ふと思いついた言葉
2010/04/18/Sun
「自己防衛が生きがいだ」
ふと思いついただけだけど、そういうことかな、と。
自己防衛の言動が、他者に承認されて、生きがいとなる。
生きがいってのは「生き甲斐」で、「甲斐」ってえのが他者の承認であり、「合意の快楽」なわけだ。
だからわたしの場合生きがいではないんだよね。
ほんと三途の川で石を積み上げてる子供みたいなもん。
わたしの自己防衛って。
要するにさ、十川の言う「精神面におけるオートポイエーシス論」って、「人間は大体人間の体をした子を産むだろ? 精神もそれと同じこと」って言ってるだけじゃん。
じっつにつまんねー論じゃんか。
「なんでオートポイエーシスになるの?」って疑問を、精神面に限っての領域で、エポケーする論でしかないと思うんだが。
それならあたしゃ「オートポイエーシスシステムの原因としての鏡像段階論」を選ぶわ。
道具として。
結局「正常である自分についての自己肯定」でしかないと思うんだが。そのための道具としては有効だろうな。
つまり正常人がキチガイを虐殺する言い訳として。正常な個体が突然変異の個体をぶち殺してかまわないとする論拠として。
だから「死ね」と言ってるんだが。
自己防衛がわたしの言動すべて、となるんだが。
「人間は人間の形をした子を産む」ってのをインテリっぽく言い直しただけじゃないか。
こういった考えが無意識になってるから「奇形児は不愉快なもの」となる。
なあ、「オートポイエーシス」を連呼してる君たち。君たちの「内面」で、それは「正常である自分自身」についての自己肯定になってやしないか?
いやなってないならいいんだよ(笑)。
君がどう言い訳しようと、むしろ言い訳する姿が、お前がそう思っていたことの証拠にしかわたしには見えない、ってだけ。
それだけの話だよ。
「哲学とはパラノイアである」
この言葉を、哲学者たちはもう一度考え直した方がいいぞ。
自己批判的に。
あ、いちおニセラカニアンとして義理立てするだけだけど、ラカンは出版そのものをバカにしてたらしいお。自分の論が本になるのを嫌がっていた。
そりゃそーだ。「言語化が困難な」臨床経験っていう経験知を、後進の分析家たちに伝えようとしていただけなわけだから。そもそもが言語化困難なことを論じているのだから、本になると誤解も増えよう。
ラカンとデリダは「手紙は必ず宛先に届くか」ってアホみたいな論争をしていてラカンは「届く」という立場だったんだが、態度として「手紙は必ずしも宛先に届かない」だったのは、むしろラカンの方だ、ってなる。
まあデリダもその著作は「わけのわからん非建設的なただ論駁したいだけの論」って感じだが。つか脱構築ってそういうことだろ。態度としては非建設的にもなる。
アスペでたとえるなら、ラカンは孤立型でデリダは積極奇異型、みたいなことだろうな。
つか確かにポスト構造主義自体がスキゾフレニックだもんな。ドゥルーズ=ガタリはコピーライターとして優秀だった。
ま、だからこそ、もともとがパラノイアックな多数派部族すなわち正常人たちによって、加速度的に改竄されてってるわけだが。
構造主義~ポスト構造主義自体が、「思想・言説の歴史」から言って、一種のアロポイエーシスだった、と。
いや他の時代でも普通にあるだろうが。アロポイエーシスは。そもそも言説なんて(つか歴史自体が)幻想なんだから。
そーゆー話だよ。
あ、そらパパくん観察日記だけど、浅見とのケンカが盛りあがってるようで、まあいいかな、と。
つかなんつか、わたしから見ればそらパパくんも浅見も同じなんだよな。同じ側の人間。同じ部族が言いあいをしている。
でさー、部族としての性質と合致するのは、浅見の方の態度なんだよね。もちろんそれは、その部族から言えば村八分のわたしにとっては、そらパパくんの方が若干わたしよりにいる、ってだけで。
となると、わたしの経験上、そらパパくんの論は浅見に丸め込まれる、って予測しちゃうんだよな。この丸め込みから逃れるために村八分って微妙な立場にいるわけだけど。
根っこは同じなんだから、結局その部族の論を強化するだけじゃん、って。
それを避けるには、心中するくらいの態度で望まないと。その部族全体を破壊するのもよしとする勢いじゃないと。
まさに自爆テロ。
このブログはそういうものよ。
あ、何が言いたいかって、論説の立場で言えば、浅見よかそらパパくんの方が近い。人間的にも、浅見を観察してたら、そらパパくんより浅見の方が嫌いってなるだろう。ただわたしは浅見についての観察をほとんどしてないから、目の前にいる別部族のそらパパくんを攻撃してるだけで。
それは一応言っといた方がいいかな、って。
とか言いながら浅見のツイートちらちら読んでたりするんだが、つかまー、性格すげー笙野頼子と似てそう。いやま、笙野は「自分の内面を肯定的じゃない態度で探る」って段階があったけどな。つかちょっと前までの作品はすべてそうだ。だから『金毘羅』なんて作品が映える。単体でも傑作だが(一冊の中にそれ以前の笙野の内面が込められている)、笙野のそれ以前の作品と並べると余計に光る。おもしろい。感動的。美しい。
あ、わたし笙野から弁護士通じて監視されてるみたいだけど、作品ごとについてはほめてるのもあるし、『金毘羅』も以前からほめてるけど、今も変わらないよ。『レストレス・ドリーム』とかすげーいい。
ま、浅見も賞取る前の笙野的なマイナスオーラ満杯の時期があったのかもしれんがな。
最近笙野も大手出版社たらい回しにされてるみたいだし、どうよ花風社、笙野に声かけて文学界に殴り込みってのは。
想像するだけで死ぬほど怖くなった。
あとさー、……そらパパくんや。
君一派と浅見一派の罵りあいなんだが。
君陣営も浅見陣営も、「相手はこうこうこうだからだめだ」って言っている、「こうこうこう」ってほとんどアスペにあてはまるって気づいているかい?
そりゃー自己肯定がへたにもなるわな。アスペって一般的にそうなんでしょ?
つかわたしにもあてはまる。
そりゃー被害妄想にもなるわ。
そらパパ陣営も浅見陣営も、「自閉症者が素で取るような言動は不愉快だ」って言っているようにしか見えない。
具体的にどういうところが? ってのはそらパパくんちのコメントに書いた。まあ多分公開しないだろうけど。
悲しくなってきたわ。
自閉症関係者がこんなんって。
「正常という精神疾患」はこれほど強力なものか、って。
結局、「正常という精神疾患」者が、「自閉症者が素で取るような言動」が「不愉快」だから、療育なんてのがあるだけじゃね?
多数決により、ただの「不愉快だからやめれ」という実力行使が正当化されている。
だから療育関係者は「社会」というただの幻想を論拠にする。それを相対化できない。
療育なんて、現代のいじめと同じ心理構造で行われていることがわかる。今回の罵りあいがその証拠だ。
どの口が「社会が支えなければならない」とか言ってるんだい?
てめえら、他人に自分の精神疾患症状押しつける前に、まずてめえの心理分析しろよ、バカが。
正常人の心も、療育する側の心も、自閉症者にしているのと同じ「ただの物」を見る態度で、分析して見せろよ。
「なぜそれを不愉快に思うのか」
話はそれからだ。
欠席裁判だ。片方が欠席したまま、療育という判決が出ている。
第三者のわたしにはそう見える。
いや、自閉症者も治りたいと思っているだろう。普通の人になりたいと思っている当事者も多いだろう。
しかし、今の自閉症療育は、純粋にそういった要請からきたものだろうか。
「正常という精神疾患」の妄想症状の犠牲として、自閉症者は存在していないか。
今自閉症療育に携わっている者全員に聞きたい。
お前が行っているその行為は、純粋に自閉症者のためと言いきれるのか?
自閉症者が素で取ってしまう言動を不愉快に思っているから、それを封殺したい、という気持ちが、お前の心の奥底にないか?
お前の心の奥底をのぞいてみろよ。
無責任にそこから目をそらすなよ。
さあ、どうだ?
お前がしている療育は、本当に、純粋に、自閉症者の要請によるものなのか?
こう、ざーっと浅見一派のツイート眺めたんだが、浅見一派の方が、「本音を言っている」と思える。特に浅見は。
そういう意味では、浅見は「言っていいことと悪いことがわからない」アスペと似ている。まさに「自閉症は自開症だ」。
自己肯定が過剰なところが違うだけ。いやま、アスペでも自己防衛が高じてそれが自己肯定に見える奴も多いが。逆に言えばそれの原因として被害妄想があるかないか、ってこと。
あれだな。ネトゲとか運営会社がツイッターしたりしてるんだが、浅見ほど「本音を言っている」とは思えないけど、そこそこ内輪の暴露話とかして、ツイッター社員の「本音」をさらけ出していることが多い。それがもとで炎上したりするんだろうな。某ネトゲSNSではすでに元社員が暴露話をして炎上したりしている。ツイッターでも同じことが起こるだろうというのは想像にかたくない。
でも逆に言えば、そういった暴露話があるから、「この会社はオープンなんだな」となって、信頼を高める場合がある。だから運営会社たちはツイッターをやっている。いや、宣伝として基本タダだから、っていうのが大きいんだろうが、「本音をオープンにしているから、ちょっとは課金してやってもいいかなと思える」などというユーザーの反応がちらほら見られるのも事実。
なんつか「ネットの2ちゃん化」みたいなこと。いろんな人の「本音」が渦巻いていたのが2ちゃんだろ? 匿名だから「本音」が言える、と。
こんな議論すると、「だから本音と建前がある。建前を大事にすべき」って話になるんだが、その前に、なぜ人間は「本音」をこんなに毛嫌いするの? って疑問がなぜ生じないのだろう?
それを論じている学問は、わたしの管見では、精神分析以外にない。
「本音」なんて本当は「ない」のに、妄想で「ある」と思い込んでいるから、「本音」が語れないことを、精神疾患的に忌避するのだ。最初から。
あれだな。一般的には、浅見はただの被害者だ、ってことになるだろうな。
自閉症村なんて一般世間から見たらほんの一部だろ。多数決的にそらパパくん陣営は不利だ。
それをわかってるんだろうか、そらパパくんは。
自閉症療育村を世界だと思い込んでいないか。
多数決勝負をしたら、自閉症者の側に立っている方が負ける。ほぼ。
善悪、好悪なる「フレーム」から外れた人種が自閉症者なんだから。
そらパパくんちブロックされたwww
100件で音をあげるとか。中坊さんとか300件でも平気な顔してるのにwww ママさんにも100通近くメッセ送ってたけど(一日にな)、さすがに「ちょっとストップ、待って」とは言ったがブロックはしてないな。まあ両方わたしが冷めたから最近あれだけど。
てめえの器が小せえだけじゃねえか。
小さいフレームにそらパパくん自身ががんじがらめになっているだけ。自分の「信念」に縛られてるだけ。
それを自覚してから「フレームとはなんぞや」を論じろよ。
「療育とは自閉症者にフレームを組み込むことだ」なんて主張しているなら。
そらパパくんや。君は器の小さい人間だ。なのに、その小さな器に、他者を取り入れたり排除したりしようとするから、器の小ささがばれる。底の浅さがばれる。
自分の娘のためだけの療育論語ってればよかったのに。
その療育を他の自閉症者にも適用できるよういじくるのは、他人のやることだ。君の器では大勢が幸せになれるシステムは作れない。家族の幸せのためだけに働いていればよい。
器の小さいことは悪いことじゃないぜ。ただ国会議員とかとつきあっちゃうと、わたしには精神疾患者にしか見えないんだが、ああいう人が「器の大きい人」って呼ばれるんだろうな、と思う。器の大きい人=パラノイアってことだな。そうだろ、パラノイアのわかりやすいキャラクター造詣は、有力な政治家や英雄だ。
あ、わたしはもっと小さいよ。量子レベル。だから器とは言えない。わたしに器なんかない。あっても壊れている。
わたしは基本すべての人間が不愉快だからな。
つかツイートみたいな140字制限ってさー、言葉の意味がある程度共有できている、つまりそこそこ議論したことのある相手じゃないと、ほんと無意味だなーって思えるんだけど。
意味のない言葉のやり取りして何がうれしいの? と。
読んでる人が不特定多数になるわけだから、「この言葉の意味はこうで」っていちいち説明しなきゃいけなくなる。被害妄想的に。
誰か特定の相手なら、「この人はこういう意味でこの言葉を使っている」ってのがある程度わかっているから、ツイートみたいな短文でもいいけどね。
「本音」は短文じゃ言えない。
龍樹が現代に生きてたらあっという間に「つまはじき者」になるだろうな。その時代でも相当嫌われてたみたいだし。
ほんと正常人って自分に都合のいいことしか存在を許さないのな。
つかブロックするならはよしとけよ。
まあ我慢してるんだろうなとは思ってたが、その「実際の器は小さい癖に大きく見せようとする」態度を「もしかしたらほんとに大きいのかも」とか勘違いしちゃったんだろうな。油断した。
ここのコメント欄で、「大丈夫だよ」つってたピックさんなんかあっさり「あ、だめかもね」つってるが、わたしの方が「大丈夫だよ」って思ってた、ってことか。
いや「やっぱだめだったか」でもあるんだけど。
ふと思いついただけだけど、そういうことかな、と。
自己防衛の言動が、他者に承認されて、生きがいとなる。
生きがいってのは「生き甲斐」で、「甲斐」ってえのが他者の承認であり、「合意の快楽」なわけだ。
だからわたしの場合生きがいではないんだよね。
ほんと三途の川で石を積み上げてる子供みたいなもん。
わたしの自己防衛って。
要するにさ、十川の言う「精神面におけるオートポイエーシス論」って、「人間は大体人間の体をした子を産むだろ? 精神もそれと同じこと」って言ってるだけじゃん。
じっつにつまんねー論じゃんか。
「なんでオートポイエーシスになるの?」って疑問を、精神面に限っての領域で、エポケーする論でしかないと思うんだが。
それならあたしゃ「オートポイエーシスシステムの原因としての鏡像段階論」を選ぶわ。
道具として。
結局「正常である自分についての自己肯定」でしかないと思うんだが。そのための道具としては有効だろうな。
つまり正常人がキチガイを虐殺する言い訳として。正常な個体が突然変異の個体をぶち殺してかまわないとする論拠として。
だから「死ね」と言ってるんだが。
自己防衛がわたしの言動すべて、となるんだが。
「人間は人間の形をした子を産む」ってのをインテリっぽく言い直しただけじゃないか。
こういった考えが無意識になってるから「奇形児は不愉快なもの」となる。
なあ、「オートポイエーシス」を連呼してる君たち。君たちの「内面」で、それは「正常である自分自身」についての自己肯定になってやしないか?
いやなってないならいいんだよ(笑)。
君がどう言い訳しようと、むしろ言い訳する姿が、お前がそう思っていたことの証拠にしかわたしには見えない、ってだけ。
それだけの話だよ。
「哲学とはパラノイアである」
この言葉を、哲学者たちはもう一度考え直した方がいいぞ。
自己批判的に。
あ、いちおニセラカニアンとして義理立てするだけだけど、ラカンは出版そのものをバカにしてたらしいお。自分の論が本になるのを嫌がっていた。
そりゃそーだ。「言語化が困難な」臨床経験っていう経験知を、後進の分析家たちに伝えようとしていただけなわけだから。そもそもが言語化困難なことを論じているのだから、本になると誤解も増えよう。
ラカンとデリダは「手紙は必ず宛先に届くか」ってアホみたいな論争をしていてラカンは「届く」という立場だったんだが、態度として「手紙は必ずしも宛先に届かない」だったのは、むしろラカンの方だ、ってなる。
まあデリダもその著作は「わけのわからん非建設的なただ論駁したいだけの論」って感じだが。つか脱構築ってそういうことだろ。態度としては非建設的にもなる。
アスペでたとえるなら、ラカンは孤立型でデリダは積極奇異型、みたいなことだろうな。
つか確かにポスト構造主義自体がスキゾフレニックだもんな。ドゥルーズ=ガタリはコピーライターとして優秀だった。
ま、だからこそ、もともとがパラノイアックな多数派部族すなわち正常人たちによって、加速度的に改竄されてってるわけだが。
構造主義~ポスト構造主義自体が、「思想・言説の歴史」から言って、一種のアロポイエーシスだった、と。
いや他の時代でも普通にあるだろうが。アロポイエーシスは。そもそも言説なんて(つか歴史自体が)幻想なんだから。
そーゆー話だよ。
あ、そらパパくん観察日記だけど、浅見とのケンカが盛りあがってるようで、まあいいかな、と。
つかなんつか、わたしから見ればそらパパくんも浅見も同じなんだよな。同じ側の人間。同じ部族が言いあいをしている。
でさー、部族としての性質と合致するのは、浅見の方の態度なんだよね。もちろんそれは、その部族から言えば村八分のわたしにとっては、そらパパくんの方が若干わたしよりにいる、ってだけで。
となると、わたしの経験上、そらパパくんの論は浅見に丸め込まれる、って予測しちゃうんだよな。この丸め込みから逃れるために村八分って微妙な立場にいるわけだけど。
根っこは同じなんだから、結局その部族の論を強化するだけじゃん、って。
それを避けるには、心中するくらいの態度で望まないと。その部族全体を破壊するのもよしとする勢いじゃないと。
まさに自爆テロ。
このブログはそういうものよ。
あ、何が言いたいかって、論説の立場で言えば、浅見よかそらパパくんの方が近い。人間的にも、浅見を観察してたら、そらパパくんより浅見の方が嫌いってなるだろう。ただわたしは浅見についての観察をほとんどしてないから、目の前にいる別部族のそらパパくんを攻撃してるだけで。
それは一応言っといた方がいいかな、って。
とか言いながら浅見のツイートちらちら読んでたりするんだが、つかまー、性格すげー笙野頼子と似てそう。いやま、笙野は「自分の内面を肯定的じゃない態度で探る」って段階があったけどな。つかちょっと前までの作品はすべてそうだ。だから『金毘羅』なんて作品が映える。単体でも傑作だが(一冊の中にそれ以前の笙野の内面が込められている)、笙野のそれ以前の作品と並べると余計に光る。おもしろい。感動的。美しい。
あ、わたし笙野から弁護士通じて監視されてるみたいだけど、作品ごとについてはほめてるのもあるし、『金毘羅』も以前からほめてるけど、今も変わらないよ。『レストレス・ドリーム』とかすげーいい。
ま、浅見も賞取る前の笙野的なマイナスオーラ満杯の時期があったのかもしれんがな。
最近笙野も大手出版社たらい回しにされてるみたいだし、どうよ花風社、笙野に声かけて文学界に殴り込みってのは。
想像するだけで死ぬほど怖くなった。
あとさー、……そらパパくんや。
君一派と浅見一派の罵りあいなんだが。
君陣営も浅見陣営も、「相手はこうこうこうだからだめだ」って言っている、「こうこうこう」ってほとんどアスペにあてはまるって気づいているかい?
そりゃー自己肯定がへたにもなるわな。アスペって一般的にそうなんでしょ?
つかわたしにもあてはまる。
そりゃー被害妄想にもなるわ。
そらパパ陣営も浅見陣営も、「自閉症者が素で取るような言動は不愉快だ」って言っているようにしか見えない。
具体的にどういうところが? ってのはそらパパくんちのコメントに書いた。まあ多分公開しないだろうけど。
悲しくなってきたわ。
自閉症関係者がこんなんって。
「正常という精神疾患」はこれほど強力なものか、って。
結局、「正常という精神疾患」者が、「自閉症者が素で取るような言動」が「不愉快」だから、療育なんてのがあるだけじゃね?
多数決により、ただの「不愉快だからやめれ」という実力行使が正当化されている。
だから療育関係者は「社会」というただの幻想を論拠にする。それを相対化できない。
療育なんて、現代のいじめと同じ心理構造で行われていることがわかる。今回の罵りあいがその証拠だ。
どの口が「社会が支えなければならない」とか言ってるんだい?
てめえら、他人に自分の精神疾患症状押しつける前に、まずてめえの心理分析しろよ、バカが。
正常人の心も、療育する側の心も、自閉症者にしているのと同じ「ただの物」を見る態度で、分析して見せろよ。
「なぜそれを不愉快に思うのか」
話はそれからだ。
欠席裁判だ。片方が欠席したまま、療育という判決が出ている。
第三者のわたしにはそう見える。
いや、自閉症者も治りたいと思っているだろう。普通の人になりたいと思っている当事者も多いだろう。
しかし、今の自閉症療育は、純粋にそういった要請からきたものだろうか。
「正常という精神疾患」の妄想症状の犠牲として、自閉症者は存在していないか。
今自閉症療育に携わっている者全員に聞きたい。
お前が行っているその行為は、純粋に自閉症者のためと言いきれるのか?
自閉症者が素で取ってしまう言動を不愉快に思っているから、それを封殺したい、という気持ちが、お前の心の奥底にないか?
お前の心の奥底をのぞいてみろよ。
無責任にそこから目をそらすなよ。
さあ、どうだ?
お前がしている療育は、本当に、純粋に、自閉症者の要請によるものなのか?
こう、ざーっと浅見一派のツイート眺めたんだが、浅見一派の方が、「本音を言っている」と思える。特に浅見は。
そういう意味では、浅見は「言っていいことと悪いことがわからない」アスペと似ている。まさに「自閉症は自開症だ」。
自己肯定が過剰なところが違うだけ。いやま、アスペでも自己防衛が高じてそれが自己肯定に見える奴も多いが。逆に言えばそれの原因として被害妄想があるかないか、ってこと。
あれだな。ネトゲとか運営会社がツイッターしたりしてるんだが、浅見ほど「本音を言っている」とは思えないけど、そこそこ内輪の暴露話とかして、ツイッター社員の「本音」をさらけ出していることが多い。それがもとで炎上したりするんだろうな。某ネトゲSNSではすでに元社員が暴露話をして炎上したりしている。ツイッターでも同じことが起こるだろうというのは想像にかたくない。
でも逆に言えば、そういった暴露話があるから、「この会社はオープンなんだな」となって、信頼を高める場合がある。だから運営会社たちはツイッターをやっている。いや、宣伝として基本タダだから、っていうのが大きいんだろうが、「本音をオープンにしているから、ちょっとは課金してやってもいいかなと思える」などというユーザーの反応がちらほら見られるのも事実。
なんつか「ネットの2ちゃん化」みたいなこと。いろんな人の「本音」が渦巻いていたのが2ちゃんだろ? 匿名だから「本音」が言える、と。
こんな議論すると、「だから本音と建前がある。建前を大事にすべき」って話になるんだが、その前に、なぜ人間は「本音」をこんなに毛嫌いするの? って疑問がなぜ生じないのだろう?
それを論じている学問は、わたしの管見では、精神分析以外にない。
「本音」なんて本当は「ない」のに、妄想で「ある」と思い込んでいるから、「本音」が語れないことを、精神疾患的に忌避するのだ。最初から。
あれだな。一般的には、浅見はただの被害者だ、ってことになるだろうな。
自閉症村なんて一般世間から見たらほんの一部だろ。多数決的にそらパパくん陣営は不利だ。
それをわかってるんだろうか、そらパパくんは。
自閉症療育村を世界だと思い込んでいないか。
多数決勝負をしたら、自閉症者の側に立っている方が負ける。ほぼ。
善悪、好悪なる「フレーム」から外れた人種が自閉症者なんだから。
そらパパくんちブロックされたwww
100件で音をあげるとか。中坊さんとか300件でも平気な顔してるのにwww ママさんにも100通近くメッセ送ってたけど(一日にな)、さすがに「ちょっとストップ、待って」とは言ったがブロックはしてないな。まあ両方わたしが冷めたから最近あれだけど。
てめえの器が小せえだけじゃねえか。
小さいフレームにそらパパくん自身ががんじがらめになっているだけ。自分の「信念」に縛られてるだけ。
それを自覚してから「フレームとはなんぞや」を論じろよ。
「療育とは自閉症者にフレームを組み込むことだ」なんて主張しているなら。
そらパパくんや。君は器の小さい人間だ。なのに、その小さな器に、他者を取り入れたり排除したりしようとするから、器の小ささがばれる。底の浅さがばれる。
自分の娘のためだけの療育論語ってればよかったのに。
その療育を他の自閉症者にも適用できるよういじくるのは、他人のやることだ。君の器では大勢が幸せになれるシステムは作れない。家族の幸せのためだけに働いていればよい。
器の小さいことは悪いことじゃないぜ。ただ国会議員とかとつきあっちゃうと、わたしには精神疾患者にしか見えないんだが、ああいう人が「器の大きい人」って呼ばれるんだろうな、と思う。器の大きい人=パラノイアってことだな。そうだろ、パラノイアのわかりやすいキャラクター造詣は、有力な政治家や英雄だ。
あ、わたしはもっと小さいよ。量子レベル。だから器とは言えない。わたしに器なんかない。あっても壊れている。
わたしは基本すべての人間が不愉快だからな。
つかツイートみたいな140字制限ってさー、言葉の意味がある程度共有できている、つまりそこそこ議論したことのある相手じゃないと、ほんと無意味だなーって思えるんだけど。
意味のない言葉のやり取りして何がうれしいの? と。
読んでる人が不特定多数になるわけだから、「この言葉の意味はこうで」っていちいち説明しなきゃいけなくなる。被害妄想的に。
誰か特定の相手なら、「この人はこういう意味でこの言葉を使っている」ってのがある程度わかっているから、ツイートみたいな短文でもいいけどね。
「本音」は短文じゃ言えない。
龍樹が現代に生きてたらあっという間に「つまはじき者」になるだろうな。その時代でも相当嫌われてたみたいだし。
ほんと正常人って自分に都合のいいことしか存在を許さないのな。
つかブロックするならはよしとけよ。
まあ我慢してるんだろうなとは思ってたが、その「実際の器は小さい癖に大きく見せようとする」態度を「もしかしたらほんとに大きいのかも」とか勘違いしちゃったんだろうな。油断した。
ここのコメント欄で、「大丈夫だよ」つってたピックさんなんかあっさり「あ、だめかもね」つってるが、わたしの方が「大丈夫だよ」って思ってた、ってことか。
いや「やっぱだめだったか」でもあるんだけど。