はいからさんが通る
2010/04/04/Sun
ふと思ったんだが、十川幸司って、ほんとときどき自閉症に言及したりしてるんだが、彼って自閉症を臨床したことあるんだろうか?
いやさ、なんかどうも彼の自閉症について持っているイメージって、あまりにも典型的な、いわば孤立型のイメージなんだよな。一方、そこで語られている症状の分析は、ラカン論で言えばボロメオの輪のばらばら度合いが強い。そういうものとして書いている。
これっておかしいんだよな。
っていうのは、孤立型ってのは、成長してなることが多いんだよな。積極奇異型から孤立型へ、っていう成長の場合が多い。受動型はなんかいろいろあるみたいだけど。
となると、孤立型なら、それこそエコラリア的学習によって、臨床上ボロメオの輪がばらばらに見えないと思うんだよな。
わたしの臨床経験では、もっとも臨床しやすいのは、積極奇異型だ。自閉症の症状が露出する。正統派精神分析のめんどくさい前段階、転移関係の構築なんて必要もなく、症状をさらけ出す。まじで「自閉症とは自開症である」なんだよ。
でも十川の語る自閉症って、自閉症なんだよな。まあいなくはないよ、孤立型とかそうだよね、とは思うんだ。
でもな、それでこういったボロメオの輪がばらばらな症状が読み解けるとは思えないんだ。受動型とかもっとも症状を解釈しにくい。健常者と見分けがつかない。もっともアスペルガー症候群と診断されにくいのは受動型だと思う。
だから十川はたぶん孤立型を臨床してこういう論を述べているんだろうな、って思ったんだが、それにしては、まるで積極奇異を臨床しているかのような、あからさまな症状の分析ができている。
だからさー、うがって見ちゃうとさー、十川って自閉症臨床したことないんじゃね? って思うんだ。本で臨床報告とか読んだだけで、自身の理屈体系に組み込んでいるから、孤立型の特徴も積極奇異型の特徴もごっちゃになってるんじゃねえの? って思ったんだが。
なあ、このブログラカン関係の読者も多いんだろ? ちょっと聞いてみてよ、十川に。「自閉症臨床したことあるんですか?」って。
あ、あるって言ったなら、ごめんなさいただの邪推でした、って素直に謝る。っていうか別に理屈体系構築に実際の臨床経験が必要だ、とは思わんし。臨床報告読んで想像を膨らませるのも臨床ではあろうよ、と思うし。あたしレヴィレヴィの神話分析も臨床だって立場だし。アームチェア人類学者でも臨床の知による思考は可能だと思うし。でなきゃ芸術は、特に文学は成り立たないでそ? 小説の読者は臨床できないってなったら。十川は、ラカン論を認識論として評価していて(だから哲学とも親近できた、と)、精神分析が臨床経験を特権化するのはイクナイ、って言っているんだけど、まあそうなんだろうな、って思うし。積極的同意ではないけど同意できなくない。
なんかごめんね。わたしの臨床経験からいまいちピンとこないんだよな、十川の自閉症論って。
細かいところが気になるわたしの悪い癖。
なんかようつべ漁っててこれ見つけてすげーなつかしくて涙が出てきた。泣くようなマンガだっけかこれ?
なんで泣いたんだろう?
あ、そうそう、わたしにとっての臨床って、普通の人づき合い、っていうか、情性欠如者の人づき合いが、精神分析的臨床だと思ってるのよね。どっかのコメントでも書いたけど、分析家はクライエントに転移させて、自分はクライエントに転移しちゃいけないわけじゃん。これって普通の正常人と情性欠如者のコミュニケーションになるじゃん、って思うんだわ。もちろん情性欠如者だから、転移による分析を言語化できないだろうって可能性はあるけどさ。情性のある正常人なら、内面のその力動にどういう表現をあてはめればいいかわかるだろうけど、情性がある経験が一切ない理想的な情性欠如者を仮定したら、彼はそれをなんて表現したらいいかわからんだろう。そういったことでは、情性欠如者は分析家として不十分だ、ってなるけれど。
ってかあたし自分がそのケあるからかしんないけど、科学者って基本情性欠如者だろ、って思ってるんだけど。こことかここで書いてること。
ああもうやだわ、やだやだ。
お前らしばらく黙っててくれないかね。ちょっとあとなら批判していいから。
余談。
=====
正統派精神分析のめんどくさい前段階
=====
これ揶揄的に「前戯」って書き直しちゃおうか、って思ってよく考えてみたら、理屈的に前戯だよな、転移関係の構築って。むしろセックスの際の前戯こそが獣の交接にはなく人間の交接に特徴的な要素であり、「合意の快楽」の段階だ、ってことか。
あーあーなるほどな。
本番のセックスになるともうレイプも合意の上の性交も関係なくね? 体感的脱構築。レイプと変わらん。あたしなんかそういう感覚なんだけど。
だからあたしは会話、つか行為以前の駆け引きを「前戯」って言ってたんだな。そうだよな、そこでしか「合意の快楽」を言葉で否定できる場所はない。前戯には言葉はないから。
そうだよな、この駆け引きでいかに相手の心を傷つけるか、がおもしろかったもんな。
このテクにホステスバイト経験とっても役に立ちました。
精神分析はヒステリーの臨床から構築された学問である、と言っても過言ではないほどだ。
その上で、「精神分析において転移関係の構築は重要である」となっているなら、やっぱりヒステリーは去勢済み主体なんだよな。ヒステリーは去勢済み主体だから、「合意の快楽」を味わわせてあげないとならない。そうしないと無意識をさらけ出さない。
自閉症はんなのしなくてもさらけ出してくるんだよ。おもろいぞ。
駆け引きなんていらない。
つか精神分析とかこの「転移関係の構築」って段階で、人間的に科学者な人、つまり情性欠如者とは言わないがそのケがある人は脱落しちゃうんじゃねえの?
ほらあたしは役者やってたしホステスバイトしてたからさ。「合意の快楽」を売ってお金を稼ぐようなことじゃん。水商売って。まあこの「合意」ってのは言葉だけの合意じゃなくて、気持ち、すなわち想像的な意味も含めた、まさしくラカン理論通りの「意味」の「合意」だから、想像的身体を売ることにもなるけどさ。
ホステスおもろいじゃん誰か水商売の精神分析しろよ斎藤環とか結構水商売好きそうなんだが性格ユンギニアンだし。
ホステスバイトしてたのは一瞬だけど、社会人になっても飲み歩いてたから、結構水商売の知り合いは多いんだよな。社会人のくせにホステスたちが仕事終わってから飲む昼までやってるスナックの常連だったし。一見でそういう店に飛び込むことも多かったんだが、よく水商売の人って間違われたし。化粧とか全然してないのにな。してないのがむしろそうなのか。しないでそういうところいく感覚がその世界の人だと思わせるのか。
ホステスって結構メンヘラ多いぜ。まあ普通にヒステリー、転換性障害なんだろうけどな。
そりゃそうだよな、さっきも言ったようにホステスなんてのは、実際の体を売るかどうかは置いておいて、「合意の快楽」を売る仕事で、それは現実的な、物質としての体を売ることではないが、想像的身体、いわば自我の素体を売ることになるからな。
そりゃー自我は壊れるわ。
でな、わたしの臨床では、ホステスってファザコンみたいな人多いんだわ。わたしの言う「ファザコンみたいな人」ってのは超自我が強い人、ってそのまま直結しちゃっていい。理屈的にわたしが納得してるから。
うん、意外と正義感が強いイメージ。社会正義ではないけれど。
なんつか、じんわり酒飲みながら話すと、むかしの女神官とか娼婦だったらしいじゃん、エジプト古代文明とかで。部屋に泊めてあげたら寝ゲロ吐くような奴らでも、美化して言ってあげたら、そういうもんでもあると思えるんだよな。美化とか関係なく、理屈的に。
ただ、あたしはツレションメス犬コンプレックスだからな。ツレション病が悪化してそうなった奴らではあろうから。だから悪化してないそらパパさんちやママさんちにコメントしているツレションメス犬どもがキモイ。怖い。殺意を覚える。なんであんたらそんなに存分にツレションしてるのに悪化しねえの? って。人間として鈍感なんだろうな。生きている資格がない人間。
でさ、ヒステリー、転換性障害ってのは、想像的身体の一部が、裏表ひっくり返った状態だと思うんだよな。正統派ヒステリー分析で言うところの「性器が脱性化し非性器が性的になる」ってこと。この分析だとひっくり返った場所が性器に限られちゃうけどさ。
なんだろうな、腕でもいいんだよ。おっぱいでも。腕がめり込んでいる。おっぱいがめり込んでいる。いやめり込んでない。よく見れば皮がはがれて細胞組織が露出しているだけ。
そうなんだよな、飲んでいるときはエロい自己演出してるのに、男とベッドに入ると股かっぴろげて「ほら入れろよ」って言う感じ。
あ、普通じゃん。
そうか、仕事として、自我の素体である想像的身体を売ることも辞さないところがそうなるのか。超自我は正常だから、仕事として自我の素体を売れ、って言われたら売っちゃうんだろうな。実際の体を売ってるわけじゃないから売春じゃないし。超自我を裏切ることにはならない。
最低な人種だけど、彼女らは、正常だと思えるんだよな。逆に一般の正常な、健全な人たちは、パラノイアックな異常者に見える。あたしは。国会議員とおつき合いしたことあるけど、そこで働いている人も含め(いやあたしもその仲間なんだど)、異常者にしか思えなかったもんな。
そりゃ「人間みんなキチガイ」って思っちゃうわ。
だから、全員キチガイであり、キチガイ同士の差異として、分類できる精神分析論は、わたしにとってとってもわかりやすい。
ま、別にホステスどもがえらいって話じゃないけどね。わたしにとっては、一般的な健全な人たちより、ホステスたちの方が健全に見える、ってだけの話で、そりゃー嫌いなホステスもいたよ。むかつく男にチンピラみたいな人けしかけて暴力振るわせる奴とかな。うらやましいのかわたしは、そんな催眠術みたいなことができるそいつが。
あー銀座とかの「成り上がり病」のきっついホステスどももだめな。うらびれたスナックとかの。あるいはただのバイトレベルの。「成り上がり病」のきっつい奴らは一般的な健全な人とおんなじタイプの異常者。わたしにとって。
そーゆーこと。
そらパパさんとこ懲りずにコメントした。そらパパさんたら読まずに食べた、って嘘。読んでくれてるとは思っておく。
一応コピペ。
=====
これおもろいな。
「言論弾圧」ってのは、浅見自身が書いているように、「権力」を持っている人間が「そんなこと言うな」って命令することなわけだろ。
君は浅見から権力者だと思われているわけだ。
とすると、ここのコメント者のPoisonous_Radioって人は、逆に浅見を権力者だと思っていることになるよな。
もちろん君は自分が権力者だと思ってないだろうし、浅見を権力者だと思ってはないだろうけどさ。
そして部外者のわたしから見ると自閉症村の二人が言いあいしているだけなんだけどな(笑)。
正直「言論弾圧とか大仰な(笑)」って感じー。
んで。
ここで問題なのは、なぜ浅見が君を権力者にしたてあげようとしているか、ってところじゃないの? 口論なんて要は心理戦だろ?
被権力者は観客のウケがいいからな。被権力者側でものを言えば大衆は味方してくれる。味方する大衆もバカなんだけど。
んー。
君は浅見関係者の大大大博士について、「科学的じゃない」って批判しているわけだよな。まあなぜ君がここに食いついたかってのは、「科学であること」が君の拘りになっているから、でいいよな。めんどくさいからここはこうしておく。
でさー。これも科学教の症状なんだけどさ、科学って権力的に思われているところあるじゃん。愚民どもに。
「科学じゃない」って批判が、浅見の「自分は被権力者、相手は権力者」って演出に利用されそうな気がするんだが、どうだろう。
あ、アドバイスよアドバイス。「内面」を常にエポケーしちゃう君なんかこういう心理戦とかとんと弱そうだし。
前にも書いたじゃん。政治的手腕は浅見の方が何枚もうわてに見える、って。
こういうことー。
あ、これも公開しなくていいよ。気が向いたらうちにうpするし。
=====
でもあとで考えて、あ、これもコメントしたけどコピペし忘れてたんだけど、浅見とのやり取りのこの部分がよくわかんねえんだよな。
=====
喜んでくれる著者もいた。これってエピソード主義じゃないの?
asamijunko posted at 2010/4/3 09:39:23
もし「必ず著者に喜んでもらえるブックレビューの書き方」を教える先生が言ったのなら、そういうことになるでしょう。でもそうではありません。 RT @asamijunko: 喜んでくれる著者もいた。これってエピソード主義じゃないの?
sora_papa posted at 2010/4/3 09:47:10
=====
「え、なんで「「必ず著者に喜んでもらえるブックレビューの書き方」を教える先生が言ったのなら、そういうことになる」の? なんでエピソード主義(この部分の記事もちゃんと読んだよ)になるの?」って思って、いろいろ考えようとしたけど、いや待てよこれは口ゲンカだよな、と思い直し、ツレション思考回路に切り替えると(ほらあたしツレションメス犬コンプレックスだから、彼女らの思考回路を真似しようとすること多いんだよ)、内容の意味はともかく、イメージとして、「そらパパさんは浅見の茶々に対し、スノッブにやり返した状態」だと思ったんだ。
で、そらパパさんは、言外の意味で、「私は「必ず著者に喜んでもらえるブックレビューの書き方」を教える先生ではありません」と言っているわけで、別のつぶやきにもあるけれど、そういった「必ず著者に喜んでもらえるブックレビュー」に批判的であるだろうことは推測できる。
でもなんでかな。よくわかんないんだよな。「必ず著者に喜んでもらえるブックレビュー」に批判的である自分を主張することが反論になるのか。
んで言語にならない思考して、やっとこんな言葉が見つかったので、コメントした。
=====
自閉症村って自分が汚れないと真実を語れないのな。
それは現実的でよい。
君ももっと汚れたまえ。
=====
まあこの途中の言語化できない思考は言語化できないのでスルーしてくれ。いやできなくは、つか言語化しようと努力することはできなくもないけど、めんどくせえ。
おもしろいなこの口ゲンカ。
浅見の被害者という自己演出が勝つか、そらパパさんのスノッブ戦法が勝つか。
つかこういうとき「心労お察しします」とか言うけどさ、心労を与えられていることになるから、口ゲンカとして相手の攻撃が成功している、ってことにならねえの?
あ、これもこう言っておけば、そう言われた方(この場合そらパパさん)が被害者になって、バカな大衆が味方についてくれるのか。
ほーほー。
いやもちろん言ってる方は心込めて言ってるんじゃなく時節の挨拶みたいな感じで言ってる場合もあるんだろうけどさ、定型句ってすごいな、って思ったわ。
それだけ。
いやさ、なんかどうも彼の自閉症について持っているイメージって、あまりにも典型的な、いわば孤立型のイメージなんだよな。一方、そこで語られている症状の分析は、ラカン論で言えばボロメオの輪のばらばら度合いが強い。そういうものとして書いている。
これっておかしいんだよな。
っていうのは、孤立型ってのは、成長してなることが多いんだよな。積極奇異型から孤立型へ、っていう成長の場合が多い。受動型はなんかいろいろあるみたいだけど。
となると、孤立型なら、それこそエコラリア的学習によって、臨床上ボロメオの輪がばらばらに見えないと思うんだよな。
わたしの臨床経験では、もっとも臨床しやすいのは、積極奇異型だ。自閉症の症状が露出する。正統派精神分析のめんどくさい前段階、転移関係の構築なんて必要もなく、症状をさらけ出す。まじで「自閉症とは自開症である」なんだよ。
でも十川の語る自閉症って、自閉症なんだよな。まあいなくはないよ、孤立型とかそうだよね、とは思うんだ。
でもな、それでこういったボロメオの輪がばらばらな症状が読み解けるとは思えないんだ。受動型とかもっとも症状を解釈しにくい。健常者と見分けがつかない。もっともアスペルガー症候群と診断されにくいのは受動型だと思う。
だから十川はたぶん孤立型を臨床してこういう論を述べているんだろうな、って思ったんだが、それにしては、まるで積極奇異を臨床しているかのような、あからさまな症状の分析ができている。
だからさー、うがって見ちゃうとさー、十川って自閉症臨床したことないんじゃね? って思うんだ。本で臨床報告とか読んだだけで、自身の理屈体系に組み込んでいるから、孤立型の特徴も積極奇異型の特徴もごっちゃになってるんじゃねえの? って思ったんだが。
なあ、このブログラカン関係の読者も多いんだろ? ちょっと聞いてみてよ、十川に。「自閉症臨床したことあるんですか?」って。
あ、あるって言ったなら、ごめんなさいただの邪推でした、って素直に謝る。っていうか別に理屈体系構築に実際の臨床経験が必要だ、とは思わんし。臨床報告読んで想像を膨らませるのも臨床ではあろうよ、と思うし。あたしレヴィレヴィの神話分析も臨床だって立場だし。アームチェア人類学者でも臨床の知による思考は可能だと思うし。でなきゃ芸術は、特に文学は成り立たないでそ? 小説の読者は臨床できないってなったら。十川は、ラカン論を認識論として評価していて(だから哲学とも親近できた、と)、精神分析が臨床経験を特権化するのはイクナイ、って言っているんだけど、まあそうなんだろうな、って思うし。積極的同意ではないけど同意できなくない。
なんかごめんね。わたしの臨床経験からいまいちピンとこないんだよな、十川の自閉症論って。
細かいところが気になるわたしの悪い癖。
なんかようつべ漁っててこれ見つけてすげーなつかしくて涙が出てきた。泣くようなマンガだっけかこれ?
なんで泣いたんだろう?
あ、そうそう、わたしにとっての臨床って、普通の人づき合い、っていうか、情性欠如者の人づき合いが、精神分析的臨床だと思ってるのよね。どっかのコメントでも書いたけど、分析家はクライエントに転移させて、自分はクライエントに転移しちゃいけないわけじゃん。これって普通の正常人と情性欠如者のコミュニケーションになるじゃん、って思うんだわ。もちろん情性欠如者だから、転移による分析を言語化できないだろうって可能性はあるけどさ。情性のある正常人なら、内面のその力動にどういう表現をあてはめればいいかわかるだろうけど、情性がある経験が一切ない理想的な情性欠如者を仮定したら、彼はそれをなんて表現したらいいかわからんだろう。そういったことでは、情性欠如者は分析家として不十分だ、ってなるけれど。
ってかあたし自分がそのケあるからかしんないけど、科学者って基本情性欠如者だろ、って思ってるんだけど。こことかここで書いてること。
ああもうやだわ、やだやだ。
お前らしばらく黙っててくれないかね。ちょっとあとなら批判していいから。
余談。
=====
正統派精神分析のめんどくさい前段階
=====
これ揶揄的に「前戯」って書き直しちゃおうか、って思ってよく考えてみたら、理屈的に前戯だよな、転移関係の構築って。むしろセックスの際の前戯こそが獣の交接にはなく人間の交接に特徴的な要素であり、「合意の快楽」の段階だ、ってことか。
あーあーなるほどな。
本番のセックスになるともうレイプも合意の上の性交も関係なくね? 体感的脱構築。レイプと変わらん。あたしなんかそういう感覚なんだけど。
だからあたしは会話、つか行為以前の駆け引きを「前戯」って言ってたんだな。そうだよな、そこでしか「合意の快楽」を言葉で否定できる場所はない。前戯には言葉はないから。
そうだよな、この駆け引きでいかに相手の心を傷つけるか、がおもしろかったもんな。
このテクにホステスバイト経験とっても役に立ちました。
精神分析はヒステリーの臨床から構築された学問である、と言っても過言ではないほどだ。
その上で、「精神分析において転移関係の構築は重要である」となっているなら、やっぱりヒステリーは去勢済み主体なんだよな。ヒステリーは去勢済み主体だから、「合意の快楽」を味わわせてあげないとならない。そうしないと無意識をさらけ出さない。
自閉症はんなのしなくてもさらけ出してくるんだよ。おもろいぞ。
駆け引きなんていらない。
つか精神分析とかこの「転移関係の構築」って段階で、人間的に科学者な人、つまり情性欠如者とは言わないがそのケがある人は脱落しちゃうんじゃねえの?
ほらあたしは役者やってたしホステスバイトしてたからさ。「合意の快楽」を売ってお金を稼ぐようなことじゃん。水商売って。まあこの「合意」ってのは言葉だけの合意じゃなくて、気持ち、すなわち想像的な意味も含めた、まさしくラカン理論通りの「意味」の「合意」だから、想像的身体を売ることにもなるけどさ。
ホステスおもろいじゃん誰か水商売の精神分析しろよ斎藤環とか結構水商売好きそうなんだが性格ユンギニアンだし。
ホステスバイトしてたのは一瞬だけど、社会人になっても飲み歩いてたから、結構水商売の知り合いは多いんだよな。社会人のくせにホステスたちが仕事終わってから飲む昼までやってるスナックの常連だったし。一見でそういう店に飛び込むことも多かったんだが、よく水商売の人って間違われたし。化粧とか全然してないのにな。してないのがむしろそうなのか。しないでそういうところいく感覚がその世界の人だと思わせるのか。
ホステスって結構メンヘラ多いぜ。まあ普通にヒステリー、転換性障害なんだろうけどな。
そりゃそうだよな、さっきも言ったようにホステスなんてのは、実際の体を売るかどうかは置いておいて、「合意の快楽」を売る仕事で、それは現実的な、物質としての体を売ることではないが、想像的身体、いわば自我の素体を売ることになるからな。
そりゃー自我は壊れるわ。
でな、わたしの臨床では、ホステスってファザコンみたいな人多いんだわ。わたしの言う「ファザコンみたいな人」ってのは超自我が強い人、ってそのまま直結しちゃっていい。理屈的にわたしが納得してるから。
うん、意外と正義感が強いイメージ。社会正義ではないけれど。
なんつか、じんわり酒飲みながら話すと、むかしの女神官とか娼婦だったらしいじゃん、エジプト古代文明とかで。部屋に泊めてあげたら寝ゲロ吐くような奴らでも、美化して言ってあげたら、そういうもんでもあると思えるんだよな。美化とか関係なく、理屈的に。
ただ、あたしはツレションメス犬コンプレックスだからな。ツレション病が悪化してそうなった奴らではあろうから。だから悪化してないそらパパさんちやママさんちにコメントしているツレションメス犬どもがキモイ。怖い。殺意を覚える。なんであんたらそんなに存分にツレションしてるのに悪化しねえの? って。人間として鈍感なんだろうな。生きている資格がない人間。
でさ、ヒステリー、転換性障害ってのは、想像的身体の一部が、裏表ひっくり返った状態だと思うんだよな。正統派ヒステリー分析で言うところの「性器が脱性化し非性器が性的になる」ってこと。この分析だとひっくり返った場所が性器に限られちゃうけどさ。
なんだろうな、腕でもいいんだよ。おっぱいでも。腕がめり込んでいる。おっぱいがめり込んでいる。いやめり込んでない。よく見れば皮がはがれて細胞組織が露出しているだけ。
そうなんだよな、飲んでいるときはエロい自己演出してるのに、男とベッドに入ると股かっぴろげて「ほら入れろよ」って言う感じ。
あ、普通じゃん。
そうか、仕事として、自我の素体である想像的身体を売ることも辞さないところがそうなるのか。超自我は正常だから、仕事として自我の素体を売れ、って言われたら売っちゃうんだろうな。実際の体を売ってるわけじゃないから売春じゃないし。超自我を裏切ることにはならない。
最低な人種だけど、彼女らは、正常だと思えるんだよな。逆に一般の正常な、健全な人たちは、パラノイアックな異常者に見える。あたしは。国会議員とおつき合いしたことあるけど、そこで働いている人も含め(いやあたしもその仲間なんだど)、異常者にしか思えなかったもんな。
そりゃ「人間みんなキチガイ」って思っちゃうわ。
だから、全員キチガイであり、キチガイ同士の差異として、分類できる精神分析論は、わたしにとってとってもわかりやすい。
ま、別にホステスどもがえらいって話じゃないけどね。わたしにとっては、一般的な健全な人たちより、ホステスたちの方が健全に見える、ってだけの話で、そりゃー嫌いなホステスもいたよ。むかつく男にチンピラみたいな人けしかけて暴力振るわせる奴とかな。うらやましいのかわたしは、そんな催眠術みたいなことができるそいつが。
あー銀座とかの「成り上がり病」のきっついホステスどももだめな。うらびれたスナックとかの。あるいはただのバイトレベルの。「成り上がり病」のきっつい奴らは一般的な健全な人とおんなじタイプの異常者。わたしにとって。
そーゆーこと。
そらパパさんとこ懲りずにコメントした。そらパパさんたら読まずに食べた、って嘘。読んでくれてるとは思っておく。
一応コピペ。
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これおもろいな。
「言論弾圧」ってのは、浅見自身が書いているように、「権力」を持っている人間が「そんなこと言うな」って命令することなわけだろ。
君は浅見から権力者だと思われているわけだ。
とすると、ここのコメント者のPoisonous_Radioって人は、逆に浅見を権力者だと思っていることになるよな。
もちろん君は自分が権力者だと思ってないだろうし、浅見を権力者だと思ってはないだろうけどさ。
そして部外者のわたしから見ると自閉症村の二人が言いあいしているだけなんだけどな(笑)。
正直「言論弾圧とか大仰な(笑)」って感じー。
んで。
ここで問題なのは、なぜ浅見が君を権力者にしたてあげようとしているか、ってところじゃないの? 口論なんて要は心理戦だろ?
被権力者は観客のウケがいいからな。被権力者側でものを言えば大衆は味方してくれる。味方する大衆もバカなんだけど。
んー。
君は浅見関係者の大大大博士について、「科学的じゃない」って批判しているわけだよな。まあなぜ君がここに食いついたかってのは、「科学であること」が君の拘りになっているから、でいいよな。めんどくさいからここはこうしておく。
でさー。これも科学教の症状なんだけどさ、科学って権力的に思われているところあるじゃん。愚民どもに。
「科学じゃない」って批判が、浅見の「自分は被権力者、相手は権力者」って演出に利用されそうな気がするんだが、どうだろう。
あ、アドバイスよアドバイス。「内面」を常にエポケーしちゃう君なんかこういう心理戦とかとんと弱そうだし。
前にも書いたじゃん。政治的手腕は浅見の方が何枚もうわてに見える、って。
こういうことー。
あ、これも公開しなくていいよ。気が向いたらうちにうpするし。
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でもあとで考えて、あ、これもコメントしたけどコピペし忘れてたんだけど、浅見とのやり取りのこの部分がよくわかんねえんだよな。
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喜んでくれる著者もいた。これってエピソード主義じゃないの?
asamijunko posted at 2010/4/3 09:39:23
もし「必ず著者に喜んでもらえるブックレビューの書き方」を教える先生が言ったのなら、そういうことになるでしょう。でもそうではありません。 RT @asamijunko: 喜んでくれる著者もいた。これってエピソード主義じゃないの?
sora_papa posted at 2010/4/3 09:47:10
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「え、なんで「「必ず著者に喜んでもらえるブックレビューの書き方」を教える先生が言ったのなら、そういうことになる」の? なんでエピソード主義(この部分の記事もちゃんと読んだよ)になるの?」って思って、いろいろ考えようとしたけど、いや待てよこれは口ゲンカだよな、と思い直し、ツレション思考回路に切り替えると(ほらあたしツレションメス犬コンプレックスだから、彼女らの思考回路を真似しようとすること多いんだよ)、内容の意味はともかく、イメージとして、「そらパパさんは浅見の茶々に対し、スノッブにやり返した状態」だと思ったんだ。
で、そらパパさんは、言外の意味で、「私は「必ず著者に喜んでもらえるブックレビューの書き方」を教える先生ではありません」と言っているわけで、別のつぶやきにもあるけれど、そういった「必ず著者に喜んでもらえるブックレビュー」に批判的であるだろうことは推測できる。
でもなんでかな。よくわかんないんだよな。「必ず著者に喜んでもらえるブックレビュー」に批判的である自分を主張することが反論になるのか。
んで言語にならない思考して、やっとこんな言葉が見つかったので、コメントした。
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自閉症村って自分が汚れないと真実を語れないのな。
それは現実的でよい。
君ももっと汚れたまえ。
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まあこの途中の言語化できない思考は言語化できないのでスルーしてくれ。いやできなくは、つか言語化しようと努力することはできなくもないけど、めんどくせえ。
おもしろいなこの口ゲンカ。
浅見の被害者という自己演出が勝つか、そらパパさんのスノッブ戦法が勝つか。
つかこういうとき「心労お察しします」とか言うけどさ、心労を与えられていることになるから、口ゲンカとして相手の攻撃が成功している、ってことにならねえの?
あ、これもこう言っておけば、そう言われた方(この場合そらパパさん)が被害者になって、バカな大衆が味方についてくれるのか。
ほーほー。
いやもちろん言ってる方は心込めて言ってるんじゃなく時節の挨拶みたいな感じで言ってる場合もあるんだろうけどさ、定型句ってすごいな、って思ったわ。
それだけ。