楽しい思い出しかない」と言っているように思えてしまう。
だからエスカレートする。怒りとまでは言わないが、手厳しい台詞を母に向かって投げつける。延々と。一時間以上ぎゃーぎゃーやるのなんかざらだしな。そういう意味では仲は悪くないと思う。
でも大概親を泣かしてしまう。わんわん泣くのではないが、しばらくして鼻をすする音が聞こえてきたりする。
「あたしの育て方が間違ってたの?」
などと言いながら。
最後脚色してしまったが、そういうことだと思う。
間違っちゃいない。それはむしろ正しい。正しいから失敗したのであり、間違ってはいない。
なので後悔されてもわたしはどうしようもない。親の責任でもないしわたしの責任でもない。
そういうことであるだけ。そうなっただけ。
勝手に後悔するのはいいけど、後悔されるのは困る。意味わかんね。
なんだろ。子の目に見えないところで後悔するのは、反省という意味でとても大事だと思う。ましてや自閉症なんて障害を持っている子供を育てている親なら。自分がやっている療育が正しいのかどうかという自問自答は大事だ。この記事でも触れたが、今の療育関係者にはこの意識が足りなさすぎる。
だけど、子供の立場に立って考えると、後悔するのはいいけど、後悔されるのは困るなあ、わたしなら、と思った。
なので言ってみた。
ママさんスルーよろ。
アメブロ新規登録したのでついでに小説置き場ブログ作ってみた。作って記事投稿してあんまり意味がないかもと思った。
いや数年前アメブロでネトゲ関係のブログやってたことあるんだけどさ、進化してるねー。びっくりした。
重いのは相変わらずだな。こんなアプデするよか鯖なんとかしろや。
この記事から。
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親は養育者は子供を殺さなければならない。「ほどよい母」はほどほどのよくないところで子供を殺している。子供に対し無関心であるその瞬間赤ん坊は殺されている。
それで正しいのだ。正常人を育て上げるにはそうしなければならない。ウィニコットの論は正しい。
赤ん坊は何度も何度も親に殺されて正常人化させられていくのだ。
だから母殺しや父殺しとなる。復讐だ。いや心中だ。正常人化の最後の仕上げだ。
そういう話だな。単純。
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大体の親は、自分が子供を殺していることに気づかない。だから子供の母殺しや父殺しにだけ目がいく。
ところが、子供が未去勢者だった場合、それに気づいてしまうのかもしれない。自らが行っている教育が、殺人的な残酷な行為であると、自覚してしまうのかもしれない。生々しい体験として。
だから、後悔してはならない。
あなた方が正しいのだから。
しもた。アメブロでピグってのてきとーに作ったんだけど、愛着が湧いてきた。
おもろいなこれ。