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2010-03-22 月 21:51:25 / / /
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気持ち悪い文章だな。
お前の文章以上に自己陶酔感、(サイトタイトルにもなっているが)自己肯定感(ひねくれた肯定感ではあるが)に満ち溢れている。
否定も肯定も、ただそうであるものを歪曲するだけだと、人間はなぜ気づけないのだろう。
いや、「否定」や「肯定」という辞書的な意味が歪曲するのではなく、それらの意味に付随する(というか意味に含まれる)いわば「肯定感」や「否定感」とでも言える感覚が、それを歪曲する。捏造する。
むしろ、ただそうであるものをただそうであるものとして見る態度は、「否定感」の方に似ている。
こんな簡単なことに人間はなぜ気づけないのか。
自分の心を臨床すればすぐわかりそうなことなのに。
だからわたしは、解離性同一性障害は解離性障害とパラノイアの複合症状だ、と考えている。
この頑健とした自己肯定感がパラノイア臭い。
シュレーバーだって自己肯定感丸出しだったろ。
2010-03-22 月 23:23:49 /URL /脂 /
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2010-03-23 火 02:39:16 / / /
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>「ただそうであるもの」なんてそういう純粋なものなんてあるの?そうやってゆがめない思い出としておさまって生きているの?思い出すときはただ体験、経験として受け取れているだけの。
ヒント。
「思い出」と「トラウマの回帰」は別物。
「ただそうであるもの」ってお前外部世界みたいなことを連想してるな。
そこだよ、自我が確立している人間の落とし穴。
「ただそうであるもの」とは身体反応でもある。器官なき身体において器官と外部世界の物、いわば物自体の区別はない。自分の器官すら物自体だ。
この「ただそうである反応」とでも言うべきものが、「思い出」のように歪曲されずに回帰することがある。それがトラウマの回帰であり、PTSDの症状だ。
そしてこの時の身体反応が、人間が「現実」と呼ぶ事物の根拠、いわば「現実感」の正体だ。
「PTSD者は過去に囚われている」なんて言説をよく聞くが、逆なんだよ。
正常な人間の方が、過去を過去たらしめる、人間という動物に特徴的な身体機能によって、(ラカン的な意味での)現実を歪曲しているんだ。つまり、現実感を棄却する機能が正常なのが精神医学における正常であるということだ。
ほら、正常ってことは一種の精神疾患だって考えた方がわかりやすいだろ?
だからわたしはよくこんなことを言っている。
「トラウマの回帰とは過去が現実になることだ」
とね。
ちなみにここでの「現実感」ってのは、芸術畑なら「リアリティならぬアクチュアリティ」とかって言われていることだな。異化効果やシュルレアリスム的な感動としての「現実感」。
2010-03-23 火 03:03:59 /URL /脂 /
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2010-03-23 火 03:06:34 / / /
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お前って哲学的な用語を用いて頭よさそうに見せているけど考えていることはほんっとうわっつらばっかりだな。
いやまあ哲学者なんて大体そうだけど。
そうじゃない中村雄二郎とか廃人みたいな哲学者もたまにはいるけど。
お前ってあれだ、あいつに似てる。永井均。
言っている内容は自閉症チックな「自明性の懐疑」を称揚しているんだが、話している態度が自明性を根拠にしている。わたしの記号分析的臨床では、永井は無意識で自明性を疑えていない。
あ、まあ自閉症とか「素で自明性を懐疑する」人たちとか見ちゃってるから、違いがわかるだけなんだけどね。
わたしこの系列の人間って詐欺師にしか思えないのよね。
2010-03-23 火 03:08:57 /URL /脂 /
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気にならないならわざわざ言う必要ないだろ。
気になるなら眼科逝け。
2010-03-23 火 03:10:14 /URL /脂 /
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あれだ、最近「アスペフレーバー」なんて言葉があるが、それにならうなら永井は「ADHDフレーバー」だな。
実際自著にあった子供の頃のエピソードなんかもそうっぽかったし。
お前は全然「ADHDフレーバー」は感じないけどな。
だけど「自明性を懐疑しておいて無意識では確信している」ってエディプスコンプレックス的な構造が同じ、って言っているだけ。
ほーんと、「父と子と母」なんてのを一種の比喩だと考えて、そういった「言葉の使い方」の問題を保留して、その構造を考えれば、人間大多数がエディプスコンプレックスなんだと思えるわ。臨床上。
正常であることとはエディプスコンプレックスである、ってガタリみたいなこと言っちゃった言っちゃった。
2010-03-23 火 03:26:30 /URL /脂 /
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>「ただそうであるもの」なんてそういう純粋なもの
つかさ、なんで「ただそうであるもの」が「純粋なもの」になるの?
量子力学における電子って「純粋なもの」か?
物理学が極めようとしている「物の本質」って「純粋」か?
電子ってな波動だ。常に干渉している。つまり量子力学における「物の本質」は、純粋性が完全否定される。
なあ、お前なんで「ただそうであるもの」を「純粋なもの」だと思ったの?
2010-03-23 火 23:48:47 /URL /脂 /
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わたしの言う「ただそうであるもの」は波動的な相関も含めた「ただそうであるもの」で、別に「純粋なもの」なんかじゃないんだがな。
「ただそうであるもの」=「純粋なもの」としたお前の思考回路を説明してくれないか。
2010-03-23 火 23:50:56 /URL /脂 /
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おそらくお前の言うその「純粋なもの」ってのが、お前の思考回路におけるファルスだよ。
2010-03-23 火 23:53:06 /URL /脂 /
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お前が勝手に「ただそうであるもの」を「純粋なもの」だと連想したから、「あるの?」なんて哲学的なうわっつら問答になっちゃうんじゃねえの?
哲学者にありがちな言語ゲームから抜け出せないまさにピンポイントな症状に思えるんだが。
2010-03-23 火 23:58:56 /URL /脂 /
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トラウマなんて全然純粋じゃないんだがな。
フロイトだって言ってるだろ、「トラウマとなる事件は客観的事実によらなくても、主観的事実であってかまわない」と。
これってどういう意味かわかるか? それこそわたしが言った「記憶として格納されるのではなく、その時の身体反応が回帰する」ということだ。
身体反応だから、客観的事実か主観的事実かなんて問題じゃなくなるよな。むしろ主観的事実の方が「当時そのままの身体反応」に親近する可能性が高そうだろ?
お前って哲学風用語を羅列しているだけで全然何も考えてないよな。
2010-03-24 水 00:02:08 /URL /脂 /
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哲学を衣装代わりにやる奴の勘違いにこういうの多いよな。
「物自体とは純粋なものである」
みたいな。
大爆笑。
2010-03-24 水 00:05:58 /URL /脂 /
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いであとものじたいはべちゅものでちゅよー。
わかったあ? ぼくちゃん。
2010-03-24 水 00:07:45 /URL /脂 /
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あれだ、サルトルが構造主義にぼっこぼこにされた理由、「自然が人間に牙をむく(AA略)」ってのは、サルトルが哲学村住人だったから、こんな主張しなきゃいけなかったんだろうな。
当時の「物自体とは純粋なものである」的な、哲学村に特徴的なファロセントリスム症状に対する批判だったわけだ。
で、その説明道具として、ダシとして、未開文明人を取り上げちゃったもんだから、未開文明を臨床する構造主義からぼっこぼこにされちゃった、と。
サルトルはぼっこぼこにされてしかるべきだったんだよな、たぶん。
わたしはサルトルの主張も構造主義の主張も双方採用できるんだけどな。何が対立するのかすらわからん。
サルトルはいわば文学的な比喩で「未開文明的な自然」を「実存」に、物自体にしたかったのだろうが、未開文明人だってそのほとんどは「正常という精神疾患」に罹患している、とわたしは思うもん。
いやわたし構造主義派だし、つか哲学の延長だと思って構造主義やったことないんだけど。
「え? 構造主義って哲学じゃなくて人類学っしょ?」
みたいなね。
あれだ、構造主義派として言わせてもらうならば、当時の構造主義派も野暮だったんだろうねえ。サルトルの主張は作家ならではの言い回しだと思って読むべきだった。
この構造主義派の「字義通りに受け取る」ところがアスペっぽくて笑える。
2010-03-24 水 00:18:26 /URL /脂 /
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構造主義派も「臨床」って自覚さえあれば、哲学に対して冷ややかな視線を送る精神分析みたいな態度取れたかもしれないのにね。
わたしにとって、精神分析と哲学の関係って、哲学ってアカレンジャーみたいな熱血漢を冷ややかに見つめる精神分析、って感じなんだ。で、哲学はそんな態度を取れる精神分析を羨望している、と。
自分に興味を覚えてくれない女にしつこく言い寄る男みたいな感じにしか見えないのだよね、(精神分析と関係したがる)哲学って。
哲学は精神分析に相手されてないにも関わらず(フロイトもラカンも哲学とは距離を置くべきだと述べている。いや哲学的用語を流用してはいるんだが)、精神分析にすり寄りたがる。コンプレックス症状として。つまり好意悪意混在したすり寄り方で。
これって正常人とスキゾイドの関係そっくりだ。
構造主義も、「いや俺たちのやっているのは哲学なんて言語ゲームじゃなくて、臨床の知を実践しているんだ」って自覚すれば、哲学のなんやかやとか「あーフィールドワークしない馬鹿がなんか言ってる」で済んだかもしれないのにな。
2010-03-24 水 00:32:45 /URL /脂 /
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あーそうそう、お前と永井が似ている、ってのは「言っていること」で、お前がわたしの「言っていること」と、その自己陶酔多重人格サイトの人が「言っていること」が似ている、と思ったのと同じようなことかもしれないな。
確かに「言っていること」は似ているかもしれないが、お前と永井の人格はおそらく似ても似つかない。思考回路はまったく別物かもしれない。お前にADHDフレーバーは感じない。
まったく別の過程を経て似たような結論にいたっただけかもしれない。
この「言っていること」以外の要件も考慮して分析するのが精神分析だよ。
だから正常人が「言っていること」と考えない、「言い間違い」や「夢」や「ジョーク」について取り上げているわけだ。
「言い間違い」や「夢」や「ジョーク」なんて「言っていること」からまっさきに除外されることだろ?
つまり、ノイズだ。ここ参照のこと。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-671.html
ノイズとはホログラフィにおける参照光みたいなもんだ。
だから未去勢者は正常人たちの「言っていること」が平面的に見えてしまう。ここのコメント欄参照。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-197.html
あ、ちなみにこのドードーとらさんってのアスペ当事者な。
ノイズって、「純粋なもの」か?
2010-03-24 水 00:51:38 /URL /脂 /
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お前は、この「言っていること」以外の要件を、ノイズを考慮しない思考回路が頑健すぎるから、鬱や離人症になるんだよ。
まさしく「シニフィアン的自己」に囚われたポスト・フェストゥムだな。
2010-03-24 水 00:53:44 /URL /脂 /
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お前が考えた、「わたしの言っていること」や「自己陶酔型多重人格者の言っている」ことは、ただのお前の思考回路の一表出だ。
2010-03-24 水 00:57:03 /URL /脂 /
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アスペを臨床してればわかるんだがな、「アスペはジョークをジョークとして受け取れられない」ってのが、一般的な言説としてあるんだ。
これはまあ、一側面は正しいんだ。
だけどだな、正常人はこの文章の意味を、
「アスペはジョークを本当のことだとして信じ込む」
と考えるんだ。
これは間違い。
「アスペはジョークをジョークとして受け取れない」
というのは、
「ジョークで「笑える感覚」を共有できない」
ってことで、
「ジョークを本当のことだと思い込む」
わけではない。
アスペたちは、
「この人はなんでこんなジョーク(?)を言ったのだろう」
みたいな言語化できない(言語化できないから「考え」とは言えないが)考えというか、違和感というか、少なくとも快楽的ではない感覚みたいなものが生じてしまう。快楽的ではないから「笑えない」。
つまり、これも逆なんだ。
正常人たちの方が、それを「ジョークだ」と思い込んでいて、その思い込みが、「笑える」快楽的な感覚が、たまたま正常人同士で共通されている、って話なんだよ。
そもそもジョークなんて文化が違えば笑えないだろ? 「笑える感覚」は共有されない。
アスペは生まれたときからその文化で育っていても、正常人の感覚で言えば、常に異文化を生き続けているようなものだ、って話。
これこれ。「社会に対する違和感」ではなく「世界に存在することへの違和感」。
いやわたしのこの言い方も「世界に存在することへの違和感」を「社会に対する違和感」に劣化する言い方だけどさ。
未去勢者の「世界に存在することへの違和感」を、正常人にもわかるように説明するならば、まず「社会に対する違和感」から始めなきゃならないんだ。
だけどその入り口で止まってしまう。正常人は。それ以上つきつめようとすると多数派の暴力を持ってそいつを封殺する。
そりゃそうだ、ジョークを言っている人に、
「あなたはなぜそのようなジョークを言ったのですか? 「笑う」という感覚を共有したかったからですか? それはあなたが「笑いたかった」からですよね。だとすると、あなたはあなたが味わいたい感覚を他人に押しつけているだけではありませんか?」
なんて言ったらハブられるに決まってるだろ。ネットスラングで言う「コミュ障」とか言われてハブられておしまい。はいさよなら。
だけど、異文化に移住した人間が、その文化に特有なジョークについて、「これはなんで笑えるの?」って聞いたら、まあ答えなくはないだろ?
結局こういうことなんだよな、相手の思考回路のS1、つまり軸、つまりファルスを傷つけないような言い方をしないから、ハブられるんだよ。アスペは。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080527_asperger_boy_banishment/
2010-03-24 水 01:14:03 /URL /脂 /
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脱線したけど、わたしがお前に聞きたいことはたった一個だけだな。
お前はなんで「ただそうであるもの」を「純粋なもの」だと思ったの?
これ以外は独り言だ。
2010-03-24 水 01:35:37 /URL /脂 /
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>お前が考えた、「わたしの言っていること」や「自己陶酔型多重人格者の言っている」ことは、ただのお前の思考回路の一表出だ。
お前さ、やってることはお前の自分勝手な思考の押しつけなのに、自分のことは徹底的に棚上げするのな。
自分のことについての棚上げが徹底的すぎるから、「喪」に飲み込まれるんだよ。「無」大好きっ子になるんだよ。(ポスト・フェストゥムとしての)鬱や離人になるんだよ。
全然「無」じゃないのに。
こうだから嫌いだ。抑鬱症者って。生理的に。
やってることは男根主義そのまんまなのに。レイプしているのに「僕のちんちんは幻想だ。君のまんこに刺さっているちんちんは幻想だ」と言っているようにしか聞こえない。
抑鬱症者の言うことって。
2010-03-24 水 02:07:26 /URL /脂 /
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レイプしているって自覚があれば、押しつけられてやらないこともないのに。
わたしが感じている「現実感」「アクチュアリティ」を一切見ないでレイプしてくるから、怖気が走るんだよ。
あ、ここだ。永井均の文体・行間にも感じられること。「僕にちんちんはない」って感じ。
嘘つけ。ばりばりあるじゃねえか。ばりばりレイプしてるじゃねえか。
2010-03-24 水 02:09:41 /URL /脂 /
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言葉を発すれば、イメージすれば、それは全て現実界に対しての「押しつけ」になる。
象徴界・想像界が現実界とボロメオの輪として結ばれていない未去勢者にとって、その「押しつけ」は殺されるような感覚に親近する。
象徴界・想像界の駆動、つまりコミュニケーションすべてが、殺しあいなんだよ。未去勢者にとって。
2010-03-24 水 02:12:54 /URL /脂 /
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>非公開コメント さん
最近自分自身ちょっと不安定から完全に立ち直っていない様な気がするので、まあそれが原因かどうか分からないんだけどちょっと突っかかってみたくなったので垂れ流す事にする。
『観点』が多様である事を、あなたは無意識の内に棄却してはいないか?
『観点座標』・『観測角度』・『視界隠蔽処理』には無数の可能性が存在し、それらは当然一人一人違う。正に多様である。かもしれない。
当然実際はあまり多くない可能性だって存在する訳ではあるが、自分が今まで生きてきた限りでは、少なくともこの『三つ組』が全て完璧に同じである様な人は見たことが無い。断言はできないが。当然自分は、他人の内面が見れる訳ではなく、あくまで表層的な行動の違いを見ているだけである。
しかし、内面が完璧に同じであるならば、その表層に表れる部分は比較的似ている様な気がする。しかし、実際はそうではない。
『個性(笑)』と呼ばれるぐらいにそれはそれは多様である。
もちろん、あくまで『人間』という視点で見ているから多様であるように見えるだけかもしれない。『自然』という視点から見たら、もしかしたら全然『多様』なんかではないかもしれない。
しかし、それらの事は、決して『多様』である『可能性』を棄却していい理由にはならない。と自分は思ってしまう。
『観点』が多様である事を、あなたは無意識の内に棄却してはいないか?
駄目、凄くもやもやする。
自分自身のためにここに形跡を残し、頭を冷やす事にする。
以上、愚か者の戯言でした。
2010-03-24 水 22:17:27 /URL /放浪人 /
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2010-03-25 木 09:27:30 / / /
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自分の手を見てもそこに、ない、という感覚がする。ある、という感覚があるべきだと思ってはいないが。ただそこに見えているよりは、ない、という感覚がする。そう主張されている感じに気づくことがある。
喪にのまれているとかいったりするけど。
もちろん聞かれたらあるにきまっている。と答えるし。そりゃあるから。と理解している。そう答えないとおかしいだろうとも。
自分の体も他人もないという感覚か。この見えているものに対して掴めていない。人の体に触れると妙に異物のようなものとして意識する。緊張などなく感情には全く影響ないがただ異物とした感じがして意識する。いつもそうってわけではない。
あるというのは意識がなにか状況状況で考えたりするし、継続しているような感覚はあるし、
前提が、ない、という認識?されている感覚だから思考が働きださないのか。世界が存在
するということについて無意識で見えていないところ。と理解できているところ。ある行動や発言をしているのは理解していると思っているだけなのか。
認識と感覚がないのか。自分の中でそこがあるものと含めていないないから、思考ががそういうのが排除されたものになっている。
そこの層がないから、覆っていないから、みについていないから。
世の中の裏っていう表現があるけど。それって別に地球の表面で起こっているのだし、裏ってそれどうなの?とかいった感じもしたりした。そういうものに区分されるっていうのはしっているけど。
後、四、五歳ぐらいの時に「世の中が暗い」って表現が理解できなかったとかはあった。この歳なら結構多いのかもしれないけど。
手が動いているのを見て当たり前に身につけて。
たぶん、漫画とか文章とかに出てくる世界観内ので「そういうものの世界観」とした範囲で記憶して理解しているのかも。現実用のは自分が現実に解釈を与えるのはなにもかも不適合な言葉にしかならないような感じがして。言葉とその状況の=の関係を感じれない。いや感じれないわけではないが。これはキーボードとかそういった名詞とかは確信的に理解しているけれど。そういう基礎的なものとかは。
あやふやなもの、曖昧な言い方に関わるところは排除されている。分析の所が、そこの層がないから。
たぶん頭の中でこれは「音」である。音楽である、なんという曲である。ここらへんは好きだった。とか全部単純な対応関係になっているようなもの。頭の中で単純化で変換されて
多分、「音」とか「空間」や「自分」とか単語とか実感があって。
生きていてこうした要素があるから今自分がいる、生きているとかいった。範囲が必要な、当たり前の用語とした。そういう常にあり続けているらしきものが
この言葉は確信があっていて、=になっているような感覚。頭の中で妙に現実となっている。まぁおかしいんだけど。ここで意識に虚構が割り込んできている。その前のない、という感覚自体からおかしいんだけれど。現実感がこの虚構で、妙に強く、ある。という感覚がする。「自分」とかも虚構を利用した確信にもなっているのだろう。
実際の手をみたらなく、
痛覚や体の中とか感覚はあるから。感じるところはあるものと無意識でみなされて。でこの感覚があるから体がある。とか。視覚的にはあるという実感がないようなものなのか?こういうところは当たり前なものとみなされて。「現実」として他人と共通の「物質」であるとみなされているからか。
思考している感覚があるから自分がある。とか。
>『観点』が多様である事を、あなたは無意識の内に棄却してはいないか?
棄却されすぎて困っていますwない、とまで感じる人間はすくないだろうけど。
ちなみに今はこの自分の体を見て、ないって感覚は治っている。他人や周りはまだだけど。
自分の体がないとかとおもっているのではない。
>「純粋なもの」
たぶん、自分はある出来事に対してこんな風に起こっている、と自分に納得説明させるための世界観ができているから。その状況対応のパターンを持っているのかも。そこではそういうことができているおきていると。当てはめるような。ここにないあやふやな対応は対処できない、とした。異常に対応の反応できる領域が狭いわけだ。思考がそんな風に割かれて。
ある時の、ものと触れていた時のが記憶になっていて。歪められていない記憶?変に肯定してそれを思い出すとき感じ方が最初の時とは変わってしまったとか。そんな意味で。純粋とかと使ったと思う。そこではそう起こっている。とかいった想像で補われて起こったのか。
「記憶」とかが起こっているもの。あるもの。実在するもの。こうした実在するもの。により世界観ができあがり、対応が行われているのか。
>量子力学における電子って「純粋なもの」
こういうものとは考えていなかった。
2010-03-25 木 09:31:02 /URL /あ /
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>ちなみに今はないという感覚は治っている
ちょっとこれは訂正
普段の肉体の中の感覚?がないではなくなった?なんか違うな。見えている手の輪郭に沿っているわけではない、なにかがあって、そこのがない、ではなくなった。なにか追加された?埋まった?ような感じ。
電波っとる文章(笑)
視覚的な感覚からの手とかはまだうまく収まった感覚のようなのは。ないとは感じているのか。はっきりと把握が起きていない。上の輪郭にそってない、ない、とは違う、ない。
他人のないとか、はなんかまだそっちはいまいちわかっていない。
2010-03-25 木 09:52:38 /URL /あ /
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>ある時の、ものと触れていた時のが記憶になっていて。歪められていない記憶?変に肯定してそれを思い出すとき感じ方が最初の時とは変わってしまったとか。そんな意味で。純粋とかと使ったと思う。
物自体とは一個の純粋なものではない。華厳思想のごとく、物と物は相関しあっている。
しかし、物自体に対する人間のパラノイアックな妄想との相関もある。
前者の相関と後者の相関は別物だ、という話。
君は前者の相関を知らないで、後者の相関しか頭になかったから、「純粋なもの」と言ってしまった、ということだろう。
後者の相関しか頭にないから、その相関に注視しすぎるから、「喪」に飲み込まれるんだよ。「ない」と思ってしまうんだよ。
そりゃそうだ。後者の相関は、かたっぽは妄想なんだから。
「ある」わけがない。
だからお前は馬鹿だと言ってんの。
2010-03-25 木 10:22:58 /URL /脂 /
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2010-03-27 土 04:51:53 / / /
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