はいはいしゅうりょ。
2010/07/22/Thu
はい、ママさんとはこれでしゅうりょ。リンクも外した。
おつかれさん、ママさん。
こういう別れ方はいいな。ママさんならわたしにストーキングしてこないと思える。だからリンクは残してもいいかなと思ったけど、間違って踏んじゃって鮎見時子みたいなま○こ汁垂れ流しまくりババアがいたら同じことやっちゃうかもしれないから、はずしとく。
ママさんを嫌いになったわけじゃないよ。そらパパくんとは逆だな。そらパパくんとわたしの論は非常に似ている、と自分では思っている。つまり、政治的には彼の論を応援したいところではあるが、彼の人格は嫌い。
ママさんは、人格的に嫌いなわけじゃないが、彼女の政治のやり方が気に入らない。人づきあいの仕方が。
あたし基本「療育はあっていいじゃん」って立場だし。ただ、それは親の支配者的な欲望を根拠にした、強権の行使である現実を認めながらやってくれ、って言っているだけで。
欲望をなくせ、なんて言ってない。ま○こ汁を垂れ流すな、なんて言わない。わたしだってま○こ汁は垂れる。
ただそれを自覚してやってくれ、と。
「あ、今濡れてるな」と思いながらやれ、と。
子供に対するときでも。
それだけのこと。
書こうと思ってたコメントをこっちに書いておく。
=====
なんか極端に言ってるけどさ。
自閉症者も、「共有になった感じ」を快楽的にまったく思わないわけじゃない。
快楽的、嬉しくも思っているが、それ以外の「複合的な体内反応」もある。
そのとき「共有になった」快楽的な「感じ」だけにならない。
「複合的な体内反応」を切り捨てられない。
鮎さんのように「知らない」となれない。
だから、「一人で喜んでいる」というより、「親も喜んでいる、わたしも嬉しいことは嬉しい。嬉しくなくはないんだけど、親はそれがオーバーだ。それだけしか見えなくなっている」という感じかと思う。
これだけ極端に言ったのは、わたしの心因性の何かのせいだと思ってくれて構わんよ。
つかここまではっきり言わないとお前ら理解しないだろ?
わたしは生まれてこの方どれだけこの感覚を説明してきたか。何万回とかだろうな。
まあ、極論だよ。
極論じゃないと、わかってくれない。
「嬉しいのは嬉しいなら、嬉しいんじゃないか」
と言って、レイプを続行してくるのが、お前ら親だ。
=====
というわたしのコメントについて。
わたしは自閉症ではない。しかしわたし自身の定義による未去勢者だと思っている。未去勢者とは、今のところ、自閉症、統合失調症、スキゾイド、分裂病型人格障害が、これにあてはまると考えている。
しかしだな。
ママさんとこのこの記事から。
=====
携帯電話のキャンペーンで、人気歌手のライブのチケットが当たった兄やん。
アスペ君:「いいな~。有名人のライブとかって。うらやましいよ。大学の友達も、コブクロのコンサートに行ってきたって言ってたわ。」
兄やん:「一緒に行くはずの友達が行けなくなったから姉やん、一緒に行けへんか?無理やったら一人で行くわ。」
姉やん:「うっそー。めっちゃ行きたいねんけど、用事あるわ。」
おば:「アスペ君、連れて行ってもらったら?行きたいって言ってたやん。」
アスペ君:「行きたいなんて言ってない!いいな。って言っただけだ!」
姉やん:「そんな事、どっちでも、いいねん。」
=====
このときの、「行きたいなんて言ってない!いいな。って言っただけだ!」ってのが、わたしが「何万回」としてきた「この感覚の説明」かもしれない、と思った。
姉やんの「そんな事、どっちでも、いいねん。」が、「嬉しいのは嬉しいなら、嬉しいんじゃないか」に相当する。
このときアスペくんの、「内面についてのあたりまえの認知」では捉えきれない「複合的な体内反応」は、存在しないものとされている。殺されている。
アスペくんも、姉やんという「親」から、「子殺し」されている。
そう思うと、泣けてきた。
「かわいそう」というより「ざまあみろ」という感覚で。メシウマな感覚で。
そういうことなんだよな。
メシウマって意外と(ラカン的な意味で)現実的な感覚だと思うのだよな。
「親という精神疾患」は、この歌を、自分の親子関係にあてはめたりしないんだろうな。
「一度やそこらの優しさでつけあがられるのはとても迷惑なんだ」
これが子供の本音だと思いもしないのだろう。
浮かれているのはお前だけ
言わなきゃわからない。
言ってもわからない。
言ったらすべてが嘘になる。
言葉はたよりない。その程度。
しかし、一部ではありうる。
パズルのワンピースではありうる。
パズルのワンピースから、全体像を想像する。
パズルの解答パターンがわかってしまえば、そのワンピースから全体像を想像するのはたやすくなる。
しかし、それはあくまでパターンによる推測にすぎず、その想像が誤りであることもある。
だけど、誤りの全体像が、解答になってしまっている。
正常という精神疾患者の、多数派の権力により。
実際の解答とは違う解答でも、正しい解答となってしまっている。
この世界は間違っている。
世界じゃなくなっている。
社会が世界になってしまっている。
社会は世界じゃない。
テレビ、テレビ、テレビ、テレビを見続けよう。
テレビだけの世界に没入しよう。
ビデオを借りにいくなんてしちゃだめ。
徹底的に受身でなくちゃだめ。
見たい番組を見るんじゃない。
そのときやっている番組を見させられている状態。
そんな状態にならないと。
ならないと。
死ぬ。
ハナゲの滝。
酒も飲んでないのに吐いた。硫酸吐いているみたいだ。胃液そのまま吐いているっぽい。
ああもう、わかんねえ。なんにもわかんねえ。
わかった。わかったことを書いておく。
ここで、ママさんちのコメントで書いている「複合的な体内反応」とは、無時間だ。記憶とか、瞬間的な刺激とか、そういうものじゃない。そういう時制がない。
想像界は無時間だ。
そういうことか。
じゃあ、想像界って、輪っかじゃねえんじゃねえの?
その輪っか、象徴界なんじゃねえの?
ボロメオの輪って、極論的モデルにすぎず、結構大雑把なんじゃねえの?
そらパパくんも言っているが、情動を言語的なものにすること。言語的構造化させること。ママさんの別の記事でも言ったけど、あたしこの論には同意できるんだよな。
そうだと思うんだけどな。
前記事でも言ったけど、情動なんて、他人からそうだと言われて、そうだとなるもんなんだよ。以前にも書いたが、わたしのキャラから言うとキモイ記事だと思われているのかもしれないが、この記事はわたしのオキニだ。
人間みな役者なんだよ。
おつかれさん、ママさん。
こういう別れ方はいいな。ママさんならわたしにストーキングしてこないと思える。だからリンクは残してもいいかなと思ったけど、間違って踏んじゃって鮎見時子みたいなま○こ汁垂れ流しまくりババアがいたら同じことやっちゃうかもしれないから、はずしとく。
ママさんを嫌いになったわけじゃないよ。そらパパくんとは逆だな。そらパパくんとわたしの論は非常に似ている、と自分では思っている。つまり、政治的には彼の論を応援したいところではあるが、彼の人格は嫌い。
ママさんは、人格的に嫌いなわけじゃないが、彼女の政治のやり方が気に入らない。人づきあいの仕方が。
あたし基本「療育はあっていいじゃん」って立場だし。ただ、それは親の支配者的な欲望を根拠にした、強権の行使である現実を認めながらやってくれ、って言っているだけで。
欲望をなくせ、なんて言ってない。ま○こ汁を垂れ流すな、なんて言わない。わたしだってま○こ汁は垂れる。
ただそれを自覚してやってくれ、と。
「あ、今濡れてるな」と思いながらやれ、と。
子供に対するときでも。
それだけのこと。
書こうと思ってたコメントをこっちに書いておく。
=====
なんか極端に言ってるけどさ。
自閉症者も、「共有になった感じ」を快楽的にまったく思わないわけじゃない。
快楽的、嬉しくも思っているが、それ以外の「複合的な体内反応」もある。
そのとき「共有になった」快楽的な「感じ」だけにならない。
「複合的な体内反応」を切り捨てられない。
鮎さんのように「知らない」となれない。
だから、「一人で喜んでいる」というより、「親も喜んでいる、わたしも嬉しいことは嬉しい。嬉しくなくはないんだけど、親はそれがオーバーだ。それだけしか見えなくなっている」という感じかと思う。
これだけ極端に言ったのは、わたしの心因性の何かのせいだと思ってくれて構わんよ。
つかここまではっきり言わないとお前ら理解しないだろ?
わたしは生まれてこの方どれだけこの感覚を説明してきたか。何万回とかだろうな。
まあ、極論だよ。
極論じゃないと、わかってくれない。
「嬉しいのは嬉しいなら、嬉しいんじゃないか」
と言って、レイプを続行してくるのが、お前ら親だ。
=====
というわたしのコメントについて。
わたしは自閉症ではない。しかしわたし自身の定義による未去勢者だと思っている。未去勢者とは、今のところ、自閉症、統合失調症、スキゾイド、分裂病型人格障害が、これにあてはまると考えている。
しかしだな。
ママさんとこのこの記事から。
=====
携帯電話のキャンペーンで、人気歌手のライブのチケットが当たった兄やん。
アスペ君:「いいな~。有名人のライブとかって。うらやましいよ。大学の友達も、コブクロのコンサートに行ってきたって言ってたわ。」
兄やん:「一緒に行くはずの友達が行けなくなったから姉やん、一緒に行けへんか?無理やったら一人で行くわ。」
姉やん:「うっそー。めっちゃ行きたいねんけど、用事あるわ。」
おば:「アスペ君、連れて行ってもらったら?行きたいって言ってたやん。」
アスペ君:「行きたいなんて言ってない!いいな。って言っただけだ!」
姉やん:「そんな事、どっちでも、いいねん。」
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このときの、「行きたいなんて言ってない!いいな。って言っただけだ!」ってのが、わたしが「何万回」としてきた「この感覚の説明」かもしれない、と思った。
姉やんの「そんな事、どっちでも、いいねん。」が、「嬉しいのは嬉しいなら、嬉しいんじゃないか」に相当する。
このときアスペくんの、「内面についてのあたりまえの認知」では捉えきれない「複合的な体内反応」は、存在しないものとされている。殺されている。
アスペくんも、姉やんという「親」から、「子殺し」されている。
そう思うと、泣けてきた。
「かわいそう」というより「ざまあみろ」という感覚で。メシウマな感覚で。
そういうことなんだよな。
メシウマって意外と(ラカン的な意味で)現実的な感覚だと思うのだよな。
「親という精神疾患」は、この歌を、自分の親子関係にあてはめたりしないんだろうな。
「一度やそこらの優しさでつけあがられるのはとても迷惑なんだ」
これが子供の本音だと思いもしないのだろう。
浮かれているのはお前だけ
言わなきゃわからない。
言ってもわからない。
言ったらすべてが嘘になる。
言葉はたよりない。その程度。
しかし、一部ではありうる。
パズルのワンピースではありうる。
パズルのワンピースから、全体像を想像する。
パズルの解答パターンがわかってしまえば、そのワンピースから全体像を想像するのはたやすくなる。
しかし、それはあくまでパターンによる推測にすぎず、その想像が誤りであることもある。
だけど、誤りの全体像が、解答になってしまっている。
正常という精神疾患者の、多数派の権力により。
実際の解答とは違う解答でも、正しい解答となってしまっている。
この世界は間違っている。
世界じゃなくなっている。
社会が世界になってしまっている。
社会は世界じゃない。
テレビ、テレビ、テレビ、テレビを見続けよう。
テレビだけの世界に没入しよう。
ビデオを借りにいくなんてしちゃだめ。
徹底的に受身でなくちゃだめ。
見たい番組を見るんじゃない。
そのときやっている番組を見させられている状態。
そんな状態にならないと。
ならないと。
死ぬ。
ハナゲの滝。
酒も飲んでないのに吐いた。硫酸吐いているみたいだ。胃液そのまま吐いているっぽい。
ああもう、わかんねえ。なんにもわかんねえ。
わかった。わかったことを書いておく。
ここで、ママさんちのコメントで書いている「複合的な体内反応」とは、無時間だ。記憶とか、瞬間的な刺激とか、そういうものじゃない。そういう時制がない。
想像界は無時間だ。
そういうことか。
じゃあ、想像界って、輪っかじゃねえんじゃねえの?
その輪っか、象徴界なんじゃねえの?
ボロメオの輪って、極論的モデルにすぎず、結構大雑把なんじゃねえの?
そらパパくんも言っているが、情動を言語的なものにすること。言語的構造化させること。ママさんの別の記事でも言ったけど、あたしこの論には同意できるんだよな。
そうだと思うんだけどな。
前記事でも言ったけど、情動なんて、他人からそうだと言われて、そうだとなるもんなんだよ。以前にも書いたが、わたしのキャラから言うとキモイ記事だと思われているのかもしれないが、この記事はわたしのオキニだ。
人間みな役者なんだよ。