2010/05/01/Sat
このブログのコメント欄は、基本的に広告宣伝目的以外ならどんなこと書いてもかまわないけれど、パラノイアックな症状が顕著な、征服者的な態度によるコメントが、あまり多いようだと、コメント者についてアク禁します。
木田原くん、ときしんさんはイエローカード。
一応報告まで。
特に木田原くん、君ただのストーカーになりつつある。わたしの主観では。
何を勘違いしているのかしらんが、ここはわたしの日記帳だ。ただの。
勝手に妙な妄想をなすりつけないでくれ。
いやなすりつけるだけならいい。
それを自分の妄想だと自覚せずに、ただわたしの言葉になすりつけただけの妄想を根拠に、わたしに話しかけてくるのはやめてくれ。
お前の妄想にすぎないんだから、お前の中で自己完結させろ。
このブログの言葉はうんこだ。
うんこをどう扱われようとかまわない。
ただお前がそれを見たくないからと、うんこにかけた生クリームや照り焼きソースを根拠に、わたしに話しかけないでくれ、と言っているのだ。
その生クリームや照り焼きソースは、わたしの主観世界には存在していない。
おおっと、わかった。すまんかった。
じゃ、ま、読むだけにしとくよ。
それぐらいはいいだろ?
2010-05-01 土 10:13:52 /URL /ときしん /
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たぶんお前って人間は脳内で改竄しまくるだろうから、一語一語吟味して読め。
君自分が言語障害だと思って読んだ方がいいぞ。
特にこのブログは。
ほんと稀に見るバカだと思ったよ。素で。
逆に驚いたくらいだ。
例の高機能自閉症者は中学生だったんだが、そっちの方が読めていたよ。
2010-05-01 土 10:20:06 /URL /脂 /
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「同じ村」っていうのが何を指しているのかわからんのでスルーするが、君は最初からわたしにとっては別人種だった。
別人種とはいえある程度の話は通じるだろうと思って話していたが(妖怪紳士や中坊さんって実際の例があるからな)、どうやらまったく別の意味が君の脳内で生成されていることがわかった。
もしわたしと会話したいなら、またこのブログに書いている意味を理解したいなら、まず自分の思考回路を疑ってから読んでくれ。
ママさんも、アスペくんに対応する教師たちに言ってただろ。
「自分の考えをまず疑ってから接してください」
と。
2010-05-01 土 10:23:12 /URL /脂 /
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いや、わたしの経験上、君みたいなタイプは、こう言っても無駄な気がする。
そらパパくんはそれを嫌悪していた。嫌悪は転移だから、まだ可能性があった。
君はそれを失笑した。それは嫌悪より棄却であることが確定的である。
だから、君はたぶんこのブログ読んでも無駄だと思う。
正直読んでほしくない人種だ。
正常人の都合のいいように解釈される危険性が高いから。
読まなくていいよ。読みたいなら「自分の考えを疑う」ことを徹底して読んでくれな。
2010-05-01 土 10:26:17 /URL /脂 /
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お前や木田原みたいなのがなんで集まってくるんだろう。
なんかもうほんとブログやめたくなった。
2010-05-01 土 10:33:00 /URL /脂 /
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簡単に言おう。
もっと猜疑心を持って「この現象する存在世界」と対峙しろ。そういった態度でこのブログは読め。
ぶっちゃけ君は、このブログ用語なら、「脳内お花畑」だ。
そりゃいいよな。自分で「過剰なオプティミズム」つってんだから。
能動的ニヒリズムとしてそうやっているならいいんだが(中坊さんがそう)、君は「この現象する存在世界」を仮象だと思えていない。
そうなると、これはこちら方向とまったく逆の思考回路となる。
おそらくそらパパくんよりも、わたしと見ている世界が異なっているだろう。君は。
2010-05-01 土 10:40:51 /URL /脂 /
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ラカン用語で言えば、享楽を享楽と感じられない、過剰に鈍感な人間だ、ということだ。
君は享楽的なものを失笑する。
それはもう享楽じゃない。
2010-05-01 土 10:45:28 /URL /脂 /
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最後に言っておくが、お前は(未去勢者という意味での)アスペではない。言語性学習障害のケはあるのかもしれないが、それは自閉症ではない。
むしろばりばり去勢済み主体だ。君の「正常という精神疾患」は、少なくともこのブログ常連コメント者平均を基準とすれば、重篤な方だ。
今後、いくら他人から「アスペっぽいねー」と冗談まじりに言われたとしても、それをもって、自分の思考回路をアスペのそれにあてはめるような真似はよしてくれ。
また、君の「内界への旅」は、精神分析やグノーシスのそれとおそらく異なるだろう。むしろ自我を助長させる目的がある「妄想への旅」だ。
したがって、そういうアプローチによる君の行動主義を、精神分析的と言うのは、控えてくれ。
この二点、これから一生気をつけて生きろよ。
2010-05-01 土 11:03:53 /URL /脂 /
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他の読者に一応説明しておく。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-703.html
のコメント欄参照のこと。
去勢済み主体というのは、「切り捨てる」ことができた人種である。一番最初の「切り捨て」は生後二年以内に生じる。そういったレベルである。
未去勢者は、人間が内因性的に持っている「切り捨てる」機能に不具合があるため、大人になっても「切り捨てる」ことが苦手な人種である。
君は、「おえっ」という嫌悪を「失笑」だと述べた。
「嫌悪」については、未去勢者でもそれについて嫌悪を感じる。わたし自身そうだし、他の未去勢者の観察から、これは事実だ。
しかし問題は「切り捨て」すなわち「棄却」である。
わたしが「おえっ」という嫌悪について指摘した、「人間的妄想をおっかぶせているんじゃないかい?」というのは、「その嫌悪には棄却がこびりついていないかい?」という意味である。
しかし君は「嫌悪」を否定し、それは「失笑」だと言った。
「棄却」の症状として、「失笑」は特徴的である。
つまり、「嫌悪」を「失笑」と表現したこと自体が、君の症状としての「棄却」の明確な証拠だ、ということだ。
君は「「おえっ」の感覚が脂さんに伝わらない」と言った。
当然である。それは「棄却」の感覚だろうから。
あたしが未去勢者ならば、「棄却」の感覚については、疎くなるだろう。「切り捨てる」のが苦手な人種だから。
先の会話における精神分析的構造として、何も矛盾はない。
君の「正常という精神疾患」が重篤であることが、明確に示されただけだ。
2010-05-01 土 11:19:12 /URL /脂 /
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>また、君の「内界への旅」は、精神分析やグノーシスのそれとおそらく異なるだろう。むしろ自我を助長させる目的がある「妄想への旅」だ。
その証拠に、君は「内界の旅」をして、「価値の方向に気付くって。そうなっていくだろうという予感を含む。」って風に気づいた。
これはそこのコメント欄で解説したように、自我理想と理想自我の話だ。「君はナルシシズム的にそれを目指している」というわたしの指摘に、君は同意したよな。
ならばそれは「自我を助長させる」「妄想の旅」だ、となる。
証明終わり。
君の言っていることから分析される精神構造は、精神分析の理屈の範疇から出ていない。典型な去勢済み主体と言えるだろう。
君のそれはグノーシス的な「内界の旅」などではなく、『おもひでぽろぽろ』的な「自分探しの旅」であり、すなわち妄想により自我を補強する旅であり、(ラカン的な意味での)「現実」あるいは「実存」に向かう旅ではない、となる。
だから君は、「患者は医者に罹る前から「内界の旅」をしている」と思ったんだろうな。それが「自我を助長する妄想の旅」なら、している場合が多いだろうと思う。
しかしそれは、少なくとも精神分析的なあるいはグノーシス的な、「この現象する存在世界に対し、積極的な否定を声明する」「内界の旅」ではない。
先の二点以外、いや「そういうアプローチによる君の行動主義を、精神分析的と言うのは、控えてくれ。」という方に含まれる点だが、この点も気をつけてこれからの一生を送れ。
2010-05-01 土 16:25:11 /URL /脂 /
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