ゾンビの話をしてたら本物のゾンビがでてきた。
2010/07/25/Sun
ママさんとメッセしてわかった。あたし鮎が「怖い」らしい。
彼女からのメッセは見たくない。なんか知らんががんがん送られてきているのだが、もう見ていない。なんで見たくないのか、と聞かれると、「怖いから」と答える。
そう考えると、納得がいく。
確かに一番最初の接触は、「怖かった」とは言えない。あれはわたしなりの確認作業だ。彼女を、多少は不愉快には思っていたが、わたしは基本ほとんどの人間が不愉快なので、よくあるレベルだ。逆に言えば全然許容範囲である。
二回目は、確認作業の度がすぎた、という感じだろう。この「度」は正常人としての「度」だ。わたしはうすうすそれを気づきながらやった。中坊さんちで連投するときと同じ。「正常人の「度」は越えているんだろうけど、お前いいっつったんだからいいよな」的な。
三回目は、確認作業が頂点にたっした。しかし、そこで彼女は、わたしが「こういう人間だったらいやだなあ」と思っていたような反応をした。それをわたしは「お前は快楽主義者だ」と言った。この記事にも書いてある。
この記事を書いたときは、一種の揶揄的な部分があった。つまり、「お前こう思われる可能性もあるぜ?」という感じだ。つかその記事の主題は鮎じゃないしな。話しているときにいい揶揄(わたしにとって)が浮かんだので、彼女をちょっとつついてみた、というレベル。
この記事が「本当にそうなの? そうだったらわたしは本気でだめだわ」という感じである。
そして、わたしに「お前は快楽主義者だ」と言われた彼女は、こうきっぱり言った。
「感覚の共有とは本来楽しいのです」
わたしが揶揄として言った「お前のそれ「感覚主義」じゃなくて「快楽主義」だろ。」が、まったく正解だったのだ。
だから、わたしは異様な恐怖を覚えているのかもしれない。
ゾンビの話をしてたら、本物のゾンビがでてきた、というような。
わたしは快楽主義者が怖いのだ。
本気で怖い、らしい。
つかその記事もゾンビが前フリになってんのな。
いやさ、統失の幻覚で、「他の人たちがゾンビに見える」っつうのがあったんだけど、わたしあれ他人事に思えなかったんだよな。
わたしにとって正常人がゾンビだ。
だからかね、今ゾンビゲーはまってる。
マゾいし単調だし、ストーリーはまあB級ホラーの王道に則っていて、「MMOでそうくるか」的なおもしろさはあるんだけど、正直それならゾンビ映画見てたらいいわけだし。つかあたしスプラッタよかクラシック・ホラーっぽいのが好きだし。『悪霊喰』とか。
もしかしたら鮎みたいな人を撃ち殺すって妄想感覚でやっちゃうのかもしれない。
いやほんとつまんないんだよ、ゲームとしては。三日で飽きるレベル。
だけど一日経つとまたやりたくなっちゃう。
アルトーだって似たようなこと言ってるじゃん、詳しくは忘れたけど、「正常な(健全な)人間たちの方が死んでいるのだ」みたいな。
キチガイの方が生きているんだよ。現実の生を。
みんなそれを生きていた。生まれたばかりの赤ん坊の頃は。妄想分裂態勢。
死の欲動こそが、生体反応としての、生きるやり方なのだ。
赤ん坊は死の欲動を生きている。それは赤ん坊にとっては、大人とは違った、生きるやり方なのだ。
しかし、それを殺して、人は人になる。正常な精神の人に。
正常な精神の人が生きる生は、妄想の産物だ。
それは現実的な生ではない。
だからわたしは、正常人たちがゾンビに見える。
死者に。
鮎のメッセから抜粋。
=====
宗教がらみの虐待体験の話はあるていど自分の中で自分なりの決着のない人と話すのは
難しいんでしない
うちの親の宗教オリジナル宗教でかつ加護系で正しいので
恩恵もうけてでもねっていうのと
もっと宗教で搾取うけた人の深い苦悩は質感が違うんで語り合うのはよすのが無難
=====
鮎はどうもわたしが宗教の話にこだわっていると思ったらしく、それでわたしが「宗教がらみの虐待体験があってそれに決着のない人」だと勝手に思っていたらしい。
そのくせ「もっと宗教で搾取うけた人の深い苦悩は質感が違う」つまり「宗教がらみの虐待体験があった人っぽくはない」と言っている。
矛盾している。
わたしは自分を「宗教がらみの虐待体験があった人」と思っていないし、「宗教で搾取を受け」てもいないし、別に「深い苦悩」をした覚えもない。
宗教に限らなくとも、わたしは虐待など受けていない、と自分では思っている。父母や宗教は確かに嫌いだが、それらから虐待を受けたとは思っていない。彼らからよくしてもらった部分もあり、それはそうだと認知している。
そう言って、これについての誤解は解けた。自分が勝手にそう思っていただけ、と鮎は納得した。
しかしだ。
鮎は、そのブログを読めばわかるように、虐待問題について研究している。
それなのに、「虐待を受けて決着のついていない人」つまりPTSD症状の真っ只中にいる人とは、自分は話さない、と言っている。
要するに、彼女は、虐待によりPTSDとなって、それを克服した人としか話さない、と言っているわけだ。
このことから彼女が、いわゆる口でそう言っているだけの快楽主義者ではなく、根っからの快楽主義者であることがわかる。当然である。精神疾患真っ只中の人と、面と向かって話すのは誰でもいやだろう。精神科医ですらそう思っているだろう。逆にそう思わない精神科医の方が、精神的になんらかの異常があるのではないか、とすらわたしには思える。心的に鈍感であることの異常。過剰な鈍感さ。
だからほとんどの精神科医は「薬の自動販売機」と化す。事実わたしが飲み屋で知りあった精神科医もそう言っていた。
「頭のおかしい人と親身になって話せるわけがない。こっちがおかしくなりそう。症状を聞いて、それにあてはまる薬をだすだけよ」
と。
鮎は医者ではない。
彼女は虐待問題を研究しているのに、「それと克服していない人とは話さない」と言っている。
医者ではないのだから、そういったアプローチであっても別に構わないだろう。
だが、まさにここに、彼女の精神的な異常さを、わたしは感じる。
わたしの言う「キチガイ」すなわち未去勢者とは、まったく正反対の異常さ。
「正常さへの執着」、「健全さへの異常な欲望」。
やはり彼女は、前記事で述べているような、「人をうつに陥れる達人」なのではないだろうか。
ああまあでもいいや、もう。
アメーバメッセ受信拒否したし、これでしゅうりょ。
鮎はいいんだよ、もう。自分が「怖い」からいやだってのがわかったから。もう彼女と話す必要性はない。鮎という一個人はもうどうでもいい。
しかし、鮎のような、わたしから見た精神的な異常さが、問題なのだ。
これは鮎以外にも、多くの人間に見られる症状だ。
もちろんそういった彼らの多くは精神医学的に正常とされている人たちである。
だから困るのだ。
夢って如実だな。最近ストーカーのこと書いているからかストーカーがでてきたわ。
もう一人、わたしの友人がでてきた。ここでも書いている不倫の子。彼女とは結構遊んだからな。
で、いろいろあって、わたしはストーカーと縁を切り、結果、不倫の子を選んでストーカーを切り捨てる、という状態になった。わたしにはそんなつもりはないのだが、別に不倫の子を選んだなんて認識はしていないのだが、結果そういう状態であるのは、そう言われてもわたしは反論できない。
ネットでわたしの悪口が書かれている。
今も同じだ。夢と現実が混淆している。
おかしくなってる。
なんかおもしろい論文発見した。これ。PDF注意な。
まあわたしゃ現代若者そのまんまの宗教観だ、ってことだな。霊魂観念、タタリ系。
だけどわたしは合理主義者だし、「何でも相談したり、助け合える人間関係」に生理的嫌悪を覚えるんだけどな。
合理主義の対極がタタリ系って、逆じゃね? オカゲ系や加護観念が、合理主義の対極だ。
こいつ宗教学者だろ? 科学者じゃないわけじゃん。
自然科学はつきつめたらタタリ系になる。量子力学の不確定性原理や、カオス・複雑系研究なんてのはいわばタタリの数式化だ。
そらパパくんにしろ、自然科学やってない奴が科学を騙るからこういうとんちんかんな論理になる。
つか「現代若者の現世利益志向と霊魂信仰」ってな、要するにグノーシスだろ。キリスト教と同じ時代からあった宗教観だ。仏教にもある。密教がそれにあたる。
なんでもかんでも現代病にすんなよ、阿呆。
なんでこういう老人たちってすぐ現代病にしたがるんだろ。「現代の若者は~」って愚痴はピラミッドの時代からあったんだってね。
老人たちの「現代の若者は~」節が、一つのオカルトなんじゃねえの?
つか、お前らの同世代の人間が、キリスト教のごとき、旺盛な征服欲を持っていたから、グノーシス的宗教観が減退してただけじゃないの?
お前らの方が異常なんじゃないの?
で、お前らが老化して、その征服欲も減退したから、グノーシス的宗教観が、あたかも恐竜が寝ている隙に餌をあさる哺乳類の始祖のネズミのように、こそこそ動きだしているだけじゃないの?
なあ、お前さ、自分の方が異常かもしれないって、思えている?
口先だけじゃなくて、心の底からそう思えてる?
わたしを見切れ。わたしを見捨てろ。わたしを棄却しろ。
さすればお前は、今より少しは幸福になるだろう。
「人をうつに陥れる達人」ってさ、要するに宗教者だよな。
信仰心がかたくなな人。
信仰心の篤い牧師たちは、素で自分が清くも正しくも美しくもないと自覚してしまう人たちを、ことごとくうつに陥れてきたんだろうな。
キリスト教の蔓延がうつ的時代状況を作った、とも言える。
牧師たちの、清くも正しくも美しくもないところを指摘するのは、うつの中するささやかな反抗だったのかもしれない。
「洗脳されたくない」ってだけなのにね。
『アンチ・オイディプス』は社会を分裂症化させる分裂分析を説いている。この言葉を借りるなら、ニーチェはキリスト教を分裂分析した、と言えるだろう。
ところが現代の宗教は分裂分析に値しないものとなってしまった。
だから社会を分裂分析するのだ、というガタリの意見は、ある意味正しい。
しかし、現代若者でかつ素でグノーシス的なわたしは、
「んなら最初から人間一人一人を分裂症化していけばいいだろ。社会やら宗教やらってのは、一括で分裂症化できるから合理的だけど、時代によってころころ変わるんだろ? ニーチェとガタリみたいに。めんどくさがんなよ。地道にやれよ。「急がば回れ」がむしろより合理的なんだよ。科学の現実は地道なもんだぜ?」
と言っているだけ。
ああ、補足。
「薬の自動販売機」についてだけど、これ批判じゃないからね。わたしは精神科医はそうであってほしいと思っている。患者側として。
kyupinさんなんかは「薬の自動販売機」になろうとしている人だと思える。だけど、それだけじゃないところも、ちょっとだけのぞいている。
こういう人は、診察のときは「薬の自動販売機」なんだろうけど、「ちょっとだけのぞいている」ところがあるから、信頼できる。
真正面からそれを見据えたら、それこそ某精神科医が言うように「こっちがおかしくなる」からさ。
それでいいんだよ。
いい按配だと思うよ、kyupinさんは。
「わたしに深入りするな。ただし、お前が精神科医ならば、「これ」をないことにするな。だが、深入りはするな。「これ」はニーチェの言う「深淵」だからだ」
頼むよ、もう。
「狂気は伝染しない」でいいって言っているんだよ。
ただしそれは、「狂気は伝染する」という現実の否認だと自覚しろよ、つってるんだ。飲み屋で知りあった精神科医さんみたいにな。
お前らのために言ってるんだ。
鮎さんに感じた不愉快さは、土鍋ごはんさんに感じた不愉快さと似ている。
彼女と会話していたとき、わたしはこう言った。
=====
あなたのやっている「差別との戦い」は、「差別される側から差別する側に回ろうとする戦い」であるように思えます。差別をなくするための「ごちゃまぜ」ではなく、差別する側に回るため「ごちゃまぜ」を利用しているように。
=====
精神疾患者である自分の否定。それが自己肯定。
精神疾患者の立場を守るのではなく、自分が精神疾患者の立場から、それを疾患者だとする側へ回ろうとするやり方。
鮎さんも土鍋ごはんさんも、当人が精神疾患者ならば、まさに「這いあがろうとする蛆虫」だ。人間からの「蛆虫とは悪いもの」という語りかけを信じ、他の蛆虫をだしぬいて、人間になりたがろうとする人たち。
それはけして蛆虫を守る行為ではない。
蛆虫として殺されてきた存在が、蛆虫を殺す人間になろうとしていることだ。
なぜ、こんな奴らがいる?
お前はもともと人間だったんじゃないか? だから「蛆虫は悪いもの」などという人間の勝手な妄想を信じてしまえるのではないか?
自然としての蛆虫はよくも悪くもない。物にいいも悪いもない。
キチガイどもは騙されるな。
人間の言うことなど信用するな。
そいつは、今のお前を殺そうとしているのだ。
甘言を弄して、自分が勝手に不愉快と思っているだけの蛆虫を殺す側に参画させようとしているのだ。
……いや、当然、蛆虫なんかより人間の方が楽だよ? 現代社会は特に。人間であればあるほど、楽に生きていけるシステムが構築されている。それが社会というものだ。
だから、別にお前が人間になりたがること自体は、わたしは批判しない。
批判しないが、わたしを殺す人間となったからには、わたしは反撃するよ。
お前を殺すよ。
昨日までわたしの隣にいたお前でもね。
げろ、鮎ブログから飛んできてる。リンク貼ったのか。
勘弁してけろ。
もうあんたと接触するのはこりごりです。
彼女からのメッセは見たくない。なんか知らんががんがん送られてきているのだが、もう見ていない。なんで見たくないのか、と聞かれると、「怖いから」と答える。
そう考えると、納得がいく。
確かに一番最初の接触は、「怖かった」とは言えない。あれはわたしなりの確認作業だ。彼女を、多少は不愉快には思っていたが、わたしは基本ほとんどの人間が不愉快なので、よくあるレベルだ。逆に言えば全然許容範囲である。
二回目は、確認作業の度がすぎた、という感じだろう。この「度」は正常人としての「度」だ。わたしはうすうすそれを気づきながらやった。中坊さんちで連投するときと同じ。「正常人の「度」は越えているんだろうけど、お前いいっつったんだからいいよな」的な。
三回目は、確認作業が頂点にたっした。しかし、そこで彼女は、わたしが「こういう人間だったらいやだなあ」と思っていたような反応をした。それをわたしは「お前は快楽主義者だ」と言った。この記事にも書いてある。
この記事を書いたときは、一種の揶揄的な部分があった。つまり、「お前こう思われる可能性もあるぜ?」という感じだ。つかその記事の主題は鮎じゃないしな。話しているときにいい揶揄(わたしにとって)が浮かんだので、彼女をちょっとつついてみた、というレベル。
この記事が「本当にそうなの? そうだったらわたしは本気でだめだわ」という感じである。
そして、わたしに「お前は快楽主義者だ」と言われた彼女は、こうきっぱり言った。
「感覚の共有とは本来楽しいのです」
わたしが揶揄として言った「お前のそれ「感覚主義」じゃなくて「快楽主義」だろ。」が、まったく正解だったのだ。
だから、わたしは異様な恐怖を覚えているのかもしれない。
ゾンビの話をしてたら、本物のゾンビがでてきた、というような。
わたしは快楽主義者が怖いのだ。
本気で怖い、らしい。
つかその記事もゾンビが前フリになってんのな。
いやさ、統失の幻覚で、「他の人たちがゾンビに見える」っつうのがあったんだけど、わたしあれ他人事に思えなかったんだよな。
わたしにとって正常人がゾンビだ。
だからかね、今ゾンビゲーはまってる。
マゾいし単調だし、ストーリーはまあB級ホラーの王道に則っていて、「MMOでそうくるか」的なおもしろさはあるんだけど、正直それならゾンビ映画見てたらいいわけだし。つかあたしスプラッタよかクラシック・ホラーっぽいのが好きだし。『悪霊喰』とか。
もしかしたら鮎みたいな人を撃ち殺すって妄想感覚でやっちゃうのかもしれない。
いやほんとつまんないんだよ、ゲームとしては。三日で飽きるレベル。
だけど一日経つとまたやりたくなっちゃう。
アルトーだって似たようなこと言ってるじゃん、詳しくは忘れたけど、「正常な(健全な)人間たちの方が死んでいるのだ」みたいな。
キチガイの方が生きているんだよ。現実の生を。
みんなそれを生きていた。生まれたばかりの赤ん坊の頃は。妄想分裂態勢。
死の欲動こそが、生体反応としての、生きるやり方なのだ。
赤ん坊は死の欲動を生きている。それは赤ん坊にとっては、大人とは違った、生きるやり方なのだ。
しかし、それを殺して、人は人になる。正常な精神の人に。
正常な精神の人が生きる生は、妄想の産物だ。
それは現実的な生ではない。
だからわたしは、正常人たちがゾンビに見える。
死者に。
鮎のメッセから抜粋。
=====
宗教がらみの虐待体験の話はあるていど自分の中で自分なりの決着のない人と話すのは
難しいんでしない
うちの親の宗教オリジナル宗教でかつ加護系で正しいので
恩恵もうけてでもねっていうのと
もっと宗教で搾取うけた人の深い苦悩は質感が違うんで語り合うのはよすのが無難
=====
鮎はどうもわたしが宗教の話にこだわっていると思ったらしく、それでわたしが「宗教がらみの虐待体験があってそれに決着のない人」だと勝手に思っていたらしい。
そのくせ「もっと宗教で搾取うけた人の深い苦悩は質感が違う」つまり「宗教がらみの虐待体験があった人っぽくはない」と言っている。
矛盾している。
わたしは自分を「宗教がらみの虐待体験があった人」と思っていないし、「宗教で搾取を受け」てもいないし、別に「深い苦悩」をした覚えもない。
宗教に限らなくとも、わたしは虐待など受けていない、と自分では思っている。父母や宗教は確かに嫌いだが、それらから虐待を受けたとは思っていない。彼らからよくしてもらった部分もあり、それはそうだと認知している。
そう言って、これについての誤解は解けた。自分が勝手にそう思っていただけ、と鮎は納得した。
しかしだ。
鮎は、そのブログを読めばわかるように、虐待問題について研究している。
それなのに、「虐待を受けて決着のついていない人」つまりPTSD症状の真っ只中にいる人とは、自分は話さない、と言っている。
要するに、彼女は、虐待によりPTSDとなって、それを克服した人としか話さない、と言っているわけだ。
このことから彼女が、いわゆる口でそう言っているだけの快楽主義者ではなく、根っからの快楽主義者であることがわかる。当然である。精神疾患真っ只中の人と、面と向かって話すのは誰でもいやだろう。精神科医ですらそう思っているだろう。逆にそう思わない精神科医の方が、精神的になんらかの異常があるのではないか、とすらわたしには思える。心的に鈍感であることの異常。過剰な鈍感さ。
だからほとんどの精神科医は「薬の自動販売機」と化す。事実わたしが飲み屋で知りあった精神科医もそう言っていた。
「頭のおかしい人と親身になって話せるわけがない。こっちがおかしくなりそう。症状を聞いて、それにあてはまる薬をだすだけよ」
と。
鮎は医者ではない。
彼女は虐待問題を研究しているのに、「それと克服していない人とは話さない」と言っている。
医者ではないのだから、そういったアプローチであっても別に構わないだろう。
だが、まさにここに、彼女の精神的な異常さを、わたしは感じる。
わたしの言う「キチガイ」すなわち未去勢者とは、まったく正反対の異常さ。
「正常さへの執着」、「健全さへの異常な欲望」。
やはり彼女は、前記事で述べているような、「人をうつに陥れる達人」なのではないだろうか。
ああまあでもいいや、もう。
アメーバメッセ受信拒否したし、これでしゅうりょ。
鮎はいいんだよ、もう。自分が「怖い」からいやだってのがわかったから。もう彼女と話す必要性はない。鮎という一個人はもうどうでもいい。
しかし、鮎のような、わたしから見た精神的な異常さが、問題なのだ。
これは鮎以外にも、多くの人間に見られる症状だ。
もちろんそういった彼らの多くは精神医学的に正常とされている人たちである。
だから困るのだ。
夢って如実だな。最近ストーカーのこと書いているからかストーカーがでてきたわ。
もう一人、わたしの友人がでてきた。ここでも書いている不倫の子。彼女とは結構遊んだからな。
で、いろいろあって、わたしはストーカーと縁を切り、結果、不倫の子を選んでストーカーを切り捨てる、という状態になった。わたしにはそんなつもりはないのだが、別に不倫の子を選んだなんて認識はしていないのだが、結果そういう状態であるのは、そう言われてもわたしは反論できない。
ネットでわたしの悪口が書かれている。
今も同じだ。夢と現実が混淆している。
おかしくなってる。
なんかおもしろい論文発見した。これ。PDF注意な。
まあわたしゃ現代若者そのまんまの宗教観だ、ってことだな。霊魂観念、タタリ系。
だけどわたしは合理主義者だし、「何でも相談したり、助け合える人間関係」に生理的嫌悪を覚えるんだけどな。
合理主義の対極がタタリ系って、逆じゃね? オカゲ系や加護観念が、合理主義の対極だ。
こいつ宗教学者だろ? 科学者じゃないわけじゃん。
自然科学はつきつめたらタタリ系になる。量子力学の不確定性原理や、カオス・複雑系研究なんてのはいわばタタリの数式化だ。
そらパパくんにしろ、自然科学やってない奴が科学を騙るからこういうとんちんかんな論理になる。
つか「現代若者の現世利益志向と霊魂信仰」ってな、要するにグノーシスだろ。キリスト教と同じ時代からあった宗教観だ。仏教にもある。密教がそれにあたる。
なんでもかんでも現代病にすんなよ、阿呆。
なんでこういう老人たちってすぐ現代病にしたがるんだろ。「現代の若者は~」って愚痴はピラミッドの時代からあったんだってね。
老人たちの「現代の若者は~」節が、一つのオカルトなんじゃねえの?
つか、お前らの同世代の人間が、キリスト教のごとき、旺盛な征服欲を持っていたから、グノーシス的宗教観が減退してただけじゃないの?
お前らの方が異常なんじゃないの?
で、お前らが老化して、その征服欲も減退したから、グノーシス的宗教観が、あたかも恐竜が寝ている隙に餌をあさる哺乳類の始祖のネズミのように、こそこそ動きだしているだけじゃないの?
なあ、お前さ、自分の方が異常かもしれないって、思えている?
口先だけじゃなくて、心の底からそう思えてる?
わたしを見切れ。わたしを見捨てろ。わたしを棄却しろ。
さすればお前は、今より少しは幸福になるだろう。
「人をうつに陥れる達人」ってさ、要するに宗教者だよな。
信仰心がかたくなな人。
信仰心の篤い牧師たちは、素で自分が清くも正しくも美しくもないと自覚してしまう人たちを、ことごとくうつに陥れてきたんだろうな。
キリスト教の蔓延がうつ的時代状況を作った、とも言える。
牧師たちの、清くも正しくも美しくもないところを指摘するのは、うつの中するささやかな反抗だったのかもしれない。
「洗脳されたくない」ってだけなのにね。
『アンチ・オイディプス』は社会を分裂症化させる分裂分析を説いている。この言葉を借りるなら、ニーチェはキリスト教を分裂分析した、と言えるだろう。
ところが現代の宗教は分裂分析に値しないものとなってしまった。
だから社会を分裂分析するのだ、というガタリの意見は、ある意味正しい。
しかし、現代若者でかつ素でグノーシス的なわたしは、
「んなら最初から人間一人一人を分裂症化していけばいいだろ。社会やら宗教やらってのは、一括で分裂症化できるから合理的だけど、時代によってころころ変わるんだろ? ニーチェとガタリみたいに。めんどくさがんなよ。地道にやれよ。「急がば回れ」がむしろより合理的なんだよ。科学の現実は地道なもんだぜ?」
と言っているだけ。
ああ、補足。
「薬の自動販売機」についてだけど、これ批判じゃないからね。わたしは精神科医はそうであってほしいと思っている。患者側として。
kyupinさんなんかは「薬の自動販売機」になろうとしている人だと思える。だけど、それだけじゃないところも、ちょっとだけのぞいている。
こういう人は、診察のときは「薬の自動販売機」なんだろうけど、「ちょっとだけのぞいている」ところがあるから、信頼できる。
真正面からそれを見据えたら、それこそ某精神科医が言うように「こっちがおかしくなる」からさ。
それでいいんだよ。
いい按配だと思うよ、kyupinさんは。
「わたしに深入りするな。ただし、お前が精神科医ならば、「これ」をないことにするな。だが、深入りはするな。「これ」はニーチェの言う「深淵」だからだ」
頼むよ、もう。
「狂気は伝染しない」でいいって言っているんだよ。
ただしそれは、「狂気は伝染する」という現実の否認だと自覚しろよ、つってるんだ。飲み屋で知りあった精神科医さんみたいにな。
お前らのために言ってるんだ。
鮎さんに感じた不愉快さは、土鍋ごはんさんに感じた不愉快さと似ている。
彼女と会話していたとき、わたしはこう言った。
=====
あなたのやっている「差別との戦い」は、「差別される側から差別する側に回ろうとする戦い」であるように思えます。差別をなくするための「ごちゃまぜ」ではなく、差別する側に回るため「ごちゃまぜ」を利用しているように。
=====
精神疾患者である自分の否定。それが自己肯定。
精神疾患者の立場を守るのではなく、自分が精神疾患者の立場から、それを疾患者だとする側へ回ろうとするやり方。
鮎さんも土鍋ごはんさんも、当人が精神疾患者ならば、まさに「這いあがろうとする蛆虫」だ。人間からの「蛆虫とは悪いもの」という語りかけを信じ、他の蛆虫をだしぬいて、人間になりたがろうとする人たち。
それはけして蛆虫を守る行為ではない。
蛆虫として殺されてきた存在が、蛆虫を殺す人間になろうとしていることだ。
なぜ、こんな奴らがいる?
お前はもともと人間だったんじゃないか? だから「蛆虫は悪いもの」などという人間の勝手な妄想を信じてしまえるのではないか?
自然としての蛆虫はよくも悪くもない。物にいいも悪いもない。
キチガイどもは騙されるな。
人間の言うことなど信用するな。
そいつは、今のお前を殺そうとしているのだ。
甘言を弄して、自分が勝手に不愉快と思っているだけの蛆虫を殺す側に参画させようとしているのだ。
……いや、当然、蛆虫なんかより人間の方が楽だよ? 現代社会は特に。人間であればあるほど、楽に生きていけるシステムが構築されている。それが社会というものだ。
だから、別にお前が人間になりたがること自体は、わたしは批判しない。
批判しないが、わたしを殺す人間となったからには、わたしは反撃するよ。
お前を殺すよ。
昨日までわたしの隣にいたお前でもね。
げろ、鮎ブログから飛んできてる。リンク貼ったのか。
勘弁してけろ。
もうあんたと接触するのはこりごりです。