不機嫌という意味を付加されたとしても脂さんはこうやって言語化して幾らかカタルシスを得てるんじゃないの?
本当に不機嫌という意味を付加されてしんどいの?
脂さんの才能や表現力のなさとか空っぽ感をそのような不快は一時的にかき乱してくれるんだから
「しんどい」というより「利用している」んじゃ?
2010-03-25 木 13:55:36 /URL /片ブラ /
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別に「利用している」でもいいんだが、途中の文意が意味不明。
カタルシス? 快楽を得ている、ってなら、多少は得ているんだろうな。
多少は得ていてても、それ以外の刺激がある。
つまり、固定的な感情になっていない。
だからしんどい。
>不快は一時的にかき乱してくれるんだから
わたしが不快を得ようとしている、って意味ならそうかもしれん。
だから別に「利用している」でもかまわん。
すまん、本当に君の思考回路がわけわからん。
ワードサラダ君や。
2010-03-26 金 00:27:05 /URL /脂 /
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>不快は一時的にかき乱してくれるんだから
「かき乱される」ことってしんどいことじゃないの?
2010-03-26 金 00:28:18 /URL /脂 /
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あと
>空っぽ感
ではないな。
「空っぽ」とは思わない。
「意味をなくすこと」を君は「空っぽ」と言っているのかい? 文脈上そうなるよな。
意味なんてな人間の妄想だろ? 意味がなくなっても物質はある。全然「空っぽ」じゃない。
ねえねえ、君はなぜ「意味をなくすこと」を「空っぽ」だと思ったの?
2010-03-26 金 00:35:35 /URL /脂 /
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ほら、こういうところがファロセントリスムなんだよ。
「意味をなくすこと」を「空っぽ」だと思ったのはお前個人だ。
お前個人の感覚が、わたしにも共通するという前提で、上のコメントは書かれているよな。
これが押しつけだよ。ファロセントリスムだよ。
抑鬱症者に特徴的な。
わたしにとって抑鬱症者って、世間からほぼ加害者だと思われない、いわば完全犯罪をしている犯罪者みたいなもんだ。
その犯罪の被害は、わたしだけにしかわからない。
2010-03-26 金 00:39:17 /URL /脂 /
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あー片ブラさんがワードサラダ君じゃなかったらごめんね。ホストが同じ会社だったからそうだろうなって思っただけ。別に違ってもかまわない。
んで。
「意味をなくすこと」=「空っぽ」って公式は、正常という精神疾患(イコール神経症、ラカン論においては)の主観世界内では、多数決的に正しいと思うよ。
っていうのはだな。
んー。
抑鬱症ってのは、精神分析においては心因性として議論されていて、この時点で現代精神医学の鬱病とは別物となるんだが、まあ現代の精神科でも「心因性ではないと言いきれない抑鬱症状」を「抑鬱状態」って診断しているから、別に「心因性の抑鬱症状」が否定されているわけではないんだよな。鬱病は非心因性だとしても、抑鬱症状がすべて非心因性であるわけではない、ということ。
で、精神分析の「心因性の抑鬱症」ってのは、神経症に分類されるんだな。つまり去勢済み主体が罹患する病気として体系化されている。
精神分析は抑鬱症を「喪」の症状だと解釈している。
これはすんごく簡単なこと。誰か親しい人が突然死んじゃったら、人って抑鬱状態に陥るだろ? 「喪」の状態。喪失感。
で、そういう状態のとき、大体さ、ありがちな表現で、
「何もかもが無意味に思える」
とか
「自分が空っぽになったみたいだ」
とか言うじゃん。
つまり、その人にとって「意味のある」「意味として強い意味を持つ」人が死んだから、喪失感に襲われるわけなんだな。
つまり、「喪」とは、意味の喪失感だ、というわけ。
ほら。
君が少しの疑いもなく
「意味をなくすこと」=「空っぽ」
としたのは、抑鬱症の主観世界の構造として、とっても理にかなっているんだよね。かないすぎてつまらないくらい。
そーゆーこと。
2010-03-26 金 01:31:00 /URL /脂 /
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結局さ、(君がワードサラダ君だとして)前記事で君がした思考、「ただそうであるもの」を「純粋なもの」として考え、「それってあるの?」と思ったことと、ここにおける思考回路って、構造的に同じじゃん。イメージ的に。
要するに、神経症者の不快・苦痛とは別物の、未去勢者たちの不快・苦痛たる、「物自体が相関することの痛み」を、君がわかっていないだけなんだよ。
そのことに君は気づいているのかもしれないが、君の無意識は、君の神経症としての不快・苦痛を、わたしの不快・苦痛にあてはめようとしている。
細かい検証抜きで。
そうだろ? たとえば今回は、「わたしが「意味をなくすこと」=「空っぽ」だと感じているかどうか」という検証なしで、勝手に思考を進めている。
ラカンは去勢済み主体の思考回路をハイウェイと呼んだ。
こういうことだと思うよ。
君は「俺の主観世界」でわたしを征服しようとしている。
ハイウェイをふらつく野良猫を轢き殺している。
だからファロセントリストなんだよ、君は。
2010-03-26 金 01:39:42 /URL /脂 /
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草を食む
定型者のコミュニケーションは
「白ヤギ黒ヤギ型コミュニケーション」と名づけられるのでは。
2010-03-26 金 02:16:26 /URL /スカラベ /
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脂さんは「脂さんの究極的に求めてるもの」以外は全て(空っぽ)=(不必要としか思えないもの)に見えてしまう
だけど強制的にそのうんこみたいな「不必要としか思えないもの」を目の前に押し付けられることで
きっと今だって、こうやって嘲笑ってる、軽蔑してる。「は?wなにそのうんこ(みたいな考え)?おいしいの?w」って。
まるで奴隷扱い。
別に、それがうんこじゃなくても、人間でも、浅薄な考えでも、なんでもいい。
要は中身がまるでないってこと。空っぽ。空っぽのものとしてしか対象を見ていない。
全て自分の正当化や理論武装の道具として扱っている。
別にそれはそれでいい。
問題はそれをあまり自覚していないこと。若干のためらいが見てとれること。
あらゆる行為の端緒や原動力である、恐怖に駆動されたいがために、脂さんは
「ほらね?やっぱりわたししか分からない、見えない」
というように、あまりよく見極めもしないうちに(ファロセントリスムだ抑鬱症者だとか言って)他のウンコを人を思想を、異物として排除し、もはや脊髄反射的にそれらに恐怖を感じるようにしているのだから、例えそれらが
「自分をかき乱し、しんどくさせるもの」
であったとしても一蹴してしまえるはずなのに、脂さんは独断に陥りたくないのか、死ぬしか考えられない自分の運命を受け入れたくないのか分からないけど、他のウンコや人や思想の改善を促す、仄めかす。
あくまで受動的な生産性。そこにキリも何の見込みもないことも分かってるはずなのにね。
じゃあ代わりを何に求めるべきかっていうのは、所詮五十歩百歩かもしんないけど
自分の場合は「学問」(脂さんの言う精神分析かな)オンリーに望みをかけるべきだと思う。
要は自分から行動して学びとるような「積極的な生産性」に自分の全てを託す。
そこに、箸休め的に他のウンコや人や思想の改善を促す、仄めかす「受動的な生産性」を混入させるから葛藤を引き起こす。アンビバレントな自分になり、引き裂かれるような苦痛を覚える。
脂さんはきっと、今の自分自身の状況把握ができてない。今、私はどのあたりにいるのか、とことん精神分析学んでダメなら、どうすべきなのか。
それは自分自身にしか分からないよ自分自身で決めるものだよ。時折思慕する終わりのときも。
でも、取り返しのつかないところまできてしまったと今さら嘆いて誰かに聞こえるような場所にはもう、脂さんはいないと思う。
どうしようもないほどの取り返しのつかないところの先をとことん突き進んでいくのが今の脂さんの性向にあった生き方だと自分は感じる。
だから今さら「受動的な生産性」で後退りしてる脂さんには違和感を覚えた。
あ、ワードサラダくんではないです
携帯厨です長文すまそ
2010-03-26 金 03:09:32 /URL /片ブラ /
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>脂さんは「脂さんの究極的に求めてるもの」以外は全て(空っぽ)=(不必要としか思えないもの)に見えてしまう
あの……「空っぽ」って言ったのはあなたなんですが。
「不必要」は、語義的には違うと思うけど、ニュアンス的には「無意味」と似ている気はするので、まあええかな、と。
>今の自分自身の状況把握ができてない。
正常人の考える「状況把握」ならば、まさしくそれは鏡像関係なので、未去勢者は「自分自身の状況把握ができてない」となるだろうね。
「鏡像関係の組み入れの失敗」と同義語と考えれば、ってことか。
「私はお前のことについてわかっている。お前はわかっていない」
ってことを言いたいの?
それは別にええよ。わたしのわからないわたしの部分もあるだろう。
自分の手なら見れるけど背中は見られない。
でも、だからと言って、「わからない部分もある」が、「あなたは自分自身がわかっていない」となる思考回路が、理解できない。
ごめん、何が言いたいのかわからない。
語義的な意味は理解できるが、君の言葉は頭の中を素通りしている。
わたしじゃないわたしを見ているようだ。
君はわたしと会話しているんじゃないんだよ。君は「君の想像上の脂さん」と会話したがっている。
「僕の想像する脂さんでいろ」
って言いたいのかね。
そうならわたしの「ファロセントリスム」という指摘は正しい、となる。
違ったら保留する。
それだけのこと。
平たく言ってみよっか。このコメントに対するわたしの感覚。
「なんてつまらん文章だろう」
2010-03-26 金 07:35:48 /URL /脂 /
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このブログで「空っぽ」って言葉使ったなーそう言えば、と思って検索した。
そーそー、「空っぽの身体」だ。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-615.html
この記事最後の方の文章。
これ結構、鏡像段階論の鏡像関係というイメージ以外の部分をうまく示唆できているなあ、と思うんだよな。
わたしが。わたしにとって。
だから読者に「うまく示唆」できていなかったとしても、あんまりわたしはどうでもいいんだな。
2010-03-26 金 07:39:31 /URL /脂 /
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>どうしようもないほどの取り返しのつかないところの先をとことん突き進んでいくのが今の脂さんの性向にあった生き方だと自分は感じる。
突き進んでいく先の世界は「迷子の森」だっつに。
迷子っぽいところが、「突き進んでない」感じになるんだろうな。
まいったね。
そうだね。
うん。
よく言われるよ。そんな構造のこと。
わたしをファルスに仕立て上げようとすること。
ファルスになりたいんだよ。ファルスを所有したいんだよ。
正常人化したいんだよ。
だからそういった「命令」は、ありだよ。わたしに対して。君は「命令」のつもりじゃないだろうけど、「命令」だと仮定して、こう述べた。
この「森の迷子」が、普通の迷子と違うところは、森の中で人影を見つけたとして、「ああ助かった」と思ってそこに駆けよらないところだ。ここのコメント欄参照のこと。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-613.html
迷子状態って、そりゃあ「どこかに突き進む」状態とは言えないよな。イメージとして。
似たようなことを妖怪紳士にも言われたよ。「脂さんはもっと突き進むべきだ」みたいなな。
「わたしは別に「突き進んで」ないんだけどな」
みたいな反論したと思う。
エントロピー増大則に従うことが、「突き進む」ことなのか。
やっぱり結局は通じないんだよな。
2010-03-26 金 07:58:54 /URL /脂 /
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最近自分の周りにあるパロールが空耳に聞こえる。普通の会話が空耳アワー。
聞き間違い、じゃないんだよな。頭ではわかっている。頭でわかっているその意味が、無意味に思える。
あーちげえな。
まーいーや。
君の文章もそういったわたしの現状においてそうだ、って話だから。
別に君の文章だから「つまんない」ってわけじゃない、たぶん。
2010-03-26 金 08:03:22 /URL /脂 /
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あ、これ離人症っぺえことか?
2010-03-26 金 08:06:01 /URL /脂 /
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>空っぽ感
か・・・まったくどうしたもんかね。
抑鬱症連中にとっては器=サラダボウルなんだ。
例えば、
竹製の器に盛りつけた鶏肉を炭火であぶったモノ→ ヤキトリ
モチ米の器に盛りつけた漉し餡を球状に平したモノ→ オハギ
海藻の器に盛りつけた酢飯と干瓢をたわませたモノ→ ノリマキ
とかは脳が理解できないとしてあっさり「棄却(笑)」。
症例:
「さてキチガイが好むこれらユニークな比喩は、既に一般的な器の形状や盛りつけという概念を逸脱している、それらは百歩譲って調理器具もしくは調理途上の食材と称されるべき何かであり器でも料理でもない。
しかしキチガイにそれは理解できない、なぜなら彼らはモノ自体が意味を失ったバラバラでキラキラ、よく言えば純粋な幻想の世界でのみ生きているからである、彼らに現実は見えない。
逆に言えば(←これ大好き)ヒトの言葉の定義を逸脱してる彼らはヒトではない、そうキチガイである、この場合我々がキチガイにしてやれることは・・・」
(上記文章はイメージです。お一人様一点限り)
とか何とか屁理屈こねてな。
単なる石頭のくせに、マスタークラスに向かってえらそーに「空っぽとは何か」とかタレやがるから笑止千万なんだよ、連中の言うところの「空っぽ」理論なんざ無重力で通用するかよ。
ほんといつもありがとな。
2010-03-26 金 09:50:38 /URL /○っ○ /
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森ってよりは樹海に来てるんじゃない?しかもかなり奥のほうまで。そこらへんの自覚が足りないんじゃないかな。
かといって脂さんは他の自殺願望者と同じく、そこに「死にに来ている」わけじゃない。
きっと、酸素が吸える、呼吸ができるようなところ、つまり現実味がわく唯一のところを五感(手探り)で必死にかき分けていったらそこ(樹海)に来ていた。
そしてそこで拾える肉片やらなんやらを必死でかき集めて、しまい込んでは食料にして脂さんは糊口を凌いでいる。
そんな自分だけの領域、世界にガサゴソと不気味な音がしたら当然びくつく。
びくつくけれど同時に「助かった」とも思う。
でもそれは決して正常人の「これで状況が好転する、生きて帰れる」という意味の「助かった」ではない。その人だか獣だか分からないが確かに蠢いているおぞましいものが私を殺してくれる可能性があることに
「ああ助かった」と思う。それはあぶらさんのいう「正常人は狂気」だからだ。一応そのおぞましいものに脂さんは近づいてはみるんだ。けど、すぐに「違う」と見切りをつける。
だから結局それらは脂さんにとってさらに孤絶を加速させ、寿命を縮まらせるものでしかない
分かりやすいくらい凝り固まったそれらを、理由または踏み台にして死ねばいいものをね。
だって場所が場所なんだよ?
ここにいるってことは半分くらいは殺されることを望んでいるでしょ?
もう半分くらいは死んでも仕方ないなって気持ちでいるのが肝要なんじゃないか?
それをまだ諦めずに必死にもがいて探索して例えば今回のエントリーのように言葉で四コマ漫画式に現地報告するのは自由なんだけどさ、オチがないの。
三コマ目まではわかるよ。こういうこと言いたいんだろうな、なるほどやっぱこの人すごいなって共感できるところもある。
だけど肝心の四コマ目は、書きあぐねてるばかりか苦しみ悶えてるようにも見える
じゃあここはこうしたらああしたら?っていう一種の提案を自分はしたかったわけ。だから決して主観を押し付けてるわけじゃない。はず。
2010-03-26 金 11:47:42 /URL /片ブラ /
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>じゃあここはこうしたらああしたら?っていう一種の提案を自分はしたかったわけ。
うん。それがファロセントリスムじゃん。
「わたしが苦しんでいるから」
なんかじゃなく、
「君がわたしが苦しむのを見て不快になることから君が勝手に避けようとしてわたしに君の想像上のわたしを押しつけている」
状態。
なんかワラタわ、あ、こういう笑みを嘲笑っていうのかね。
2010-03-26 金 12:21:41 /URL /脂 /
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わたしに「もっと地獄を味わえ」と言っているのなら、残酷演劇の観客の野次としては、ありだろうな。
ちょっと休ませてくれよ。
AV女優だってセックスしてない時間だってあらあ。
2010-03-27 土 06:15:08 /URL /脂 /
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はじめまして。
この記事(本文ね)読んで「あー分かる」と思っちゃった。ごめんなさい。わたしが同じようなことを書いて「あー分かる」と言われたらブチ切れそうになると思うので謝っておきます。
「あー分かる」でも「頭おかしいんじゃね」でも「お腹空いた」でも「あはがすぬてれ」でもあまり変わりはないので流して下さい。
まあ、脂さんが「なてまやかばなかなつ」と書いてたらわたしは反応していなかったかもしれないですが。
コメントのやりとりについては、こういう話すると何故かいつもこういう展開になっちゃうよねー、という印象。
返信する脂さんは偉いね。わたしだったらもうどうでもよくなると思うわ。
偉いねって言い方もどうかと思うけど、言葉を探すのが面倒なので。どうもすいません。
では御手洗いお借りしました。
2010-03-27 土 14:43:50 /URL /ぷう子 /
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>だけど肝心の四コマ目は、書きあぐねてるばかりか苦しみ悶えてるようにも見える
「突き進め」は「もっと苦しみ悶えろ」って意味か。
今把握した。
2010-03-27 土 14:51:01 /URL /脂 /
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一般的には嘲笑される世界、世界そのもののそいつ(つまりこのやり取りでのわたし)が嘲笑している、ってことか。
わたしの想像上の片ブラさんについて「嘲笑したいんじゃないの?」って思ったから嘲笑したのか。
嘲笑されるべき場所に「突き進め」といわれているように思ったから嘲笑したのか。
とりあえずそういうことにしておこう。
2010-03-27 土 14:53:21 /URL /脂 /
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ちゃんとうんこが流れたかが気になって何度も見てしまう。
本当は1秒おきにページ更新したいくらい。何を期待しているのか。ただの構ってちゃんだったみたいです。馬鹿でー。
出しちゃったものはもうどうしようもないので知らんのですが、脂さんはコメントに返信しているのではなくただ出してるのかも、出してるというより出ているだけかも、と思って、なんか失礼?勘違い?なこと書いた気がして、また書いてしまいました。
分かんないけど!
あと、以前から読んでいて言いたかったことを思い出しました。
わたし日常的に便秘うんこを指でほじりますよ。人に話す機会はなかったのですが、他にもしている人がいるんだー!と驚き、喜んだ(なんで喜ぶんだ)ものです。
意外と(意外なのか?)している人は多いのかもしれないですね。
また何度もコメント欄見てたら笑っていいですよ。
いや、許可なんかいらないよな。笑うだけの何もないかもしれないし。
お前のうんこはどこにも流れつかないよ!
あーほんと馬鹿らしいわ。
(構って構って!)
2010-03-27 土 22:44:05 /URL /ぷう子 /
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俺もうんこ ぶりぶり
俺は自分が世界で(とまではいかないけれど)一番強いと思ってる。もちろん人一倍弱いことも自覚はしてる。でもその弱いってのは傷つきやすいという意味であって、決して簡単に弱音を吐くとかすぐ挫けてしまうという意味ではない。
私というぬいぐるみはやっすい中古品だからかすぐに傷がつき、ぼろぼろになってしまうのだけれど存在していることには代わりない。だから「それでも私は生きている」と言わんばかりに堂々とその姿を、傷痕を見せてやろう。正常人はそれを弱さと嘲笑うだろう。
いや、違うと。根拠を示すんだ。根拠を示すためにさらに自分を傷つけるんだ。リスカやODで自分を傷つけ切れないならまだもっと他の方法があるはずだ。
それは、、つまり、例えば自殺とか虚空を睨み付けながら放つ呪詛か?
本当にそうか?
きっと、そんなもんじゃない。
私はもっと苦しんでいる。私はもっと傷ついているはず。そうだ、言葉だ。言葉なら微に入り細を穿ち、思う存分私の実存にまで届きうる。もっともっと私をずったずたに切り裂き、解剖することができるんだ。
それができないなら正常人として生きろ
できるならつべこべいわず苦しみ続けろ
わかんないなら二階堂のように死ね
2010-03-28 日 01:22:11 /URL /片ブラ /
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根拠(笑)。
2010-03-28 日 08:50:00 /URL /脂 /
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片ブラさん構ってもらえていいなー
でも言葉なんてそんな大したものじゃないと思いますよ。実存になんか届かねえよ。てか実存てなんだよ。「このわたし」みたいなものを信じていられるあなたは十分に正常だよ。死ねばいいのはあなただよ。生きてたからって関係ないけどさ!
まああくまでわたしの考えですけどね。わたしもわたしの考えなんか知らないけどね。わたしの考えとか本気うざいわ。
でも今この状況からの引き際が分からない!ひとり相撲楽しい!オナニーなら部屋でやれよ!(死ね)
2010-03-28 日 09:27:32 /URL /ぷう子 /
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>俺は自分が世界で(とまではいかないけれど)一番強いと思ってる。
どういう意味?この強いって。具体的にどういう状況か具体的に説明可能な意味での「強い」?
説明できないけどそうなっているの?
>根拠
自分を傷つけるがこわくない、俺は強い!ってことか?そのきついと君が思っている、誰かがいった状況でも自分は制限されずに自由にできるってことが強いとかなの?
その基準とか考え方を強いとかと思わない、全く相手にしない人間判断の基準を持っている相手にたいしては想定できる?その内容が通用する相手を無意識に探していったりしてそう。
変に岡本太郎にでもかぶれしてそうな感じ。
君が自分を正常人じゃないと思っている特徴はなんなの?リア充じゃないとか?
関係ないけど脂さんってしょっちゅう泣きまくりなの?
2010-03-28 日 11:26:59 /URL /えーとん /
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何か色々な人達が集まってきている様だ。だからどうって訳ではないが。
>俺は自分が世界で(とまではいかないけれど)一番強いと思ってる。
最上級も比較は比較である。
本当の強さとは比較によって、相対化によって顕現する概念ではないと自分は信じている。
本当に『強い』物は、ただただ『強い』だけである。『それ』に対しては、それ『より』強いとかそれ『より』弱いといった比較は、意味を成さない。そんな気がする。
いや、何かって言うと、『強さ』を『相対性』の中に求めている辺り、あなたは『正常人』的だと勝手に思った次第。それだけ。
以上、愚か者の戯言でした。
2010-03-28 日 18:48:55 /URL /放浪人 /
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そもそもさっきの文章はメンヘラ女子高生に送ろうとしてやめたものだから
「俺は強い」ははっきりいえば誇張表現。
それらしく繕うなら
もっと「主体性を持って」悩める、苦しむことができるということを詩的&皮肉的表現によって喚起させ示唆しようという意図をもって表出したもの。
「完全自殺マニュアル」ってあるじゃん。あれの目的と同じ。死にたい人を自殺に導くんじゃなくて、こうやってああすれば死ねますよということを開示することで、どうやら「死」というのは今の私と全く関係のない、ただ私を苦しめるものだというわけでもなく
実はもっと身近な一つの行為における可能性や選択肢として取り入れても問題がない、いやむしろ取り入れれば長年どうすればいいかと思い悩んだあげく、滞ってしまっていた回路の通りを良くする潤滑油のような働きをするかもしれないものだということを知らしめるためのものなわけ。
ただいきなりそんなこと言われたって正常人は納得できないだろうなーってことで、生と死の代わりに持ち出したのが弱さと強さという、常日頃誰もが実地に絡みとられてるような二項対立の問題。
この問題なら満場一致で
「強くなりたい」と、弱さより強さを断然秀でたものと考えて誰もが答えるだろう。では強くなりたいということは具体的にどのようになることをいうのか。ここらへん、なぜか皆勘違いしてしまいがちなのだが
基本的に正常人は、「生にしがみつくこと」を強さだと思っている
ところがだ、強さとは放浪人さんがいったように、「ただただ強いもの」であるからして、人間にとってのそれは「死」以外のなにものでもないはずなんだ。
その事実を見て見ぬふりしたり「死」を「性」や「生」によって体現しようとするから、「どう頑張ってもうまくいかない、しんどい」状態が生じる。そこで自分が最低でもそのような人にしてあげられることというのが、商品の買い替えの提案だ。
MicroSD1GBの「性」や「生」にもうあなたの入れたい苦しみデータは携帯というあなたの心に入らないよ、ぱんぱんだよと。
それなら「死」という4GBのMicroSDカードに買い替えて苦しみデータを入れなさいってこと。
もちろん窮屈なMicroSD1GBの中で苦しみの精選、抽出をする時期(本当に苦しむべきことを考える時期)も必要だ。
それはちょうどこの記事(
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-408.html)でいう彼女が引きこもってた時期のこと。
そして「死(MicroSD4GB)」を持ち出すとはおおきな本屋さんに連れていってあげるということ。
なぜわざわざそのようなことを自分がするのかといえばかつて自分も正常人だったから。正常人の世界に押し込められてきたから。
同胞でもなんでもないのになんかいきなり妙な共感ゲーム始められちゃったり、いやそれ、そもそも何語だよ!って突っ込みたくなったりね。
それらに純粋に吐き気を覚えてしまうマイノリティの気持ちも考えろってんだ
あらゆる言動が矢のように突き刺さってきたよ。あれはまじで砂かけばばあだねまさしく。かけてくるだけじゃなく口んなかに流し込んでくる。噛め噛めって。バッカじゃないかってもう自分の場合、それらの暴力は迷惑を通りこしていつからか呆れきってしまったんだよね。
砂かけばばあ明らかに素っ裸だろ…
って。
裸の王さまならぬ
裸の砂かけばばあ
だからほんと何故誰もそれを指摘しないのかと思いながら、1人で考えるしかないと思って散々苦しみながらも奇跡的に生きてきたよここまで。そしたらなんとなく見えてきた。死の舞踏を様々な形で繰り広げている人たちの姿が。存在が。結構最近のことなんだけどねー。だから脂さんも自分の殻に閉じ籠りきってないで出てきてほしいな。物わかりいい脂さんなら別に俺がどうこう言わなくたって分かるっしょ?買ってきなよ。おおきな本屋にでも行ってさ。4GBのMicroSDカード(死)をね。
2010-03-29 月 20:28:09 /URL /片ブラ /
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