2010/05/16/Sun
あ、タイトルに意味はありません。
報告。
ママさんとこ。あと
中坊さんとこ。ぐ、うう。
ママさんとこでやらかした。ママさんPC見る機会少ないからうpはあとになるだろうけど。
うー。
なんかこう、「子供を産まなかったことの罪悪感」みたいなの読み込まれそうでいやなことを書いてしまった。
とここで書いておけば公開されてもいいやと思える。
罪悪感かー。ないことはないけど、「理解できない」が先なんだよなー。
うー。
ここもあれだな。わたしのアキレス腱かもな。アキレス腱だらけだわ。
これリピートで視聴中。
はやく死にたい。自殺はいろいろ勘ぐられるからいやだ。死んでるからいいんだけど。
死ね死ね死ね死ね。
のぼりの傾斜は険しくなるばかり。
なんでよ、のぼったらいいことあるはずなのに、傾斜は険しくなるばかり。
そうだよ、正常人になれたら楽になれるはずなのに、
正常人に近づけば近づくほどそれを維持する努力量が増えるだけ。わたしは自閉症者ではないが、未去勢者であったら、自閉症者も似たような境遇に陥る可能性がある。
自閉症療育とは自閉症者を正常人化させることである。
であるならば、それは、自閉症者に、持たなくてもよかった荷物を背負わせるだけにならないだろうか。
いやもちろん、親がそんな療育しなくても、自然に荷物は増えていくだろう。
「それならば先に私たちの手で」ということか。
そうか。
心中みたいなもんだな。
父殺し、母殺しは論じられているが、親の子殺しは論じられていない。
親は子を殺しているのだ。妄想分裂態勢という、「大文字の物」の世界を生きる、「大文字の物」である赤子を。
だから子は親を殺すのだ。
復讐、ではあるが、それは復讐ではない。殺されかけた瞬間がPTSD的にフラッシュバックして、目の前にいた誰かを殺したとしよう。それは復讐だろうか。彼の主観世界においては正当防衛とならないだろうか。トラウマの回帰とは過去が現実になることである。
だから子の親殺しは復讐ではない。心中だ。
精神分析はしょせん親視点の論でしかない。大人の論でしかない。
だから親の子殺しを論じられない。
唯一、ラカンが
「物の殺害」として論じているのみだ。
それが、養育者が子供を殺していることだ。
お前たちは赤子を殺しているのだ。
自分も赤子の頃に殺されたから、自分の赤子を殺しているのだ。
その事実を隠蔽して、「愛」という言い訳でデコレートしたのが、鬼子母神だ。
鬼であるときが、現実なのだ。
改心した彼女は、パラノイアなのだ。
自罰パラノイアか。
鬼子母神の罰は。
釈迦はあまっちょろいな。隠すんじゃなくて殺さないと。隠されただけなら逆に怒るだろう。鬼はさらに強くなるだろう。フリーザ様みたいにどんどん強くなっていく。
鬼子母神は改心しない。
彼女の心はより鬼になる。
『ラカンの精神分析』。
新宮一成は、東洋思想における「自然」を、「大文字の他者」だと、つまり「言語」だとする。
これは誤りである。
この誤りは、この論にたどりつく途中の、「他者の欲望を語る人々」(P129)として分裂病者を挙げた論から生じていると思われる。
分裂病者は、大文字の他者に欲望されていることを、苦痛の妄想として語る。いわゆる被害妄想である。統合失調症の妄想として一般的な集団ストーカー被害妄想もそうだと言えるだろう。彼は「集団ストーカー」という大文字の他者に欲望されている。
これ自体はいい。間違っていない。
しかし彼はここで、大文字の他者を「自然」とする。
これが誤りである。
「自然」はあくまで欲望されるものである。生まれたばかりの妄想分裂態勢の赤子は欲望されている。つまりこの場合、分裂病者が「自然」なのである。
ではなぜ新宮はそう解釈できなかったのか。
このとき分裂病者を「自然」とすると、これを論じている精神分析家である彼にとっての精神分析家が、分裂病者となるからである。
彼はそのあとの論で、テレビ放送されたチンパンジーの例を挙げる。チンパンジーは、視聴者にとって精神分析家である。つまり新宮にとってチンパンジーは精神分析家だったのである。
これは認められるのに、分裂病者を精神分析家とするのは認められなかった。
むしろこれは、対象aに、部分対象に、分裂した主体になりきれない、彼の自我のささやかな抵抗ではないだろうか。
分裂病者を精神分析家とするのを、彼の自我が許さなかったのではないか。
だからここにおける「自然」は、自然科学の研究対象としての「自然」とは別物だ、となる。むしろ自然科学の研究対象としての「自然」の方が言語によって分節化されている。にも関わらず、自然科学の研究対象としての「自然」とは別物のそれを東洋思想における「自然」とし、「言語によって分節化されたものだ」としてしまう。
ここにおいて、彼は混乱している。矛盾している。
それは、分裂病者が自分にとっての精神分析家と認められなかったせいではないだろうか。
こういった「言語によって分節化された」「自然」は、禅の言う「自然」ではない。百歩譲って、顕教にとっての「自然」かもしれないが。
ここから。
=====
かえりみて、一千年余の間に、日本文学は顕教(明在系)であった。ありすぎた。顕教界で「もののあわれ」「わび・さび」を主流とするとき、たとえ本来そうではないにしろ、やはり虚無、諦念、厭世、無常観に片寄りすぎている。密教が無さすぎる。俳句界でもそれは数えるほどしか行われていない。華厳・密教界においてはじめて文芸は生命界へ転ずるように、私には思えてならない。不在・異空間、暗在系を詠み得てはじめて生命が誕生する……。(『槐玄記』)
=====
「言語によって分節化された」「自然」による「死」は、「もののあわれ」「わび・さび」にしかならない。それは「虚無、諦念、厭世、無常観」しか生成しない。実際新宮のパーソナリティもそういったものだ。
おそらく、彼の言う「東洋的自然」とは、顕教のそれでしかないのだろう。
もし彼がここで、分裂病者が自分にとっての精神分析家だと認められていたら、彼は華厳、密教における「自然」を述べられただろう。「虚無、諦念、厭世、無常観」などではない、「命のしかめっ面」である現実界としての「自然」を論じられたであろう。自然科学の研究対象としての「自然」と別物にしなくてよかっただろう。それは現実なのだから。
要するに、彼は大文字の他者であろうとしているのである。分析家は対象aの立場にいなければならないのに。
ここにおいて彼は「分析家のディスクール」ではなく「大学のディスクール」をしている。
したがって、わたしにとってこの本は、「臨床の知」としての評価は、あまり高くない。しかし、ラカン派の方々が口を揃えて「わかりやすい」と言っているように、「大学のディスクール」としては評価できる。つまりジジェクの著作と同系列として。しかしジジェク本と比べたら見劣りする。
なので、臨床家はそれほどありがたがって読む本じゃないと思うんだけどな。
まあ、「大学のディスクール」なわけだから、入門書としてはすげえいいかもしれないけど。別にジジェクがあるし、みたいな。でも『ドラゴンボール』とか取りあげてるし、やっぱ日本人には親しみがあるかもな(笑)。
まああれだ。分裂病者たちよ、新宮一成に殺意を抱きなさい。あなたを苦しめている集団の頭領は、新宮一成だ。彼の無意識がそう白状している。彼は大文字の他者になりたがっている。
少なくともわたしは彼に殺意を抱いている。
はじめまして
はじめまして。
>フリーザ様みたいにどんどん強くなっていく。
確かにフリーザは最終形態まで変化します。
でもそれでも「天然」の孫悟空に手が届かない。知的に高くなく社会性がない孫悟空は「愛されるべき発達障害傾向」かも、という話もあります。
修行に対する執着がすごいですよ。
2010-05-16 日 07:19:53 /URL /じろう /
編集
まあ鬼は最後にゃ正義の味方に倒される運命だからな。
>「愛されるべき発達障害傾向」かも、という話もあります。
意味不明。
こうやって「発達障害」って概念が無意味化していくんだろうな。
まあ概念ってなそういうもんだがね。
概念は歴史を経るほど具体を失っていく。抽象化していく。
2010-05-16 日 07:35:31 /URL /脂 /
編集
新宮一成って漫画が好きらしく、ちょくちょく漫画を引いて精神分析論展開しているんだが、『ドラゴンボール』も挙げられてたな。
まあ少年漫画なんざほぼ全部エディプスコンプレックス物語なんだけどな。『ドラゴンボール』も例に漏れずそう。ギャグ漫画は違うだろうが。
エディプスコンプレックスも「父への執着」とは言える。
2010-05-16 日 07:45:41 /URL /脂 /
編集
つか悟空って社会性ないか?
あれで社会性ないって言われるのか。
どんだけハードル高いんだw
2010-05-16 日 07:51:45 /URL /脂 /
編集
「社会性のあるなし」なんて言い方するからただのエディコンくんが「ボクチンは発達障害だ」とか言いだすんだろうな。
「コミュ障」も微妙だな。
んー。
難しいな、ここを短絡的に表現すんのって。
「自然淘汰されるべき突然変異個体」
レベルまで言わないと、なんだよな、短絡的に言うなら。
2010-05-16 日 07:56:06 /URL /脂 /
編集
なんかこう、エディコンくんたちの「社会性のあるなし」っていう判断基準が、「社会なる父」へのコンプレックスによるものであるため、ハードルがあがってってるのかもしれんな。
「この程度じゃ社会性があるとは言えない、社会とはもっと立派なものであるはずだ」
的な。
まあそうやって社会は発展していくわけだけどね。
2010-05-16 日 08:01:51 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-16 日 08:43:12 / / /
編集
ほーほー。
まあ精神疾患なんて神経症でも「退行」だからな。その文脈ならすべての精神疾患が発達障害になるわな。
補足サンクス。
2010-05-16 日 08:58:32 /URL /脂 /
編集
興味深いですね。
愛されるべき発達障害傾向
これで話がつながるのが興味深いですね。
>「発達障害」って概念が無意味化
この概念に生活者としての意味があると思っていません。
人間大なり小なりみんなどこか「障害者」であり、自分の中の「狂い」に気づいているかどうかの違いと思い生きています。
新宮一成はしらないです。
ドラゴンボールの読者として
頼るべき「組織があってちゃんと英才教育を受けてきた」ベジータより親に捨てあれ、本人の「特性のみを伸ばしてくれた協力者」に囲まれた孫悟空のほうが断然強いという部分に天才「異才」を感じます。
「この程度じゃ社会性があるとは言えない、社会とはもっと立派なものであるはずだ」
そこまで考ええいないですが社会性とは金銭を得て社会にある程度貢献し自立して生きていくということにしぼっています。
だから周囲とトラブルを起こしたり誤解されてはじかれ易い人でも労働ができれ社会性はあると考えています。
孫悟空はまったく働くことに興味がなく食って寝て修行してを生涯貫いています。金銭を得たことがないという部分に注目しています。
まあマンガの世界の話でフリーザの名前が出たので食いついたんですがここの管理人さんが「子を精神的に殺す親」の話しをされていた記事があったので
「自然淘汰されるべき突然変異個体」まで行かなくても発達障害であったり自閉傾向であったりする人との生活は必ずしも親目線ではなく「協力者目線」のほうがその特性を伸ばせることができるのでは、と思いコメントを入れました。
ママさんの所の記事もちゃんと世pんで来ましたよ。
2010-05-16 日 18:19:16 /URL /じろう /
編集
左利きに生まれた人間が右利き(両利き)にならざるをえない状況が現実。なので、イメージ(概念)を共有化出来ない自閉症スペクトラムにある人達も精神的に負荷がかかって当然だとは思う。当然(当然とは自然の摂理的な意味でね)だとは思うが、それが変えられない訳ではないとも思っているが。
あと、私自身自閉症なの。そいで私は自閉症スペクトラムの中でも比較的軽い(社会に適応出来るかどうかと言う尺度で見ると障害の度合いが軽い)方なのだけど“痛い”が何故ダメなのか解らないんだよね。普通の人間は、血がドバッと出ただけで大騒ぎするでしょ? あれが理解できねぇ。
私は指を折ったことがあったのだがその時平然としてたから逆に気持ち悪がられたよ。人間、些細なコトにはあまり気を配らないでしょ? 例えば日常会話の中で何回ア段の言葉を喋ったとか、お茶の温度とかさ。「アレッ? このお茶何か味薄くないですか?」程度の些細なこと。そんな些細なことが私にとっては指が折れたってことだったんだよね。でもそれで大騒ぎするんだからたまったもんじゃない。私には群集が、お茶の味が濃いか薄いかを物凄い形相で論じ合っている、ぎゃーぎゃー騒いでいるキチガイにしか感じられなかった。
しっかし奴ら(自分は正常であるとカン違いしている集団ヒステリー共)は『個性が大事』とか言ってるけど『自分にとってメリットと感じられる個性』しか認めたがらないのが玉に瑕ですね。
確かに、本来なら淘汰されて来たために正常という性質が生まれたのだろうねえ。例えば鳥が空を飛ぶ為に歯を失いクチバシを持った事や、馬がより速く走る為に一本指になったのと似ている。
社会と言う自然環境に適応して他人の痛みが感じられる人間が生き残ってきたんだろう。具体的には『
http://85358.diarynote.jp/200912281254175110/ 』こんな感じの適応を遂げている。
あぶらさん大好きです。かと言ってこの世に拘束して置きたいとも思わない。『頑張れ』とか『死なないで』とか無責任な事は言いたくない。しっかりあぶらさん自身の権利を通せるようになったら幸いです。
今回は興奮して推敲も無くどばどばと書いてしまい申し訳無い。今後あぶらさんにとって有用と思われる情報も上手い事回して行けたら良いなあと思っている。
2010-05-16 日 23:02:02 /URL /ちょび /
編集
>これで話がつながるのが興味深いですね。
つながってないw
「意味不明」とわたしは言っているんだが。
君がつながっていたとしてもわたしはつながっていない。
>知的に高くなく社会性がない孫悟空は「愛されるべき発達障害傾向」かも、という話もあります。
とか書いているけど、「という話もある」んじゃなくて、要はじろうさん個人がそう思っている、って話なの?
そうじゃなければ、どこでそういう話になっているの?
なんでこう「脳内他人が言っている」ってことにしたがるんだろう、人って。
わたしはてっきりどっかの2ちゃんのスレみたいなところで「悟空は社会性がない」って話になっているのかと思ってたわ。
なので「エディコンくんは~」って話になった。
じろうさん個人がそう思っている、って話なら別。
2010-05-16 日 23:38:27 /URL /脂 /
編集
んでどうなの?
「悟空は社会性がない」っていうのは、どっかでじろうさん以外の人がそういう話をしているのか、じろうさん個人がそう考えているのか、どっち?
ここは「認識パターンが異常な人」(ママさんとこ読んでるならわかるだろ)が多いからな。世間一般の認識パターンをあてはめて推測できないんだわ。
他のところで言われていることなら世間一般の認識パターンをあてはめる、つまりエディコンのような分析をあてはめるのは、(めんどくせえし、確率高いだろうし)それでいいと思うが。
2010-05-16 日 23:42:07 /URL /脂 /
編集
ストーカーうざいよ。
新宮さんは曖昧過ぎるんですよ。
彼が精神科医として、分析家として一番興味を持っていることは「夢」なんですね。
もう80年代からずっと「夢」について。
だから日本初の『フロイト全集』刊行も彼が中心になってやっているけれども、「夢解釈」の翻訳は新宮さんが自らやっている。
脂くんもご存知のように、ラカンは「夢」なんかそれほど重視していない。
しかし、新宮一成氏は「夢」を非常に重視している。
「夢」なんか寝てるとき体の姿勢や、寝苦しさなんかの身体的影響がもろに「夢」に影響するものなのははっきりしているのに、何故か「夢を分析する」ことに魅入られている。
俺はそういう新宮一成さんには一貫して反対した姿勢をとっています。・・・余談ながら、失礼。
2010-05-16 日 23:39:43 /URL /kidahara /編集
まあ一応読んであげたけど、つまらないのでなんの反応のしようもない。
2010-05-16 日 23:43:38 /URL /脂 /
編集
あのね、勝手にストーカー呼ばわりするなよな。
脂の言う、常連とストーカーの違いってなんなんだい?
俺は全く最初からまともな方だろ?
脂くんはここでも、ママさんのところでもマナーが悪いし。
もういい年齢なんだから、少しは大人としての書き方をした方がいいと思うよ(他人のブログでは)。
ママさんはああやって対応してあげているけれども、見方によってはママさんのことまで悪く言ったりする人だって出てくるよ。
女性読者なんてそういうもんでしょ?
あと、ママさんのところであれは書きすぎでしょう。
一回分で終了する話を自分のブログのごとく書く「無神経」さと「他者への尋常ならざる攻撃性」が理解できない。
マナーと自分を戒めることは重要なことだよ、本当に。
2010-05-16 日 23:57:02 /URL /kidahara /編集
だからわたし書いてるじゃん。「私の中では」って。
ほんとしつこいなストーカー気質の人って。
2010-05-16 日 23:59:29 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-17 月 00:06:14 / / /
編集
>昔キャバでストーカーみたいな事された話は全然違う感じ?
共通点はある。
それをちょうど今考えてた。
あとちなみにキャバではない。スナックだ。
わたしの固定観念、ノルマがあるのがキャバ、ないのがスナック。
2010-05-17 月 00:32:14 /URL /脂 /
編集
つか勝手に人を「境界例だ」とかって言ってしかもそのコメントを自分で消すような人に「マナー」うんぬん言われたかないわ。
2010-05-17 月 00:44:13 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-17 月 09:39:58 / / /
編集
>アレが一回で終了する話だなんて!
別のラカニアンの言葉から。
http://psychanalyse.jp/columns.html#Theorie_et_pratique
=====
つまり精神分析理論の紆余曲折はその対象の紆余曲折と同一なのだということである。
=====
ここの「対象」ってのは「ラカン的な意味での現実」な。
彼は「紆余曲折している現実」を見れない人、ということ。
いかに正常人が「ラカン的な意味での現実」を見れてないかわかったっしょ? ラカンの言う「寸断された身体」、ウタ・フリスの言う「断片化された世界」たる現実を。
主観が寸断されて断片化されているから、理論(家)から見ると「紆余曲折」していることになる、と。
>なんかこうヘリがずれてるのをトントンしないで平気でホッチキスで留めて澄ましてるような雑駁なイメージだね概念化って。
そうそ。「概念化」っつか「正常という精神疾患の認識パターン」がそういうもんなわけさ。
まあ、先に挙げてる向井って人みたいに、一応口ではわかってるようなこと言ってる人もいるんだし、「概念」を信仰していない、パラノイアじゃない学者もいると思うよ。
2010-05-17 月 10:21:11 /URL /脂 /
編集
あー、これもママさんとこでしたコメントにつながるかもね。
http://ameblo.jp/repenter/entry-10532738620.html#cbox
隠喩的連鎖、隠喩とは圧縮である、言語的収縮、学習2による定型パターンの獲得、定型パターンにより隠喩として圧縮される、そうしても意味は通じる。定型パターンを共有できている者同士なら。
「概念への信仰」というより、「定型認識パターンへの信仰」か。
この「定型認識パターン」が、そらパパ用語なら「フレーム」が、壊れている人は、換喩的連鎖を、理屈的(「フレーム」からはずれているため「屁理屈」と言われるだろう)駆使しなければならない、と。
カナーくんの発言はそういったものだと。
2010-05-17 月 10:49:22 /URL /脂 /
編集
>この場合はホッチキスの針がファルスになるのかな?
あーうー、「刺し縫い」って言いたくなるな。ラカン用語にあるんだよ、そういうの。
「刺し縫い」ってのは、象徴界ってクッションを現実に縫いつけること。要は心的外傷、トラウマの象徴界への作用。「ちょびっと漏れちゃった現実界」としての針。
ファルスは、なんだろう。書類の束のまとめ方? どこからどこまでを束ねるか、はじまりと終わりの区切り、か。
って微妙に違う気がするな。
2010-05-17 月 10:58:01 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-17 月 12:46:32 / / /
編集
>概念や意識の動きとかを知覚変化と思っていないのでは?
そもそも言葉遣いが間違ってね? 認知と認識は別物だ。もし概念の動きが知覚変化になっているのならば、それはそれこそ「物質化した言語」であり、そいつは精神病圏だ、ってことになる。
いや、うーん。
言語神経系(象徴界)から感覚神経系(想像界)への作用による知覚変容なら、それは神経症の知覚変容、たとえばヒステリー(転換性障害)だ。
無条件反射神経系(現実界、つか本能とか)から感覚神経系への作用による知覚変容なら、精神病だ、ってことか。だからこの場合言語が物質化する。
つまり、「概念の動きが知覚変容になる」ってえのにも、二種類ある、と。
言語神経系の作用により知覚変容するのか。本能的な神経系の作用で知覚変容し、言語神経系と感覚神経系が混乱するのか。
前者は、三つの神経系の相関作動自体は壊れていない。逆流はしているが。ゲップみたいなもんだな。
後者は、無条件反射神経系自体に異常があるため、相関作動自体に不具合が生じている、と。
あ、まあ要するに知覚変容って精神病だけじゃなくて神経症にも普通にあるよね、って話。
2010-05-17 月 13:24:24 /URL /脂 /
編集
つか君がポスト・フェストゥムすぎて感覚神経系が働いていないだけなんじゃね? 想像界の力動がほとんどないから、象徴界の力動を「知覚変化」だと思ってしまう。
小説の主人公になりきっているようなことじゃねえの? 小説の主人公が、場面転換して別の場所にいる。それを「知覚変化」だって言い張っている、と。
ポスト・フェストゥムな君ならこの解釈が相当しそう。
小説の外側で場面が変わってたらお前どうするよ?
そういったことが起こっているのがヒステリー(転換性障害)。
2010-05-17 月 13:28:43 /URL /脂 /
編集
ああ、ポスト・フェストゥムの離人症はそういったものなのかもな。
感覚神経系の作動が、ニセ科学的に言うなら右脳の作動が、極端に低下しているため、離人になる、と。
解離性障害の離人もそうなんだろうな。
つか、無条件反射神経系に異常のない知覚変容ってことで、区別できない、ってことか。
ヒステリーはわたしはアンテだと思っているが、んー?
まあいいや、めんど。
2010-05-17 月 13:41:24 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-17 月 14:20:43 / / /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-17 月 14:41:59 / / /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-17 月 20:17:54 / / /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-17 月 23:09:14 / / /
編集
>日本人はほとんどの作業を左脳でこなしているらしいぞっていう情報が少し広まりつつある。ような気がする。いくつかそういう記事見る。自分的には自分がそうだから、そうかもなと。
新宮も似たようなこと書いている。
「われわれにとって「自然」とは、絶望的なまでに言語としてのものなのである」
って。日本人に限らねえんじゃねえの。
あ、でもその「絶望的なまでに言語としての自然」を「東洋的自然」だって言っているから、そういうことなのかもな。
わたしは、んなの、百歩譲って顕教仏教の「自然」なのかもしれないが、少なくとも禅や密教の「自然」とは別物だ、と言い張るがな。
象徴界としての「自然」か、現実界としての「自然」か。
そして想像界はいつもスルーされる。学問村の宿命。
無条件反射神経系も、感覚神経系、言語神経系も、自然の産物だ。しかし、自然を生き残るため、自然と戦うために発達したのが感覚神経系、言語神経系という、大脳皮質だ。だからそれらは「反自然」という役割を担いがちだ。
しかし、自然に翻弄される下等生物でも、無条件反射神経系はある。「嗅脳」って奴だな。
どの脳の部位を、神経系を、活用するか、って話にすぎないんじゃねえの。
2010-05-18 火 00:21:05 /URL /脂 /
編集
「嗅脳」レベルになるともう、「脳」としての特異性より、脊髄の延長としての神経局在部位、ってなるんだけどな。
つまり「体としての脳」みたいな。
2010-05-18 火 00:24:37 /URL /脂 /
編集
>これはドラゴンボールファンサイト管理人としての個人の考え。
ってことはつまりそのファンサイトで「悟空には社会性がない」って考え方が主流になっていて、主流になってはいなくても、そういう意見がちらほらあって、管理人のあなたもそう考えている、ってことでいいのかな。
なら、「悟空は社会性がない」と考えているのは一般的な認識である、というわけだから、
>なんかこう、エディコンくんたちの「社会性のあるなし」っていう判断基準が、「社会なる父」へのコンプレックスによるものであるため、ハードルがあがってってるのかもしれんな。
>「この程度じゃ社会性があるとは言えない、社会とはもっと立派なものであるはずだ」
>的な。
って解釈でいいと思った。この確率が高いと。
んで、一般的な人たちがエディコンによりハードルをあげてしまった「社会性のあるなし」を、あなたもそう思ってしまっている、と。
少なくともわたしは、「悟空は社会性がある」とは言いきれないが、「社会性がない」とは言えないと思ってる。リンクしたツイートみたいな感想。「この程度で……」っていう。
あなたの「社会性のあるなし」という高いハードルが、お子さんたちを苦しめていたりする可能性もあったりするんじゃないでしょうか。
わたしには関係のないことですけども。
2010-05-18 火 00:36:10 /URL /脂 /
編集
>「われわれにとって「自然」とは、絶望的なまでに言語としてのものなのである」
新宮もワードサラダくんタイプなのかもしれんな。ポスト・フェストゥム。
2010-05-18 火 01:11:24 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-18 火 01:33:09 / / /
編集
んー。
>そこまで考ええいないですが社会性とは金銭を得て社会にある程度貢献し自立して生きていくということにしぼっています。
>
>だから周囲とトラブルを起こしたり誤解されてはじかれ易い人でも労働ができれ社会性はあると考えています。
>
>孫悟空はまったく働くことに興味がなく食って寝て修行してを生涯貫いています。金銭を得たことがないという部分に注目しています。
結局、象徴的社会(言語的社会)を社会とし、想像的社会(思いやりとかんなの)は考えない、ということか。
「周囲とトラブルを起こしたり誤解されてはじかれ」ることは想像的な社会性がない、ということ。
つまり孫悟空は、象徴的な社会性がない、ということか。
結局象徴的社会のみを社会とするならば、アスペルガーにも社会性がある、ということになるんだよな。
もっと言えば反社会性人格障害者にも社会性がある、ということになる。反社会性人格障害者でも就労できるから。彼らは言語性コミュニケーション能力に特に異常はない。
となると、じろうさんの言う「社会性がない人」というのは、言語性学習障害者などがそうだ、となる。トム・クルーズなんかが。
そうだね。確かに言語性学習障害者は愛されやすいだろうね。言語的知能に遅れがあっても、鏡像関係による人間らしさを学んでるわけだから。
孫悟空は、比喩的に言うならば、だけど、言語性学習障害者だ、ってことになるな。象徴的な社会性がないわけだから。
だけど想像的な社会性はある。思いやりや友情、愛情などといったものによるコミュニケーション能力に異常は見られない。
まあこんな能力に異常が見られるキャラとか少年漫画じゃ悪役になるよな(笑)。特にジャンプ系じゃ。友情第一主義だから。
あ、ごめんわたしサンデー派だった。しかも月刊の。『鉄腕バーディ』が連載してた時代。
それを自閉症児にあてはめると、親にそんな風に育てられると、その子は苦労するだろうな。
「言語性はわからないが、非言語性学習障害はなべてPDDである」
じろうさんは、自分のお子さんが、そういう「愛される発達障害者」になってほしいの?
お子さんに孫悟空みたいになってほしいの?
要するに脳神経系の異常箇所の違いなわけだけど、別々の箇所に異常があるのに、自分とは別の箇所に異常がある発達障害者みたいになれ、って言われているようなことだと思うよ、それ。
いやわたし論で言う未去勢者だったら、の話だけど。アスペは未去勢者は六、七割だと思うよ。カナーだと九割がそうだと思うが。
そうじゃなくて、自分の子供たちは、
>周囲とトラブルを起こしたり誤解されてはじかれ易い人でも労働ができれ社会性はあると考えています。
と書いているところの、「労働」はできる「周囲とトラブルを起こしたり誤解されてはじかれ易い人」になってほしい、という意味で言っているなら、それは方向性としちゃ正しいよね、と思う。
そういう障害なんだから。自閉症とは。
2010-05-18 火 04:44:57 /URL /脂 /
編集
あ、一応。スカラベさんへ。
この方自閉症児のお子さんをお持ちだそうです。
2010-05-18 火 04:57:15 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-18 火 05:04:26 / / /
編集
フリーザが自閉症だ、っていうのも、比喩的に言うならば、まあおkだけど、確かにシンボルとしちゃいいかもだけど、彼の想像的コミュニケーションの否定は、否認臭い。つまり彼は去勢の否認、中二病で友情を否定していただけ、と。
悪役ヲタとしてはイマイチ。
なんだろうな、映画『バイオハザード』(第一作目)の、少女のホログラフィーでしゃべるコンピューターとかが、未去勢者のシンボルとしてはいい感じ。
王道物語系、少年漫画系の悪役って、大体去勢の否認なのよね。ナチュラル・ボーン・悪役がいない。まあそらそうだ。基本がエディコン(要するに英雄物語)なわけで、倒すべきラスボスは父なんだから。父だから未去勢者ではありえない。
B級映画やサブカルじゃないと、「未去勢者のシンボルとして利用できるキャラ」はあんまいない。
2010-05-18 火 05:07:56 /URL /脂 /
編集
>日本人にとってハードルって高いものじゃないの?
どこの文化圏と比べてそう言っているのかはわからないが、ヨーロッパではキリスト教がそのハードルの高さを決めているが、アメリカなんかは多民族国家だから、ハードルは低くなってはいそうだ。
日本は仏教があるが、仏教は宗教というより思想だからな。ハードルの設定という作用はキリスト教ほどじゃない。
しかし島国であるってことが、「想像的な社会性のあるなし」のハードルの高さの原因にはなってそう。
これだよこれ。あたしがいつも言ってるの。
「日本人は去勢されてないわけじゃない。去勢の否認でもない。去勢されすぎている(この語用は厳密には間違い)んだ」
って。
2010-05-18 火 05:12:33 /URL /脂 /
編集
だーから「日本人はどうのこうの」って話をわたしとすると、正常人は百パー混乱するからやめておけって。
2010-05-18 火 05:14:44 /URL /脂 /
編集
つかお前ってなんでそう「日本人」でくくりたがるの? わたしが混乱するわ。「どの日本人のこと言ってるのよ」って。
大体わたしがそういうくくりで会話すると混乱する。相手もわたしも。
めんどくせえ。
もうおまいもスルー。
2010-05-18 火 05:22:08 /URL /脂 /
編集
ほんっとポスト・フェストゥムだよな。
「過剰な役割同一性」。
「日本人」という役割への過剰な同一性。
ただの国籍じゃねえかんなの。
「肩書き」に人格なんてないぜ?
お前の言う「日本人はどうこう」ってのは、「日本人」って言葉で表現しているお前の妄想の人格について述べているわけじゃん。
んなのわけわからんわ。
小説書いている奴が自分が書いている作品の登場人物について「このキャラクターはどうこうで」とか言っても「わけわからんわ」ってなるに決まってるだろうが。
2010-05-18 火 05:23:45 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-18 火 05:28:16 / / /
編集
「日本人はどうこう」って述べることで「自分はどうこう」って述べたいわけだろ? 精神分析理論をあっさり適用させちゃうけどさ。
じゃあ「自分はどうこう」って言えよ。同じ日本人でもお前と違う人格はわんさかといるだろうが。
これだよ、「シューティングゲームの弾から逃げ回っている印象」ってな。
「自分がどうこう」って述べられないから、「日本人」ってクッションを介してでしかしゃべれない。
2010-05-18 火 05:28:40 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-18 火 05:29:51 / / /
編集
これだから三島厨は嫌いだ。三島作品はおもしろいと思うが。
大体「日本人は~」って話になる。
2010-05-18 火 05:31:06 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-18 火 05:34:20 / / /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-18 火 05:38:50 / / /
編集
わかった。「日本人」って言うから役割同一性が生じるんだな。それは「人」だから、人格化されちゃう。「宇宙人」も一緒。「宇宙生物」とかなら人格化の罠は多少回避できる。
今度から「日本文化は~」って言ってごらん。
わたしが言う「日本人は~」ってのは「日本文化は~」って意味が多い。
そっか、ここがすれ違うんだな。
お前みたいなタイプが「日本人は~」と言うとき、大体「役割同一性」が生じているから、わたしのわけわからん話になる。
「日本文化は~」ならそうなりにくそうだろ。比較文化論や人類学的視点でも通じそう。わたしの視点はこっちだ。
2010-05-18 火 05:39:06 /URL /脂 /
編集
たとえばさ、「日本人はあまり麻薬をしない」じゃなくて、「現代日本文化において麻薬はあまり流通していない」なら、「日本人の国民的傾向として(つまり「日本人」っていう妄想の人格として)どうのこうの」って話だけじゃなく、「警察が優秀だからじゃね」とかって話でもおkになるだろ。
2010-05-18 火 05:41:51 /URL /脂 /
編集
>どこの文化圏と比べてそう言っているのかはわからないが、
とかってコメントも比較文化論的だろ?
一方お前の「日本人はどうこう」っていうのは、わたしからすれば、お前が勝手に妄想でこしらえた「日本人」っていう「(お前自身作の)小説のキャラ」について述べているだけにしか見えないんだ。
だから会話が混乱する。
いやまだ混乱はしていないがね。わたしの人生経験上、お前みたいな言い方で「日本人は~」って言う奴と話すと大体混乱するから、はじめに言っておいた。
2010-05-18 火 05:49:15 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-18 火 06:29:01 / / /
編集
>これじゃない?ファルスがないから私は死んでいるとかいってんのかな、脂さんは。わからん。
ファルスがばりばりだから抑鬱症者が嫌いなの。わたしから見れば抑鬱症者はもっとも直接的なファロセントリストだ。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-169.html
=====
この「過剰な役割同一性」が、固定化されたノエマ的自己(の表出)ということになる。彼らがわたしと共有する「あいだ」に、彼らはその固定化された自己に基づいたものを投げ込んでくるから、わたしは彼らを男根主義的であると思ってしまうのだ。
=====
喪の状態が一番ファロセントリスムなんだよ。
単に自分のファルスを見失っているだけなのに、お前みたいに「ファルスがない」って言い張るだろ? 無自覚にもほどがある、って話だ。
ファルスの徹底的な隠蔽が抑鬱症だ。お前。
徹底的に隠蔽するから、抑圧したものに目がいくわたしは、抑鬱症がもっともファロセントリストに思える、って話。
隠蔽の極地が喪なんだよ。
だから嫌いなんだ。
ファルスがあることとは器官なき身体が死んでいること。
2010-05-18 火 07:06:12 /URL /脂 /
編集
どこをどう読んでも「お前にファルスはない」って言ってることないんだが。
この自分に極端に都合よく解釈するのも抑鬱症だよな。
普通の正常人解釈は横にずらすだけだが、抑鬱症者はわたしの言葉を正反対に解釈する。
喪に浸るのに必死すぎる。
2010-05-18 火 07:10:41 /URL /脂 /
編集
「主人のディスクール」が、パラノイアックなイメージになるんだが、「大学のディスクール」が抑鬱症になると思う。
「大学のディスクール」ではファルスは真理の位置にある。
目の前にあるならまだしも、常にファルスが真理の位置にあるから、抑鬱症者が嫌いなの。
2010-05-18 火 07:14:53 /URL /脂 /
編集
もっともタチの悪い征服者が、抑鬱症者だ。
2010-05-18 火 07:16:24 /URL /脂 /
編集
お前の「日本人論」は「比較文化論」なんかじゃないじゃんか。
「比較文化論」はあくまで人文科学だ。人の作った「文化」なるものを物質として扱っている。
だけどお前が論じているのは「人」じゃないか。
「お前の自作小説の中に登場する「日本人」というキャラクター」
について語っているじゃないか。
2010-05-18 火 07:18:45 /URL /脂 /
編集
新宮は「大学のディスクール」を「科学のディスクール」と読み替えたが、わたしにとっての、学徒のあるべき姿とはマッド・サイエンティストである、とするわたしの考えにおける「科学」なら、違う。
ファルスのないディスクールが、「科学のディスクール」となる。
したがってわたしにとっての「科学のディスクール」は四つのディスクールのどれにも相当しない。
余剰物の位置にファルスがある「分析家のディスクール」が唯一近い。余剰物を出しさえしなければんいんだから。
分裂病者が描く絵のごとく余白を埋めていれば、余剰物は生成しない。
2010-05-18 火 07:22:07 /URL /脂 /
編集
「喪の作業」「デプレッション」において、自己は快復に向かう。
この折り返し地点は、「分析治療におけるあの特別な一瞬」である「ファルスの再発見」だ。このとき余剰物としてファルスは生成している。
つまり、「喪の作業」「デプレッション」のときが、抑鬱状態が、もっともファルスが直接的に感じられるときなんだよ。分析家にとっては。
ほれ、あたしの抑鬱症嫌いもきちんと理屈に則っている。
2010-05-18 火 07:27:08 /URL /脂 /
編集
本人にとって、もっともファルスを見失っているそのときが、もっともファルスが余剰物として再浮上しているときなんだよ。
本人が気づいていないだけ。
2010-05-18 火 07:29:31 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-19 水 00:19:30 / / /
編集
ワードサラダ悪化してんな。
2010-05-19 水 07:50:23 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-19 水 09:55:27 / / /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-20 木 12:00:13 / / /
編集
>がその文章や主張がとても納得できないんだよな。なんでだろ、どう自分が解釈してなんに感じてみえるのだろう。
お前の主観世界が(絶対)他者に支配されているからだよ。
2010-05-20 木 12:31:20 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-20 木 12:45:21 / / /
編集
>個人として生き残ろうとした結果が社会であるはずなのに、社会が個人を殺そうとしていることになるから。本末転倒だから。
社会は個人がいないと成り立たないが、個人は社会がなくても成り立つ。
例、禅の修行者、浮浪者など。
まあここいらも多少の社会はあったりするんだがね。
動物で考えたらいい。動物には社会がない。
これもまあとやかく言うなら、群れとか社会じゃん、とは言えるんだがね。
社会なんて個体の行動を集合させた結果だ。
ところが人間はそうじゃない。人間と他の動物の違いは高度な社会(性)にある。
冒頭のような考え方ができない君は、根っからの人間なんだろうな。
人間でよかったじゃん。
2010-05-20 木 13:32:56 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-20 木 14:16:16 / / /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-21 金 13:29:46 / / /
編集
木田原くんのコメント消えてるな。
いちいち串さして消したのかw
ご苦労さん。
2010-05-22 土 07:16:02 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-22 土 19:01:17 / / /
編集
なんだこりゃ。
2010-05-22 土 19:33:49 /URL /脂 /
編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-05-22 土 20:58:06 / / /
編集