2010/03/08/Mon
妙なことに気づいた。
わたしはどうも植物が怖いらしい。
全ての植物が怖いというわけではない。
小学校付近の山にあった植物などは別に怖くない。怖いと思った記憶がない。
しかし、たとえば渋谷の代々木公園などは怖い。「すごい怖い」ということではないが、「怖い」という表現も過剰か。「薄気味悪い」などと言えばよいか。
一方、日比谷公園などはそうではない。新宿御苑もそうではない。
では、「整備された人工的な自然」が怖くないのか、というと、そうでもない。
東大駒場キャンパスなど、今は整備されてしまったが、以前は前時代的な自然が残っていた。そういうのは怖くない。小学校付近の山のような感じ。雑然としている。
整然とも言えないし、雑然とも言えないのが、代々木公園だ。
整然の中に不用意に雑然がある。雑然があると思えば整然さが視界に飛び込んでくる。
だからわたしは代々木公園によくいった。駒場から近かったしね。フリマもよくいったな。
なんとなく「薄気味悪い」から、よくいった。
新宿御苑もよくいったけどね。バイト先から近かったから。
日比谷公園はそれほどいったことないな。イベントスタッフのバイトで野音にいったくらいか。近くに朝ごはん食べるところがなくて困った覚えがある。
こんなことを思ったのは、観葉植物オタクの知人がいて、一度勧められたことがあるんだな。
で、わたしは部屋の中に植物があるのって、どうも我慢できないんだ。想像するだけでなんか違和感がある。
部屋の中のわたしはだらしない。だらしなさがエスカレートしそうでなんかいやだ。
ある自閉症者は「人間とはつながれないけれど、植物とかならつながれる気がする」などと言っているが、人間ではない物とつながれることを、自閉症者たちは恐れないのかもしれない。
わたしは怖い。わたしは自閉症じゃないし。
でも思うのは、「人間ではない物」たちとつながっている状態を、自閉症者たちは別に快楽と思ってはいないだろう、ということだ。
自然にそうであるだけ。
自閉症者のそういった感覚に表面上似ている、正常人の自然に対する好意的態度は、「自然や物を所有・把握する」という征服者的快楽が根底にある。彼らの自然に対する愛着は快楽を基本にしている。彼らは遠い昔に物を殺害できている。
物の怪が殺害されて正常人が考える「物」になる。所有物としての物か、物の怪としての物か。
物の怪としての物が見えなくなったのが正常人であり、ポスト・フェストゥムだ。
こういうことだよ。
「さみしい」という言葉は、「周りに人間がいない」という意味だろ? しかし人間がいなくても物はいる。どこにでもいる。「周りに物がない」なんて状態はこの世にありえない。宇宙空間でさえ何かしらの物質が漂っている。気体であれ液体であれ固体であれ。
わたしはそういった意味で「さみしい」と思ったことがない。周りに人間がいない状況でも、わたしの周りには物の怪たちがうじゃうじゃいる。「さみしい」どころがわずらわしい。うるさい。
みんな ねえみんな 出てきておくれよ
今ならば一人きりさ 祭りもできる
谷山浩子『魔法使いの恋人が逃げた』の「みんな」は、こういう物の怪たちだと思うんだが。正常人たちが見えなくなった物の怪たち。哲学的にお化粧して言うなら物自体の気配たち。吐き気を催させる木の根っこ。
「一人きり」だからこそ物の怪たちが騒ぎ出す。人間ではない物たちが。さみしいというよりわずらわしい。うるさい。まさに「祭り」。
新宿御苑より代々木公園の方が物の怪たちの、物自体の気配を感じる、ということか。
自然がわずらわしいから、うるさいから、代々木公園によくいった、と。
うん、「一人になりたい」みたいな感じのときによくいったもんな。実際は代々木公園なんていつも人がいるから矛盾しているんだけど、人がいても一人になれる気がしたもん。周りに人がたくさんいるからこそ一人になれる気がする。これはよくあるな。考えごとするのにファミレスとかよくいってたし。
わたしは代々木公園に「一人きりの祭り」をしにいってた、というわけか。
まあ単純に駒場に近かったってだけだろうけどさ。
ともかくそんなわけだから、
前記事コメント欄における「さみしい」って言葉の意味が、わたしの「一人きりの祭り」を示すのならば、それを消滅せしめる目的でわたしに何かしらの作用を及ぼさせるのは、お断りします、という話だ。
むしろできるものならやってみろ、って感じだな。これをなくすには脳外科手術するしか手段はない、と本人は思ってるくらいだし。
「さみしい」からって「さみしくさせないように」近づく人のせいで、より「さみしさ」を感じる。そんな可能性だってある。人によっては。つうか「人ごみの中にいる方がより孤独を感じる」とか正常人でもある状態なんだろ?
わたしはその「さみしい」状態について、別に「好き」というわけではないが、そういう状態も「あり」だと思うので、別にそれを消滅せしめてくれなくても構わないんだけど、ってことだな。「余計なお世話」って奴?
いやま、そういった物の怪たちがわずらわしいから、うるさいから、人間を求めるときもあるんだよ。
そういったときは、事後的に「あ、こないだのあの状態は、「さみしい」という言葉にあてはまる状態だな」と思う、と思う。
さみしいときはさみしいってなぜ隠さないであなたの前ではっきり言えなかったのでしょう?
この歌、歌詞だけ見ると好きじゃないが池田聡の声は好きだったからな。ときどき歌う。
「さみしいとき」は自分が「さみしい」ってわからないもんだろ? 少なくともわたしはそうだ。だから別に「隠」しているわけじゃなく、「自分が(事後的にあてはめられる言葉である)「さみしい」ということに気づいていない」んだ。
だからこの歌のこのフレーズはなんか覚えている。前記事のコメント欄読んでてまずこの歌連想した。
つうかこんな風に取り上げてはいるが、この未来さんって人、わたしの印象では「うざそうな人」ってなってる、とは言明しておく。「押しつけがましい人」だな。
「天国の押し売り」業者。訪問販売の人ってうざいもんだろ。
妖怪紳士に「脂さんは『もののけ姫』のサンみたいだ」と冗談で言われたことがあるのだが、わたしはサンじゃないと思う。サンのときもあるが、物の怪たちをわずらわしく思うエボシ御前のときもある。今はエボシ御前状態だ。
なんか自己美化しているような文章になるのであんま書きたくないが、そういうことだと思ったので書いておく。
それと、今日のこの話、
この記事の話ともつながってるように思う。一応注釈しといてあげよう。
しんどいな。めんどくさいな。
そんな中、最近非公開コメントしてくる奴の一人相撲が微妙におもしろい。ニヤニヤして眺めてる。ただ特定の著作を押しつけてくるのはやめてくれ。君の思考の道具として扱っているだけならいいんだが、どうも君の書き方、「この著作を読め」って言っているように思える。
男性的抑鬱症のわたしがもっとも不快に思うところ。君の誰かの著作や文章の引用の仕方って、「一人遊び」になってないんだよ。「君とはこの著作を引用することで共有できる気がする」って仕方になっている。それが気持ち悪い。君は井筒の論を道具にしている。わたしは精神分析論を道具にしている。それだけのこと。わかるかね、ワードサラダ君(仮称)。
このブログはわたしは基本的に「一人遊び」のつもりでやっている。
あと、拍手コメントで「貴女は何かを通じさせたかったのか。」って文章があったが、わたしは別に「通じさせたかった」わけではない。「通じなかった」という事実を述べただけ。それだけの言葉になぜ「わたしは通じさせたかった」という意味を付加させるんだろう? いやま、このコメント者の言葉に乗っかるなら、「通じないことを通じさせたかった」って答え方になるんだろうけどさ。
この記事でも普通に書いてることじゃん。
結局さ、サルトルは未開文明人をダシにしたから構造主義に負けたんだよ。そりゃー負けるに決まってるわ。未開文明を臨床するのがそういった学問なんだから。やっぱサルトルはしょせん哲学者。彼に欠けていたのは
「臨床の知」。
んでもさー、小説家でもあるわけだからさー、「私の言う「未開文明人」とは比喩的なものであり、臨床実体としてのそれではない」とか言い訳すればよかったのに、と思うんだけど。
そうしないで、「臨床の知」に負けたからって「臨床の知」を取り入れて、キチガイをダシにすると、自らのいかにも正常人な部分を、正常という精神疾患症状を露呈することになる。フーコーしかりガタリしかり。で、
「そんなこと言っているお前自身がキチガイじゃないじゃん」
で終了、となる。
こういったサルトルからフーコー、ガタリ系列って、要するに敗北者になるために、自分より弱い個体をダシにしている、という意味で倒錯者なんだよな。
中坊さんと一緒。全然君たちキチガイじゃないよ? 君たちはキチガイを殺す側の人間だ。キチガイについて書けば書くほどキチガイを殺してきた本性をさらすことになる。自分自身が自分が批判している奴らと同種の人間だということをさらすことになる。
わかるかなー?
うんこ発見!
"「さみしい」からって「さみしくさせないように」近づく人のせいで、より「
さみしさ」を感じる。"
それよくあります・・
確かに特別の受け取り方にも色々あるんだろうけど・・
私は人ごみの中で自分の存在感を消すのが好き。
う・・やべっ
調子に乗って書いて後で後悔しそうな予感。
ま、いっか。
って、脂さんが迷惑か^_^;
えーと、なんか家の裏山思い出した。
子供の頃うっかり鍵忘れた時にお世話になったことがあるぅ。
2010-03-08 月 20:51:34 /URL /けろっぴ /
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2010-03-08 月 21:37:09 / / /
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2010-03-08 月 23:08:17 / / /
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2010-03-08 月 23:33:07 / / /
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>私は人ごみの中で自分の存在感を消すのが好き。
そうそう、そういうことだと思った。表現の仕方として。わたしがファミレスや喫茶店って人の声がわさわさするところで考えごとしていたのは。
静かすぎるとだめなんだ。全然静かじゃないから。全くの無音なんてこの世にはありえない。このこともそうだな。子供の頃からそう感じていた(当然言葉にはできなかったが)ことなんだが、それが物理学の理屈によって説明できるようになった。
ただ、わたしは別に「自分の存在感を消すのが好き」というわけではない、と思う。「好き」と言えるかどうか。そういった状態をたびたびしていた、という意味で事後的に「好き」なんだろうな、とは言えるが、わたしの身体反応を考えると、一般的な「好き」って言葉にあてはまる身体反応ではない気がする。
「自分の存在感を消す」と言うより、「自分の存在感が消える」ってことだと思う。わたしは。人ごみの中やファミレスだと、そういった状態になる場合が多い(もちろんそうならない場合も多々あるが)から、そうした状態にたびたびなった、という言い方になるか。
2010-03-09 火 00:04:48 /URL /脂 /
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天国のカーリング
代々木公園って新宿から落ちこぼれた
ホームレスの行き着く先だと聞いた事が
ある。何か小さな農園をやっていそうだ。
2010-03-09 火 01:01:46 /URL /スカラベ /
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2010-03-09 火 02:44:52 / / /
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2010-03-09 火 03:53:41 / / /
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2010-03-09 火 03:54:12 / / /
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2010-03-09 火 07:27:31 / / /
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2010-03-09 火 07:31:24 / / /
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2010-03-09 火 09:34:57 / / /
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2010-03-09 火 09:51:45 / / /
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そうだな、だだの素気なのさ
今日は夢の中で私は大人で、
川を渡れなくて、
目の前で子供たちは、
蒸気付きの子供用自転車にのって、
次々に渡っていくのを見ていました。
ほんとは、親でも子でもない、夫婦や兄弟なんかでもない、
脂さんの言う「ブラックボックス」の部分の話をしにきたような気がする。
でも、そうじゃないのも楽しいかな。
あ、私の中では、「ブラックボックス」は値ではなく、
右に何が来ても左に何が来てもただ処理するような、
「=」みたいなもので、話ようもない気もする。
(分かりにくいので、自分の一部を「誰か」と表してみますが、)
値の誰かが間違って「ブラックボックス」の中に入っちゃうとか、
そんな式の異変に気づいたとしても、それを言い表すとなると、
その間違っちゃった誰かを指してしまうかもしれないし。
まぁ良く出来てるわけなんでしょう。
式に関与したもの同士がなんとなく異変に気づく程度が関の山なんかなぁと。
2010-03-09 火 10:14:44 /URL /けろっぴ /
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2010-03-09 火 11:14:41 / / /
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2010-03-09 火 11:28:37 / / /
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内面が平面の感覚だったのが立体的になりつつある。から変わっている。
体を動かすと感覚が
直ぐに意識から離れていっていた所が、ありつづけていっている、不思議な感じがして気持ちがいい。刺激されなかったところが刺激されだしたている。
包まれていなかった所が、包まれているような新しく現れた感覚に。
少しもう慣れだしてきている。
2010-03-09 火 11:46:34 /URL /あ /
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2010-03-09 火 11:53:16 / / /
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2010-03-09 火 11:53:40 / / /
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2010-03-09 火 14:17:18 / / /
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決め付けちゃ嫌よん
普通うんこから原因を推測するなんて出来やしない。
それでもそうしようとするのは、
他人のうんこだと思いたいからなのかもしれない。
そんなふんころがしの失敗をよくする。
自分の記憶に意味があるなんて当然なんだ。
何を食べたのかはちゃんと分かっている。
いやいや、そうと決まった訳でもない。
分析家ならわかるかもしれない。
コーンとかなら他人のでも分かるもんね。
2010-03-09 火 22:02:26 /URL /けろっぴ /
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2010-03-10 水 00:01:55 / / /
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>非公開コメントさん
混乱している感じは、表面上キチガイっぽいが、どうもあなたの文章には自己陶酔感、と言うと言いすぎだが、「混乱している私」という自覚が確立しているように感じられる。この自覚が過剰になれば自己陶酔感(に似たもの)になるのだろうか。自己陶酔と言うより共産主義が奨励していた「美しき労働者」のような。
要するに、「私は私が理解できない」ことをあなたは理解しているように見える、ということ。
なので、というか簡単な表現をすれば、わたしが個人的に未去勢的だと思う他のコメント者と比べ、「強度」が感じられない。
2010-03-10 水 00:11:38 /URL /脂 /
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早い話、今日とかのコメントとか、だんだん精液臭さが滲み出てきて気持ち悪い、ってこと。
2010-03-10 水 00:14:46 /URL /脂 /
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なんか、そういう私小説でも書いているつもりでやってるんなら、まあそういうもんかと思えるんだがな。
小説のつもりじゃなくて素でそう書いてるんなら、やっぱ君はポスト・フェストゥムだ。
2010-03-10 水 00:16:08 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 00:36:36 / / /
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2010-03-10 水 01:14:27 / / /
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2010-03-10 水 01:21:52 / / /
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2010-03-10 水 01:40:12 / / /
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>つーかファルスって言い方どうなんだ?色んなものを見落とさせる言葉になっているように感じる。
君のようなタイプの人間については、見落とす「色んなもの」はそれこそ「捏造」だからな。
「見落とす」というより「嘘に惑わされないようにする」だ。
むしろ「見落とす」なんてことができるのがそれこそファルスの作用だ(笑)。
君が「見落とすな」と言いたいのならば、「捏造できなくなるじゃないか」と言っているようなことだ、と解釈するな、わたしは。
以前話した「シューティングゲームで敵の弾から逃げ回っている印象」とつながるな。これは。「俺に嘘をつかせてくれ」って。
2010-03-10 水 09:28:25 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 09:46:45 / / /
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>脂さんってそんな風に文章からなにか感じれたりするのって生まれつきなの?
「文章だから」って考えるからそんな風に思うんでねえか?
文章じゃなくても芸術作品でもそうじゃなくても物は他の物と相関している。Aという物は別の物たちと相関していて、その一つをBとする。相関に自然に着目すれば、その一つのBを推測するのは自然な流れだろ。
「誰かが書いた文章」ならば、文章という物と相関する一つのものとして書き手という物がある。
それだけの話。
人だろうが文章だろうが物として見ればいいんでないかい?
2010-03-10 水 09:48:08 /URL /脂 /
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言っておくがわたしが哲学風に饒舌になるのは君のような抑鬱タイプと話しているときに多い。このブログでもたびたび取り上げている妖怪紳士や中坊さんもそっちタイプだ。
2010-03-10 水 09:49:28 /URL /脂 /
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>ただの象徴的気分
その通りだな。いい表現だ。
去勢とは象徴界への参入であるわけだから、シンクロニシティってな「去勢的気分」だってことだ。ジャーゴン体系にならうなら「去勢の回帰」ってなろうな。
シンクロニシティに感動しているというか、それによって感じている何かしらの肯定的気分は、ファルス的な万能感と非常に親近している。万能感と親近しているから肯定的気分になる。
そういった意味で、シンクロニシティを感じられるのが去勢済み主体だよ。
去勢はされたが、去勢されすぎて(この使い方はジャーゴン的に間違っている)、象徴界に参入しすぎて、「シンクロニシティな気分」を感じられなくなったのが抑鬱だ。
象徴界ってのはS2という知あるいは言葉の群れだ。全てS1という軸の作用を受けている。しかしS2に翻弄されていると、S1を「見落とす」ことがある。象徴的な自分の軸がなくなったら「喪」に陥る。
それが抑鬱症者。
2010-03-10 水 09:56:12 /URL /脂 /
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要するにファルスというS1の上にS2をおっかぶせすぎたせいでS1が見えなくなっただけ。
だけどちょっと距離を置いて見れば、本人はそのS2群にS1の影響など感じられていないんだろうが、ばりばり何かしらの一貫性があるように見える。
本人は「征服者じゃない」と言いながら征服している。
本人にとってファルス感つまり万能感は感じられないんだろうが、他人から見ればばりばり押しけられている気がする。男根主義者に思える。
それが君。
2010-03-10 水 10:14:48 /URL /脂 /
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ちなみに前述の「ただの物と物との相関」と異質なのがファルスの作用。わたしにとっては、ね。
2010-03-10 水 10:18:02 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 10:24:38 / / /
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>脂さんがラカンの表現にはまったみたいな話。
なんでこう抑鬱症者って「君という人間について私はなんでも知っている」って態度で語りたがるんだろう?
妖怪紳士にも中坊さんにも顕著だ。
この記事でもわたしちゃんと書いてるじゃん。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-169.html
=====
基本的にわたしは抑鬱症者が嫌いである。特に男性のそれの根底に、過大なファロセントリスムを感じるからだ。抑鬱症者のほとんどは、他人を単純化して見ている気がする。単純化した、今風(そしてかるーく揶揄風)に言えばキャラ化した他者像を他者に押しつける傾向を強く感じる。
=====
お前が自分勝手に感じられなくなったファルスの作用のせいで他人を単純化しているせいで「喪」になっているだけだろうが、と言いたい。
要するにマッチポンプなんだよ、抑鬱症の「喪」、つまり「何もない」って感覚は。
2010-03-10 水 10:31:04 /URL /脂 /
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とはいえ妖怪紳士はわたしと話すようになってやたらと警戒するようになったけどな。「他人を単純化して見る」ことについて。
「他人を単純化してしまう」ことをいやがっているのは抑鬱症者本人もそうなのだろう。
2010-03-10 水 10:32:37 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 10:45:57 / / /
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2010-03-10 水 10:48:18 / / /
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確かに。
ガッコで習うヒト語って、既に「分離不可能」な迄にメタが織り込まれてるからな、つまりヒトが「持ってて当然」のものは効率化のため省略されてる。
だもんでヒト語が得意だからって「持たざる」キチガイが習い覚えたままにこれを使うと、必ずや省略部分にミスリードされて、辻褄が合わなくなって、終いにケツがむずむずしてくる。(中にはアタマ悪くて平気で使い続けてるのもいるけどね)
そのむずむずに気づき、必死にあらがおうとして、ヒト語を切り刻んだりこねくり回したりする滑稽なさまをして脂は「強度」と表現してるんだろうな。これ未去勢者であればいやでも滲み出てくるからな。
但しその滲みだし方は、一見めちゃくちゃだが実はきちんとした作法があって、正常人がやろうとしても無理だし、とことんやれば逆に「強度」になる、めでたく真性キチガイになって。
例イチ:
非キチガイA:私の辛さは誰にもわからない(わかるのは私だけ)
非キチガイB:私にはわかる(「わかるのは私だけ」というあなたの主張に私は共感する、なぜなら私も同じだから)
非キチガイA:元気をありがとうナカーマ!
例ニ:
自閉症:私の辛さは誰にもわからない
非自閉症うふ:わかるわかる
自閉症:うくうううううぅーぱっぱらぴぃ(←要するにここんとこね)
(↑解説:なにィィィ!わかるわけねーだろ!当の私がわからねーんだからよ!だからちゃんと親切に「誰にも」わからないつってんだろ、聞いてないのかよ!わかれよバカが!どこがどうわかるんだか言葉を省略せずちゃんと説明しろよ!説明してくださーい!!)
管理人:削除します
いつもありがとうございます、異常。
2010-03-10 水 10:58:44 /URL /○っ○ /
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>そう限定した範囲で会話を進めているつもり
だからなんでその「限定した範囲」が
すでにわたしと共有されていることになってるんだよ?
2010-03-10 水 11:05:05 /URL /脂 /
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知らないよ(笑)
あー、自分と同類みたいなやつならこれがなぜか通じて会話が進むとかあったからかな。そういや周りでなぜそれだけで理解できる?っていわりたりした。その適当なノリがでた。ごめんなさい。
そういえば、食事していて、今相手がなにか食べててそいつが調味料を必要としているようなそぶりをしたときにそれを渡すのって察しがいいものか?
>「分離不可能」な迄にメタが織り込まれてるからな、つまりヒトが「持ってて当然」のものは効率化のため省略されてる。
って奴を考えなおしてみないとならないのか。
2010-03-10 水 11:18:08 /URL /a /
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いいところを公開にしてくれるじゃないか。
>そういえば、食事していて、今相手がなにか食べててそいつが調味料を必要としているようなそぶりをしたときにそれを渡すのって察しがいいものか?
こういう感じのシチュで「察せられない」のが、自閉症の症状としてよく言われていることだよな。
2010-03-10 水 11:28:39 /URL /脂 /
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あと
>脂さんと少し似たようなこと言っていることあったから未去勢者かなとおもっていたけど。脂さんのいっている世界とかのを見ているっぽそうな人だったし。
だが、そのアングラパフォーマーとやらに精神分析の知識があるかどうかしらんが、「シンクロニシティ」をどう感じているかによるだろうな。
ユングの提示したその概念は、暴論的に短絡すれば要するに「自己(ユング語としての)」を再確認する一端として説明されている。「自己の窓口」みたいなことか。窓口って意味ではフロイトの「言い間違いや夢は無意識の窓口である」ってのと似たようなもんか。
要するにんなの偶然の産物なんだが、偶然ではなく何かしらの必然性を感じるようなこと。
とすると「自己」ってのは偶然を必然だと「思い込む(ラカン文脈で)」機能だ、と言えるわな。
ラカンをやってる哲学者って大概ユンギニアン臭いんだが、ラカンが嫌味っぽく言ってることを真に受けてる奴がそうなってるんだろうな。
偶然は偶然だ。
2010-03-10 水 11:38:40 /URL /脂 /
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もしそのアングラパフォーマンスの神沢敦子ってのがその「シンクロニシティ」についてなんらかの必然性を感じそれについて肯定的あるいは快楽的に感じているのなら、そいつはばりばり正常人だ。
君のような抑鬱症者でもない、精神的に健康な人。
「健康」と言っても「正常という精神疾患」の過剰による「不健康さ」つまり精神科で診断されるようなことがありえるだろうがな。
そういった場合BPDとかに診断されるんじゃねえの? 解離性障害とか。
てんかんっぽいところがあればパニ障とかって言われるのかもしれない。
2010-03-10 水 11:43:52 /URL /脂 /
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自閉症ってなんなんだろうかね、認識することの表面がないものとかか?プレコックス感とかにどう反応するのかな。
>「分離不可能」な迄にメタが織り込まれてるからな、つまりヒトが「持ってて当然」のものは効率化のため省略されてる。
>本人はそのS2群にS1の影響など感じられていないんだろうが、ばりばり何かしらの一貫性があるように見える。
そういえばこの一貫性か、
省略による、正常とはなにかを押し付けれるようになるんだろうな。強迫感によるファルスの刺激か。
偶然も必然もないんだぜって気分でもある。あ、でもこれなら偶然は偶然っていうか。
でも必然って考え方をもつのは大事な気がする、法則覚えるに必然でないとおかしいし。去勢だな
2010-03-10 水 11:45:42 /URL /a /
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君が引用した短い文章だけなら、その神沢とやらは「偶然ではなく何かしらの必然性を感じ」てそうだな。
この部分に関しては、それがわからない、という君の意見とわたしは同じだ。
2010-03-10 水 11:46:21 /URL /脂 /
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>自閉症ってなんなんだろうかね
お前さんが文章を引用してる○っ○さんがそうだよ。
>認識することの表面がないもの
逆だな。表面しかない。
「内面がない」というのが抑鬱症なわけで、そういった意味では同じだが、本当にないのが自閉症者で、君のような抑鬱症者は、当人が「ない」と思い込むことによって、つまり「喪」に飲み込まれることによって、当人だけが「ない」と思い込んでいるだけ。
ここでわたしが示したように、君には思考を一貫化させる「内面の何か」があるじゃないか。
2010-03-10 水 11:50:22 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 11:52:07 / / /
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ああ、
>認識することの表面がないもの
を、ラカン派とフロイト娘派(自我心理学派)が対立している点でもある、「自我とは単なる自己防衛機能である」かどうかって意味で言っているなら、つまり君の言う「表面」が精神分析文脈による「自我」ならば、ない、と言えるだろうな。
2010-03-10 水 11:52:31 /URL /脂 /
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つまりわたしも『異常の構造』の論旨についてはわたしもおおまかに賛同はできるが、ちげーよ、って思ってる、ってことだ。
2010-03-10 水 11:57:05 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 12:02:32 / / /
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つかその文章こそ精神病者の感じている「世界に存在することへの違和感」を正常人も感受可能な「社会に対する違和感」に改竄させる文章じゃねえか。
わたしがその文章読んでたらそう反論するな。
てめえのエディプスコンプレックスゆえに精神病者を反社会のシンボルにしたがる奴らの汚らしさったらありゃしない。ガタリもそう。
死ね。
2010-03-10 水 12:04:58 /URL /脂 /
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>まあしっかりとありますね。むしろそれに合わせていることで安心を。
それを受容できたから離人感がなくなってきてるんじゃねえか?
2010-03-10 水 12:06:55 /URL /脂 /
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>つかその文章こそ精神病者の感じている「世界に存在することへの違和感」を正常人も感受可能な「社会に対する違和感」に改竄させる文章じゃねえか。
あまりにも嫌悪感を覚えたので君のコメントに貼られているその神沢って奴の(?)文章をコピペしておく。
=====
「異常の構造」の中で木村敏は、常識的日常世界の「世界公式」を1=1であるとし、1=0や1≠1や1=2や1=∞が公理となるような世界を、精神異常の世界としています。
けれども1=1は実は錯覚だ、と木村は言います。「世界を現実として私達の前に見せているもの、世界の実在性という錯覚を生み出しているもの、それは実に私達自身の「存在への意志」、「生への意志」なのである。」「1=1は、実はその真相においては、私達の生存欲求それ自体の基本公式に他ならない。1=1に矛盾するあらゆる事態は、究極のところ1=0という数式で表すことができるが、この1=0は私達にとってはとりもなおさず、生命否定の、つまり反生命の基本公式となるのである。」
私も木村敏のこの考え方に、深く深く共感するものです。そして実は私が善と呼んでいる物はこの1=1のことであり、悪と呼んでいるものは1=0のことなのです。だから私が善悪の戦いと呼んでいる物、それは1=1と1=0の戦いのことです。
ところで木村敏は少なくとも「異常の構造」の中においては、社会は一から十まで1=1を基本公式として成り立っており、1=0をどこまでも排除する物だと言っている。だから社会は精神異常者を排除するのだと。けれども私はこの考え方には、どうも違うんじゃないかという気がしてならない。
私の思うところでは、社会の中ではいたるところで、1=0の論理がまかり通っている。そうでなきゃ、いつも滅茶苦茶なこと言って周り中に迷惑かけてるあの糞オヤジも、論理完全無視して自分の正当性をごり押ししてる政府も会社もマスコミも、みんなとっくに精神異常として、社会から排除されてるはずだ。
だけど彼らは排除されない。それどころか物凄くでかい顔して、1=0の論理を押しつけてくる。権力によって、教育によって、滅茶苦茶を平気でやっている。しかもそれを押しつけられた人々もまた、「はあ、ごもっともです。1=0でございます。」と、いとも簡単に1=1の公理を手放してしまう。それは生命の公理を手放してしまうことに他ならないにもかかわらず。こうして社会はどんどん死の毒に犯されていく。
だがそれを食い止めようとする力がある。そのおかげで社会は、すっかり死の毒にやられてしまわない。その善なる力とは、人々一人一人の生きたいという意志から生じる、たえず1=1の論理を世界の公理として打ち立てようとする強い欲望ではないか。そう、社会とは1=1の公理で成り立っている場所ではなく、たえず1=1と1=0の論理が戦っている場所ではないかと私は思う。
さてここで、では精神病者とはどういう存在なのかと問われると、実は私も困ってしまう。だからこれはまだあまり結論の出ていない今の時点での思いつきとしてきいていただきたいのだが、精神病者は社会の中に蔓延している死の論理1=0を、その純粋さ素直さゆえに、鏡のように自己の中に映し出してしまう存在なのではないかと思う。
木村敏は「異常の構造」の中では、彼らを生命への意志の損なわれた者達として見ているようだが、私にはそうは思えない。むしろ、普通の人達よりも生命への意志が強いのだとすら思っている。
権力者達はなぜ、生存欲求の公式を壊してまで1=0の論理を振り回すのか? それは生存の公式を超えてまで快楽を貪りたい、いばりたい、必要以上に人から立派だといわれたい、等々という異常な欲求にとりつかれるためと思われる。
ではまたなぜ人々は、生存欲求の公式を無視してまで、権力者達の死の論理を受け入れるのか? それはたぶん受け入れなければ殺される、痛い思いをさせられるという、個人的物理的な死や苦痛への恐怖の方が、普遍的生存欲求の公式を守り抜くことよりも、優先されてしまうからではないか。
ところで精神病者達は、実は普遍的生存欲求の公式を守り抜きたいという欲求が、もの凄く強いのではないかと。だからこそ「生の公式を守り抜こうとすると殺される」という、この世のあまりにもおぞましい矛盾の壁に、誰よりも激しくぶちあたってしまい、その壁の姿を自らの中に、映し出してしまうのではないかと。
あまりにも言葉足らずかつ論理が錯綜してると思いますが、何となく感じながらまだうまく言語化できない感触を、手探りでここに書いてみました。
=====
これだよ、精神病者とは言わないが、未去勢者が常にその違和感を改竄されてきた文法ってまさにこれ。
「世界に存在することへの違和感」を、ただの中二病な、去勢済みでただちょっと退行しているだけ、去勢を否認しているだけの奴が、己の主張に未去勢者を取り込もうとして、「社会に対する違和感」へと改竄するよい例。
この記事でも読んどけあほたれ。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-266.html
2010-03-10 水 12:13:15 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 12:14:34 / / /
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じゃあ言い直す。
>この合わせているは、
その「合わせている」は無意識だった。無意識の奥すぎてわからなかったから離人感を感じていた。
しかし無意識にあったそれを再発見できたから離人感は解消した。
そういうことなんじゃないか、と思った。
まあ「抑鬱症者は精神分析治療可能だ」って言いたいだけかもしれんが。
2010-03-10 水 12:17:14 /URL /脂 /
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ちなみにこのaさんってのがこないだのワードサラダ君な。
2010-03-10 水 12:20:28 /URL /脂 /
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その引用した文章なんかまさに『アンチ・オイディプス』の論旨じゃねえか。
「分裂分析は社会に対し反抗的に適用されるものである」
ってなな。
ご丁寧に反社会のダシに精神病者(『アンチ・オイディプス』なら分裂症者)を使ってるところも同じ。
てめえが反社会したいだけだろうがksg。
いやまあそいつの言っている「精神病者」がパラノイアならそれでいいんだがな。
2010-03-10 水 12:24:14 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 12:26:37 / / /
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>当人からすればそんな単純でなく絶対に無理だろうと思っているよ。
じゃあそれは「抑鬱症」ではなく「鬱病」だな。鬱病は内因だ。器質因的なところについては精神分析は無力だ。
つまり君は「心因的な抑鬱症」ではなく「内因的な鬱病」である可能性がある、って話。
わたしが嫌いなのは抑鬱症者であり、鬱病者はどうでもいい。完治しようがしなかろうが自殺しようが勝手にどうぞ、という感じ。
2010-03-10 水 12:31:44 /URL /脂 /
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んでその引用した文章神沢って奴の文章か?
一応確認しとく。
つかその文章なんてまさに
>非キチガイB:私にはわかる(「わかるのは私だけ」というあなたの主張に私は共感する、なぜなら私も同じだから)
じゃねえか。
ああ気持ち悪い。
2010-03-10 水 12:34:23 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 12:37:42 / / /
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2010-03-10 水 12:42:32 / / /
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>それは無いとは確かに言えないものである。カントの負量の概念にそれは対応している。
>論理的には+に対する0であるが、現実的には+に対する─であるようなものである。
このフレーズいいな。物自体つまりその世界としての現実界とは、象徴界+想像界という幻想にとって、論理的(まさに象徴的)に0だが、幻想の対立項としての現実的には、現実は-である、ってなな。
物自体とは0ではなく不快なものだ、というわたしの論とも合致する。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-357.html
>抑鬱って気質じゃないの?
どういう意味で言っているのかわからんから答えようがない。
2010-03-10 水 12:43:49 /URL /脂 /
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だから九鬼とか西田周辺の文章を出してくるなようぜえな。
2010-03-10 水 12:45:20 /URL /脂 /
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まあでも大体君が「そっちかぶれの人」ってのがわかった。「そっちかぶれ」って言うと君は「違う」と言うんだろうけどな。「俺の鬱は気質的なものだ」ってなな。
ああそうそう、君の言う「気質」ってどういう意味だい? 「器質」の誤変換じゃないよな?
2010-03-10 水 12:50:49 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 12:51:28 / / /
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すまんわたしが誤変換してたな、「気質」と「器質」。
2010-03-10 水 12:52:36 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 12:53:54 / / /
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そっち系の、たぶんわたしがよく引用している中村雄二郎もそっち系だが、言葉だけで考えるといいこと言っているんだが、そいつの人格が見えるような文章がちらほら出てくるのが余計に気持ち悪い。中村も。中村は哲学的思考の勢いがあるから人格が見えることは少ないが。
その二つ目の文章は書き手の人格がだだ漏れしてるな。
なんでこう正常人って精神疾患について思考すると自分の人格がだだ漏れするんだろう。
すなおに哲学的思考だけしてればいいのに。
2010-03-10 水 12:55:47 /URL /脂 /
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わたしが君を鬱系の人だと思っている。
2010-03-10 水 12:56:38 /URL /脂 /
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なんでこう君系の人って、言葉の意味がすれ違った場合、「俺はこう言っているつもりだよ」って平然な顔していられるんだ?
自分の中に意味についての万能感があるからじゃないか?
それがファロセントリスムだっつってんの。
ちなみにファルスはわたしは内因性だと思っているから、ファルスを破壊することは精神分析アプローチでは無理だ、ってことになるな。
まあ精神分析文脈だとファルスを破壊することってな正常人(神経症者)を精神病者化させること、ってなるがな。
2010-03-10 水 13:02:18 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 13:04:24 / / /
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ああ気持ち悪い。
2010-03-10 水 13:04:29 /URL /脂 /
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「作り物」とすることの自己陶酔感。
2010-03-10 水 13:05:34 /URL /脂 /
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結局君系の人って、「無」とか言っているくせに「無である、あるいはそれを目指す自分が好き」なんだよな。
全然「無」じゃない。
西田もそれっぽいから気持ち悪い。
2010-03-10 水 13:06:35 /URL /脂 /
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結局、意味を所有できていることの余裕だろうな、わたしは気持ち悪く思うのは。
だから西田も中村もアルトーの言う「言語の死刑囚」ではない。
牢屋の外から囚人を監視して、囚人目線を想像できている人なのではあろうが、そいつらは。
君が引用している人はまだまだ。牢屋の外側にいることの安心感が過剰になったのがポストな離人症だ。
2010-03-10 水 13:09:47 /URL /脂 /
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要するに君は意味について余裕しゃくしゃくだから「強度」がない、ってことだろうな。
2010-03-10 水 13:12:38 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 13:16:25 / / /
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ああでも九鬼あたりは生き様から「言語の死刑囚」なのかもな、とは思うけどな。
作家や詩人じゃないとそうなれないのかもな。哲学者は常に牢屋の外からの想像としかならない。
「臨床の知」が不足しているから。
2010-03-10 水 13:19:02 /URL /脂 /
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気持ち悪い。
ブログそのものがうざい。
2010-03-10 水 13:21:23 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 13:28:43 / / /
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ああ、その文章、「反社会」ってわけでもないな。
反だろうが擁護だろうが、てめえが勝手に「社会」に対し興味を向けているだけで、そのダシに精神病者を使っているのがむかつく、って話か。
反だろうが擁護だろうがかまわない。要するに「社会」コンプレックス。自分のそれのダシにしているだけだからむかつくのか。
2010-03-10 水 13:32:34 /URL /脂 /
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気持ち悪いなお前。
もうつつかない。
結局なんだ、「わたしの気を引きたくてやってるわけじゃない」とか言ってたけど、嘘だったんだな。
2010-03-10 水 13:34:02 /URL /脂 /
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とりあえずこんな糞だめみたいなところで非公開コメントなんかするよりブログでもやってろ。
2010-03-10 水 13:35:19 /URL /脂 /
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つかその神沢の旦那ってのがお前自身なんじゃねえのか?
2010-03-10 水 13:37:21 /URL /脂 /
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2010-03-10 水 13:39:19 / / /
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>違う
ただのたちの悪い冗談だ。
2010-03-10 水 13:40:26 /URL /脂 /
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>俺自分を鬱とかいったっけ?
つかお前
>当人からすればそんな単純でなく絶対に無理だろうと思っているよ。
って言ってるじゃねえか。
この「当人」ってお前のことじゃねえのか?
これだよ、お前の「シューティングゲームで敵から逃げ回っている印象」って。
自分で「自分は鬱系だ」って話を進めておいて、その流れでするわたしの話から逃げている。
それが一番気持ち悪い。
妖怪紳士もそうだった。
中坊さんはお前みたく言い訳して逃げるのではなく、何も言わずに逃げる。
それだけの違い。
2010-03-10 水 14:00:22 /URL /脂 /
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>それが一番気持ち悪い。
これは嘘だな。
お前という人格が気持ち悪いから、お前という人格を切り刻もうとしてこう言っただけ、か。
つまり、このコメントについてお前の気を引こうとしてこう述べている、ってことか。
お前が反論すればそれによってまたお前を切り刻める余地ができるから。
あと「シューティングゲームで敵から逃げ回っている印象」って表現が自分で言いえて妙だと思っているから、ってのもあるかもしれない。
最初言ったときは何も考えず言ったけどな。思ったことをそのまま書いただけ。
2010-03-10 水 14:12:39 /URL /脂 /
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一番気持ち悪いのは「意味について余裕しゃくしゃくなくせに「無」が好きなところ」か。
だからわたしは抑鬱症者が嫌いだ。
抑鬱症なんて贅沢病なんだよ、こっちから見れば。
2010-03-10 水 14:14:36 /URL /脂 /
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ぐさっ
う、よく分かんないけど、イタタ。
(色々)
そう言えば、自分はこないだブログ失敗しますた。
そしてまた幽霊はふらふらと足を求めるのでありますっ。
(-人-)
2010-03-10 水 22:29:33 /URL /けろろ /
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クッセツ
サルトル、フーコー、ガタリ
スプートニクに乗せられ動物として始めて
地球最初の宇宙旅行をしたライカ犬(=キチガイ)に比べたら
どんな事でも・・・
『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』
2010-03-11 木 01:51:06 /URL /スカラベ /
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2010-03-11 木 06:27:17 / / /
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2010-03-11 木 06:35:33 / / /
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2010-03-11 木 06:56:03 / / /
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2010-03-11 木 07:01:59 / / /
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2010-03-11 木 07:06:13 / / /
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2010-03-11 木 07:14:48 / / /
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2010-03-11 木 07:39:06 / / /
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2010-03-11 木 08:20:39 / / /
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2010-03-11 木 09:18:10 / / /
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今、中坊さんとこのコメント読んできたけど、まったく同じように思った。引っ掛かった所が。
そっちが見えるのを見えない。言われてああそうだろうな。と。
逃げてるとか言われても。今一内面を探しても見当たらん。
「思考」といってもなんにたいしても思考がおこるわけではない。
脂さんの見えるエポケーはこちらでは分からない。から、そっちは体験的に見える。こっちは体験的に映らない。触れないようになっている。
世界に問題や悪意のある発言や文章に敏感で「世界の表面」にそんなものを出さないように無意識にフィルターが成立しているから。だからこいつはこんなことしない。というのが、中坊さん自身も無意識に感じ取って分かるし。おれも同じ去勢の仕組みがあるから、こいつはしないよな。ってのが分かる。
だからそこに関わる思考の内容は発生しない。こういう去勢の構造が起こる人間でないから見ているものが
両者違っているのかなと
ちょっと鬱の所ではこっちが混乱している所もあった。ポストとアンテでは基本的にお互いに誤解しあう。経験的に。
そこを配慮しながら考えててこっちがわからんくなって、スルーすることにした。
逃げるどうこうとかのこのすれ違い。
両者、
見ているものがあり、そこに言葉が当てはめられていっているを観察して、なにを見ているのか。の構造を考えてんだけど。
思考が進まん、今のアンテとポストの分かれ道に関わっていると考えているが。既存の言葉以外の、説明の為のことばの準備が必要と思った。「見ているもの」が言語化できてない。
そっちが思考が落ちてこないっていって、俺は思考が進まん、といった。ここの関連はあるのかよう分からん。
思考が進む。これはなんかポストの、感覚に合致か。全能感とかそこら辺の人間の話と関わりそう。
2010-03-11 木 09:27:10 /URL /a /
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2010-03-11 木 09:44:32 / / /
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2010-03-11 木 09:47:29 / / /
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2010-03-11 木 10:03:04 / / /
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2010-03-11 木 10:06:46 / / /
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2010-03-11 木 10:30:29 / / /
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>ほらなんか反応してみろよwww切り刻んでみろよwwww余地がなんかあるかwwwww
すまん、中坊さんの方に興味移ってた。
かまってちゃんは自覚を持って少しは自重してくれないか。
わたしはお前の恋人じゃない。
2010-03-11 木 11:02:41 /URL /脂 /
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君に顕著な傾向だが、抑鬱症者って、自分が「無」になっていると「思い込んでいる」症状だ、ってなってるんだ、要は。「喪」に飲み込まれるってのはそういうこと。
でも、君や中坊さんが言っているように、それは「無」なんかではなく、単にエポケーしているだけなんだよな。
本当に「無い」んじゃなくて、エポケーしているだけなんだ。
ちぃ悟った。
やっぱ臨床って大事だな。
2010-03-11 木 12:30:51 /URL /脂 /
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2010-03-11 木 12:35:38 / / /
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>つうか、この嫌がらせ文章からそこらへんにたどり着くまでの気づきがおそいんだな。ヒントありすぎたのに。
悪かったな(笑)。
>去勢の重要資料書いたけど未去勢者には全くその言葉が意識に働かないし。思考が深まれば使うことにならんこともないだろうが。やっぱ無駄だった。こういうのは去勢者側に言ってみないとか。
どれよ? その「重要資料」って。
2010-03-11 木 12:39:53 /URL /脂 /
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その馬鹿女の旦那の「偶然性と必然性」みたいな九鬼をダシにした論文は、まあそこそこおもろいと思ったよ。「偶然から必然」ってのは確かに去勢の重要ポイントだとは思っている。
理屈上、ね。
2010-03-11 木 12:48:53 /URL /脂 /
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つかお前さん自身がある特定の文章を「重要だ」と思うのは全然かまわんが、
>去勢の重要資料書いたけど未去勢者には全くその言葉が意識に働かないし。思考が深まれば使うことにならんこともないだろうが。やっぱ無駄だった。こういうのは去勢者側に言ってみないとか。
この文章に明確に表れているように、その「重要資料(失笑)」を他人に押しつけないでくれるか?
この文章とかまさにお前の話が「一人遊び」になってない証拠じゃん。
そんな「重要資料(呆)」なしでも思考は深められる人だっている。
また、「思考を深めること」とは、「人類全員が同じ思考、同じ場所にたどり着くこと」ではない。
そう思っちゃうのがファルスの作用だよ、バーカ。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-669.html
オナニーをやめられないニキビ臭い童貞くんよ、(ラカン的な意味での)現実を見なさいな。
2010-03-11 木 12:53:59 /URL /脂 /
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2010-03-11 木 13:02:46 / / /
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2010-03-11 木 13:14:41 / / /
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>脂さんがなにか正常人になりてーとか言っとるから試しになにか起こらないかやってみただけ。なにも起こらなかった(笑)でもこっちは色々と練習になった。文章がダメダメだけど。
納得。
>なんかこう、こいつは何を相手にしてるんだろうっていうような気分になる。
鈍感の極み。
ほんと「自分自身をエポケーしてしまう」のが強いよな、抑鬱症者って。
2010-03-11 木 13:16:50 /URL /脂 /
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>誰でもそんな同じ思考なんて通るわけないし必要ないし。ってのは当たり前だ。
じゃあなんで
>思考が深まれば使うことにならんこともないだろうが。
なんて書いたの?
「自分の方が深い思考をしている」って言っているわけじゃん。
自己称揚したかっただけ?
ということは君比べわたしは「深い思考」をしていないってことになる。君は無意識的にそう思っているんじゃないか、とわたしは思ってしまう。
つかあれだ、2ちゃんでも中二病者に対する揶揄でよく言われるフレーズがあるだろ?
「こいつは一体何と戦っているんだ」
ってなな。
そりゃそうだ。お前たち去勢済み主体にとって快楽反応を引き起こす何かと戦っているんだから、お前たちにとっては絶対的に「戦う相手」ではなくなるから。快楽と戦っていたらそう思われるに決まっておるじゃないか。
君の思考、全然深くないよ?
自分で「エポケーしている」って言ってるくらいじゃん。エポケーってな思考保留だろ? 思考がそこで立ち止まっているわけだから、全然深くない。
2010-03-11 木 13:22:53 /URL /脂 /
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>「自分の方が深い思考をしている」って言っているわけじゃん。
について脳内反論。
「俺はそんなこと思っていない。脂さんは未去勢者であり俺は去勢済み主体だ。去勢済み主体からすれば深くはないが、未去勢者のお前がここにたどり着くなら「深い」思考となるだろう、という意味で言った」
あほか。
ということはだ、「お前と俺は全くの別人であるから、「俺の方が深い思考をしている」という意味をなさない」って理屈だろ?
お前先のコメントでこう書いているじゃないか。
>あー、自分と同類みたいなやつならこれがなぜか通じて会話が進むとかあったからかな。
お前は無意識的に「わたしはお前と同類だ」と思っていることを白状しているじゃないか。
したがって、「脂という人間と君という人間は別人だから、「俺の思考の方が深い」という比較はなりたたない」という理屈は反証される。
2010-03-11 木 13:32:01 /URL /脂 /
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>脂さんがなにか正常人になりてーとか言っとるから試しになにか起こらないかやってみただけ。なにも起こらなかった(笑)でもこっちは色々と練習になった。文章がダメダメだけど。
結局、お前がやってきたことは、態度として、「オレノヨウナ立派ナ正常人ニナリナサーイ」なんだよ。
2010-03-11 木 13:33:00 /URL /脂 /
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2010-03-11 木 13:33:54 / / /
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>そうじゃなく、脂さんの思考がエポケーどうこうとかの分析で先に進んだりした時に、なんか役に立つかもなぐらいの話し。
ああうん、君の「思考」ではなく、君という臨床素材は、わたしにとって役に立った。正常という精神疾患の臨床として。中坊さんなんて類似の臨床素材もあったことだし、非常によい臨床環境となったことは認める。
その点については感謝するべきだろうな。
2010-03-11 木 13:37:19 /URL /脂 /
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2010-03-11 木 13:40:42 / / /
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2010-03-11 木 14:02:51 / / /
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こんにちは
いつも読んでます。
以前,将臣という変な人が乗り込んできたととき以来,ひさびさに楽しめました。
いま侵入してるaという人もそうですが,未来さんもTuesdayさんも変な人で,よくココに挑めるなと思います。
時々そういう「自分は潰されない」と思い込んでるような生存本能が薄い,何かすごいものを持ってると思い込んでる変な人が脂さんに挑んでくるので,それらが潰されるのを傍から見るのがときどきの楽しみです。
僕は命の危険を,背中の熱さでひりひり感じるので,侵入したくないです。
では,ごきげんよう。
2010-03-11 木 15:22:52 /URL /おまきん /
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やっぱり,すごくこわいです。
体中のひりひりが止まりません。
なので,さっきのコメントは無視してください。
2010-03-11 木 15:30:54 /URL /おまきん /
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はぁ気が抜けた~?
脂さんの脳内反論にバカうけしました。
楽しいっちゃ楽しかったです(笑
ありがとね。
あ、くれぐれも上から目線ではないので誤解なきよう。
2010-03-12 金 09:58:00 /URL /けろっぴ /
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とくにないがね
一人になりたいと思っていても一人になれない、一人ていても人恋しい、人が人であるが故にだ。私も、いまは、さみしい。意志の疎通ができる相手がたくさんいる世の中は幸せだ。だけど、物言えぬ物達はさ、例えば、植物とかどう思うんだろう、、。疎通が出来ないから、わからない。だから、人は人を求めるのかな、、。贅沢だな、
2010-11-27 土 03:34:41 /URL /7G /
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