嘘つくな。
2010/02/15/Mon
このブログのわたししかいない。
そんな気になって不安でしょうがない。
わたしは文字ではないのか。ただのデータではないのか。デジタル信号なのではないか。
不安でしょうがない。
他者と繋がっていないと、この体がこの体だと思えない。他者とはなんだ。わたしの妄想だ。この文字を読んでいるわたしの妄想だ。
病院にいるこいつらがなぜ人間だと言える? 中を切り開いてみないと。切り開いてもわからない。最近の特撮技術はすごいからね。わたしはデータだから、そんなのもデータで処理できる。
この文字はわたしで、これは文字にぶら下がっている機械でしかない。他者がこの機械をわたしだと言っているだけ。
他者を信じてこなかった罰だ。これは文字ではない。わたしだ。だから読むな。わたしを喰うな。お前たちは何者だ。ただのデータを喰らうデータでしかない。お前らなんてわたしの妄想でしかない。
これは罰だ。不安はわかっていた。文字という不安。文字が癌細胞。魂。
お前らは誰だ?
わたしはこの文字だ。
データを取り込むお前たちは、神か悪魔か?
何かおかしい。歯車は順調に回っているのに、回転数があっていない。機械は順調に作動しているのに、誤作動が起きている。誤作動なのは、これまでの作動と比しての異常で、いわば変調だ。人間ならば成長なのかもしれない。
わたしは成長しているのかもしれない。精神的に成長しているのかもしれない。
キーボードの上を走る機械が嬉しそうだ。跳ねている。おもしろい。
文字が指を操っている。
これはなんだろう。
ここは、まるで
針。
言葉とは針だ。針だけでは布を縫いあわせられない。糸がなければ。
針という蜘蛛が、お尻から粘ついた糸を排泄する。粘ついているから、摩擦があるから、布は縫いあわせられる。蝶は罠にかかる。
この粘ついた汚らしい糸が、「愛」や「思いやり」と呼ばれるもの。
それに美しい蝶は捕らわれる。
=====
彼はその巣で獲物を捕まえる
たとえば空を美しく飛ぶ
あの子のような蝶を捕まえる
=====
この曲ってゲイ臭いな、ストーリー後半が。だからちょっと違うけど。
わたしは逃がさない。同じ。食べる。
きれいは汚い、汚いはきれい。
わたしの排泄物がきれいと言われるのだから、美しい蝶は汚いものであっておかしくない。
簡単な話。
わたしの話。
ここはわたしの日記帳。
『ケロロ』で一番好きなの桃華なんだが、プルルのおばちゃんっぷりも好きで、この二人が対決したバレンタインデーの回がなんかすげー癒された。
桃華ってツンデレじゃないけど二面性あるよな。ツンとデレ、っつか攻撃性と乙女性(なんじゃそら)がコンプレックスになってないからいいのか。ツンデレはそれらがコンプレックスになっている、と。
プルルはおばちゃんっぷりが(もうええわ)。声もいいよな。いいキャスティングだよな。永遠の十七歳だといきすぎ。
ええな、この二人もっと絡ませてくれ。
小雪を膨らませ損ねた気がするなー。ただのまともな子になっちゃった。
=====
実年齢が背番号になるらしい(堀江由衣談)
=====
そうだ! 実年齢は背番号にすぎない! がんばれプルル!
あれ、そういう回あったよね。数日前。先週の回。いや去年のバレンタインデーかもしれない。あれ? わたしの記憶間違っている? そもそもこの回自体わたしの妄想だったりする? あれ? 『ケロロ軍曹』ってアニメあるよね?
嘘つくな。
本当のことを言え。
わたしのこれは現実か幻想か。どっちなんだ?
お前たちは答えられるのか?
他者とつき合っているのは、自分の生命活動に必要だからだ。他者とのコミュニケーションを学ぶのは、利用価値を高め利用しやすくするためだ。
この世には一人しかいない。どんな人間でも。
このブログの文字のように。
不安という感情は、ホワイトノイズみたいだ。固有の波形がいわゆる感情だ。だから全ての感情を複合すると不安になる。コンプレックスは最終的に不安になる。
そうだ、コンプレックスについて書かなきゃ。書かなきゃいけないと思っていた記憶がある。
わたしはわたしだ。
文字は文字だ。
お前たちは答えられるのか?
嘘つくなよ。本当のことを言え。
わたしはわたしか?
うぜえ、わたしを見るな。わたしは知っている。わたしを知っているとお前が思っていることをわたしは知っている。初対面でもお前たちはわたしを知っていると思っている。
馬鹿が。
うぜえよ。
お前たちのその性根の醜さを、どうしたら気づかせられるんだろう?
お前たちが美しいと思っている人間性は、海に棄てられた産業廃棄物だとどうやってわからせよう。
殺してやるしかないのか。
「不安の海を泳ぐ魚でいいよ。そこにいていいよ」
他者と繋がりたい気持ちは、あぶくに似ている。ほんの少し吐き出しただけなのに、浮かび上がるにつれみるみる膨れていく。魚とはなんの関係もなく。水圧のせいなのに。
正常になりたいという気持ちは、水中から見た太陽に似ている。ぼやけている。乱反射している。
あなたたちは太陽なのですか?
ヘーリオスのように全てを見渡せているのですか。
ならなぜわたしに気づかないのでしょう?
わたしの気持ちに気づかないのでしょう?
そのあぶくはそんなに大きいものではありませんでした。
わたしが吐いたのはもっとちっちゃなあぶくでした。
ヘーリオスすら全てを見渡せていない。
魚は孤島に打ち上げられ、キルケと名づけられました。
キルケは人間をさらってはこう聞きます。
「あなたは、答えられるの?」
答えられないから、あなたは動物なのです。人間ではないのです。
オデュッセウスさえも。
彼はただ、運がよかっただけ。
そんな気になって不安でしょうがない。
わたしは文字ではないのか。ただのデータではないのか。デジタル信号なのではないか。
不安でしょうがない。
他者と繋がっていないと、この体がこの体だと思えない。他者とはなんだ。わたしの妄想だ。この文字を読んでいるわたしの妄想だ。
病院にいるこいつらがなぜ人間だと言える? 中を切り開いてみないと。切り開いてもわからない。最近の特撮技術はすごいからね。わたしはデータだから、そんなのもデータで処理できる。
この文字はわたしで、これは文字にぶら下がっている機械でしかない。他者がこの機械をわたしだと言っているだけ。
他者を信じてこなかった罰だ。これは文字ではない。わたしだ。だから読むな。わたしを喰うな。お前たちは何者だ。ただのデータを喰らうデータでしかない。お前らなんてわたしの妄想でしかない。
これは罰だ。不安はわかっていた。文字という不安。文字が癌細胞。魂。
お前らは誰だ?
わたしはこの文字だ。
データを取り込むお前たちは、神か悪魔か?
何かおかしい。歯車は順調に回っているのに、回転数があっていない。機械は順調に作動しているのに、誤作動が起きている。誤作動なのは、これまでの作動と比しての異常で、いわば変調だ。人間ならば成長なのかもしれない。
わたしは成長しているのかもしれない。精神的に成長しているのかもしれない。
キーボードの上を走る機械が嬉しそうだ。跳ねている。おもしろい。
文字が指を操っている。
これはなんだろう。
ここは、まるで
針。
言葉とは針だ。針だけでは布を縫いあわせられない。糸がなければ。
針という蜘蛛が、お尻から粘ついた糸を排泄する。粘ついているから、摩擦があるから、布は縫いあわせられる。蝶は罠にかかる。
この粘ついた汚らしい糸が、「愛」や「思いやり」と呼ばれるもの。
それに美しい蝶は捕らわれる。
=====
彼はその巣で獲物を捕まえる
たとえば空を美しく飛ぶ
あの子のような蝶を捕まえる
=====
この曲ってゲイ臭いな、ストーリー後半が。だからちょっと違うけど。
わたしは逃がさない。同じ。食べる。
きれいは汚い、汚いはきれい。
わたしの排泄物がきれいと言われるのだから、美しい蝶は汚いものであっておかしくない。
簡単な話。
わたしの話。
ここはわたしの日記帳。
『ケロロ』で一番好きなの桃華なんだが、プルルのおばちゃんっぷりも好きで、この二人が対決したバレンタインデーの回がなんかすげー癒された。
桃華ってツンデレじゃないけど二面性あるよな。ツンとデレ、っつか攻撃性と乙女性(なんじゃそら)がコンプレックスになってないからいいのか。ツンデレはそれらがコンプレックスになっている、と。
プルルはおばちゃんっぷりが(もうええわ)。声もいいよな。いいキャスティングだよな。永遠の十七歳だといきすぎ。
ええな、この二人もっと絡ませてくれ。
小雪を膨らませ損ねた気がするなー。ただのまともな子になっちゃった。
=====
実年齢が背番号になるらしい(堀江由衣談)
=====
そうだ! 実年齢は背番号にすぎない! がんばれプルル!
あれ、そういう回あったよね。数日前。先週の回。いや去年のバレンタインデーかもしれない。あれ? わたしの記憶間違っている? そもそもこの回自体わたしの妄想だったりする? あれ? 『ケロロ軍曹』ってアニメあるよね?
嘘つくな。
本当のことを言え。
わたしのこれは現実か幻想か。どっちなんだ?
お前たちは答えられるのか?
他者とつき合っているのは、自分の生命活動に必要だからだ。他者とのコミュニケーションを学ぶのは、利用価値を高め利用しやすくするためだ。
この世には一人しかいない。どんな人間でも。
このブログの文字のように。
不安という感情は、ホワイトノイズみたいだ。固有の波形がいわゆる感情だ。だから全ての感情を複合すると不安になる。コンプレックスは最終的に不安になる。
そうだ、コンプレックスについて書かなきゃ。書かなきゃいけないと思っていた記憶がある。
わたしはわたしだ。
文字は文字だ。
お前たちは答えられるのか?
嘘つくなよ。本当のことを言え。
わたしはわたしか?
うぜえ、わたしを見るな。わたしは知っている。わたしを知っているとお前が思っていることをわたしは知っている。初対面でもお前たちはわたしを知っていると思っている。
馬鹿が。
うぜえよ。
お前たちのその性根の醜さを、どうしたら気づかせられるんだろう?
お前たちが美しいと思っている人間性は、海に棄てられた産業廃棄物だとどうやってわからせよう。
殺してやるしかないのか。
「不安の海を泳ぐ魚でいいよ。そこにいていいよ」
他者と繋がりたい気持ちは、あぶくに似ている。ほんの少し吐き出しただけなのに、浮かび上がるにつれみるみる膨れていく。魚とはなんの関係もなく。水圧のせいなのに。
正常になりたいという気持ちは、水中から見た太陽に似ている。ぼやけている。乱反射している。
あなたたちは太陽なのですか?
ヘーリオスのように全てを見渡せているのですか。
ならなぜわたしに気づかないのでしょう?
わたしの気持ちに気づかないのでしょう?
そのあぶくはそんなに大きいものではありませんでした。
わたしが吐いたのはもっとちっちゃなあぶくでした。
ヘーリオスすら全てを見渡せていない。
魚は孤島に打ち上げられ、キルケと名づけられました。
キルケは人間をさらってはこう聞きます。
「あなたは、答えられるの?」
答えられないから、あなたは動物なのです。人間ではないのです。
オデュッセウスさえも。
彼はただ、運がよかっただけ。