あるちょっと若い魔女のつぶやき
2010/04/13/Tue
どうも最近、人間たちは物語が魔術の一種であることを忘れているような気がする。
科学教のせいか。現代では、科学により、魔術とはどういうものか、対立的に定義されている。その対立した定義のうちに、物語は含まれていない、ということか。科学教は魔術、オカルトを悪魔に仕立てあげた。この二項対立神話のうちに、物語は含まれていないだけ。
しかし、そもそも、科学対オカルトという二項対立自体が、一種の神話として、つまり魔術として成立していることを、人間たちはわかっているのだろうか。
魔女のわたしから見れば、科学もオカルトも変わりない。安定度が違うだけ。固体と液体の違いのようなもの。
なるほどな。最近の人間たちは物語への欲望が過剰になっている、と、ただの印象で思ったことがあるが、そういう機制もあるのかもしれない。
科学教が行間で作りあげている神話。魔術。
もちろんこんな神話と関係ないところで研究している科学者もいよう。そういった者たちには、魔術、オカルトを批判する権利がある。しかしそういった者たちの魔術、オカルトに対する批判は、魔術、オカルトを明確化する研究となるだろう。彼らにとってそれは悪魔などではないのだから。
となると、わたしのやっていることと同じになる。
いや、その方がいい。やっていることは同じだが、村での生きやすさは、彼らの生き方の方が、上だろう。
わたしのやり方は村では生きにくい。
だから村の外に住んでいる。
だから魔女と呼ばれている。
それだけのことさ。
科学教のせいか。現代では、科学により、魔術とはどういうものか、対立的に定義されている。その対立した定義のうちに、物語は含まれていない、ということか。科学教は魔術、オカルトを悪魔に仕立てあげた。この二項対立神話のうちに、物語は含まれていないだけ。
しかし、そもそも、科学対オカルトという二項対立自体が、一種の神話として、つまり魔術として成立していることを、人間たちはわかっているのだろうか。
魔女のわたしから見れば、科学もオカルトも変わりない。安定度が違うだけ。固体と液体の違いのようなもの。
なるほどな。最近の人間たちは物語への欲望が過剰になっている、と、ただの印象で思ったことがあるが、そういう機制もあるのかもしれない。
科学教が行間で作りあげている神話。魔術。
もちろんこんな神話と関係ないところで研究している科学者もいよう。そういった者たちには、魔術、オカルトを批判する権利がある。しかしそういった者たちの魔術、オカルトに対する批判は、魔術、オカルトを明確化する研究となるだろう。彼らにとってそれは悪魔などではないのだから。
となると、わたしのやっていることと同じになる。
いや、その方がいい。やっていることは同じだが、村での生きやすさは、彼らの生き方の方が、上だろう。
わたしのやり方は村では生きにくい。
だから村の外に住んでいる。
だから魔女と呼ばれている。
それだけのことさ。