魔女狩りは芸術だ。
2010/02/17/Wed
あなた、分裂してるじゃない。
分裂しているAのあなたと、Bのあなた。理屈的にそれらは相反している。
なのにA+Bによって得た非合理的な結果Cに、あなたは振り回されている。Cが自分だと思っている。
なぜそう思えるの? それA+B=Cじゃないよね? そのC全然関係ないよね?
A+B→「ブラックボックス」→Cだよね?
その「ブラックボックス」を見せて、って言ってるの。開けてみて、って。開けるの手伝ってあげてんの。
うん、わかるよ。それ開けちゃったら「ブラックボックス」じゃなくなるもんね。これまで自分の根拠だと思っていたCが非合理的なものだと気づいちゃうもんね。人格の無根拠さがあらわになるもんね。
わたしがやっているお手伝いは人格攻撃になるよね。
うん、わたしわかっててやってるよ?
わたしの言葉はすべて人格攻撃だって。
魔女狩りってバロック全盛期に全盛だったんだよ?
歪んだ真珠の絵に群がっていた民衆は、裏で歪んだ真珠たちを殺していたんだ。
ねえ、知ってた?
全然嘘だよ。カラヴァッジオもベルニーニも。
いや好きだよ。バロック。
でもゴスロリっ子たちみたいに嘘を増幅させないけど。
カラヴァッジオもベルニーニも嘘だけど、ゴスロリっ子はもっと嘘。カラヴァッジオもベルニーニも裏で魔女を殺しておきながら魔女の世界を嘘として描いた。ゴスロリっ子は魔女を殺してさえいない。カラヴァッジオやベルニーニのコピー商品を着て、殺され腐敗し土に戻った魔女の死骸の上を、嬉しそうに飛び跳ねている。彼女らは健康的だ。小学生のようにまぶしい。万能感に満たされている。わたしから見れば。
バロック時代にあったもっとも本当に近い芸術は、魔女狩りそのものだよ。
魔女狩りを隠しているから、バロックは嘘なんだ。
現実の魔女を殺したから、絵や彫刻に魔女を封じ込めようとしたんだ。
現実を隠そうとしたから、それが投影された嘘を描かなきゃならなかったんだ。
「ブラックボックス」を守るためにね。
人格という幻想を守るためにね。
キリスト教が神威を守るためにね。
魔女狩りとバロック芸術の関連なんてよく語られてるよ、確かに。
でもみんな逆なんだ。バロック文化を根拠にして魔女狩りを語っている。
魔女狩りを根拠にバロック文化を読み解こうとした(オカルトではない学術的)文章は、わたしの管見では、渡邊守章が書いたものしか見たことない。
逆だよ。ってかなんで嘘を根拠にしちゃうの?
馬鹿だから?
人格形成って馬鹿になることだから?
馬鹿だからでちゅかあ?
人格って、風船なんだよ。ぱーんって割れちゃったら、中には何もない。中につまっていた空気は他と混ざり見分けがつかない。
人格がなければ、人間だってただの分子の塊だ。
ただの物。
支配なんかできない物。
支配可能と思い込むことが、その風船。
心の奥にしまったその風船に、空気を送り込むのが、心的外傷。
苦痛。恨み。憎しみ。悲しみ。
それらを閉じ込めておく風船だから、人間らしさとは健全なんだ。
あなたのその風船、しぼんでない? あなたのファルス、萎えちゃってない?
苦しめてあげるよ。わたしが。
あなたの人格を切り刻むことによって。
大丈夫。なかなか割れないんだ、この風船。わたしがしてきた臨床から断言できる。
風船というより、柔らかい膜みたい。切り刻んでも、中に空気は入るけど、ぱーんって割れない。
厚みのある膜。
ところどころ薄いけどね。心筋が薄くなったような状態がヒステリーってなるのか。
その薄いところ狙ってメス入れてるんだけどねえ。
あ、風船じゃないか。心臓の方がいいな。
血液が、苦痛。恨み。憎しみ。悲しみ。
そういった負の感情が循環するから、心臓は機能し続ける。人格は人格として存続する。
苦痛で心臓をぱんぱんに膨らませてから、理屈というメスを入れる。
そしたらぱーんってなるかもね。
おお、なんか悟ったぞ。
ふふふ。
脳が心っていうのは、「パトスなんてパス」って潔癖症が過剰になった症状なのかもね。ギリシャ哲学の時代から人間ってなあまり変わってない。むしろ日本はようやくソクラテスの時代に辿り着いたのかもしれない。
辿り着かなくていいんだよ、別に。
脳が心でも別にいいんだけど、そうじゃなくても別にいいじゃん。
「心臓」なんだから、心臓が心でもいいじゃん。
ロゴスとしての心ではなく、パトスとしての心。思考的な心ではなく、肉体的な心。静的な心ではなく、動的な心。
それが発現したのがヒステリー。魔女狩りによって殺された憑依状態の修道女たち。
思考的な心を復権させるために、差し出された生贄。太陽に掲げられた心臓。
日蝕を鎮めるために殺された卑弥呼。
芸術じゃん。
脳と心臓が戦っている。
それを表現しようとしたのが、残酷演劇。
それらが戦っているのが、現実界。
「人間らしさのイデア」か。わたしもまたうまいこと言うな。
別に球体なんかじゃなくていい。芽の生えかけたジャガイモでいい。
歪んだ真珠とはよく言ったものだ。
たぶんそれ、現実界で飛び散った血しぶき。
ママさんとメッセしてるんだけど、ときどきそっちで(わたしが思う)いいこと言ってしまって、しもたーって思う。
というわけでブログの方は手抜きモードかも。
手抜きの方が無意識が表出しそうだけどな。
分裂しているAのあなたと、Bのあなた。理屈的にそれらは相反している。
なのにA+Bによって得た非合理的な結果Cに、あなたは振り回されている。Cが自分だと思っている。
なぜそう思えるの? それA+B=Cじゃないよね? そのC全然関係ないよね?
A+B→「ブラックボックス」→Cだよね?
その「ブラックボックス」を見せて、って言ってるの。開けてみて、って。開けるの手伝ってあげてんの。
うん、わかるよ。それ開けちゃったら「ブラックボックス」じゃなくなるもんね。これまで自分の根拠だと思っていたCが非合理的なものだと気づいちゃうもんね。人格の無根拠さがあらわになるもんね。
わたしがやっているお手伝いは人格攻撃になるよね。
うん、わたしわかっててやってるよ?
わたしの言葉はすべて人格攻撃だって。
魔女狩りってバロック全盛期に全盛だったんだよ?
歪んだ真珠の絵に群がっていた民衆は、裏で歪んだ真珠たちを殺していたんだ。
ねえ、知ってた?
全然嘘だよ。カラヴァッジオもベルニーニも。
いや好きだよ。バロック。
でもゴスロリっ子たちみたいに嘘を増幅させないけど。
カラヴァッジオもベルニーニも嘘だけど、ゴスロリっ子はもっと嘘。カラヴァッジオもベルニーニも裏で魔女を殺しておきながら魔女の世界を嘘として描いた。ゴスロリっ子は魔女を殺してさえいない。カラヴァッジオやベルニーニのコピー商品を着て、殺され腐敗し土に戻った魔女の死骸の上を、嬉しそうに飛び跳ねている。彼女らは健康的だ。小学生のようにまぶしい。万能感に満たされている。わたしから見れば。
バロック時代にあったもっとも本当に近い芸術は、魔女狩りそのものだよ。
魔女狩りを隠しているから、バロックは嘘なんだ。
現実の魔女を殺したから、絵や彫刻に魔女を封じ込めようとしたんだ。
現実を隠そうとしたから、それが投影された嘘を描かなきゃならなかったんだ。
「ブラックボックス」を守るためにね。
人格という幻想を守るためにね。
キリスト教が神威を守るためにね。
魔女狩りとバロック芸術の関連なんてよく語られてるよ、確かに。
でもみんな逆なんだ。バロック文化を根拠にして魔女狩りを語っている。
魔女狩りを根拠にバロック文化を読み解こうとした(オカルトではない学術的)文章は、わたしの管見では、渡邊守章が書いたものしか見たことない。
逆だよ。ってかなんで嘘を根拠にしちゃうの?
馬鹿だから?
人格形成って馬鹿になることだから?
馬鹿だからでちゅかあ?
人格って、風船なんだよ。ぱーんって割れちゃったら、中には何もない。中につまっていた空気は他と混ざり見分けがつかない。
人格がなければ、人間だってただの分子の塊だ。
ただの物。
支配なんかできない物。
支配可能と思い込むことが、その風船。
心の奥にしまったその風船に、空気を送り込むのが、心的外傷。
苦痛。恨み。憎しみ。悲しみ。
それらを閉じ込めておく風船だから、人間らしさとは健全なんだ。
あなたのその風船、しぼんでない? あなたのファルス、萎えちゃってない?
苦しめてあげるよ。わたしが。
あなたの人格を切り刻むことによって。
大丈夫。なかなか割れないんだ、この風船。わたしがしてきた臨床から断言できる。
風船というより、柔らかい膜みたい。切り刻んでも、中に空気は入るけど、ぱーんって割れない。
厚みのある膜。
ところどころ薄いけどね。心筋が薄くなったような状態がヒステリーってなるのか。
その薄いところ狙ってメス入れてるんだけどねえ。
あ、風船じゃないか。心臓の方がいいな。
血液が、苦痛。恨み。憎しみ。悲しみ。
そういった負の感情が循環するから、心臓は機能し続ける。人格は人格として存続する。
苦痛で心臓をぱんぱんに膨らませてから、理屈というメスを入れる。
そしたらぱーんってなるかもね。
おお、なんか悟ったぞ。
ふふふ。
脳が心っていうのは、「パトスなんてパス」って潔癖症が過剰になった症状なのかもね。ギリシャ哲学の時代から人間ってなあまり変わってない。むしろ日本はようやくソクラテスの時代に辿り着いたのかもしれない。
辿り着かなくていいんだよ、別に。
脳が心でも別にいいんだけど、そうじゃなくても別にいいじゃん。
「心臓」なんだから、心臓が心でもいいじゃん。
ロゴスとしての心ではなく、パトスとしての心。思考的な心ではなく、肉体的な心。静的な心ではなく、動的な心。
それが発現したのがヒステリー。魔女狩りによって殺された憑依状態の修道女たち。
思考的な心を復権させるために、差し出された生贄。太陽に掲げられた心臓。
日蝕を鎮めるために殺された卑弥呼。
芸術じゃん。
脳と心臓が戦っている。
それを表現しようとしたのが、残酷演劇。
それらが戦っているのが、現実界。
「人間らしさのイデア」か。わたしもまたうまいこと言うな。
別に球体なんかじゃなくていい。芽の生えかけたジャガイモでいい。
歪んだ真珠とはよく言ったものだ。
たぶんそれ、現実界で飛び散った血しぶき。
ママさんとメッセしてるんだけど、ときどきそっちで(わたしが思う)いいこと言ってしまって、しもたーって思う。
というわけでブログの方は手抜きモードかも。
手抜きの方が無意識が表出しそうだけどな。