ゾンビも人間も物質としては同じ。
2010/07/13/Tue
「しつこい」と言われようが報告しとくな。
中坊さんとこ。これは結構着目してほしい。というのは、「オカルトを(ラカン論で)精神分析する」ってのの、わたし的に「これでFAだろ」と思える論になったからだ。特にここな。
=====
「小文字の他者に対する不安」が幽霊話。
「大文字の他者に対する不安」がUFO話や陰謀論。
「物自体に対する不安」が妖怪話。
ってすればL図に出てくる記号のすべてが出てくる。
=====
ほら、何気にわたしオカ板で人気みたいだから。
いじょ。
というわけでゾンビネトゲやってくる。
ゾンビが死ぬとき「ぐちょっ」って音がするんだが、これプレイヤーキャラが死んだときも同じ音なんだよな。まあ人間も「ぐちょっ」って死ぬよな。70%が水分なわけだし。
ゾンビも人間も物質としては同じ、ってことだよな。
つかほんと死にまくる。ステふりもなんかややこしいし。
何このマゾゲ。
ゾンビネトゲの公式サイト見てたらファンサイト作ったらアイテムくれるイベントやってるらしい。
このブログもファンサイトになりませんか? だめ?
つか中坊さんとこのコメント欄読み返すと、結局オカルトってのは「「不安」「あやしさ」「いかがわしさ」のエンターテイメント」だってことになるんだよな。
となると、「オカルトだからだめ」なんて言う「子供にとっての科学」を主張するそらパパくん(こことかここのコメント欄参照)なんかは、このゲームのコンピューターみたいなもんだよな。
「不安を楽しむなんてもっての他です。不安を感じてはなりません。あなたはこの世界に満足しているはずです」
まさに『パラノイア』。
ラカン派の決め台詞、「人格とはパラノイアである」ってこういう意味よ。パラノイアをキャラクター化したら英雄とかになる、ってのは精神分析の基本中の基本。
つまり人格者ってのはパラノイアなわけ。
精神的な正常さに固執する人間ほど、精神的に異常なわけ。
科学ってのは「なんでこうなるの?」という事象を「なるほどそういうわけか」と納得するだけのためにあるわけじゃない。不安を安心にするためにあるわけじゃない。
東大理系レベルの科学になると、むしろ「なんでこうなるの? を見つける学問」になっている。ここのコメント欄でも触れているが複雑系・カオス研究なんてのはそういうもんだよな。
タネ明かしをするだけが科学じゃない。自然というマジシャンを発掘するのも科学である。
こちらの方が学問の姿として正しいのだ。「なんでこうなるの?」と思わなければ世の中に不思議はない。ソクラテスが考えていた謎など妻クサンチッペにとってはどうでもいいことだった。クサンチッペはソクラテスが「なんでこうなるの?」と思っていることについてそう思ってなかった。
わたしの自論は「学問とは解答を与えるものではなく、問いを作り出す装置だ」である。
謎を解明することだけが学問ではない。謎を作り出すのも学問なのだ。
不安に興味が引かれてしまう。これは快楽原則のほころびである。
つまり、死の欲動なのだ。
「人は物ではない」
お前がそう思えるのは、お前がパラノイアックな「正常という精神疾患」に罹患しているからだよ。
補足。
中坊さんブログぶっ壊れたらしい。新しく作り直すって。ツイッターより。こことかここね。
中坊さんとこ。これは結構着目してほしい。というのは、「オカルトを(ラカン論で)精神分析する」ってのの、わたし的に「これでFAだろ」と思える論になったからだ。特にここな。
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「小文字の他者に対する不安」が幽霊話。
「大文字の他者に対する不安」がUFO話や陰謀論。
「物自体に対する不安」が妖怪話。
ってすればL図に出てくる記号のすべてが出てくる。
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ほら、何気にわたしオカ板で人気みたいだから。
いじょ。
というわけでゾンビネトゲやってくる。
ゾンビが死ぬとき「ぐちょっ」って音がするんだが、これプレイヤーキャラが死んだときも同じ音なんだよな。まあ人間も「ぐちょっ」って死ぬよな。70%が水分なわけだし。
ゾンビも人間も物質としては同じ、ってことだよな。
つかほんと死にまくる。ステふりもなんかややこしいし。
何このマゾゲ。
ゾンビネトゲの公式サイト見てたらファンサイト作ったらアイテムくれるイベントやってるらしい。
このブログもファンサイトになりませんか? だめ?
つか中坊さんとこのコメント欄読み返すと、結局オカルトってのは「「不安」「あやしさ」「いかがわしさ」のエンターテイメント」だってことになるんだよな。
となると、「オカルトだからだめ」なんて言う「子供にとっての科学」を主張するそらパパくん(こことかここのコメント欄参照)なんかは、このゲームのコンピューターみたいなもんだよな。
「不安を楽しむなんてもっての他です。不安を感じてはなりません。あなたはこの世界に満足しているはずです」
まさに『パラノイア』。
ラカン派の決め台詞、「人格とはパラノイアである」ってこういう意味よ。パラノイアをキャラクター化したら英雄とかになる、ってのは精神分析の基本中の基本。
つまり人格者ってのはパラノイアなわけ。
精神的な正常さに固執する人間ほど、精神的に異常なわけ。
科学ってのは「なんでこうなるの?」という事象を「なるほどそういうわけか」と納得するだけのためにあるわけじゃない。不安を安心にするためにあるわけじゃない。
東大理系レベルの科学になると、むしろ「なんでこうなるの? を見つける学問」になっている。ここのコメント欄でも触れているが複雑系・カオス研究なんてのはそういうもんだよな。
タネ明かしをするだけが科学じゃない。自然というマジシャンを発掘するのも科学である。
こちらの方が学問の姿として正しいのだ。「なんでこうなるの?」と思わなければ世の中に不思議はない。ソクラテスが考えていた謎など妻クサンチッペにとってはどうでもいいことだった。クサンチッペはソクラテスが「なんでこうなるの?」と思っていることについてそう思ってなかった。
わたしの自論は「学問とは解答を与えるものではなく、問いを作り出す装置だ」である。
謎を解明することだけが学問ではない。謎を作り出すのも学問なのだ。
不安に興味が引かれてしまう。これは快楽原則のほころびである。
つまり、死の欲動なのだ。
「人は物ではない」
お前がそう思えるのは、お前がパラノイアックな「正常という精神疾患」に罹患しているからだよ。
補足。
中坊さんブログぶっ壊れたらしい。新しく作り直すって。ツイッターより。こことかここね。