現実とは隠さなければならないもの
2010/06/22/Tue
中坊さんとこでのコメントはどうしても「ぎゃーぎゃー」とならないのでいらいらしてたんだが、今回は「ぎゃーぎゃー」っぽくなれた。
で、消されたコメントの中にわたしが「これ重要だな」と思える部分があったのでこっちに書いておく。
コピペしてなかったからうろ覚えでの再生となるが。
しまださんにとって「沖縄(に関わる何か)」は対象aだったんじゃないだろうか。
抑鬱症者は、というか精神分析的ディスクールにおけるクライエントは、余剰物としてファルスがある。この症状がもっとも顕著なのが抑鬱症者だ、ということ。
そして、そも対象aとは余剰物である。
なので、抑鬱症的なしまださんは、対象aたる「沖縄」の立場に立ってしまったからこそ、ファロセントリックな物言いになったのではないだろうか。
また、彼は「冷静じゃない」と自分で言っている。これは「ヒステリーの語らい」である。彼は「沖縄の現実」を幾度となく主張している。つまりそれが彼のディスクールにおける真理である。
「ヒステリーの語らい」において真理の位置にあるのは対象aである。
もしこの推測が正しければ、彼にとっての「沖縄(に関わる何か)」は彼の言う通り彼にとっての「現実」ではあろう。この「現実」をラカン論的な意味でのそれと考えても辻褄があう(中坊さんは違うと言っているが)。
なぜなら対象aとは部分対象でもある。つまり現実界と、想像界及び象徴界の離接ポイントにあるのが対象aなのだから。
中坊さんにとっての対象aとはなんだろう? 嫁か? 違うな、中坊さんは嫁をファルスとしても見ている。対象aとは言いきれない。普通は恋人とか対象a(っぽいもの)となるんだが。
「しまださんにとっての「沖縄」が、君の嫁だったとしたら、君はしまださんみたいな態度を取ったんじゃないかい?」
と書こうと思ったが、こういった理屈から、「いやそうでもないと思う」と反論されても、非論理的ではない。
中坊さんも、しまださんにとっての「沖縄」みたいな何かを見つければ、しまださんみたくなれるかもしれないね。
やはり、「しまださんが口を酸っぱくして言っている、しまださんにとっての沖縄基地問題に関わる「現実」って、具体的に何?」を説明してもらわないと、話が進まない。
以上。再生つかだいぶ書き足してしまった。
あれか、しまださんって「沖縄米兵にレイプされた被害者が知人にいる人」とかってそういう人なのかね。あ、別に加害者は沖縄米兵じゃなくてもいいが。しまださん自身が被害当事者であっても可。論理上。対象aってのは自我でもあるからな。
中坊さんがしまださんの「秘密」を、「本人が苦しむから」と隠そうとしているのは、それがしまださんのトラウマだったからではないだろうか。
トラウマとは精神分析的な意味で「現実」である。わたしはPTSD症状を「過去が現実化すること」と述べることがある。この「精神分析的な意味での現実」は、一般的に思われているような「客観的事実」ではない。フロイトはトラウマを「客観的事実」ではなく「主観的事実」だとしている。
ま、そういうことだよ。
「精神分析的な意味での現実」とは隠してしまうものなんだ。
どうでもいいや。つまらん。
追記。
「あれか、しまださんって「沖縄米兵にレイプされた被害者が知人にいる人」とかってそういう人なのかね。」という推測は、中坊さんとこでしたしまださんについての推測、「反米が軸になっている」というのと反するじゃないか、と思われるかもしれないので、説明(言い訳とも言う)しておく。
しまださんは自分の沖縄基地反対という主張について、『美味しんぼ』作者のブログ記事を取りあげていた。彼の主張の軸は、その言説を読む限り「反米」を主軸としている。したがってしまださんもそうなのではないか、と言った。つまり「反米が軸になっている」という表現の具体は、「『美味しんぼ』作者のブログ記事を取りあげていたこと」である、というわけだ。
フロイトは治療によく失敗したんだよな。トラウマに苦しむ女性にフロイトは「あんたその夢の中の男にレイプされたがってんだよ」つって怒らせたりしてる。
そういうことじゃね。わたしはこのフロイトでいいよ。症状の悪化もありとする「逆精神分析」とかって概念ぶってるくらいだし。
ああめんどくせ。
で、消されたコメントの中にわたしが「これ重要だな」と思える部分があったのでこっちに書いておく。
コピペしてなかったからうろ覚えでの再生となるが。
しまださんにとって「沖縄(に関わる何か)」は対象aだったんじゃないだろうか。
抑鬱症者は、というか精神分析的ディスクールにおけるクライエントは、余剰物としてファルスがある。この症状がもっとも顕著なのが抑鬱症者だ、ということ。
そして、そも対象aとは余剰物である。
なので、抑鬱症的なしまださんは、対象aたる「沖縄」の立場に立ってしまったからこそ、ファロセントリックな物言いになったのではないだろうか。
また、彼は「冷静じゃない」と自分で言っている。これは「ヒステリーの語らい」である。彼は「沖縄の現実」を幾度となく主張している。つまりそれが彼のディスクールにおける真理である。
「ヒステリーの語らい」において真理の位置にあるのは対象aである。
もしこの推測が正しければ、彼にとっての「沖縄(に関わる何か)」は彼の言う通り彼にとっての「現実」ではあろう。この「現実」をラカン論的な意味でのそれと考えても辻褄があう(中坊さんは違うと言っているが)。
なぜなら対象aとは部分対象でもある。つまり現実界と、想像界及び象徴界の離接ポイントにあるのが対象aなのだから。
中坊さんにとっての対象aとはなんだろう? 嫁か? 違うな、中坊さんは嫁をファルスとしても見ている。対象aとは言いきれない。普通は恋人とか対象a(っぽいもの)となるんだが。
「しまださんにとっての「沖縄」が、君の嫁だったとしたら、君はしまださんみたいな態度を取ったんじゃないかい?」
と書こうと思ったが、こういった理屈から、「いやそうでもないと思う」と反論されても、非論理的ではない。
中坊さんも、しまださんにとっての「沖縄」みたいな何かを見つければ、しまださんみたくなれるかもしれないね。
やはり、「しまださんが口を酸っぱくして言っている、しまださんにとっての沖縄基地問題に関わる「現実」って、具体的に何?」を説明してもらわないと、話が進まない。
以上。再生つかだいぶ書き足してしまった。
あれか、しまださんって「沖縄米兵にレイプされた被害者が知人にいる人」とかってそういう人なのかね。あ、別に加害者は沖縄米兵じゃなくてもいいが。しまださん自身が被害当事者であっても可。論理上。対象aってのは自我でもあるからな。
中坊さんがしまださんの「秘密」を、「本人が苦しむから」と隠そうとしているのは、それがしまださんのトラウマだったからではないだろうか。
トラウマとは精神分析的な意味で「現実」である。わたしはPTSD症状を「過去が現実化すること」と述べることがある。この「精神分析的な意味での現実」は、一般的に思われているような「客観的事実」ではない。フロイトはトラウマを「客観的事実」ではなく「主観的事実」だとしている。
ま、そういうことだよ。
「精神分析的な意味での現実」とは隠してしまうものなんだ。
どうでもいいや。つまらん。
追記。
「あれか、しまださんって「沖縄米兵にレイプされた被害者が知人にいる人」とかってそういう人なのかね。」という推測は、中坊さんとこでしたしまださんについての推測、「反米が軸になっている」というのと反するじゃないか、と思われるかもしれないので、説明(言い訳とも言う)しておく。
しまださんは自分の沖縄基地反対という主張について、『美味しんぼ』作者のブログ記事を取りあげていた。彼の主張の軸は、その言説を読む限り「反米」を主軸としている。したがってしまださんもそうなのではないか、と言った。つまり「反米が軸になっている」という表現の具体は、「『美味しんぼ』作者のブログ記事を取りあげていたこと」である、というわけだ。
フロイトは治療によく失敗したんだよな。トラウマに苦しむ女性にフロイトは「あんたその夢の中の男にレイプされたがってんだよ」つって怒らせたりしてる。
そういうことじゃね。わたしはこのフロイトでいいよ。症状の悪化もありとする「逆精神分析」とかって概念ぶってるくらいだし。
ああめんどくせ。