「んなことつってもあーた、現代の「世間様」は「身体なき器官」になってますぜ(笑)」
2010/05/26/Wed
前記事のコメント欄、中坊さんへの返信のつもりで書いていたが、書いているうちに「これって重要じゃね」と思えてきたので、こっちにうpする。
つかあれだ。記事数稼ぎだ。これ以外にもわたしはコメント欄(他人のブログ含む)でわたしが重要と思えることをいっぱい書いている。わたしを分析したい人はそっちもちゃんと読んでね。
なんつかな。ブログ記事として書くのが最近ほんとめんどくさいのだね。死にたい。ストーカーに「あなたは梅雨場に(精神的な)調子がおかしくなる」と指摘されたんだが、あたってると思うもんな。そろそろやばい。体調悪い。
そんなこたともかく、以下コプペ(ミスタイプだが響きがなんかいいのでそのままにしとく)。
んー。
あたしも基本相手を「攻撃する為に分析している」し、「自衛の目的があるもの」だし、「精神分析を悪用してる」んだよな。相手の症状を悪化させるのもありとする逆精神分析なんて概念をぶってるくらいだから。
まあ、「人」であるのは正しいんだよな。大文字の他者は。なんせ他「者」なんだし。
だけどそうすると新宮が犯したミスのごとき、A→S、すなわち「斜線の取れた生のエスに大文字の他者が影響する」って話になっちゃう。ラカン論には大文字の物だなんてとっても適切な概念があるにも関わらず。
実際に新宮の分裂病論を見れば、分裂病者という斜線がほころんだエスに影響しているのは大文字の他者だ、って言っている。
わたしは、ほころんでいるのだから、斜線がまったくないというわけではないから、確かにそれは大文字の他者という「人」としての「言葉」である場合もあろうが、ほころんでいる部分に影響している言葉(的なるもの)は、彼にとっては大文字の物でもある、と言いたいんだよな。まさに「物質性をともなった言葉」だ。
http://d.hatena.ne.jp/rothko/20081228
大文字の他者にも、大文字の物にも苦しめられているのが、斜線がほころんだエスの実態だ、と。
『アンチ・オイディプス』も、「分裂病者を苦しめているのは大文字の他者だ」って言っているところあるんだよな。「分裂症者はオイディプスに耐えられない人たちなのである」ってところ。『アンチ・オイディプス』は、分裂症者の妄想などといった症状が非常にオイディプス的である事実を認め、それについての言い訳としてこう述べている。分裂症者の症状がオイディプス的であるという臨床実体と、新宮が「分裂病者は大文字の他者に欲望されることによって苦しんでいる」って解釈している臨床実体は、同じ症状である、ってわけ。
新宮も『アンチ・オイディプス』も間違ってないんだよ。彼らは確かに大文字の他者に苦しめられているだろう。しかし、それだけじゃないよ、って言いたいんだ。
分裂病者を苦しめているのは、彼らの妄想における、「集団ストーキングしてくる集団」だけじゃない。「ゾンビ」や「ロボット」や「粉々にくだけたガラス」も彼らを苦しめている。
それらは分裂病者を欲望しているのだろうか? それらは「物」であるのだから、欲望などしていないはずだ。
欲望しない「物」であっても、主体は苦しめられる。斜線がほころんだエスに影響してくるのは大文字の他者だけではない。
大文字の物とは、物自体とは、人間にとって悪意なのである。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-357.html
ここが一番重要なところだとわたしは思うんだよな。だからここをわざとスルーしているような新宮の分裂病論や『アンチ・オイディプス』が癇に障る。
ここを論じなければ、彼らの大文字の他者に対する恐怖は、神経症としての対人恐怖症となんら違いはなくなる。
いやま、君の論には分裂病なんて関係していないからそれでいいんだけどね。
君の「自衛が目的だから「人」とする」ってのは、君がやっぱ神経症である証拠だと思う。大文字の他者からの自衛だけを目的としているからそうなる。大文字の物からの自衛は考えなくてよい。
大文字の他者は「物」じゃなくあくまで「人」である。「物」は大文字の物という別の概念がある。したがってむしろ君の解釈の方が理屈的に正しいと言える。もっと言えば、これこそが「言語を精神分析的に論じること」であり、ラカンの功績であるわけだから、むしろ君の論はラカン派として正統的なんだよ。悪用なんかしていない。理屈にあっている。
でもさ、思ったけど、ジジェクって大文字の他者を揶揄しているように思えるんだよな。ほめ殺しみたいな。だけど巷には馬鹿が多いから、「大文字の他者バンジャーイ」ってなってると思うんだよな。ジジェク本人じゃないジジェク派ってそういう感じだ。
となると、それを攻撃するためにそう言っている君は、正統的なジジェク派だ、となる。
また、これってラカンにもあるんだよな。ラカンなんかジジェクみたいに遠回しじゃなく、もっと明確にファルスについて嫌悪を表明している(「あの忌避すべきファルス」だなんだか言ってた)にも関わらず、なぜか巷の馬鹿たちは「ラカン論はファルス中心主義だ」って解釈しちゃう。
となると、アンチ・ファルスであるガタリやわたしこそが、むしろ正統派ラカニアンだ、ってことになるんだよな。
いやラカニアンもジジェク派も、口で「大文字の他者バンジャーイ」「ファルスバンジャーイ」っつってるだけで、内心は嫌悪しているのかもしれないけどね。
ジジェクはドゥルーズ=ガタリについて、「器官なき身体」に対する「身体なき器官」って概念を提示して批判してたりするんだが、この「身体なき器官」って、ほぼネタなんだよな。つまりジジェク本人は「身体なき器官」を称揚なんかしていない。むしろ揶揄として述べている。そうわたしには思える。
「んなことつってもあーた、現代の「世間様」は「身体なき器官」になってますぜ(笑)」
って感じ。
この台詞は別に「身体なき器官」を称揚しているわけではないだろ? 「身体なき器官」になってしまっている「世間様」に対する揶揄という態度があっても、この台詞は成立する。
でもさー、ファルスじゃなくて大文字の他者を攻撃ターゲットにしちゃうと、それこそガタリが「分裂分析」で犯したあやまち、「それは社会に適用させるべきものだ」ってなると思うんだよな。
ファルスは社会じゃない。(人間的な)社会を生み出す原因ではあるが。社会はあくまで結果的な産物でしかない。
一方、大文字の他者とは社会でもある。「世間様」である。
結局それってオイディプスに回収されてんじゃん、ってわたしは思うんだよな。だからガタリはばりばりのエディコンだとわたしは診断している。
で、ファルスじゃなく大文字の他者を攻撃したがる君も、その部分の症状に限っては、エディコンだ、となる。
いつぞやあたし言わなかったっけ。「それなんかエディコン臭い」って。
>攻撃する為に分析しているのを嗅ぎ取っているから「わさわさする」んじゃないかな。
わかった。「攻撃する為に分析しているのを嗅ぎ取っている」のは認める。つかジジェク本人が「大文字の他者を揶揄的に攻撃している人」だと思ってるくらいだし。
で、攻撃しているのは君も認めている。
なのに、遠回しじゃん。ジジェクも君も。
だから「わさわさ」するんじゃないか、と思った。
ほら、以前にもあったじゃん。
http://kabashira.com/blog/?p=564
=====
>あのさぁ、僕が「ちょっとトイレ」って中座して、5分以上トイレ入ってたとするじゃん。「おしっこにしては時間長い」ことから「うんこだ」と判ってもさ、だからといって「あー、お前うんこしてやんのー」ってトイレのドアの前で叫ぶか?
これさあ、ちょっと違うよ。
トイレのドアの前で、
「ねえねえ、うんこ? うんこなの? うんこしてるの? どうなの?」
ってしつこく聞いてるようなもんだ。
でドア開けて君が「ああうんこだよ!」って言った、って状態。
=====
って奴。これと同じ感じかもしれない。
「わさわさ」=「ねえねえ、うんこ? うんこなの? うんこしてるの? どうなの?」だってこと。
なんてかわいい女の子かしら。
つかあれだ。記事数稼ぎだ。これ以外にもわたしはコメント欄(他人のブログ含む)でわたしが重要と思えることをいっぱい書いている。わたしを分析したい人はそっちもちゃんと読んでね。
なんつかな。ブログ記事として書くのが最近ほんとめんどくさいのだね。死にたい。ストーカーに「あなたは梅雨場に(精神的な)調子がおかしくなる」と指摘されたんだが、あたってると思うもんな。そろそろやばい。体調悪い。
そんなこたともかく、以下コプペ(ミスタイプだが響きがなんかいいのでそのままにしとく)。
んー。
あたしも基本相手を「攻撃する為に分析している」し、「自衛の目的があるもの」だし、「精神分析を悪用してる」んだよな。相手の症状を悪化させるのもありとする逆精神分析なんて概念をぶってるくらいだから。
まあ、「人」であるのは正しいんだよな。大文字の他者は。なんせ他「者」なんだし。
だけどそうすると新宮が犯したミスのごとき、A→S、すなわち「斜線の取れた生のエスに大文字の他者が影響する」って話になっちゃう。ラカン論には大文字の物だなんてとっても適切な概念があるにも関わらず。
実際に新宮の分裂病論を見れば、分裂病者という斜線がほころんだエスに影響しているのは大文字の他者だ、って言っている。
わたしは、ほころんでいるのだから、斜線がまったくないというわけではないから、確かにそれは大文字の他者という「人」としての「言葉」である場合もあろうが、ほころんでいる部分に影響している言葉(的なるもの)は、彼にとっては大文字の物でもある、と言いたいんだよな。まさに「物質性をともなった言葉」だ。
http://d.hatena.ne.jp/rothko/20081228
大文字の他者にも、大文字の物にも苦しめられているのが、斜線がほころんだエスの実態だ、と。
『アンチ・オイディプス』も、「分裂病者を苦しめているのは大文字の他者だ」って言っているところあるんだよな。「分裂症者はオイディプスに耐えられない人たちなのである」ってところ。『アンチ・オイディプス』は、分裂症者の妄想などといった症状が非常にオイディプス的である事実を認め、それについての言い訳としてこう述べている。分裂症者の症状がオイディプス的であるという臨床実体と、新宮が「分裂病者は大文字の他者に欲望されることによって苦しんでいる」って解釈している臨床実体は、同じ症状である、ってわけ。
新宮も『アンチ・オイディプス』も間違ってないんだよ。彼らは確かに大文字の他者に苦しめられているだろう。しかし、それだけじゃないよ、って言いたいんだ。
分裂病者を苦しめているのは、彼らの妄想における、「集団ストーキングしてくる集団」だけじゃない。「ゾンビ」や「ロボット」や「粉々にくだけたガラス」も彼らを苦しめている。
それらは分裂病者を欲望しているのだろうか? それらは「物」であるのだから、欲望などしていないはずだ。
欲望しない「物」であっても、主体は苦しめられる。斜線がほころんだエスに影響してくるのは大文字の他者だけではない。
大文字の物とは、物自体とは、人間にとって悪意なのである。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-357.html
ここが一番重要なところだとわたしは思うんだよな。だからここをわざとスルーしているような新宮の分裂病論や『アンチ・オイディプス』が癇に障る。
ここを論じなければ、彼らの大文字の他者に対する恐怖は、神経症としての対人恐怖症となんら違いはなくなる。
いやま、君の論には分裂病なんて関係していないからそれでいいんだけどね。
君の「自衛が目的だから「人」とする」ってのは、君がやっぱ神経症である証拠だと思う。大文字の他者からの自衛だけを目的としているからそうなる。大文字の物からの自衛は考えなくてよい。
大文字の他者は「物」じゃなくあくまで「人」である。「物」は大文字の物という別の概念がある。したがってむしろ君の解釈の方が理屈的に正しいと言える。もっと言えば、これこそが「言語を精神分析的に論じること」であり、ラカンの功績であるわけだから、むしろ君の論はラカン派として正統的なんだよ。悪用なんかしていない。理屈にあっている。
でもさ、思ったけど、ジジェクって大文字の他者を揶揄しているように思えるんだよな。ほめ殺しみたいな。だけど巷には馬鹿が多いから、「大文字の他者バンジャーイ」ってなってると思うんだよな。ジジェク本人じゃないジジェク派ってそういう感じだ。
となると、それを攻撃するためにそう言っている君は、正統的なジジェク派だ、となる。
また、これってラカンにもあるんだよな。ラカンなんかジジェクみたいに遠回しじゃなく、もっと明確にファルスについて嫌悪を表明している(「あの忌避すべきファルス」だなんだか言ってた)にも関わらず、なぜか巷の馬鹿たちは「ラカン論はファルス中心主義だ」って解釈しちゃう。
となると、アンチ・ファルスであるガタリやわたしこそが、むしろ正統派ラカニアンだ、ってことになるんだよな。
いやラカニアンもジジェク派も、口で「大文字の他者バンジャーイ」「ファルスバンジャーイ」っつってるだけで、内心は嫌悪しているのかもしれないけどね。
ジジェクはドゥルーズ=ガタリについて、「器官なき身体」に対する「身体なき器官」って概念を提示して批判してたりするんだが、この「身体なき器官」って、ほぼネタなんだよな。つまりジジェク本人は「身体なき器官」を称揚なんかしていない。むしろ揶揄として述べている。そうわたしには思える。
「んなことつってもあーた、現代の「世間様」は「身体なき器官」になってますぜ(笑)」
って感じ。
この台詞は別に「身体なき器官」を称揚しているわけではないだろ? 「身体なき器官」になってしまっている「世間様」に対する揶揄という態度があっても、この台詞は成立する。
でもさー、ファルスじゃなくて大文字の他者を攻撃ターゲットにしちゃうと、それこそガタリが「分裂分析」で犯したあやまち、「それは社会に適用させるべきものだ」ってなると思うんだよな。
ファルスは社会じゃない。(人間的な)社会を生み出す原因ではあるが。社会はあくまで結果的な産物でしかない。
一方、大文字の他者とは社会でもある。「世間様」である。
結局それってオイディプスに回収されてんじゃん、ってわたしは思うんだよな。だからガタリはばりばりのエディコンだとわたしは診断している。
で、ファルスじゃなく大文字の他者を攻撃したがる君も、その部分の症状に限っては、エディコンだ、となる。
いつぞやあたし言わなかったっけ。「それなんかエディコン臭い」って。
>攻撃する為に分析しているのを嗅ぎ取っているから「わさわさする」んじゃないかな。
わかった。「攻撃する為に分析しているのを嗅ぎ取っている」のは認める。つかジジェク本人が「大文字の他者を揶揄的に攻撃している人」だと思ってるくらいだし。
で、攻撃しているのは君も認めている。
なのに、遠回しじゃん。ジジェクも君も。
だから「わさわさ」するんじゃないか、と思った。
ほら、以前にもあったじゃん。
http://kabashira.com/blog/?p=564
=====
>あのさぁ、僕が「ちょっとトイレ」って中座して、5分以上トイレ入ってたとするじゃん。「おしっこにしては時間長い」ことから「うんこだ」と判ってもさ、だからといって「あー、お前うんこしてやんのー」ってトイレのドアの前で叫ぶか?
これさあ、ちょっと違うよ。
トイレのドアの前で、
「ねえねえ、うんこ? うんこなの? うんこしてるの? どうなの?」
ってしつこく聞いてるようなもんだ。
でドア開けて君が「ああうんこだよ!」って言った、って状態。
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って奴。これと同じ感じかもしれない。
「わさわさ」=「ねえねえ、うんこ? うんこなの? うんこしてるの? どうなの?」だってこと。
なんてかわいい女の子かしら。