とあるボランティアサークル員のつぶやき
2010/04/08/Thu
物語が、いやただの妄想が、僕の前に開陳されている。
僕がその子と知りあったのは、ボランティアサークルで訪問した、とある施設だった。
「猿みたいな子がいる」
と思った。ナインティナインの岡村に少し似ている。
髪はざんぎり。あとで聞いたら自分で切ってしまうのだと言う。だからまともな髪型になっていない。
体は小さい。体力測定などで級外になるほど、腕力や握力もない。
だけど自分より小さい子に暴力をよくふるう。
その施設でも問題児とされている。
そういった問題児を、ただのボランティアサークルの大学生に見せつけるのもどうかと思う。いやまあ、こういった仕事はきれいごとだけじゃないんだぞ、などという考えもあるのかもしれないが。
確かにサークル内でもその子は話題になった。しかしそこはそれ、僕たちは本気じゃない。OBには、NGO団体に就職しアフリカで井戸を掘っている人もいるが、将来そんな仕事をやりたいわけじゃない。そんな仕事と正反対の会社に就職するための箔づけ、一種のきれいごととして、僕たちはボランティアをしている。
きれいごとでやっていると自覚しているのだから、きれいごとのままでいさせてほしい、というのが本音だった。
僕がこんな愚痴を言ってしまうのは、そのナインティナインの岡村が、やけに僕になついていたからだ。
僕自身は「なつく」なんて言葉使いたくない。「子供になつかれる」ことがこんなことだと思いたくない。いや、確かに本当の育児ともなれば、いろいろしちめんどくさい労働が必要となるのだろう。それならいい。僕だって将来子供を持つ日がくるだろう。社会人になって、妻が出産したら、僕は育児休暇を取るつもりでいる。最近はそういった理解のある企業が増えている。
しかし、そんな企業は、いまだやはりごく一部だ。狭き門だ。そのためのボランティアサークルである。いや結果的にはそれだけじゃなくなったが。僕はここで将来の妻候補と出会った。今の彼女である。
その子を「ナインティナインの岡村」と言って、多くの友人は同意してくれたのだが、彼女はそうじゃなかった。「そういう髪型してるだけなんじゃない」と。
彼女がそう反論したくなるのもわかる気がする。ナインティナインの岡村は女の子だ。
女の子だとして気を遣うなら、こんな風に言えなくもない。
「目はくりっとしている。口も小ぶりでかわいらしい(ここが岡村と似ていない点ではあろう)。鼻はまあ、確かに猿っぽく見える原因なのではあろうが、見方を変えれば、「挑発的」などと表現できたりする形なのだろう。彼女が大人になれば。要するに、素材は悪くない、髪型や眉毛を整えれば、とてもかわいらしい子になる、と君は言いたいんだろ?」
まあわからなくもない。「女は化ける」なんて話はよく聞く。
じゃあ君は、岡村を散髪に連れていくのかい? 施設の人は、岡村は散髪を嫌がる、と言ってたじゃないか。だから自分で切るんだと。
こんなこと言うと「そんな問題じゃない」などと言われるのは当然予想できたので、僕は何も言わなかった。
別のサークル員は笑いながらこんなことを言ってたけど。
「髪のばしても研ナオコだろ」
そう言う彼はブラックマヨネーズのぶつぶつの方に似ている。
岡村はとても嫌な子だった。立場上嫌な顔できない僕は、ぎくしゃくした笑顔で接していた。岡村は僕に自分が作った物語を話してくれた。とてもどうでもいい物語だった。
「人間は虫から進化した。虫たちは人間の目の見えないところに国を作り、小さな虫たちを派遣して、人間を監視している。虫はときどき人間にのりうつって、人間を操作している」
概要はこういうものだった。
もちろん本気なわけじゃない。それはわかる。単なる物語だ。童話だ。岡村はそう理解できている。
しかし子供が作る童話ではない。
変な知識ばかり覚えているのだろう。「虫は人間の小脳に寄生している」などと。「小脳とか」と僕は思わず笑ってしまう。九歳の女の子が使う言葉じゃない。いやそもそも物語とはそういうものじゃない。じゃあどういうものだ、と言われても答えられないけれど、少なくとも彼女の作る物語は童話じゃない。「小脳」がどういうものか知らずに使ってるだけだろう。そう言えば大人は納得してくれる、と。そう思ってそんな言葉を使っているのだろう。
それが不愉快だった。
ときどき岡村は、自分がなついていることを忘れたかのように、なんの前触れもなく、僕のもとを離れていく。
自分が疲れているのがわかる。
ぎくしゃくさを見抜かれている気がして、不愉快だった。そんな気がしてしまう自分についても。
猿に見抜かれてどうする?
いや違う。見抜かれてなんかいない。猿が人真似をしているから不愉快なのだ。猿が人間の言葉をしゃべっているから。人間という猿にとってそれは、言葉なんてなんの意味もないことを思い出させるようなことである。
見抜かれているのではなく、ボロが出ているだけ。
そんな風に考えてしまうのが、不愉快なのだ。
彼女が問題児なのは、他の児童にとって迷惑な存在だから、というだけではなく、大人の職員たちも、彼女を迷惑な存在だと感じているから、なのではないだろうか。表面上、他の子と等しく接しているように見えても、実際に会話してみるとわかる。普通の大人なら、彼女の言動、いや、なんだろう、醸し出す雰囲気、というあいまいな表現しかできないが、そういうものに対し、なんとも言えない不愉快さを覚えると、僕は思う。実際に僕は不愉快だ。
大人だからそう言えないだけ。
彼女とケンカばかりするようになった。彼女は自分勝手なことばかり言う。サークルの中ではわりとボランティアに熱心な方で、そういうところが好きだったのだが、単純に自己満足でやっているだけなのがわかった。
僕は自己満足なんかじゃない。本気じゃないから自己満足じゃない。
彼女は本気だった。熱心だった。
僕は最初から彼女の活動が自己満足だったことを知っていた。
そう思うと、彼女が何かとても汚らしい存在に思えてきた。僕をだましていた、ということか。そんな風には思わない。僕が勝手に勘違いしていただけだと思う。
しかし別れられなかった。最終的に別れを持ち出したのは彼女だった。僕は拒否した。してしまった。昔の彼女に戻れるんじゃないかと思っていたからだ。今の嫌な存在になったのも、勝手な僕の思い込みにすぎないから。僕はそう思っているから。
「もう少し待ってくれ」
居酒屋で言ったこの言葉が、とてもみじめなものだと、自分でもわかっていた。
それから間もなく、就職活動を始めた。やる気が起きなかった。しかしやった。まるでバイトでする作業のように、就職活動をした。
なかなか採用してもらえなかったが、なんとか中規模の会社に就職することができた。父親側の育児休暇制度は、あることはあったが、いまだ誰も取ったことがないという会社だった。
そこそこだ。そこそこなんだ。そこそこでいいんだ。そこそこが人間なんだ。
「そこそこ」
と岡村が笑っているように思えた。
そういえば、『ZOO』という歌がある。ブラマヨのぶつぶつ先輩がよく歌っていた。彼はこういうナツメロが好きだ。
人間が動物に見える、という歌だった。
今の僕は逆。
人間が人間に見える。動物に見えない。
もしかしたら僕は動物に見られているのかもしれない。
人間たちから。
岡村みたいな精神障害があれば、こんなこと思わずに済んだだろうか。
彼女は最初から猿だから。
余談だが、岡村は今は入院しているらしい。
猿は檻に閉じ込めておけ。
会社でやっていけるだろうか、と思う。いやそもそも僕はなんで人間たちの間で生きてこれたのか、どうやって生きてきたのか、と思う。
つきあっていた彼女も、おそらく就職が決まっているだろう。
ぶち壊してやりたい。
素でそう思った。
僕がその子と知りあったのは、ボランティアサークルで訪問した、とある施設だった。
「猿みたいな子がいる」
と思った。ナインティナインの岡村に少し似ている。
髪はざんぎり。あとで聞いたら自分で切ってしまうのだと言う。だからまともな髪型になっていない。
体は小さい。体力測定などで級外になるほど、腕力や握力もない。
だけど自分より小さい子に暴力をよくふるう。
その施設でも問題児とされている。
そういった問題児を、ただのボランティアサークルの大学生に見せつけるのもどうかと思う。いやまあ、こういった仕事はきれいごとだけじゃないんだぞ、などという考えもあるのかもしれないが。
確かにサークル内でもその子は話題になった。しかしそこはそれ、僕たちは本気じゃない。OBには、NGO団体に就職しアフリカで井戸を掘っている人もいるが、将来そんな仕事をやりたいわけじゃない。そんな仕事と正反対の会社に就職するための箔づけ、一種のきれいごととして、僕たちはボランティアをしている。
きれいごとでやっていると自覚しているのだから、きれいごとのままでいさせてほしい、というのが本音だった。
僕がこんな愚痴を言ってしまうのは、そのナインティナインの岡村が、やけに僕になついていたからだ。
僕自身は「なつく」なんて言葉使いたくない。「子供になつかれる」ことがこんなことだと思いたくない。いや、確かに本当の育児ともなれば、いろいろしちめんどくさい労働が必要となるのだろう。それならいい。僕だって将来子供を持つ日がくるだろう。社会人になって、妻が出産したら、僕は育児休暇を取るつもりでいる。最近はそういった理解のある企業が増えている。
しかし、そんな企業は、いまだやはりごく一部だ。狭き門だ。そのためのボランティアサークルである。いや結果的にはそれだけじゃなくなったが。僕はここで将来の妻候補と出会った。今の彼女である。
その子を「ナインティナインの岡村」と言って、多くの友人は同意してくれたのだが、彼女はそうじゃなかった。「そういう髪型してるだけなんじゃない」と。
彼女がそう反論したくなるのもわかる気がする。ナインティナインの岡村は女の子だ。
女の子だとして気を遣うなら、こんな風に言えなくもない。
「目はくりっとしている。口も小ぶりでかわいらしい(ここが岡村と似ていない点ではあろう)。鼻はまあ、確かに猿っぽく見える原因なのではあろうが、見方を変えれば、「挑発的」などと表現できたりする形なのだろう。彼女が大人になれば。要するに、素材は悪くない、髪型や眉毛を整えれば、とてもかわいらしい子になる、と君は言いたいんだろ?」
まあわからなくもない。「女は化ける」なんて話はよく聞く。
じゃあ君は、岡村を散髪に連れていくのかい? 施設の人は、岡村は散髪を嫌がる、と言ってたじゃないか。だから自分で切るんだと。
こんなこと言うと「そんな問題じゃない」などと言われるのは当然予想できたので、僕は何も言わなかった。
別のサークル員は笑いながらこんなことを言ってたけど。
「髪のばしても研ナオコだろ」
そう言う彼はブラックマヨネーズのぶつぶつの方に似ている。
岡村はとても嫌な子だった。立場上嫌な顔できない僕は、ぎくしゃくした笑顔で接していた。岡村は僕に自分が作った物語を話してくれた。とてもどうでもいい物語だった。
「人間は虫から進化した。虫たちは人間の目の見えないところに国を作り、小さな虫たちを派遣して、人間を監視している。虫はときどき人間にのりうつって、人間を操作している」
概要はこういうものだった。
もちろん本気なわけじゃない。それはわかる。単なる物語だ。童話だ。岡村はそう理解できている。
しかし子供が作る童話ではない。
変な知識ばかり覚えているのだろう。「虫は人間の小脳に寄生している」などと。「小脳とか」と僕は思わず笑ってしまう。九歳の女の子が使う言葉じゃない。いやそもそも物語とはそういうものじゃない。じゃあどういうものだ、と言われても答えられないけれど、少なくとも彼女の作る物語は童話じゃない。「小脳」がどういうものか知らずに使ってるだけだろう。そう言えば大人は納得してくれる、と。そう思ってそんな言葉を使っているのだろう。
それが不愉快だった。
ときどき岡村は、自分がなついていることを忘れたかのように、なんの前触れもなく、僕のもとを離れていく。
自分が疲れているのがわかる。
ぎくしゃくさを見抜かれている気がして、不愉快だった。そんな気がしてしまう自分についても。
猿に見抜かれてどうする?
いや違う。見抜かれてなんかいない。猿が人真似をしているから不愉快なのだ。猿が人間の言葉をしゃべっているから。人間という猿にとってそれは、言葉なんてなんの意味もないことを思い出させるようなことである。
見抜かれているのではなく、ボロが出ているだけ。
そんな風に考えてしまうのが、不愉快なのだ。
彼女が問題児なのは、他の児童にとって迷惑な存在だから、というだけではなく、大人の職員たちも、彼女を迷惑な存在だと感じているから、なのではないだろうか。表面上、他の子と等しく接しているように見えても、実際に会話してみるとわかる。普通の大人なら、彼女の言動、いや、なんだろう、醸し出す雰囲気、というあいまいな表現しかできないが、そういうものに対し、なんとも言えない不愉快さを覚えると、僕は思う。実際に僕は不愉快だ。
大人だからそう言えないだけ。
彼女とケンカばかりするようになった。彼女は自分勝手なことばかり言う。サークルの中ではわりとボランティアに熱心な方で、そういうところが好きだったのだが、単純に自己満足でやっているだけなのがわかった。
僕は自己満足なんかじゃない。本気じゃないから自己満足じゃない。
彼女は本気だった。熱心だった。
僕は最初から彼女の活動が自己満足だったことを知っていた。
そう思うと、彼女が何かとても汚らしい存在に思えてきた。僕をだましていた、ということか。そんな風には思わない。僕が勝手に勘違いしていただけだと思う。
しかし別れられなかった。最終的に別れを持ち出したのは彼女だった。僕は拒否した。してしまった。昔の彼女に戻れるんじゃないかと思っていたからだ。今の嫌な存在になったのも、勝手な僕の思い込みにすぎないから。僕はそう思っているから。
「もう少し待ってくれ」
居酒屋で言ったこの言葉が、とてもみじめなものだと、自分でもわかっていた。
それから間もなく、就職活動を始めた。やる気が起きなかった。しかしやった。まるでバイトでする作業のように、就職活動をした。
なかなか採用してもらえなかったが、なんとか中規模の会社に就職することができた。父親側の育児休暇制度は、あることはあったが、いまだ誰も取ったことがないという会社だった。
そこそこだ。そこそこなんだ。そこそこでいいんだ。そこそこが人間なんだ。
「そこそこ」
と岡村が笑っているように思えた。
そういえば、『ZOO』という歌がある。ブラマヨのぶつぶつ先輩がよく歌っていた。彼はこういうナツメロが好きだ。
人間が動物に見える、という歌だった。
今の僕は逆。
人間が人間に見える。動物に見えない。
もしかしたら僕は動物に見られているのかもしれない。
人間たちから。
岡村みたいな精神障害があれば、こんなこと思わずに済んだだろうか。
彼女は最初から猿だから。
余談だが、岡村は今は入院しているらしい。
猿は檻に閉じ込めておけ。
会社でやっていけるだろうか、と思う。いやそもそも僕はなんで人間たちの間で生きてこれたのか、どうやって生きてきたのか、と思う。
つきあっていた彼女も、おそらく就職が決まっているだろう。
ぶち壊してやりたい。
素でそう思った。