自閉症療育とは「正常さ」のオートポイエーシスである。
2010/02/18/Thu
ママさんとメッセちう。
余談でした話が膨らんでおもしろい話になったので転載。
これまでと同様に「>」以降がママさんの台詞。一部修正済み。
余談。
頭使いすぎて気を失いそうになったこととかあるか? わたしよくあるぜ? 気を失うっていうか眠い感じ。大学生の頃とか喫茶店で演劇論考えてよくなった。なんかな、耳が急によくなるんだ。周りの客の話し声が清明に聞こえてくる。でもパニックではない。むしろ眠気に近い。
>そうそう、聴覚の話(余談)でふと気になったことが……。
>
>いつからかな~。カナー君がテレビをつけっぱなしでないと眠れなくなったんだ。
>熟睡しているはずなのに、消したら朝にはついてるって感じ。
>それも、あれです、夜通し流れてる通販番組。
>音で音を消してるのかな~なんて、思ったんだけど、そうなのかなって。
ほー。詳しくおしえれ。
「音で音を消してるのかな~」って思った理由も。
脳内仮説はすでに立ってるんだけど仮説を即座に一方的に垂れ流すこれまでの手法を変えてみる。
>詳しく……か。
>
>小さい頃は、ビデオを見てたんだけど寝たら私が消してたんだ。
>指示まちロボットになった頃は、「そろそろ寝る?」っていうと、自分で消して寝てた。
>
>中2で爆発した後、しばらくしてからだと思うけど、昼夜逆転もしてたし、私が先にねてたし、いつからかはわからないんだ。正確には。
>でもたまに、薬が効いたのかカナー君が先にねて、私があとになると、テレビがつけっぱなしだし(NHKで砂嵐のときもあったな)、消したら、すぐに飛び起きるときもあったし、消して寝てたはずなのに、朝になるとカナー君は寝てるのにテレビはついてるって感じだったんだ。
>「静かにすると、眠れないのかな?」って思った。
>昔から、小さい子の泣き声とか、大人の怒鳴り声とかが嫌いで、耳をふさいで「あ~」とか「しずかに」とかいってたから、それで、私には聞こえない何かが聞こえて、それを聞こえなくするためにテレビの音を思いついたのかなって思ったんだ。
>
>なぜそう(「音で音を消してるのかな~」って)思ったかというと、ある知り合いのお母さんから聞いた話です。
>アスペのお子さんが、「変な音が聞こえる。テレビつけといて」っていうらしい。
霊がいるんだよ。たぶん。
いやさ、猫とかあらぬ方向をじっと見つめてるのをさ、「え。なんかいるんじゃないの?」とか飼い主は思うんだけど、相手が自閉症児だったらそう思わないのかなって。
冗談はさておき。
じらしてみよう。
ヒント1.
言葉って言の葉でしょ。葉っぱなんだよね。これまじなんだ。証拠もある。
和歌の定型句として、「言問わぬ木」って言葉があるのね。
これって逆を言えば、昔は木は言問うていた、言葉を喋っていた、ってことになる。
アスペルガー症候群者は「木(などの自然物)の方がつながることができる気がする」などと言う。
たぶんな、わびさびってのは、正常人にとって木が「言問わぬ」ようになった寂寥感を言うんだと思う。
となると、自閉症者はわびさびがうまく理解できない、ってことになるよな。
そりゃそうだ。わびさびってのは自然と関連が深いが、野生の動物にわびさびがあるわけじゃない。それとおんなじこと。
ヒント2.
鈴虫の声ってあるじゃん? あれを取り上げた番組があったのね。なぜ鈴虫の声は落ち着くのか、みたいな。この記事でも取り上げたな。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-157.html
で、まあお決まりの1/fゆらぎみたいなのもやってたんだけど、おもしろい実験もやってたのね。
というのは、鈴虫の声だけを録音して、日本人と外人、それぞれ何人かに聞かせてみたんだ。
日本人はまあ大体鈴虫の声だと思って、「情緒的ですねえ」なんて言う。
一方、外人は「ナンデスカ? コノノイズ」みたいな反応をする。虫の鳴き声だと言うと顔をしかめる人もいる。そりゃそうだ。鈴虫なんて間近で見たらグロイしな。
文化の違い、って片づけられちゃうところなんだが、この番組のいいところは、日本人と外人を被験者にして、虫の声を聞かせた時の脳の活動状態を測定したんだ。
おもしろい結果になった。
日本人は、虫の声を聞かせた時、右脳だけじゃなく左脳も活動している。
一方外人は、右脳だけしか活動してなかった。
この時点で「右脳とは芸術的活動をつかさどる領野である」なんてのは否定されるよな。右脳と左脳が同時に機能しているのが芸術的感覚だ、なんて具合に。
それはともかく、音楽でもあるんだと思うよ。同じ音楽を聞いたとしても、右脳だけ機能して左脳が機能していないなら、それは雑音・ノイズだが、左脳も同時に機能していたなら、雑音・ノイズではなくなる。
雑音・ノイズとは不快な音。テレビドラマのシーンでよくあるよな。ロックとかがんがん流している息子の部屋に母親が乗り込んで「あーうるさい! 何この騒音!」なんて言ってスイッチ切ったり。
さて、外人はなぜ鈴虫の声を不快に思ったのだろう? 母親はなぜロックを不快に思ったのだろう?
こっから話は大雑把になる。ラカン論の接続の仕方として、こんな説明したらラカニアンの総攻撃受けそうなんだが、まあわたしニセラカニアンだし、別にニセ科学も間違っていると証明されてないものなら仮説として利用可能だって立場だし、やってみる。
右脳的活動ってのは、ラカン論で言う想像界の力動だ。
また、左脳的活動ってのは、象徴界の力動になる。
想像界と象徴界の重なり部分が、「意味」だ。
となるとこう言い換えられる。
外人は、鈴虫の声を象徴的に捉えることができなくて、意味を見出せなかった。
母親は、ロックを象徴的に捉えることができなくて、意味を見出せなかった。
だから彼らはそれを不快に感じたのではないか。少なくとも意味を見出している日本人や息子はそれらを不快に感じていない。
外人や母親は、それを「意味のない音」と感じていた。その時それらの音はただの刺激としての音となっていただろう。
となると、次のような推測が成立する。意味のない、ただの刺激としての音は、人間にとってすべて不快なものとなる、という。
ヒント3.
斎藤論文にこんな文章あったね。ある統失患者は、「ホワイトノイズを聞いているとリラックスできる」などという知覚変容が起きた。
ホワイトノイズの代表例って、テレビの砂嵐だよ。
ホワイトノイズってのはねー。まあ要するに音なんて波なんだが、周波数ごとの強度がほぼ一定な音を言うのね。
音ってのは、周波数と強度と波形で聞き分けるんだけど、どんな音にもノイズは混ざっているもの。で、波なわけだから干渉しあうんだが、それでも人は、ノイズを棄却して、人の声が何を言っているか聞き分けることがある。
つまりホワイトノイズってのは、ノイズを棄却できない、究極のノイズだってわけ。
ホワイトっていうのは、色ってすべての波長の光をあわせたら白色になる。そういう意味。
ヒント4.
駅前の雑踏。ふいに後方から「おーい、○○(ママの本名)さーん」って声が聞こえたとする。
あなたは振り返るだろう。
音なんてさっきも言ったように波だ。隣を歩いている人の携帯電話の話し声、車の音、デパートから漏れてくる音楽、すべて波で、干渉しあっている。
なのに、なぜあなたは「おーい、○○さーん」って音波だけを摘出できたのだろう。
物理的には摘出できないはずなのに。切断なんてできないはずなのに。
波なんだから。
別にじらしたくてやってるわけじゃないんだけどね。
これって「心の問題」じゃなくて「知覚の問題」でしょ?
あなたたちの「なんでもかんでも(正常な)心の問題」にしたがる精神疾患からの防衛として、まずこういう話をしなきゃいけない。
「知覚の問題」と「内面の問題」の相関問題なんだから。
>=====
>これって「心の問題」じゃなくて「知覚の問題」でしょ?
>あなたたちの「なんでもかんでも(正常な)心の問題」にしたがる精神疾患からの防衛として、まずこういう話をしなきゃいけない。
>「知覚の問題」と「内面の問題」の相関問題なんだから。
>=====
>確かに……。
>こないだ、厄払いの仏像みたいなのをなでるときに、カナー君のことを考えながらなでようとしたら、どこをなでたらいいのかわからなかった。頭? 胸? ってね。
>
>=====
>斎藤論文にこんな文章あったね。ある統失患者は、「ホワイトノイズを聞いているとリラックスできる」などという知覚変容が起きた。
>ホワイトノイズの代表例って、テレビの砂嵐だよ。
>=====
>そうなんだ。知らなかった……。
>砂嵐はよく流していました。不調なときに。今は通販番組を延々と……。
>リラックスか~。
>
>=====
>つまりホワイトノイズってのは、ノイズを棄却できない、究極のノイズだってわけ。
>ホワイトっていうのは、色ってすべての波長の光をあわせたら白色になる。そういう意味。
>=====
>つまり、砂嵐が、他の雑音を消せるってことかな?
脳内仮説披露。
結局、右脳と左脳が同時機能して、意味が生じるわけなんだけど、人間っていうのは、視覚・聴覚に関してはほぼ右脳と左脳が同時機能する。とはいえ、外人にとっての鈴虫みたいにあまり聞いたことのない刺激だと左脳の起動は難しいだろう。
左脳の機能は象徴界の力動だ。つまり象徴化。ヒント4であなたが誰かの声に振り返られるのは、ノイズを含む音波を象徴化できるからだ。
また、象徴化とは自然界にあるノイズを棄却することだ、とも言い換えられる。
つまり、人間という動物にとって刺激には二種あると考えなければならない。
それは、右脳左脳同時機能して認知する「意味のある刺激」と、左脳がうまく機能しないまま右脳だけで認知する「意味のない刺激」と。
そして、後者の「意味のない刺激」はなべて不快なものだ。ノイズだ。これはおそらく未去勢者にとっても同様だろう。
すると、なぜ「まったく意味のない完全なノイズ」としてのホワイトノイズに、なぜ未去勢者はリラックスするのだろう?
いや正常人でもリラックスする場合があるんだけどね。ホワイトノイズで。
未去勢者は、右脳と左脳の同時機能に不具合がある、と考えてはならない。
むしろ、去勢済み主体が棄却するようなノイズにも左脳が作動してしまう。右脳と左脳をつなぐ間脳が活発なのかもしれない。駅前の雑踏なら、車の音にも意味を見出そうと脳が活動するような感じだ。
カナー君は、ある程度の正常人化療育が成功し、ノイズをノイズと思わなければならない、ということは感じ取っているのだと思う。
しかしそれがうまくいかない。ノイズに意味を見出すと養育者に怒られる。無視される。意味が伝わらない。
じゃあどのノイズならいいのか、と迷っている。
そう、彼にとっては、駅前の雑踏における、隣を歩いている人の携帯電話の話し声や車の音やデパートから漏れてくる音楽などと、並列に、「おーい、○○さーん」って声も存在するのだ。
カナー君はおそらく、こういった意味化作業に疲れ果てているのだろう。起きている間は、右脳と左脳と間脳がフル回転している。意味化のために。
したがって、せめて左脳と間脳だけでも休ませようと、そもそも意味化ができない、ホワイトノイズ的なものを求めてしまうのではないか。
「誰かの怒鳴り声」などは、特定の周波数帯域の強度が飛び抜けて高くなった状態だ。カナー君はそれについて、外人が鈴虫の声を聞いたときのように、右脳だけが機能するだろう。しかし彼はそれを意味化しなければならない。療育のせいでそういう条件反射になっている。
これが正常人なら、意味化を先回りして、把握して、「自分のことじゃない」とわかって、すぐ棄却できるんだけどね。つまり脳の処理はストップする。
右脳だけ機能しているときも、右脳左脳同時機能しているときも、本人にとっては同じく不快なんだと思う。ただ、比較的、脳が物質的に休まるのが、右脳だけが機能している状態だ、となるから、そうしているだけ。
したがって、
=====
つまり、砂嵐が、他の雑音を消せるってことかな?
=====
は間違い。
砂嵐が完全な雑音だから、「雑音を棄却する」意味化という労力から解放されるので、リラックスするんだ。
消しているのはノイズじゃない。むしろ消しているのは、「意味のある刺激」であり、日本人にとって心地のいい鈴虫の音の方なんだ。
ノイズじゃない、正常人にとって不快じゃない音を、ノイズという、自身にとっても正常人にとっても不快だけど、まだましな音に近づけようとして、そうしているんだと思う。
そのお子さんが言った「変な音」とは、正常人が無意識的に棄却できるノイズであり、彼は条件反射的にそれまで象徴化しようとしてしまうから、「テレビつけといて」と言ったのではないだろうか。
こういうことなんじゃないだろうか。カナー君は言葉は喋れないかもしれないけど、斎藤論文における「シニフィアンなきシニフィアン」の獲得に必死になっているんだと思う。多大な労力を裂いているのだと思う。わたしが喫茶店でしてた演劇論についての思考のように。
わたしのケースは、脳のブレーカーが落ちるように、それまで棄却できていたノイズを拾うという知覚変容が起きたのではないか。どちらかと言うと統合失調症的な症状。
そして、意味化の労力から解放されたので、眠気を感じたのではないか、と。
こう考えると、統合失調症の幻聴も、わたしのこの体感を根拠に、論を構築できるのだよね。
つまり、それまでの日常で無意識的に棄却できていたノイズを、なんらかの原因で拾ってしまうようになり、それを無理矢理意味化してしまったのが、統失の幻聴なんじゃないか、ということ。
統失の幻聴の正体は、そのアスペのお子さんが言う「変な音」、つまりノイズである。それがなぜ言葉に、幻聴になるのかというと、比喩的に言うのが許されるならば、自閉症療育における「意味化の条件反射」が原因となっている、ということだ。
統合失調症者は、発症前は正常人と同じ主観世界を生きていると考えていいだろう。その時代に培った「意味化の条件反射」が、発症時の彼を苦しめている。
自閉症者も、それまでの一般教育や療育によって刷り込まれた「意味化の条件反射」が、今の彼にとって多大な労力になっている。
「意味化の条件反射」はおそらく、正常人であった経験を持つ統合失調症者の方が強く刷り込まれているだろう。これはこの記事
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-199.html
でも述べた「統合失調症と自閉症の差異」にも合致する。
>なんか、すごく納得なんですけど。この仮説。
>わかりやすかった。すごく。音で消すではないと思いました。
(この記事で話題にした)「他者の気配」は、当事者にとって条件反射になってしまっている意味化を強制される気配、ってことか。
一方、正常人はこの意味化が快楽的なものとなっている。日本人にとっての鈴虫の声のように。意味化する労力を感じずに意味化できるようになっている。快楽が労力を忘れさせてくれている。
なぜ正常人にとっての意味化は快楽なのかというと、彼にとっての意味は常に他者と共有されるものだからだ。「人とあわすことが嬉しい」「合意の快楽」が彼の脳の作動の根拠になっているから、彼はピンポイント的に、ノイズを含めた音波を、快楽を感じられるように象徴化することができる。おそらく無意識的に。
これあれだな。結果が原因になっているという意味で、オートポイエーシスになってるわけだな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9
オートポイエーシスとは「自己産出」だ。
自動車工場は工場から自動車を生み出す。つまりアロポイエーシス、「異種産出」だ。
自動車が自動車を生み出すのがオートポイエーシス、「自己産出」。
人間は人間を産むのが「自己産出」。
人間が猫を産むのが「異種産出」。
突然変異は「異種産出」。
あなたという正常人が自閉症者であるカナー君を産んだのは「異種産出」。
あなたという正常人がカナー君を療育して正常人化しようとしたのは「自己産出」。
だからわたしは別に正常人化という意味での療育はあっていいと思う。
「自己産出」も「異種産出」もあるのが自然だから。
ちなみに、人間の精神面においてもオートポイエーシスがあるって主張しているのがラカン派精神分析家の十川幸司なのだが、別にそれほどむきになる論じゃないんだよね。鏡像段階によって養育者の人間らしさを学んでいくから、精神面においてもオートポイエーシスになるってだけで。
生後二年以内に正常人はなべてこの精神的なオートポイエーシスシステムに組み込まれる。
組み込まれなかったのが未去勢者。「鏡像関係の組み込みの失敗例」が自閉症。
あなたがやろうとしていた療育はまさにこの精神的なオートポイエーシス。
十川の論って基本的にわたし支持するんだけど、オートポイエーシスをやけに必死に語るからわけわかんない。要するに鏡像段階じゃん、って素で思う。そんなに必死に語ること? って思うわ。
器質的なオートポイエーシスだって突然変異というほころびがある。精神的な部分では自閉症児という臨床実体がある。
人間における、精神的なオートポイエーシスの原因が鏡像段階にあるとすれば、自閉症は精神的な突然変異として、精神的なアロポイエーシスの代表例だということになるだろう。
とすれば、自閉症療育なんてもな、アロポイエーシスしてしまった自分(養育者)を認められずに、必死にオートポイエーシスに戻ろうとしている養育者(関係者含む)自身の症状だ、って言えるな。
要するに養育者の自己完結的な目的のために行われている、ってことだ。
ピキーンときた。
あれだ。未去勢者はノイズを棄却しないで脳処理(認知)してしまう、っての、この記事
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-619.html
で述べてるホログラフィーだ。
ノイズ込みの自然な状態の音波、すなわち「意味のない刺激」が「参照光」で、象徴化された「おーい、○○さーん」って「意味のある刺激」が「物体光」だ。
未去勢者には「意味のない刺激」も「意味のある刺激」もあるから、認知認識体系は三次元的になり、正常人は「意味のある刺激」しか認知認識できないから、その体系は二次元的になる、と。
以上。
「ノイズ」って言い方いいな。突然変異の個体はそうじゃない個体から見てノイズ。
ママさんに送ったメッセから。
=====
キリマンジャロ教授の言葉なら、自閉症児は「人とあわすのが苦手」なわけではなく、「人とあわすと嬉しく思うのが、快楽に感じるのが苦手」なわけで、一切「人とあわすことに快楽を感じない」ってわけじゃないんだ。
ほめられても嬉しい気持ちはある。だけどそれ以外の感覚もある。だから素直に快楽に浸れない。喜べない。
快楽以外の感覚を棄却しきれていない、って考えた方がいいのかもな。
=====
「人とあわすことで覚える快楽」、これが要は「ほめられると覚える快楽」になるんだが、未去勢者には「それ以外の感覚もある」。「それ以外の感覚」がノイズ。ノイズが棄却できないから「素直に快楽に浸れない。喜べない」。
ノイズって概念重要かもな。
「突然変異」について、ワードだけどこの文章も参考になるかもよ。
つか最近わたしのメッセ、ママさんを疲れさせてるだけじゃないかと思えてきた。いや確実にそうなんだがね(笑)。
ちなみにママさんはオートポイエーシスについて、うぃきぺじゃなくてこっちの記事の方がわかりやすいって言ってた。
また、ママさんに「脂さんのツレションモード見たい」って言われて、この記事を紹介したら、「脂さんはなぜツレションモードの夢を見て泣いたの?」と聞かれてウキーってなった。
知ってるよ。ツレションの心地よさくらい。
油断ならねえなこのアマ。
あと、
「カナー君のことを考えながらなでようとしたら、どこをなでたらいいのかわからなかった。頭? 胸? ってね。」
この台詞ぐっときた。
実際は先に書いたように他愛ないことも結構メッセしてて、そういうのは削除してうpしている。この文章も記事本題とは関係ないが、ぐっときたから残した。前記事の「脳と心臓」みたいなことか(このメッセの後に書いたが全然考えてなかった)。いやそういうんじゃなくてぐっときたんだけど。
なんか話の流れでずいぶん斎藤環の論文を持ち上げている風になっているが、たまきんよ、ママさんのこの台詞の深さを理解してみろや。これが理解できたら、この書評が死ぬほどこっぱずかしいこと書いていると気づけるんじゃねえか?
一時期、某小説サイトで「これからのエロ小説は獣姦だ」って(わりと本気な)冗談をぶっていたことがあるが、アロポイエーシスってそういうことだよな。人間の女が異種の動物を産む。神話ではよくある話。とするとこれって、古代人は突然変異の存在を認めていた、なんて解釈も可能だよな。
オートポイエーシスだけじゃないんだよ、自然は。アロポイエーシスも普通にある。両方普通にある。矛盾しているのは人間の理屈でそうなるだけ。
それを認められるのが、人間が豚を産むことを認められるのが、魔女なんだよ。
余談でした話が膨らんでおもしろい話になったので転載。
これまでと同様に「>」以降がママさんの台詞。一部修正済み。
余談。
頭使いすぎて気を失いそうになったこととかあるか? わたしよくあるぜ? 気を失うっていうか眠い感じ。大学生の頃とか喫茶店で演劇論考えてよくなった。なんかな、耳が急によくなるんだ。周りの客の話し声が清明に聞こえてくる。でもパニックではない。むしろ眠気に近い。
>そうそう、聴覚の話(余談)でふと気になったことが……。
>
>いつからかな~。カナー君がテレビをつけっぱなしでないと眠れなくなったんだ。
>熟睡しているはずなのに、消したら朝にはついてるって感じ。
>それも、あれです、夜通し流れてる通販番組。
>音で音を消してるのかな~なんて、思ったんだけど、そうなのかなって。
ほー。詳しくおしえれ。
「音で音を消してるのかな~」って思った理由も。
脳内仮説はすでに立ってるんだけど仮説を即座に一方的に垂れ流すこれまでの手法を変えてみる。
>詳しく……か。
>
>小さい頃は、ビデオを見てたんだけど寝たら私が消してたんだ。
>指示まちロボットになった頃は、「そろそろ寝る?」っていうと、自分で消して寝てた。
>
>中2で爆発した後、しばらくしてからだと思うけど、昼夜逆転もしてたし、私が先にねてたし、いつからかはわからないんだ。正確には。
>でもたまに、薬が効いたのかカナー君が先にねて、私があとになると、テレビがつけっぱなしだし(NHKで砂嵐のときもあったな)、消したら、すぐに飛び起きるときもあったし、消して寝てたはずなのに、朝になるとカナー君は寝てるのにテレビはついてるって感じだったんだ。
>「静かにすると、眠れないのかな?」って思った。
>昔から、小さい子の泣き声とか、大人の怒鳴り声とかが嫌いで、耳をふさいで「あ~」とか「しずかに」とかいってたから、それで、私には聞こえない何かが聞こえて、それを聞こえなくするためにテレビの音を思いついたのかなって思ったんだ。
>
>なぜそう(「音で音を消してるのかな~」って)思ったかというと、ある知り合いのお母さんから聞いた話です。
>アスペのお子さんが、「変な音が聞こえる。テレビつけといて」っていうらしい。
霊がいるんだよ。たぶん。
いやさ、猫とかあらぬ方向をじっと見つめてるのをさ、「え。なんかいるんじゃないの?」とか飼い主は思うんだけど、相手が自閉症児だったらそう思わないのかなって。
冗談はさておき。
じらしてみよう。
ヒント1.
言葉って言の葉でしょ。葉っぱなんだよね。これまじなんだ。証拠もある。
和歌の定型句として、「言問わぬ木」って言葉があるのね。
これって逆を言えば、昔は木は言問うていた、言葉を喋っていた、ってことになる。
アスペルガー症候群者は「木(などの自然物)の方がつながることができる気がする」などと言う。
たぶんな、わびさびってのは、正常人にとって木が「言問わぬ」ようになった寂寥感を言うんだと思う。
となると、自閉症者はわびさびがうまく理解できない、ってことになるよな。
そりゃそうだ。わびさびってのは自然と関連が深いが、野生の動物にわびさびがあるわけじゃない。それとおんなじこと。
ヒント2.
鈴虫の声ってあるじゃん? あれを取り上げた番組があったのね。なぜ鈴虫の声は落ち着くのか、みたいな。この記事でも取り上げたな。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-157.html
で、まあお決まりの1/fゆらぎみたいなのもやってたんだけど、おもしろい実験もやってたのね。
というのは、鈴虫の声だけを録音して、日本人と外人、それぞれ何人かに聞かせてみたんだ。
日本人はまあ大体鈴虫の声だと思って、「情緒的ですねえ」なんて言う。
一方、外人は「ナンデスカ? コノノイズ」みたいな反応をする。虫の鳴き声だと言うと顔をしかめる人もいる。そりゃそうだ。鈴虫なんて間近で見たらグロイしな。
文化の違い、って片づけられちゃうところなんだが、この番組のいいところは、日本人と外人を被験者にして、虫の声を聞かせた時の脳の活動状態を測定したんだ。
おもしろい結果になった。
日本人は、虫の声を聞かせた時、右脳だけじゃなく左脳も活動している。
一方外人は、右脳だけしか活動してなかった。
この時点で「右脳とは芸術的活動をつかさどる領野である」なんてのは否定されるよな。右脳と左脳が同時に機能しているのが芸術的感覚だ、なんて具合に。
それはともかく、音楽でもあるんだと思うよ。同じ音楽を聞いたとしても、右脳だけ機能して左脳が機能していないなら、それは雑音・ノイズだが、左脳も同時に機能していたなら、雑音・ノイズではなくなる。
雑音・ノイズとは不快な音。テレビドラマのシーンでよくあるよな。ロックとかがんがん流している息子の部屋に母親が乗り込んで「あーうるさい! 何この騒音!」なんて言ってスイッチ切ったり。
さて、外人はなぜ鈴虫の声を不快に思ったのだろう? 母親はなぜロックを不快に思ったのだろう?
こっから話は大雑把になる。ラカン論の接続の仕方として、こんな説明したらラカニアンの総攻撃受けそうなんだが、まあわたしニセラカニアンだし、別にニセ科学も間違っていると証明されてないものなら仮説として利用可能だって立場だし、やってみる。
右脳的活動ってのは、ラカン論で言う想像界の力動だ。
また、左脳的活動ってのは、象徴界の力動になる。
想像界と象徴界の重なり部分が、「意味」だ。
となるとこう言い換えられる。
外人は、鈴虫の声を象徴的に捉えることができなくて、意味を見出せなかった。
母親は、ロックを象徴的に捉えることができなくて、意味を見出せなかった。
だから彼らはそれを不快に感じたのではないか。少なくとも意味を見出している日本人や息子はそれらを不快に感じていない。
外人や母親は、それを「意味のない音」と感じていた。その時それらの音はただの刺激としての音となっていただろう。
となると、次のような推測が成立する。意味のない、ただの刺激としての音は、人間にとってすべて不快なものとなる、という。
ヒント3.
斎藤論文にこんな文章あったね。ある統失患者は、「ホワイトノイズを聞いているとリラックスできる」などという知覚変容が起きた。
ホワイトノイズの代表例って、テレビの砂嵐だよ。
ホワイトノイズってのはねー。まあ要するに音なんて波なんだが、周波数ごとの強度がほぼ一定な音を言うのね。
音ってのは、周波数と強度と波形で聞き分けるんだけど、どんな音にもノイズは混ざっているもの。で、波なわけだから干渉しあうんだが、それでも人は、ノイズを棄却して、人の声が何を言っているか聞き分けることがある。
つまりホワイトノイズってのは、ノイズを棄却できない、究極のノイズだってわけ。
ホワイトっていうのは、色ってすべての波長の光をあわせたら白色になる。そういう意味。
ヒント4.
駅前の雑踏。ふいに後方から「おーい、○○(ママの本名)さーん」って声が聞こえたとする。
あなたは振り返るだろう。
音なんてさっきも言ったように波だ。隣を歩いている人の携帯電話の話し声、車の音、デパートから漏れてくる音楽、すべて波で、干渉しあっている。
なのに、なぜあなたは「おーい、○○さーん」って音波だけを摘出できたのだろう。
物理的には摘出できないはずなのに。切断なんてできないはずなのに。
波なんだから。
別にじらしたくてやってるわけじゃないんだけどね。
これって「心の問題」じゃなくて「知覚の問題」でしょ?
あなたたちの「なんでもかんでも(正常な)心の問題」にしたがる精神疾患からの防衛として、まずこういう話をしなきゃいけない。
「知覚の問題」と「内面の問題」の相関問題なんだから。
>=====
>これって「心の問題」じゃなくて「知覚の問題」でしょ?
>あなたたちの「なんでもかんでも(正常な)心の問題」にしたがる精神疾患からの防衛として、まずこういう話をしなきゃいけない。
>「知覚の問題」と「内面の問題」の相関問題なんだから。
>=====
>確かに……。
>こないだ、厄払いの仏像みたいなのをなでるときに、カナー君のことを考えながらなでようとしたら、どこをなでたらいいのかわからなかった。頭? 胸? ってね。
>
>=====
>斎藤論文にこんな文章あったね。ある統失患者は、「ホワイトノイズを聞いているとリラックスできる」などという知覚変容が起きた。
>ホワイトノイズの代表例って、テレビの砂嵐だよ。
>=====
>そうなんだ。知らなかった……。
>砂嵐はよく流していました。不調なときに。今は通販番組を延々と……。
>リラックスか~。
>
>=====
>つまりホワイトノイズってのは、ノイズを棄却できない、究極のノイズだってわけ。
>ホワイトっていうのは、色ってすべての波長の光をあわせたら白色になる。そういう意味。
>=====
>つまり、砂嵐が、他の雑音を消せるってことかな?
脳内仮説披露。
結局、右脳と左脳が同時機能して、意味が生じるわけなんだけど、人間っていうのは、視覚・聴覚に関してはほぼ右脳と左脳が同時機能する。とはいえ、外人にとっての鈴虫みたいにあまり聞いたことのない刺激だと左脳の起動は難しいだろう。
左脳の機能は象徴界の力動だ。つまり象徴化。ヒント4であなたが誰かの声に振り返られるのは、ノイズを含む音波を象徴化できるからだ。
また、象徴化とは自然界にあるノイズを棄却することだ、とも言い換えられる。
つまり、人間という動物にとって刺激には二種あると考えなければならない。
それは、右脳左脳同時機能して認知する「意味のある刺激」と、左脳がうまく機能しないまま右脳だけで認知する「意味のない刺激」と。
そして、後者の「意味のない刺激」はなべて不快なものだ。ノイズだ。これはおそらく未去勢者にとっても同様だろう。
すると、なぜ「まったく意味のない完全なノイズ」としてのホワイトノイズに、なぜ未去勢者はリラックスするのだろう?
いや正常人でもリラックスする場合があるんだけどね。ホワイトノイズで。
未去勢者は、右脳と左脳の同時機能に不具合がある、と考えてはならない。
むしろ、去勢済み主体が棄却するようなノイズにも左脳が作動してしまう。右脳と左脳をつなぐ間脳が活発なのかもしれない。駅前の雑踏なら、車の音にも意味を見出そうと脳が活動するような感じだ。
カナー君は、ある程度の正常人化療育が成功し、ノイズをノイズと思わなければならない、ということは感じ取っているのだと思う。
しかしそれがうまくいかない。ノイズに意味を見出すと養育者に怒られる。無視される。意味が伝わらない。
じゃあどのノイズならいいのか、と迷っている。
そう、彼にとっては、駅前の雑踏における、隣を歩いている人の携帯電話の話し声や車の音やデパートから漏れてくる音楽などと、並列に、「おーい、○○さーん」って声も存在するのだ。
カナー君はおそらく、こういった意味化作業に疲れ果てているのだろう。起きている間は、右脳と左脳と間脳がフル回転している。意味化のために。
したがって、せめて左脳と間脳だけでも休ませようと、そもそも意味化ができない、ホワイトノイズ的なものを求めてしまうのではないか。
「誰かの怒鳴り声」などは、特定の周波数帯域の強度が飛び抜けて高くなった状態だ。カナー君はそれについて、外人が鈴虫の声を聞いたときのように、右脳だけが機能するだろう。しかし彼はそれを意味化しなければならない。療育のせいでそういう条件反射になっている。
これが正常人なら、意味化を先回りして、把握して、「自分のことじゃない」とわかって、すぐ棄却できるんだけどね。つまり脳の処理はストップする。
右脳だけ機能しているときも、右脳左脳同時機能しているときも、本人にとっては同じく不快なんだと思う。ただ、比較的、脳が物質的に休まるのが、右脳だけが機能している状態だ、となるから、そうしているだけ。
したがって、
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つまり、砂嵐が、他の雑音を消せるってことかな?
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は間違い。
砂嵐が完全な雑音だから、「雑音を棄却する」意味化という労力から解放されるので、リラックスするんだ。
消しているのはノイズじゃない。むしろ消しているのは、「意味のある刺激」であり、日本人にとって心地のいい鈴虫の音の方なんだ。
ノイズじゃない、正常人にとって不快じゃない音を、ノイズという、自身にとっても正常人にとっても不快だけど、まだましな音に近づけようとして、そうしているんだと思う。
そのお子さんが言った「変な音」とは、正常人が無意識的に棄却できるノイズであり、彼は条件反射的にそれまで象徴化しようとしてしまうから、「テレビつけといて」と言ったのではないだろうか。
こういうことなんじゃないだろうか。カナー君は言葉は喋れないかもしれないけど、斎藤論文における「シニフィアンなきシニフィアン」の獲得に必死になっているんだと思う。多大な労力を裂いているのだと思う。わたしが喫茶店でしてた演劇論についての思考のように。
わたしのケースは、脳のブレーカーが落ちるように、それまで棄却できていたノイズを拾うという知覚変容が起きたのではないか。どちらかと言うと統合失調症的な症状。
そして、意味化の労力から解放されたので、眠気を感じたのではないか、と。
こう考えると、統合失調症の幻聴も、わたしのこの体感を根拠に、論を構築できるのだよね。
つまり、それまでの日常で無意識的に棄却できていたノイズを、なんらかの原因で拾ってしまうようになり、それを無理矢理意味化してしまったのが、統失の幻聴なんじゃないか、ということ。
統失の幻聴の正体は、そのアスペのお子さんが言う「変な音」、つまりノイズである。それがなぜ言葉に、幻聴になるのかというと、比喩的に言うのが許されるならば、自閉症療育における「意味化の条件反射」が原因となっている、ということだ。
統合失調症者は、発症前は正常人と同じ主観世界を生きていると考えていいだろう。その時代に培った「意味化の条件反射」が、発症時の彼を苦しめている。
自閉症者も、それまでの一般教育や療育によって刷り込まれた「意味化の条件反射」が、今の彼にとって多大な労力になっている。
「意味化の条件反射」はおそらく、正常人であった経験を持つ統合失調症者の方が強く刷り込まれているだろう。これはこの記事
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-199.html
でも述べた「統合失調症と自閉症の差異」にも合致する。
>なんか、すごく納得なんですけど。この仮説。
>わかりやすかった。すごく。音で消すではないと思いました。
(この記事で話題にした)「他者の気配」は、当事者にとって条件反射になってしまっている意味化を強制される気配、ってことか。
一方、正常人はこの意味化が快楽的なものとなっている。日本人にとっての鈴虫の声のように。意味化する労力を感じずに意味化できるようになっている。快楽が労力を忘れさせてくれている。
なぜ正常人にとっての意味化は快楽なのかというと、彼にとっての意味は常に他者と共有されるものだからだ。「人とあわすことが嬉しい」「合意の快楽」が彼の脳の作動の根拠になっているから、彼はピンポイント的に、ノイズを含めた音波を、快楽を感じられるように象徴化することができる。おそらく無意識的に。
これあれだな。結果が原因になっているという意味で、オートポイエーシスになってるわけだな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9
オートポイエーシスとは「自己産出」だ。
自動車工場は工場から自動車を生み出す。つまりアロポイエーシス、「異種産出」だ。
自動車が自動車を生み出すのがオートポイエーシス、「自己産出」。
人間は人間を産むのが「自己産出」。
人間が猫を産むのが「異種産出」。
突然変異は「異種産出」。
あなたという正常人が自閉症者であるカナー君を産んだのは「異種産出」。
あなたという正常人がカナー君を療育して正常人化しようとしたのは「自己産出」。
だからわたしは別に正常人化という意味での療育はあっていいと思う。
「自己産出」も「異種産出」もあるのが自然だから。
ちなみに、人間の精神面においてもオートポイエーシスがあるって主張しているのがラカン派精神分析家の十川幸司なのだが、別にそれほどむきになる論じゃないんだよね。鏡像段階によって養育者の人間らしさを学んでいくから、精神面においてもオートポイエーシスになるってだけで。
生後二年以内に正常人はなべてこの精神的なオートポイエーシスシステムに組み込まれる。
組み込まれなかったのが未去勢者。「鏡像関係の組み込みの失敗例」が自閉症。
あなたがやろうとしていた療育はまさにこの精神的なオートポイエーシス。
十川の論って基本的にわたし支持するんだけど、オートポイエーシスをやけに必死に語るからわけわかんない。要するに鏡像段階じゃん、って素で思う。そんなに必死に語ること? って思うわ。
器質的なオートポイエーシスだって突然変異というほころびがある。精神的な部分では自閉症児という臨床実体がある。
人間における、精神的なオートポイエーシスの原因が鏡像段階にあるとすれば、自閉症は精神的な突然変異として、精神的なアロポイエーシスの代表例だということになるだろう。
とすれば、自閉症療育なんてもな、アロポイエーシスしてしまった自分(養育者)を認められずに、必死にオートポイエーシスに戻ろうとしている養育者(関係者含む)自身の症状だ、って言えるな。
要するに養育者の自己完結的な目的のために行われている、ってことだ。
ピキーンときた。
あれだ。未去勢者はノイズを棄却しないで脳処理(認知)してしまう、っての、この記事
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-619.html
で述べてるホログラフィーだ。
ノイズ込みの自然な状態の音波、すなわち「意味のない刺激」が「参照光」で、象徴化された「おーい、○○さーん」って「意味のある刺激」が「物体光」だ。
未去勢者には「意味のない刺激」も「意味のある刺激」もあるから、認知認識体系は三次元的になり、正常人は「意味のある刺激」しか認知認識できないから、その体系は二次元的になる、と。
以上。
「ノイズ」って言い方いいな。突然変異の個体はそうじゃない個体から見てノイズ。
ママさんに送ったメッセから。
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キリマンジャロ教授の言葉なら、自閉症児は「人とあわすのが苦手」なわけではなく、「人とあわすと嬉しく思うのが、快楽に感じるのが苦手」なわけで、一切「人とあわすことに快楽を感じない」ってわけじゃないんだ。
ほめられても嬉しい気持ちはある。だけどそれ以外の感覚もある。だから素直に快楽に浸れない。喜べない。
快楽以外の感覚を棄却しきれていない、って考えた方がいいのかもな。
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「人とあわすことで覚える快楽」、これが要は「ほめられると覚える快楽」になるんだが、未去勢者には「それ以外の感覚もある」。「それ以外の感覚」がノイズ。ノイズが棄却できないから「素直に快楽に浸れない。喜べない」。
ノイズって概念重要かもな。
「突然変異」について、ワードだけどこの文章も参考になるかもよ。
つか最近わたしのメッセ、ママさんを疲れさせてるだけじゃないかと思えてきた。いや確実にそうなんだがね(笑)。
ちなみにママさんはオートポイエーシスについて、うぃきぺじゃなくてこっちの記事の方がわかりやすいって言ってた。
また、ママさんに「脂さんのツレションモード見たい」って言われて、この記事を紹介したら、「脂さんはなぜツレションモードの夢を見て泣いたの?」と聞かれてウキーってなった。
知ってるよ。ツレションの心地よさくらい。
油断ならねえなこのアマ。
あと、
「カナー君のことを考えながらなでようとしたら、どこをなでたらいいのかわからなかった。頭? 胸? ってね。」
この台詞ぐっときた。
実際は先に書いたように他愛ないことも結構メッセしてて、そういうのは削除してうpしている。この文章も記事本題とは関係ないが、ぐっときたから残した。前記事の「脳と心臓」みたいなことか(このメッセの後に書いたが全然考えてなかった)。いやそういうんじゃなくてぐっときたんだけど。
なんか話の流れでずいぶん斎藤環の論文を持ち上げている風になっているが、たまきんよ、ママさんのこの台詞の深さを理解してみろや。これが理解できたら、この書評が死ぬほどこっぱずかしいこと書いていると気づけるんじゃねえか?
一時期、某小説サイトで「これからのエロ小説は獣姦だ」って(わりと本気な)冗談をぶっていたことがあるが、アロポイエーシスってそういうことだよな。人間の女が異種の動物を産む。神話ではよくある話。とするとこれって、古代人は突然変異の存在を認めていた、なんて解釈も可能だよな。
オートポイエーシスだけじゃないんだよ、自然は。アロポイエーシスも普通にある。両方普通にある。矛盾しているのは人間の理屈でそうなるだけ。
それを認められるのが、人間が豚を産むことを認められるのが、魔女なんだよ。