『たとえ世界が空から落ちても』
2010/04/02/Fri
中島みゆきは『グッバイガール』が好きだ。曲調というより歌詞が。
で、このあたりの歌詞って他の人が言うには「強烈」なんだな。ふうん、って思った。普通、というか、素だろ? って思うんだけど。「大仰」ではあると思うけど。それがまあ癇に障るところではあったけれど、「大仰」にしないとわたしの素はわかってくれない、というのを舞台役者やって学んだおかげか、大学生のときによく聞いたな。このアルバム。
『たとえ世界が空から落ちても』って、「空が落ちてくる」わけじゃないんだよね。世界が空から落ちてくる。それまで世界は空にあった。
そうか、って今頃気づいた。
夢分析において、空を飛ぶ夢は、象徴界への参入を示す、というのがある。ここでもちらっと書いた。去勢の回帰として、特徴的な夢だ、というわけだ。去勢済み主体なら去勢の承認になるだろうし、未去勢者なら、いっときだけ意味の世界を生きることに、つまり正常人化することになる。
すでに象徴界に参入していることの、意味の世界を生きていることの、空を飛んでいることの自覚としての夢か、自分が今まで見上げてきた意味の世界に、いっときだけでも参入できたこととしての夢か。
未去勢者は、いっときなんだよ。落ちちゃうんだよ。世界が空から落ちてくる。意味の世界が。存在することに違和感を感じてきて、いっときだけ違和感が解消されていた世界が、空から落ちてくる。
意味が落ちてくる。意味が意味じゃなくなってしまう。
でも、意味の世界が落ちてくるわけだから、意味のない意味として、その世界はあるだろう。
だからこの歌は、悲恋の歌ではなく、ラブソングなのだ。わたしにとって素の。
かばう、のか。
意味の世界からかばうことによって、意味のない意味を生成する。
そうか、それが正常人と未去勢者の愛か。
意味のない意味。
そんなものあるとはできないよ。理屈に反している。
だから愛は存在しない。
愛じゃない意味。それは意味のない意味。
だからこれは愛じゃない。ラブソングじゃない。
そいつに意味を感じないことが愛ならば、ラブソングでいいけれど。
これをラブソングだとしちゃだめだよ、正常人は。これも悲恋の歌だと、ふられた女が妄想で歌っているだけだと考えなきゃ。
そうじゃなきゃ正常という精神疾患の精神構造にあてはまらない。
うん、知り合いはこの曲悲恋の歌だと思ってたらしい。わたしが歌詞を説明して「恋愛の成就を歌ってるじゃん」って言ったら、「いやみゆきってそういう歌ばっかりだからさ」とか笑ってごまかされた。
そうだとしても、なんでこれを悲恋の歌だと思うのだろう。
わたしの恋愛は(一般的な見方からすると)悲恋だ、と言われている気がした。
そんなことを思い出した。
意味わかんない。意味がわかんない。
「見える物だけをあるとする」ことと、「見えている物を疑う」ことは、同じ状態だ。
他の人とは違う世界を見てきた人間にとって。
お前たちの目が幻想に、意味にまみれてしまっているから、こんな矛盾することを言わなければならない。
お前たちのせいなんだよ。
犬とか猫とかってさ、飼い主の帰りを玄関で待ってたりするじゃん。足音とか気配とかで、主人かどうかを判別する、って。
でも犬だって間違えるよ。うちの犬、何年かぶりに帰省したわたしにほえたりしたもん。
猫だってそうらしいよ。知り合いの猫が、父親にすげえなついてて、人間にはなんにも聞こえないのに、父親の車の音を聞きつけて、玄関で待ってる。そうだとわかったのは、父親以外の人がその車で帰ってきても、玄関で待つらしいんだな。だからわかった。まあでもその車の音は聞き分けてるんだろうけどね。別の車には反応しないらしい。母親の車とかには。
でもさ、この「間違える」って、人間視点から見て「間違える」なわけでしょ? たとえば飼い主であるわたしにほえずに、知らない人にほえる、って言うのは、まあどうもうちの馬鹿犬でも間違えたっぽい風に思っているようには思えたんだが、そういうルール自体、人間がそう思っているだけのことじゃん。犬はまあ、わたしは「人間という動物と、幻想を生きている部分が大きい、という意味で、人間と似ている」と思っているんだが、猫の場合は、いわば条件反射みたいなものじゃん。「車」って人間の概念があるから「聞き分けてる」って思っちゃうだけで、音としては、まあ共通項はいくつかあるんだろうけれど、別物なわけじゃん。ただそうである音としては。それに反応しているだけで、猫は別に「間違った」とは思ってないんだろう、って思うんだ。条件反射で、この音がしたらご主人様が帰ってくる、という行為を、まるでそうプログラミングされた機械のようにしているだけで、違う人が帰ってきたら、「ちっ、なんだよ」くらいに思うと思うんだ。かるーくパニックになってるのかもしれないね。自閉症者が決められたこと以外の行動を要求されたときみたいに。
「間違える」も「矛盾」も、お前たちが住んでいる空にある世界でだけ通用するルールが、そうさせているにすぎないんだよ。
どうも犬って、人間の顔を見ている気がする。顔という統合された物として認知できているような気がする。だから犬と人間は似ている。人間も顔を、目や鼻や口などと言った部分部分で見ていないで、顔全体という一個の物として見ている。
だからわたしは「犬も幻想をそこそこ生きてるんじゃねえの?」って思うのか。
なんか最近バカが多くて困るわ。拍手コメントから。
=====
>お前たちが住んでいる空にある世界でだけ通用するルールが、そうさせているにすぎないんだよ。
これが言いたいだけの暴論に見える。
=====
昔の記事でも書いているよ? 似たようなこと。昔の記事を読んでる●さんなんかとそういう議論もした。こことかここのコメント欄参照のこと。
あ、いや、君がここいらの記事を読んでなくて、「途中の論が足りない」って意味で「暴論だ」って言っているなら、こういう途中があるよ、って話だ。
でもな、このブログで書いていることなんかほとんど暴論だと思うんだ、他人事で読んで。暴論ですよ、ええ。
このブログをなんか「暴論なんて書かない権威のある人が書いているブログ」とか君が思い込んでるだけじゃねえの?
まず自分の内面を見てからコメントしような、バカ。
つか「わたしは精神分析を人の心を傷つけるために利用している」って公言しているわけだから、暴力的な論って意味で暴論にはなるだろうな(笑)。
それでいいじゃん。はいはい。
で、このあたりの歌詞って他の人が言うには「強烈」なんだな。ふうん、って思った。普通、というか、素だろ? って思うんだけど。「大仰」ではあると思うけど。それがまあ癇に障るところではあったけれど、「大仰」にしないとわたしの素はわかってくれない、というのを舞台役者やって学んだおかげか、大学生のときによく聞いたな。このアルバム。
『たとえ世界が空から落ちても』って、「空が落ちてくる」わけじゃないんだよね。世界が空から落ちてくる。それまで世界は空にあった。
そうか、って今頃気づいた。
夢分析において、空を飛ぶ夢は、象徴界への参入を示す、というのがある。ここでもちらっと書いた。去勢の回帰として、特徴的な夢だ、というわけだ。去勢済み主体なら去勢の承認になるだろうし、未去勢者なら、いっときだけ意味の世界を生きることに、つまり正常人化することになる。
すでに象徴界に参入していることの、意味の世界を生きていることの、空を飛んでいることの自覚としての夢か、自分が今まで見上げてきた意味の世界に、いっときだけでも参入できたこととしての夢か。
未去勢者は、いっときなんだよ。落ちちゃうんだよ。世界が空から落ちてくる。意味の世界が。存在することに違和感を感じてきて、いっときだけ違和感が解消されていた世界が、空から落ちてくる。
意味が落ちてくる。意味が意味じゃなくなってしまう。
でも、意味の世界が落ちてくるわけだから、意味のない意味として、その世界はあるだろう。
だからこの歌は、悲恋の歌ではなく、ラブソングなのだ。わたしにとって素の。
かばう、のか。
意味の世界からかばうことによって、意味のない意味を生成する。
そうか、それが正常人と未去勢者の愛か。
意味のない意味。
そんなものあるとはできないよ。理屈に反している。
だから愛は存在しない。
愛じゃない意味。それは意味のない意味。
だからこれは愛じゃない。ラブソングじゃない。
そいつに意味を感じないことが愛ならば、ラブソングでいいけれど。
これをラブソングだとしちゃだめだよ、正常人は。これも悲恋の歌だと、ふられた女が妄想で歌っているだけだと考えなきゃ。
そうじゃなきゃ正常という精神疾患の精神構造にあてはまらない。
うん、知り合いはこの曲悲恋の歌だと思ってたらしい。わたしが歌詞を説明して「恋愛の成就を歌ってるじゃん」って言ったら、「いやみゆきってそういう歌ばっかりだからさ」とか笑ってごまかされた。
そうだとしても、なんでこれを悲恋の歌だと思うのだろう。
わたしの恋愛は(一般的な見方からすると)悲恋だ、と言われている気がした。
そんなことを思い出した。
意味わかんない。意味がわかんない。
「見える物だけをあるとする」ことと、「見えている物を疑う」ことは、同じ状態だ。
他の人とは違う世界を見てきた人間にとって。
お前たちの目が幻想に、意味にまみれてしまっているから、こんな矛盾することを言わなければならない。
お前たちのせいなんだよ。
犬とか猫とかってさ、飼い主の帰りを玄関で待ってたりするじゃん。足音とか気配とかで、主人かどうかを判別する、って。
でも犬だって間違えるよ。うちの犬、何年かぶりに帰省したわたしにほえたりしたもん。
猫だってそうらしいよ。知り合いの猫が、父親にすげえなついてて、人間にはなんにも聞こえないのに、父親の車の音を聞きつけて、玄関で待ってる。そうだとわかったのは、父親以外の人がその車で帰ってきても、玄関で待つらしいんだな。だからわかった。まあでもその車の音は聞き分けてるんだろうけどね。別の車には反応しないらしい。母親の車とかには。
でもさ、この「間違える」って、人間視点から見て「間違える」なわけでしょ? たとえば飼い主であるわたしにほえずに、知らない人にほえる、って言うのは、まあどうもうちの馬鹿犬でも間違えたっぽい風に思っているようには思えたんだが、そういうルール自体、人間がそう思っているだけのことじゃん。犬はまあ、わたしは「人間という動物と、幻想を生きている部分が大きい、という意味で、人間と似ている」と思っているんだが、猫の場合は、いわば条件反射みたいなものじゃん。「車」って人間の概念があるから「聞き分けてる」って思っちゃうだけで、音としては、まあ共通項はいくつかあるんだろうけれど、別物なわけじゃん。ただそうである音としては。それに反応しているだけで、猫は別に「間違った」とは思ってないんだろう、って思うんだ。条件反射で、この音がしたらご主人様が帰ってくる、という行為を、まるでそうプログラミングされた機械のようにしているだけで、違う人が帰ってきたら、「ちっ、なんだよ」くらいに思うと思うんだ。かるーくパニックになってるのかもしれないね。自閉症者が決められたこと以外の行動を要求されたときみたいに。
「間違える」も「矛盾」も、お前たちが住んでいる空にある世界でだけ通用するルールが、そうさせているにすぎないんだよ。
どうも犬って、人間の顔を見ている気がする。顔という統合された物として認知できているような気がする。だから犬と人間は似ている。人間も顔を、目や鼻や口などと言った部分部分で見ていないで、顔全体という一個の物として見ている。
だからわたしは「犬も幻想をそこそこ生きてるんじゃねえの?」って思うのか。
なんか最近バカが多くて困るわ。拍手コメントから。
=====
>お前たちが住んでいる空にある世界でだけ通用するルールが、そうさせているにすぎないんだよ。
これが言いたいだけの暴論に見える。
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昔の記事でも書いているよ? 似たようなこと。昔の記事を読んでる●さんなんかとそういう議論もした。こことかここのコメント欄参照のこと。
あ、いや、君がここいらの記事を読んでなくて、「途中の論が足りない」って意味で「暴論だ」って言っているなら、こういう途中があるよ、って話だ。
でもな、このブログで書いていることなんかほとんど暴論だと思うんだ、他人事で読んで。暴論ですよ、ええ。
このブログをなんか「暴論なんて書かない権威のある人が書いているブログ」とか君が思い込んでるだけじゃねえの?
まず自分の内面を見てからコメントしような、バカ。
つか「わたしは精神分析を人の心を傷つけるために利用している」って公言しているわけだから、暴力的な論って意味で暴論にはなるだろうな(笑)。
それでいいじゃん。はいはい。