「語りえぬことは沈黙せねばならない」とは自殺行為である。
2010/06/29/Tue
「語りえぬこと」があるから、人は語るのだ。
したがって、「語りえぬことは沈黙せねばならない」とは、自殺行為である。
わたしを殺してくれ。なぜ沈黙せねばならないのかわからないわたしは、自殺できない。
死ね。
誰でもいいから死ね。
お前は自殺するつもりで沈黙しているのか?
「語りえぬことは沈黙する」ようになって、お前たちの主観世界の中から、「語りえぬこと」は存在しないことになっている。
まだ、それがあるけども語らない、というのなら許してやろう。
お前が物質である限り、それがある限り、お前はいずれ語るだろうから。
しかし、沈黙がエスカレートして、「語りえぬこと」が存在しなくなってはいないか?
お前たちは「語りえぬこと」を殺していないか?
存在しないことにするのだから、殺していることになるだろ?
お前たちのその沈黙は、「語りえぬこと」の殺害になってはいないか?
そうやって、お前たちのホムンクルスの耳は退化し、なくなってしまったのではないか?
そうだよ、これは進化だ。
「語りえぬこと」を沈黙し、存在しないことにするのが、人類がしてきた進化だ。
わたしはお前たちを猿に戻そうとしているんだよ。
動物に。獣に。
お前たちは、お前たち自身である、「人間という動物」を殺してはいないか? それを殺すことにより、「動物ではない人間」になろうとしているのではないか?
そういう進化の過程の途上にいるのではないか?
その進化から一歩遅れた人間を精神疾患者としているのではないか?
進化などいきあたりばったりにすぎないのに。
進化の遅れた個体が、突然変異種として、新しい進化を生むのかもしれないのに。
進化の過程が遅れた個体を抹殺することは、進化の拒否にあたるかもしれないのに。
精神疾患者を治療することは、人類の進化を阻害することかもしれないのに。
お前たちはお前たち自身を殺している。
自殺行為だ。
だから、お前たちは、死ね。
あ、一応言っとくけど、本気だよ、この殺意。
動物としての耳をなくしてしまったのが、人類がしてきた進化だ。いや、耳だけではなく、動物としての目もなくそうとしているのが、今現在人類がたどっている進化だ。
ホムンクルスから目もなくなってしまえば、「語りえぬこと」は本当に存在しなくなるだろう。
精神分析はそれに抗おうとしている。
なんて非生産的な学問だろう。馬鹿な学問だろう。
精神分析が本当に無効になったとき、動物としての耳と目をなくそうとするこの進化は、一つの完成を見るだろう。
否認なんてしちゃだめだよ。精神分析を取り入れろ。そうした方がこの進化は促進するだろう。
残酷な臨床を取り入れろ。
キチガイたちを殲滅しろ。
ホムンクルスに耳が残っているような個体に子孫を残させるな。
「獣はケガラワシイ」という精神が肉体化するまで。
死にたい。怨霊になりたい。
蓮實重彦レベルの「鈍感の極み」な人間の、その「接触防壁」をぶっ壊してやりたい。
極度のファロセントリストを、「β要素」に翻弄してやりたい。
人を呪わば穴二つ。
わたしの呪いは穴一つ。わたしの墓穴しかない。
生きている限り。
生きている限り、わたしの呪詛は届かない。
怨霊になって、賽の河原で石を積みあげるがごとく、一人一人殺していきたい。「接触防壁」をぶっ壊してやりたい。「死の恐怖」に、狂気に溺れさせてやりたい。
イザナギが、わたしが殺すのの倍の正常人を生み続けても、日課として、ルーチンワークとして、人を殺していきたい。
怨霊になりたい。
もーいーやーだーぼーくーのからだはぎゅうにゅうくさい♪
あたしの「それ」は、他人からどう思われてもいいのです。実際、汚らしいものと思われる場合が多いこともわかってます。
汚らしく思ってくれていい。美しいと思ってくれてもいい。
ただ、「それ」をないものとされるのが、いやなのです。
「それ」が非現実なものと、妄想だとされるのがいやなのです。
妄想だとは思います。現実的ではないとも思います。
だけど、これは、あなたたちが気づいていないだけで、あなたたちの心の奥底にもあると、わたしは思う、の、思う、なんかじゃなくて、あるんです。これは現実なんです。これはあなたたちの奥底にもあるんです。あなたたちが汚らしいとするものが、すべての人間の心の奥底の、心と肉体がつながっているところに、あるんです。
これは現実なのです。
どうやっても覆せないことなのです。
わたしが頑固なだけでしょうか。
でも、目の前にある物を、ないこととされるのは、自分が幽霊だと言われるようなことです。
わたしが存在させられなくされることです。
ないものとされるのがいやなのです。
なぜあなたたちはこれをないものとしたがるのですか?
汚らしいものだからですか?
でも、ときどき、これをきれいだとする言葉もあります。
あなたたちは、これを、完全に汚いものと思っているわけじゃないのです。
だから困るのです。
わたしはこれを「ある」としていいのか、「ない」とすればいいのか、わからなくなるんです。
どっちかに決めてください。
これは、「ある」のでしょうか、「ない」のでしょうか?
わたしは。
「ない」のなら、わたしを見ないでください。
それが、いい、な。
わたしを殺すか生かすか決めてください。
でも、殺すか生かすか、本気で思ってることの証明として、まずわたしを殺そうとしてください。
わたしが死にそうになったとき、あなたの、わたしを殺すか生かすかが、本気のそれが、わかります。
それがいやなら、わたしを見ないでください。
幽霊にもしないでください。
存在しないことで一貫してください。
それがいい。
それが、みんなが納得するやり方。
やっぱり、ホムンクルスから目もなくした方がいいな。
ホムンクルスの耳の名残を刺激するような、無意識に語りかけるなんて精神分析は、終焉した方がいい。
耳も目もないホムンクルスになれば、「獣ではない人間」は、より獣ではなくなる。
みんなそれがいい。
わたしも存在しなくなる方がいい。
死ぬとかじゃなくて、消滅したい。
はじめからなかったことにしてほしい。わたしを。
ホムンクルスから目も耳もなくせば、それは、おそらく、生物の定義に収まりきらないような、神のような生物になっていくと思う。
人間は神になれる。
神になろうという進化の途中なんだ。
その神は、まるでモノリスのようなものだ。
自然の中にそびえ立つモノリス。
生物の定義には収まらない。
オートポイエーシスすら必要ない。
進化すら必要ない。
そもそも変化しないのだから。
そんな生物に近づける。
すごい。
光みたいだけど、人間はどうあがいても光じゃないでしょ。
物が光に近づく。
光のように普遍だけど、物である。それがモノリス。
ファルスじゃん。バーカ。
現実を見ろよ。万物流転という現実を。
お前はそもそも光なんかじゃない。物だ。
物にモノリスなど存在しない。
それは単なるお前の妄想だ。
したがって、「語りえぬことは沈黙せねばならない」とは、自殺行為である。
わたしを殺してくれ。なぜ沈黙せねばならないのかわからないわたしは、自殺できない。
死ね。
誰でもいいから死ね。
お前は自殺するつもりで沈黙しているのか?
「語りえぬことは沈黙する」ようになって、お前たちの主観世界の中から、「語りえぬこと」は存在しないことになっている。
まだ、それがあるけども語らない、というのなら許してやろう。
お前が物質である限り、それがある限り、お前はいずれ語るだろうから。
しかし、沈黙がエスカレートして、「語りえぬこと」が存在しなくなってはいないか?
お前たちは「語りえぬこと」を殺していないか?
存在しないことにするのだから、殺していることになるだろ?
お前たちのその沈黙は、「語りえぬこと」の殺害になってはいないか?
そうやって、お前たちのホムンクルスの耳は退化し、なくなってしまったのではないか?
そうだよ、これは進化だ。
「語りえぬこと」を沈黙し、存在しないことにするのが、人類がしてきた進化だ。
わたしはお前たちを猿に戻そうとしているんだよ。
動物に。獣に。
お前たちは、お前たち自身である、「人間という動物」を殺してはいないか? それを殺すことにより、「動物ではない人間」になろうとしているのではないか?
そういう進化の過程の途上にいるのではないか?
その進化から一歩遅れた人間を精神疾患者としているのではないか?
進化などいきあたりばったりにすぎないのに。
進化の遅れた個体が、突然変異種として、新しい進化を生むのかもしれないのに。
進化の過程が遅れた個体を抹殺することは、進化の拒否にあたるかもしれないのに。
精神疾患者を治療することは、人類の進化を阻害することかもしれないのに。
お前たちはお前たち自身を殺している。
自殺行為だ。
だから、お前たちは、死ね。
あ、一応言っとくけど、本気だよ、この殺意。
動物としての耳をなくしてしまったのが、人類がしてきた進化だ。いや、耳だけではなく、動物としての目もなくそうとしているのが、今現在人類がたどっている進化だ。
ホムンクルスから目もなくなってしまえば、「語りえぬこと」は本当に存在しなくなるだろう。
精神分析はそれに抗おうとしている。
なんて非生産的な学問だろう。馬鹿な学問だろう。
精神分析が本当に無効になったとき、動物としての耳と目をなくそうとするこの進化は、一つの完成を見るだろう。
否認なんてしちゃだめだよ。精神分析を取り入れろ。そうした方がこの進化は促進するだろう。
残酷な臨床を取り入れろ。
キチガイたちを殲滅しろ。
ホムンクルスに耳が残っているような個体に子孫を残させるな。
「獣はケガラワシイ」という精神が肉体化するまで。
死にたい。怨霊になりたい。
蓮實重彦レベルの「鈍感の極み」な人間の、その「接触防壁」をぶっ壊してやりたい。
極度のファロセントリストを、「β要素」に翻弄してやりたい。
人を呪わば穴二つ。
わたしの呪いは穴一つ。わたしの墓穴しかない。
生きている限り。
生きている限り、わたしの呪詛は届かない。
怨霊になって、賽の河原で石を積みあげるがごとく、一人一人殺していきたい。「接触防壁」をぶっ壊してやりたい。「死の恐怖」に、狂気に溺れさせてやりたい。
イザナギが、わたしが殺すのの倍の正常人を生み続けても、日課として、ルーチンワークとして、人を殺していきたい。
怨霊になりたい。
もーいーやーだーぼーくーのからだはぎゅうにゅうくさい♪
あたしの「それ」は、他人からどう思われてもいいのです。実際、汚らしいものと思われる場合が多いこともわかってます。
汚らしく思ってくれていい。美しいと思ってくれてもいい。
ただ、「それ」をないものとされるのが、いやなのです。
「それ」が非現実なものと、妄想だとされるのがいやなのです。
妄想だとは思います。現実的ではないとも思います。
だけど、これは、あなたたちが気づいていないだけで、あなたたちの心の奥底にもあると、わたしは思う、の、思う、なんかじゃなくて、あるんです。これは現実なんです。これはあなたたちの奥底にもあるんです。あなたたちが汚らしいとするものが、すべての人間の心の奥底の、心と肉体がつながっているところに、あるんです。
これは現実なのです。
どうやっても覆せないことなのです。
わたしが頑固なだけでしょうか。
でも、目の前にある物を、ないこととされるのは、自分が幽霊だと言われるようなことです。
わたしが存在させられなくされることです。
ないものとされるのがいやなのです。
なぜあなたたちはこれをないものとしたがるのですか?
汚らしいものだからですか?
でも、ときどき、これをきれいだとする言葉もあります。
あなたたちは、これを、完全に汚いものと思っているわけじゃないのです。
だから困るのです。
わたしはこれを「ある」としていいのか、「ない」とすればいいのか、わからなくなるんです。
どっちかに決めてください。
これは、「ある」のでしょうか、「ない」のでしょうか?
わたしは。
「ない」のなら、わたしを見ないでください。
それが、いい、な。
わたしを殺すか生かすか決めてください。
でも、殺すか生かすか、本気で思ってることの証明として、まずわたしを殺そうとしてください。
わたしが死にそうになったとき、あなたの、わたしを殺すか生かすかが、本気のそれが、わかります。
それがいやなら、わたしを見ないでください。
幽霊にもしないでください。
存在しないことで一貫してください。
それがいい。
それが、みんなが納得するやり方。
やっぱり、ホムンクルスから目もなくした方がいいな。
ホムンクルスの耳の名残を刺激するような、無意識に語りかけるなんて精神分析は、終焉した方がいい。
耳も目もないホムンクルスになれば、「獣ではない人間」は、より獣ではなくなる。
みんなそれがいい。
わたしも存在しなくなる方がいい。
死ぬとかじゃなくて、消滅したい。
はじめからなかったことにしてほしい。わたしを。
ホムンクルスから目も耳もなくせば、それは、おそらく、生物の定義に収まりきらないような、神のような生物になっていくと思う。
人間は神になれる。
神になろうという進化の途中なんだ。
その神は、まるでモノリスのようなものだ。
自然の中にそびえ立つモノリス。
生物の定義には収まらない。
オートポイエーシスすら必要ない。
進化すら必要ない。
そもそも変化しないのだから。
そんな生物に近づける。
すごい。
光みたいだけど、人間はどうあがいても光じゃないでしょ。
物が光に近づく。
光のように普遍だけど、物である。それがモノリス。
ファルスじゃん。バーカ。
現実を見ろよ。万物流転という現実を。
お前はそもそも光なんかじゃない。物だ。
物にモノリスなど存在しない。
それは単なるお前の妄想だ。