2010/02/26/Fri
中坊さんとこでおもしろい話になったので紹介しとく。いつもならこれで一記事(「ご飯三杯」みたいだな)書けるくらいおもしろい話なんだが、最近下痢気味で頭までピーピー言ってるから書けないのでそこのコメントで我慢してくれ。
しかしこの嫁さんの台詞おもれえな。
「突起っつったら、それは言うまでもないと思ってた」
うん、言うまでもないんだよ。んなの当たり前だろって。
ピーピー。
>素だったのかwww
>わたしはまたてっきりわざとかと。
だよね、私も見え見えのはぐらかしだと思ったが、そっちはデフォだったってことか。
未去勢の家人はそういえば前にバベルの塔みたいなおっぱいしたアニメの少女キャラ見て「これ描いてる連中異常だよ・・・だってさこれ男がタヌキノキンタマぶら下げてるようなもんだよ?」としみじみ言っとりました。
いつもありがとうございます
2010-02-27 土 11:03:53 /URL /○っ○ /
編集
下宿屋での会話を立ち聞きしている。
おもしろい!実におもしろい!!
つ 旦 (←漢方入れときました)
2010-03-01 月 10:11:52 /URL /○っ○ /
編集
ありがとw
こういった話は、「精神(心)に科学的視線を向ける」というフロイト時代(フロイト以外の関係研究者も含む)の背景を再確認するには、とてもいい話題だと思います。
精神分析にしろ心理学にしろ、(表面上科学っぽくなっているが)科学(的視線)から離れていってしまっている傾向は、わたしはあると思います。
「心の哲学」などがその科学的態度を思い出させる契機になるかもしれない、なんて皮肉的な、というか、哲学から科学が生まれたのならフラクタル状になっている的な、状況というか。
心の学問は心を自己美化するためのものではない。自己擁護のための言い訳ではない。
こんな明確なことが忘れ去れているのが、現代の心の学問村の傾向だと、わたしには思えます。
2010-03-01 月 12:25:08 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016-04-24 日 15:16:15 / / /
編集