走れファルス
2010/02/16/Tue
しつこくママさんとメッセしてる。ストーカー状態。
んでたまたまラカン理論を説明する機会があったので、送ったメッセをうpする。一部修正してある。
ちなみにこの説明は、ママさんブログのアメンバ限定記事内で起きた出来事をもとに述べているので、反論したいラカニアンはまずママさんとアメンバになってそれ読んでからにしてくれ。
ラカン理論において、言語(当然数学記号も含むし、国旗や社章やトーテムポールなどと言ったシンボルも含まれる)は全てS2だ、となる。これは「知」でもある。つまりシンボル化、象徴化されたものは全て「知」だとしている。
「S2」なら「S1」や「S3」もあるんじゃね? と思われるかもしれないが、S1はあるがS3はない。
このS1は、S2にとって「軸」みたいなものだ。言語の軸、「知」の軸。
わかりやすく言えば、「(議論していて)脱線する」などとよく言うだろ? となると「本線」があるはずだ。それがS1。
いわば「議論の主旨やテーマ」などと言ってもいいだろう。簡単に。あ、以前「現国的要約」のとこでお話した「(作者の)言いたいこと」だとも言えるな。
この「主旨」や「テーマ」や「言いたいこと」に纏わりつく言葉がS2だ。
つまりこう書ける。
S1→S2
会話の「主旨」や「テーマ」や「言いたいこと」は、会話する両者にとって共有されている、あるいはされるはずのものだ。
共有されている、されるはずのS1を軸にしてする会話の言葉がS2だ。
で、S2というのは、並列だ。S1により近いS2はあるかもしれないが、S1でない限り、他人にとっては遠いS2かもしれない。ある文化ではS1に近くても、別の文化では遠いかもしれない。会話する両者によって遠近は変わる。したがって、S2以下に階層性はない、と言える。
つまり、
S1→S2→S3→……
ではなく、
S1→S2→S2→……
と表現すべきだ、というわけ。
なので、S3以下はない。
簡単に考えてもそうだろ? 「脱線」するのは「本線」という一本の線があるからだ。それ以外の路線は全て「脱線」だってこと。「本線」に向かうか離れるか、上りか下りかの違いしかない。下り方向に進むことを「脱線」と人は呼ぶ。
んで。
こう書くと、S2にどんな言葉があてはまるのは当然として、S1もどんな言葉があてはまってもいい、ってなる。「テーマ」や「言いたいこと」なんて人それぞれだからな。
ここで卵さん事件を具体例に引こう。
ママさんは、「腹話術コミュニケーション」を「テーマ」に、つまりS1に、話題の「軸」にしていた。
そんなママさんに対し、わたしが思っていた「テーマ」つまりS1、「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」を提示して、卵さんの論を咀嚼した。
あなたのS1にとって、卵さんのコメントは「下り」つまり「脱線」にあなたは思えたが、わたしのS1なら「上り」になって「脱線」にはならない。
いわば「テーマのテーマ」、「S1のS1」とでも呼ぶべきものとして、「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」という言葉を提示したことになる。
つまり、「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」をS1に据えるなら、「腹話術コミュニケーション」はS2になってしまうわけだ。当然卵さんの具体例も「腹話術コミュニケーション」と並列にS2だ。
これがわたしが言った「「腹話術コミュニケーション」も卵さん事例も並列的に考えたら?」ってことだ。
こういう具合だと、テーマのテーマ、テーマのテーマのテーマ、テーマのテーマのテーマの……、となって、きりないじゃない、って話になる。
だけど、「腹話術コミュニケーション」と「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」なら、後者の方が「本線」のように思えないかい? テーマとして上位にあるように思えない? そう思ったから、あなたはわたしの説明に納得したんでしょ?
いやもちろん広げすぎると混乱するから、「ゆっくり話を進めたい」として、「腹話術コミュニケーション」を重点的に議論するのは全然ありよ。わたしはそうして構わないと思っている。空気を読むならばむしろそうすべきだと思う。ただ、卵さんのコメントを情報として有効に利用するならば、もう一つ上位の「本線」が必要だったから、そう述べただけ。
では、きりがないのに、なぜ「テーマ」として階層性が生じるのか。S1とS2という階層性は生じるのか。
こっからがラカンのすごいところなんだよな。
地球上の人類(とは言っても去勢済み主体に限るけど。ラカン論では「女(つまりファルスのない人間つまり未去勢者)は存在しない」ってなるから)がしている会話を、全てS2とみなそう。さっきも述べたように、どんな「テーマ」や「言いたいこと」も、「テーマのテーマ、テーマのテーマのテーマ、テーマのテーマのテーマの……」って考えていくとS2になっちゃうんだから。もちろんわたしの「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」も、さらなる「上位のテーマ」「テーマのテーマ」があれば、S2になる。
地球上全ての去勢済み主体が、「究極のテーマ」として考えているS1があるはずだ、となる。少なくとも地球上全ての去勢済み主体は「ある」と思い込んでいる。なければ「上位のテーマ」「テーマのテーマ」なんて感覚は生じないからだ。
これが、S1=ファルスってことなんだ。
しかし、S1としてのファルスなんて、思い込みなんだよ、としたのもラカンだ。
これがわたしが言った「ファルスとは、正常というパラノイアック(妄想狂みたいなもんだと思っとけ)な精神疾患の幻想的な病理である」ということだ。
未去勢者はファルスに不全がある個体だ。
「究極のテーマ」とでも言うべき、思い込みによる会話の「軸」に、不全がある個体だ。
こう説明すると、自閉症のコミュニケーション不全なる症状とも、合致するだろ?
卵さんが使っている「ファルス」って言葉は、間違っていないとはわたしは思う。
ただ、今回の出来事の文脈に則って説明すれば、よりわかりやすいかな、と思って、ラカン学派への義理立てとして、述べてみただけ。
こんなことやってると、ママさんをラカン学派に洗脳しているように思われるかもしれないから言っておくが、学問なんて道具だぜ?
ラカン理論もそらパパさんがやってる行動主義心理学も科学も哲学も全ての学問は道具だ。
わたしはわたしが使っている道具の説明をしているだけ。職人ってそんな話好きそうじゃん。「この彫刻刀はな、ここをこう削るときに微妙な加減が伝わっていいんだよ」みたいな。
そういう文章だと思ってくれ。
まあわたしにとっちゃ、あなたに提示した「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」も、そらパパさんちで言われた「発散」も、区別つかないんだがね。
ただあなたは同意してくれたから、「発散」にならなかっただけ。
本当にS1=ファルスが幻想ならば、「上位のテーマ」と「発散」は同じもんだ、ってなるはずなんだよ。
「上位」にならない、ってことか。(連想されてはいるだろうが)「別のテーマ」になる。「別のテーマ」だから「発散」になる。
なんつか、発想の転換のために提出した「余分な場所」みたいなものだな。
こういった「発散」のうちのたまたま一つが、なぜ「上位のテーマ」になるのか。そういった「上り」方向はどうもある一点を向いているように思える。
その理由が、その一点が、正常という精神疾患者たちが「ない」のに妄想で「ある」としている、ファルスだ。
とかだらだら話してたらママさんから「今までで一番ラカンを身近に感じたかも」って返信がきた。たまきんの「サルでもわかるラカン本」読んでるはずなのにな(笑)。
いっがーい。わたし「あーこりゃまた理解できねえでとんちんかんなこと言ってくるか「やっぱわかりません(^^;」とか「去勢済み無知」丸出しで返してくるんだろうな」って思ってたんだよ。うん、そう思いながら送った。ママさんには先に言ってあるもん。ママさんとのメッセはわたしにとって一種の長文ツイッターみたいなもんだって。
それでこう言われるとあれだな。こそばゆいな。
余談。
この「上位」って中坊さんとこで話した「上がりたがる人間」についての議論とも繋がるかもね。
結局何もかも「正常という精神疾患」が問題になるんだよ。
あ、そっか。こうも言い換えられるか。「ファルスとは人間らしさのイデアである」とかなんとか。
なんかいろいろいやになってきた。
バーカバーカ、死ね、アホ、ぶつ切りにして肥料にしてやる。
感覚が拡散している。ふわあ、って違うな。ミクロではびりびり、だから、ぶわあ、となると違う。ばわあ、かな。妥協的に。
後部座席に子供を乗せて車が走っている。運転しているのは母親。
振り返ってごらん。その子供、死んでない? 動いているけど、死んでなくない?
途中、子供の内面をぽろぽろ落としていったんじゃない?
だからその子、そんなにロボットみたいなんじゃない?
パニックって言われるような態度の、何がいけないの?
お前たちがいやなだけじゃない? 不快なだけじゃない?
後ろ振り返ってごらんよ。血みどろの肉塊が痙攣している。
それだよ、その子が落としていったの。
それを辿ってみ? 青い鳥を探すように辿ってみ?
痙攣している肉塊に導かれて、森の入り口に立つ母親。
肉塊を追っていたのは、彼女の罪悪感だが、そこに立つと、母親はなつかしい好奇心を思い出した。
母親の前を老婆が通りすぎる。森に住んでいるようだ。
母親は老婆に声をかける。
「この森は、どんなところですか?」
老婆は答える。
「お前にそんな度胸があるとは思えないね」
母親はがっかりする。
しかし彼女は助かったのだ。
老婆は魔女であり、森は彼女にとって地獄のようなところだからだ。
母親は魔女に感謝すべきなのだが、子供のようにただがっかりするだけだった。
ぶら下げている買い物カゴの中では、子供の肉塊がひくひくと痙攣していた。
肉塊をくっつける薬は、森の中にある。あるのだが。
そんな目で見るところじゃないんだよ、ここは。
んでたまたまラカン理論を説明する機会があったので、送ったメッセをうpする。一部修正してある。
ちなみにこの説明は、ママさんブログのアメンバ限定記事内で起きた出来事をもとに述べているので、反論したいラカニアンはまずママさんとアメンバになってそれ読んでからにしてくれ。
ラカン理論において、言語(当然数学記号も含むし、国旗や社章やトーテムポールなどと言ったシンボルも含まれる)は全てS2だ、となる。これは「知」でもある。つまりシンボル化、象徴化されたものは全て「知」だとしている。
「S2」なら「S1」や「S3」もあるんじゃね? と思われるかもしれないが、S1はあるがS3はない。
このS1は、S2にとって「軸」みたいなものだ。言語の軸、「知」の軸。
わかりやすく言えば、「(議論していて)脱線する」などとよく言うだろ? となると「本線」があるはずだ。それがS1。
いわば「議論の主旨やテーマ」などと言ってもいいだろう。簡単に。あ、以前「現国的要約」のとこでお話した「(作者の)言いたいこと」だとも言えるな。
この「主旨」や「テーマ」や「言いたいこと」に纏わりつく言葉がS2だ。
つまりこう書ける。
S1→S2
会話の「主旨」や「テーマ」や「言いたいこと」は、会話する両者にとって共有されている、あるいはされるはずのものだ。
共有されている、されるはずのS1を軸にしてする会話の言葉がS2だ。
で、S2というのは、並列だ。S1により近いS2はあるかもしれないが、S1でない限り、他人にとっては遠いS2かもしれない。ある文化ではS1に近くても、別の文化では遠いかもしれない。会話する両者によって遠近は変わる。したがって、S2以下に階層性はない、と言える。
つまり、
S1→S2→S3→……
ではなく、
S1→S2→S2→……
と表現すべきだ、というわけ。
なので、S3以下はない。
簡単に考えてもそうだろ? 「脱線」するのは「本線」という一本の線があるからだ。それ以外の路線は全て「脱線」だってこと。「本線」に向かうか離れるか、上りか下りかの違いしかない。下り方向に進むことを「脱線」と人は呼ぶ。
んで。
こう書くと、S2にどんな言葉があてはまるのは当然として、S1もどんな言葉があてはまってもいい、ってなる。「テーマ」や「言いたいこと」なんて人それぞれだからな。
ここで卵さん事件を具体例に引こう。
ママさんは、「腹話術コミュニケーション」を「テーマ」に、つまりS1に、話題の「軸」にしていた。
そんなママさんに対し、わたしが思っていた「テーマ」つまりS1、「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」を提示して、卵さんの論を咀嚼した。
あなたのS1にとって、卵さんのコメントは「下り」つまり「脱線」にあなたは思えたが、わたしのS1なら「上り」になって「脱線」にはならない。
いわば「テーマのテーマ」、「S1のS1」とでも呼ぶべきものとして、「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」という言葉を提示したことになる。
つまり、「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」をS1に据えるなら、「腹話術コミュニケーション」はS2になってしまうわけだ。当然卵さんの具体例も「腹話術コミュニケーション」と並列にS2だ。
これがわたしが言った「「腹話術コミュニケーション」も卵さん事例も並列的に考えたら?」ってことだ。
こういう具合だと、テーマのテーマ、テーマのテーマのテーマ、テーマのテーマのテーマの……、となって、きりないじゃない、って話になる。
だけど、「腹話術コミュニケーション」と「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」なら、後者の方が「本線」のように思えないかい? テーマとして上位にあるように思えない? そう思ったから、あなたはわたしの説明に納得したんでしょ?
いやもちろん広げすぎると混乱するから、「ゆっくり話を進めたい」として、「腹話術コミュニケーション」を重点的に議論するのは全然ありよ。わたしはそうして構わないと思っている。空気を読むならばむしろそうすべきだと思う。ただ、卵さんのコメントを情報として有効に利用するならば、もう一つ上位の「本線」が必要だったから、そう述べただけ。
では、きりがないのに、なぜ「テーマ」として階層性が生じるのか。S1とS2という階層性は生じるのか。
こっからがラカンのすごいところなんだよな。
地球上の人類(とは言っても去勢済み主体に限るけど。ラカン論では「女(つまりファルスのない人間つまり未去勢者)は存在しない」ってなるから)がしている会話を、全てS2とみなそう。さっきも述べたように、どんな「テーマ」や「言いたいこと」も、「テーマのテーマ、テーマのテーマのテーマ、テーマのテーマのテーマの……」って考えていくとS2になっちゃうんだから。もちろんわたしの「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」も、さらなる「上位のテーマ」「テーマのテーマ」があれば、S2になる。
地球上全ての去勢済み主体が、「究極のテーマ」として考えているS1があるはずだ、となる。少なくとも地球上全ての去勢済み主体は「ある」と思い込んでいる。なければ「上位のテーマ」「テーマのテーマ」なんて感覚は生じないからだ。
これが、S1=ファルスってことなんだ。
しかし、S1としてのファルスなんて、思い込みなんだよ、としたのもラカンだ。
これがわたしが言った「ファルスとは、正常というパラノイアック(妄想狂みたいなもんだと思っとけ)な精神疾患の幻想的な病理である」ということだ。
未去勢者はファルスに不全がある個体だ。
「究極のテーマ」とでも言うべき、思い込みによる会話の「軸」に、不全がある個体だ。
こう説明すると、自閉症のコミュニケーション不全なる症状とも、合致するだろ?
卵さんが使っている「ファルス」って言葉は、間違っていないとはわたしは思う。
ただ、今回の出来事の文脈に則って説明すれば、よりわかりやすいかな、と思って、ラカン学派への義理立てとして、述べてみただけ。
こんなことやってると、ママさんをラカン学派に洗脳しているように思われるかもしれないから言っておくが、学問なんて道具だぜ?
ラカン理論もそらパパさんがやってる行動主義心理学も科学も哲学も全ての学問は道具だ。
わたしはわたしが使っている道具の説明をしているだけ。職人ってそんな話好きそうじゃん。「この彫刻刀はな、ここをこう削るときに微妙な加減が伝わっていいんだよ」みたいな。
そういう文章だと思ってくれ。
まあわたしにとっちゃ、あなたに提示した「自閉症者にストレスを与えないコミュニケーション」も、そらパパさんちで言われた「発散」も、区別つかないんだがね。
ただあなたは同意してくれたから、「発散」にならなかっただけ。
本当にS1=ファルスが幻想ならば、「上位のテーマ」と「発散」は同じもんだ、ってなるはずなんだよ。
「上位」にならない、ってことか。(連想されてはいるだろうが)「別のテーマ」になる。「別のテーマ」だから「発散」になる。
なんつか、発想の転換のために提出した「余分な場所」みたいなものだな。
こういった「発散」のうちのたまたま一つが、なぜ「上位のテーマ」になるのか。そういった「上り」方向はどうもある一点を向いているように思える。
その理由が、その一点が、正常という精神疾患者たちが「ない」のに妄想で「ある」としている、ファルスだ。
とかだらだら話してたらママさんから「今までで一番ラカンを身近に感じたかも」って返信がきた。たまきんの「サルでもわかるラカン本」読んでるはずなのにな(笑)。
いっがーい。わたし「あーこりゃまた理解できねえでとんちんかんなこと言ってくるか「やっぱわかりません(^^;」とか「去勢済み無知」丸出しで返してくるんだろうな」って思ってたんだよ。うん、そう思いながら送った。ママさんには先に言ってあるもん。ママさんとのメッセはわたしにとって一種の長文ツイッターみたいなもんだって。
それでこう言われるとあれだな。こそばゆいな。
余談。
この「上位」って中坊さんとこで話した「上がりたがる人間」についての議論とも繋がるかもね。
結局何もかも「正常という精神疾患」が問題になるんだよ。
あ、そっか。こうも言い換えられるか。「ファルスとは人間らしさのイデアである」とかなんとか。
なんかいろいろいやになってきた。
バーカバーカ、死ね、アホ、ぶつ切りにして肥料にしてやる。
感覚が拡散している。ふわあ、って違うな。ミクロではびりびり、だから、ぶわあ、となると違う。ばわあ、かな。妥協的に。
後部座席に子供を乗せて車が走っている。運転しているのは母親。
振り返ってごらん。その子供、死んでない? 動いているけど、死んでなくない?
途中、子供の内面をぽろぽろ落としていったんじゃない?
だからその子、そんなにロボットみたいなんじゃない?
パニックって言われるような態度の、何がいけないの?
お前たちがいやなだけじゃない? 不快なだけじゃない?
後ろ振り返ってごらんよ。血みどろの肉塊が痙攣している。
それだよ、その子が落としていったの。
それを辿ってみ? 青い鳥を探すように辿ってみ?
痙攣している肉塊に導かれて、森の入り口に立つ母親。
肉塊を追っていたのは、彼女の罪悪感だが、そこに立つと、母親はなつかしい好奇心を思い出した。
母親の前を老婆が通りすぎる。森に住んでいるようだ。
母親は老婆に声をかける。
「この森は、どんなところですか?」
老婆は答える。
「お前にそんな度胸があるとは思えないね」
母親はがっかりする。
しかし彼女は助かったのだ。
老婆は魔女であり、森は彼女にとって地獄のようなところだからだ。
母親は魔女に感謝すべきなのだが、子供のようにただがっかりするだけだった。
ぶら下げている買い物カゴの中では、子供の肉塊がひくひくと痙攣していた。
肉塊をくっつける薬は、森の中にある。あるのだが。
そんな目で見るところじゃないんだよ、ここは。