平均台
2007/03/26/Mon
人類は、言葉を手に入れてからは皆等しく神経症者である。
本当の享楽、死と直結した享楽の代わりに、言語構造という幻想の遊び場の中で戯れる。
それは、まるで平均台を渡っているようだ。
人の「正常」とは平均台という狭い領域を指しているに過ぎない。
そこを歩かせているのはせきたてや欲望や引力や抑圧や圧力だ。
これらいろんな力の均衡点がその平均台である。
それらの力の源泉は平均台を歩く者にとっての他者にあるから、力の均衡点は即ち他者の平準となる。
だから、多数決的にこの平均台は「正常」の領域となる。
しかし、少しでもバランスを崩せば、平均台から落ちてしまう。
ゼリー状の地面の上、なんとか自己を保とうと藁にもすがる。
その藁の種類が精神障害の「症状」だ。
藁とはいえそれにつかまることで、彼はゼリーに飲み込まれることはなくなった。
足元の底にある享楽と死に対し惹かれ恐れながら、やっとの思いでそこにいる。
そんな彼を人は「異常」と呼ぶ。
だから、精神障害は「治りかけ」がもっとも症状が激しくなる。
藁とはいえ彼にしてみれば、治ることとは平均台から下ろされることに等しいのだから。
本当の享楽、死と直結した享楽の代わりに、言語構造という幻想の遊び場の中で戯れる。
それは、まるで平均台を渡っているようだ。
人の「正常」とは平均台という狭い領域を指しているに過ぎない。
そこを歩かせているのはせきたてや欲望や引力や抑圧や圧力だ。
これらいろんな力の均衡点がその平均台である。
それらの力の源泉は平均台を歩く者にとっての他者にあるから、力の均衡点は即ち他者の平準となる。
だから、多数決的にこの平均台は「正常」の領域となる。
しかし、少しでもバランスを崩せば、平均台から落ちてしまう。
ゼリー状の地面の上、なんとか自己を保とうと藁にもすがる。
その藁の種類が精神障害の「症状」だ。
藁とはいえそれにつかまることで、彼はゼリーに飲み込まれることはなくなった。
足元の底にある享楽と死に対し惹かれ恐れながら、やっとの思いでそこにいる。
そんな彼を人は「異常」と呼ぶ。
だから、精神障害は「治りかけ」がもっとも症状が激しくなる。
藁とはいえ彼にしてみれば、治ることとは平均台から下ろされることに等しいのだから。