2010/04/24/Sat
最近ほんとまじでやばい。外出してるときでも「死ね」なんてつぶやいてしまう。誰かに言っているわけではない。ただそういう言葉が出るだけ。
さすがにやばい、と自分でわかる。言ったあとで死ぬほど恥ずかしくなる。だけど言ってしまう。家ならまだいいんだけど。家なら普通に言っている。
でもなんていうか、わりと気持ち的には沈んでいない。行きつけの飲み屋に新しい女の子が入った。とてもかわいい。鼻の下が長くて、全体的にのっぺりしている。アヒル顔って言うのか。
いやたぶんものすごい正常人だと思うんだけど、なんか、ね。ふきだまりにも花があった方がいい。
……すげえおっさん化してるな。
なんか、「世界に存在することへの違和感」から、世界が遠くなった感じ。違和感を覚える世界を引き戻そうとして、「死ね」と言っているような気がする。だから誰かに言っているわけじゃない。
ワードサラダくんとか臨床したせいかね。いや中坊さんの影響もあるな。
これが彼らにとって楽な世界なら、それでいい。抑鬱症者のオナニー。
あ、あ、あ、あ、あ、「あ」のタンギング。
死ね。
何書こうとしたんだっけか。
「こう、たとえば、「人間が家畜だったら」って想像してみそ? 家畜の飼育環境って不潔じゃん、今の人間の生活環境と比べたら、どう転んでも。バイキンがうようよいる。今の人間はそういった耐性がすごく弱い。なんかそんなニュースとかよくあるよね。だとしたら、今の人間を家畜にしたら、ぽろぽろ病気になって売り物にならなくなるよね。つまり今の人間はとても家畜化しにくい動物だ、と。でも、そういった経済的損失を我慢して、酪農し続けてたら、不潔な環境にも強い個体が生まれて育っていく、と考えられるよね。人間の家畜化成功。そんな家畜化された人間は、死にたくなったりするんだろうか」
アヒル顔の子にこんな話をしたらどう反応するだろう? 常連読者のお前ら考えてみろや。
ヒント、彼女25歳。
こう、買うものないからってときすぐ不動産株が上がるのって、日本人の土地信仰がいまだに市場プレイヤーの中にあるのか、それを「日本ニハサムライガイルンデスヨネ」的に勘違いしてる外国人筋の先読みなのか。
いやまあ土地の絶対量が少ないからってのはあるが。
あとまあ、不動産関係って大体財務ぼろぼろだから上昇基調でわりと出遅れになりがち、ってのがあるのか。
となると、今はだいぶ財務ましになってきてるから、むしろそういった修正なのか。不動産関係が市場全体の基調に敏感なるのって。
つか住宅販売指標とか敏感な先行指標になってるんだよな、アメリカでも。
ってえことは土地信仰は日本人だけじゃない、ってことか。
よかったじゃん、ドゥルージアン、ガタリアンたち。「領土」に執着してるのは人種関係ないみたいよ。
ぷぷぷ。
あ、そうだ私信。
ときしんさんや
この記事コメント欄の質問に答えてくれないか。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-04-24 土 09:38:44 / / /
編集
>あれ、正常人化成功していっている?w
お前ほんとシニフィアン的自己一色だな。
過去記事嫁。
「純粋な器官なき身体など存在しない」
「未去勢者はファルスに不具合があるのであって、ファルスがまったくないというわけではない」
未去勢者=ファルスがまったくないと考えたら「恥ずかしいなんて考えないだろ」って思うわな、そりゃ。
だからお前はポスト・フェストゥムなんだよ。
言葉だけで思考している。
いや言葉だけで思考していたら、こういったことはわたしは何度もこのブログで述べているのに、いつの間にかお前の頭で0か1かってデジタル化されている。
だからお前の頭は悪い、と言っている。
2010-04-24 土 13:36:21 /URL /脂 /
編集
お前にゃ「言語は一語一語が極論だ」って意味わかんねーんだろうな。
「鉄橋」うんぬんもこういう話だよ。
言葉がお前の無意識にインプットされているから、一語一語が極論な言葉に違和感を覚えない。
「純粋な器官なき身体(つまりファルスがまったくない人間)は存在しない」
とこのブログでも何度も書いているのに、その点を考慮できない。
お前の頭が言葉にのっとられているから。
そのくせワードサラダみたいな文章をわざと書くから、「シューティングゲームの弾から逃げ回っている」ってことになる。
お前の無意識が言語にのっとられていることの否認だ。
クリステヴァによれば抑鬱症は「シニフィアンの否認」だ。
そゆこと。
2010-04-24 土 13:53:03 /URL /脂 /
編集
ま、逆に言えば「完璧なファルス」なんてのも存在しねえんだけどな。
そもそもファルスなんてのは動物行動学的な人間という動物の種別の傾向みたいなもので、「その種別の傾向が完璧になっている個体」なんて存在しないだろ。そんなもの完璧になったら生物ですらない。言語というデータに勝手に人間があてはめようとするからそんな考えになるだけ。
だが、「その種別の傾向が、他の多くの個体より明らかに乏しい個体」ってえのは、目で見てわかる。周りに比較対照が大量にあるわけだからな。要するに「浮いてる」。
そういう話だ。
2010-04-24 土 13:57:05 /URL /脂 /
編集
お前さー、お前にとって「未去勢者」やら「抑鬱症」って、肩書きみたいなもんになってねえか?
この記事から。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-169.html
=====
=====
メランコリー者(抑鬱症者)のポスト・フェストゥム的な時間の生きかたは、クラウスが指摘している「過剰な役割同一性との同一化傾向」と表裏一体をなすものである。彼らにとって自己の同一性は、共同体内部において与えられた役割を遂行する人物という同一性の中に完全に吸収されてしまっている。役割同一性の遂行にとっては、経験の積み重ねが何よりも重要である。彼らはそのつどの他者との「あいだ」を、自らの役割同一性を最もよく実現しうるような方向で課題として読みとる。
(『分裂病と他者』より。()内は筆者による)
=====
この「過剰な役割同一性」が、固定化されたノエマ的自己(の表出)ということになる。彼らがわたしと共有する「あいだ」に、彼らはその固定化された自己に基づいたものを投げ込んでくるから、わたしは彼らを男根主義的であると思ってしまうのだ。
=====
「未去勢者」や「抑鬱症」ってのは、お前の中で肩書きみたいなもんになっていて、それに対する「過剰な役割同一性との同一化傾向」がお前の中で働いているから、「恥ずかしいと思うならデジタル的に考えて未去勢者じゃないだろ」って思っちゃったんだろ。わたしは「純粋な器官なき身体など存在しない」「未去勢者はファルスが壊れているのであって、それがまったくないのではない」と何度も述べているにも関わらず。
まさにこの反応こそが、「彼らはそのつどの他者との「あいだ」を、自らの役割同一性を最もよく実現しうるような方向で課題として読みとる。」って状態だ、と。
だからファロセントリストだ、っつってんだ。
しかもバカの類の。
2010-04-24 土 14:03:48 /URL /脂 /
編集
>だが、「その種別の傾向が、他の多くの個体より明らかに乏しい個体」ってえのは、目で見てわかる。周りに比較対照が大量にあるわけだからな。
あ、これは「その動物の行動を観察する学者視点」ってことな。
その外部の目たる学者視点ではない動物視点では、つまり観察される側の人間という動物は、種別の傾向(ファルスにより生じる精神疾患的症状、つまり正常という精神疾患)を持っている大多数の個体たちは、その傾向が低い少数の個体について、「根っこでは本当はそういう傾向があるけど、若いから否認しているだけ」と思っている。
実際そうである個体が多いのは確かだが(中二病)、根っこで本当にそういう傾向が乏しい個体も少数だがいる(思春期病)、って話。
2010-04-24 土 14:07:57 /URL /脂 /
編集
思想的な「デジタル/アナログ」論争においては、わたしはアナログ派には加わんないけどな。結局アナログ派の奴らの言うことは「人情大事」になってツレションを助長するだけになるから。
想像的な構造の存在がまったく考慮されていない。
デジタルだろうがアナログだろうが構造があるかないか、だ。
2010-04-24 土 14:18:48 /URL /脂 /
編集
そういうデジタル批判ではなく、科学がどんなに進歩しても、その数式は自然の理を表現しきれてないだろ? 人情とか関係ないはずの(一応建前上はそうなってるよな)科学においても、デジタルには限界がある。
そういった意味。
もちろんデジタル=言語を増やせばいいって話でもあるが、だからわたしは「純粋な未去勢者は存在しない」って述べてるだろ、お前が勝手に読み飛ばしているだけじゃんか、って話だ。
2010-04-24 土 14:21:25 /URL /脂 /
編集
他の動物と違って「人間は嘘をつく動物」だからな。だから「根っこでは本当はそういう傾向があるけど、若いから否認しているだけ」ってのは、確率的に正解である場合が多い。大概の未去勢的な連中は「去勢の否認」であり、去勢されている自分に嘘をついているだけ。
前の記事なら大林や宮崎なんかがそう、ってなる。押井に関しては、保留するが。わたしの主観では。
あれだ。禅問答の、
「獣に仏性はありやなしや」
「ある」
「では人と獣の違いは?」
「人は己の仏性に気づけるが、動物は気づけない」
における、「人は己の仏性に気づける」って性質が、「人間は嘘をつく動物だ」って性質と同じ、ってわけ。
2010-04-24 土 14:44:26 /URL /脂 /
編集
「シューティングゲームの弾から逃げ回っている」って言葉を勘違いしているかもしれんから一応注釈しておくが、弾を吐く敵も自機も自分だぞ。
2010-04-24 土 14:54:56 /URL /脂 /
編集
大林は『さびしんぼう』で去勢を承認した、って言えるかもな。
「へんて子」を「さびしんぼう」とすることで。
「迷子的不安」を「ノスタルジー」に劣化することで。
2010-04-24 土 14:56:47 /URL /脂 /
編集
「鉄橋」って一語で言うけど、あれなんて直径何十ミリってワイヤー使ったりしてんだろ? 何十ミリのワイヤーとかな、巻いてると跳ねるんだ。細いワイヤーなら見たことあるかもしれんが、巻こうとすると弾性あるだろ? 何十ミリとなるとその弾性も半端ないんだ。ワイヤーがびよんって跳ねて両足もげた作業員をわたしは知っている。
さて、その自己陶酔おっさんは、「鉄橋」って言ったときそういうことを連想してるのだろうかね。
2010-04-24 土 15:49:00 /URL /脂 /
編集
あとあれだ。巨大建造物とか固有振動数を必ず算出するんだが、風で揺れるんだよな。高層ビルになると、地震レベルに揺れる。だから揺れ防止、耐震、制震技術が重要になるんだが、まあそれは置いといて。でかい橋が風に揺られて落ちた事件とか有名だろ。名前忘れたけど。あれは強風ではあったんだが、普通なら全然耐えられるんだが、たまたまその橋の固有振動数と合致していたから、揺れが増幅して、落ちちゃったんだよな。
さて、そのおっさんはry。
それをノスタルジー満面な顔で語るジジイなんてわたしゃ信用できない。
そんなジジイに限って橋が落ちたりしたら作った人間のせいにする。設計者の苦労も知らずに。
2010-04-24 土 15:54:48 /URL /脂 /
編集
あとあれだ、君の「日本人論好き」ってのも、「役割同一性との同一化傾向」の表れだろうな。「過剰」とは言えんが。このぐらいなら普通。むしろ社会的人間には(つまり正常という精神疾患に罹患するには)必要不可欠な精神構造だ。
2010-04-24 土 16:09:09 /URL /脂 /
編集
肩書きは肩書き、役割は役割、自分じゃない。
何かにあてはめる言葉も、言葉は言葉、それそのものじゃない。
こんな簡単な感覚がなぜ理解できないのか、口ではそうだと言っててもそいつの言動を総合的に勘案するととてもそう思えていないとなっちゃうところが、わたしはむしろ理解できん。
それをラカン論はぴしっと説明してくれてたわけだ。
「無意識は言語のように構造化されている」
って。
2010-04-24 土 16:22:03 /URL /脂 /
編集
>こんな簡単な感覚がなぜ理解できないのか、頭ではそうだと言ってもそいつの言動を総合的に勘案するととてもそう思えていないとなっちゃうところが、わたしはむしろ理解できん。
そらパパくんとの「経験知/言語知・形式知」議論(とは言えない、わたしが勝手にくっちゃべってただけだが)も、こういうところだよな。
彼の無意識は言語のように構造化されている。
2010-04-24 土 16:24:59 /URL /脂 /
編集
「去勢とは象徴界への参入である」
っつーのは、頭を言語にのっとられることだ、って話。要するに。
2010-04-24 土 16:28:08 /URL /脂 /
編集
>ワイヤーがびよんって跳ねて両足もげた作業員をわたしは知っている。
これそのおっさんとも会ってるし(当然義足)、その現場を見たっておっさんも知ってるんだが、その現場を見たおっさんとか笑って話してたもんな。
「人形みたいに足もげた」
(すげーだろ?)みたいな態度で。
普通に子供もいるおっさんなんだけどな。ちょっと親近感湧いたわ。
2010-04-24 土 16:31:05 /URL /脂 /
編集
「言語じゃない思考」って言うと、まあ単純に「想像的な思考」ってなって「感情論」って話になるんだが、まあそれはいいんだけど、言語的でも想像的でもない思考がある、としたのがビオン。
「思考する者なき思考」
って奴。
2010-04-24 土 16:35:58 /URL /脂 /
編集
ラカンにとっての「人間の思考」とは「ハイウェイ」だ。
これは言語的構造と想像的構造が絡みあってできたもの。その道路の構造物として、そういうもの。
ドゥルーズにとっての「思考」とは「小道」だ。
だからドゥルーズが考える「思考」の方が、未去勢的となる。
別にラカンを批判しているわけじゃねえよ? ラカンが臨床したのは神経症者すなわち去勢済み主体すなわち正常人だから、そうなる、って話で。
しかしドゥルーズは哲学者だった。「手紙は必ず宛先に届くか」という議論をラカンとしたデリダと同じ症状に陥った。
まあだから彼は「分裂分析」なんてぶらなきゃいけなかったんだろうな。
分析家のくせに『アンチ・オイディプス』を論じるガタリがとても滑稽に思える。
自己のために臨床家の立場を放棄したのがガタリ。
ガタリってほんと2ちゃんの中二病くんと同じ精神構造してるんじゃねえか?
哲学者は哲学者だから別に臨床家視点なんか取らなくてもいいんだが。
2010-04-24 土 17:01:28 /URL /脂 /
編集
>肩書きは肩書き、役割は役割、自分じゃない。
>何かにあてはめる言葉も、言葉は言葉、それそのものじゃない。
一応言っておくが、この感覚はわたしは精神分析学ぶ前から持ってたぞ。
「人生は夢、世界は劇場」
だ。
2010-04-24 土 17:34:31 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-04-24 土 18:00:47 / / /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-04-24 土 23:57:57 / / /
編集
>なんだろうね。ここの学習システム。体感の仕組みの存在と。
それがアルトーの言う「詩人」、「言語の死刑囚」なんじゃねえの。しらんけど。
2010-04-25 日 00:02:55 /URL /脂 /
編集