キシネンリョ
2010/08/27/Fri
キシネンリョ、って音がいいのに気づいた。
何がいいのだろう。
前からシェフチェンコとかってロシア名ってテンポいいな、と思っていた。それと似てるから、ってのはオーケー。
あと、ネンリョってにたにたした感じと、キシって固い感じのコントラストもいい。
うん、ここがポイント。
というのは、実際に希死念慮がひどいとき、つまり本気で死ぬ、と思っているとき、なんというか、清々しい、というと変だけど、きれいな感じ、というのも変。それこそ固い感じ。氷のような感じがする。
勘違いしないでほしいのは、静的ではない、ということ。固い感じと静的は別。静的でもなく動的でもない固い感じ。ほらあたし子供の頃から「固体も爆発してる」って感じてた人だからさ。
わたし以外の人は「静」と「固」の区別がついていない。
それらは別々。ミクロな爆発の密度が高いのが「固い」であって、それはむしろ「動」の過剰だ。
じゃあ「静」とは。
わたしはよくわからない。爆発の密度が低いのをそう言うなら、老魔女の言葉にある通り、気体がもっとも「静」だとなる。だけど気体は固体より動いている。
絶対零度の世界を「静」と言うなら、なんとなくわかる。
つまり、「静」とは一般的な状態ではなく、ごくまれにしか存在しない状態だと。
それなら気体も固体も「動」だとするわたしの子供の頃からの感覚と矛盾しない。
話がそれた。
希死念慮のひどいときの感じは、「固」でありながら(わたしはよくわかんないんだけど、絶対零度の世界の中にいたことないし)「静」でもあるかもしれない、という感じがする。
「静」をわたしはよく知らないから、一般的な意味での「静的」ではない、と言った。
わたしが知らなくて、他の多くの人が知っていること。
多分、「静」というパターンだ。
とすれば、やっぱりわたしは死んでみないことには、他の多くの人と同じようなパターン認識ができない、ということになる。
「キチガイは死ななきゃ治らない」
この言葉って真理なんだなあ、って思った。
だけどね、やっぱり簡単には死ねない。
自殺未遂やって大騒ぎされたこともあるから(昔の話よ、今はしてない、あんまり)、しにくい。
静かに死にたい。固く死にたい。
なのにそうできないから。
今死ぬってときの感覚は、静かで固いのに。
そんなこんなで死ねない。
ぐだぐだになる。
このときの感じとネンリョってにたにたした感じは、通じているように思う。
キシって固い感じのあとにネンリョってにたにたした感じがくるそのコントラストが、わたしの希死念慮状態と相似している、ってことかな。
うん。
こんだけ的確になるよう書いているのに、デムパって言われるんだろうなあ。
無意味な動性。
言ってみたかっただけ。
キシになりきれずネンリョになってしまったあとに、糞便になる。
糞便になっているわたしが、多分読者の多くがイメージしているわたしだ。
糞便として思った。
超自我の原因は死の欲動である。
キチガイは死の欲動(ビオンの言葉ならβ要素)に翻弄されている個体である。
ならば、わたしがこのブログでしようと思っている(現時点での正確さを求めるなら「思っていた」だが)「狂気の伝染」は、相手の超自我を利用するのが、効果的だ、となる。
なるほどな。
何がいいのだろう。
前からシェフチェンコとかってロシア名ってテンポいいな、と思っていた。それと似てるから、ってのはオーケー。
あと、ネンリョってにたにたした感じと、キシって固い感じのコントラストもいい。
うん、ここがポイント。
というのは、実際に希死念慮がひどいとき、つまり本気で死ぬ、と思っているとき、なんというか、清々しい、というと変だけど、きれいな感じ、というのも変。それこそ固い感じ。氷のような感じがする。
勘違いしないでほしいのは、静的ではない、ということ。固い感じと静的は別。静的でもなく動的でもない固い感じ。ほらあたし子供の頃から「固体も爆発してる」って感じてた人だからさ。
わたし以外の人は「静」と「固」の区別がついていない。
それらは別々。ミクロな爆発の密度が高いのが「固い」であって、それはむしろ「動」の過剰だ。
じゃあ「静」とは。
わたしはよくわからない。爆発の密度が低いのをそう言うなら、老魔女の言葉にある通り、気体がもっとも「静」だとなる。だけど気体は固体より動いている。
絶対零度の世界を「静」と言うなら、なんとなくわかる。
つまり、「静」とは一般的な状態ではなく、ごくまれにしか存在しない状態だと。
それなら気体も固体も「動」だとするわたしの子供の頃からの感覚と矛盾しない。
話がそれた。
希死念慮のひどいときの感じは、「固」でありながら(わたしはよくわかんないんだけど、絶対零度の世界の中にいたことないし)「静」でもあるかもしれない、という感じがする。
「静」をわたしはよく知らないから、一般的な意味での「静的」ではない、と言った。
わたしが知らなくて、他の多くの人が知っていること。
多分、「静」というパターンだ。
とすれば、やっぱりわたしは死んでみないことには、他の多くの人と同じようなパターン認識ができない、ということになる。
「キチガイは死ななきゃ治らない」
この言葉って真理なんだなあ、って思った。
だけどね、やっぱり簡単には死ねない。
自殺未遂やって大騒ぎされたこともあるから(昔の話よ、今はしてない、あんまり)、しにくい。
静かに死にたい。固く死にたい。
なのにそうできないから。
今死ぬってときの感覚は、静かで固いのに。
そんなこんなで死ねない。
ぐだぐだになる。
このときの感じとネンリョってにたにたした感じは、通じているように思う。
キシって固い感じのあとにネンリョってにたにたした感じがくるそのコントラストが、わたしの希死念慮状態と相似している、ってことかな。
うん。
こんだけ的確になるよう書いているのに、デムパって言われるんだろうなあ。
無意味な動性。
言ってみたかっただけ。
キシになりきれずネンリョになってしまったあとに、糞便になる。
糞便になっているわたしが、多分読者の多くがイメージしているわたしだ。
糞便として思った。
超自我の原因は死の欲動である。
キチガイは死の欲動(ビオンの言葉ならβ要素)に翻弄されている個体である。
ならば、わたしがこのブログでしようと思っている(現時点での正確さを求めるなら「思っていた」だが)「狂気の伝染」は、相手の超自我を利用するのが、効果的だ、となる。
なるほどな。