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2010-04-19 月 01:14:42 / / /
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>そらパパの「内面」を手袋を裏返すように
>裏返した「外面」が脂ということ。
これけなし言葉のつもりか知らんがほめ言葉に聞こえるわたしは末期。
精神分析の臨床ってのはそういうもんだ。
「臨床とは本来残酷なものである」ばーい木田原形而くん。
アルトーも、この事実が普通に指摘される現代を生きていたら、精神分析に興味を持ったかもしれないね。まあ精神科医に対しては殺意を持ったまま死んでいくのは間違いないだろうけど。
ラカンは精神分析臨床を「アートだ」とまで言った。
「残酷演劇」と「残酷臨床」。
おもしろくなくなくなーい?
2010-04-19 月 05:02:57 /URL /脂 /
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精神分析の臨床家はそう考えるのか。
つか、私が疑問に思うのは、(私自身が同じ行動療法の信者だからかもしれないが、)行動主義・行動療法の教義は、他人とのケンカを長続きさせないはずなんだが。ということ。
行動療法家にとって、(その境地にあるわけではないから、おそらく、だが)罵り合いは、不適行動を相互に強化しているにすぎない。その状況を見たら、行動療法家は自分と相手に対して行動療法を始めるはずだ。いや、別に相手(だけ)に行動療法をしかけるのでも構わない。これまでの観察で、相手が自分をののしる時、殆どの場合で自分が相手をののしることがペアになっている。この状況で、相手をののしり続ける事は有益とは言い難い……にもかかわらず自分が相手をののしることがやめられないのは、罵ることによって何らかの利益を得ている、あるいは過去に強力な強化子で罵る事を強化されたからだ……。
いずれにしろ、ケンカが長続きするはずが無い。
2010-04-19 月 18:32:48 /URL /ときしん /
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>いずれにしろ、ケンカが長続きするはずが無い。
だからと言ってそのケンカはないことにならない。
長続きすることが少ないからと言って、研究対象からはずす理由にならない。
ほんと正常人ってここがバカだよな。
ガリレオの例とか持ち出すと、「しかし後世彼の論は広く受け入れられたじゃないか」と言う。
そう言ってガリレオの論が少数派で迫害されていた事実をなかったことにする。
結果主義? 違うな、てめえの快楽原則の言い訳だ。
ときしんさんの最後の台詞だって、ただのそういうものでしかない。
くだらねえことをもっともらしく言うのがうまいよな、正常人って。
なんでそんなに自己美化が上手なの?
2010-04-19 月 22:45:42 /URL /脂 /
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ま、普通に話すと、精神分析なら「負の転移」とかって話になるんだろうな、罵りあいは。
それは確かに精神分析の前段階として避けるべきではあるが、転移は転移だ。
普通の患者が医者に妄想をぶっかけて情動的な依存をするのは正の転移。正の転移関係は恋愛と変わらない。
うん、他人事で「転移は転移」って考えなんじゃね。分析家は。
2010-04-19 月 23:05:28 /URL /脂 /
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「行動療法」ならそういう態度はありだろうな。そういった洗脳(この言葉にぎゃーぎゃー言うのがアホな証拠だぞ)を通じて社会を生きやすい人間に育てあげる、と。
しかし「行動主義は科学だ」という言説ならば、それは研究対象を恣意的に分別することになり、そいつのやっている研究は科学ではなくなっていく。
ただの政治だ。
2010-04-19 月 23:29:31 /URL /脂 /
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「行動主義宣言」なるものを読んだんだが、あれって要は「内観」を「エポケー」すなわち「保留」するってわたしは解釈したんだが。
「対抗」とか言っちゃってるところがとっても中二病臭いけど。あーここが「科学じゃない政治」化させてるのか、行動主義を。
まあこういったことからそらパパくんあたりは「内面」を「排除」「抑圧」してしまうようになったんだろうな。
「保留」なら、別に「内面」を論じている学徒と議論しても、「いえ僕は違ったアプローチでやっているだけです」で済むにも関わらず、あんなアレルギー的反応するのは、そらパパくんの「内面」に何か問題があるはずだ、となる。
なんかわたしの中で行動主義派=中二病者でFAになってきた。
2010-04-20 火 00:00:26 /URL /脂 /
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科学のど真ん中じゃすでに主観客観問題も議論されるところにきてるのにいまだ「科学とは客観主義だ」って言ってる時代遅れ、ってわたしには見える。物性物理出身のわたしから見たら。
2010-04-20 火 00:04:24 /URL /脂 /
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そもそも「再現性」が否定されたのだって、ある画期的な理論を生んだ研究者は、「再現性の低い」ちょっとした観察対象の異変に気づいて、そこを掘りさげた、ってのがよくあるからだ。
だから「反証可能性」って言い方になった。
しかし「反証可能性」だって「再現性」って問題を含んでいる。
結局さー、「科学村の村ルール」の議論でしかないんだよ。主観客観問題ですら。
本当の科学をやってればわかること。
だから東大の科学者は政治に興味を持たない。持たないっつーか別物だと割りきっている。
まあたまーに有馬みたいな面の皮が厚い奴もいるがな。嫌われてたよ。
2010-04-20 火 00:10:01 /URL /脂 /
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あれだ、ときしんさんも、この件について言いっぱなしジャーマンするなら、向こうに書けよ。
まあ多分「相手が攻撃し続けているだけです」って返してくるだろうがな。
2010-04-20 火 00:13:36 /URL /脂 /
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>あるいは過去に強力な強化子で罵る事を強化されたからだ……。
これ精神分析が批判されがちな「精神分析はなんでもトラウマにする」って話じゃん。
2010-04-20 火 01:16:37 /URL /脂 /
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>洗脳
ぎゃーぎゃー。
>だからと言ってそのケンカはないことにならない。
>長続きすることが少ないからと言って、研究対象からはずす理由にならない。
だから、現在の行動主義はその辺(いや、今回の事は下記に様にもっと単純なことだと思うが)を研究対象にしたりしてる。「内面を保留」なんて、少なくともスキナーとその系譜はそんな生易しい奴らじゃない。(私はこいつ、嫌いだ。正常人として。)結果として行動療法も精神分析と幾分親しくなってきた。
それはともかくとして、言いたかったのは、もっと近視眼的に、「今回の彼はちっとも行動主義的じゃない」という意味だ。
>向こうに書けよ。
やだよ。なんで無用な刺激を与えなきゃいけないんだ。
2010-04-20 火 01:52:06 /URL /ときしん /
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>ぎゃーぎゃー。
バーカバーカ。
>「今回の彼はちっとも行動主義的じゃない」という意味だ。
とっても精神分析的だけどな。
まー精神分析はヒステリー治療からはじまったようなもんだし。
要するに「罵りあい」の方が精神分析にとっては「おいしい」ってわけ。
>やだよ。なんで無用な刺激を与えなきゃいけないんだ。
そこでVIPPER精神ですよ。
「出されたものは皿まで食べる」
2010-04-20 火 02:38:30 /URL /脂 /
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つかつかてかてかいってろよハゲおばさん(2ちゃんでな)
2010-04-20 火 14:20:55 /URL /○っ○ /
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まっ、そらぱぱさんもさ。ネットじゃああだけどさ。リアルじゃどうだか分からないワケで。
脂ちゃんだってリアルで当然そのままじゃないでしょ?
てかさ、脂ちゃんも含めて「アタマのいい理論家」ってさ。
リアルではどうしても保守的なチキンにならざるを得ないんだよね。
思い切った行動とかとれないのよ。
たとえばさ、脂ちゃんいろいろ考えて子供産まないって決めたじゃない。
その時さ、「出産による自分自身の変化」って要素、これちゃんと計算に入れた?超重要な要素だけど。
いや、入れようが入れまいが言いたい事の結論は大して変わらんのだけどさ。
要するに今の脂ちゃんは出産後の自分なんて分かるワケないの。
だって一度も経験してないんだもん。
言ってみればさ。出産ってのは計算不可能な世界なわけ。そこをあえて脂ちゃんは計算しちゃったワケだ。
つまりさ、子供なんて理屈抜きに産むもんなんよ。産めればね。
そうじゃないと人類滅びちゃうんもん。
もちろん個人的に「あえて産まない」って言うのは自由だよ。
だけどさ、その理由が「リスクが高いから」ってのはさ。
ちょっとつまらないよ。
うん、つまらない。
2010-04-20 火 21:50:54 /URL /ぶた /
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君みたいななれなれしくて頭の悪い人間がいる限り人類は滅びた方がいいと素で思う。
2010-04-20 火 21:57:16 /URL /脂 /
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しっかしまあその程度の頭で「科学とはこうだ」とかよく言えたもんだわ。
自分をバカだとわかってないバカが一番始末に悪い。
2010-04-20 火 22:16:16 /URL /脂 /
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お前さー。
ここのコメント欄もそうだけど
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-697.html
自分がバカで考えて他人の文章を読まないだけなのに、「他のみんなも自分と同じ考えない読み方をしている」とか思えるのが、お前のバカなところなんだよ。
デムパ文章でも意味を模索しながら読む人だっている。
たとえばわたし。ワードサラダ君の文章なんかそれこそ「支離滅裂www」で一蹴されてたろうな。他の人が読んでたら。
お前がバカでそうだからってだけだろ。
2010-04-20 火 23:02:17 /URL /脂 /
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あたしはお前みたいなバカで鈍感な人間になるくらいならチキンでいいや。
2010-04-20 火 23:10:18 /URL /脂 /
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お前ってあれだよな。勝手に自分と「脂という人」を比べて、ぐだぐだ言ってるだけだよな。
まずそこに気づこうな。
わたしゃお前のことなんかしらん。だからわたしとお前を比べようがない。
2010-04-20 火 23:42:47 /URL /脂 /
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おふでさき鼎談
「てかさ、つかさ、てかつか、つかてか、あれれれれ???漏れはさ、漏れはよ「文体ましーんの話芸の達人(自称)」だから誰にだってなれるんだよ、名乗り放題なのさ。そうか?そんなに大変なことか?別にんなこたないぞ。漏れ?漏れは記憶力ないからわすれないようにハンドルに目印つけとく(爆)」
「実在しない8歳のあすぺさんとその母親にだってなれちゃうんだよ。いま一人三役で架空メールのやりとりしてる。なんかすごいぞ私!天才だあっっ!やってるうちに8歳のあすぺさんがタイコモチ化してきてどっちがどっちかわからなくなるけどね、てへっ、可愛い?おっともそういうよ。おっとアリバイ工作じゃないぞ、あ、これあすぺの言葉遊びね」
「でも「読む者」ばかだから気付かないんだよね。それは本当。それにあれって漏れの子の小さいときがモデルだから嘘じゃないもんね、単なる脚色、自分の子の成長記録書いて何わるい、のんふぃくしょんだからね、ぜえったいに、ぜえったいに詐欺なんかじゃない。外地に置いといてパニック起こすから乗り物乗れないことにしといたから裏とれないし、やるだけむだ」
「とりたきゃとってみろよ裏、そういう反社会的行為を社会は絶対に許しません、判例が守ってくれます。それにほらいま私のために個人情報保護法できたからね、ほうりつは守りましょうねおばかな「読む者」のみなさん。さて今日は何書こっかな」(てっぺんはげたか氏談)
2010-04-21 水 08:54:12 /URL /○っ○ /
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「急に気温が上がった」のコメント欄が面白い
>そらパパさんも気づきつつあるよ。
>彼はちゃんと最終目的を「家族の幸福を最大化すること」と的確に規定できてるから。
>再現性やらにこだわることがさほど目的に貢献しないと悟れば、まもなく方向転換するさ。
>大丈夫。
>大丈夫だよ。
2010-04-11 日 01:43:18 /URL /ぶた /編集
出たっ!大爆笑。「家族の幸福を最大化すること」ってモロおまえんちの社是社則じゃん、そらパパさん家になすりつけんなよ、この卑怯ものめー(笑)。
何だ?この的確に規定された社是社則により「最大化された幸福を享受してる家族」ってのは、つまり「おまえ」と「おまえのおっと」と「おまえのこども」と「おまえのご実家」つーことだな?「おまえのご家族の幸福」を「最大化するため」荒稼ぎさせてもらいます!悪くないって誰か言ってぇ!ってか?
しかしなー、こんな公衆の場所で、ゆがんだ鏡にむかって、「大丈夫。大丈夫だよわたし!」って、じぶんでじぶんを叱咤激励しなきゃならないって、それ末期症状だぞ、じぶんでじぶんの嘘を信じられなくなったら、嘘に気付いてしまったら、おまえみたいなのはもう終いってことだからな。
人間なんだから外道のフリなんかしてないとっとと人間に戻れよ、疲れたろ、そろそろ潮時だぞ、母親なんだから大事なこどもさんのためにもな、今ならまだ間に合う(かもしれない確証はないが)。
それからな、おまえの猿芝居なんか「読む者」にはとっくにバレバレだぞ、そこまでばかじゃないからな「読む者」。無関心あるいは面白がって、騙されたフリして、みんなで成り行きを「嗤って見守ってる」だけ。私?自閉症のばかだからひとりこうして親切に言ってやってる。
2010-04-23 金 14:46:23 /URL /○っ○ /
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>あーそうだときしんさんや。こういう記事みっけて、今回の話に関係しそうだから貼っとくな。
今気付いた。
こういう話はここ20年ぐらいの行動療法と行動主義は咀嚼し、消化した話だと思う。それ以前の行動主義者たちで埋め尽くされている現場、といったところ。
この記事で書かれているプログラムは脂さんの言うように、医療の臨床では経験しない。むしろ、そのプログラムがある者は、医療の臨床現場に現れない。
2010-04-23 金 19:30:05 /URL /ときしん /
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>消化した話だと思う。
消化してんなら「そらパパくんは行動主義者っぽくない」って話になんなくねえか?
って、
>それ以前の行動主義者たちで埋め尽くされている現場
がそらパパくんち、って意味?
それなら意味は通じなくない。「消化できてない行動主義者っぽくない」って意味だろ?
>むしろ、そのプログラムがある者は、医療の臨床現場に現れない。
患者として、って意味?
君もあれだな。わたしから見ると言語障害があるように思える。
いやあたしの頭が変だってことになるが。一般的には。あたしメンヘラで君お医者様だし。
2010-04-23 金 19:42:15 /URL /脂 /
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その「現場」がどこのことだかわからんが、「それ以前の行動主義者たちで埋め尽くされている」なら、そこに限っては「消化」できてない、って話になんねえか?
2010-04-23 金 19:45:11 /URL /脂 /
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あ、なんかそういやマッサージ療法とか行動療法になるんだよな。『アンチ・オイディプス』では統失患者へのマッサージ療法を認めていたが、その理屈は、「統失患者に欲望を芽生えさせる」って話だ。
これあれだな。
「自閉症者は好き嫌いの区別があいまいだ。したがって、「好子や嫌子で行動療法を行う」のではなく、「何を好子として何を嫌子とするか」という判断を覚えさせる」
って感じの話になんのか。相似的に。
君の言う「消化」ってそういう話?
2010-04-23 金 19:56:08 /URL /脂 /
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質問まとめ。
1.「消化できていない行動主義者」が埋めつくしている「現場」って、具体的にどこ? それが答えられないなら、逆に、「消化している行動療法」ってどこで行われているの?
2.「行動主義者っぽくない」そらパパくんは、「消化している行動主義者」としてそうっぽくないのか、「消化できていない行動主義者」としてそうっぽくないのか、どっち?
3.行動療法がこの問題をどう「消化」したの?
の三点。
2010-04-23 金 19:59:18 /URL /脂 /
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あ、それと、
4.「むしろ、そのプログラムがある者は、医療の臨床現場に現れない。」って、患者として現れない、って意味でおk?
快楽原則はわたしゃ神経症なら強固にあると思うんだがな。むしろ強迫神経症なんかは快楽原則、つまり「不快の回避」が過剰になった症状だと。
まあ「不快の回避」が過剰になって不快になっちゃう、って意味で快楽原則からはずれてはいるだろうが。
でも根っこには快楽原則が強固にある、とわたしは思うな。
2010-04-23 金 20:03:27 /URL /脂 /
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だからむしろそのプログラムを精神疾患だとして、つまり正常という精神疾患だと考えて(それはただのプログラムで物質的機制ではないという意味)、そこを考えるのが、この問題の本質に向かう方向と思うんだがな。
分子は別に不快を避けないだろ?
2010-04-23 金 20:10:24 /URL /脂 /
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ちなみにこれって精神分析用語だと「死の欲動」って話なんだが、たぶん発祥から「快楽原則のほころび」とつきあってきた精神分析でさえここを「消化」できてないぞ。
「無視」はされているが。ラカン論なんてまさにここんところがポイントなんだがラカニアンでさえ一部のバカは「死の欲動」って言うだけで「ウキー」ってなるからな。こういうバカのせいで精神分析も臨床現場から乖離していく。
ま、精神分析も「それ以前の行動主義者で埋めつくされている」(精神分析は「それ以前」じゃないが)ってのと似たような状況なんだろうな。
十川幸司の言葉は重いね。
「精神分析は不快に向かうべき学問だ」
2010-04-23 金 20:17:08 /URL /脂 /
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あ、「快楽原則を原則化しているのが行動主義のくせに、進んでケンカしているそらパパくんは行動主義者っぽくない」って話なら、精神分析的解釈は簡単だ。
彼は、不快の回避が過剰になることでむしろ不快に向かってしまっているという、強迫神経症と同じ機制でそうなっている、ってことになる。
つまり彼は過剰に行動主義者であるゆえに行動主義者っぽくない言動になってしまってる、ってこと。
2010-04-23 金 20:35:27 /URL /脂 /
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自己=矛盾、ってのはすげえ精神分析的に的を射ているんだな。
自己があるからこそ矛盾が生じる。
これ精神分析の基本。
いやフロイト娘派とかはそうじゃないが。むしろこの点でラカン派と自我心理学派は対立している。もちろん「自己があるからこそ矛盾が生じる」って立場がラカン派。
だからラカンは、(無我の境地に向かう)禅思想は自分の思想と似ている、とも言ったんだろう。
2010-04-23 金 20:42:01 /URL /脂 /
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「人はなぜ不快を避けるのか」
「不快の根っこには死への予感があるからだ」
ってなると、フロイトに戻っちゃうんだがな。
フロイト自身ただの思弁だとした「死の欲動」に。
2010-04-23 金 20:51:20 /URL /脂 /
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こんな状態になっちゃうからわたしゃツイッターはできん。
フォローしている人の言葉にいちいち「それどういう意味?」って考えなきゃなんなくなる。
2010-04-24 土 04:35:08 /URL /脂 /
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某ママさんの言いつけに反しそうなのでこのコメントは公開しづらい。
コメント者が了解してくれるなら消します。
どうしても公開してほしいと言うなら、意見は伺います。
2010-04-25 日 09:06:24 /URL /脂 /
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正常人の頭でそう思った。
2010-04-25 日 09:11:35 /URL /脂 /
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2010-04-25 日 10:45:13 / / /
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あー膨大だ。私の頭で理解するのに時間がかかる。
>コメント者が了解してくれるなら消します。
これって私の事ですか? もちろん、私の落書きを消すのは自由です。
2010-04-26 月 11:41:28 /URL /ときしん /
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>これって私の事ですか?
違う。当該コメはすでに削除済み。気にするな。
って膨大か?
ま答えられる範囲でいいよ。
2010-04-26 月 11:54:54 /URL /脂 /
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2010-04-26 月 14:58:51 / / /
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あー、ごめん。コメント削除を私の事と勘違いしたまま「秘密」で投稿してしまった。公開にできますか?
2010-04-26 月 15:18:12 /URL /ときしん /
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なんだ、君ってまともなことしゃべれるんじゃん。
1、2、3は了解。
>好子・嫌子は、なんか脂さんが勘違いしているように思う。というのは、好子・嫌子は行動を最終的に増やす/減らす強化子という定義しかされていない。快楽/不快を伴うかどうかはなんの問題でもない。後付け。
>個体内で好子として働くか、嫌子として働くか安定しない物は、そもそも強化子と考えない。
勘違いしていた。
そっか、やっぱネトゲの考え方でいいんだな(行動療法家に怒られるかもしれんが)。
ネトゲも、というかゲームは、そのプレイヤー、ゲームシステムに+か-かで固定的に働かないものは、脇に置いておかれる。ネトゲならグラフィックデザインとかだな。あ、いやネトゲはグラ重視されてるけども。
ゲーム理論だな。ゲーム理論は実際のゲームのおもしろさとは関係ない、ってこういうことだな。あいや確かにチェスとか将棋とかはあれだけど。紙ボードの携帯用将棋盤とかあるもんな。
ネトゲで言うバフ・デバフみたいなもんだな。
>私の周りには行動療法は自閉症に効果的と勘違いしている輩が多いが、「自閉症のある人に行動療法はかかりにくい」というのが本当のところだ。行動療法は「他よりまし」であるに過ぎない。
「他よりまし」っつか、カナーとかなら行動療法以外に方法はないんじゃね。
わたしは治療そのものを相対化してるから(悪化もありな精神分析論をぶってるわけだし)、逆に、治療というくくりをするなら、行動療法は評価するよ。
>こういうほころびを、過剰な般化としてとらえる、という程度の話だ。
>不安や嫌悪も、本来的には行動だ。心(のはたらき)そのものも。つまり、強化を受けてきた。機能的だった。ところが、般化の能力によって不安を適用してはいけないところにも人間は不安を適用する。
行動主義は、不安について、強迫神経症の構造でしか語れない、と理解した。
パニック障害と強迫神経症は同じになるんだろうな、行動療法では。
2010-04-26 月 15:28:30 /URL /脂 /
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>公開にできますか?
ん? 編集でできない?
キーがないとこっちでは操作できないっぽ。
2010-04-26 月 15:30:29 /URL /脂 /
編集
2010-04-26 月 14:58:51 ときしんさんのコメントコピペ
あ、できないのな。コピペするわ。
以下、2010-04-26 月 14:58:51 のときしんさんのコメントのコピペ。
タイトルなし
投げっぱなしジャーマンもいいが、一応聞かれたことに、答えておく。
>1.「消化できていない行動主義者」が埋めつくしている「現場」って、具体的にどこ? それが答えられないなら、逆に、「消化している行動療法」ってどこで行われているの?
これは単純に私の知る限りの医療分野。消化している行動療法は(自分を含めて行動療法家としての見地が浅いので)殆ど無いのではなかろうか。
日本で言えば、主に宗教の場で行われているともいえる。
>2.「行動主義者っぽくない」そらパパくんは、「消化している行動主義者」としてそうっぽくないのか、「消化できていない行動主義者」としてそうっぽくないのか、どっち?
後者。それ以前の問題。普通、行動療法家は、ほぼ例外なく自分といわゆる「正常」(私で言えば、子どもにかける前に家族や支援者に)行動療法をかける。そらパパさんもその事に言及しているにもかかわらず、実行しているとは言い難い。
正常でかつ行動療法を行う者は、「問題(私で言えば、症状)が大好きになる自分」という、行動療法の基本からみれば当然の帰結と戦う(戦い続ける)ことになる。
>3.行動療法がこの問題をどう「消化」したの?
すまん、無視が消化でないなら、消化していない。
こういうほころびを、過剰な般化としてとらえる、という程度の話だ。
不安や嫌悪も、本来的には行動だ。心(のはたらき)そのものも。つまり、強化を受けてきた。機能的だった。ところが、般化の能力によって不安を適用してはいけないところにも人間は不安を適用する。ところで、不安に手をつけるのは厄介(それは人間の大切な機能だから、これからも強化を受け続ける)だから、不安からおこる行動のシークエンスを断つ、不安の誤適用につながる行動のシークエンスを断つ(それは主に言語行動)。
好子・嫌子は、なんか脂さんが勘違いしているように思う。というのは、好子・嫌子は行動を最終的に増やす/減らす強化子という定義しかされていない。快楽/不快を伴うかどうかはなんの問題でもない。後付け。
個体内で好子として働くか、嫌子として働くか安定しない物は、そもそも強化子と考えない。
勘違いしてなかったら失礼。
私の周りには行動療法は自閉症に効果的と勘違いしている輩が多いが、「自閉症のある人に行動療法はかかりにくい」というのが本当のところだ。行動療法は「他よりまし」であるに過ぎない。
2010-04-26 月 15:38:20 /URL /脂 /
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>日本で言えば、主に宗教の場で行われているともいえる。
脳内そらパパくんの反論。
いや違う。宗教は、どの行動を増やし、どの行動を減らすかという判断基準は、神話や教義によるが、行動主義は、少なくとも私は、「普通」を判断基準にしている。
ってその判断基準たる「普通」の本質を探ってみて、「究極の普通」みたいなもんがあるとして、それを「神」なり「絶対善」にしたらいいだけじゃねえの? 「究極の普通」なんて存在しないんだから「神」で問題ナッシング。
とか考えてたらグノーシスの「現存在姿勢」ってまさに精神分析まんまじゃん、って気づいた。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/terms/t11-gno.html
2010-04-26 月 16:11:53 /URL /脂 /
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>パニック障害と強迫神経症は同じになるんだろうな、行動療法では。
いろいろぐぐってたがまじで行動療法ではパニ障と強迫神経症一緒くたにされてるっぽくてワロタ。
これとか。
http://kyou89.fc2web.com/k3_list_2.htm
=====
強迫性障害、パニック障害などの認知行動療法を行っているそうです。
=====
2010-04-26 月 16:21:40 /URL /脂 /
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ほんとネトゲだな。
行動主義=ネトゲ板で言う「リアルオンライン」
と理解した。
2010-04-26 月 16:23:41 /URL /脂 /
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>行動主義は、不安について、強迫神経症の構造でしか語れない、と理解した。
私は、だね。不安の専門家になれば少し違うのだろう。ただ、それは所謂「コツ」の領域の話になるのではなかろうか。わたし言語で言えば、「不安の手触り」という感じ。
>グノーシス
私から見たら行動主義なんだが。
2010-04-26 月 16:59:14 /URL /ときしん /
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>この現象する存在世界に対し、積極的な否定を声明すると同時に、ニヒリズムやペシミズムではなく、世界と自己の現なるありように対する、「救済的説明」を見出し、創作神話のなかに「救済の智慧」を解釈(deuten)できるとき、このような「現存在の姿勢」は、グノーシス的な現存在姿勢である。
ここが違う。これは精神分析的態度。
「解釈」なんて要素ねえじゃん、行動主義。
>グノーシス主義は、「言葉で表現された神話や教義」に本質が宿るのではなく、神話や教義は「グノーシスの精神」を表現するための外皮であり、
の「神話や教義」を「社会的に普通」とかに変えたのが行動主義、と思った。
2010-04-26 月 17:09:15 /URL /脂 /
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>わたし言語で言えば、「不安の手触り」という感じ。
それ経験知だよな。
2010-04-26 月 17:10:56 /URL /脂 /
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>の「神話や教義」を「社会的に普通」とかに変えたのが行動主義、と思った。
「社会的に普通」が、どの行動を減らしどの行動を増やすのか、というときの判断基準になっているだろ?
とすれば「社会的に普通」、精神医学全般でもそうだが、「社会生活を送れること」が「本質」になってるじゃん。
だったらそれはグノーシスじゃない。
君が勝手にそれを「本質」にしてないだけじゃないか?
「本質」なんてどこにもない、となったらナラティブセラピーになるな。
「現存在」「実存」を「本質」にすえているのがラカン派精神分析。
2010-04-26 月 17:15:06 /URL /脂 /
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あーバカが勘違いしそうなとこなんだが、「実存」ってなあ、サルトルを引けばわかるように、木の根っこで吐き気を覚えるようなことであって、「確信」とか「信仰的絶対感」じゃないぜ?
むしろ「不安」とかがそっちよりだ。
2010-04-26 月 17:17:06 /URL /脂 /
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精神分析ってなあ、要するに患者(分析主体)にファルスを再発見させること、って短絡的に言えるんだが、
>「すでにこの真理は、わたしには既知のものだ」
ってのはまさにそうじゃん。
去勢済み主体は二歳までにファルスが生成している。その上に象徴界や想像界なんていう「外皮」が覆いかぶさっているから見えなくなっているだけ。
それを再発見させた瞬間が、精神分析治療における「あの特別な一瞬」だ。
あ、悪化もよしとするわたしはこの一瞬のあとに「ファルスの破壊」すなわち「救済の破壊」を持ってくるけどね。
2010-04-26 月 17:20:37 /URL /脂 /
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むしろこの文章のどこがどう行動主義なのか教えてほしい。
2010-04-26 月 17:21:50 /URL /脂 /
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>「社会的に普通」が、どの行動を減らしどの行動を増やすのか、というときの判断基準になっているだろ?
ということは、「この現象する存在世界に対し、積極的な否定を声明する」どころか、積極的な肯定をしていることになるじゃん。
すまん、どこかどう行動主義なの?
2010-04-26 月 17:27:33 /URL /脂 /
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行動主義は、問題解決のために、「この現象する存在世界」、つまり外界、つまり社会に向かう方向を進んでいるわけだろ?
一方グノーシスは、「現存在」=「実存」という内界に進んでいる。だから「解釈」なんて要素が出てくる。「実はすでに自己の内部で現成していたという真理を自覚することである。」。
これは密教でもそうだよな。密教とグノーシスの類似はそこらで語られているよな。
そしてそらパパくんは、「行動主義宣言」通り、内面を棄却している。
なあなあ、行動主義はまるっきりグノーシスと逆なんだが。
どこがどう行動主義になるん?
2010-04-26 月 17:31:13 /URL /脂 /
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むしろ、君にとってのグノーシスって、具体的にどんなん?
わたしは「密教」って、グノーシスそのものではないが(つか現代に正統的なグノーシス宗教なんてほとんどない。日本じゃ特に)、具体例を挙げている。
どんな具体を想定して、「グノーシスは行動主義」だと思ったの?
それともリンクした記事の字面だけで「行動主義だ」って思っただけ?
2010-04-26 月 17:34:20 /URL /脂 /
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レスすげぇ。
>それともリンクした記事の字面だけで「行動主義だ」って思っただけ?
うん言葉少なですまなかった。端的に言えば、その通り。「このリンクに書いてある事は行動主義に合致すると思う」という意味。脂さんから見れば、また言語障害か、といったところか。まぁ怒るな。
私から見ると、人間は反応系の集合だ。その反応系を詳しく見ると、また反応系の集合が見えてくる。行動療法の強みは、例えば社会単位を反応系とみる事もできるし、個人を反応系とみる事もできるし、思考を反応系とみる事もできる点だが、ここではブラックボックスの内側へ旅する事を考える。
ブラックボックスの内側へ向けて探求する際にも、私は入れ子構造を感じる。これは本質へ向けての旅ではないか?(ちなみにこの時使う道具は操作的定義と言語。言語も行動だから、注目すべきはその機能という事になる。だから、ついには自己との非言語的コミュニケーションを含む事になる。)
入れ子構造を探求すると、生まれてからこれまでの多量の強化に出会う事になる。そして、自分が歩んできたはずのこの道が、今まで無自覚であった強化の集合が指し示す方向であることに気付く。それは価値の方向であり、そうなっていくだろうという予感を含む。そして価値に進んでいく今現在の私のベクトルこそが、価値の本質であることに気付く。
ごめん。私の言語の限界近くらしい。かなり怪しいが、リンク先が行動主義的に見えるという意味が伝わるといいんだが。
2010-04-26 月 19:29:54 /URL /ときしん /
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>ブラックボックスの内側へ向けて探求する際にも、
なんかこう、「内面主義」と対立させる目的の「行動主義宣言」と真っ向から矛盾するんだが(笑)。
「君の」行動主義、という話か。
それなら別にいいや。
「精神分析と近しくなった行動療法」って感じに思っとく。
2010-04-26 月 19:40:13 /URL /脂 /
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>なんかこう、「内観法」と対立させる目的の「行動主義宣言」と真っ向から矛盾するんだが(笑)。
いや、そらパパがそういう派閥なだけで、思考も感情も行動主義的に扱おうとする流れは、スキナーのころからあったわけだから。
2010-04-26 月 19:56:32 /URL /ときしん /
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ほーほー。
ちなみにその「入れ子構造」ってな「頭の中の小人が自分を操作している。その小人の頭の中の小人、その小人の頭の中の小人……」って奴か。
それ旅できてんの? ほんとに。
頭ではそう考えるけど、実際に旅できないようにしているのが自我、って話に精神分析はなってるんだけど。
その旅は通常に生きている分には非常に困難だ。その手助けとして精神分析はある、みたいな。
>無自覚であった強化の集合が指し示す方向
無自覚ってのは無意識ってことだな。とするとそれは「超自我という構造」に相当するな。
とするとあれだ、
>そして価値に進んでいく今現在の私のベクトルこそが、価値の本質であることに気付く。
てえのは、超自我を受け入れることであり、要するに去勢の承認だな。
つまんね。全然大したこと言ってない。
2010-04-26 月 20:08:36 /URL /脂 /
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わたしの提唱する逆精神分析は、
>無自覚であった強化の集合が指し示す方向
なんてもな幻想である。
現実は無方向である。エントロピー増大則である。
それに気づかせるのが、悪化もありとする逆精神分析。
無方向な、カオスな状態の中、無限を有限化することで、方向性が生じる。
それが生の欲動である。
それの原因として、ファルスという記号を仮設する。
そんな感じ。
全然浅いよちみ。
つか臭い。
2010-04-26 月 20:13:27 /URL /脂 /
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なんかわざとわかりにくくして、その旅における実際的な困難を棚上げしているだけに見える。
その旅は、自傷的なものとならなきゃ、嘘だぞ。
自分の腹ん中見るようなもんだから。
2010-04-26 月 20:17:43 /URL /脂 /
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「探求」と「妄想」はべちゅものでちゅよ?
2010-04-26 月 20:19:21 /URL /脂 /
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まーいいや。「君にとっての」行動主義ってことで理解した。君の派閥、か。まあなんでもいい。
2010-04-26 月 20:20:52 /URL /脂 /
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>つまんね。全然大したこと言ってない。
だーから、最初言わないようにしてたろが。脂さんに言ってもしょも無いことなんだよ。精神分析から見れば、行動主義による再解釈に過ぎないんだから。
行動主義はそういう方向に進むことが出来るってだけ。それが唯一の方向じゃないところが、行動療法の強みだっていうのは言った。精神分析がどうだかは知らないが、私が今までに出会った分析屋はその辺硬くて硬くて。
2010-04-26 月 20:25:24 /URL /ときしん /
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>行動療法の強みは、例えば社会単位を反応系とみる事もできるし、個人を反応系とみる事もできるし、思考を反応系とみる事もできる点だが、
すまん、全然強みに思えない。
精神分析はフロイトは科学だと言い張っている。つまり物に対する学問だ、と。
精神を物性として考えているわけだ。
だから「思考を反応系として見る」のがむしろ精神分析、というわけ。
社会を反応系として見る、なんてどこでもやってそうだけど?
何が「強み」なのかわからん。
2010-04-26 月 20:27:06 /URL /脂 /
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>それが唯一の方向じゃないところが、行動療法の強みだっていうのは言った。
あ、そゆことね。理解。
むしろ内面だけにしかどうこうできないのが精神分析で、それを含んで、それ以外にもどうこうできる、って話か。
うん、だからカナーとかにゃ行動療法しかないだろうとは思うし。
おけおけ。
2010-04-26 月 20:29:38 /URL /脂 /
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>私が今までに出会った分析屋はその辺硬くて硬くて。
硬いってどういうことか知らんが精神分析はあくまで内面を論じる学問だからな。
内面じゃないところは別にどうでもいいんじゃね。そりゃそこをやる別の学問もありだろう。
グノーシスにしろ密教にしろ秘密結社的だろ。精神分析もそう。
内界を探求する学問だから、公になりづらい、ってだけ。
「内界以外は煮るなり焼くなりどうぞご自由に」的なことなんじゃねーの。
2010-04-26 月 20:47:47 /URL /脂 /
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あとわかった。
「反応」な。
何か刺激を与えて、それの反応ってことな。それが強化子、と。
これ「何もしない」ってのは強化子になるの?
精神分析は、基本「ほったらかす」ことによって、クライエントを内界の森にさ迷わせる、って感じなんだが。
ラカン派の短時間セッションなんてのはそんなこと。尻きれトンボで終わらせるから、クライエントは内界の旅に出てしまう、と。
2010-04-26 月 21:28:48 /URL /脂 /
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あー、強化子って話だと、少し違う。
「ある状況で」「なにかして」「結果を得る」
の、「結果」のこと。ABC分析とかでネット上にも腐るほど記述されているので、それを見てほしい。
その「結果」がそれ以降その個体が「なにかする」の生成確率を上げる/下げる時、強化子と呼ぶ。
ただ、「何かする」と「結果」との間に時間の前後関係さえ成立していれば、因果関係が無くて良い、というのがポイント。
つまり、行動に対して、結果を調節してやれば、行動の生成確率を上げたり下げたりすることになる。
結果を与える作業をを「刺激」と呼ぶなら、まぁその通りなんだが。
「何もしない」が強化子になるかどうかだが、「なる事が非常に多い」としか言いようが。とにかく、後付けだから。
今まで強化子が与えられて生成確率が上がっていた行動に対して、その強化子を取り去ることで、行動の生成確率が下がることを消去という。(これも腐るほど記述されているのでそっちの方が頭いい奴が書いているので良いと思う)
その代替行動として何が起こるかは保証の限りではない。限りではないが、「内面の探索に向かう事が多い」というのがラカン屋の観察結果だ、という事だろう。
2010-04-27 火 12:08:49 /URL /ときしん /
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ふーん。行動主義っておもしろいな。
「行動主義宣言」とそらパパくんの話だけでしか知らなかったからすげー偏見持ってた。
>因果関係が無くて良い、というのがポイント。
すげーポイントだな。
ここ重要じゃん。
2010-04-27 火 13:43:46 /URL /脂 /
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「何かする」=「内界の旅に出る」
「得る結果」=(分析家側は)「何もしない」=(分析主体は)「孤独」=「デプレッション」
となると、「孤独」を与えなきゃいけないわけだが。
ラカン論、隔離病棟賛成派に回らなきゃいけねえじゃんw
あ、いやま、わたしは「未去勢者に対してする精神分析は症状を悪化させる」と主張しているから(トランポリンうんぬんのところな、内界の旅をしていてこのトランポリンでびよよんって跳ね返るのが「あの感動的な一瞬」であり、未去勢者はこのトランポリンが薄いから、ばりって落ちちゃう)、治療を目的とするなら、少なくとも自閉症、統合失調症は隔離しちゃいけん、って話になるけど。
あーわかった。強化子ってラカン論でいう「表象代理」で、シニフィアンそのものだ。
わかったよ。わかった。
君たちが「強化子」と呼んでいるものは、ラカン論においてはすべてシンボルでありシニフィアンなんだ(言語知と言うより形式知と言った方がわかりやすいだろう)。
わたしの論の「シニフィアン」を、すべて「強化子」って代入して読んでみそ。
わけわからんくなるだけだろうが。
2010-04-27 火 13:53:43 /URL /脂 /
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基本精神分析家は分析内容をクライエントに伝えてはいけない、つか会話そのものをクライエントとは控えるべきなんだが(内界の旅に出てくれないから)、わたしはぺらぺらしゃべるのだよな。
そういった意味ではわたしのやっていることは、行動主義っぽい、ってことか。
2010-04-27 火 13:55:08 /URL /脂 /
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ラカン派セッションの尻きれトンボは、「孤独」という強化子を、成立させるための、一種の演出だ、ってことだな。
2010-04-27 火 14:01:20 /URL /脂 /
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あ、ごめん。
>君たちが「強化子」と呼んでいるものは、ラカン論においてはすべてシンボルでありシニフィアンなんだ(言語知というより形式知と言った方がわかりやすいだろう)。
これは、「内界において」「何かする」ことによる「得る結果」が、(ラカン論における)シニフィアンだ、ってこと。
だから内界を考えないそらパパくんの行動主義にはあてはまらない。
一方ときしんさんの、「なんでも応用行動主義」「だらしない行動主義」(わたし命名、好きな方選んで)だと、内界を専門に研究する精神分析にも、その考え方が適用されうる。
で、適用した場合は、こうじゃね、って話な。
2010-04-27 火 14:11:41 /URL /脂 /
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>そっちの方が頭いい奴が書いているので
言語知・形式知が豊富という意味で「頭いい」奴と話しても意味はない。んなの「サロン」であり「大学の研究」ではない。
君一応現場の人なんだろ。論文書きメインじゃない。論文書きにしては言語障害チックだしな。言葉を操るのがへた。
論文じゃなくて小説読みたまえよ、君。エンタメ小説じゃなくてアルトーの言う「言語の死刑囚」が書いた小説。このブログでほめてる作品は大体そういった作品が多いと思うぞ。
「言語使用の現場」は論文じゃなくて小説だぞ。言語使用の経験知は小説の方につまっている。
いやクリステヴァの論文なんかは現場だがな。「臨床報告が文芸的すぎる」と批判される中井久夫もそうだ。
2010-04-27 火 14:17:50 /URL /脂 /
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あと一応注釈しておくと、この会話における「内界/外界」は、一般的な語義としてのそれだ。この言い方にならうならば、「自閉症は自閉症だ」となる。
ところが、ラカン論においては、内界にある自己(この会話なら「トランポリン」や「実はすでに自己の内部で現成していたという真理」あたりに相当する)のその向こう側に、現実界という「外」を設定している。「外-密」って奴。
つまり「トランポリン」(これわたし用語だからこれを使う)の向こう側では内外は逆転している、というわけだ。
この考えに則るならば、「自閉症は自開症だ」となる。
2010-04-27 火 15:08:47 /URL /脂 /
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「だらしない行動主義」そのとおりだわw
人格攻撃。いつ? 鈍感だと得なことが多いな。
ところで、全然テクストに追いつかん。
取りあえず私の説明が不正確だった部分。
面接の中断がどんな風に働くかだが、私は以下のように勘違いしていた。
「面接」で、1,「内界をさぐり」2.「それを分析家に報告する」と、1.「分析家の応答」と、2.「分析から得る何ものか(分析受けてないからわからん。シニフィアンって奴か??)」を得る。
で、「内界を探る」が面接下以外でも起こるようになった段階で面接中断すると、「分析家の応答」が無くなる。ってぇと「内界をさぐり」「それを分析家に報告する」両方に消去が起こるが、「分析を受ける事で得られる何ものか」が残っている分、「内界を探る」が残りやすい。
あるいは消去作業の途中に、行動の増加がみられるので、それを言ってるのかもしれない。
これの卑近な例は、そうだなぁ、
「嫁の小言の相手をしていたが、めんどくさくなってやめた。すると、かえって小言が多くなったが、それでも無視していると小言がやんだ。その代わり(怒りは持続していたので)包丁で刺してきた」
「小言」が「内海を探る」なのか、「包丁で刺す」が「内海を探る」なのかよくわからん、という話。
2010-04-28 水 14:40:30 /URL /ときしん /
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去勢済み主体はそのままでは内界を探れない。探れなくする防衛機構こそが自我である。
したがって、特殊なやり方をしなければならない。
って感じ。
そも君の言う「内界の旅をする」ってのは、精神分析的な意味でのそれなのかどうかがわからない。
たとえば、一時期はやった「自分探しの旅」とかは、あれは精神分析では「内界の旅」なんかではない。むしろそれを邪魔する自我を助長する「妄想への旅」だ、となる。
なので、精神分析受けにきた人は、その時点では「内界」を見れていない。精神疾患の原因(トラウマとか)がある「内界」がどんなものかわかっていない。
精神分析受けにきた人は、分析家を頼ってきている。つまりその人の無意識は外界に向いている。
なので、最初の面接なんて意味がない。
とはいえ、症状によっては、「別に分析家に頼ってなんかないけど家族に無理矢理連れてこられた」って人もいるだろうし、そういった場合は、まず自分に頼る気持ちを生じさせなければならない。
これがいわゆる精神分析前過程としての「転移関係の構築」。このときの転移は、好意的な、という意味で正的な転移が望ましい。
こっから微妙な表現になっちゃうんだが。
精神疾患に苦しむ人を、おぼれている人にたとえよう。
おぼれているのが苦しいから、助けを求めて手を伸ばす。「転移関係の構築」が成立していれば、分析家に手を伸ばしていることになる。
このとき、分析家が、それを無視したらどうなるだろう?
患者は孤独になる。おぼれていく。
これが「内界の旅」だ。
「自分探しの旅」なんかではなくいわば「内省」とか「面壁九年」に近い。
おぼれていって、池の底が見つかれば、その池は以前よりかは怖くなくなるだろ?
そんな感じ。
この場合、未去勢者がおぼれているのは底なし沼だ、と言えるだろう。
自閉症者とかいったん内省はじめたらきりがない感じがしないかい?
>「嫁の小言の相手をしていたが、めんどくさくなってやめた。すると、かえって小言が多くなったが、それでも無視していると小言がやんだ。その代わり(怒りは持続していたので)包丁で刺してきた」
なら「小言がやんだ」状態が「内界の旅」である気がする。嫁は孤独になってるだろ? 夫という外界じゃなく、自分の内界に向かっている。
だけどその例は失敗しているな。
底を見つけたら、分析家に対する転移もなくなっているはずだから。
池が怖くなくなったわけだから、助けを求める人だっていらなくなるだろ。
恨まれているからではなく、愛憎に限らず、転移が持続しているのは、分析治療においては、過渡期だ。
まだ「あの感動的な一瞬」に到達していない。
別にクライエントに恨まれようが関係ない、っつーのが分析家じゃね。
愛憎なんて同じ転移にすぎないわけだし。
2010-04-28 水 15:01:53 /URL /脂 /
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>人格攻撃。いつ? 鈍感だと得なことが多いな。
これ
>君の研究手法には文句つけないけど(人格批判はしているけど)、
について言っているなら、この「君」は=そらパパくんだ。
お前まじで言語障害なんじゃね。
2010-04-28 水 15:06:32 /URL /脂 /
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>だけどその例は失敗しているな。
むしろ悪化もよしとするわたしの逆精神分析なら成功かもしれない。包丁で刺すくらいなら。
彼女は自分の池の底を壊してしまったのかもしれない。
そうじゃないかもしれないけど。
2010-04-28 水 15:12:29 /URL /脂 /
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ちなみに「小言がなくなった」状態を、「デプレッション」と呼んで、精神分析過程においては重要視されている。
これって要は見た目抑鬱的な状態って意味なんだが、内省しているときって鬱いだろ。
わたしはこのブログで何度も言っているんだが、精神分析では、症状を悪化させる方向にクライエントを進ませる、という過程があるんだ。
いわばホメオパシーみたいなもんなんじゃね。
なので治療法としては、人間の内界の奥底にある「精神的に正常であることの自律機構」を過信したやり方だ、ってわけ。
この「正常であることの自律機構」につけた記号が、「ファルス」だ。
2010-04-28 水 15:21:31 /URL /脂 /
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ここまで言えば君も、ラカンが自分の思想は禅思想と似ていると言ったのが、理解できるかね?
精神分析的な「内界の旅」ってな、禅や密教的なものなんだ。
2010-04-28 水 15:22:46 /URL /脂 /
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「強化子」って考えるからわかんないだけじゃね。
「強化子」とかって外界からの要件を断絶した状態での、内界の自発的運動に、精神分析は着目している、と。
もちろんその「内界の自発的運動」に「強化子」って考え方をあてはめてもいいと思うけど。
でもそんなん他人はおろか、自分でもわからないわけじゃん。「これが強化子でー」とか言えない。言語化できない。形式化できない。
そういった考え方では、精神分析のクライマックスシーンは説明できんと思うよ。
2010-04-28 水 15:31:47 /URL /脂 /
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なんかホメオパシー擁護論で、全部のホメオパシーを擁護していたわけじゃないが、オートポイエーシスとつなげている文章があったな。
ここでは精神面の話に限っているけど、肉体面の話なら、「正常な状態を維持する自律機構」ってのは、人間の体にはあると思えるだろ? ちょっとした裂傷ぐらいなら治る。
この自律機能をオートポイエーシスつってたんだっけかな忘れたわ。
ま、そんな話。
2010-04-28 水 15:46:27 /URL /脂 /
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デプレッションはなるほどと思う。本来の鬱の、あの「隔離された/隔離している感じ」っていうのと相同ってことだろ。そういう意味ではあの「隔離感」の無い鬱よりもよっぽど鬱っぽいと言って良いのかも。
「小説読め」も笑った。スキナーが元小説家志望だったのを思い出す。
ところで、根本部分ですれ違ってる。
小言の例は精神分析の例を出したわけじゃない。つまり、行動の内容に触れた話じゃない。「内界に旅する」がどういう事か、に触れた話ではない。記号にした方が判りやすい?
「行動Aが結果Bによって強化されている。結果Bを取り去ることによって、行動Aを消去しようとする。消去中、一時的に行動Aが増える事が観察される。その後、行動Aは消去された。しかし、行動Cがあらわれた。」
まぁでも、見当はずれなたとえなのはよくわかった。
おおざっぱに切り捨てると、暴露療法か。(ちげぇよ、バカって声が聞こえてきそうだが。)それこそ行動療法の中核的な技法なんだが。
ところで、行動療法でも禅が流行ってるから笑える。わたしでさえクライアントに瞑想してもらう事あるし。催眠兼ねるけど。
ああ、疲れた。
まぁなんだ。わたしはいろんな「うまい」先輩の医者に会って、診察も見せてもらったが、はっきり言って「理屈は様々だが、やってる事はかわんねぇ」ってのが実感だ。
結局のところ、治療の中核はアートなんだよ。もちろん、道具それぞれの科学的な吟味は大切だが。アートへの科学的な接近の方法は、入り口と出口の測定ぐらいででいいんじゃないかな。
花風社のトモコセンセの本を読む。ヤバい匂いがプンプンする。この匂いがそらパパの怒りの琴線に触れたんだろうか。怒っているのを理屈でとりつくろわなくてもいいのに。
2010-04-28 水 22:20:43 /URL /ときしん /
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>「内界に旅する」がどういう事か、に触れた話ではない。
てめー
>「小言」が「内海を探る」なのか、「包丁で刺す」が「内海を探る」なのかよくわからん、という話。
って書いてるじゃねえか。
まじで君言語障害疑った方がいいぞ。
2010-04-28 水 22:24:53 /URL /脂 /
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「小言」や「包丁で刺す」を記号に変えてくれってことよ。下手に物語的な意味を付加したから、議論の位相がずれた。ごめん。
2010-04-28 水 22:29:38 /URL /ときしん /
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>行動療法でも禅が流行ってるから笑える。
企業のマーケティング理論で言うと、「グノーシス成分の潜在的需要」が表れている一例だと思うな(笑)。
仏教の宣伝マンたちよー、もっと頭使えやヴォケ。
仏教って頭悪い坊主の方が表に出てくるよな。寂聴といい玄侑といい。
ってどこも同じか。
2010-04-28 水 22:32:44 /URL /脂 /
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>「行動Aが結果Bによって強化されている。結果Bを取り去ることによって、行動Aを消去しようとする。消去中、一時的に行動Aが増える事が観察される。その後、行動Aは消去された。しかし、行動Cがあらわれた。」
って話で聞くなら、そういうこともあるだろうし、そうならない場合もあるだろうね、ってくらい。
行動と結果に因果関係はなくていいんだろ? 因果関係を求めているのは君じゃないかい?
この場合、精神分析の「内界の旅」に関係する因果を君は聞きたがっている、とわたしは解釈したが。
2010-04-28 水 22:36:18 /URL /脂 /
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ああそか。
>行動Aを消去しようとする。
なんだが、「行動」というのが「外界への働きかけ」と定義されているなら、すべての「行動」を、抑圧的ではなく自発的に、しなくするように仕向ける、って感じ。
「無行動」を「行動」と考えればいい。
「何もしない」ってのは「結果」じゃなくて「行動」だ、ってことか。
2010-04-28 水 22:38:51 /URL /脂 /
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「行動」って言葉自体に、人を外界主義にさせる「行間」が隠されてるんじゃね。
行動主義は理屈じゃなくて「言葉の使い方」、小説で言うなら「文体」が、禅、グノーシス、精神分析的「内界への旅」を妨害している、ってことじゃねえの。
2010-04-28 水 22:42:14 /URL /脂 /
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>あの「隔離された/隔離している感じ」
これがグノーシスのリンクの
>この現象する存在世界に対し、積極的な否定を声明すると同時に、
ってことだよ。
お前全然文章読めてないな。
言葉ヅラしか考えられていない。その言葉がどういった具体を示しているかを考えていない。
お前もお前の行動主義を現場で生かしきれてないんじゃね?
理論を言葉ヅラだけでしか考えられていないならそうなるわな。
理論と現場は常に相関している。だけど常に相関させていたら仕事にならん、っていうのもわかる。設計の言うことすべて聞いてちゃ工場の現場だって仕事できない。
だからといって設計と工場を別々にしましょう、って言うのは間違いだろ。どんな製造業でも、設計は現場を知るべき、というのがある。日本の製造業は基本現場主義だ。だからトヨタの生産方式は世界標準になった。
設計と現場の相関は、とってもめんどくさいものだ。だけどそれを避けるのは問題の解決を避けることに他ならない。
設計と現場、言語知・形式知と経験知の軋轢っていうのは、人間が抱えるすべての問題に、根底方向で関与していると思うぞ。
2010-04-28 水 22:55:00 /URL /脂 /
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>そういうこともあるだろうし、そうならない場合もあるだろうね
あーまぁそれは観察可能で、少なくとも行動Aに関してはそうなることが多いと判ってるからいいんだよ。
>行動と結果に因果関係はなくていいんだろ? 因果関係を求めているのは君じゃないかい?
>この場合、精神分析の「内界の旅」に関係する因果を君は聞きたがっている、とわたしは解釈したが。
内界の旅を「始めるまでの因果」、だね。実生活では、結果は因果関係もしくは偶然に基づいて与えられる事が多いから。(ただ治療場面では結果を調整する)
わたしの勘違いは、「内界への旅」が分析者と出会う所からすでに始まっていると思い込んだところだ。だから、見当外れの例を書いてしまった、という事だろう。
>「行動」というのが「外界への働きかけ」と定義されているなら、すべての「行動」をさせなくするように仕向ける、って感じ。
「無行動」を「行動」と考えればいい。
>「何もしない」ってのは「結果」じゃなくて「行動」だ、ってことか。
うーん、行動は外界への働きかけだけじゃないよ。「思考」だって立派な行動。
「こちら側が何もしない」のは、強化子のはく奪。今まであったものが無くなるから、一旦成立した強化が消えていく。
ああ、言葉がすれ違うな……脂さん、わたし、あなたの事別の村に住む同国人だと考えてたけど、もしかして同じ村に住んでる外国人か?
2010-04-28 水 23:13:18 /URL /ときしん /
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設計が言語の形で書かれてないんだよ。わたしの場合。現場も、設計も、あんまり困らないぞ?
2010-04-28 水 23:20:11 /URL /ときしん /
編集
>「思考」だって立派な行動。
その思考だっていろいろある。
たとえば、君がそうとしかできないような言語的思考もあれば、アーティストがするようなイメージによる思考もある。
しかしそのどちらでもない思考がある、としたのがビオンであり、それを「思考する者なき思考」と呼んだ。
ラカン論においては言語もイメージも「他者」だ。それは「外界」の構成要素だ。
となると、「思考」と一口に言っても、言語的思考、イメージ的思考であれば、それは外界の影響を受けた思考だ、となる。
さて、このとき「思考する者なき思考」は、「行動」と言えるだろうかね?
言語的に考えてみよう。
「行動」ならば「行動する者」が前提として考えらていれるよな。
行動=思考なら、それは「思考する者がいる思考」となり、ビオンの言う「思考する者なき思考」に反する。
「内界の旅」で行われる思考は、「思考する者なき思考」だよ。
>わたし、あなたの事別の村に住む同国人だと考えてたけど、もしかして同じ村に住んでる外国人か?
どういう意味で言っているのかしらないが、わたしにとってはあなた去勢済み主体で、わたしとは別人種だと最初から思っている。ママさんところのコメント読んだときから。
未診断教授と「俺たちゃアスペフレーバー」つって盛りあがってたけどさー、未診断教授はまあそう言ってもいいかもな、と思えたけど、君はとてもじゃないがそう思えなかった。
君ばりばり定型発達者。今んところのわたしの印象では。
2010-04-28 水 23:27:44 /URL /脂 /
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>設計が言語の形で書かれてないんだよ。わたしの場合。
それは言語化するのが困難だ、ってだけで、それは君の言語障害的な性質ゆえじゃないだろうか。
経験知は言語化するのが困難なのは確かだが、だからといって言語障害者が経験知主義者だ、というわけではない。
杉山翁も言ってたじゃない。
「言語性はわからないが、非言語性学習障害ならほぼPDDだ」
って。
2010-04-28 水 23:32:00 /URL /脂 /
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>しかしそのどちらでもない思考がある、としたのがビオンであり、それを「思考する者なき思考」と呼んだ。
ほう。そりゃ面白そうだ。読んでみよう。
>君ばりばり定型発達者。今んところのわたしの印象では。
会う精神科医や小児科医(発達専門)がわたしの事を軒並みアスペって言うだけだよ。パターンからして本気じゃないだろうと思っていたが、どうやら本気らしい。
2010-04-28 水 23:38:33 /URL /ときしん /
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>会う精神科医や小児科医(発達専門)がわたしの事を軒並みアスペって言うだけだよ。
ああまあ、今実際にアスペって診断されてる人でも、わたし視点未去勢じゃない人が半分くらいいるしな。
なので、君については、アスペじゃないとは言わないが、未去勢者ではなかろうな。
ほら、あたし精神分析村の人だから、こういう風にしか言えない。
2010-04-28 水 23:45:05 /URL /脂 /
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>困ってないなら君はグノーシス的「内界の旅」をしたことないんだろうな。
正確に言えば、困ってたから困らないように意識的に切り飛ばした、という事だろうと思う。
脂さんが去勢だの何だの言ってるのを読む前から、あなたに「切り飛ばした部分の感覚」を感じていたのは多分当たっていたんだろう。
2010-04-28 水 23:52:26 /URL /ときしん /
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>困ってたから困らないように意識的に切り飛ばした、という事だろうと思う。
それを「切り飛ばせる」のが去勢だよ。
クリステヴァの言うアブジェクシオン。「棄却すること」。
クリステヴァ論に則るなら、ラカン的な意味での「去勢」とは「棄却すること」だ。
ほら、あたしラカン村に住むクリステヴァ派のスパイだから。
2010-04-28 水 23:58:27 /URL /脂 /
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あ、ごめん訂正しとく。
>「内界の旅」で行われる思考は、「思考する者なき思考」だよ。
だが、「池の底」が「思考する者」にあたるから、池でおぼれることは「思考する者がいる思考」となる。理屈的に。
「思考する者なき思考」は、厳密に言えば、「池の底」を壊してしまったときの思考だ。
「包丁で刺す」くらいの精神状態って、「思考する者なき思考」っぽくないかい? 「者」つまり「人間らしい」思考ができてない、みたいな感じで。
だけど、底に近づけば近づくほど、底の裏からくるうねりが伝わってくるだろう。
なので、「内界の旅」でする思考は、「思考する者なき思考」とは言えないが、それの影響を強く受けた思考でなければならない、ということだ。
2010-04-29 木 00:03:48 /URL /脂 /
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おい、「思考する者無き思考」って、情動コントロールの障害が起こっている状態の思考の事なの? つまりパーソナリティ障害状態で考えさせるってこと?
おえっ
あー、病棟に呼ばれた。おやすみ。
2010-04-29 木 00:16:48 /URL /ときしん /
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未去勢者っつーのは、(一般的な意味での)「外界」がないんだよ。いつもおぼれている。水上がない。
この(一般的な意味での)「内界/外界」ってのはフロイトの言うそれにもあてはまるな。自己愛には外界があるが、自体愛にはない。
自体愛は、すでにそれは(一般的な意味での)「愛」ではない。むしろ単なる反応とでも言ったらいいか。
自己愛は、(一般的な意味での)「愛」だとは言えるだろう。
そうすれば、「自体愛」=「思考する者なき思考」、とは言えると思う。
「愛」ってのは「人間らしい」思考だろ? 「者」がする思考だ。
だから自体愛は「思考する者なき思考」で、自己愛は「思考する者がいる思考」と言えるだろう。
そういえばヒルコも棄てられるとき川に流されたんだっけかね。
2010-04-29 木 00:22:01 /URL /脂 /
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>「思考する者無き思考」って、情動コントロールの障害が起こっている状態の思考の事なの?
うん。
情動コントロールしてるのは誰だよ? 「人間らしさ」だろうが。
「者」だ。
>おえっ
だからお前はそれを切り捨てたんじゃねえの?
「おえっ」だからヒルコは棄てられた。
ここに君の快楽原則が正常に働いていると言える。
君は正常人だ。
2010-04-29 木 00:23:40 /URL /脂 /
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あれだな、お前は、「情動コントロールの障害」が起きている状態を、単なる肉体という機械の運動だと思えてないんだろうな。何かしらの人間的嫌悪感という妄想をかぶせてそれを見ているんじゃないだろうか。
「人間を物として見る」のが医者だ、ってわたしの話に同意してたよな、君。
見れてないじゃん。
2010-04-29 木 00:27:25 /URL /脂 /
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>あれだな、お前は、「情動コントロールの障害」が起きている状態を、単なる肉体という機械の運動だと思えてないんだろうな。何かしらの人間的嫌悪感という妄想をかぶせてそれを見ているんじゃないだろうか。
うん? そりゃ、逆の話じゃないか?
情動コントロールの障害を深く考えすぎじゃない?
物事を複雑に解くから、吐気が嫌悪から来ると単純に信じちゃうんじゃないか?
どちらかというと失笑に近い。
2010-04-29 木 00:57:24 /URL /ときしん /
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>情動コントロールの障害を深く考えすぎじゃない?
深く考えないから「失笑」となるんだろ。
「失笑」も「嫌悪」も変わらんだろうが。「不快の回避」という意味で。
つか深く考えるのが学徒ってものじゃないかい?
お前は学問的会話をしているのに「考えるのやーめた(笑)」って言っているようなもん。
つまり、バカ。
わたしは深く考えてないけどな。
一番新しい記事のコメント欄でも指摘されているが、自分は分裂病型人格障害くせえ、と思っているわけで、その文脈で、「ああ、情動コントロールの障害ってこういうのかな」という具体を想定している。
具体を想定しているということは、君にとっての「深く考えること」じゃないんじゃないか?
違うならどうでもいいや。
2010-04-29 木 02:23:03 /URL /脂 /
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考えずにしゃべりたいなら以降はツイッターとかでやってくれ。
お前みたいな人間とツレション会話する気は、わたしにはない。
2010-04-29 木 02:25:53 /URL /脂 /
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何か勘違いしているのかもしれないので一応言っておくが、わたしはあなたという人間を不快に思っているよ。最初から。
でもわたしはほとんどの人間が不快だから、あんまり気にするな。
2010-04-29 木 02:28:24 /URL /脂 /
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「失笑」ってどういうことか考えてみろよ。
あれだ、たとえば『ハリー・ポッター』で(何話目か忘れた)、ものまねモンスターの退治の仕方の授業、というシーンがあった。
そのものまねモンスターは、相手がすごく嫌いな物に変身する。
たとえば巨大な蜘蛛とかに。
そのものまねモンスターの退治法とは、おもしろおかしいことを想像することだ。
蜘蛛が嫌いな生徒はおもしろおかしいことを想像する。
すると、巨大な蜘蛛は、つるつる滑って立てなくなったりする。
生徒たちは大笑いする。失笑する。
「失笑」なんてもな自我という防衛機制のもっとも代表的な症状だよ。
防衛機制とは、すなわち不快の棄却だ。
2010-04-29 木 02:40:17 /URL /脂 /
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「深く考えない」奴にこんな説明しても意味ないだろうが、一応資格持ちの分析家のコラムをリンクしておくな。
http://psychanalyse.jp/columns.html#groupe
=====
ラカンは、知を発見していく分析主体はヒステリー的存在である、と述べている。精神分析の主体、「ヒステリー的主体」は科学から排除された主体であり、科学のディスクールはヒステリーのディスクールと共通しているということを踏まえれば、知を追求するという立場としてヒステリーがやって来るというのは何らふしぎではない。この点からするとラカンが知を発見していくために分析主体=ヒステリーとして在るというのはうなずける。
=====
「分析主体」ってのはクライエントのことだ。
「ヒステリー的な状態」と「パーソナリティ障害的な症状」ってのは、具体としては大体近いものだろ。
細かく考えると、昔のヒステリーという診断名は、現在の全部のパーソナリティ障害にあてはまるわけではないが、演技性などはもろヒステリーだと言えるだろう。
バカだから「失笑」したんだろうが、バカであることを自覚しろよ。
お前が「失笑」しているものから知を発見しようとしろよ。
呆れたわ。こんなバカな奴の相手してた自分に。
こういうところはそらパパくんの方が好感持てるな。
彼はそれを目くじらを立てて否定する。
君はそれを「失笑」する。
同じ「棄却」ではあるが、そらパパくんの方がそれに転移している(負的な転移ではあるが)。
「失笑」の方がタチが悪い。
研究者として。
大槻教授だって、オカルトに対し「嫌悪」と言っていいほどの感情を抱いているだろ(いやテレビ向けの演技かもしれないが)。
だけど、だからこそ彼はプラズマで火の玉を作ったりという、オカルト解明の研究をしている。
オカルト研究を、科学的アプローチからしている。
オカルトを「失笑」するような奴は、オカルトを研究しないだろうな。
2010-04-29 木 02:47:52 /URL /脂 /
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お前もそらパパくんと変わらんよ。
二次元の中だけでしか生きていけない人。
ドードーとらさん曰く、「アスペという実存在である概念」を考えられずに、「アスペという概念」でしか考えられない人。
要するに、嘘臭い。上っ面だけでしか物事を考えられない。
ママさんとこ見てたある当事者も、お前と未診断教授の「俺たちゃアスペフレーバー」懇親会を読んで、「お前はちげえよ」と思ったらしいが(ここでお前にいちゃもんつけてる人いるだろ)、わたしもお前は、わたし語用における「二次元の人」だと思い、わたし理屈でそれは去勢済み主体であるので、そういう印象だ、と述べた。
その印象が、会話で補強されつつある。
2010-04-29 木 03:14:24 /URL /脂 /
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わたしはそらパパくんについては、人格批判をしているが、自閉症研究においては、彼の態度は真摯だと評価している。まあ迷走しているとは思うが。自分の内面を棄却しているせいで。
お前は、自閉症研究ではないが、未去勢的領域について「失笑」する。つまり真摯ではない。
そらパパくんについては、わたしはその人格に嫌悪を覚えているが、自閉症を研究する資格があると思う。彼は自閉症研究者であると認める。
それを「失笑」するお前には、その資格はない、とわたし個人は判断する。
バカは黙ってろよ。
「語りえぬことについては、沈黙しなければならぬ」
沈黙しながら失笑してればいいじゃん。「俺たちゃアスペフレーバー」なんてバカ踊りしないで。
わたしは、分析家が分析主体に向ける転移は、感情的ではない、という意味で、「(科学者的な)興味」と言っているものであるべきだ、と考えている。
それは「嫌悪」でも「失笑」でもない。
しかし、どちらが近いか、としいて言うのなら、「嫌悪」の方に近い。
「失笑」は論外だ。「深く考えない」とまさに君が言っているように、それは知の放棄である。
ちなみに言えば、こういったテーマこそが、「精神分析は発祥からそれとつきあってきたんだが、いまだに消化できていない」とわたしが言った、「それ」である。
君は「無視するのが消化じゃないなら、消化じゃない」と言ったが、この「無視」が君がした「失笑」にあたるだろう。
「無視する」のは消化じゃないどころか、学問ですらない、という話だ。
お前は自己啓発みたいなもんとして学問やってるんだろうな。
学問は神話じゃねえぞ、バカが。
バカはバカなりに「深く考えて」からコメントしろ。
そらパパくんは「心の闇」について感情的に否定する。
君はそれについて「失笑」する。
お前の方が生きている価値がないと思う。わたしにとって。
「嫌悪」だと言っておけばまだ相手してやったのに。そらパパくんにしたみたいに。
死んでいいよ、お前。
それともうコメントしなくていい。バカの相手をするつもりでブログをやってるわけじゃない。
2010-04-29 木 05:00:13 /URL /脂 /
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「嫌悪」より「失笑」の方が、そのものを「見れてない」んだよ。
色眼鏡がかかっている。
巨大な蜘蛛におもしろおかしい妄想をおっかぶせている。
それに「嫌悪」を感じる方が自然だ。
バカは死ね。
2010-04-29 木 05:07:51 /URL /脂 /
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なーにが「内界の旅」だ。
お前全然自分の内界わかってねえじゃねえか。
お前みたいな人間が「内界」を語るから、「内界」は誤解されるんだよ。
グノーシス的な「内界の旅」は駆逐される。
2010-04-29 木 05:10:26 /URL /脂 /
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未診断教授なんかは、ママさんの話を聞く限り、「情動コントロールの障害」に苦しんでいそうだけどな。
それを「失笑」する余裕なんてなかろうな。
その具体を知っている人間は、それをどうにかしようと、つまりそこから知を発見しようとしているから、「失笑」になんてならん。
「嫌悪」はありうるだろうな。自己嫌悪。
情動をコントロールできる方が、不自然なんだよ。
それは人工なんだ。
赤ん坊は情動をコントロールしてるかい?
お前に診察される未去勢者がかわいそうだ。
お前みたいなバカごときに心の底で笑われてるんだからな。
「僕もアスペって言われるんですよー」なんて詐欺トークに弄されて。
2010-04-29 木 05:21:05 /URL /脂 /
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今さら「自己嫌悪を含んだ失笑だ」なんつっても遅いぞ。お前は「嫌悪」を否定して「失笑」つったんだからな。
「アスペフレーバー」の化けの皮がはがれたな(笑)。
2010-04-29 木 05:22:35 /URL /脂 /
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お前が「切り飛ばした部分の感覚」ってえのは、こういうもんだ。
死ね。
それでもこれを見たいと思うなら、死んでからこい。
2010-04-29 木 05:24:23 /URL /脂 /
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禅の修行なんてな、悟りを目的としているんじゃないぜ?
悟りなんてなただの結果だ。修行こそが目的だ。
その証拠に、悟りに執着することを「魔境」として戒めている。
むしろ悟りの方を「必要悪」的なものとして考えるべきなんだ。
その修行ってどういうもんだい?
無我という、自我の向こう側にある、「情動コントロールの障害」的な「内界」と対峙することだ。
お前ってほんとに言葉ヅラだけでしか物を考えないのな。
二次元の人。
エロマンガに登場するような未去勢者でオナニーしてろよ。
2010-04-29 木 05:46:44 /URL /脂 /
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うぜえ。死ね。
2010-04-29 木 05:47:49 /URL /脂 /
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背面
竹田契一によればアメリカではアスペとは
ビル・ゲイツ、アインシュタインを連想
させ「君ってクール!」と言う意味に一般
人の間で使われているとの事。
2010-04-29 木 06:30:14 /URL /スカラベ /
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うん。私はあなたの不快成分だろうと思う。あなたもよくするだろ? 失笑。失笑というよりは嘲笑に近い。
まぁいい。
>「無視する」のは消化じゃないどころか、学問ですらない
バカ言え。学問的探求も治療も、「何をブラックボックスに入れるか?」の連続だ。
ブラックボックスの周囲の系を調べ、ある程度調整可能になったら、ブラックボックスを開ける。その中を概観し、何がブラックボックスに入るかを調べ、入れる。その周囲の系について調べ、ある程度……の連続。真摯に向き合うのだけが科学的態度だと?
無視し、注目し、無視し、また注目する。
>スカラベさん
これだけは言っておくが、小児科医になる前に私が今言われているように「あんたってアスペ」と言われたら、私は怒り狂っていたよ。私も初めは
>君ってクール!
って意味だと思いたかったからな。
2010-04-29 木 07:46:24 /URL /ときしん /
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>あなたもよくするだろ? 失笑。失笑というよりは嘲笑に近い。
当然。最近なら木田原くんにしている。
それはわたしは彼について研究する気がないからだ。
>真摯に向き合うのだけが科学的態度だと?
少なくとも「失笑」は違う。
地震学者は地震について否定的に語るよな。
「地震は文明を破壊し人命を奪うから、我々は地震を研究しているのだ」
地震に対して失笑している人間は地震を研究しないだろう。
地震について会話してもゴシップ程度だろう。
お前何か勘違いしていないか?
「失笑」という態度が無礼だから怒っているんじゃない。なら「嫌悪」だって怒らないといけないだろ?
今回だけではなく、お前はこれより前の会話で、その部分(「嫌悪」することを研究するわけだから「不快に進むこと」だよな)を「無視する」ってのは認めているじゃないか。
二回も言っておいてよく恥ずかしげもなく
>ブラックボックスの周囲の系を調べ、ある程度調整可能になったら、ブラックボックスを開ける。その中を概観し、何がブラックボックスに入るかを調べ、入れる。その周囲の系について調べ、ある程度……の連続。真摯に向き合うのだけが科学的態度だと?
なんて書けるな。
無視してなんかないじゃないか、これなら。
失笑する過程がどこで生じるんだい? ここに。
お前ってほんと口先だけの人間だな。
2010-04-29 木 08:12:55 /URL /脂 /
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>真摯に向き合うのだけが科学的態度だと?
そも「嫌悪」なら「(科学的な)興味」に近い、とわたしは言っているのに、なぜ「真摯に向き合うのだけが科学的態度」だとなるのだい?
お前の脳内でどんな変換がされたんだい?
「真摯だけじゃないとだめ」なんて書いてないだろうが。
「この人は「真摯」だけが科学的態度だと言っている」
ってお前が勝手に思ってるだけじゃないか。
やめてくれよ、自分に都合のいい妄想を他人におっかぶせるのは。
「仮説」ならいいが。
「仮説」はさまざまな可能性を検証するだろ。
でも少なくとも今回の君は、
「この人は「真摯」だけが科学的態度だと言っている」
という「仮説」について、他の可能性を検証していない。
なんでそう「自分に都合のいい妄想」が自動的に選別されるのだい?
それはお前が正常人だからだよ。
2010-04-29 木 08:17:28 /URL /脂 /
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そもわたしは人文科学などにおける、「研究対象に敬意を払うこと」を批判しているだろうが。君はそれに同意した。
「敬意」なんてのも色眼鏡だ。
色眼鏡度は、わたし個人の判断なら、
「失笑」>「敬意」>「嫌悪」となろうな。
「真摯」はシニフィエが抽象すぎて、時と場合による、としか言えない。
だからわたしは「興味」「ただの矢印」などと表現する。
わたしの中に具体としてある、情性欠如者的な内面の力動をな。
2010-04-29 木 08:20:51 /URL /脂 /
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>>君ってクール!
>
>って意味だと思いたかったからな。
だろうな。
お前以前「そらパパくんの娘が治療に失敗したとき」という話題で、「淡々と対応するんじゃないか」と言ってたよな。
お前がクールになりたがっているだけだよ。
お前がクールを理想にしているだけだ。
だから「失笑」なんて態度になる。
すげー中二病くせえ。
2010-04-29 木 08:27:49 /URL /脂 /
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お前自分が「無意識的にクールを理想自我にしている」って気づいている?
いわばナルシシズム的に、君はクールになりたがっている、と。
二つの具体的症状を挙げてあげたんだけど、まだわかんない?
クールだろうがなんだろうが、その「理想」が色眼鏡なんだよ、バカ。
2010-04-29 木 08:34:07 /URL /脂 /
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「クールであること」と「(科学的)興味」「ただの矢印」は全然違うぞ。
不快だからそれに向かってしまう。
いわば被害妄想的にそれについて研究する。
全然「クール」なんかじゃない。
「失笑」しながら分解なんてするわけがない。
むしろ2ちゃんなら「必死だなw」なんて言われるような態度になろう。
「淡々と」なんてただお前がナルシシズム的にそうあろうとしているだけで、それこそが色眼鏡だ。
2010-04-29 木 08:43:52 /URL /脂 /
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自我理想・理想自我なんてな、要は養育者に対する(象徴的あるいは想像的という意味で)幻想的同一化が原因になっている。
幻想的同一化機能が壊れている情性欠如者は、そもそも「自我にまつわる理想」が生じにくい。
自閉症者も「尊敬する人を目標にする」なんてあまりないだろ。
お前は情性欠如者なんかじゃないよ。
「クールってかっこいい」なんて空気に踊らされたただの「スキゾイド風仮面をかぶりたがる正常人」だ。
2010-04-29 木 08:53:01 /URL /脂 /
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本当に「淡々と」しているなら、「情動コントロールの障害」についても、失笑なんてせずに淡々とするだろう。
だけど君は失笑した。
なぜだかわかるかい?
君が「クール」を理想としているからだよ。
「俺の方が理想に近い」から失笑できたんだ。
2ちゃんのスキゾイドスレなんか覗いてみろよ。アスペとの類似性が語られているのを知ってか知らずか、アスペの話題になることもある。
スキゾイドよりアスペの方が「情動コントロールの障害」は顕著だよな。
スレも「そこがアスペとスキゾイドの違う点だ」という意見が多い。つまりアスペの方が感情的だ、って。
しかし失笑なんてしている奴はほとんどいないな。
淡々と、アスペとスキゾイドの違いを、まるで独り言のように話している。
失笑しないスキゾイドと、失笑する君の違いはどこにあるんだろうね?
スキゾイドは素で淡々としているのであり、君は「クール」を理想としているところだよ。
2010-04-29 木 08:58:49 /URL /脂 /
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>無視してなんかないじゃないか、これなら。
失笑する過程がどこで生じるんだい? ここに。
なるほど、脂さんの中ではこれは無視していない事になるのか? 感覚が違うな。私の「無視」は焦点をずらすことだ。背景をみる事だ。部分に注目することだ。外枠を見ることだ。
失笑は、何と言ったらいいのか、ブラックボックスに入れて考えれば早い時にブラックボックスに入れないのを見て起こる。理論は他人には理解不能なのにうまくいく臨床や、算数の迂遠な回答で正解に至るのをを見た時に起こるものだ。
>そも「嫌悪」なら「(科学的な)興味」に近い、とわたしは言っているのに、なぜ「真摯に向き合うのだけが科学的態度」だとなるのだい?
これについてはすまない。本当に謝る。全く読めていなかった。行間の妄想は、うまく働く時と働かない時がある。あなたには無くて、私は故障か。いずれにしろ、ごめん。
2010-04-29 木 08:59:43 /URL /ときしん /
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>脂さんの中ではこれは無視していない事になるのか?
君の言っているそれは現象学で言う「エポケー」すなわち「保留」だと解釈した。
これについては現象学オタクの知人とさんざん口論して怒られたからな、トラウマになっているんだ。
「エポケーは棄却ではない、あくまで「保留」だ」
ってな。
いまだその違いがピンときてなかったりするんだが。
だからそれにおける「ブラックボックス」に対する対応は、「無視」「棄却」ではない、と考えた。
>理論は他人には理解不能なのにうまくいく臨床や、算数の迂遠な回答で正解に至るのをを見た時に起こるものだ。
今回のどこが「うまくいった」あるいは「正解に至った」のだい?
あ、もしかして、「池の底」とは「情動コントロールの障害」状態だと、わたしが言う前からわかっていたので、笑ったのかい?
そういう笑いならわたしもする。「おもしれー」ってな。
だけど言い訳にしか聞こえないな。
それなら「おえっ」とはならないだろ。
2010-04-29 木 09:09:05 /URL /脂 /
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>自閉症者も「尊敬する人を目標にする」なんてあまりないだろ。
某アスペ当事者ブログでこんな話があったな。
高校のときあこがれていた先輩がいた、と親しい知人に話すと、その知人は「それだよ、それが君に足りないところだよ」と言ってきた。
この親しい知人ってのは心理学をちょっと齧ってはいるらしいが、たぶん素人だ(わたしもそうだが)。
なのでこんな理屈抜きに、「正常人を比してそいつに欠如している何かとつながる」みたいに直感したのだと思う。この知人は臨床現場の才能があるんだろうな。
で、どうなったと思う?
当事者は「なるほど」と思って、その先輩について調べ始めた。で、たまたまネットにあった文章を見つけたらしいんだな。
だけど人間なんてな変わるものだろ。
ま、よくあるパターンで幻滅した。
これも「幻想的同一化機能」が未熟なことによる症状と言えるな。
幻滅するだけなら正常人にも普通にある症状だけどさ。
そもそも「あこがれる」とかって心理機制が未熟なんだよ、って話。
だから「理想」なんてのも形成されにくい、と。
2010-04-29 木 09:20:09 /URL /脂 /
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>お前自分が「無意識的にクールを理想自我にしている」って気づいている?
>いわばナルシシズム的に、君はクールになりたがっている、と。
そのとおり。そこまではたどり着いた。前にも書いたろ? 価値の方向に気付くって。そうなっていくだろうという予感を含む。(これって超自我の承認になるのか? なんか違うような気がするんだが。)
>本当に「淡々と」しているなら、「情動コントロールの障害」についても、失笑なんてせずに淡々とするだろう。
オプティミズムの過剰だと言ったろ?
淡々には方向がある。私の意見では。もう一つ、私は淡々としていない。道の途中だからだ。失笑も、無視も、逆ではない。途中経過だ。
2010-04-29 木 09:22:06 /URL /ときしん /
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あ、そう、わかってたのか。
なら死ななくていいが、わたしは疑っているままだ。
>これって超自我の承認になるのか? なんか違うような気がするんだが。
「理想自我」なら違うな。「自我理想」ならそうだと言えるが。
>価値の方向に気付く
のが自我理想だろう。おそらくこれが強いときに君は「アスペだ」と言われて怒ったのではないだろうか。
「名状できない俺の理想を汚すな」的な。
>そうなっていくだろうという予感
は理想自我だろう。その予感は妄想だ、となるがな。
ちなみに自我理想と理想自我が近接したのがパラノイアだよ。
君は色眼鏡を強化する方向に向かっている。
まあ「過剰なオプティミズム」という妄想・色眼鏡が大事だと君は思っている、という話だろうな。
君はグノーシス方向ではなく顕教的な方向に向かっている、と解釈した。
現実を見る目はペシミズムよりだ。
そらそうだ。現実界は「命のしかめっ面」なんだから。
2010-04-29 木 09:34:13 /URL /脂 /
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某ライトノベルサイトで「最近の若い子には「はやく老人になりたがるシンドローム」がある」なんて話したことがあるが、君もその系統かもな。
「過剰なオプティミズム」と「淡々さ」っていう、「理想的な老人」を目指している、と。
いや多いんだよ、なーんか悟りきった顔をしたがる小説家の卵が。
負的成分が足りない。
2010-04-29 木 09:40:12 /URL /脂 /
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憎めよ、殺意を持てよ。もっと。
それが現実だ。
老人は確かにリビドー=心的エネルギーが減少していると考えられるので、憎しみなどというものも減るだろう。
しかし現実的に老人ではないお前は、「老人のごとき理想」を愛している。お前の心的エネルギーはそっちに向かっているってだけ。
だからそれを心的エネルギーと思えないだけ。内部にしまい込んでいるだけ。勃起したちんちんを隠すがごとく。
憎めよ。殺意を持てよ。
それが心的エネルギーという現実だ。
2010-04-29 木 09:44:24 /URL /脂 /
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>「名状できない俺の理想を汚すな」的な。
あ、「君はアスペを汚らわしいと思っていた」って意味ではなくな。
それが適当に名状されること自体が汚らわしい。
自我理想というのはそういうもの。
2010-04-29 木 10:04:15 /URL /脂 /
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ときしんさんや、確認なんだが。
>あなたに「切り飛ばした部分の感覚」を感じていたのは多分当たっていたんだろう。
だけど、それはそれでいいとして。
「切り飛ばした部分の感覚」を感じさせるわたしのブログを読むことは、
>価値の方向に気付くって。そうなっていくだろうという予感を含む。
ってえ方向に進むのを、阻害することになると思うんだが。
その辺どうだい?
2010-04-29 木 14:21:48 /URL /脂 /
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2010-04-30 金 09:37:34 / / /
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うーん、あー、何と言ったらいいのか、この「そうなるであろうという予感」は「そうなってしまう」という感覚や「そうなりたくない」感覚や「そうなりたい」感覚とは独立している。いや、時によって不定と考えるべき?
それはあれだ。いつだってその方向をを向いているわけじゃない。
「集積としてこういう方向だ」という感覚だ。
楽観に向かうであろうという感覚。幸福に向かうであろうと感覚。クールに向かうであろうという感覚。それは、私の現時点での意識上での希望とは必ずしも一致しない。一致しなくても良い。そもそも後ろ向いてたって前には進める。
ところで、脂さんから感じるのは、ただ留まっているという感覚じゃないんだが。
むしろ、不幸の方向に進むという感じ。価値の方向が不幸に向いているという感じ。悲観に進むという感じ。自動的に沈むという感じ。それが色眼鏡ではなく現実だといえる所がどうにもよくわからん。
2010-04-30 金 11:35:07 /URL /ときしん /
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>現実だといえる所がどうにもよくわからん。
「何が現実か」じゃないのはわかる? 精神疾患の「幻覚」も、正常人が「現実」だと思っている現象も、脳というブラックボックスによって構築されたもの。「現実」も「幻覚」も明確に区別できない。
したがって、「現実を感じさせる身体反応(作動)」を考えるべきだ、ってわけ。
「現実」なんて人それぞれに違う。ならば、そうじゃなくて、「現実感」とはなんぞや、を考えよう、って話。
現実感って話なら、ざっくばらんでいいなら、この記事でも書いたけど、
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-203.html
=====
地獄ってお前が言っているだけだろう。そりゃ苦しいさ。現実だからな。宝クジ当たったら「夢みたーい」とか言う一方、ギャンブルで大負けしたら「これが現実だ」って思うだろ? 現実って言葉が既に悲劇的なものを、地獄的なものを内包しているに過ぎない。
=====
ってこと。
現実感とは、結果的に、不幸や悲観と連結する、という話。
そしてこの領域は、演劇やっていたわたしの感覚では、離見の見の境地に似ている。
自分が透明になって物が見える。
この方向がそうであるのは、わたしはそうだと思える。
この話について学術的デコレーションもできるけどたるいのでしない。
ヒントだけ言うなら、ラカンの言う「現実」は「実存」とか「物自体」とかって方向だよ。
2010-04-30 金 13:48:43 /URL /脂 /
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>この「そうなるであろうという予感」は「そうなってしまう」という感覚や「そうなりたくない」感覚や「そうなりたい」感覚とは独立している。
なんにしろこれ全部「未来」に向いてるじゃないか。
「未来」なんて「過去」の延長にすぎない。「未来」も「過去」も幻想。
現実は「現在のこの一瞬」にしかない。
2010-04-30 金 14:17:50 /URL /脂 /
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まあでも、「そうなるであろうという予感」は、君の話を聞く限り、君はわたし語用の「トランポリン」で跳ね返った経験がありそうだ、と思った。
つまり、別に精神分析を受けてはないだろうが、精神分析治療における「あの特別な一瞬」は経験してそうだ、ということ。
それは大事なものだって気持ちになるのはわかる。悟りの瞬間って特別で、快楽的だから、大事なものになる。
しかしそれに執着するのは魔境である。
君は、「内界の旅」をして、「そうなるであろう予感」と表現している、その根拠となるものを見つけたのかもしれないが、それに執着している今は、君は魔境にいる、というわけだ。
2010-04-30 金 14:49:05 /URL /脂 /
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>脂さん、わたし、あなたの事別の村に住む同国人だと考えてたけど、もしかして同じ村に住んでる外国人か?
この勘違いがあれだったんだろうな。お前のなれなれしさになっている、と。
お前(みたいな人間)はわたしについてもっと警戒すべきだ。
新記事も読んどけ。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-713.html
でもまあ、それを「精神分析的」というと学派政治のしがらみが入ってきそうなので、あえて「グノーシス的」と言うが、グノーシス的アプローチを、行動主義でも取りうるのは、君の論で理解できたよ。
そらパパくんの行動主義しかしらなかったのでな。わたしは。
2010-04-30 金 16:23:03 /URL /脂 /
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また、「失笑」についてのお前の説明も、わたしはいまだまったく納得していないことを言っておく。
お前の説明では、
>>理論は他人には理解不能なのにうまくいく臨床や、算数の迂遠な回答で正解に至るのをを見た時に起こるものだ。
>
>今回のどこが「うまくいった」あるいは「正解に至った」のだい?
>
>あ、もしかして、「池の底」とは「情動コントロールの障害」状態だと、わたしが言う前からわかっていたので、笑ったのかい?
>そういう笑いならわたしもする。「おもしれー」ってな。
>
>だけど言い訳にしか聞こえないな。
>それなら「おえっ」とはならないだろ。
という点で矛盾するから。
つまりお前は、「池の底」たる「ヒステリー的状態」「パーソナリティ障害的状態」について、「エポケー」「保留」ではなく「棄却」していた、とわたしは考えている。
お前は科学者として失格だ、とな。
2010-04-30 金 16:34:45 /URL /脂 /
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お前のこの辺について言っていることって、「否認」じゃねえか?
「無視」ってえのが、「保留」か「棄却」「排除」かで意味が変わる。
わたしは、お前はそこを「棄却」「排除」していた、と考えている。
しかしお前は「また注目し」と言っている。「保留」だと。
嘘つけ、お前の無意識が「棄却」「排除」していたんだろうが、それが「おえっ」ってことだろうが、だからそれを「失笑」と言い直したんだろうが、とわたしは言っている。
バカはもっと「深く考えろ」よ。バカなんだから。
2010-04-30 金 16:38:01 /URL /脂 /
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次コメントするときはここを考えてからコメントしろよ。
答えなくてもいいから。
2010-04-30 金 16:40:06 /URL /脂 /
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バカは深く考えてもろくな事は無いぞ。バカなんだから。
>したがって、「現実を感じさせる身体反応(作動)」を考えるべきだ
ははぁ。なるほど。それはよくわかった。現実という言葉にまつわる文化全体はペシミズム的だと。時々現実万歳! となってしまう私は現実という言葉に対しては不定だということか。
>お前のこの辺について言っていることって、「否認」じゃねえか?
うん? そうだろうか。
>あ、もしかして、「池の底」とは「情動コントロールの障害」状態だと、わたしが言う前からわかっていたので、笑ったのかい?
それは無い。
しかし、実際このおえっは、例えば禅僧の話を聞いた時にもおこった。彼らは悟りを無視するだろ? 多分それが「魔境」だからだな。私は普通にこの「思考」(悟り、妄想)の扱いについて考える。どうやって起こったのか。この思考はどうしていったらいいのか。この思考はなんに使えるのか。この辺も含めて「妄想」ということだな。
つまり、禅に禅を重ねるから禅僧、科学し続けるから科学者、ということか。なるほど、わたしは明らかに科学者ではない。
禅は何に使えるだろう? 科学は何に使えるだろう?と考える。つまりわたしは、「俗」ということで、「俗」である以上は科学者足りえないと。
なんだ、表明していた通りじゃん。
ああ、それでラカンもフロイトも科学者ではない、という事になるのだな。それが治療である事は疑いないわけだから。
しかし、俗でもなんでも、ブラックボックスを開ける作業自体は続けるだろうな。一回一回魔境に入りながら、それでもやめない、と。やはり、私言語の「無視」は「保留」という事じゃないか?
あー、しかし、「おえっ」は否認だったのか。ブラックボックスの中身を見るその方法については、否認、と。それは、分析という方法についての否認だったと。
だがわたしはそれでも「この姿勢もまた科学だ」と言いたい。なぜなら、アートであるところの私の道具が科学によって精錬されている事も事実だからだ。脂さん言語の科学とは異なるが。
2010-04-30 金 19:26:46 /URL /ときしん /
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あ、かみつく前に言っとくが、最初のはジョークだよ。
2010-04-30 金 19:48:27 /URL /ときしん /
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だから、「おえっ」は保留ではないが、排除でも無い。「棄却」が近いが、同時に認めている感じ。
だから、脂さんのやってる事は新しい記事における「治療の放棄」と見るね。
2010-04-30 金 19:56:27 /URL /ときしん /
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>どうやって起こったのか。この思考はどうしていったらいいのか。この思考はなんに使えるのか。この辺も含めて「妄想」ということだな。
禅僧は知らんがわたしはこの記事でこう書いている。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-710.html
=====
こういった、信仰心理などと呼べるべきものを、学問的態度で論じているのが精神分析である。
=====
これが、「悟りとはどういったものか」を論じることに相当する。
>ああ、それでラカンもフロイトも科学者ではない、という事になるのだな。それが治療である事は疑いないわけだから。
フロイトもラカンも「治療とはどういったことか」を研究しているが?
フロイトなんて特に治療何度も失敗しているからな。
>ブラックボックスを開ける作業自体は続けるだろうな。
ブラックボックスを開けるのが科学者だって言ってんだろが。
>一回一回魔境に入りながら、それでもやめない、と。やはり、私言語の「無視」は「保留」という事じゃないか?
後付の言い訳にしか聞こえない。
わたしに言われたからそう言っているだけ、と。
もし「保留」という態度でいたなら「おえっ」って「失笑」にはならないはずだ。
少なくとも君はこの瞬間「棄却」していた、とわたしは解釈する。
今は違う、と言われても、言われないと気づかないような人間なら、また無意識的に「棄却」するだろうな。
お前ほんとに言い訳だけの人間だな。
汚らしい。
>あー、しかし、「おえっ」は否認だったのか。
誰がそんなこと言った?
お前ほんと言語障害だな。
「おえっ」と言ってそれを「失笑」と言い直して、さらに「いやこの「無視」は「あとで注目する」という意味を含んでいる(つまり「保留」)」ところころ言っていることが変わっていることを「否認」と言っているんだ。
「おえっ」と言った瞬間、お前はそれを「棄却」していただろう、とわたしに指摘された。君はそれを認めたくない。だから「失笑」やら「また注目する」なんて言い訳を並べ立てている、という状態なんじゃないか?
この状態をわたしは否認と言っている。
要するに、「いやさぼってません、あとでやろうと思ってただけです」ってよくある弁解と同じ類の態度にしか、わたしには思えない、という話だ。
そんな言い訳する奴なんか、しばらくしたらまたさぼりはじめるだろう。
お前さ、ほんと言語障害なんじゃね。
2010-04-30 金 20:02:30 /URL /脂 /
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>脂さんのやってる事は新しい記事における「治療の放棄」と見るね。
上のコメントを見ろ。
この場合における「治療とはどういうことか」と「信仰とはどういうことか」は相似している。
ラカン論はまさにそこをクリティカルに論じているんだが。
いやまあ確かにわたしはラカニアンじゃないがな。
「治療の放棄」というより、治療に縛られていることの放棄、だな。
治療も悪化も相対的に、「精神に対する作用」として見る。これが逆精神分析だ、と過去記事でも書いているが。
お前がこのブログを読めてないだけだろ。
あるいは精神分析についての知識がないだけ。
妄想で反論するのっておこちゃまっぽくてかわいいわ。
思わずニヤってしもた。
2010-04-30 金 20:07:17 /URL /脂 /
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>脂さんのやってる事は新しい記事における「治療の放棄」と見るね。
この会話に限っても、精神分析治療における「あの特別な一瞬」に似ているものとして、中坊さんの記事を、実際の具体例として挙げているのに、「放棄」か。
お前さ、とことんバカだな。
2010-04-30 金 20:09:57 /URL /脂 /
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>「おえっ」と言ってそれを「失笑」と言い直して、さらに「いやこの「無視」は「あとで注目する」という意味を含んでいる(つまり「保留」)」ところころ言っていることが変わっていることを「否認」と言っているんだ。
>「おえっ」と言った瞬間、お前はそれを「棄却」していただろう、とわたしに指摘された。君はそれを認めたくない。だから「失笑」やら「また注目する」なんて言い訳を並べ立てている、という状態なんじゃないか?
>この状態をわたしは否認と言っている。
うあん? では否認ではないな。私が言いなおすのは、私が抱えたこの感覚が伝わらんからだ。脂さんの言語で言う何に当たるのか、さっぱりだ、という事だ。
「おえっ」の感覚は徹頭徹尾変わらんよ。
「認めるが私は採用しない。」それが私の「おえっ」で、「失笑」で、「棄却」だ。
脂さんが言うどの言葉も私の「おえっ」の正体ではないと思うから、困っている。
2010-04-30 金 20:21:43 /URL /ときしん /
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>「治療の放棄」
この記事なんか見るといい。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-373.html
この記事におけるまんこちゃんとは、ブログもう削除してしまってるので説明しておくが、高校生女子だ。わたしは去勢済み主体と判断している。
今お前にやっているように、「お前の内面はどうなっているんだ?」的ないじめを、彼女にしてたのだな。
その結果、彼女はこんな反応を示した。
=====
出てくる言葉は全部真理が影響されているみたいで
=====
これがグノーシスのリンクにおける
=====
「すでにこの真理は、わたしには既知のものだ」という気づき
=====
だ。
とはいえ彼女は、そうあってしまう自分の言葉がいやだ、という意味でこう言っていた。
つまり彼女は「既知の真理」を、「池の底」を壊したがっていた。
ちなみにわたしが彼女に着目したのは、ある高機能自閉症者(このブログにもコメントしている薬師さんという人だ)と彼女が接触したことからだ。
彼女は、わたし以外の人にも指摘されていたが、キチガイを神聖視していた。そういった態度で高機能自閉症者と接触した。だから高機能自閉症者はアレルギー的に彼女を拒否した。
こういった子は、「治療を放棄」して「悪化だけを信仰している」と言えるだろうな。
いわば悪魔信仰みたいなもんだ。
魔女は神も悪魔も相対化している。神信仰者でも悪魔信仰者でもない。
2010-04-30 金 20:24:43 /URL /脂 /
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>要するに、「いやさぼってません、あとでやろうと思ってただけです」ってよくある弁解と同じ類の態度にしか、わたしには思えない、という話だ。
>そんな言い訳する奴なんか、しばらくしたらまたさぼりはじめるだろう。
とわたしは解釈しているだけだがな。
わたしが疑っているだけなのに、ここまで反論している態度が、余計に否認という症状に合致してしまう、となるんだが。
2010-04-30 金 20:28:28 /URL /脂 /
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>脂さんが言うどの言葉も私の「おえっ」の正体ではないと思うから、困っている。
お前が言語障害だからじゃね。
冗談ではあるが、お前論文とか評価されないタイプだろ。
言語使用能力が非常に低い。
おそらく中坊さんやワードサラダくんより低いと思う。
君が「アスペっぽい」って言われているゆえんではあろうな。
「自閉症者は文脈を読めない」
うん、君も読めない。
しかし、君には想像的なフレームがある。
杉山の論思い出してみろ。
「言語性はわからないが、非言語性学習障害はほぼPDDである」
君の無意識は鏡像関係の組み込みに成功している。
よって未去勢者ではない、とわたしは思っている。
2010-04-30 金 20:31:50 /URL /脂 /
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>私が抱えたこの感覚が伝わらんからだ。
感覚なんて伝わらないのが前提なんだよ、バカ。
2010-04-30 金 20:37:35 /URL /脂 /
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逆に言えば、お前は「おえっ」と言ったときの感覚を、わたしに伝えたがっている、というわけだ。
君にとって「おえっ」と言ったときの感覚は、それほど重要なものだ、となる。
「いやさぼってません、あとでやろうと思ってただけです」って弁解している奴が、「さぼれる場所や時間」を必死に維持しようとしているようなことだな。
2010-04-30 金 20:40:09 /URL /脂 /
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2ちゃんの定型句「来月になったら本気出す」とかその類のことだとわたしは解釈している。
2010-04-30 金 20:44:25 /URL /脂 /
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なぜ君にとって「おえっ」と言ったときの感覚が大事なのか、考えてみたまえよ。
2010-04-30 金 20:45:31 /URL /脂 /
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>「認めるが私は採用しない。」
採用しないならそっから知は発見できんだろ。
「棄却」だからだめだ、とわたしは言っているんだがな。
それは科学的態度じゃない、と。
「嫌悪」ならいいんだよ? 「嫌悪」と「棄却」は並存しうるが(そらパパくんがそうだ)、「棄却」しない「嫌悪」はありうる(大槻教授の例)。
2010-04-30 金 20:50:06 /URL /脂 /
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わたし「「おえっ」って嫌悪だろ、お前の人間的妄想をそれにおっかぶせてるんじゃないか?」
↓
君「「おえっ」は嫌悪ではない、「失笑」だ」
↓
わたし「「失笑」の方がよっぽどタチが悪い、それは「棄却」であり、科学ではない」
↓
君「「おえっ」が伝わらない。それは「棄却」という意味で言った」
わたしの指摘あたってるじゃん。それは「棄却」だって、わたしの方が最初に言っている。
って現象学オタクの人との「エポケーは「棄却」ではなく「保留」だ」って議論も同じような会話したな(笑)。
2010-04-30 金 20:55:22 /URL /脂 /
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>それを「切り飛ばせる」のが去勢だよ。
>クリステヴァの言うアブジェクシオン。「棄却すること」。
>クリステヴァ論に則るなら、ラカン的な意味での「去勢」とは「棄却すること」だ。
わたしが未去勢者だったなら、そりゃー「棄却」って感覚は伝わらないだろうな。
お前は去勢済み主体だから、「おえっ」という感覚である「棄却」的感覚を重要にしてしまう、と。
すっきり。
2010-04-30 金 21:00:41 /URL /脂 /
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お前が伝えようと必死こいているのは、「おえっ」という感覚に代理表象された、「切り飛ばす」感覚(いやこれも代理表象だが)じゃないか?
つまるところ、お前が言いたいのは、「切り飛ばす人間の身になってくれ」ってことじゃないか?
んなもんわたしに訴えられても。
わたしが未去勢者なら、「切り飛ばす」心的機能は未熟だろうし。
2010-04-30 金 21:04:32 /URL /脂 /
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>わたしが疑っているだけなのに、ここまで反論している態度が、余計に否認という症状に合致してしまう、となるんだが。
これって、私の立場で見ると、相手が疑うので説明したら、余計に疑われて、挙句の果てに「説明に必死なのは私の疑いが正当だから」っていう事だろ?
紹介された記事で何度も出てくる奴。
相互誤解の典型的な例だが、わざとやってるんだから底意地が悪いよな。
ある事に対して解釈して、「違うよ」と言わせるのは私もよく使うが、それは説明を聞きたいからだ。
>治療の放棄
うーん、やっぱりわたし、読めてないのか?
私としては「治療の放棄」と読めるんだが。
まぁいい。今日は疲れた。やっぱ迂遠だよ。分析。
脂さんは煽るのがうまいなぁ。
2010-04-30 金 21:05:56 /URL /ときしん /
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>これって、私の立場で見ると、相手が疑うので説明したら、余計に疑われて、挙句の果てに「説明に必死なのは私の疑いが正当だから」っていう事だろ?
イエス。
刑事ドラマでもそうだろ。ころころ説明を変えて弁明する奴ほど疑われる。
「なぜならそれはお前にやましいところがあるからだろ」
ってな。
>相互誤解の典型的な例だが、わざとやってるんだから底意地が悪いよな。
相互誤解が前提だって言ってるの。
それが現実だと。
なぜ「相互誤解」が「イケナイコト」になるのか考えてみろよ。
なぜそうなるとお前たちは不愉快になるのか。
「合意の快楽」がお前らの思考回路の基準になってるからだよ。
>うーん、やっぱりわたし、読めてないのか?
たぶんこのブログの常連コメント者の平均より言語理解能力は低いと思う。
>「違うよ」と言わせるのは私もよく使うが、それは説明を聞きたいからだ。
わたしは「説明」なんてどうでもいい。
「症状」を見たいからだ。
2010-04-30 金 21:11:07 /URL /脂 /
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>脂さんは煽るのがうまいなぁ。
まったく逆のことを妖怪紳士に言われたことがある。
「脂さんは煽るのがへたなくせに煽られるのが弱い」
って。
お前が煽られるのが弱いだけじゃね。
それか煽り道具がポイントなのかもな。この場合「行動主義」やら「精神分析」やらって。
わたし言語的思考でジャーゴン使う人間だから、逆にジャーゴンが通じない人間、ジャーゴンにアレルギー的反応を示す人間に対しては、煽りが通じないのかもね。
2010-04-30 金 21:15:45 /URL /脂 /
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>なぜそうなるとお前たちは不愉快になるのか。
褒めてんだよ。そのぐらいは伝わるだろ。
まぁいい。明日から休みなのでかえって忙しい。(人が少なくなるから)
落ちるよ。
2010-04-30 金 21:16:39 /URL /ときしん /
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>紹介された記事で何度も出てくる奴。
これどういうこと?
「紹介された記事」ってどれで、「何度も出てくる奴」って何?
お前まじで自分の言語障害自覚した方がいいぞ。
2010-04-30 金 21:18:09 /URL /脂 /
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>同じパターンが何度か出てくるじゃん。
具体的に、どれ?
2010-04-30 金 21:26:49 /URL /脂 /
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言っておくが、わたしも刑事ドラマの犯人役状態になることがあるが、それがどうかしたの?
そう言うことで何を言いたいの?
わたしはそういった状態になることがある。それはわたしはいやだ。
わたしは君にそういった状態にさせた。
つまり、君のこの言い方には、「自分がされたらいやなことをするな」って意味が隠されているわけだね?
それが鏡像関係だよ。
こういった理屈は未去勢者も言う。しかし正常人たちはこれが思考回路の基本になっている。固定観念になっている。
素の状態で「自分がされたらいやなことを相手にしない」のが正常人。
素の状態で「自分がされたらいやなことを相手にしてしまう」から未去勢者は社会からハブられる。
しかしよく考えてみろよ、それをいやと思うかどうかなんて、人それぞれだろ。人間一律にいやなことなんてない。死ですら「一律にいやなこと」ではない。そうなら「希死念慮」なんて概念は否定される。
お前は正常人だ。どうあがいても。
自分の症状をわたしに押しつけんな。
お前みたいなばりばり去勢済み主体が「アスペでーす」なんて語るから未去勢者たちは生きづらくなる。
お前は未去勢者としてのアスペたちを殺している。
何度も言っているが、深く考えてから、「内界の旅」をしてから、コメントしろ。
以降は。
2010-04-30 金 21:33:53 /URL /脂 /
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わたしはその記事で「疑って考えくれ」って言っているようにしか思えないんだが。
君がその文脈で用いたのは、「疑うな」って意味だろ?
まったく逆の意味で「そのパターン」とやらを用いているんだが。
人の言っていることを勝手に改竄して言質にすんなよ、バカが。
2010-04-30 金 21:35:59 /URL /脂 /
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あと一応言っておくが、
>私としては「治療の放棄」と読めるんだが。
「治療というただの概念に縛られることの放棄」ならそうだと思う。
ただ、結果的に治療となってしまうことは、中坊症例やまんこちゃん症例からわかるように、放棄していない。
むしろそこからが問題だ、と言っているわけ。
精神分析における治療は「ファルスの再発見」だ。
このファルスってのは普段生きている分にはなかなかわからないものだ。だからグノーシス的な「内界の旅」が必要になる。
わたしはファルスを破壊したい。それがただの妄想であることをわからせてやりたい。
治療を放棄したら、「ファルスの破壊」も放棄することになる。
お前さ、ほんっと何度も言うけど、文章よく読んで、深く考えてから、コメントしてくれ。
お前たぶんこのブログにコメントしてくる中では圧倒的にバカだぞ。
中坊さんやワードサラダくんよりバカなのは、わたしの主観では確実。
2010-04-30 金 22:15:10 /URL /脂 /
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ママさんと同レベルだな。
2010-04-30 金 22:16:01 /URL /脂 /
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「私はファルスを破壊しようとしている。」
というのを何度もいっている。そんなものは一回言えば、一文として入っていれば、方針としてつたわるだろうに。何度も書くことではない、省略をしないのは何故。一記事で一区分。それに何回か書いてればもう書かなくても良いだろうにと。
って事じゃないの?
2010-05-01 土 00:21:39 /URL /ノル /
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ときしんくんや。結局さ、君が治療に固執しているから(って医者だから当然だと思う)、「ファルスの破壊」を目指すわたしは、「治療に対する敵対者」に見えて、「治療の放棄」だと思えちゃうんじゃね?
わたしは言ったよな、「治療に縛られることの放棄」ならそれでいい、と。
君自身の思考回路が「治療に縛られている」から、わたしのやっていることが「治療の放棄」に見えるんじゃないかい?
そういう話だ。
まず君ら正常人になべて足りないのは、「自分という観測機械についての考察」だ。
キチガイどもは常にこれを考察している。
なんせ「キチガイ」って呼ばれてるわけだからな。
今見ている世界は幻覚か本当か。いつも疑っている。
「自分という観測機械についての考察」が足りないことが、征服者的態度なのだよ。
サバルタンの記事から。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B5%A5%D0%A5%EB%A5%BF%A5%F3
=====
一方でサバルタンを語る人々の側には、無機質な透明性がつくり出され、語る側の権力と欲望は見えなくされているのだとか。
=====
この「語る側の権力と欲望は見えなくされている」ってのが、「自分という観測機械についての考察」が決定的に不足していることに相当する。
2010-05-01 土 08:10:18 /URL /脂 /
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今思ったけど、「わたしが治療されることの放棄」って意味なら、そう見られるのしかたないかもなあ、と思った。
ラカンはアルトーを診察して「彼は狂気に固執している」と言って匙を投げた。
アルトーは「治療されることを放棄」していると言える。
まあ実際彼のゴッホ論なんかそういうものだしな。ゴッホを治療しようとした、彼の思考回路を社会に開かせようとした精神科医を、「ゴッホを殺した犯人(弟もそうだが)」としている。
でもそれはそう見えるだけなんだよ。
この状態は苦しいに決まっている。治りたくないわけじゃない。
ただ、治るということは、殺されることでもあるんだ。
こっち側の人間にとっては。
だから拒絶的な反応をしてしまう。
2010-05-02 日 13:44:25 /URL /脂 /
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>ははぁ。なるほど。それはよくわかった。現実という言葉にまつわる文化全体はペシミズム的だと。時々現実万歳! となってしまう私は現実という言葉に対しては不定だということか。
何が「不定」なのかわからんが、フロイトの「現実原則」における「現実」と、ラカンの「現実界」における「現実」は、まったく意味が違う、とこのブログでも口をすっぱくして言っておる。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-267.html
君が「現実とはなんぞや?」という思考が足りてないだけだろ。
バカすぎる。びっくりするほどバカだな、君って。
2010-05-02 日 16:53:53 /URL /脂 /
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2010-05-02 日 17:51:10 / / /
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そもそも精神分析なんて何年単位で行われるもんだ。
それも「一応の区切り」でしかないとしているがな。
2010-05-02 日 18:01:30 /URL /脂 /
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2010-05-05 水 06:33:53 / / /
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