なんでなんでもかんでも「人」に結びつけちゃうのか。
2010/03/28/Sun
拍手コメント欄から。
=====
悪化が目的だと貴女は常日頃言ってるが、シューティングゲームで敵から逃げ回ってる抑鬱症者ってのはやっぱ貴女自身だな。
=====
この人は前記事のコメント欄についてこう述べているのだが、びっくりした。ここまでわたしの文章を読めていないのか、と思って。
この人は誰かとぎゃーぎゃーやりあうことが「シューティングゲーム」だと思っているらしい。
はあ。
なんかもうね。
この言葉は何を指しているか考えてみなよ。
わたしは、ワードサラダ君が、自分のことを執拗に棚上げしていることを「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている状態」と述べた。
ここでの「敵の弾」ってのは、「他人からのちょっかい」ではない。そうである場合もあるが、そうとは限らない。
要するに身体反応だ。象徴化も想像化もされていない、ただの刺激。刺激という身体内部の様態。
はあ。
なんかもうね。
この記事でも書いてるじゃん。
脳内ニューロンの作動そのものが「敵の弾」だ。
なんでこうなんでもかんでも「人」に結びつけちゃうのかねえ、「人」って。わざわざ「敵の弾」って「人」っぽくない表現してるのに。
なんかねえ。
わかった顔で細かい考察抜きに「あなたはあーだこーだ」とか言ってくるのがやけに増えてきたんだが。
引き際かね。
読者に馬鹿が増えたから、あるいは最初から馬鹿が多いのをわたしが知らないだけだったのかもしれないが、どっちでもいいだが、まあそんなような感じ。
飽きた。
調子のんなよ馬鹿どもが。
お前らはただの読者だ。
返信きた。
=====
てか貴女は敵の弾を人に結びつけてると読んだのか。
=====
うん、そう読んだ。
違うなら、前記事のコメント欄のわたしについて、「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」とあなたが読んだ理由を説明してくれ。
前記事のコメント欄について、まずわたしが「逃げているかどうか」を考察する。
逃げているわけではないが、逃げていると言われてもおかしかない状態だと思う。
わたしが前記事コメント欄で逃げているのは、「人なるもの」からであって、ワードサラダ君との会話の文脈上にある「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」という言葉が示す状態とは別物だ。
抑鬱症は「人なるもの」が「無」になった状態ではない。その「無」は「人なるもの」を構築する過程と同じ過程を経て得る「「ある/ない」という幻想」である。要するに「フォルト・ダー」遊びである。
したがって、「人なるもの」が「無」になっている、と思い込むことこそが、それによって喪失感を感じることが、「人なるもの」の裏打ちに裏打ちされていることの証拠なわけだ。
話がそれたが、まあ要するに、わたしの主観において、わたしが言った「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」という表現によって示したかったことと、前記事のコメント欄におけるわたしの状態は、どう考えてもつながらない、ということだ。
ワードサラダ君は「わかりやすい説明」だって言って納得してくれたみたいなんだけどな。この説明な。
=====
>ある時の、ものと触れていた時のが記憶になっていて。歪められていない記憶?変に肯定してそれを思い出すとき感じ方が最初の時とは変わってしまったとか。そんな意味で。純粋とかと使ったと思う。
物自体とは一個の純粋なものではない。華厳思想のごとく、物と物は相関しあっている。
しかし、物自体に対する人間のパラノイアックな妄想との相関もある。
前者の相関と後者の相関は別物だ、という話。
君は前者の相関を知らないで、後者の相関しか頭になかったから、「純粋なもの」と言ってしまった、ということだろう。
後者の相関しか頭にないから、その相関に注視しすぎるから、「喪」に飲み込まれるんだよ。「ない」と思ってしまうんだよ。
そりゃそうだ。後者の相関は、かたっぽは妄想なんだから。
「ある」わけがない。
=====
君は、「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」という表現が示す物を、物を理解できないのは当然なのだが、意味すらも、理解できていない。
ただそういうことだよ。
「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」という表現を、君なりの表現として用いた、と言うなら、君の文章における「敵の弾から逃げ回っているから抑鬱症だ」というのは成り立たないよな。これはわたしの文脈を利用しているわけだから、「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」という表現は、わたしの表現として、君は用いていることになる。
余裕を見せたがっているのかね。
つまんない人間だな。
君という人間の話ではなく、わたしの理屈を勝手に改竄されたことに対する反論だな。
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悪化が目的だと貴女は常日頃言ってるが、シューティングゲームで敵から逃げ回ってる抑鬱症者ってのはやっぱ貴女自身だな。
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この人は前記事のコメント欄についてこう述べているのだが、びっくりした。ここまでわたしの文章を読めていないのか、と思って。
この人は誰かとぎゃーぎゃーやりあうことが「シューティングゲーム」だと思っているらしい。
はあ。
なんかもうね。
この言葉は何を指しているか考えてみなよ。
わたしは、ワードサラダ君が、自分のことを執拗に棚上げしていることを「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている状態」と述べた。
ここでの「敵の弾」ってのは、「他人からのちょっかい」ではない。そうである場合もあるが、そうとは限らない。
要するに身体反応だ。象徴化も想像化もされていない、ただの刺激。刺激という身体内部の様態。
はあ。
なんかもうね。
この記事でも書いてるじゃん。
脳内ニューロンの作動そのものが「敵の弾」だ。
なんでこうなんでもかんでも「人」に結びつけちゃうのかねえ、「人」って。わざわざ「敵の弾」って「人」っぽくない表現してるのに。
なんかねえ。
わかった顔で細かい考察抜きに「あなたはあーだこーだ」とか言ってくるのがやけに増えてきたんだが。
引き際かね。
読者に馬鹿が増えたから、あるいは最初から馬鹿が多いのをわたしが知らないだけだったのかもしれないが、どっちでもいいだが、まあそんなような感じ。
飽きた。
調子のんなよ馬鹿どもが。
お前らはただの読者だ。
返信きた。
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てか貴女は敵の弾を人に結びつけてると読んだのか。
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うん、そう読んだ。
違うなら、前記事のコメント欄のわたしについて、「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」とあなたが読んだ理由を説明してくれ。
前記事のコメント欄について、まずわたしが「逃げているかどうか」を考察する。
逃げているわけではないが、逃げていると言われてもおかしかない状態だと思う。
わたしが前記事コメント欄で逃げているのは、「人なるもの」からであって、ワードサラダ君との会話の文脈上にある「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」という言葉が示す状態とは別物だ。
抑鬱症は「人なるもの」が「無」になった状態ではない。その「無」は「人なるもの」を構築する過程と同じ過程を経て得る「「ある/ない」という幻想」である。要するに「フォルト・ダー」遊びである。
したがって、「人なるもの」が「無」になっている、と思い込むことこそが、それによって喪失感を感じることが、「人なるもの」の裏打ちに裏打ちされていることの証拠なわけだ。
話がそれたが、まあ要するに、わたしの主観において、わたしが言った「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」という表現によって示したかったことと、前記事のコメント欄におけるわたしの状態は、どう考えてもつながらない、ということだ。
ワードサラダ君は「わかりやすい説明」だって言って納得してくれたみたいなんだけどな。この説明な。
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>ある時の、ものと触れていた時のが記憶になっていて。歪められていない記憶?変に肯定してそれを思い出すとき感じ方が最初の時とは変わってしまったとか。そんな意味で。純粋とかと使ったと思う。
物自体とは一個の純粋なものではない。華厳思想のごとく、物と物は相関しあっている。
しかし、物自体に対する人間のパラノイアックな妄想との相関もある。
前者の相関と後者の相関は別物だ、という話。
君は前者の相関を知らないで、後者の相関しか頭になかったから、「純粋なもの」と言ってしまった、ということだろう。
後者の相関しか頭にないから、その相関に注視しすぎるから、「喪」に飲み込まれるんだよ。「ない」と思ってしまうんだよ。
そりゃそうだ。後者の相関は、かたっぽは妄想なんだから。
「ある」わけがない。
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君は、「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」という表現が示す物を、物を理解できないのは当然なのだが、意味すらも、理解できていない。
ただそういうことだよ。
「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」という表現を、君なりの表現として用いた、と言うなら、君の文章における「敵の弾から逃げ回っているから抑鬱症だ」というのは成り立たないよな。これはわたしの文脈を利用しているわけだから、「シューティングゲームの敵の弾から逃げ回っている」という表現は、わたしの表現として、君は用いていることになる。
余裕を見せたがっているのかね。
つまんない人間だな。
君という人間の話ではなく、わたしの理屈を勝手に改竄されたことに対する反論だな。